はてなキーワード: 気づきとは
見たくない理由としてエロでくくるのは良くないというご指摘ありがとうございます。エロはそもそも悪いものなのか?・エロをどう定義するのか?というところでどんどん複雑化、過激化していってしまいますね…すみません。
エロ本を新幹線の中で開くのは個人の分別の話になってきてしまって今回の日記で話させていただいたことから少しずれてしまいます。と書いたところで、大声も個人の分別の話になってしまうことに気づきました…例えとして適していなかったことを先ずお詫びいたします。そして、なぜこんなにも人によって守ろうとしてるものが違うのかが改めてわかりました。そもそも個人の分別の話である部分と公共な部分とがかなり混ざり合って複雑化している議題。
可変のもの(明確な言葉での表現をありがとうございます。)である"エロ"についての気使いは個人の分別と公共の分別が非常に複雑に絡んでいて「大声」では例えられなかった。すみません。
ただ、エロについての気使いと大声をださないという気使いが同じくらい自然に起こればいいなと思っているのは心からそうです。それは本来、エロ=悪ではない。という考えに通じます。大きな声が本来、=悪ではないように。ただTPOにより=で迷惑になることがある。
大声のように「うるさいから」、というわかりやすい迷惑ではないというのがとても適切で刺さります。
エロは何を持ってして迷惑となるのか。正直、わたしにはみなさん、これらが迷惑とされるエロです!といますぐ提示することができません。これは、公共について自分勝手に定義して日記を書いたのと全く同じ理由から来ています。公共についても人々を納得させられる定義をわたしはまだ持たないのです。思えばただ、自分の思う公共さ(ある程度回りと認識は通じていると感じているけど)を察知して自分自身で気を付けているだけでした。わたしは気を付けられるのだからあなたも、みたいな乱暴な論じ方だったのかもしれないです。
[エロ]って、個人の感性や経験、見てきた表現技法の種類によって受け取り手の察知の仕方も変わる、"可変のもの"(本当に明確な言葉での表現をありがとうございます。すぐさま真似してすみません)で、公共での気づかいを問われながらも判断材料が個々に問われている。公共ってそもそもどこ?なぜ?ということと迷惑なエロってどれ?なぜ?は一緒に考えなくてはならず、それがひどく難しい。
誰かが耐えずにいられる定義とは果たしてどこにあるでしょう…好き勝手話して、投げているような着地点で申し訳ないです。しかし一生懸命です。
オタクであり、人間の肉体の造形に魅力を感じてならない者のひとりであり、かつ性的消費の被害にもあったことがあり、かつ性別問わず魅力的な肉体を性的に消費したい欲を持つ者であり、かつそれを公共の場で好き勝手に振るいたくはない人間であり、でも二次元の表現に慣れていてこれを指摘するの!?って焦る心も、これはそりゃあ言われるよ!?って驚愕する心もある。こうした矛盾に悩んだり、八方美人さに頭を抱えたり、でも八方美人さこそ公共さではないかって思ったりもする。また、ビジネスとエロは絶対切り離せないよなぁって、だから広告に使いたがる理由を理解できる感性、でもそれを自分が性的に危険にさらされている気がするとゾッとする感性、どっちもある。本当にどっちもあります。
明確にこうですよと示そうとして(それはそれぞれの守りたいもののため)戦っている人たちを外から見て分析し、結局結論が出せないと言う余りの情けなさでしたが、悲しい気持ちを吐露せずにいられませんでした。
北海道大学にいたころ、同級生や院生、博士研究員の女性は学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館で論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室でちょっと話題にしてたりしていた。
教員の具体的な挙措や発話のどこが問題か話題になることもあった。もちろん、特定の学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。
今twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。
ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。
それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。
それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。
2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対に特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。
なぜだろうか。
まあ、その、なんというか。マイノリティの性表現ばかり「エロだ!猥褻だ!」と糾弾するマジョリティの皆さんが、普段どれだけの性表現をごく当たり前に開けっぴろげにしているのかについて、早くお気づきになられるといいですね。
あの声は、たぶんキンタだろう。
耳には自信があるが、キンタにしては鳴き方が少し違うようにも聞こえたし。
まあ気のせいであれ何であれ、一度でも気にすれば何度でも気になるもんだ。
俺は開けられた窓めがけて、勢いよく跳びだす。
空中で体勢を崩してヒヤりとしたが、地面につくころには俺の四つ足は下を向いていた。
久々にやってみたが、体は覚えているもんだ。
だけど次回からは、いつも通り1階の専用口を使おう。
さて、声が聴こえたのはこっちだったかな。
そちらの方角めがけて、鼻に神経を集中してみる。
すると、先ほどまでこの辺りにいたと分かるほどの確かな匂いを感じた。
どうやら気のせいじゃなかったらしい。
匂いをたどりながら進んでいくが、途中から覚えのある道順だと分かり、自ずと目的地も察しがついた。
既にその場所には、見慣れた仲間達が一通り集まっていた。
「おお、来たな……ええと」
「キトゥンだ」
「おお、そうか。今はキトゥンだったな」
みんな大なり小なり、彼に有形無形の恩義がある。
もちろん、俺もその中の一匹だ。
「まだまだ元気そうだな、モーロック。片耳がないのに、俺の声もちゃんと聞こえてる」
「え……」
「今ここで、きかせてや~ろうか~? お望みとあ~ら~ば、きかせてやろうか、きかせてやろうか、きかせてやろ~か~」
ただ、こんな感じに、隙あらば歌おうとしてくるのが玉に瑕だ。
すんでのところで歌を止めてくれたのがダージン。
老いたモーロックの補佐的な役割を担い、この集会所を潤滑にまとめてくれる存在だ。
「やっほ~キトゥン」
そして今回、俺をここに呼びつけたキンタ。
メスにモテやすい如何にもな猫って感じで、あいつ自身もよくそれを鼻にかけている。
「よお、キンタ。久しぶりだな」
以前の振る舞いも気になってはいたが、今の状態もかなり独特だ。
本当にあのキンタか?
