はてなキーワード: 暮らしとは
そんな荻上チキさんの不倫が明らかになったのは、『荻上チキ Session22』で自らが不倫の事実を告白したことによって、でした。といっても良心の呵責から告白したのではなく、翌日発売の週刊誌『習慣文春』にて、不倫騒動がすっぱぬかれていることを知り、早めに事実を認めた方が得策だと判断したことによっての告白でした。
荻上チキさんには専業主婦の妻とふたりの子供がいるのですが、2015年に、自身が主催する勉強会で20代の女性と知り合い、不倫関係に発展していったといいます。端的にいうなれば、ファンに手を出した、ということになります。
荻上チキさん自身の語る不倫の流れはこうです。荻上チキさんが勉強会で20代女性と知り合い好意を持つ→ほかの女性を好きになってしまったから離婚したいと妻に打ち明ける→離婚協議を続けるなかで別居することになる→しばらく時間がたったのち、20代女性と交際することになり、一緒に暮らし始める→しかし、離婚協議を続けるなかで、離婚したら子供や長年連れ添った妻を傷つけることになると葛藤する→20代女性との関係を解消する。現在は妻と関係修復中。
自分はあくまでも妻に誠実に気持ちを告白し、離婚しようと打ち明けてから不倫相手の女性と関係を持った、というのですが、この弁を信じる人がどのくらいいるでしょうか? 実際、妻との同居を続けながら不倫関係になり、その後別居にいたった、と考える方が自然でしょう。
荻上チキさんの語った不倫や別居までの流れがどこまで真実かわかりません。「妻子がありながら不倫をした」「本宅近くに別宅を借りて、そこで愛人と生活していた」ということのみが、はっきりとした事実です。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
両親の感覚では家の仕事を行うことパソコンでやる仕事は労働に含まれないらしいから俺は家庭内では無職でカーストが一番低い
なので(外で働いて)自立しろ(無職のお前なんかいなくても)どうにかなると家の仕事を「手伝わせる」ことについては矛盾しない
働けど働けど我が暮らし楽にならずというが、働けど働けど扱いが変わらないのもなかなか辛い。たまにいく日雇いのバイトのほうがまだ人として尊重される
残業代とか裁量労働とかそういう概念がない、というか家族間の話なのでそもそもまともな雇用契約を結んでいないので給料の概念もない。
小遣いは貰ってるから毎月定額なので朝だろうが夜だろうが必要なら呼び出されるし、前日に「明日変わりに行ってくれ」と言われ日曜の朝に出勤するならまだマシ、下手したら一週間前に決められたシフトが前日夜になって連絡相談無しで変更され朝呼び出されるとかいう世界である
20になって数ヶ月が経った頃、まだ実家暮らしだった僕は池袋の水族館に行くために前日
料金は7000円
思ったよりも部屋は広くて、ベッドも大きくてふかふかだった。そんで寝転がって、テレビとか見てたわけだけど、風呂入んなきゃなと思い
仕方なく嫌だけどシャワー使った
ほんとに静かだった。いや、外からの声は聞こえるんだけど、こう家族の声が全くしないわけで
「そうだよな、自分ひとりだもん」ってまた
ベッドに寝転がる。で、いつもと同じく寝る前にゲームして、歯磨きして寝ようと思ったけれど
眠れないなぜか、怖いというわけではない
窓の外には知らない人が歩いてて、知らない店の灯りがギラギラ照らしていた。
ベッドは知らないにおいがした
そうして、眠れないので水族館のチケットを眺めていたけど静寂に耐えられず
毛布にくるまって無理やり寝た
で、翌朝誰に起こされることもなく起きたら
まだ朝4時で、窓の外には知らない人が散歩して
知らない朝の光が街を照らしていた
僕は食べ忘れていた弁当のおにぎりを一個、食べてそのまま寝ようかと思ったけれど
虫歯になりたくないから歯磨きして、結局眠れなくて朝食の時間までゲームしてた
雨なら少しはマシだったかもね
手取りと同等額の様々な引き落とし額でした。
遠距離なので前回のお泊まり(1月上旬)の時に預けておいた数万円がこうも早く使われることになるとは。
このまま預けて使われ続けるのも嫌なので、結婚もまだだしやりくり数ヶ月できてると思ってたので生活で使っているお金に干渉しないで居たけれど、首を突っ込まざるを得なくなりました。
預けている額はそんなに多くないけども。
僕はできるだけ節約する術を考え、最終的な行動は🐅に任せて、色々記録したい。
2023年に帰化したばかりで血筋は純外国人のモデルやってるだけの女がミス日本になっちゃう我が国ってなんなの
金髪碧眼の白人であり、美貌を持ちつつ「強い女」「戦う女」である
Caressa Cameronのように黒人がミス・アメリカになった例もある
それはそれで「アメリカらしさ」がある
2014年はミスのNina Davuluriはインド系、準ミスの李万晴は中国系である
金髪碧眼はアメリカらしいし黒人もアメリカらしいしアジア系でもアメリカらしい
多民族国家はなんでもらしさになる
5歳から日本で暮らし、両親離婚後に母親が再婚した相手は日本人なので、本人のアイデンティティは日本にあるのだろうけど
剣道や柔道で段持ってるとか、「白人の美貌」を活かしたモデル業以外にも「日本っぽい」技能があればホルホルできるんだが
背景に持つ「物語」が弱い
https://www.pen-online.jp/article/015094.html
マディソン・マーシュ(22歳)は米空軍の少尉だ。パイロットの免許を取り、宇宙飛行士になるという夢を抱きながら、4年前に士官候補生として米空軍士官学校に入学した。現在は、名門ハーバード大学ケネディスクールで公共政策についての研究も行っている。
そんな彼女は、2023年5月にコロラド州でミス・コロラドに選ばれ、「ミス・アメリカ」の出場権を手にした。「ミス・アメリカ」に現役の米軍隊員が出場するのは初めてのことだ。そして現地時間1月14日、フロリダ州オーランドで開催された「ミス・アメリカ」で見事優勝したのだ。
https://madamefigaro.jp/society-business/240114-miss-america.html
彼女の考えでは、軍隊とミスアメリカ組織の間には、「地域社会への奉仕の重要性」を強調するなど、共通の価値観が存在するからだ。その一方で、人々とのつながりを築き、優れたリーダーになるために、「輝かしい履歴書を用意すること」と「人前で話す方法を知ること」も重要である。彼女はまた、ミスであっても筋肉質になれることを示すことで、「先入観や固定観念」を払拭するつもりだ。彼女はまた、女性がスポーツを始めるきっかけになり、多くの若い女の子たちがパイロットや宇宙飛行士になるきっかけになることを望んでいる。
自分には夢がありました。その夢を叶えるために、様々な苦しい状況でも歯を食いしばり努力を重ね、困難を乗り越えてきました。自分の横にはほとんど常に彼女がいました。時に彼女が自分を支えてくれ、時に自分が彼女の支えとなり、お互いに励まし合いながら今日まで歩んできました。
しかし、いくら努力をしたところで夢とは叶いにくいものです。それは叶えるよりも、追い求めるものなのだと思います。夢を叶える上で問題となるのは、お金と時間です。夢のために給料が支払われない仕事もよろこんで引き受け、深夜3時まで作業をし、朝は7時に起きなければなりません。休日は自己研鑽に使わなければならないため、彼女の相手をまともにすることもままなりません。生きていくためには必要なので、足りないお金は別のしかたで稼がなければなりません。そんな日々の繰り返しを、自分は次第に馬鹿馬鹿しいものだと思うようになってきました。そしてあるとき、もう心がぽきっと音を立て折れてしまい、自分には夢を追い求めることより、彼女とふつうの暮らし(まともな収入があり、休日を休日として過ごせる暮らし)を営むことのほうが望ましいと思うようになりました。
そして、給料がしっかり支払われる別の仕事を見つけたのでした。これで生活のゆとりを奪い、四六時中つきまとう夢を打ち砕けると自分は喜びました。
さて、働く意志を彼女に見せたところ、はたして彼女はみるみるうちに頬を赤らめ、口調は徐々に怒りを帯びてゆきました。曰く、思っていたのと違うとのことでした。どうも、自分が夢を叶えると思ってついてきたにもかかわらず、その夢を捨てるとは何事かと腹を立てているようでした。
自分には彼女の怒りがわかるようでわかりませんでした。たしかに、夢の追求から離れる自分は彼女の思惑を裏切ったのかもしれません。しかし、それによって得られるふつうの暮らしは、それほど嫌悪されるものなのでしょうか。週に5日働き2日は休む規則的な生活ならば、趣味に費やす時間も新しい取り組みを始める時間も十分にあります。一方でもし夢を捨てぬなら、これから何十年も、目をこすりながら夜遅くまで作業をし、休日もろくに一緒に過ごせず、自分のために時間を使い続けなければなりません。だとすれば、当初の目論見とは違えど、ふつうの生活を目指すというのがまともなのだと自分は思います。
彼女はそう思わないようです。夢を負い続ける売れないシンガーソングライターが好きで、彼が現実に戻ろうとするのを阻もうとしてきます。
自分は夢を追い続けなければならないのでしょうか。自分で決めていたはずの夢が、自分の手を離れ、もはや自分ものでなくなっていて、自分の想像力や理想でさえも他者に支配されているかのような感覚です。
