はてなキーワード: ベスト盤とは
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
セールが続くんだけど、
とりわけ今年は角松敏生さんのベスト盤が出るから私楽しみなのよ!
まあそんなわけで私はいつもながらのクリスマスのプロは一体何を食べるんだろう問題がいつまでも解決しないまま、
昨日にはそうそうとチキンをフライングゲットというかマジ揚げ物だけにフライとか言っちゃったりなんかして。
そのクリスマスチキンを炊き込みご飯にすればってのが背徳のレシピで、
これやっちゃっていいのかしら?と両親の呵責にもさいなまれるけど、
ほぐしたクリスマスチキンを混ぜ込んで鰻のタレぶっかけてバター溶かせば美味いんじゃって言ってたので、
出演者達はみな美味しい美味しいって箸を置かないぐらいパクパク食べてたから、
もう調理してあるものを買ってくるタイプのクリスマスチキンだから、
結局はあの長蛇の列には並ばなくちゃいけないのよねー。
コンビニで、
あのー18時に肉まん予約してた者ですがって、
予約できちゃったりするから、
ここぞとばかりに1年分の売上をそこで稼がなくちゃいけないみたいなのよね。
でもチキンで思い出すのは、
真似しても女将さんのように上手く出来なくて、
受話器を生まれて初めて持ったリアクションが「重っ!」って言っちゃいそうなほど
いい感じに育てていこうって思って約束したフライパンだったのに、
思いっ切り実家に忘れてきちゃったという、
重たくて振れないわ!
結局は運用のしやすいテフロンの安い深鍋のフライパンに走っちゃいがちだけど、
あれもあれで2年ぐらいで買い直さないと
テフロンがベストでいられなくなるから買い替えた方がいいって!
たまたまジャパネットの通販テレビ番組でフライパン売ってたけど、
それ1万円って高いわ!って思いつつ、
一瞬お得だと思いきや、
2つつけるなら最初から半額で売れないの?半額で?って思うわ。
でもさ
フライパンでここ持っても熱いよって感じのフライパンの方がプロユースっぽくない?
布巾のような布で包んでフラインパンの持ち手を持つとなんかよりプロっぽい感じもするし、
ふと思ったんだけど、
今日の製造が終わったら1点1点部品をバラして清掃してるのかしら?って思ったわ。
きっと加圧鍋なので部品は複雑なんじゃないの?って思ったところよ。
まあ私には縁遠い話しだけど、
でも女将さんの作ってくれたチキンステーキは美味しかったなぁ。
今でも思い出すわ。
うふふ。
朝はあっさりしたいとかそう言った意味も含めているんだけど、
起きてご飯食べる前に寒いときは特に身体を中から温めた方がいいので、
白湯っておきたいところなんだけど、
そんな今朝はホットレモンアンド柚子白湯ウォーラーにしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
もともとカラオケ嫌いなのに必要に迫られて猛練習したら高評価受けてしまって社長とデュエットしたマン(女)だけど、メジャーな歌で原曲キーで楽に歌える曲なら何でもありだ。無理してアップテンポなノリノリソングを選ぶ必要はない。AKBなんかも歌えなくていい。おじさん達も若い子に合わせて渋々練習してるだけだから。
増田は男っぽいから参考にならんだろうが、アンジェラ・アキの手紙なんかは恋愛系でないのにウケがいい。歌詞が前向きなのもいいしな。スナックなんかだとお姉さんが手拍子を入れてくれるかも。あと中島みゆきは鉄板だ。有名だし、音域が人類に最適化されているから。ただし地上の星や愛だけを残せみたいな常時つよつよみゆきな曲は避けたほうがいい。本物とのギャップでしらける。時代やヘッドライト・テールライトあたりはごまかしが効くからオヌヌメ。ごまかし方は練習しろ。