「そういうお前は、しばらく見ない間に変わったな。何というか、全体的にしなやかになったような」
「あ~、キトゥンには分かっちゃう? さすがキトゥン、さすキト~」
いや、俺じゃなくても分かるくらい滲み出てるぞ。
「実はあたくし~去勢されちゃいました~!」
「はあー……なるほど?」
去勢されたネコは何匹か会ったことあるが、キンタみたいになった奴は初めて見た。
「なあ、ダージン。去勢されたら、“あんな感じ”になるもんなのか?」
「うーん、落ち着いた気性になりやすいのは知っているけど……モーロックはどう思う?」
「猫によるとしか言えん」
訃報を聞いて最初に浮かんだ言葉は、「先を越されてしまった」だった。
何年目かの法事。喪主の伯母の代わりに挨拶をしたのは、親族の中の代表的な存在の人だった。
その一言を聞いた時、何て残酷なことを言う一族だろうと思った。
遺族の事を考える余裕があったら死ねない。
その思考ができなくなるだけの絶望が、彼女にはあったはずなのに、
何故それを想像することができないのだろう。
その代表の言葉に誰も言及しなかったあの異質な空気が、私の頭の隅に記憶として焼き付いている。
でも、従姉妹の死に「先を越されてしまった」と思ってしまった自分も、
その残酷な一族の血を色濃く継いでしまっていることに、最近気づき始めた。
表面上で良い人を取り繕っているだけで、結局は自分の事ばかりだ。
過去の失敗経験がフラッシュバックするようになってから、そんなことを思うようになった。
しかし、今更性格を直したいと思っても、そんなことがすぐにできる筈もなく、
うちの家族も、私が死んだだけでああして露骨に馬鹿にされるのだろうかとか、
そんなことを考えずに、とっとと死ぬべきだった。
無自覚な害悪としてのうのうと生きていける自信が、今はもうない。
開き直って生きるようになる前に、一思いに死にたい。
床屋勤務だった父に、美容院勤務だった母はハワイ旅行中に出会い結婚したらしい。
物心がついたころにはもう父と母は不仲だった。父は仕事を休みがちで、私が小学生低学年の頃にはもう職場を転々としていたのを覚えている。
一つの職場に留まらず、職場を変えるものだからもちろん給料も上がらない。父と母は夜な夜な電話口や居間で喧嘩していた。
それは深夜だった時もあるし明け方の時もあった。長いことアパート住まいで横にも上にも寝ている家があるのに家に居る母は金切り声を上げていた。
でもほとんどがお金の問題で、まだ小学生の自分にはできることが無いことが分かっていたので家の手伝いをして、3歳年下の妹の面倒をよく見た。
父が仕事から帰ってくるとき帰りは母の車の迎えを頼んでいた。母はまだ小学生の私と幼い妹を乗せて車で最寄り駅まで父を迎えに行く。
その車の中でもお金の話で揉めていた。
夏のとある日、いつものように父を車で迎えに行った時に自販機で何か買う?と母が私に聞いてきたが私はペプシが欲しいとはその日言えなかったのを今でも鮮明に覚えてる。
両親を困らせないようにいろんなことを毎日考える日々が続いてた。
今も昔も趣味はゲーム。私が幼稚園の頃テレビの下スーパーファミコンが仕舞ってあるのを見つけて以来ゲームの虜だった。
コンポジットケーブルの繋ぎ方を覚えてひたすら「スターフォックス」の1面を遊んだ。これ一つで随分と長いこと遊んだ。
小学生になって私以外にもゲームが好きな人が沢山いることを知り、お家によくお邪魔して遊ばせてもらった。
父は気まぐれにゲームを買ってきてくれた。
「F1 RACE」https://youtu.be/-isADihL65Y とか「役満」https://youtu.be/H-Nc1_9bXpQ とか。
でもスターフォックスの次にハマり込んだのがゲームボーイカラーで出た「ポケットモンスター銀」https://youtu.be/Lfy93rW7zRs だった。
幸い、テレビさえ占拠しなければ父と母はゲームに理解を示してくれており、妹と一緒にゲームボーイカラーの画面をよく覗き込んだ。
ただ、その間にも父の帰りが遅かった事を責めたり、やはりお金の話で父と母が声を荒げる日が続いていたので、もうゲームソフトを買ってもらえるなんて無いんだろうなとポケモン銀を手にしたとき思った。
小学生にもなると、友達が増え色んなことを知り、考えることが増え、自分と友人の違いをよく知ることになる。
私はある日ゲームボーイカラーのソフト、「ポケモンでパネポン」https://youtu.be/yYfZPb4nqa4 (以下ポケパネ)を友達に遊ばせてもらった。
パズルゲームはスーファミで家にあった「マジカルドロップ2」https://youtu.be/NN5JIwbNG1U を遊んだことはあったけどそれ以上の爽快感で遊べたポケパネは衝撃的だった。
どうしてもこれを家でも遊びたい。でもゲームソフトをせがむのは両親を困らせる。また今夜パパとママが喧嘩するかもしれないし、普段よりもっと大きな喧嘩になるかもしれない。
