はてなキーワード: 考察とは
シンエヴァを見た。
ワクワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉で説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなものが成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。
徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさんが無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあんな違和感たっぷりの説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカやレイ、カヲルがベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的に淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。
それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。
リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングなエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。
余談だが子供だった自分はアスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的で悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。
とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間とセリフがあった。
監督ももうエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンやエヴァオタクががっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそんなのはどこにもない。
監督がエヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。
でも彼の会社はエヴァの版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフと理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。
ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターをサクサクとエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。
シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督は特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクだから。アニメと特撮のオタク。エヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープなオタクだと思う。
シンエヴァの感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイトに晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀、ヒロインといちゃつけるゲーム、シンジをカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画。同人作家にカヲルとシンジのBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。
キャラクター商品はキャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァの収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタクは一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったから文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単にさよならできるもんなんだから。
私は良かったと思ったから当初は否定的な感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的におかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。
良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察や小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファンが勝手に考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品が成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤をアマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画、考察合戦する相手も少ないのでは。
監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優の演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親も母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフのコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。
貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したものを漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロとアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものにさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァの根本は監督の私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。
物凄くコスパ悪いだろ。
そういう人の言う「オタクになりたい」って「オタクと呼ばれたい」ってことだろ。
倍速視聴なんてしたら、セリフなんて聞き取れないだろうし、オタク知識マウントに
時間は無駄だし(サブスク等で見るならば)金もかかるし知識も得られない、百害あって一利なしだろ。
「オタクになる」一番最短の道は、『「感想まとめブログ」「考察ブログ」を読み込む。』
これだろ。
そういうブログってのは、ネットで話題になった部分を端的に紹介しているし、
受験向けに作られたわけではない教科書を速読する(倍速視聴する)よりも
受験向けに作られた参考書をじっくり読みこむ方が知識は入りやすい。
さらに参考書と違うのは、そういうブログを読むのは金がかからないからな。
私なんかは見るものは自分の興味のある最小限に絞り込み、そのほかの
オタクの中で今話題になっているが、興味のあまりない作品はそういうブログなどを
読むことでコンテンツを見たふりをしている。普通にばれないしな。
でも、そこまでして「オタク」と呼ばれても、すごくむなしいと思うけどな。
https://kahoku.news/articles/20210616khn000025.html
ラヴクラフト作品と出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。
それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像の範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。
さらに「常に一方的。暴力を与える者の感情が全てを支配するため、他者が介在する余地がない。だから醜い」と断じた。
他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、読者が主体的にそこに身を投じることが求められる。
未知への誘惑がある。
これ、ちょっと違うよなぁ。
ラグクラフトの作った暗黒神話体系は、「それまで信じていた価値観や常識が失われる恐怖」を描いてる。
吸血鬼にしても、ゾンビにしても、狼男や悪魔だって、キリスト教的価値観の枠を出ないが、ラグクラフトが描いたのは、旧支配者を代表とする、キリスト教的価値観への「冒涜」だ。
当時の人がそこに見出した、悍ましさや恐怖について、「宇宙的恐怖」とか「冒涜的なもの」とか翻訳者は頑張ったが、日本人には響かないだろう。
話が逸れた。
個人の感想なので、あれはあれで素晴らしいし、コンクールで賞を取らせたいのもわかる。
けれども
ラヴクラフト作品と出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。
それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像の範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。
他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、「想像の範囲にとどまらず、それまでの価値観、常識を揺さぶられるのだ」。
私が母に求めたような愛は、海外であれば「神」がもたらすのかもしれない。
みたいな方が、ラヴクラフトを好きって感じがする。
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
進撃の巨人が好きだった。
高校デビューを機にもう同人誌を買い漁るのはやめようと決意を固めたはずの私を、また腐女子の沼に突き落として来たのが進撃の巨人だった。
難しい考察記事からネタ動画に感想スレ、BL小説にエロ漫画。最新話が公開されるたびに1週間ぐらい噛み締めて、残りの3週間はネットに転がるいろんなものを夢中で見ていた気がする。
小学生の頃からルーズリーフに色々書いてたはいたが、とても人に見せられるクオリティではなかった。
そんな私がB5ノートに20ページ。それを推敲しながらタイピングし、一応読めるだけの話に仕上げた。
国語力が死んでるのでちゃんとしたものを一本書き上げるのは大変な苦労だった。
高校で、初めて告白してくれた男の子を「私にはエルヴィン団長がいれば十分なのであなたとお付き合いはできません」と振った。
結局半年粘られて根負けして付き合ったけど、最終的にエルヴィン団長が死んで撃沈してる間に浮気されて振られた。
