補足:https://anond.hatelabo.jp/20240410005251# https://anond.hatelabo.jp/20240409234937#
(日本語記事) 新宿区でうつ病の治療ができる心療内科・精神科は神楽坂ストレスクリニック
https://kagurazaka-clinic.com/depression/
内科的疾患(甲状腺機能低下症、鉄欠乏性貧血、薬物性の疾患など)によって、表向きのうつ状態を引き起こすこともあり、適切な診断と治療が必要です。最近では、「鉄不足」がうつ状態やパニックを呈することがある事がわかってきました。この場合は、向精神薬よりも鉄剤を処方するほうが効果的です。
[NDPI] Latent Iron Deficiency as a Marker of Negative Symptoms in Patients with First-Episode Schizophrenia Spectrum Disorder
https://www.mdpi.com/2072-6643/10/11/1707
[Bibliomed] Assessing severity of involvement of autonomic functions in iron-deficiency anemia patients
https://www.bibliomed.org/?mno=36434
[Frontiers]Iron Supplementation Relieves Dysautonomia in Non-Anemic Female
[四季報 ONLINE] ヤクルトが大幅反発、「乳酸飲料がうつ病予防・治療に有効」と (2016/06/10)
ヤクルト本社(2267)が大幅反発した。11時02分現在、前日比220円(4.14%)高の5530円と東証1部の値上がり率上位20位以内に食い込んだ。
9日に国立精神・神経医療研究センター神経研究所との共同研究で、腸内の善玉菌が少ないとうつ病リスクが高くなることを世界で初めて明らかにしたと発表し、好感された。そのうえで、乳酸菌飲料やヨーグルトなどのプロバイオティクスの摂取がうつ病の予防や治療に有効な可能性があるとしている。
43人のうつ病性障害患者と57人の健常者の腸内細菌について、善玉菌のビフィズス菌と乳酸かん菌の菌数を比較したところ、うつ病患者がビフィズス菌、乳酸かん菌がともに一定以下であることが判明したという。
日本の精神科医ってものすごくレベル低そう・世界からクソ遅れてそうって偏見持っているけど
日本にはヤクルトがあるし食品メーカー(健康食品)も強いので研究費が降りるのだろう
脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
○ 脳腸相関とは?
機能性消化管疾患の患者さんを診療していて気づくのですが、おなかの症状だけでなく、眠れない、落ち着かない、頭痛、食欲がない、意欲がない、などの精神神経症状を訴えられる患者さんがたくさんおられます。
腸のせいで脳に影響しているのか、脳のせいで腸に影響しているのか難しい悪循環になっているように思えます。「脳腸相関」として医学的には以前からよく知られた現象として有名です。
これまで、便が軟らかくなりやすい下痢型の過敏性腸症候群の患者さんに対しては、「ストレスが原因ですから、生活などのライフスタイルを見直すことが重要です」といった説明をすることが治療の出発だったわけです。ところが、最近の研究によりこのような脳腸相関をある程度科学的に説明することが出来るようになってきました。
過敏性腸症候群の病態においては、腸内フローラの異常、短鎖脂肪酸などの腸内環境の異常により、腸から脳への信号伝達に異常が生じているようです。
消化管内腔の粘膜細胞に刺激が加わると、この信号は迷走神経下神経節を介して延髄孤束核へ、また、脊髄後根神経節を介して視床、皮質へ伝えられると考えられています。これが内臓知覚といわれるものです。この内臓知覚には消化管壁内に存在している内在性知覚ニューロンからの信号も関係していると考えられています。
特に、この内在性知覚ニューロンの情報伝達にはセロトニン3受容体(5-HT3受容体)が関与していると考えられており、過敏性腸症候群の下痢型の治療薬として5-HT3受容体の拮抗薬が著効することが証明され、臨床応用されています。腸内細菌のなかで神経伝達物資であるγアミノ酸(GABA)を産生する菌があることも確認されています。
この菌が少ない子どもは、行動異常、自閉症などになりやすいとされています。自閉症の子どもに対して腸内環境の改善による治療が試みられています。
ストレスの実験モデルとしてラットの脳室内にCRFを注入するモデルがあります。ストレス下で脳から腸へのシグナルの最初は視床下部の室傍核から分泌される副腎皮質刺激ホルモン放出因子(CRF)です。このCRFは、下垂体前葉の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)分泌を刺激し、ACTHは副腎皮質からの糖質コルチコイド分泌を刺激し、ストレスに対して適応する様々な生体反応を起こします。いわゆる視床下部-下垂体-副腎軸(HPA軸)といわれるストレス応答です。さらにCRFは下部消化管(結腸)の運動亢進を起すとされ下痢型過敏性腸症候群のモデルとして使用されています。
こういったCRF投与によるストレス負荷を受けた腸管では、平滑筋刺激による運動亢進だけでなく、腸内の細菌叢にも変化が生じるようです。脳内のストレスが腸管に何らかのシグナルを送り、細菌叢に働きかけているようです。ラットの実験ですが、CRFを注入する前にラットに水溶性食物繊維を前もって投与しておくと、この腸管運動亢進が抑制されることも見いだしています。つまり、様々なストレスに対して腸管内からのアプローチが可能になってきているのです。