その時小学生ながらにとった手段は『友達から盗む』だった。うまいこと友人からポケパネを盗み、買ってもないゲームを遊んでいるのがばれるとまずいからと、家では音量を消し
放課後には公園で一人でポケパネを遊んだ。でも親は子を見ている。買ったはずのないゲームソフトに気づき、ひどく怒られ、翌日友達へ返すくだりとなった。
その時、今となってはどう思ってそんな発言をしたのかも覚えていないが確かに私は言った。
母は泣いた。でも私は両親に負担をかけずにゲームソフトを手に入れる純粋な手段として盗みを働いたつもりだった。
盗みはダメだと諭され、母と一緒に友人の家に行きソフトを返した。友人は特に気にした風もなく、小学校を卒業するまで一緒に遊んでくれた。
夜な夜な喧嘩が続くが中学生になってある日突然、父がマンションを買った。
正直当時は驚きのあまり意味が分からなかった。お金ないんじゃなかったのかな。どこかで貯めてたのだろうか。大人になるまで、ずっとこのアパートで過ごすのかと思った。
とうとう父は働かなくなってしまった。
マンションに引っ越し、中学生になった私と小学生の妹はそれぞれの部屋をもらったが父は妹の部屋に入り浸った。
妹のベッドで眠り、昼食に袋麺を食べ、また妹の部屋で引きこもる。妹は母と一緒に和室で眠った。
あっという間に妹の部屋はたばこ臭くなり、ベッドの布団はぺたんこになった。
母は時短で働かせてもらっていた職場をやめて夜勤も挟みながら働くようになった。夕飯を作るのも私と妹で作るようになった。父の分はない。
初めて作ったのは野菜炒めだった。今でも覚えてる。切って洗った野菜を炒めるのに油が跳ねて妹と大騒ぎして、父に怒鳴られた記憶がある。
ほどなくして車で買い物に出かけた帰り、マンションの駐車場で母が助手席に乗る妹と後部座席に乗る私に向かって「ママ、パパと離婚することになったの」と言った。
私はまぁ、そうなるよな。と思った。驚くべきことに部屋を占拠されていた妹は泣いた。
そうして私と妹は母に引き取られ、マンションと父を残して出て行った。
家庭裁判所に行った。家庭裁判所の人は私と妹が望めばいつでも父と面会できる旨を伝えてきた。
でも私達から望んで面会を申し出たのは今までで一度もないままだ。
養育費は二人分。私と妹が高校を卒業するまで。その養育費も最初の2ヵ月払われて、それっきりだった。
私は高校生になった。アルバイトをはじめ、携帯代は自分で払い、月にいくらか家に入れ、欲しいもの・必要なものは自分で賄った。
アルバイトというのが地元のショッピングモールに入っているラーメン屋だったのだが、オーナーや社員のおっさんにとても良くしていただいた。
絵を描くのが好きと知れば誕生日に画集や画材を頂き、美味しいものもたくさんごちそうになった。
ある日、自分で夕飯の買い物袋を両手に下げてアパートに帰ってきたときなんだか急に悲しくなって声をあげて泣いた。
私以外にも高校生で、両親がいない中買い物袋を提げて帰ってくる子もいるだろう。
でもなんだか理不尽さと寂しさとどうしようもなさ、あとはなんで私がこんな環境にいるんだろうという気持ちで家に母と妹がいないことをいいことに、両手に買い物袋を提げて立ち尽くしたままうわーんと泣いた。
本当に「うわーーーーん」だった。
私は高校を卒業したら就職するつもりだった。(ちなみにこの時はまだ養育費が払われているものだと思っていた。)
母に高校卒業したら就職する。と言ったときの母のあの喜んだ顔は今でも夢に出るほど覚えている。
スーツ用意しなきゃねとも言った。
高校卒業したら就職するんです。とアルバイト先のおっさんにも言った。
そうしたらそのおっさん「あのさあ、人生よくやり直しが効くとかいうけどそんなことないよ?」と言い出した。
どきっとした。
わがまま言ったらいろんなものを困らせると思って黙っていたことがむき出しにされた気がした。
「勉強したいことがあるなら今のうちだと思うんだけど」
ゲーセンで知り合った友人に相談した。その友人は通っている専門学校にデザイン学科があるよと教えてくれた。
資料をもらって穴が開くほど眺めて悩んだ。そして母に言った。
「ごめん、就職したいと言ったけどこの学校に通って勉強がしたい。2年制でいいから、通わせてほしい」
その時の母の落胆した顔も覚えてる。この顔も良く夢に出る。
それでも母は奨学金の手続きを一緒になってしてくれて、無事私は専門学校でデザインの勉強をすることができた。
2年制だったから、うんと居残ってphotoshopやillustratorを覚え、プレゼンの勉強をして、就活を終えた(新卒で入った会社がクソブラックだった話はまたどこかで。失せろクソ会社)
もちろん、あれからバイト代が入ればちょこちょことゲームを買い、ゲーセンで音ゲーでも格ゲーでも遊んでいたのだが
無事社会人として安定してきて、switchとスマブラで友達と遊んでいた時の事。
友人と二人でいろんなキャラをオンライン対戦で遊んでいた時、5連勝くらい続いたあたりで