あとフェードアウトで終わる歌はやめたほうがいい。締め方に悩むから。ユーミンの春よ、来いとかは、演奏が終わってからも永遠と歌ってなきゃいけない雰囲気があるので歌ってて恥ずかしい。クライマックスなんとかってベスト盤を借りてその中から自分に合ってそうなのを数曲身につけておけ。
今どきカラオケ接待を要求されるなんて、どうせ相手はおじさんだろ?おじさん相手なら、聖母たちのララバイが鉄板で刺さる。絶対に刺さる。圧倒的刺殺。おじさん達はこういう歌に弱い。
加えてデュエットソングとして、居酒屋、もしかしてPart2、三年目の浮気をマスターしておけば向かうところ敵なしだ。
ノリでごまかせない系のこれらは歌唱力ありきなところがあるので、精密採点DXで80点以上が取れるまで音程を詰めて、あとはCDの入りと抜きを真似しろ。難しいなら歌手のほうを変えることだ。増田が歌に合わせるのでなく、増田に合わせてくれる歌手を探すのだ。
まったく偶然に、ほぼ10年ぶり以上にマイケル・ジャクソンのライブ映像を見た
この数年間は、彼のことを忘れていた
自分が最初に買ったアルバムの一つは、HIStoryという、彼のベスト盤だったことも忘れていた
むしろ、中二病の汚点の一つとして、彼のことを積極的に忘れようとしていたのかもしれない
繰り返された整形手術
浪費とネバーランドの売却
そして謎の死
最近彼のことを思い出すとすれば、それはひとつのカリカチュアとしてだった
タモリ倶楽部あたりでネタになるような、奇妙なかけ声、奇妙なダンスの人として
だが、彼が動いて歌う姿を久しぶりに見て、思い出した
世界中の人が彼のことを変態呼ばわりしようとも、馬鹿にしようとも、罵ろうとも
彼が作り出した音やダンスを越えることができなかった
彼の音楽が作り出し、世界を包み込んだ暖かさを否定しつくすことはできなかった
そうしたすべてのことを自分がかつて感じたということすら忘れていた
だが、年を取った自分が、元気だったころの彼のライブを見かけて思うのは、
どれほど自分が努力しても彼のようには生きられなかったということであり、彼はやはり本当の天才だったということだ
そして、人生をかけて成し遂げたいことなど何もなく、それでもそんなことをときどきは、うっすらと考えながら年を取ることに慚愧の念を感じるような年になってみて、
彼が伝えようとしていたことはたんなるきれいごとではなくて、それを彼は自分の仕事を通じて、本気で伝えようとしていたのではなかったか、と思うようになった
そう、それが叶いそうだからみんな騒いでる。
「Eclectic」の頃は、同窓会で旧友が「昔の俺っちどうかしてたわーw」的なことを言い出す寂しさがあったと思うよ。
あの「ブギーバック」をわざわざ歌詞を書き直したりダウナーなアレンジに直したりして再録して、
極めつけに「刹那」というタイトルでベスト盤出しちゃうんだから。
もうチャーリーブラウンばりの渋い顔で、
いくら呼んでも帰っては来ないんだ。
と言わんばかりのニヒリズムよ。
そりゃ911後の、冷や水かけられたようなアメリカのムード肌で感じてるわけだから
閉塞感満開になっちゃったかもしれないけどさ。
でも結局みんなが小沢健二に求めてたのは「とにかく明るいオザケン」なんだよね。
家柄とか学歴とかちょっと至らない歌唱力とか色々魅力はあるんだけど
第一に求められたのはその明るさだったんだろう。
しかし大衆に求められたそのポジティブさが本人の資質によるものでなかったために
彼は海の向こうへ逃げてしまったのだろう。
僕は「Eclectic」が暗い作風だったから不評だったというようなことをいうつもりじゃなかった。
「Eclectic」の前後に「LIFE」期との決別を示唆するような言動が多々見られたことが
幾分かファンにとってショックだったのでは?ということがいいたかった。
この頃の小沢健二を見てもう決別を通り越してあの時期を忌み嫌っているのではとすら思う人もいたのでは?