あの2年間はなんだったんだろう。
寂しさを埋めるために好きでもない男と付き合った。
束縛の強い彼は私がBL小説を書いていると構えと言って邪魔をした。
結局耐えられなくなって別れた。
もう彼氏はいいやと思いながら、でも、もう前ほどの情熱で進撃を読む元気もなくて、学業に励んだ。
あんなに夢中だった進撃の巨人も毎月最新話を読むだけになった。
2期が終わった頃は待ち遠しくてたまらなかった筈のアニメの3期も、なんとなく見る気にならなかった。全部完結したら見るんだ、それまでとっとくんだって言い訳した。
夢中で追わなくなってから、話の筋がだんだんわからなくなっていった。
前はどの部隊がどこにいて、誰がどこで何をしたか。台詞の隅々まで覚えてたのに。
そのまま私は大学院生になり、大学院生あるあるだが病んで不登校になり、しかしまあこれもあるあるだがそれなりに立ち直り、それなりに就活した。
エントリーシートを粗方出し終えた4月9日。進撃の巨人が完結した。
読んだ。読んだけど、私はそれを噛みしめる元気がなかった。高校生の頃の私ならもっと泣いたはずだ。
就活のせいで元気がないだけで、内定が貰えればまあ気持ちは上を向くだろうと切り替えて、面接に挑んだ。
特に嬉しいとも思わなかった。
6月、続々と内定承諾書が届いても私はベッドから起きる気にもなれなくて、内定者面談は寝転がって受けた。「すみません、カメラの調子が悪くて。」って適当に嘘ついた。
SNSのタイムラインは最終巻の加筆、Endingの話題で盛り上がっていた。
私も読みたいと思った。本屋に足を運んで買いたかった。でも外に出られない。出る気にもならない。
仕方ないから通販にしようって思ったけど、Amazonのページを開くと、なんのためにAmazonを開いたのか忘れてしまう。びびる。馬鹿か。
しばらくして思い出すけど、その頃には注文したい気持ちが消えている。
そういうことばかり繰り返しているうちに、一週間が過ぎた。
今まで欠かさず発売日に買ってたのに。
ずっと待っていたはずの最終巻なのに、何もする気にならない。
なんかもう10年弱待ってた漫画の最終巻出たのに買えないの、マジでどうしようもない。
夢中で読んでいたあの頃は、まさかこんな自分が状態で完結を見ることになるなんて思いもしなかった。
悲しいし、情けないし、とても残念だけど、まあ、しょうがないとしか言いようがない。
結論から言えば「人から求められてはいるが、そこで求められる行為は下賤なもの」であるのが原因だと思う
若い女性が性を売れば特別な技能や人を惹き付ける様な魅力が無くとも男から肯定され、求められ、結果として、実際は単なる穴モテでしかないのにも関わらず、自分は素晴らしい人間なんだと徐々に勘違いしていく
だが売春という行為で精神は疲弊していき、「売春をしているが自分は素晴らしい人間である」という矛盾を抱えきる事が難しくなっていく
結果「自分は素晴らしい人間だが、男に不当に搾取されたが故に売春に至った!自分は被害者である!」と自分の性的な需要が減るにつれて、つまり男から肯定され求められる機会が減るにつれて、売春という負の要素を抱えきれなくなっていき、被害者としての自己を確立し自己肯定を試みる
そういう感じだと思います
この文章を書いている今、かつてなく自殺企図の情動が高まっており、それでもなおそれを完遂することへの恐れから、今なるべく頭の中を冷静にして考えたことを書き留めておこうと思い、手を動かしている。
自殺未遂自体は、10年近く前にやったことがある。部屋に一人の状態でベルトで己の首をゆっくり絞めていき、「落ちる」ところまで行ければあとは死ねると思っていたが、結局自分でリミッターを外すことはできなかった。あとは、家にある薬状のものをとにかく全部飲むというのもやったが、たくさん飲めば死ねるような薬はなく、薬効どうしの食い合わせで運よく死ねるということもなかった。私は所詮その程度ですが、こんなのマウントを取り合いをするものではないと思う。
処方された薬は自分の判断で勝手に飲むのを止めてしまったが、少なくとも今日までは自殺することなく生きてこられた。自殺チャレンジばかりを考える日々から脱却できたきっかけははっきりとは分からない。グラデーションに近いものだと思う。そしてそのグラデーションは真っ白な状態に戻ることは決して無いだろうと感じる。初めて本当に死にたいと考えた日から今日までずっと死のことを意識してきた。下手な例えだけど、シャッフルされた山札から1枚ずつドローしていくうちに「死」を引いてしまったのが10年前で、それ以来ずっと手札に「死」を持っている感じに近い。手札に「死」を持っている状態に慣れていったことで、逆説的に今日までそのカードを使うことなくやってこれたような気がする。
少し話は変わるが、私は私が「自殺したい」と考えていることを他人に表明することをひどく恥ずかしく感じる。そのことを他人に話してしまえば、それは暗に「止めてほしい」ということを意味し、結局のところ本気で死ぬ気はないのだと始めから自己矛盾が露呈してしまうからだ。したがって、本当に死にたいと思うときに私は沈黙するしかない。実際この文章を書くまではそうしてきた。
なるべくキーを打つ手を止めないようにするため、文章の構成を考慮せず思うままに書くことにするが、ご容赦いただきたい。
「自殺をしてはいけない理由とは一体なにか?(あるのか?)」という倫理的・哲学的問いがある。よく答えとして挙がるのは
①生きていればまだ良いこともあるから
といったところだと思う(「自殺するには苦痛を伴う」というのは積極的に自殺を選ばない理由ではあるが、自殺をしてはいけない理由ではない)。
