はてなキーワード: ミクロとは
amazonで少し前に買ったものがちょっと見過ごせないレベルで値下げしてた。未開封だったんで返品してまた書い直した。
一度来たものを送り返して、再び同じものが送られてくる事でおれがちょっと得をする。非常に無駄な手続きだと思う。こんな事してるから輸送インフラがカツカツになるんだろうな。
これだったらもうネット上のボタン一押しで差額分くれたら良いのにねって思う。それだけ聞けば理不尽クレーマーめいてるけど、結局一手間かける事でそれが可能なんだから。
まあAmazon側としては客がそれを面倒臭がったり、ケチ臭いみたいなプライドから発想を持たない、実行に移さない事に期待してその一手間を挟んでるのかもしれんけど。
にしたって対応に期限を設けるだとか、サブスク解約よろしく手続きのページを分かり辛い場所に置くとか、やりようはありそうなのに。
勿体ないじゃんね。「無」の輸送をするの。
Amazonも商売だから値下げ分取り返す手続きのハードルを高くしたい。おれも金は無限に持ってないから得できるなら得したい。結局無駄な輸送エネルギーが費やされる。
イクメンパパによる育児語りが雨後の筍のごとくニョキニョキしてる最近の増田。
でもさー、みーんな育児の話はしてるけどさー、男性としては「それであなた、出世はしましたか?」みたいな話も気になるじゃん。気にならない?そのへんどうなのって。
男性としてはって言っちゃったけど、別に男性に限らずだけどね。大黒柱が育児にコミットしたときの、キャリアの継続性はどうなりましたか?って話。
いや別に出世にはこだわらないし、というのは個々人のミクロな話であれば、全然構わないんだけどさ。
社会全体として、育児は妻と祖父母に任せる、自分はバリバリ働く、妻もそれで納得している、という男と、イクメンとで、キャリアに差がついてしまったらとても残念だよね(偉い人たち、裁量権のある人たちが非イクメンで固まる、そのようにならなければ出世できないとなる)。
超絶ホワイト企業やフリーランスのリモートワーカーの話もいいけど、普通のサラリーマンがイクメンやったときのキャリアの話も聞いてみたいよ。
論争のまとめ、ありがたいです。おかげで自分なりに理解ができました。
文系学問(特に文学や社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロな作品や人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品や人間がもつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単に差別につながる。「この時代に生まれた人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品や人間を評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。
これは本当にそう。
「中世の秋」を思い出しました。「暗黒時代」というレッテルをはられた中世をその時代に生きた人々の視線から問い直したホイジンガの論考。
太田出版のWebマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。
私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。
映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載
①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった
②自分はアメリカン・ニュー・シネマが好きではない
③60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ(英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった
④ニュー・ハリウッドは反体制的な要素と、あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴として挙げられる
⑤アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流
北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨とみえる。
①「あからさまな暴力やセックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている
②アメリカン・ニューシネマはフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー
③アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない
④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える
⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリー
⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評的カテゴリー自体が差別的