それは「Eclectic」リリース時が半ば休止状態だったことも関係するだろう。
「天使たちのシーン」や「ある光」もノスタルジーや切迫感に溢れたものだったが
「LIFE」とグラデーションのように継ぎ目なく繋がっているような連続性があった。
(無論「LIFE」の曲から「ある光」の間には「大人になれば」「Buddy」「指さえも」といった作品が連なっている。)
「Eclectic」からライブツアー「ひふみよ」までの期間はそれらのキャリアからは断裂しているように見える。
どうしても「ある光」から「Eclectic」を線で繋いだイメージを持つことは難しいし、
「Eclectic」以後はある程度一貫した思想を強く打ち出した活動を続けてきたので、
「流動体について」発表までは「Eclectic」以前・以後で分けて考える人も多かったと思うんだよ。
「『Eclectic』はその本意をうやむやにしたままフェードアウトしていった小沢健二が
それまでのポップスシンガーとしての活動に区切りをつけるために一時的にカムバックした作品。」
リリース当時はそんな風にみなされても仕方なかったように思うんだよね。
君の名は。人気はまだ続くのだろうか。自分は公開2週目位に一度見たきりなのだが、Web上で展開されている
様々な解釈を念頭に置いて、もう一度くらいは劇場に足を運ぼうと思っている。
新海監督の作品は「ほしのこえ」からの自分だが、その中では前作「言の葉の庭」が一番好みである。
50分弱という過不足無い尺。今作では少し鳴りを潜めた、現実よりやや過剰に高められた光の輝き。
ヒロインを失意の闇から救済し、精神的な絆を結びつつも、直接の対価を得ることが無い幕引き。
どれをとっても、新海誠という人物が長年その心象世界に持つ純粋な「私の世界」。
君の名は。を彼のベスト盤であると評した人がいた(本人?)ように思ったが、自分は「言の葉の庭」こそが、
最も正確に彼そのものを表しているように思う。
ただ、そういった作品性とは別に、自分が言の葉の庭を特別なものとして見るのにはもう一つ大きな理由がある。
全くもって個人的な体験に基づくもので、それを他人と共有する事に価値は無いのだとは思うのだが、
40を目前とした今、その記憶がゆるやかに風化していくにつれ、どこかにその記憶を刻んでおきたいという欲求に駆られ、
1日だけの日記としてここに記しておこうと思う。
創作では無い為物語の構成は酷く、起伏にも全く欠けるが、偶然目にする人がいたら、息抜きのつもりで読んでみて欲しい。
20年ほど前、自分は地方の私立大学に通う大学生だった。高校を出て何となくの流れに乗って通う大学生活は、
地方であること。理系であること。あまりハイブロウな属性でないことなどから大きな刺激も無く、
かといって腐ってしまうという程の退屈さもなく、毎日がそこそこのルーティーンとそこそこのイベントによって消費される、
卒業校は大学とほど近い場所にあるため、自分は時折高校時代の恩師の元を訪れ、近況の報告や、
(当時のPC弄りが好きな学生がしばしばそうであるように)師のPCメンテナンスなどを請け負っていた。
ある日いつものように師の元を訪れると、師の隣席に初めて見る顔があった。
師は、新任の先生だと言って彼女を紹介してくれた。
「今度新しく入ったH先生だ。」
「どうも初めまして。Sといいます。」
学校行事でスーツを着ていた自分を、おなじ新任か関連業者の人間と思ったのかもしれない。
彼女…H先生は突然勢いよく椅子から立ち上がり、コンシェルジュのような角度でお辞儀をしながら
と、およそその完璧なお辞儀からは相応しく無い焦り具合で挨拶をしてくれた。
少しだけ長めのボブカット。
そして何より、整った、育ちのよさそうな顔立ち。
(ははぁ。これは生徒に人気がでるだろうなぁ…。)
そう、思った。
「そう言えばH君、パソコンの調子が悪いと言っていたじゃないか。せっかくだからSにみてもらったいい」
これをきっかけに、ほんの短い間ではあるものの、自分とH先生に関係が生まれた。
その後数か月間、自分はH先生のPC周りの面倒を見ることになった。勿論、数か月といっても頻繁では無い。
実のところは、精々5・6度の話でしかなかったと記憶している。そうとは言え、ほんの少しだけ年上の
とびきり可愛らしい女性が相手だ。いつもわくわくしながら通ったのを覚えている。
見かけ通り、H先生はとても可愛らしく純粋だった。
明かりの落とされた職員室。
冷陰極管の青白い光に浮かび上がる横顔。
買ってくれた缶コーヒーの温もり。
年下の自分に中途半端な敬語交じりで話し、ソフトの使い方を教えたり、FEPの不調をメンテしたり、
壊れたFATテーブルをエディタで書き直す程度の事で、H先生はとても喜んでくれた。
見かけによらず、頑固でもあった。
突然の夕立に「いい」と言うのに頑として聞かず、駅まで車に乗せられた。
エアコンが効かず、少し蒸した車内。
一度、何かの為にソフトを借りに実業系科目の教師の所へ顔を出したとき、
と、冗談とも真面目ともとれない顔で言われたこともあった。
…その通りだと思った。
あの時自分はどうして恋に落ちなかったのだろう?
高校時代淡い好意を持っていたクラスの女の子を忘れられなかったからだろうか?
卒業校とは言え、教師という立場の相手に対しての遠慮だったのだろうか?
