個々人のネットワークから生まれる価値を称揚することで、リアルの権力者が持つ唯一絶対性を崩そうとする運動だった。
その目論見どおりに、と言っていいものか、
結果としてオールド・マスメディアの価値は薄れ、ボトムアップのムーブメントによって国家が崩壊するまでに至った。
が、その一方で。
メトカーフの法則によりネットワークはひたすらに強化され続け、インターネットはメガコミュニティだけが生き残る世界と成り果てた。
メガコミュニティは巨大企業を生み、人々はその庇護下に取り込まれ、かつての自由なインターネットは消え去った。
賛否両論はあるだろうが、
「自由だからこそハンドアックスを携帯して自身を守れ」といった殺伐としたインターネッツよりも、
なんだかんだで上手くやってくれる「大きな政府」のほうが(たとえ息苦しくとも)生きやすいことは確かだ。
企業の傘下から脱し、再びユーザーに「持ち家」を与えようとしているのがMastodonである。
早々に企業に取り込まれたのは笑い話だが、これからどのように発展していくかはまだ分からない。
Gumroadは死して(まだ生きてるよ)マイクロペイメントの皮を残した。
Mastodonがもふもふの毛皮以外の何かを残す可能性も十分にある。
さて、Twitterの最大の発明は、グローバル・タイムラインを隠してフォロー/フォロワーの関係を中心に据えたことだった。
これにより「相手の家を訪問する」というアナロジーはようやくにして消え、ウェブサービスは初めて「インフラ」となったのだ。
個人領域の確保を目指すMastodonが、個人領域を破壊したTwitterを模しているのは面白い。