須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかりやすくまとまっている
①New Hollywoodの特徴のひとつにセックスと暴力があげられるのは当たり前
②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている
例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリーを自分で見て「このカテゴリーには黒人映画や女性主人公の映画が入ってないから差別的」だと言っている
と述べているが、これは明らかに違っていて、
北村氏がいうように、
決めたのは私じゃなくて今までの批評家
つまり、北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ。
ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズそのものに反発している。
北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張である「そもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的なカテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しかも知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である。
(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)
「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的なカテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。
と言っており、
北村氏は
という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象の範囲が違うようだ。
須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーそのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーそのものであると同時に、カテゴリーに含まれる作品群も含まれると私は解釈した。
須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。
60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力やセックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。
これに対して須藤氏は、
だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動の実態がないものに運動の責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。
「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評的カテゴリー自体が差別的
この点、北村氏も、
>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性を主人公にした物語が代表作として受容され、研究も白人男性の監督だけを対象としてきたことはいたるところで指摘されています<<
と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があることは認識しているように見える。
つまり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズに問題があるという点では、共通の認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネマ解釈は一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。
しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーそのものに問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリ・サスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究も白人男性の監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。
なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動の実態がないものに運動の責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。
『ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性・白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメな作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)
文系学問(特に文学や社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロな作品や人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品や人間がもつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単に差別につながる。「この時代に生まれた人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品や人間を評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。
少なくとも発端となった連載は素人が映画をより深く鑑賞する視点を提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点と須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。
たとえば北村紗衣氏がいうように、
というところが、「ダーティ・ハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティ・ハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。
そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代のアメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから
ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。
serio フェミニストはありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットでキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。
→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画の感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象をフェミニスト的視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている
hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな
→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性をさらけ出しているのがキモい
jassmaz 文学理論や批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的である。87年出版のアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』を読もう。
→「この時代にアメリカの価値観を完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは
tokuniimihanai あちらの記事は批判相手の職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる
takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間が大量発生するのが歪み
→態度を保留するって、どういう立場?後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい
ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ
→そもそも商業媒体とブログの応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。
二人に対するクソブコメの数々は
権威主義的で映画そのものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わずに他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能群
米国株本を年代順に並べてみた。書名に「米国株」「アメリカ株」(「米国投信」)が含まれているものに限ったが、葉山櫂「外国株投資入門」(1997年)はパイオニア的な本なので含めた。電子書籍は除いたが、Panさんのものは含めている。
【1990年代】(6冊)
外国株投資入門: リッチマンへのバイパス (実日ビジネス) – 1997/7/1葉山櫂 (著)
1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資 : インターネットで始めよう! 荒井拓也 著 NTT出版 1998
