2020-02-13

昔、従姉妹自殺した。

訃報を聞いて最初に浮かんだ言葉は、「先を越されてしまった」だった。

自殺はね、馬鹿がすることですよ」

何年目かの法事喪主の伯母の代わりに挨拶をしたのは、親族の中の代表的存在の人だった。

その一言を聞いた時、何て残酷なことを言う一族だろうと思った。

自殺なんてそんなに簡単にできることじゃないのに。

一瞬でも死ぬのが怖いと思ったら死ねない。

遺族の事を考える余裕があったら死ねない。

その思考ができなくなるだけの絶望が、彼女にはあったはずなのに、

その絶望抗うために、彼女は懸命に生きたはずなのに、

何故それを想像することができないのだろう。

何故、彼女が遺した母親の前でそんなことが言えたのだろう。

その代表言葉に誰も言及しなかったあの異質な空気が、私の頭の隅に記憶として焼き付いている。

でも、従姉妹の死に「先を越されてしまった」と思ってしまった自分も、

その残酷一族の血を色濃く継いでしまっていることに、最近気づき始めた。

表面上で良い人を取り繕っているだけで、結局は自分の事ばかりだ。

過去の失敗経験フラッシュバックするようになってから、そんなことを思うようになった。

私の無自覚が、沢山の人に迷惑をかけた。沢山の人を傷つけた。

しかし、今更性格を直したいと思っても、そんなことがすぐにできる筈もなく、

失敗を繰り返す度に自分自分の浅ましさを思い知らされる。

こんなことならさっさと死ぬべきだった。

立て続けに親族が死んだら可哀想とか、

うちの家族も、私が死んだだけでああして露骨馬鹿にされるのだろうかとか、

そんなことを考えずに、とっとと死ぬべきだった。

無自覚害悪としてのうのうと生きていける自信が、今はもうない

開き直って生きるようになる前に、一思いに死にたい

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん