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はてなキーワード: Web2.0とは

2018-12-12

アニメ涼宮ハルヒの憂鬱』の流行を振り返る

再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠

p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒシリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。

ハルヒ』に新しさはあったか

大ヒットした作品には「総決算タイプと「新開発」タイプがあると考えている。

すなわち、過去流行を上手くまとめたものと、新しい流行提示するものである

原作の『ハルヒ』はまさしく総決算タイプだと言えるだろう。

80年代90年代ジュブナイルSF超能力ものベースに、

きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒである

西尾維新のように、萌え理解した上で過去作品換骨奪胎するのではなく、

ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。

ハルヒ』にフォロワーはいるか?

2000年代に猛威を奮った『月姫』や『戯言シリーズ

Web小説でVRMMOもの流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、

ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。

ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、

ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、

直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。

ちなみに『ハルヒフォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。

アニメ化からハルヒ』はヒットしていたか

難しい問題だ。

アニメ化から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。

スニーカー文庫エース格」とは言えても、「業界代表するエース」ではない、といった感じか。

そもそもスニーカー文庫落ち目だったし。

第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態

憂鬱』は当時の2ch人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。 

消失』は同じく2ch人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。

ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、

(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。

動画サイトとの関係

勘違いされることが多いが、アニメハルヒ放送時(2006年4月7月)には、まだニコニコ動画2006年12月12日〜)は存在しない。

ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月9月)のほうが適当だろう。

また、「アニメの視聴体験をみんなとリアルタイムで共有する」という点については、

YouTubeよりもニコ動(のコメント機能)の果たした役割が大きいと考える。

ハルヒ』の場合は「話題になったシーンを後から確認する」という使い方がまだ多かったのではないか

(このあたりは個人的YouTube敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)

当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。

ブログとの関係

2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである

はてなダイアリー2003年1月livedoor Blog2003年11月アメーバブログ2004年9月FC2ブログ2004年10月。Yahoo!ブログ2005年1月

2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。

この頃は、ちょっと気合を入れた記事を書けば、

カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。

また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察話題拡散を手伝うこととなった。

(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である

ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブーム2005年くらいか

ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである

京アニとの関係

アニメハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。

自主制作映画完璧再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏

時系列シャッフル公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。

(当時はヤマカン天才扱いだったなあ)

私は作画オタクではないので明言は避けるが、

2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランド確立されて以降は、

他のアニメでも異常に作画クオリティがアップしていったことだし、

やはりアニメハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。

アニソンとの関係

アニソンあるいはキャラソンについては、2005年アニメネギま』の主題歌ハッピーマテリアル』の影響が最大で、

ハルヒ』の「ハレ晴レユカイオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。

ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、

ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。

ラノベブームとの関係

1997年アニメスレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、

世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、

2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。

それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。

まり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。

とはいえハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である

まとめ

ハルヒ』の内容から流行理由を探るのは難しい。

原作面白かったというのは流行の最低条件であって、

あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。

やはり外的な要因に求めるべきだと思う。

京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…

これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか

あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。

これだけは間違いない。

2018-10-12

anond:20181012093212

はてなーは一昔前Web2.0かいってネット社会を良くするなんて妄想を真に受けてたやつらだぜ…

2018-10-04

キズナアイ表現の自由ハラスメント

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/

この記事の「表現の自由」に対する考え方に、私は同意するところが多い。

だが一方で、表現理想的に捉えすぎているきらいがあるとも思う。表現現場でその「配慮」が、数多のアイデアを殺している現実を、私は見てきた。

記事でも指摘のあるとおり、重要なのはゾーニングだ。誰に向けた表現なのかというゾーニングが適切であれば、表現アイデアを殺す行き過ぎた配慮必要性は低くなるはずだ。

キズナアイの件は、時代の先頭を走る彼女によって、そのゾーニングがずれた結果起きた不幸な事故だろう。彼女には何の罪もないと私は考える。

ではどのようなゾーニングが適切かという議論はとても難しい。少なくとも私には手に負える気がしない。

ただ、そのゾーニングが行き過ぎれば「見たいものしか見ない社会」を助長し、本件でも見られたような意見の異なる他者に対する不寛容をより一層深刻にするだろうと予想はできる。

