2021-06-18

暴力と恐怖の本質考察

https://kahoku.news/articles/20210616khn000025.html


ラヴクラフト作品出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。

それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。

さらに「常に一方的暴力を与える者の感情が全てを支配するため、他者が介在する余地がない。だから醜い」と断じた。

他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、読者が主体的にそこに身を投じることが求められる。

未知への誘惑がある。

人知を超えた存在想像力で思い描き、自分物語双方向的な関係を成す。

これ、ちょっと違うよなぁ。

ラグクラフトの作った暗黒神話体系は、「それまで信じていた価値観常識が失われる恐怖」を描いてる。

吸血鬼にしても、ゾンビにしても、狼男悪魔だってキリスト教価値観の枠を出ないが、ラグクラフトが描いたのは、旧支配者を代表とする、キリスト教価値観への「冒涜」だ。

当時の人がそこに見出した、悍ましさや恐怖について、「宇宙的恐怖」とか「冒涜的なもの」とか翻訳者は頑張ったが、日本人には響かないだろう。

ぶっちゃけ、今のキリスト信者にも響かんのじゃなかろか。


話が逸れた。

個人の感想なので、あれはあれで素晴らしいし、コンクールで賞を取らせたいのもわかる。

けれども

ラヴクラフト作品出合い、賀井さんは自らをさいなんできた暴力の恐怖について考えた。

それは肉体的なものであれ精神的なものであれ「想像範囲にとどまるから予測でき、対処できる」。

他方、ラヴクラフト作品がもたらす恐怖は、「想像範囲にとどまらず、それまでの価値観常識を揺さぶられるのだ」。

私が母に求めたような愛は、海外であれば「神」がもたらすのかもしれない。

それが失われることの恐怖を考えたとき、私はこの作品に惹かれた理由が分かった気がした。

みたいな方が、ラヴクラフトを好きって感じがする。

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