「なんか勝ち続いちゃってる。」としれっと攻撃を食らったりアイテム取り損ねたりして手を抜いてしまった。
これは高校生の時よく遊んだ「スーパーストリートファイターⅣ」でもかなりの頻度で起こった事象だった。
格闘ゲームで遊ぶ以上、ミスも弱さも自身のせいというのが基本なのだが、勝ち続けて嫌われたくない、気分を不快にさせたくないと
幼少の時に培った「相手のご機嫌伺い」が発動してしまって対戦ゲームでなかなか気持ちよく遊ぶことができない。
ご機嫌伺いはゲームだけでなくいろんなところで作用し続け友達は本当に少なく、それなのに変に性格が明るい人間になってしまった。
なんでもかんでも両親のせいにするつもりはないけど、子は親を選べないし、ここまで女手一つで育ててもらった母には感謝もしているけれども
なんであんな男と結婚したのか、なんで喧嘩するくらいなら生んでしまったのかとこの間ちょっとノイローゼになったとき思っちゃった。おわり。
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今。妹は素敵な旦那と結婚して1児の母に。もうすぐ2人目が生まれる。姪っ子にはクリスマスにぽぽちゃんのベビーカーとポポちゃん用のエルサの服をプレゼントした。
妹は育児に四苦八苦しながらも旦那、姪っ子と部屋を飾りながら私の手放しに楽しそうに生活している。
私は一人暮しのため住んでいたアパートを出たので母は久しぶりの一人暮らしを満喫し、フラダンスにハマった。
父はしらない。
>うちは早くに見切りをつけて子の物心つく前に離婚して一人で育ててるが、金銭的心配はなく楽しく二人暮らしのつもりが、子がこんな思いを抱えてたらどうしようと思った
金銭的な事情はきっかけに過ぎず、みんなが当たり前に持っているものが私達にないというこの状態こそが、買い物袋をぶら下げて立ち尽くしてしまう最大の理由なので、出来る事なら子には友人や人とコミュニケーションがたくさん作れる・取れる環境を作ってあげるのが大事だと考えてる。
その環境さえあれば、足りないものは徐々に補えるようになるはずで、そうなるように出来ている。
今思えども急にマンション買った下りは本当に意味不明で笑っちゃう
まぁ多分、良い暮らしをと思ってマンションを買ったのだろうけど良い暮らしはそこに無かったと言う訳。
>お母さんのリアクションが、逆ではないんだね
>落ちがないのがなんかいい
落ちてないから落ちがない…という落ち…
たくさんの人に読んでもらえてたくさんの人に文章を褒められて嬉しい
ありがたや
動画と記事見る前は、なんでも叩きたがるネットの一部の人たちの過剰反応なんだろうな、と思っていた
で、動画を見て、ツイートの流れを読んで、もう一度動画を見返した
加減をしらないがまだまだ非力な赤ちゃんが猫を力任せに叩く
太った大柄のおそらくいい歳の猫は、赤ちゃんに叩かれながら面倒そうにしながらも、姿勢を変えて叩きやすい・じゃれつきやすい背中を子供に提供し、叩かせてやってる、遊ばせてやってるという風情
母親は叩きたい生き物と叩かれたい生き物と題して、自分の子供の動画をアップし子供かわいい投稿、うちの猫の様子からこれは叩かれたいのだと主張
動画と記事を読む前後で自分の主張が逆になっていることに気づき、なんでそうなったんだと注意深く気持ちを観察すると
お目目ぱっちりでたぶん容姿でいうならかわいい子なのだろうけど、力いっぱい猫を叩きはしゃぐ愛らしい容貌の子は傲慢ないじめっ子のイメージで
本屋にいくと女のために書かれた本があふれかえっている。
うんざりする。
傷ついていることにようやく気づきました。
バカじゃねえの。
まだ自己が未分化で、無知無力ゆえ暴力に見舞われやすい子どものためならまだいいが、
反吐が出るよ。
いったいいくつまで、自分らしくあることに、肯定され満たされていることに拘泥するつもりか。
自分らしくいられないこと、肯定されず満たされないことを男や社会のせいにするつもりか。
自分らしく生きられず、肯定されず、満たされないとしたら、それは誰のせいでもない。
おまえがブスだからだ。
おまえがブスなのは、塩基配列の結果なのでおまえのせいではないし、
もちろん男や他人のせいではない。
美しくないうえに、うまくいかなさを誰かのせいにして、
おまえは一生ブスのままっていうか経年変化によってますます醜くなり、手の施しようがなくなるじゃないか。
「おまえが満たされないのはおまえのせいだよ」と教えてくれる本は皆無である。
コメダ珈琲店、盛り付けを一つ間違えばゴディバとのコラボが台無しになることが判明
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65913284.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/kabumatome.doorblog.jp/archives/65913284.html
これが話題になっていたので,ふと気になって調べてみた.