昨今、ハラスメント問題世間を騒がせている。ハラスメントは「嫌がらせ」という意味だが「同意のない強要」と解釈すると分かりやすい。

セクハラは「性的同意のない強要」で、パワハラは「権力行使した同意のない強要。あるいは権力により同意強要すること」だ。

話は逸れるが、というか逸れまくったうえでの極論だが、もしもバーチャル存在に魂が認められる社会であれば、見た目を貶めその存在否定する今回の意見は、バーチャル世界に生きる存在へのヘイトスピーチと言えるのかもしれない。

しかしそれはいつか未来可能性の話であって、もちろん今はそのようなものは認められない。ただ個人希望としては、私はそのような社会を夢見る。仮想的な魂のありようが、人権のようなもので守られたって良いと思う。

一方的嫌悪感表現し、相手存在のものを貶め否定するヘイトスピーチなど、社会通念上、認められない表現は当然ある。

しかし、社会通念上許される範囲表現である場合、ある特定倫理観をもって、ある表現同意なく抹殺されることがあるのなら、それは「モラルハラスメント」と呼ばれるだろう。「特定倫理観に基づいて、ある表現禁止同意なく強要する行為である

ただし、ここで注意しなければならないのは、ある意見の表明を先んじて「ハラスメントであるレッテルを貼り封殺することだ。

そのような言説は、ハラスメントであることを理由に、社会通念上認められる範囲意見の表明を同意なく禁止する「ハラスメントハラスメント」とでも言えるだろう。書いていて自分でもやや混乱してきたが、少なくとも私はそういう不寛容立場を支持しない。

Twitter創業者のひとり、ビズ・ストーンはかつて「オープン対話はきっと世界を良くする」と言った(※1)

ネット社会一部の人たちはある時期まで、意見の異なる集団がお互いに寛容の精神を持ち、建設的な議論を交わせる未来志向していたはずだ。

それは理想論に過ぎなかったのかもしれないが、理想は夢を諦める言い訳ではない。

私はかつてのWEB2.0信奉者だ。ネット空間善意に抱いた「過激な信頼」を完全に捨て去ることは難しい。

このエントリーが、寛容さについて考えるきっかけになり、世界が少しでも住みよい場所になればと祈り、こういう場所に久しぶりの投稿をした。

※1 乙武さんとビズ・ストーンの対談記事だったと思うが、記事は見つからなかった。動画も残っていないようだ。ただ、ビズ・ストーンがそのような信念をもってTwitter運営にあたっていたことは間違いないと思う。注記の付け方を忘れた

2018-07-06

anond:20180706103429

なつかしいのぉ…。

あれは12年ほど前のことじゃった。

集合知」「web2.0」なんていう言葉がもてはやされておった頃だ。

はてなダイアリーにこぞって日記を公開しておった

アルファブロガー」やら「ネットジャーナリスト」が、

次々にある騒動言及しては炎上することがあってのぉ。


まあ、本当に興味があるなら、ググればよろしい。

たどり着くのに大した手間はかからんだろうて。

2018-05-23

anond:20180523135318

専門人工知能がいつまで売れると思っているんだ…あと3年でブームがスーッと去っていくよ。

専門Web2.0とか専門ビッグデータの人が今売れるか?