私たちが脳で幸せを感じるもとになる「幸せ物質」のひとつがセロトニンなのです。このセロトニンが脳内で正常に作用すると、ヒトは前向きな気持ちを保ち、幸せを実感し、健康ですごせるとされています。
セロトニンが不足すると、怒りやすく、時間が経過してもそれを抑えられなくなり、キレやすくなるようです。
実は、このセロトニンは腸管で作られているのです。さらに、このセロトニンの生成に特定の腸内フローラが関与することが明らかになりました。
無菌マウスの血中セロトニン濃度が通常環境で飼育されているマウスに比較して低濃度であり、無菌マウスは落ちつきがなくなるようです。
このようなマウスを普通の環境に戻したり、乳酸菌などを投与すると、マウスは落ちつきを取りもどします。子どもの脳の発達には腸内細菌の働きが大変重要であるようです。
腸内細菌にはカラダにとってよい作用をする有用菌(善玉菌)と悪い作用をする悪用菌(悪玉菌)が競り合ってすんでいます。この種類の多くは7歳ぐらいまでの生活で決定されるようですが、その後も腸内細菌の種類、量は多くの因子の影響を受けています。図を見てください。現状で私が考えている重要な因子を並べてみました。
有用菌を増加させるために最も重要なものが食物繊維です。特に水溶性の食物繊維が大事です。
大便の80%は水分で、残りの20%は剥がれた腸粘膜細胞、食べ物のカス、腸内フローラです。「バナナ便」と言われるような健康な大便のためにはいろんな対策が必要です。
重要なポイントは、大腸で「発酵」といわれる反応を上手く導き出すことで、この発酵反応には、材料としての食物繊維と主役の有用菌の存在が必須なのです。ところが困ったことに、日本人の食物繊維の摂取量は年々減少して、最近の調査によると、成人の1日当たりの食物繊維の摂取量は男女ともに15gほどに低下しています。
10代、20代では10g前後と極めて少なくなっています。食物繊維を多く含む食材としては、野菜、芋類、キノコ類、海藻類、豆類などがありますが、洋食の普及と共にこういった野菜の摂取が減少しています。
玄米から精白米にする過程で食物繊維は6分の1程度に減少してしまいます。現在の日本人は平均で5〜10gの食物繊維不足と考えられます。発酵食品は世界各地で昔から食卓に並んできました。
日本でおなじみの納豆、酢、みそ、しょうゆ、日本酒、漬け物、ヨーグルトはすべて発酵食品です。これらの発酵食品の製造には、カビ、酵母、細菌などの微生物、いわゆる発酵菌の働きが必要です。
もっとも重要な作用は、このような発酵菌が腸内フローラを有用菌に変化させることと考えられています。ポリフェノールにより腸内細菌の有用菌が増加することも分かってきました。
太陽化学株式会社:食と健康Lab>学術コラム>脳腸相関が科学的に説明できるようになってきています
最近気分が優れなくて心療内科に行き始めたって言ってた彼氏がTwitterでフォロワー600人ぐらいの病み垢作ってて恋心が一気に冷めた
全然普通に大企業で勤務してて大学も旧帝大で両親健在でむしろ陽キャみたいなタイプなのに「俺はガチ底辺で借金だらけの無職」「人生うまく行ってる奴が憎い」みたいなツイートしてる もう情けなくてやってられんわ、心配して損した
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ハームリダクションとは本エントリーとは無関係に薬物を摂取する予定の人、及び、摂取してしまった人が知識不足によって健康・社会・経済的な悪影響を最小限に留める為の情報(=ハームリダクション)の一編を提供します。
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本エントリーは潜在的に人命を救う可能性があります。不適切な内容という理由で非公開にされてはいけません。
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本エントリーはハームリダクションだけを目的としており、薬物の使用には断固反対しております。
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初めに伝えなければならないことはLSDを食べることによってあなたが死ぬことは絶対にありません。
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LSDの薬効によって死ぬことは不可能です。LSDの薬効によって死亡した事例は長い歴史と研究の中で一件たりとも存在しません。
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あなたがトリップ中に「死ぬ!」と思った時、それはLSDによって死ぬと思わされているだけで本当に死ぬことはありえません。これは事実です。このことを肝に銘じてください。
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その一方でLSDによる事故・自傷・不審行為・傷害が多く起こっていることも事実です。あなたとあなたの周りを守るために本エントリーはLSDのハームリダクション情報を提供します。
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・過去二週間以内に一回でも心療内科・精神科にて医者から処方された薬を服用した人
→LSDと飲み合わせが悪かった場合セロトニン症候群を発症する危険性があります。またLSDは様々な精神疾患の症状を悪化させる可能性があります(※1)。