インターネットを使った株式投資 : あなたは日本株,それとも米国株 大和総研 監修,大村岳雄, 野口祥吾 著 中央経済社 1999 (CK books)
1,000ドルからアメリカ株式投資 : 徹底編 Coca-ColaからYahoo!まで 荒井拓也 著 NTT出版 1999
アメリカ株急落、日本株急騰する日 : なぜ日本が再び復活し、アメリカは沈むか 藤井厳喜 著 日新報道 1999
デイ・トレード入門: インターネットインフラがもたらした究極の投資法 米国株式投資 (WEBビジネスシリーズ) – 1999/11/1中谷 恒敏 (著)
【2000年代】(9冊)
Nasdaq100社の徹底研究 : 米国株式投資10倍株の宝庫 荒井拓也 著 講談社 2000
オンライントレード入門 : ダイレクトアクセストレードに対応する : 米国株式投資 西郷一輝 著 ソシム 2000 (Webビジネスシリーズ)
日本語だけでできるアメリカ株 : これが銘柄の全注文状況を把握できるリアルタイムトレードだ! 櫻井貴志 著 アスカ・エフ・プロダクツ 2000 (CD book)
投機バブル根拠なき熱狂 : アメリカ株式市場、暴落の必然 ロバート・J.シラー 著,植草一秀 監訳,沢崎冬日 訳 ダイヤモンド社 2001
決定版 1000ドルから本気でやるアメリカ株式投資―長期資産形成!いま、原点からの戦略
米国株夜間トレードで儲ける方法 : 日本語だけで買える 宝島社 2004 (別冊宝島 ; 1034号)
米国株で面白いほど儲ける本 : ネットで始める英語力不要の米国株投資入門 米国株トレードを楽しむ会 編 中経出版 2004
原油高騰でザクザク儲かる米国株を狙え! スティーブン・リーブ, ドナ・リーブ 著,盛岩外四 監訳 ランダムハウス講談社 2005
アメリカ株投資完全マニュアル 基礎知識&口座開設編 麻生稔 著 パンローリング 2006 (本気の海外投資シリーズ ; 3)
【2010年代】(8冊)
アメリカ株 長期投資入門―2022年にNYダウは4万ドルへ上昇する 2010/6/18中丸友一郎 (著)
2011年はドルと米国株で儲けなさい : アメリカ経済大復活! 中丸友一郎/著 徳間書店 2010
日本人が知らなかった海外投資 米国株 アメリカをゲートウェイに世界中の成長市場に賭ける(ソフトカバー) 2012/1/12戸松信博 (著)
世界のマーケットで戦ってきた僕が米国株を勧めるこれだけの理由 松本大 著,マネックス証券株式会社 監修 東洋経済新報社 2013
米国株は3倍になる! : 日本株も上昇に転じた2018年投資戦略 江守哲 著 ビジネス社 2017
バカでも稼げる 「米国株」高配当投資(ソフトカバー) – 2018/4/28バフェット太郎 (著), はるたけめぐみ (イラスト)
お金が増える 米国株超楽ちん投資術 – 2019/10/18たぱぞう (著)
40代で資産1億円! 寝ながら稼げるグータラ投資術~初心者でもできる、はじめての「米国株」投資(ソフトカバー) – 2019/10/19たぱぞう (著), アゲオカ (イラスト)
【2020年】(5冊)
バリュー投資家のための「米国株」データ分析―ひと握りの優良株が割安になるときの見分け方(ソフトカバー)– 2020/1/25ひろめ (著)
世界一やさしい 米国株の教科書 1年生 – 2020/6/2はちどう (著)
金を買え 米国株バブル経済終わりの始まり – 2020/7/22江守哲 (著)
もみあげ流 米国株投資講座 – 2020/10/17もみあげ (著)
今こそチャンス! 資産を増やす米国株投資入門(ソフトカバー)– 2020/12/3岡元兵八郎 (著)
超ど素人がはじめる米国株(ソフトカバー)2021/1/18 20代怠け者(上本敏雅) 著 翔泳社
No.1ストラテジストが教える米国株投資の儲け方と発想法 = ADVANTAGES ASSOCIATED WITH LONG-TERM INVESTMENTS IN US STOCKS菊地正俊 著 日本実業出版社 2021/1/26
はじめての米国株入門 : はじめ方から勝利のコツまでオールカラーでやさしく解説! 2021/2/2岸泰裕 著 成美堂出版
英語力・知識ゼロから始める!エル式米国株投資で1億円 = START FROM ZERO AND BECOME A MILLIONAIRE WITH US STOCKSエル 著 ダイヤモンド社 2021/2/10
増える! りんり式米国株投資術2021-03-16 (TJMOOK)りんり 監修 宝島社
経済的自由をこの手に! 米国株で始める 100万円からのセミリタイア投資術 2021/6/23たぱぞう (著)
図解でよくわかるたぱぞう式米国株投資 : 目指せ!資産1憶円! 2021/6/29たぱぞう(著)きずな出版
ど素人でも稼げる! まんがと図解で超カンタン 1億円をつくる米国株投資 2021/7/5エル (著), とも (著), 配当くん (著), はちどう (著), もみあげ (著), NUK (著), PAN (著)
【完全ガイドシリーズ325】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) 2021/7/14晋遊舎 (著)