2018-05-08

anond:20180508180210

WEB2.0と同じ概念だね。

既に浸透しているもの名前を付けて新しい概念であるかのように見せかける電通テクニックの一つよ。

2018-01-07

2000年代は、金があるとかないとか関係なく違法DLするのがデフォWinnyやってるのが当たり前、ニコニコにフルでアニメが上がってランキング1位、それがWeb2.0、それがクール、って時代だったけど、結局それも一時的現象にすぎなくて、みんな反省して離れていった。いまだにやってる奴らって真性のド底辺なんだと思うわ。

2017-11-14

CSS設計云々言えるのは恵まれ環境いるからだろ

Web制作において持論がある。CSS設計云々で議論できるのはまともな営業が居てまともなクライアントをつかまえてきてまともに意見を言えるからだ、そうでなければCSS設計云々は話にならない、お話にならない。

OOCSSにBEMにSMACCS、そんなもんできるかよ。クソみたいな、デザイン破壊する修正が大量に来て統一性もなにもあったもんじゃないし、セマンティック? 知るかくたばれ。アニメーションすらバラバラ指定されてっからAnimate.cssすら使えねえ。そもそも統一させてもらえないかクラス意味ほとんどねえ、全部IDでも変わんねーよ。

頑張ったよ。SASSで綺麗に書こうとしたし、Smartyみてーなテンプレートエンジン効率良いってのも分かってるよ。でもヘッダーすら変えろとか言われたらどこを共通化すればいいんだよ。

俺は確信した。Bootstrapの"mt-2"とか"display-inline-block"みたいにクラスを付けてってそれにスタイル適用してくのが正解だって。ってかBootstrapクラスばっかりでスタイル作ってる。だってクラス見るだけでスタイルが分かるし、共通化は一切されてねーからな。

あいつら、グラフィックデザインと同じだと考えてやがる、くたばれ。ポスターじゃねーんだよ。

俺はもう闇のWeb製作者になり客にはバキバキに嘘をつくようになった。SEOがだとかデバイス保有率のデータだかなんかを持ち出して出来るだけ頑張らなくて良いサイトを作る。だって頑張ったってそれはカオスを作るだけの技術が上がるだけでコーディング技術が上がる訳じゃ無いからな。

かと言って外注に出したらクソみたいに思いCSSフレームワーク使ったサイトが上がってくる、くたばれ。しかグリッドシステムぐらいしか使ってねーじゃねーか、skeletonでも使っとけ、ふざけんな。

おかげで俺は毎日Web2.0的なデザインレスポンシブ対応が混合した、パラレルワールドみたいなサイトを作ってる、スチームパンクだろ、お前営業やめろよ。単価安いんだよ。俺が営業行くから。元営業からお前より喋れるから

とにかくモジュール化だとかクラス命名手法だとか議論出来るお前らは幸運だ。全部の国がそれぞれ違う大陸にいるようなもんだ、クラスいらないからな。誰かWebpackであいつらの前頭葉をパッキングしてくれよ。

2017-09-22

集合知

web2.0の頃のバズワードと思いきや適切な場所質問すれば知らない誰かが教えてくれて

逆に自分アイディアが人の助けにもなったりする

しょうもない叩きとかヘイトスピーチとかもあるけど

そうじゃないこういう地味な助け合いとかもきちんと息づいててネットやっぱいいよなーって思った今

2017-08-21

ブクマページが

大昔のweb2.0とかの頃みたいなデザインになっとる……

2017-07-23

20代エンジニアには、上の世代をどう見ているのか

ホリエモン小飼弾伊藤直也宮川達彦など、Web2.0時代に一斉を風靡した人達は既に30後半から50歳手前であったりする。

その下の世代だと日本にいるのだろうか。登大遊くらいか

世界でみるとザッカーバーグがおり、Snapchatボビー・マーフィーなどがいるのだが、

日本からはいまいち有名な人は出てきていない気がしている。

30代はニコニコ動画と共に10年歳を取った感じだろうが、上の世代を追い抜くといったことは起こっただろうか。

ニコニコ技術部はあったが広がったわけでもない。

20代エンジニアの人には一体どう世界を見ているのだろうか。

横を見ればYouTuberの華やかに見える世界があり、インターネット老人会人達マストドンのようなもの話題にしている。

メディアGoogleAppleは華やかに取り上げるが、日本で作ったものは小さくしか取り上げられない。

AIクラウドWeb2.0

から存在する技術がある日突然話題になり単語だけひとり歩きした結果

最後にはその単語が何を意味するのか誰にもわからなくなる現象がある。

ちょっと前まで「クラウド」が流行っていたけれども

これも何を意味するのか僕にはわからなかった。

Dropbox が出て来たあたりから猫も杓子もクラウドといい始めたようにおもう。

から似たようなことは個人組織サーバーを立ててやっていたわけだけれども、

CUIではなくGUIだとか、誰にでも利用できるというあたりが違いだったのかな。

ああでも、クラウド言い始める前からアップルの似たようなサービスがあったよね。MobileMe だったかな?