えたいの知れない不吉な塊が私の腹を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――飯を食ったあとに宿酔があるように、飯を毎日食っていると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した裂肛や神経衰弱がいけないのではない。また胃を焼くような粗餐などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は厠から厠を浮浪し続けていた。
(中略)
ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿の雪隠を転々として暮らしていたのだが――不浄が大壺へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして厠から厠へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち留まったり、乾物屋の乾蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた。ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな厠であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の香しさが最も露骨に感ぜられた。(中略)
その日私はいつになくその店で弄便をした。というのはその店で麗しい”檸檬”が出たのだ。(中略)いったい私はあの”檸檬”が好きだ。オリーブブラウンの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つかみだけ拾うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の腹を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。(中略)
私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというインテスティンが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。……
実際あんな単純な温覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街をした詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量ったり、またこんなことを思ったり、
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての旨いものすべての美味しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。
どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日は一つ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。
(中略)
「あ、そうだそうだ」その時私は腹の中の”檸檬”を憶い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この”檸檬”で試してみたら。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な樋箱が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その樋箱の底に恐る恐る”檸檬”を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見下ろすと、その”檸檬”の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、プーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その”檸檬”の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
私は変にくすぐったい気持がした。「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。
変にくすぐったい気持が街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄土色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
https://www.jprime.jp/articles/-/30124?page=2
「ブルゾンちえみ」として求められていた役割や仕事内容、きっとこれからいただくであろうお仕事が、本来の私、藤原史織との間に大きな乖離があった》と答えている。
「藤原さんとしては、当時の仕事に不満があった。バラエティー番組のロケ以外にも、いろいろな仕事をしたいと思っていたようです。“ブルゾン”と本人との乖離に悩み、最終的に芸人の引退を決めました。しかし、事務所としては人気絶頂での退社ですから、恩を仇で返されたとの思いがあったのでしょう。弁護士を立てた話し合いの末、独立するなら芸名を使用しないこと、活動再開まで1年間の休業期間を設けることが条件として出されたようです」(ワイドショーデスク、以下同)
2020年4月からはイタリアへの留学を予定していた藤原だったが、新型コロナウイルスが蔓延し、頓挫。
2021年4月になって、地上波のバラエティー番組にゲストとして出演している。
「番組では“パンをこねる、丁寧な暮らしをしている”と明かしていました。1年という休業期間で、たいぶリフレッシュできたようです。同時期には、藤原さんがナビゲーターを務めるラジオ番組もスタート。社会貢献活動をしていきたいとする藤原さんの希望に合う、真面目な番組です。復帰は順調に見えましたのですが……」
しかし、2023年3月、藤原は自身のYouTube、Instagram、XといったSNSアカウントをすべて閉鎖した。
「その理由を明かした動画では《自分が大切にしたいことを、ちゃんと守って、生きたい》というメッセージが書かれていました。ラジオ番組のナビゲーターも、9月で卒業しています」
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
うちの周辺は通える大学がないから、頭が良くても進学意欲があっても家庭の事情があるとどこにも行けない
車で通える範囲でのパートか、下手したら親の年金で家の田畑の世話をしながら親が死ぬまで介護暮らしで、親の仕事には歳をとった就業経験のない無職中年ができあがる
そんな奴が知り合いだけで3人いる
田舎には戻りたくない
彼女と彼女の娘と俺の3人で数年間一緒に暮らしてたんだけど、彼女の娘に反抗期が来たあたりから一緒に暮らすことが難しくなって、同棲を一旦止めることになった。←これが半年前
その後も別れたわけではないので、彼女と世間話だったりデートの約束だったりをずっと続けていたんだけど、昨日になって「娘に手を出した男と付き合っていたことが信じられない、二度と連絡してこないでください」ってメッセージが届いた。
勿論そんなことはしていないから弁解しようとしたけれど、その後は連絡しても一切音信不通に。
別れる別れないは男女の仲だし良くあることだけど、長い間付き合っていて事実無根の嘘で最後を迎えることになるとは思わなかった。
桐島の死に逃げいいなあ
本人のやったことはドア爆破だけで死人ゼロだからさっさと捕まって10年程度で出てきたほうが楽だったんだろうにな
名乗った時はスカっとしてスカッとしながら死んでいったのかな
スカッと感のためだけに長い時を生きてきたのか?
「竜の子」と契約してしまい、やがて人間をやめて竜の子と融合して永遠に生きる存在「成竜」となる代わりに、それまでは超能力使いまくれるみたいな世界観
直角は能力を使って核兵器を全世界にボンボン落としまくり国内では富士山にも落とし大惨事
主人公が直角を止めに彼の元へたどり着いたら、ガリガリに痩せた状態で座り込んでいた
直角はそれまで厨二病のような思想論を長文で垂れ流し仲間をつくり啓蒙していたが
「僕には思想なんてない。一番嫌いなのは自分なんだ。竜になるのも願い下げだ」と言い残し唐突死
同行者によれば直角はもう何日も水さえ口にしておらず、餓死だった
「あんたそりゃないでしょ」と主人公が掴みかかるも、もう死んでいる直角相手ではなにも意味がない
死に逃げ、いいよなあ
同棲→結婚して全部で9年くらい一緒に暮らしているが最初の5年くらいは家事の分担でよく揉めた 今は仲良く暮らしているよ もう少ししたらいい具合の落とし所が見つかるかもしれないよ
ふと見てみたらすごいことに…こんなにコメントもらうとは思わなかった。文章とっ散らかっててすみません。納得するところも初めて気づいたところもありで、思ったより簡単な話じゃなかったようなかえってシンプルでもあるような、やっぱり悩んでます。これを踏まえて少し踏み込んでみたので話し合った内容をちょっとまとめてみる。
①現時点での俺や俺実家の考えは?