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→LSDが引き金となり統合失調症が誘発される・早期発症する危険性があります。
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これら二つのうち一つでも当てはまる場合は絶対にLSDを口に含まないでください
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あなたの心理状態と環境によってLSDの体験は良いものにならないかもしれません。LSDを口に含む前に以下のことを確認してください。
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屋外をはじめとする”LSDに対して理解のない人間”が同じ空間にいる場合、LSDを摂取することは避けてください。
あなたが他人に迷惑をかけるとLSDの規制は早まります。ニュースになれば同じ界隈の人間からでさえ叩かれひんしゅくを買います。必ず、人知れず摂取してください。
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また人と一緒にLSDを入れる場合、その相手をあなたが信頼していない場合も口に含まないことが賢明でしょう。よく知らない人と一緒にやるとかえって不安感が強くなります。
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精神的に不安定な人が入れると過酷な体験になることが多いです。やめましょう。あなたが真に口に含むべきものはLSDではなく医者からの処方箋です。医者に行きましょう。
また失恋・失職など喪失を体験した直後は心に折り合いがつくまで入れるのは避けた方がよいでしょう。
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紙を食べます!
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もしあなたが環境と心理状態的に充分ではないにも関わらずその紙片を口に含もうとしているのであれば、あなたにとって最善の選択は今からでもその紙片を冷蔵庫に戻すことです。
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しかし、あなたの状況によってあなたがその紙片を口に含まなければならないことを私は一定の文脈で理解しています。極力、計画的に摂取してほしいと筆者は願っていますが口に含まなければならないあなたに最低限、留意しなければならないことを説明します。
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そして何度でも唱えなければならないことは「あなたは死なない」ということです。冒頭にも書きましたがLSDの薬効によって死亡することはできません。死ぬと思ったとき、それはLSDに死ぬと思わされているに過ぎません。あなたは死にません。
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Q.はじめてやります
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A.1枚を超える量を入れないでください。
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1枚を超える量は慣れている人にとっても過酷な体験になります。よくわからず2枚入れた人が路上で全裸になり発狂する。はよくある話です。もし心配な人がいたら0.5枚(75mcg)からスタートしましょう。私から言わせるとはじめての人は1枚もかなりハードです。
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Q.どのくらい続くの?
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A.完全にLSDが抜けるまでおよそ10時間かかります。丸一日潰れるものと考えてください。
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口に含んでから効果が現れ始めるまで30分~120分かかります(カムアップ)。
効果が最も現れる時間はピークに入ってから3時間~4時間続きます(ピーク)。
その後完全にLSDが抜け切るまで更に3時間~10時間かかります(カムダウン)。
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LSDはプロドラッグとされ効果の発動まで時間がかかります。なかなか効果が現れないからと追加でLSDを口に含むことは絶対にしないでください。
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Q.大麻吸っていい?
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A.大麻に関わらずあらゆるドラッグを一緒に入れてはいけません。
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LSDは単体で摂取することが基本です。アルコールやカフェインを含む他の物質と一緒に入れるとトリップが予測困難なものとなり良い体験にならなくなったり、思わぬ飲み合わせによって身体的危険性が高まります。
トリップ中に大麻を吸った途端バッドトリップに入ったはよく聞く話です。
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Q.帰ってこれますか?