やっぱりわからないな。

最近AI流行っているらしいね

昔は専門家試行錯誤してモデルを作ったりフィットしたりしていたのが

今ではだれでも簡単データ解析ができるようになった。

そう僕は理解していたのだけれどもニュース見出しを見ているとよくわからなくなってくる。

AI仕事を奪われる」これは「Excel仕事を奪われる」みたいな比喩表現だと思っていたのだけれども

AIの下で働く」みたいなフレーズを見ると混乱してくる。AI自我やらロボット三原則言及する人までいて、ネタなのかそうでないのか区別できない。

AIってなんだ?

2017-05-14

昔、アメリカ産牛肉使ってるところは食べないようしようってきっことかがやっててすげえ日本WEB2.0ってものを感じたんだけど、今はそういうのないよね

普通にアメリカ産牛肉食べてるよね。頭の中スカスカスポンジボブなっちゃってるよね。

基地牛肉もいらない。アメリカ産憲法だけで結構です。今こそはてなーは一致団結して主張するべきではないだろうか。

2017-04-25

そろそろMastodon

Web2.0は――もはや完全に死語となってしまったが、

個々人のネットワークからまれ価値称揚することで、リアル権力者が持つ唯一絶対性を崩そうとする運動だった。

その目論見どおりに、と言っていいものか、

結果としてオールド・マスメディア価値は薄れ、ボトムアップムーブメントによって国家崩壊するまでに至った。

が、その一方で。

メトカーフの法則によりネットワークはひたすらに強化され続け、インターネットメガコミュニティけが生き残る世界と成り果てた。

メガコミュニティ巨大企業を生み、人々はその庇護下に取り込まれ、かつての自由インターネットは消え去った。

賛否両論はあるだろうが、

自由からこそハンドアックス携帯して自身を守れ」といった殺伐としたインターネッツよりも、

なんだかんだで上手くやってくれる「大きな政府」のほうが(たとえ息苦しくとも)生きやすいことは確かだ。

ホームページからブログへ。ブログからSNSへ。

しかし、Mastodonはその流れに逆行する。

企業の傘下から脱し、再びユーザーに「持ち家」を与えようとしているのがMastodonである

早々に企業に取り込まれたのは笑い話だが、これからどのように発展していくかはまだ分からない。

Gumroadは死して(まだ生きてるよ)マイクロペイメントの皮を残した。

Mastodonもふもふの毛皮以外の何かを残す可能性も十分にある。

さて、Twitterの最大の発明は、グローバルタイムラインを隠してフォロー/フォロワー関係を中心に据えたことだった。

これにより「相手の家を訪問する」というアナロジーはようやくにして消え、ウェブサービスは初めて「インフラ」となったのだ。

RSSリーダーは惜しかったね。

個人領域の確保を目指すMastodonが、個人領域破壊したTwitterを模しているのは面白い

どうもこのMastodonというのは古代生物がそのまま現代に姿を現したもののように思えるのだが――

Mastodonグローバルタイムラインははたして一時的存在なのだろうか。

2017-03-13

検索」が軽視されている気がする

はてブって、ちゃんと使いさえすれば「何となく覚えがあるけどググラビティが低い記事」とか、

特定話題に関連した記事」とかを検索するのにめちゃくちゃ便利なんだけど、

なんだか「はてブを本当にブックマークとして使うなんてありえない」みたいな風潮になってるよね。

「○○が人気らしいけど誰が話題にしてるか分からない」「××って誰も話題にしなくなったよね」なんて人もときどきいるけど、

そんなのTwitter検索すれば一発で分かるじゃないかと思うんだよ。

日常会話の宝庫だよ。新語流行時期や用法の変遷なんかも時系列で分かるんだよ。ちょうべんり。

でも世間的には「誰だか分からないどうでもいい人間の呟きなんて何の役にも立たないから削除しろ」という人が多いよね。