米国株 S&P500インデックス投資 2021/8/10堀越陽介 (著)
10万円以下からはじめる! 米国株超入門 (TJMOOK) 2021/9/13竹内弘樹 (監修)
今日から始める! 米国株投資超入門: 松本大がやっぱり勧めるこれだけの理由 2021/10/8松本大 (著)
世界一やさしい 米国ETFの教科書 1年生 単行本 2021/11/19 橘ハル (著)
2022年度決定版! ゼロから始める 米国株投資入門 雑誌 2021/11/27たぱぞう (監修)
いちばんカンタン! 米国株の超入門書(ソフトカバー) 2021/12/4安恒 理 (著)
33歳で年収300万円台でも 米国株投資で爆速1億円 まーしー(著) 2021/12/8
80分でマスター! [ガチ速]米国株入門(ソフトカバー) 2021/12/17 金川顕教 (著)
【2022年】(13冊)
株探 最強投資術 米国株編 FIREの達人が伝授! ほったらかしで1億円を作る! 2022/1/21 カロリーナ (著), たぱぞう (著), ふくと (著), まーしー (著), PAN (著)
めざせ1億円!米国株投資超入門 (COSMIC MOOK) 2022/2/21宮原晴美 (著)
米国株チャート最強の教科書(ソフトカバー)2022/2/23鎌田傳 (著)
米国株 長き宴の終わり 単行本(ソフトカバー)2022/3/1若林栄四 (著)
2022年版 米国株の稼ぎ技196 (SIB) 2022/5/2ループスプロダクション (著, 編集), 松田遼司 (著), 伊藤亮太 (著), 伊藤キイチ (イラスト), たぱぞう (その他)
知識ゼロからの米国株投資入門 2022/5/11岡元兵八郎 (監修)
米国株なんて買うな! インデックス投資も今はやめとけ! グローバル割安株投資(ソフトカバー)2022/5/21日野秀規 (著)
たぱぞう式 米国株お宝銘柄投資 たぱぞう 2022/7/15
【完全ガイドシリーズ355】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ)晋遊舎 2022/7/21
月20万円の不労所得を手に入れる! おけいどん式ほったらかし米国ETF入門 桶井道 2022/8/12
めざせ「億り人」!マンガでわかる最強の米国株入門 安恒理2022/9/14
月3万円で3408万円の超安心資産をつくる! 毎月5分のシン・米国株投資術 レイチェル 2022/10/3
米国株「レバナス」投資 月1万円の積み立てから狙う“悪魔的リターン” 風丸 2022/10/28
リアルガチ!3倍になる米国個別株の見つけ方 月収30万円ボーナスなしサラリーマンでも2.6億円つくった方法 チョコ (著) 2023/1/26
ほったらかし投資FIRE 手間なく7年で早期リタイアする「米国株」高配当再投資法 単行本(ソフトカバー)ゆうパパ (著) 2023/2/2
【完全ガイドシリーズ372】米国株完全ガイド (100%ムックシリーズ) – 2023/7/26晋遊舎 (著)
世界一わかりやすい「米国株投資」の教科書 ~ゼロからわかる新NISA活用法~PAN | 2023/10/23Kindle版 (電子書籍)
最強の米国株2024 for Beginners (パワームック)大洋図書、もみあげ | 2023/12/18
負けない米国株投資術 米ヘッジファンドの勝ち方で資産を増やす!まりーさん | KADOKAWA (2024/3/1)
新NISAではじめる 米国株投資 – 2024/6/10岸泰裕 (著)
米国株大全 2024-2025 NASDAQ100&配当王スペシャル (パワームック) – 2024/7/16大洋図書 (その他)
新NISA&米国投信かんたんスタートガイド (100%ムックシリーズ) – 2024/7/24晋遊舎 (著)
注釈をつけだすと切りがないので、いくつか注釈するにとどめる。
葉山櫂「外国株投資入門: リッチマンへのバイパス」(1997年)が、たぶん米国株本のトップバッターである。外国株投資入門を謳っているものの、ほぼ米国株についてしか書かれていない。著者略歴には「1958年、横浜出身。1981年、上智大学法学部卒業後、大手タイヤ・メーカーに勤務。西はパキスタンから、南はインドネシアまで、ほぼアジア全域を行脚。85年より中国専門担当になり、香港を拠点にマーケティング活動、87年帰国。88年より大手証券会社に転職、同年より93年まで再び香港駐在(通算、7年半の香港駐在)、帰国後、東京本社で外国株式を専門に分析・プロモート開始。現在に至る。」とある。この本の他に「精霊たちの夏」という小説を1994年に刊行している。この二冊の本を刊行してからの消息は分からない。
この頃はなかなか米国株を買うのは難しかったようである。もちろん、東証に上場している企業の株は買えたのであるが、それ以外を買うには、日本の証券会社は取り次いでくれないので、現地の証券会社に口座を作らなければならなかったようである。東証でアップルは買えたが、マイクロソフトは買えなかったらしい。
ツイッターでは、同書は十年に一度くらい言及されているようである。