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これは事実です。血中の分子は必ず抜けます。いつか必ず終わります。しかし一度入れた物質は代謝・排出されるまで抜くことはできません。LSDにリタイアはないのです。少ない量からはじめましょう。
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Q.死にそうです。
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A.死にません。
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再三伝えている通りLSDによって死亡することはありません。しかし万一身体的不調がありヤバくなった場合は救急車を呼んでください。幸いにもあなたが口に含んだものは合法のものです。あなたの命にはかえられませんのでいざという時は躊躇なく呼んでください。
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Q.またやりたいです。
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A.最低一週間は開けましょう。
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LSDをはじめとするサイケは頻繁にやるものではありませんよ。耐性は5日ほどでなくなるとされていますが通説では一週間~二週間をあけることが推奨されています。
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当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
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モニターの電源を切るのを忘れない
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最終退館の入力
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エレベーターで1階に降りる
表玄関は閉じているので裏口に向かう
大通りを歩く
高速道路沿い、高架につく明かりが深夜でも明るいオレンジ色をしている
小さく歌を歌いながら帰る日が多い。頭を空にするための歌なので、なんの歌でも良い。TikTokで聞いたサビしか知らない歌でも、学生時代の合唱コンクールの課題曲でも。車が多いから迷惑にはなっていないと思ってる。
いつも曲がらない角を曲がって帰る日もある。知らない坂の先の景色をみたり、通れるかわからない細い路地を入ってみたり。
自転車で帰った日もある。電動式のシェアサイクルはわたしをぐいぐい引くように走った。
自分の足で走った日もある。通りを走るランナーはたまに見るしそれほど浮かないだろうと思った。自分で自分の体をコントロールして、心拍を上げる行動は何かに良い気がした。
酒を買って歩きながら飲んでみようとした日は、缶を路上に落としてしまい中身が噴出した。甘くないジンソーダで助かったと思いながら拾って帰った。
誰にも迷惑をかけない範囲で行う小さな奇行は、私が私に許す小さい遊びだ。1日の大半を仕事に明け渡してしまった今日をちょっとだけ取り返してから自分を寝かしつける、そういう儀式。最初はちょっと外食をして自分の機嫌を取ったりしていたのだが、夕食をしっかり摂るのも憚られる退勤時間になってからは「帰る」ことに遊びを見つけていた。人目につかない深夜に、小学生の帰り道みたいな、誰にも話さない1人遊びがたくさんあった。
何も出来ない日は大抵泣きながら帰る。あの時の自分のなかに何の感情があったのかわからない。悔しいなのか苦しいなのか、誰かに心配されて嬉しいなのか情けないなのか、
あのとき取りこぼしてしまった自分の気持ちはもう、私がわからないってことはこの先誰にもわからない。
泣いている時に頭の中に入っていたのは、周りの人が私に投げかけた言葉だけで、それを咀嚼して反芻しても、なんの味を感じたのかわからないまま、子どものように口角をひん曲げてボロボロ泣いた。マスクの中に水分が溜まって蒸れて、でも外した顔はひどいから付けたまま歩く。
公園の横を抜けて、ファミレスの駐車場を突っ切って、その先の横断歩道は押しボタン式の時間帯。渡った先のコンビニに寄る。朝昼は胃痛を避けるために軽いものしか摂らないので夜は多少好き勝手に食ってやろうと思いながら入店するが、運が悪いと夜中に腹を下すので結局中途半端な惣菜や軽食を買う。大体いつもボブヘアの男性店員がシフトに入っている。コンビニの横の坂道を上ったらあと少しで家に着く。
徒歩25分。家も職場も駅からあまり近くないせいで、電車に乗ってもせいぜい5分短縮できるか微妙な所だから歩いて通勤した。
机に縋り付いている記憶の方がたくさんあって良いはずなのだが、私は長い間、家に帰る道をずっと歩いているような、ずっと夜みたいな感覚を1番よく思い出す。
日中は、
「食事か睡眠、どちらかを満足に出来なくても片方が人並みならまだ保つ」
「このくらいの度数のロング缶を一度に飲み切ると眠れて二日酔いも残らない」
働き始めてから何年かで身につけたおまじないのような「これが出来ればまだ大丈夫」を幾つかポケットに入れて、指先で手触りを確認するような日々を過ごしていた。
「酒や乳酸菌飲料の力を借りて睡眠は取れているからまだ大丈夫」
「胃が荒れていて平日は差し障るだけで、食欲はあるからまだ大丈夫」
「朝は起きて支度できるからまだ」
部屋は荒れているが、不精なので繁忙期はそんなものだ。青クマもデスクワーカーの職業病。もっとひどい生活の人はたくさんいる。いつもの、ちょっと忙しい時の感覚だ。
そんなふうに捉えて、「まだ大丈夫」を肯定的に捉えてサバイブしていたつもりだった。
いつのまに切り替わったかわからないが、これらの「まだ大丈夫」が、どこかのタイミングで「まだ私が故障しないから、ダメになるまで待つしかない」の諦めになった。