百歩譲ってフロー情報としての価値は認めていても、ストック情報としては見ていないというか。

Googleが出てきて、Web2.0とか言ってた当時は、「あらゆる情報を整理する」って、

さまざまな手段を駆使して欲しい情報に辿り着いてやるという気概を皆が持っていたけど、

いまやその新鮮な気持ちが失われてしまったように感じる。

SEOスパムが横行した結果として、

検索しても仕方がない」という諦めが蔓延してしまったとのかもしれない。

ググれカス」が単なる形式的言葉になってない?

本当にググってる?

2016-12-23

俺の主観で書いたインターネット文化流行歴史(2005-2007)

2002-2004

http://anond.hatelabo.jp/20161223021343

2005年

YouTube誕生ひろゆきが当時2ちゃんねるメールマガジンにて「アニメとかが見れてすごい」と話題にする。

ドワンゴの子会社ニワンゴ設立未来検索ブラジル深水英一郎と、ひろゆき取締役就任話題になる。

VIPスレをまとめた「ニュー速VIPブログ(`・ω・´)」誕生。「他人レスをまとめてお金を稼ぐ行為」の是非が大きな議論を呼ぶ。

・この頃ぐらいに当時提出されていた「人権擁護法案」をめぐりネット上で大騒動になる。このぐらいを境目に、ネタOFFが多かった大規模OFF板に政治活動系の話題が幅をきかせるようになる

・「マンガ嫌韓流」発売。スイスの「民間防衛流行

電車男映画化

ベネディクト16世コラが世界的に流行

・この頃ぐらいから徐々にネット右翼が表面化してくる

山田ボイス

VIPSTAR流行

引っ越しおばさん流行

・「ハッピー☆マテリアル」をオリコン1位にする運動

Winnyによる情報流出問題

ジェイコム株大量誤発注事件

のまネコ問題

いかりや長介死去

レミオロメン粉雪流行

流行語大賞に「萌え〜」がランクイン

33-4

エアロバキバキ

構造計算書偽造問題発覚。この事件を受けてVIPでは「姉は一級建築士 〜イケない構造設計〜」というタイトルエロゲを作ろうとする(未完成で開発休止)

Web2.0

https://www.youtube.com/watch?v=oahEB2C3npk

https://www.youtube.com/watch?v=zAk6T3zAJgc

2006年

・「ニコニコ動画誕生

Twitter誕生

YouTubeで人気だった動画ニコニコ動画に流れ込み、定着する。

VIPPERから流入が多くなる。

YouTubeGoogleが16億5000万ドルで買収。

・釣神様

蒼星石ラジオ

PS3発売

銚子電鉄経営危機ぬれ煎餅ネットユーザーの間で売れる

・「涼宮ハルヒの憂鬱放送VIPED曲をオリコン1位にする祭りが行われたり、ニコニコ動画YouTubeハレ晴レユカイ踊ってみた動画が多くアップされる。翌年の「らき☆すた」のOP曲も同様の現象が発生し、ネット上の出来事が徐々に現実世界にも影響を与えるようになる。

・「踊り手」「歌い手文化の芽生え

9月11日テレビ番組生放送中に女優米倉涼子放屁し、無差別生物テロ単独で実行。同事件による被害者の数は全世界で数えきれない程に上り、一説では10億人以上とも囁かれている。この放屁では実も出た可能性があるとして、現在も有志が調査中。屁ではないことの証拠として、「日本音響研究所所長・鈴木松美氏の解析により、デジタル機器オーバーレベルによるノイズだったことが判明した」という記事を上げて、ノイズであることを主張する輩もいる。しかしこの記事掲載した週刊文春が某女優所属事務所に買収されていた、もしくは結託してもみ消しを試みた可能性もあるので、これは全く証拠にならない。この件については、10年たった今も公式コメント謝罪が未だに無く、更に我々にはこの事件を後世に伝えていかなければならない義務がある。