ki-iphone@kiiphone:「@furontorsan 尊敬します。マクロとか、ミクロとか、よく分からんです。「外国株投資入門 - リッチマンへのバイパス」葉山櫂 もお勧めです。私のバイブル。分かりやすい。絶版だと思うので、アマゾンのマーケットプレイスか。これを参考に投資して私は120cm水槽を買いました。」(2010年1月26日)
KazooJr.@kazooJr:「相場は大荒れ、おっさんには手が出ないので、だって反射神経が若者と段違い。/初めて買った株の本、外国株投資入門、葉山 櫂著を引っ張り出して読んでいる。/1997年発行の古い本だが、中身は古くなっていないのに驚く。」(2020年3月20日)
「中身は古くなっていない」というのはその通りであろう。これは日本もアメリカも変わっていないからである。同書には、アメリカは開放的で、あらゆる人種の人がしのぎを削っているが、日本は閉鎖的であり、ハイテクのような新しい産業でアメリカに敵うわけがない。日本はこれから没落していき、長期的には円安傾向になるであろうといったことが書かれているが、当たっていた。円安傾向はアベノミクスから始まるとはいえ、成長産業がないので、遅かれ早かれそうなっていたはずである。この本が出たのは1997年であるが、この年は、山一証券や拓銀が潰れて、危機的な経済状況に突入した年であり、そういう年に米国株本というジャンルが産声を上げたというのは象徴的である。
しかし、葉山櫂「外国株投資入門」はほとんど知られていないようである。むしろこの頃の米国株本を牽引したのは荒井拓也である。荒井氏の「1,000ドルから本気でやるアメリカ株式投資」(1998年)はそれなりに売れたようで、それから何冊も米国株本を出している。しかし、アメリカはITバブルであり、ここで買っていれば損をしたのかもしれない。
この頃はインターネット草創期でもあり、ネットで株が売買できるようになった(1998年に松井証券が始めたらしい)。しかし、ネットで行われていたのは米国株の売買というより、FXなどのデイトレードであろう。迷惑系ユーチューバーの煉獄コロアキも、デイトレードで稼ぎ、3億くらい資産があったこともあった(誰にでもできることではない)。しかし、勝ち続けるのは難しく、現在では借金が1億くらいあるらしい。
ITバブル崩壊から立ち直った途端にリーマンショックが襲った。ここで買っていれば儲かったのであるが、買おうと思えるような状況ではなかったことも事実である。そんな中、2010年に中丸友一郎は2冊の米国株本を出しているが、これは今から見れば大当たりである。中丸氏はウィキペディアにもページがあり、世界銀行エコノミストなどを歴任し、2004年から2021年にかけて28冊の本を出している(ウィキペディアの著書一覧は2017年までしか書かれていない)。発売当時のツイートに次のようなものがある。
たり@talisman1975:「2011年はドルと米国株で儲けなさい:中丸友一郎 支店長にもらった本。浅井隆みたいなのかと思ってたけど、ものすごく Permalink | 記事への反応(0) | 09:48
かつて2週間ほどやってみた。なんで2週間かっていうと、1ヶ月やろうとしたけど露骨にパフォーマンスが落ちたから中止した。
料理好きなので精進料理的な技術を身に着けたかったのと、ヴィーガン食での栄養バランスの取り方の勉強のため。アニマルライツには毛ほどしか興味がないし、デリダも読んでない。
まずマクロ栄養素的に、タンパク質を確保するところから始まる。豆腐はヴィーガン食だけど、豆腐なんて食ってる場合じゃない。もっと栄養密度の高いものを食わないとタンパク質が足りない。大豆食品なら納豆、煮豆が優先。ソイプロテインも活用すべし。脂質はアボカドもオリーブオイルもあるからなんとかなる。糖質は当然余裕。
ミクロを考えると、ビタミンB12は一旦置いておく、無理なもんは無理なので、海苔を積極的に食うことで解決したフリをする。ビタミンDはキノコを食うことにする。カルシウムも海苔だ。
以上を総合すると、大量の豆類と大量の海苔とそこそこのキノコが一定となって、あとのマクロ栄養素をその他食材で補う食事を毎日続けることになる。するとどうなるか?コスト問題と、飽きの問題がくる。大便が海苔の色で染まるなど大した問題ではなくなるレベル。
まずめちゃくちゃ飽きる。調理法で目先は変えられても、動物系の旨味がないとかなり辛い。そしてコストがヤバい。で、理由はわからないが露骨にパフォーマンスが落ちた。頭はぼーっとするし、すぐ眠くなるし、重いものが持てなくなった。2週間で上司に体調を心配されたので辞めた。豚汁と卵焼きと魚(鮭、鯖)食べ始めて2日で治った。
私は素人なりに栄養の知識はあるんだけど、ヴィーガンの人はちゃんと栄養考えてるんだろうか。適当に肉魚卵乳取ってないだけじゃ絶対栄養不足になるぞ。
ヴィーガン続けれられる人、富豪でなんか私のしらん食材使ってないと説明がつかない。もともとアメリカの青い地域とかの金の使い方を知らんまま金を持っちゃった頭の悪い不幸な奴が、金の使い方知らんから飯にコストを謎にかけて、私は倫理的にお正しいジャスティスパーソンなので愚民は私に啓蒙されなければならない、みたいなカス思想こじらせて始めたんちゃうんか?って陰謀を唱えたくなるくらい無理。せめて卵があればもっと栄養バランスも楽に取れるしコストもだいぶ減る。