全部ウィキペたんに書いてあった.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%93%E3%81%93%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF
自分的に興味があった事項:
最初はみんな「なんでアイシャドウって4色が多いの?何をどこにつけたらいいの?着けたらなんで鏡の中に隈取に失敗した売れない歌舞伎役者が爆誕してんの?」から始めてるんですよ。
すべてのメイクが上手な女は、日々の試行錯誤、メイクに関する弛まぬ予習・復習ODCAからOODAを繰り返して身に着けてるんですよ。ふんわりした笑顔の下は歴戦の猛者なんですよ。
それこそ、出世する男性が出世につぎ込む労力と情熱のほとんどを装い(肌、髪、ファッション、挙措の総合)を整えることにかけてるんです。
だから、一見メイクができているようでも努力量が足りない「ふつーの男」ぐらいの「ふつーの女」は
「いまさらだから人に聞けない…私のメイクのどこがダメ?プロが徹底お直し教室」「今こそ見直したい、眉のOK/NG見本と講座」
みたいな特集が載るんですよ。
あなたの家庭環境やみだしなみスキル経験値はなんとなくエントリからわかる。
そんな人が買っただけで上手なメイクができるわけがないでしょ。
でもそこからスタートして、自分が好きになれる身だしなみにもっていける人はたくさんいます。
■化粧品ブランドを渡り歩きいたずらにアイテムを増やす前にやるべきこと
「まぶたが一重か二重か」「肌色のタイプ(いわゆるブルベ・イエベ)」「肌質」「顔立ち」でスキンケアから似合う色選びがかなり変わります。
たとえば途中のレスで「パープルやピンクは難易度が高い。無難なブラウンからまず」と書いている方いらっしゃいますが、
実はブラウンも幅広く、色選びを間違えると単に「目の周りが汚れてる」になります。
プチプラでブラウンアイシャドウといえば鉄板でしょなリンメルのアイシャドウを見てみてください。
https://www.rimmellondon.jp/products/royal_vintage_eyes/
ブラウン系だけでも8色あるでしょう。
この中の6つ似合う人もいれば、2つぐらいしか似合わない人もいます。
メイク教室を選ぶのなら最初はまず、こういうことを踏まえて「あなたの」タイプを教えてくれる少人数教室がいいですね。
私はストアカで1回きりのメイク教室に行きました。1回きりだと安いけど、体系的に教えてくれつつ私の顔立ち、雰囲気、悩みに合わせてくれましたから。
そしてその教室で覚えたことを買ったコスメで練習しましょう。たくさん買ってて結果的によかったですね。(嫌味じゃないですよ。)
・せっかく買ったんだから、まずそれを使ってみよう。
ファンデーションはファンデーションであるだけでいきなり魔法をかけてくれるのではなく、
たとえば「全顔にこってり乗せない」「肌質やタイプ、その日の服装、TPOに合わせ、目のきわを避けた顔の中心だけ乗せ外側に向けてぼかしていく」ような、
だいたいお察しかと思いますが、この細かいコツというやつがすべてのアイテムにあるんですよ。恐ろしい世界ですね。
練習しつつ、鏡の中の自分を見る。そしてメイク用ミラーという至近距離だと対人では近すぎるので、服を着替えて全真鏡で「全体を見てみる」。
世に出るのに人からどう見られるか、全身鏡も持たずに出てはいけません。「初期装備:こんぼうとぬののふく」すらない状態ですよそれ。)
そうやって徐々にメイクを自分に合わせていくのと、自分もメイクした自分に合わせていきます。
1つは、フェミニンが似合わなかったり、モード系がとんでもないのは、あなたの中身がフェミニンでもモードでもないからです。
でも好きなスタイル、ちょっと先の自分を想像してなりたいスタイルを想像してください。そしてその要素を少しずつ取り入れていきましょ。
たとえばフェミニンな人、モードな人、違いはメイクだけではありません。
そうです、全身です。
フェミニンな人は髪形も服装もしぐさまで「フェミニン~♡」なはずですし、モードな人は全身モードで顔がきりっとしています。最極にいる人はね。
でも世の中、そんな極めている人ばかりじゃないでしょう。みんな「ちょっとおしゃれしてます」ぐらいでしょう。
だからまず髪を整えることを意識してください。おそらくあなたは髪の手入れに無頓着。
さらに投資をするのなら、髪です。アウトバストリートメント、美容室行く、ストレートアイロン(サロニアからareti程度の値段で十分)とケープ紫とYouTubeで「前髪 作り方」でググってそれを真似する。練習&練習。
前髪と前髪の両脇をなんとかすればまあまあなんとか見えます。
それでだめなら毛先をストレートアイロンでワンカール(毛先をUとかJみたいにカールをつけること)しよう。
髪を整えたら、それに合わせた服装をしますが、髪っておそろしく投資効果が高くそして手を抜くと即・非おしゃれで顔からメイクが浮く、他人の印象に一番影響を与える部分です。
だからメイクするならヘアメイクも必須なんです。でもそれどこのコスメ雑誌や本にも書いてなかったでしょう?
・スキンケアはどうですか?