ライブドア事件堀江貴文逮捕

MUSASHI -GUN道-放送

流行:「物売るってレベルじゃねえぞ!」「wwwwww」「思い出は億千万」「レッツゴー陰陽師」「あいつこそがテニスの王子様」「た〜らこ〜た〜らこ〜」

https://www.youtube.com/watch?v=lhTumBn-D_s

https://www.youtube.com/watch?v=lTuy_Hn4_8o

https://www.youtube.com/watch?v=Md38v8OFFYQ

2007年

ニコニコ動画がγ時代に入る。この頃にVIPPERニコニコユーザ軋轢が進む

ニコニコ生放送開始

ウェールズ国旗アニメキャラが出てくる

2chドメイン差し押さえられそうになる

テラ豚丼事件

初音ミク流行

きこうでんみさAVデビュー

オプーナ発売

パンツレスリングアップされる

セカンドライフ流行ろうとしたが失敗

流行:「ニコ厨」「アベするアサヒる」「スイーツ(笑)」「ゆとり」「nice boat.

https://www.youtube.com/watch?v=-glkIghqlw8

https://www.youtube.com/watch?v=YwortdC_o14

2008-2016

http://anond.hatelabo.jp/20161223021413

2016-07-03

失敗した集合的知性体としての増田

http://anond.hatelabo.jp/20160702225507

ブコメスターランキングや、ブックマーク数によるホッテントリシステム

WEB2.0集合知を実現した事例としてしばしば取り上げられるが

それらに比べて増田

同様のポテンシャルがあるにもかかわらず

特定テーマに沿った議論が発展することも無く、

稀に有意義怪文書・良くできた作文が単発で投稿されるのを除けば

うんこ漏らしたなどという小学生並みのネタ跋扈する場に甘んじている。

仮に記事同士のリンク・関連付け・カテゴリ参照や、

記事評価システムユーザへの記事コメンドなどの機能がもう少し充実していれば

今とは違う増田の姿があったのでは無いかと思うと不憫でならない。

そして、日々増田ブックマークに励み

不完全ながらもそれら機能不足を補わんとする増田三銃士達には

ここに敬意と賞賛を贈りたい。

2016-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20160511000626

人工知能とか、チャットボットとか、VRとか、いろあろあるけど、楽しい感じはしつついまいちクワクしないなー、昔みたいに、と思ってしまうのは、全てなんだかんだ昔からあるものの焼き直し繰り返しパターンに見えてしまうからなんだろうなあ。。

90年代後半にインターネットがでてきてからweb2.0ぐらいのちょっとの間に語り尽くされたコンセプトの新しさを自分の中では超えることがない。ダイヤルアップテレホタイム個人サイトで感じたPCの大きな画面の向こうとの匿名コミュニケーション文化ダウナーな高揚感。

いや、この記事にいわれるまでもなく老害だってのはわかってる。その90年台後半の中途半端アングラ的新しさだってたぶんもっとからいる政治的時代を超えたヒッピー世代とかには新しくなかったようなきがする。おたくとかニューアカ世代ギリギリわかる人もいただろう。

当時のおっさんはどう乗り越えたのかなと想像する。ピンとこない新しい文化を。若者同調できてインターネットの到来をワクワクできたひとたちもいたのだろうとおもう。でもやっぱりワクワクしきれずアナログな楽しみに拘泥した人もたくさんいただろう。

でも同調できなかったとしても、おじさん文化に軸足を置きつつ、自分たちにとってワクワクすることを追求しまくったおじさんが当時から今にかけていたはず。イメージ的には糸井重里とか大塚英志とか。

まあそんなかんじで、ワクワクしきれないときに、表面上同調してワクワクするふりをして内心ストレスためるより、また逆に諦めて懐古主義にはしるより、自分のなかのドキドポイントを追求し続けて自分感覚で新しいものを探しつづけることが自分精神衛生上よさそうだなあと思う次第。

2016-04-22

前略、はてな様。(前編)

まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。

私は一、はてな無名ファンです。

先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。

元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。

大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。

ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービス利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います

しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギークナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています

勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています

私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます

回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。

私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。


ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。

私は長年使っているとは言いながらも、所謂はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。

コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。

これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。

最近はてなブログブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。

かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。

前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません

私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。

その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。

はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザー比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社インターネット事業担当になったというキャリアです。

はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。

その頃、ちょうどあるECサイトコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービス炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログ商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかい現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。

今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。


自分語り方面脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログはてダから始まって、livedoor、goo、ExciteSeesaaJugem、FC2、楽天、MSN、ドリコムウェブリブログドブログYahooヤプログ、アメなんたら……

でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。

なんだこりゃ、殺風景サイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。

ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。

純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギーク技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。

人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。

そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。

今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービス外来大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。

そんな中、日本ドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。

はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端ネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代ヒーローだと思ってたんですよ。

はてなブックマークソーシャルブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。

だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通り中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……

何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。

私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思いますちょっと極端なことを書いたら「フロム先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。

はてなブログ目次記法は便利だと思うんですけど、他所ニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。

ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。

まり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。

もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。

最近はてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。

一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。

こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。

だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。

むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネット醍醐味であり爽快ですらありました。


……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザーコミュニティによるチェックと自浄作用が働きますはてブうまいことそういう機能果たしてきたと思うんですよね。

でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーモラルもありますが、サービス構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。


海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。

この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドライン専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。

これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。

別にネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブ牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思いますTwitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……

ただそういう人達ごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。

というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。

最近、ある有名人ブロガーブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。

この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。

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すみません、長すぎて登録すると切れてしまうので、途中で切ってトラバで繋げます

2016-02-05

日本企業には哲学が足りないんだと思う。

ビジョンじゃなくて哲学

時代に流されてそれっぽいものを作るけど、

何故それを作ることになったのか、とか、その技術の背景にある哲学だとかに興味が無い。

情報系の産業特に酷くて、ユビキタスだとかWeb2.0だとかIoTだとか、

言葉は使うけれどその背景にある哲学には興味が無い。

別に知らないわけじゃなくて、それぞれの哲学を知ってはいるし、

その先を考えようとしないから新しい物は出てこない。

もちろん会社の中には頭のいい人もいっっぱいいて、哲学を持っててちゃんと新しい物を考えている人もいっぱいいるんだけど、

結局偉い人が哲学持ってないからどうしようもない。

目の付け所がシャープだとか、リーディングイノベーションとか、

取って付けたようなコンセプトやビジョンを掲げても哲学持ってないからフラフラして、一歩踏み外したらあっという間に転落してんじゃないのかな。

2016-01-27

賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する

 

 

「私はブログを愛していました。毎日真剣コミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクサブカル主義者もいたし、道化変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化変態です。

 仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間誹謗中傷批判区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。

 ときには自分自身への囚われから自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーから批判になら、私は耳を傾けることができました。他者批判は、自分自身防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。

 ときに讃えあいとき批判あいときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日ブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。

 あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川ほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」

  

 『市民諸君、この者を戦闘ブロガーと認めるか』

 

 Yes

 Yes

 Yes

 

 『賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーション許可しない。良いな?id:○○○○』

 

 「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由ブロガーの!ブロガー自由をお認めくださいませ!」

 

 『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』

 

 「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」

 

 『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。

  やれ!』

 

 「や、やめ、ギョワーーーー」 

 

 焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印

 倒れ込み、牢に投げ込まれる男。

 見世物ブックマークする群衆

 勝ち誇った表情のシティ司法長官

 

 『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』

 

  ※この台本フィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。

 

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