北海道大学にいたころ、同級生や院生、博士研究員の女性は学問分野に差こそあれ女性学やジェンダー論に敏感で図書館で論文複写したり書籍借りたりして、何を読んだか研究室でちょっと話題にしてたりしていた。
教員の具体的な挙措や発話のどこが問題か話題になることもあった。もちろん、特定の学生の「至らない」振る舞いを問題視して、陰に陽に指導したり仲間内で話し合ったりってのもあった。学部生で何も知らない私も色々指摘されて勉強するようになった。ちゃんとできてるかはわからないけど、彼女たちのおかげで勉強する機会が得られた。
今twitterみると、この大学でのやり取りはなんだったのかと思うほど女性論の格調は低い。
ある絵がダメだという根拠や条件などを提示できない。「お気持ち」との批判を乗り越えられない。
それどころか、例えば「お気持ち」って言葉は嫌いです! みたいな本旨とはかけ離れた話を持ち出してきたりする。
それは別にしっかり語ってもいい。だが今そのことは話をしていない。そのことがtwitterという仕組みではわからない。
2週間くらい使ったら、現実世界での実践をしていた方が内外に絶対に特になると気づきそうなものだが、それがわからないのだ。
なぜだろうか。
こんなとこにきてインテリ気取ってるお前も同じだよ…