日焼け止めと、日焼け止めが肌に与えるダメージを軽減するため先に塗るクリーム(肌質で何が良いかが違う)、日焼け止めと一日肌に乗ってたクリームをきちんと且つ肌に負担を与えず落としてくれる洗顔料です。まあそれはマキアージュで揃えたはず。
あとはリップです。リップ買いましたよね?唇荒れてたりしませんか?荒れてるとリップ類はきれいに着きません。
■練習について少し
まず眉を練習しましょう。眉を整えるツールを買ったはず。眉は、髪の次ぐらいに人に与える印象が違う、眉の形で人の性格まで違って見える重要パーツでありながら、難易度が高い部分です。
繰り返し練習し、街中でショーウィンドウに写った自分、ぐらいの距離感から見てみて形、色が自分の顔になじんでいるかをチェックします。
眉・目・唇が重要です。この3つを描けば「メイクした感」が出ます。逆に言うと、慣れていないうちは薄めから始めたほうが良いということ。
もしご覧になって、何か疑問に思うことがあったら質問してください。私でわかることなら回答します。
こんばんは、ホールケーキです。兄弟喧嘩の最たる原因が私であることについては、ついぞ心苦しく思っております。たとえ土台を同じくらいに分割できても、いちごの数、チョコプレートの取り分、ろうそくの穴の有無など、協議点が湧き上がりやがて喧嘩になりますね。ケーキを前に叱られる子どもたちほど悲しい存在はありません。
かつて、私を前に緊張感を漂わせる兄弟に、諭すように「切る人と選ぶ人は別な!」と命じた親御さんがいました。なるほど、大小をつけてカットしても、自分が後攻になってしまうと大きものが先に取られてしまう…。すわ休戦となり、私は穏やかに切られましたが、賢いあなたならお気づきでしょう。一瞬平等に思えるこのルール、選ぶ役のほうが常に優位なのです。ケーキの前では誰もが頭が狂う。私は罪を帯びた存在であると自負しております。
仮に私が長方形であれば、それなりに上手く分割できるでしょう。けれど等分を求めるプレッシャーは却って強くなりませんか?隣の芝、もとい隣のケーキは大きい…と湧き上がる嫉妬とそれを恥じる気持ちで食べるケーキが甘いはずがありません。その点、私が丸いと、その等しさの見えかたは有耶無耶になりがちです。ぼんやりと角度を見積もるしか術がありませんからね。
つまりホールケーキが丸いのは、美味しく食べていただきたいからです。冷たく甘やかに香るクリーム、断面も輝くフルーツ、フォークを誘うように弾むスポンジ、そんな魅惑的な私の前で緻密な等分を求めてどうするというのでしょう。相応しいのは、まるごとみんなの幸せを願うような優しい気持ちです。争いのない世界の実現は難しいとて、それを願う心があらずして生きる意味がありやなしや。そうやって切り分けられた私だから甘い記憶になるのです。こんな話のことをa peace of cakeと言うのでしょう?
ぐえー、わからんンゴ。
モンティ・ホール問題とか、死刑囚のパラドックスみたいな、意識を素通りしてる差や矛盾が何かあるんだろうけど掴めない。
3人の場合で自分Aはそれを知らないけど赤目、残り2人B、Cは青目の場合で、
さらに3人全員は今日異世界転生してきた人だとすると問題を浮き彫りにできる気がする。
異世界転生してきた当日、各人は「青が一人以上いる」という情報を手に入れる。
さらにその日に旅人が来て「青が一人以上いる」と発言するところで、実は何か変わっているのか、気づき辛い矛盾が生まれているのか……。
あっ、この場合は変わってるか?
旅人が来る前は、
AはBが右のように考えていると推測する→『Aは赤や。自分Bも赤かもしれへんから、Cは「青が一人も居ない」という可能性も考えて行動するやろうな』
でも旅人が来た後は、
AはBが右のように考えていると推測する→『旅人は青が居るって言っとった。Cは「青が一人も居ない」という可能性は切り捨てて行動するやろうな』
ってなるよね?
~~~ 再追記 ~~~
旅人が来る前も確かに全員「一人以上青が居る」という情報は知っていた。
映画版キャッツ字幕版を観た感想(ネタバレ酷評)を長々と書いていきたいと思います。
公開初日に見て間が空いてしまったので、記憶が曖昧なところもあり、映画の内容と異なる部分があるかもしれませんし、ほぼ散文なのでご了承ください。
感想を書く際には公式ホームページやAmazon music unlimitedでサントラを聞くなどして記憶を呼び戻したり、整理しました。
あらすじ
ロンドンのとある晩に天上界に行くことができるたった一人の猫を決める猫たちの舞踏会が開かれる
あらすじというか、ストーリーを端的にまとめるとこんな感じ。シンプルで分かりやすい話ではあるが、ストーリーには深みが無く、薄っぺらい話が二時間弱続きます。
上映開始
最初に配給会社のユニバーサルのおなじみの地球のロゴの映像が流される。普通の映画であればこの先が本編であり、早く本編が見たいという気分になるがそうではない。今回はこの先どうなるのだろうという不安と恐怖でしかなかった。
映画館で10回以上予告を見ているため、化け物のような猫と人間の融合生物には多少は慣れたが、やはり得体のしれない気味の悪い生物であることは変わりない。私が子供であったら恐らくトラウマになって絶対観てないだろう。
今回キャッツを観ようと思ったのは映画館に月約4000円で見放題になるPremyに加入しているからである。加入していなければあんな映画にお金を払う気には到底ならない。
定額サービスでは本来では出会えない作品であっても、定額なら出会おうとする行動の機会が与えられることを改めて認識した。
さて本編が始まる。
説明しづらいが、遊園地のメルヘンなBGMや、映画ITチャプター1の終盤にベバリーがペニーワイズに連れ去られた後に地下水路の中で謎の踊りをしながらペニーワイズが登場したときのBGMのようなものを更に不気味にした音楽でした。
私はこういう音楽が苦手であり、共通で酷評されているポイントではないかもしれないが、既に作品への嫌悪感をさらに抱いてしまった(サントラ最初の曲として収録されています)
今までの人生で約300本近く映画を観ているが、開始数秒で観たことを(正確には音楽を聴いただけなのに)後悔したことは初めてだろう。あと何年生きるか分からないが、二度とそんなことは無いと思う。
本編は主人公猫ヴィクトリアがゴミ捨て場に袋に入った状態で捨てられるところから始まる。そこから未知の世界(観客からしても)に迷い込み、様々な猫と出会うこととなる。
ゴミ袋から出て早々いきなりミュージカルが始まる。この映画は基本的に新たな猫に出会うたびにその猫の自己紹介も兼ねたミュージカルシーンが繰り広げられつつ、ストーリーが進行していく。そう、永遠と猫の自己紹介を聞かされまくるのだ!