私はこれらのいずれも失当だと思う。
①生きていれば良いこともある
下らないことを言わないでほしいと私は思う。そりゃ良いことも悪いこともあるだろう。でも結局人生における良いことと悪いことの総量を比べることはできないし、最後には誰もが死ぬのである。なぜそれが今ではいけないのか。人生における最後の幸福を味わったら後は死んでもいいのだろうか。少なくとも、死にたい気持ちを自覚し、それを何度もやり過ごして生きてきた人間にとって、残りの人生は死にたい時間とそれをやり過ごしている時間の繰り返しでしかない。
②残された人が悲しむから
実のところ、身体的苦痛へのためらいを除いて、これまで私を自殺させなかった理由の最たるものである。幸いにも、私は家族に恵まれたと思うし、私が自殺した後の家族の気持ちを考えると涙が出そうになる。しかし、実はそれを私が気にする必要はない。なぜなら、実際に自殺した後に悲嘆に暮れる家族の様を「悲しい」と感じる主体であるところの私はすでにどこにもいないからである。悲しいと感じるのは残された者の気持ちを考える「今のまだ生きている私」であり、その意味で身体的苦痛へのためらいと同じだ。
少しそれるが、現行刑法だって自殺を殺人には当てはめていない。自分の保護法益である生命を自分が終了させたところで罪には問えないからだ(容疑者死亡のため起訴できないというのもある)。
したがって、突き詰めれば、②は(残されることになる)私が悲しいから「自殺してはいけない」ではなく「自殺しないでくれ」というお願いでしかないというのが正しい。
死を選ぶことは本当にいつでもできるだろうか。中途半端なためらいがなくなったあの瞬間に人生を終わらせておくべきだった、そうすれば今の苦痛を味わうことはなかったのにといずれ後悔しないだろうか。少なくとも私はいま後悔している。10年前に死ねていれば今日の苦痛はなかった(10年間の喜びも無価値だったのかと問われれば、少なくとも今の苦痛に釣り合うものではなかったと答えるでしょう。死にたいときは常に)。
「死」は切った時点でほかの全ての選択肢を失うという点で最後のカードだ。でも結局その理論は①の理由に行きつく。それは「自殺してはいけない理由」にはなりえない。
私が敬虔なクリスチャンであればこれほど強い理由はなかったろうと思うが、私を含む非キリスト者には全く通用しない。結局なにがしかへの信仰しか救いにはならないという気がしている。
こんなことを平気で言う人間とは関わらない方が良いですよ。
つまるところ、やっぱり自殺してはいけない理由なんて無いんですよ。
どれも思いとどまらせるための方便でしかなくて、あとは本人がするかしないかの判断があるだけ。
ここまで書いたところで紛れていた衝動の波が戻ってきた。
ところで私は家に包丁を置いていないのだが、その理由を人には「私は自炊しないので」とへらへら語っているが、実際の理由は衝動的に自分に使用しないためである。今は刃を己にめり込ませたくてたまらないので、平時の私の判断は正しかったのであり、その正しさを心底憎悪する。
いわゆる”hnnm”と呼ばれるもので、自分はずっと読み専だったんだけど、そのジャンルで字書きとして活動し始めた。
旬だったのか、支部やツイッターでもまずまずの反応をもらうことができた。
「もう無理」と思う瞬間はたくさんあったけど、作品が好きだから活動を続けてきた。
他作品で中の人が演じてるキャラクターを使って、何の関係もなくなったカップリングで二次創作するオタクたちが増えてきても、好きな元作品のままで二次創作を書いてきた。
自分は固定じゃなくてABもBAも見るし、相手違いも読めるし書ける。
作品内でたくさんカップリング組めるのに、みんな中の人の他作品同士でカップリング作って遊んでる。
この作品での供給はもうないだろうし、このままジャンルが終わっていくのは誰から見ても明らかだと思う。
最初からハマった当初から元作品からは考えられないような生存ifパロが当たり前になってた。
みんな最初から元作品のことなんかどうでも良かったんだろうな。
結局みんな作品に飽きて中の人萌えになってるし、次の作品公開されたらそっちに行くでしょ。
他のオタクたちはジャンルを盛り上げようとかなくて、カップリング煽りしかしてない。
ABは攻撃的で、逆カプに自衛ブロックされるのを「AB検定合格!」って茶化して鍵パカのままネタにしてる。
AB&A+Bオンリーを開催して、BAだけ排除するなんて悪意ありすぎて笑える。
鍵パカのままツイッターのタグ付きで作品上映会して、「Bちゃんえちえちw」とか言っててマジでキモい。
考察や感想が見たい普通の作品ファンがそれ見たらどう思うかとか、何も考えてないんだろーな。
しかも公開のABカプオンリーアカウントで、作品名丸出し、「探しやすいようにオープンでやる」とか言ってるし、配信サイトRTしてるしhnnmって知ってる?って思う。
逆にBAは閉鎖的で、固定メンバーで毎週通話とかゲームとかしてるけど、どうせABの悪口言ってるんだろうなと思えてキモい。
上映会もあるけど、これも通話だしいつも似たような人たちでやってて、そのグループの仲良いフォロワーじゃないと入れない雰囲気がある。
入ろうかなと思ったこともあるけど、固定メンバーの誰とも仲良くないし諦めた。敷居が高すぎ。
しかもABがプチオンリーやるって宣言した後からBAカプオンリー開催告知したりして、何種類かアンソロ作ったり、明らかにAB意識してるのが分かる。
どっちのカップリングも逆をdisるのは勝手だけど、ちょっと火種があるたびに「何かあったんでしょうか…?」みたいなツイートしてるのがキモい。
そういうのが他界隈の人間から「変に揉めてる」って思われるのわかんないのかなー?
