はてなキーワード: 暴力の恐怖とは
「性暴力の恐怖を扱っているのでフラッシュバック等の症状のあるサバイバーの方へのご鑑賞はオススメしません」とか言われてたけれど
仮に注意書きをするにしてもそれって単に「苦手な方はご注意ください」じゃ駄目なの?
なんだってわざわざ「サバイバー」と名指しして特別扱いしたがるのか分からない
別に「サバイバー」じゃなくたってそういう描写を見たくない人はいるだろうし、
件の映画は見たけれどそういった行為を悪として描いていたので寧ろそういう「サバイバー」の人達が過去の自分を癒すために見たっていいと思うし
「ご鑑賞はオススメしません」とか、他人から勝手に決めつけられたくなくない?
過去には『とんがり帽子のアトリエ』という漫画が性暴力描写について
「フラッシュバック等の症状のあるサバイバーの方へのご鑑賞はオススメしません」みたいな注意書きがあるという理由で異常に持て囃されていたけれど
https://kahoku.news/articles/20210616khn000025.html
ラヴクラフト作品と出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。
それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像の範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。
さらに「常に一方的。暴力を与える者の感情が全てを支配するため、他者が介在する余地がない。だから醜い」と断じた。
他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、読者が主体的にそこに身を投じることが求められる。
未知への誘惑がある。
これ、ちょっと違うよなぁ。
ラグクラフトの作った暗黒神話体系は、「それまで信じていた価値観や常識が失われる恐怖」を描いてる。
吸血鬼にしても、ゾンビにしても、狼男や悪魔だって、キリスト教的価値観の枠を出ないが、ラグクラフトが描いたのは、旧支配者を代表とする、キリスト教的価値観への「冒涜」だ。
当時の人がそこに見出した、悍ましさや恐怖について、「宇宙的恐怖」とか「冒涜的なもの」とか翻訳者は頑張ったが、日本人には響かないだろう。
話が逸れた。
個人の感想なので、あれはあれで素晴らしいし、コンクールで賞を取らせたいのもわかる。
けれども
ラヴクラフト作品と出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。
それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像の範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。
他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、「想像の範囲にとどまらず、それまでの価値観、常識を揺さぶられるのだ」。
私が母に求めたような愛は、海外であれば「神」がもたらすのかもしれない。
みたいな方が、ラヴクラフトを好きって感じがする。
性被害にあった女性が見て見ぬ振りされたとか言うけどさ、女が性暴力の恐怖をいつも感じてるように男は暴力の恐怖をいつも感じてるんだよ。
逆上されてボコボコにされたり、何か凶器使われて大怪我するとかあったら自分の家庭は?仕事は?
そんな俺に協力する男はいるのか?
そんな不安を払拭できないなら見知らぬ女がどうなってもしょうがない、と思う。
そんな男性がわりと多いんじゃ無いかな。ぶっちゃけ自分もその一人だと思う。
自分の稼ぎで家族を支えてる、と言う男性も多いだろう。万が一自分が半年くらい仕事できなくなったらどうなるか、とか、そう言うのってあると思う。
公の場で性暴力震えるような奴の頭がちゃんとねじ止めされてるか疑問だ。
だからさ、男性陣は何かわかりやすいサインが欲しいよね。痴漢に孤独に立ち向かってない、と言うのがわかるやつ。
昔ヤンキーが鞄に赤テープ貼ったら喧嘩上等のサインだったらしいじゃん。
そんな感じで、「自分の背中をお使いください」とか、「自分は痴漢がいないか目を光らせてます」とか、「何かあったらふんじばれるくらい強いですよ」とか。
そういうのが周囲にわかる形でつけるには例えば眼鏡とか社章の位置とかそんなん?