最初のシーンでは猫はジェリクルキャッツと呼ばれており、舞踏会で真のジェリクルキャッツを決めることが明らかにされる。
ただミュージカル内でジェリクルという言葉をクソ連発していたが、ジェリクルって抽象的すぎて何だよ、くどいんだよと見ていてイライラした。ジェリクルの意味を調べると、ジュエリーとミラクルを組み合わせた造語で、人などに頼らず気高く自由を謳歌する的な意味合い。
また、日本語字幕のはずだが、歌詞が意味分からなすぎて悲しくなりました。日本語のはずなのに全く意味不明で日本語の難しさを改めて実感しました。超シンプルなストーリーのはずなのに、理解するのが難しいという矛盾。観客に寄り添い、理解を促進させるための狂言回し的な役割を果たす猫がいれば理解、感じ取りやすくなるのではないのでしょうか。
何なんだ、このシーンは。こう戸惑っている間にもまた新しいデブババア猫が現れてミュージカルが始まります。この新しいデブババア猫のシーンが一番の問題シーンではないでしょうか。
このデブババアは本当にだらしない的なノリで歌い踊るのですが、その途中に猫以外の生き物が登場します。
まずネズミが出てくるのですが、ネコと同じく体はネズミっぽくて、顔は人面というトラウマ化け物なのです。人面ネコは予告で何とか慣れたのでいいですが、人面ネズミは想定外で気分が悪くなりました。
そこにとどめを刺すかのように登場してきたのは大量の人面ゴキブリ。
テラフォーマーズを観に来た覚えはないのに...
大量の動く人面ゴキブリの出現を見て気持ち悪さのピークが急上昇。人面ゴキブリが出てきた瞬間、見てられなくなり、入場で貰ったキャッツのポストカードで自身の目をとっさに覆い隠し、途切れ途切れに見ることに。おまけに人面ゴキブリをデブババアネコが食べるシーンがあり、それを一瞬見てしまい、我慢の限界で一時退出。
今まで映画の上映途中でシアターから出たことがないのですが。わずか20分で耐えれなくなり退出してしまいました。
ネコのCGですら気味が悪いのに、ネズミやゴキブリはマジで地獄です。
今まで映像を見てられなくなったことは二回あり、ウォーキングデッドのシーズン7の1話の2人の処刑シーン(グロイからではなく、いなくなるのが辛いから)と1984の主人公ウィンストン・スミスがババアと売春するシーンなのですが、それらを上回る嫌悪感と恐怖と衝撃でした。
ウォーキングデッドも1984も過激な作品であり、万人が見るような作品ではないからまだしも、キャッツはR指定もなく話題のミュージカルを映画化したものです。そんな映画で気持ち悪い物を見せて何がしたいのでしょうか。
ネコのリアリティーを出したいのか、製作者の意図はよくわかりませんが、映画館の予告やテレビスポットで散々見せてきた華々しいシーンを観客は見たいと思ってるはず。なのにあんなものを見せられたらたまったもんじゃない。
海外のメディアがあれだけ語彙を振り絞ってレビューしているのがうなずけました。
退場して数分後には心も落ち着き、全部見るかこのまま帰るか正直悩みましたが、まだ本編開始20分しか経過してないのでまだ見どころはあるに違いないと信じて席に戻りました。
結局見どころは特になかったけどね。
特にストーリーの展開のない自己紹介クソミュージカルをして悪役ネコ(作中では珍しく服を着ているのですが、そのせいか特有の嫌悪感があまりありません。みんなまともな身なりをすればネコのふりをした化け物から脱却できるのはず)が自己紹介をしたネコを特殊能力で連れ去るくだりを何回も繰り返していきます。特にミュージカルが面白いわけでもなく相変わらず意味不明かつ単なる自己紹介で話が進まず、永遠に悪夢が続きます
悪夢を繰り返していくと遂にジュディ・デンチが演じる親方長老ネコが登場します。
MI6のボスとして007に無理難題を突き付け、嫌みを言い時には対立もするも頼れるあの方がまさか長老ネコに転職するとは誰が想像したのでしょうか。器だけでなく、胴体も大きいです。007に出演している所以外見たことないので、キツメのおばあ様という印象なのに、やさしいハルク並みの体を持ったネコのおばあ様に変身してしまい、終始困惑していました。とにかくこの親方長老ネコがネコ界の有識者であり、舞踏会のチャンピオンを選ぶ決定権があるそうです。
親方長老ネコが現れてから今まで街中や家などで自分勝手にミュージカルという名の歌い騒ぎ踊る狂乱発狂が少し収まり、舞踏会らしいステージ会場に一同終結しました。いや、なんでみんな会場に最初から集まらないで好き勝手に暴走してんの?