金ないし栄養知識不足だけどヴィーガンやる人、卵は食べな。アニマルライツ的にも卵は食えるのあるだろうし、功利主義的にも卵はかなりカロリーパフォーマンス高い。金持ちの道楽かつ啓蒙思想に引っかかってパフォーマンスを落とすくらいなら、卵は1日3個~8個くらい食べな。それ以上は脂質過多だしバランス悪い。
今日はええ天気やなぁ。東北は雨ザーザーらしいけど、こっちはええ感じやで。ほんなら、SO(3)っちゅうのが何なんか、ちょっと考えてみよか。
量子力学っちゅうのは、ミクロの世界を説明するための理論で、抽象数学のいろんな分野とガッチリ結びついてんねん。
特に、線形代数や群論、リー代数、微分幾何学なんかが重要な役割を果たしてるんやで。
例えば、空間の回転対称性は特殊直交群 SO(3) で表されるっちゅう話やね。
SO(3) は、三次元空間での回転を記述する群で、回転を合成してもまた回転になるっちゅうことで、群の構造を持ってるんや。
この群の性質を理解することで、角運動量の保存則やスピンの性質を説明できるんやで。
SO(3) はリー群の一例で、リー代数はその接空間として定義されるんや。
リー代数は、群の局所的な性質を記述し、量子力学における角運動量演算子の交換関係を表すんや。
リー代数の構造定数は、演算子の交換関係を通じて、物理的な対称性を反映してるんやで。
量子力学では、物理系の状態はヒルベルト空間上のベクトルとして表されるんや。
群の表現論は、これらの状態がどんなふうに変換されるかを記述するための数学的な枠組みを提供するんや。
特に、SO(3) の既約表現は、整数または半整数のスピン量子数によって特徴付けられ、スピン j の表現は (2j + 1) 次元の複素ベクトル空間上で作用するんやで。
微分幾何学は、量子場理論におけるゲージ理論の基礎を提供するんや。
ゲージ理論では、場の局所的な対称性が重要で、これが微分幾何学の概念を通じて記述されるんや。
例えば、ファイバー束や接続形式は、ゲージ場の数学的記述において中心的な役割を果たしてるんやで。
量子力学の数学的抽象性は、古典的な直感とはちゃう現象を説明するために必要不可欠や。
観測問題や波動関数の確率解釈、量子もつれなんか、これらの現象は、抽象数学を駆使することで初めて理解できるんや。
特に、ヒルベルト空間の理論や作用素代数は、量子系の解析において重要な役割を果たしてるんやで。
自分(30代後半男)もフルリモートで家族の都合で田舎に戻り、同じような悩みを最初もっていた、しかし、数年住んで慣れたというか田舎(県は地元だが馴染みない地方)も悪くないなと思った。その観点とまだ歯がゆい部分を自分の振り返りも兼ねてシェア。正直20代〜30前半のイケイケのときに田舎リモートは趣向があわないとキツイと思う。
住んでる場所は東京から新幹線とローカル線を乗り継いで3〜4時間くらいのところ。田舎レベルは同じかな?(車で1時間くらいで映画館がある、スタバも1時間)
道の駅が近いから旬の謎野菜をどう料理するかが楽しいよね。地域に根付いた食生活はひとつの文化だな〜と思う。
リモートワークの一部のブルシット・ジョブで荒んだ気持ちが、散歩して雄大な景色で逓減される。家から出たら自然がストレスを解放してくれる。これは全然気づかなかった。知り合いの畑の手伝いも以外と楽しい。生を感じる。(本腰で畑の人は大変だろうが)
これがデカい。東京水準給料で田舎に住む安心感。地方は地方の平均年収にあわせて生活できるようにな収束している。余剰があるというのは精神衛生上よい。まあ地方ネイティブだと選択肢が狭まりつらいから子供は大学は都市部に出てほしいが…。(そのためにお金を貯める)
個人的に良い。海外旅行では美しい地方にいって現地の文化を知りたくなることがある。しかし文化についてはどの地方にもそれがあるもので、居住者としてそれを再認識できるのは大きいかも。これは地方都会関係ないかもな。ただ地元でも知らなかったことが多くびっくりだよ。人間ミクロなこと知らずマクロのいいとこどり(ともすれば偏見)で生きているわと再認識。定年後郷土史を編纂する気持ちもちょっとわかるわ。まあ比較文化はやり辛い(後述)
・旅行に行きづらい
近隣は車でいけるが、遠方には東京経由で新幹線、飛行機に乗る必要がある。東京まで移動する時間を考えると二泊三日の休みをとらねばいけない…。(こちらはフルリモートだからどうとでもなるが家族の都合と合わせる必要あり)
海外旅行も東京にいたころは3日4泊で帰社→羽田空港→旅行羽田から家に帰らず出社ができたが今は無理だなあ 体感アジアがヨーロッパくらい遠くなった。比較文化がやり辛いのもここ。ただ本は通販で手に入るのでそこは甘えも。旅行の表面的になぞった知見で地方の文化なんてわからないし。
・イベントに気軽に参加できない
ライブハウスのインディーズバンドとか上野や代々木公園でよくやってる各国フェスとか(元増田の場合ミニシアターかな)、近場だったら行きたいけれどわざわざそのために新幹線のっていくかなあ〜と思うといかなくなる
まあ絶対行きたいやつは新幹線乗っていってるからそこまで不満でもないけれど(家賃の安さを交通費に転嫁して東京にいく)
やはり大都市圏にはかなわない!エスニックが好きだが、韓国中国ベトナムタイネパール以外はないかな!しかもオーソドックスなものしかないから各国地方の料理はなかなか難しい!いわんやアラブ料理、アフリカ料理(田舎でも北関東は豊富だけどね)