ABもBAもカップリングは好きだけど、対立煽りがキモくて無理。
正直カプ固定って作品のことどうでも良いと思ってるんでしょ?
作品が好きならどのカプも見ろよw
カップリング厨のせいでジャンル全体が空気悪いとか思われてるのマジで不愉快。
ジャンルが終わりとか言ってるけど自分もできることはしてきた。
でも盛り上げようとしても通話とか上映会する人たちとは交流ないから私のツイートには反応ないし、フォロワーも多くないから影響力がなかった。
アカ消しも考えたけど、初めてのカップリングオンリーに浮かれて申し込んじゃったし、このジャンルなら本は売れるし、自分自身がまだ作品自体に愛着あるから消すに消せなくなり今かなりモヤってる。
他の人たちみたいに適当にカップリングおもちゃにして遊べるタイプならよかった。
作品愛とか持ちたくなかった。
自分以外誰もこんなこと気にしてなさそうで嫌になる。
某本当は看護師さんになりたいのに母親に将来を否定された結果起きた事件のことだがそれは自分の子供の将来を強要した母親に原因があると思う
確かにいかなる理由でも殺人はよくないしどんな性格なのかもわからない人が事件を起こすことには同情できない
母親に自宅から通える国公立大医学部に進路を限定されていたらしいので母親から離れるために下宿しないと通えない大学の進学を目指すということは思いつかなかったと思う
まだ社会に出れてなくて学費を親に払ってもらう立場である限りは親への進路の反発はなかなか難しい
高校卒業したころはまだ未成年だったりするから親の許可がないと就職したり実家を出て自立することができない
私立の医学部のほうが国公立大医学部より入試のハードルは低いが学費がすごく高いのである程度裕福な家庭じゃないと進学ができない
望まない浪人を母親の束縛の元で9年もしてたとのことだが予備校に通っていなかった可能性のほうが高いしこんな親のもとで望んでもない束縛された生活していたら勉強にまともに集中できるわけがないし成績もあがらない
医学部受験は特に国公立大は難しく対策も特殊なので本人の強い意志があり成績優秀で受験勉強に励んでたとしても合格にたどりつくのはなかなか難しい
仮に9浪まですることなく自宅から通える国公立大医学部に合格できても別のことでまた母親に圧力をかけられてしまっている気がする
母親から離れるために家出をしたそうだが探偵や警察に見つけられてしまったそうだし逃げ場もなかったと思う
結局医学部に合格できず進みたかった看護学部に進み看護の勉強に励んでいるうちに手術看護師になりたい!という夢をせっかく見つけれたのに今度は助産師になりなさい!と母親に圧力をかけられてしまっている
母親に従うために助産師学校の受験をして不合格だったとのことだが本人の能力不足というよりせっかく看護師として社会にでれるのに母親に望まない将来を強要されてやる気がでなかったんだと思う
父親は仕事の都合で別居をしているとのことだがもしかしたらだけど仕事の都合というよりこういう家庭環境から逃げたかったかもしれない
だからそこまで大事になっていることに気づけなかったんだと思う
こういう親は自分の子供に価値観を押し付ける典型的な毒親だと思う
多分この母親は勉強や将来のこと以外のことでも圧力をかけている気がする
血縁関係だとしても親と子供は今まで生きてきた人生も違うし価値観も違うに決まっている
この事件がきっかけで勉強や将来のことに無関係でも親が子供に価値観を押し付けることが悪だという考えが世間で根付いたらいいのにと思った
あくまで私の考えだが明らかにこの母親に原因があるし全く無関係な第三者まで巻き込まれているわけでもないので過剰防衛でいいと思う
私は過去5年位テレビを見ていないので最近のテレビがどのようなものになっているのか知らないが、テレビが廃れた原因を考察してみた。
結論としては、テレビ以外の娯楽が増えたことが根本的な原因で、そのせいで番組が更につまらなくなり、一部の人が更に離れたことが原因。
まず、テレビ以外の娯楽についてだが、Netflix、アマゾンプライムを始めとした映像コンテンツのサブスクサービスが台頭した。