大丈夫な私は、まだ働かなくてはならない。みんな何かしらの苦しさを抱えながら生きているのだから、私が勝手に投げ出して良いものではない。この苦境からの脱出方法は、壊れるまで働くしかない。多分本気でそう思っていた。
勤務中、気を抜くと頭を上げていられなくなった。
ひとの目を見るのは元々苦手ではあるけど、顔を見せるすら苦しくなった。
対面で働くチームメンバーには両手で伏せて早口で指示を出す。通話会議は声を出せれば成立する、まだ大丈夫。
大丈夫な自分を演じているのか、大丈夫ではない自分を演出して逃げ出そうとしているのか、どっちにしろ何かのフリをできているうちは大丈夫なのか、大丈夫って何なんだ?
わたしは席に座れる、手を動かせる、web会議で通話が出来る、謝罪を述べることができる。出来るけど、帰りたいと申し出てある日早退した。これはダメなことだってわかっているからまだきっと大丈夫。平日の明るいうちに外出するのが久々でなんだかスカスカした気持ちになりながら、せめて身体を労わるポーズをとらないと均衡が取れないから大戸屋で品目の多い定食を食べた。ポテトサラダが重くていつまでも口に残った。
わたしにも少ないが友人はいる ありがたいことに定期的に会う用事がある
他愛ない近況の報告をしようとしたら、言葉が出ない日があって、そのとき友人は精一杯わたしを傷つけないように、「頑張る私」を否定しないように選んだ言葉で、心配に思っている、あなたを害するものをあなたは拒否する権利があるとだけ 言葉を投げてくれた
書いて消して何度か回り道しただろう、書かれなかった文にたくさんの気持ちが詰まっていた それに対して言い訳のような自虐で返事をした 最悪だ
病院探しを始めた。
躊躇いは特になかった。「自分に限って」なんていうバイアスは思い上がりだ。弱さを認められる方がまともだと思う、そういうペラペラのプライドを持っていた。「まだ大丈夫」のうちに、近い将来ダメになった時の避難経路を決める、それは賢い判断だと思った。
まあまあ都心に住んでいたので選択肢はいくつかあると知っていたし、思ったよりいっぱいあった。逃げ場ってコンビニほどはないけど歯医者くらいはある。場所を見つけて、予約を取ったあと、メモを書くことにした。
うまく話せるように、話せなくてもとにかく伝わるように。カンペなのか手紙なのか問診票の別紙なのか、わからないけど言葉を起こす必要があった。
相手に自分を「大丈夫」に見せたいのか、「大丈夫ではない」と言わせたいのか、なんだか意図がブレブレのメモ書きになった
紙に書き写す以上はありのままなんてどこにもない、本当のことを書いたのかどうか主観で見てもあやふやな文面。とにかく話せなくなればそれを読むか手渡すかしようと思って、印刷したものを携えて心療内科に行った。初診の予約は平日の昼しか取れないルールで、14時過ぎに中抜けして向かった。
名のついた診断が出た。
有給休暇の残数を尋ねられたり、直近で休養の取れるタイミングなどの話を流れるようにし始めた医師に、そんなつもりではない。 まだ大丈夫だから、もう少しマシになるための方法をくれと訴えたら、それはまっすぐに否定をされた。でも自分に「休め」を許せなかった結果、中途半端な診断書を持ち帰った。
朝、眠りから浮上する感覚を覚えると同時に心臓が跳ねるようになっていた。生きている、意識があるということに気づくと心が怯えるのはまあ自然なことかもしれないとその時は思っていたし、動悸そのものは業務に差し障りないから「大丈夫」「ダメ」の判断基準にならなかった。寝覚めは悪いが寝起きは良いので、遅刻もしなかった。
なんの名前を付けたら良いのかもわからないけど、しっかりと質量のある「ダメ」の感触が胸の中に入っている日がある時やって来た。
もっと、動けないとかずっと泣くとか何かが出来なくなったことを以て「ダメ」に『なる』なのだと思っていたけど、そうではなかった。何がどうダメなのかなんてわからないのだけど、相対的な話ではない、とにかく「ダメ」が去来する朝が来た。突発の休暇をとった。休んだ罪悪感を原動力にその週は出勤する、というサイクルをいくらか続けた。
この頃に、「ダメ」になる階段を一歩降りたような気がしていたが、同時に睡眠も食欲も自分の思う「大丈夫」の基準のままだったのだから、二元論で考えることが間違っていたと思う。
この「ダメ」は、「不安」の名前に片付けるものらしい。抗不安薬の頓服の処方を受けた。「頓服」だから、常用してないからまだ大丈夫。大丈夫の数をまだ数えていた。
そんなわけないのにいつもの道が歪んで見える日
物音が大きく聞こえる日
そんなものをちょっとずつずれながら積み上げてきて、綺麗に縛れない新聞の束のような、歪みが溜まっていくような感じがあった
退職願を書いた。
できるだけ綺麗な文字でしかるべき封書に綴じた正しいフォーマットで、すぐに出せる完璧な一筆を仕上げようと思った。
遺書ではないけど、でも心持ちは少し近いかもしれない。白くて郵便番号欄のない封筒が望ましいとネットに書いてあったがコンビニにも百均にもなかった。緊急で必要になる人もいるだろうに。
下書きをして、それを見ながら丁寧に文字を書いた。書いている間は無心になれた。書いただけで、結局出せはしなかった。
退職願も、診断書も、私にとっての「勝訴」の紙にならなかった。結局私は、自分にバツを付けて逃げるのが怖いまましばらく日々を過ごした。
同僚が出勤してくる
涙が止まらない
10時半過ぎ、何も変わらない
ここにいたらもう駄目なんだ、そういう日がついに来たのだと言われた気がした
そのあとは、とにかく手続きを滞りなく進めなければと、社会人として角の立たないように休職の手配をするために自分の感情はどこか棚の上にでも置いたような感覚で、再診の予約をとり会社と連絡を取り、自分を社会と切り離すことに成功した
今、会社に向かう朝も遊びながら帰る夜も無くした私は、子供の頃からの地続きの自分をあの夜の帰路に置いてきてしまって、残りかすの体だけがここにあるような気持ちで布団に横たわっている。じゃああの夜に私は何を思っていたのか、書き出してみようと思いメモ帳に書きつけるが、結局そこにも何もなかったとわかってしまった。今の私の回想だからそうなのか、本当に何も思うことはなかったのか、もうわからない。
当時小学生だった。
子供ながらにあの頃は発達障害についての情報がほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。
じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強は自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。
運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。
子供なんてちょっとしたことでいじめてくる。田舎から来たからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロだからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。
教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。
それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことなき事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校に行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。
(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)
叩くものが母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。
ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。
普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親はノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。
真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園や児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子は私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなたは幸せだよと言われている。嘘だろ。
子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間、ゲームのような、簡単なテストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。
アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。
なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。
それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校を基本的には許すようになった。この子はアスペルガーだから、頭の病気だから仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーだから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件の犯人が、発達障害だったからだそうだ。
私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校は名前を漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初の数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分の名前の漢字と平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないかと試行錯誤した。相変わらず短距離走や球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。
途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイトの給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。
今本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初は本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害の自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。
ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してからは遅刻も寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人だからなんとも言えないけども…。
最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまでそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。
そもそも「ADHDらしき困りごと」が有ったのかって話なんだが
もしそれらしい困りごとが有るなら医者も無碍にはしないもんだ
グレーゾーンだってお薬出してくれるし。コンサータは無理だけど
(つーかあなたを診たその医者はポンコツだけどな。ADHDに必ず「多動」が含まれると思ってる)
それは兎も角、ムカつく医者の前で泣いちゃう時点で精神的に参っている様子なので
あなたが仰る通りカウンセリングなり受けた方がいいでしょうね。何らかの「困りごと」があるのは事実なんだし
つか、心療内科だのなんだのじゃなくても不定愁訴とかでかかった時に細やかな問診する様な病院(内科等)だと
「気分が落ち込みすぎ。デパス出しとく」とかしてくれることもあるよ
ま、デパスなんぞ効きゃしねえけど
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。