良くも悪くも同調化社会。平均であることがよい価値観。子供が平均から外れていたらツラい思いをさせてしまいそうで申し訳ないよな〜自分も浮いててつらかったし。その場合、田舎生活で浮く金を貯めておきなんとかしようとは思う。
行きたい展示をまとめてはしごしたり、出社のついでにいったり。(ただ東京付近に限る。千葉の国立歴史民俗博物館にいきたいがそうなると旅行になる)
・居酒屋が少ない
車社会だしね〜。飲み屋で知らん人と意気投合してぐだまける東京の下町は楽しいが、次の日の後悔もあるし、県庁所在地や観光地いけば移住者がやってる飲み屋もありそこで話せるだろうしまあいいかな〜 東京の下町のそういう居酒屋で地方から来ましたトークは話題のフックとして良い。
重要だが、これは人それぞれ…。自分は東京の友人関係をなんとか継続しつつ、家族の友人たちと仲良くしようとしている。余談だが、東京の友人たちからするといつ自分が来るか読めないため、逆に自分が東京の友人たちとの会合をセッティングするハメになった自分は本来誘われ待ちだったが、誘うことになれてしまった…(会合の機会も増えた)
結局日本の半数以上は地方に住んでいてその目線でニュースや政治を意識できるよかったが、結局東京の会社のリモートなので所詮他人事かもしれぬといった当事者意識がある。子供が大きくなったら違うかも。
ケチケチせずに土日に東京(ないし大都市圏)に遊びにいけばいくのがよい。東京の水準の給料で田舎の物価(≒家賃)なら月1,2はいけるはず。
ただ平日は諦める必要があるし、イエまわりの用事があって土日が潰れることもあるから、若ければ田舎フルリモートを恨むのも納得できる。
そもそも日本の義務教育は、身長順すなわち弱い順で常に並ばされ、その社会的序列をクラス内カーストという形で思い知らされるのである
低身長男性は、今後何を成そうとも「でも低身長だからなぁ」という蔑視がついてまわり、まともな人生を送ることはできない
たとえ優良男性であっても低身長であったが最後、それは女からすると「値引きシール」に見えてならないようだ
おおよそ男と釣り合わない学歴・年収・容姿であっても、値引きシールがついているセール品であればワンチャンあるかもしれないと目をつけられ、そしてATMとして獲得した後には、そのリソースを活用して「ブランド品」すなわち高身長男性との不倫に勤しみ、托卵を試みる
はやく現実を見ることだ
現代社会の常識として、生まれに関する属性、すなわち本人の努力で変えようのない属性による「区別」は差別であるとみなされる
すなわち、優れた個体のみを存続させ、劣った個体は排除してもよいという考え方だ。これは近年では許されない概念となりつつある。国家による去勢が違憲がどうのが話題になっていただろう
がしかし、優生思想は別の形に生まれ変わり、現代に君臨している。すなわち自由恋愛だ
近年の自由恋愛の素晴らしい点は、優生思想を誰の責任にもならない形で実践できる点にある。低身長は劣っている、その共通認識を社会に植え付けた上で、個々人が己の価値観に乗っ取ってツガイを選択する。それを繰り返せば、低身長の遺伝子は自然と淘汰されていく。
これを国家が行えば差別だ。しかし、あくまで個々人の価値観によるミクロな選択がマクロな結果を齎すという形で実践すれば、その責任は限りなく分散され、個々人に罪を問うことが難しくなる!これが新しい優生思想の実践だ
弱者男性が常に何かに怒りを向けているのは、これを本能的に理解しているからだ。自らを排除せんとするマクロの潮流を肌で感じつつも、それに怒りを向ける個人が存在しないために、政治家に、国家に、男女論に、インターネットに怒りを向けるのだ
しかし社会は「形だけは」優生思想を否定しているため、弱者男性の生き辛さを否定する。弱者男性にも人権があると嘯く。しかし現実には、弱者男性は失敗作で、子孫を得られる権利がない……と国家が言ってしまうと問題なので、あくまで「偶然機会に恵まれなかった」ということにしている。現実に、それで誤魔化される弱者男性が多く生き残り、労働力としてその生涯を終えるわけだから、まったく社会にメリットがないわけではない。人権のないゴミも労働力として有効活用してやろうというのだから、現代社会は思ったよりもエコなのかもしれない
その労働力は主に強者男性のための社会維持と、その子孫たちのために活用される。大変親切なことに、子孫を残す権利のない弱者男性にも、人類の末裔への奉仕の機会は残されているわけである
そういう場合には、速やかに命を絶つか、あるいは無敵の人となって社会への復讐を行うのが大変一般的である。通り魔でも強姦でもなんでもいい。おおよそ社会通念上許されない行為をしなければ得られないものを得るために、彼らは文字通り命をもって一世一代の賭けをしているわけだ。
これを聞いた「勝者」の皆様は何を理不尽なと思われるかもしれないが、まぁ窮鼠猫を噛むとも言うし、それくらいは勝者の義務として受け取られてはいかがだろうか。有史以前から人類の暴力というものは二種類存在し、一つは勝者による敗者からの搾取、もう一つは敗者による勝者への復讐だ。人類全体が勝者となることを拒んだのだから、敗者の復讐は当然発生するものだ。その被害をいかに少なくするかは、勝者が考えなければいけない。少なくとも、敗者の人格のせいにするだけではなにも解決されないのだ。