全てのネコが会場に集結してミュージカルが再開するのですが、結局は新たなネコの自己紹介です。
落ちぶれた演劇俳優のよく分からない怖い話と、鉄道社畜ネコのタップダンスを見せられ、パフォーマンスが終わると悪役ネコに連れ去られるお決まり。
その後悪役ネコと愛人ネコのミュージカルが始まります。この愛人ネコはテイラー・スウィフトです。テイラー・スウィフトの曲は高校の時に友達が紹介してくれたアルバム1989に収録のwelcome to new york とblank spaceとshake it offぐらいで更新が途絶えていてあまりよく知らないので特に感動もしませんでした。ただ、悪役ネコと違い服を着てないのにあまりネコのCGに違和感を覚えませんでした。キツメの美人顔だとちょうどいいのでしょうか。とにかく悪役ネコのコンビは唯一のネコだと個人的には思います。
パフォーマンスが終わると何とジュディ・デンチが悪役ネコの超能力で連れ去られます。先に連れ去られたネコと一緒に船の上にいて、悪役ネコに天上界に行けるネコに選ぶように脅迫をされます。
そのころ舞踏会ではジュディ・デンチがいないことに気づき大騒ぎになります。そこでネコたちはマジシャンネコにマジックで瞬間移動のマジックで連れ戻すように要求してマジックをさせられます。
マジックは種と仕掛けがあるからマジックであり、勿論ジュディ・デンチを連れ戻す種も仕掛けもなく、超能力者でもないので当然連れ戻せません。連れ戻せないのにネコたちは
Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~
しかしこれはご都合主義の映画なので何故かミラクルが起きてマジックでジュディ・デンチは戻ってきて喝采を浴びます。
あくまでも個人的な意見ですが、デスノートは死神のノートだから名前を書くと死ぬ、ルフィは悪魔の実を食べたからゴム人間、キャプテンアメリカンは実験で超身体能力を得たなど、特殊能力には何かしらの最低限の根拠があるべきで、いきなり根拠もなく奇跡だけでおこるのはどうなんでしょうかね(性格悪くてごめんなさい)
戻ってきたので、天上界に行くネコを決める審査が再開され、そこに見ずぼらしい姿をしてネコが現れます。そのネコは舞踏会に行く直前で主人公ヴィクトリアが美声を聞いて励ましていたネコです。見ずぼらしいネコはミュージカルを見たことがなくても聞けばわかるであろう有名曲メモリーを皆の前で披露、見事天上界に行くネコに選ばれます。
これで終わればいいのに、ジュディ・デンチがネコ版のトリセツみたいな曲を歌いだして困惑しながら謎のエンドクレジット。ネコは話しかけてほしいけど、気高いから馴れ馴れしくしないでほしいらしい。いや意味わからないし、この曲いらないだろ。
エンドクレジットの瞬間悪夢から逃れたくてすぐ退出。テイラー・スウィフトのビューティフルゴーストは聞いてません。
総括
ネコの方も修正の無い初期版はそんなに酷いのか気になるところ。
ストーリー要素の面白みは皆無でほぼミュージカルが永遠と続く。
曲もメモリー以外はそこまで好きになれず。
ミュージカル版は面白いらしいのに映画版を微妙に感じるのはミュージカル部分がクソだからでしょうか。
目を閉じて鑑賞するといいのかもしれません。人を究極的に選ぶ映画。
全編自己紹介ミュージカルで途中気分を害する映像が流れると覚悟した上でみれば、そこまで酷評をしなくてもいいと思うが、面白いわけではない。
こんなのにお金払うならジョジョ・ラビットかパラサイトかフォードvsフェラーリを見てほしい。
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「ノルウェイの森」の登場人物「突撃隊」の(うわさ上の)性癖。
アムステルダムの運河やゴールデン・ゲート・ブリッジ、氷山の写真などで自慰行為をするとうわさされました。
このようなタイプの人が実在するかは明らかではありませんが、実在すればなかなかのレベルといえるでしょう。
「性癖なのか?」(https://anond.hatelabo.jp/20191008091645)より。
「生命の危機に瀕すると子孫を残そうとして勃起する」みたいなメカニズムの派生でしょうか。
(ただし、上記のメカニズムの説明は、近年では否定されているようです。)
「ヤギについて」(https://anond.hatelabo.jp/20180315152105)より。
「絶壁にいて落ちそうなヤギ」の画像・映像を生涯見ることのない人もいるわけです。
そうだったら増田も、自分の性癖に気づくことはなかったでしょう。
もしかしたら、ノーマルぶってる多くの人も、自分の真の性癖に巡り合ってないだけなのかもしれません。
「顔の巨大な美女に欲情する特殊な性癖」(https://anond.hatelabo.jp/20170131142756)より。
単に顔が大きいだけではダメなようなので、CMが盛んになる前の時代に生まれたら気づきにくい性癖なのではないかと思います。
ところで、この増田とニトリのCMの増田、自分で動画のリンクを貼ることについて、「必死」で「きめぇな(キメェな)」と書いてる点で共通しているのですが、たまたまなのでしょうか。
こちらの増田(https://anond.hatelabo.jp/20180408185924)より。
一見するとほのぼのとした映像なわけで、対象の「日常」度が高いのも、(反社会性・非倫理性が高いのと同様に)特殊性が高く感じられます。
もはや「棒と穴」や人体の片鱗もありません。
本人の言葉を借りれば、この辺りが「ニッチな性癖として多くの人間が認識できるライン」ギリギリかもしれません。
「俺って異端でしょ?変態でしょ??」みたいなスタンスではなく、トラバでさらっと登場しているのも良いところです。
さて、ここまで特殊性癖を見てきましたが、本当にこれらは「特殊」なのでしょうか。
動物がシャーーッとしている映像を見て喜ぶのは、おかしなことでしょうか。
身体変化を伴わない性的興奮は、食欲や自己顕示欲、庇護欲、知的好奇心が満たされた満足感と区別できるのでしょうか。
知的好奇心の名の下に、他人のオカズについてあれこれ探ったりしていること自体のほうが、よっぽど「特殊」な行為なのかもしれません。