→子供なしの二人暮らしで結婚したいと思ってる。事実婚でも構わないんだろうけど、せっかくなら結婚したいなというのが俺の希望。俺の周りは結婚してる友人が多いが地元にいる友達はほぼ子持ち、近くのやつはほぼ子供なし。俺の親については子供好きだけど姉が2人・孫4人いるので足りてる気がするし、彼女のことはかなり気に入ってると思うが遠距離なのでそもそも会う機会はほぼない(故に望む・望まないに関わらずサポートは見込めない)。
→直接聞いてるわけではないけど彼女の両親は孫に夢ありそう。これまでも彼女は親に知り合いの子供の話をされて反応に困ると言ってた。かなりしっかりしたタイプのご両親なので俺は近くに住んで助けてもらうのもアリでは?と思ってたけど、彼女の反応からしてある程度距離を保ちたいだろうなという感じ。
コメント見て、あーこれは絶対彼女が思ってることだなと思った。正直子供についてちゃんと考えたことなくて、子育てするビジョンは皆無だった。気がついたら子供がいて家が立ってて、という。子持ちの友達から子供可愛いけどお金の苦労がね、みたいな話を聞いてからうわ、みんなもうそんな歳?と気づいた感じ。はっきり言ってそのくらいの「欲しさ」しかなかったし、子供とどうこうしたいみたいな夢もない。子供にこだわらず彼女とずっと暮らしていく方を選びたいし彼女の希望がなければ覆らないと思う。かなり見通しが甘いなとも思うけど。
→色々な理由がなかったらどうなんだろう?と思ったので聞いてみた。彼女はだいぶ悩んでいる様子で、まとめると「元々子供好きじゃないから“子供のいる未来”を望んではいない、でもそれとこれとは別で産むのが当然。“子供を産んで一人前”という考え方に異論はあるし世間は違うだろうが、私は旧体制に準ずるべき」みたいな考えがあるみたいだった。メリットがないって感じ?と聞いたらちょっとニュアンスが違う、「古い一般論として子供は産むべきでそうするつもりだが個人的には要らない、なので可能な限り先延ばしにして有耶無耶にしたい」という感じだった。
→③の話をしている中でつまり将来的には子供を産みたいのかな?と思ったので深掘りしたところ、子供を産んだら不満は飲み込んで「いいお母さん」になるつもりはある。でもあわよくば適齢期をやり過ごしてその後不妊などで逃げ切り完了、が本当は理想と話してくれた。話した感じだと「子供は要らない、持ちたくない」という自分に対する罪悪感みたいなものが大きい気がした。俺の決断だったら支持できるのかな?と聞いてみたら「社会規範から離れることが問題だからそれはないよ」とのこと。
彼女は俺より決断力のある人なのでここまで悩んでいる様子を初めて見た気がする。煮え切らなくてごめんね、と言われたのでそれは俺のせいだし人生かかってる話だからすぐには決められないよと言った。なるべく彼女の負担を減らしたいと考えたんだけど、これが合ってるかはわからんね…。俺が決めて話した方が楽なのかもしれない。
俺にとって彼女がいうんならそれが正しいし、でも別れるって話になると別だよなという感じ。自分の頭で考えなきゃいけない(そしてそれを彼女に伝えなければいけない)ことだと思うので、もう少し悩んでみようと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html
ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。
備蓄がすぐに尽きて、初期は数百人の避難者に対して水がもう2リットルペットボトル1本という状況にまでなっていたが、
「な」は震災以前はそれほど頻繁にはTwitterを更新していなかったが、顔写真など載せていた
クリスマスの時にケーキを食べてDiorのなにかをもらったと載せていた写真と、
震災後の1月2日に食べたわずかなスープと小さなおにぎりの避難所メシのギャップが話題となった
「な」は能登の外に進学し福祉を学んでいる大学生だが、避難所の8割が高齢者のため、介護をするため二次避難をしないでいた
・Diorはパパ活をしてパパからもらったものではないか、避難所に居座るのは高齢者相手にパパ活するため
・物が集まらない避難所も多数あるのに鵜川避難所には集まり過ぎだ ここで堰き止めているのか
・良い物資だけを奪い、しょぼいものだけ他の避難所に流している
また、「な」が過去に喫煙について触れているのを「未成年喫煙だ」と拡散した
実際には喫煙を試したというのは「な」が成人してからの時期である
外野が酷いことを言うなと怒り通報すると言ったことで中傷者らはツイ消しや垢消しをしたが、「な」は本日でツイートをもうしないと宣言した