これにより、人々は好きなときに好きなコンテンツを消費できるようになった。
よって、己の好きなコンテンツを消費するために、その番組が放送されるのを待つテレビというモデルの存在価値そのものがなくなってしまった。
更にYouTubeを始めとした素人の情報発信が増えた結果、コンテンツが多様化し、より個人の好みににマッチしたコンテンツを享受することが可能になった。
その結果、それらのコンテンツを消費する時間が増えてしまったため、テレビを見るために時間を割くこともできなくなった。
それは、2つあると考えた。
2. サブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生
複数の人間が集まる場所ではNetflixなどの個人の趣味に合わせた映像作品ではなく、テレビのようなランダム性のあるコンテンツが必要とされる。
なぜなら、複数人の中の1人がコンテンツを選択してしまうと不公平が存在してしまう。不公平は人間の間に溝を生じさせるので良くない。
私がテレビを見なくなった頃、なぜあなたは日本にいるのか外国人にインタビューする番組や、日本の文化を紹介してすごいと出演者が口々に話す番組が増えたように思える。
なぜこのような番組が増えたかというと、人間は褒められることで快感を得ることができる生き物だからである。褒められて嫌がる人間はかなり少ないと考えられる。
これらの番組は日本人という属性を褒めることで、ほぼすべての視聴者に当てはまる日本人という属性を持った我々を気持ちよくしているのである。
特に複数の人が同時に視聴する場ではできるだけ共通するものを褒める必要がある。それが日本人という属性なのである。
しかしこれらの番組は複数の人がいる場合に見られる程度で本当に日本が好きな人は右翼と呼ばれる人以外にはいないのである。
特に日本人の20代までの若者は政治に興味を持っていない割合が大きい。
よってこれらの番組を見たいとは思えなくなり、若者のテレビ離れが更に進行したのである。
次にメインの視聴者がサブカルなど特定のカテゴリに興味がまだない幼稚園児から小学生になった。
テレビはこれらの子供をおとなしくするために安易で有効な手段である。
この結果バラエティ番組にある変化をもたらしたと考えられる。
以前はエンタの神様、レッドカーペットなど、ある程度の年齢からでなければ理解できないようなお笑い番組が多くあったが、
最近はリアクションで笑いを取る番組が多くなったように思える。
例えば、アメトーーークのゴールデンでやっていた運動神経悪い芸人である。
これは運動神経が悪い芸人を運動させておかしな動作で笑いを誘う番組である。
小学生は運動ができる人間がカーストトップになり、運動ができない人間は嘲笑の対象になるのである。
正直運動神経が悪い事で笑いを取るには限界があり、芸人が以下にしておかしな動作をするかを試行錯誤しているようにしか見えない。
このような稚拙なお笑いで大人(一部を覗いて)は笑うことができない。必死に面白い動作を考えて実行している姿はある意味滑稽だが、お笑いとは違うように感じる。
現在これらの状態からどのように変わっているのかは知らないがテレビに将来性はないと考えている。
事実を伝えるニュースについては正確性という点でネット情報を凌駕していると考えられる。
ただ速度でいうとネットのほうがだいぶ早い。
今時ステイホームなんてもう誰もしてないかもしれないけど、ミシンはずっとやってみたかったのでいいんだ。
やってみてすぐに飽きるかもしれないし、ミシン本体以外はとりあえずメルカリで安く揃えようという算段だった。
ところがすぐに妙なことに気づいた。メルカリを見てるとなんだかどれも高いのである。
同じものが普通のネットショップでメルカリよりでずっと安く売られている。
考えてみてほしい。
Amazonで新品のルレットが660円で買えるのに、どうしておばちゃんの手垢のついた同じメーカーの中古を900円で買わなければいけないのか。
手芸店はどれも定価で売っている。奴らは値引きなんてしない。
手芸店はめちゃくちゃ高い。あそこには300円以下で買えるものなんてない。
でもおばちゃん達はそこで買う。
それが普通だと思っている。
もしかしたら昔通っていた洋裁教室で買わされたのかもしれない。
いつ買ったかも記憶が曖昧だ。10年くらい前に買ったのを2-3年前と勘違いしているのかもしれない。
(ついこの前だと思ってたんだけど、あらあら、そんな前だったかしらねえ…)
そしておばちゃんたちは断捨離のついでに、しまっていた洋裁道具を取り出して、ふとメルカリで売ってみようかと思い立つ。
テレビでCMを流しているからだ(ほら、あのタモリさんが出てるやつ)
メルカリのCMにタモリを起用したディレクターは天才だと思う。
そして自分が手芸店で馬鹿高い定価で買ったやつをちょっとだけ値引きして出品する。
でもそれを買うおばちゃんもいる。
Amazonとか楽天と比較して、なんてきっとやらないんだろうな。
業者らしき出品者もたくさんいる。
業者は大喜びだろう。楽天より高くてもメルカリなら売れるんだから。
自分が言いたいのは、おばちゃんたちもっと安くしてくれ、それだけ。
Amazonで新品600円なのをメルカリで400円で出してくれたらちょっとくらいカビ生えててもそっち買うから。
6月12日21時ごろから ハッシュタグ"#速報が流れた時間"をつけたツイートが同時に投稿されました。このハッシュタグは、
一部のツイートには
といった非常に主観的な証拠(もしくは証拠となりうる体験談)が添付されています。
またツイートを目にした人に、報道された15時05分より前に三浦春馬の死に関しての情報を得たのなら、その旨を伝えてほしいとも呼びかけています。
このハッシュタグを投稿した最初のツイートは以下のツイートです。
https://twitter.com/pppharuma33/status/1403683504567709700
ツイートのタイムスタンプは2021-06-12_21:00:01_JSTとなっています。そして最初のツイートから1分以内に、数十個のアカウントが同時に同じハッシュタグをつけたツイートを投稿しています。
このハッシュタグを投稿したアカウント群のツイートを遡ると、過去にも三浦春馬の死に関する再調査を要求するツイートを複数人で同時に行い、意図的にトレンド入りさせる行為(いわゆる"ツイデモ")を行なっていたことが確認できます。
以上から、三浦春馬の死に疑問を覚えるユーザーで構成されたグループが存在していると推察することができます。
日時を指定してツイートを検索する機能を使用して、2020年7月18日午前7時0分から午後3時5分までに投稿されたツイートをすべて確認したところ、三浦春馬の死亡について言及したツイートは発見できませんでした。
https://twitter.com/search?q=三浦春馬%20until%3A2020-07-18_15%3A05%3A00_JST%20since%3A2020-07-18_07%3A00%3A00_JST&src=typed_query&f=live
ツイートに表示されるタイムスタンプは、端末のタイムゾーンを変更することで前後に動かすことが可能です。
もしあなたがほぼ一年前の事件について尋ねられたらどう答えるでしょうか? 大半の人は同調圧力を恐れて、彼らを否定しないように"覚えていない"と答えるでしょう。
もし一人が曖昧に"もしかしたら見たかもしれない..."と答えたら、それは彼らにとって "誰にも否定されなかったが、一人は肯定的に返した"ことを意味します。
好きな俳優が死んだことはファンにとってショッキングな出来事でしょう。ショックは人の記憶を混同させます。そもそも、
"三浦春馬の死亡を伝えるニュースを、事務所が発表した死亡時刻よりも前に見た人がいる"という情報に信憑性は一切ありません。
ハッシュタグと共に投稿されたメディアに対する説明を求めるツイート群達からは、陰謀論の特徴である既存の権力に対する強い不信感が伺えます。