今となっては思い出すことができない。
ただとにかく、会いに行く時間の胸の高鳴りとは裏腹に、
自分がH先生に対して恋心を抱いたことは無かったように思う。
時が経つにつれて、H先生とは疎遠になった。卒業からしばらくOBとして顔を出していたやつが
いつの間にか顔を見なくなるという、ごくありふれた、普通の流れだった。
勿論、心のどこかで気になってはいたが、明確なきっかけも無いのに顔を出すのも気恥ずかしく、
また、自分という存在が順調に過去となっていく高校に窮屈さを感じ、足が向かなくなるにつれ、
しばらくの後には思い出すことも無くなっていった。
大学生活は相変わらず少々退屈で、授業とバイトの日々が続いていた。バイト先にはコケティッシュに笑う
年下のあざと可愛い女子大生が入り、自分はその子に相当入れあげていた。
そんなある日。
高校の「部室」へ顔を出した。
自分は高校時代ややヲタクなサークルに顔を出していた。それはよくあるアニメやゲーム好きが集まるような
内輪志向の趣味サークルで、正規の部員でこそ無かったものの、殆どコアメンバーのような立場でメンバーとつるんでいた。
先輩も、後輩も、同級生も、自分の高校生時代の交友の半分は、そのサークルに由来している。
部室にはYがいた。
Yは自分が卒業する年に入学した後輩で、少々エキセントリックな性格ではあるものの、
当時の世相でそういったサークルを志向していた女子には珍しく、並以上とは言える容姿と、
その予測不能な反応を示す性格から、OB現役を問わず大層人気があった。当時から近い表現はあったように思うが、
ヲタサーの姫がベターなワードチョイスだ。正確にはサークラ的要素も多分に混じるのだが、
方々穴兄弟にはなったものの、サークルはクラッシュされなかったので、二択であればやはり姫の方が無難であろう。
Yや他の部員たちと軽く挨拶を交わし、部室に置き去りにしたPCエンジンで縦スクロールシューティングに興じていると、
「先輩先輩。先輩はH先生知ってますか?」
驚いた。彼女が新任教師として赴任したのは自分が卒業した後であり、現役生であるYもそれは承知だろう。
卒業後に赴任した教師を話題にあげるという事は、普通滅多なことではしない筈だ。
「ああ、実はちょっとした絡みがあって少しだけ知ってるよ」
事実を答えた。Yが続けた。
「H先生、辞めちゃったんですよ」
公立高校と違い、私立高校では異動というものが殆どない。私立が主体の都会では事情が異なるかもしれないが、
地域内に同業が少ないこともあって、転職という選択をする教師も(教師という手堅い職を選ぶ本人の性向もあってか)
滅多にいなかったと思う。とにかく、短期での退職というものはあまり例が無さそうに思えた。
Yは表情を変え、ゴシップ好きの主婦のような声色を作って次を継いだ。
「それがね、聞いてくださいよ先輩。H先生寿退社…ってことになってるんですが、本当は…」
…
…
「本当は、生徒に強姦されて辞めたんです。」
それから数年の年月が過ぎた。
大学卒業後、氷河期のどん底という頃に地元の小企業に就職したが、ワンマン社長の横暴に嫌気がさし2年と少しで退職。
しばらくアルバイトをしながら職を探したが、高卒でブルーカラー職についたり土建業に入るならともかく、
大卒が志向するようなサービス業的業種にまともな就職先はとても少なく、わずかにある条件のよいポジションは
新卒で滑り込んだ者が既得権化しており、あとはそれこそ公務員くらいしか不満の少ない就職は困難だった。
それを期に、意を決して東京へ出た。
友人の家に転がり込み、転職エージェントを頼りにいくつかの会社を受けた。東京での活動は思いの外順調で、
面接したいくつかの会社から採用通知を受け、そのうち、条件はあまり良く無いものの、基盤の堅い中小企業に入社した。
入社後上司との性格の不和に苦しんだが、前職の事を思えばその程度の問題に対処することは苦労のうちには入らなかった。
給料はとても安(250程度だったと思う)かったが、それも前職に比べれば不満は少なく、初めての東京生活をエンジョイし始めることができた。
そんな矢先。
当時の秋葉原メイドカルチャーは黎明期の出店ラッシュがひと段落し、金の匂いに感づいた風俗業の面々が
続々と出店を始めた位の頃だったと思う。高校を卒業したYは東京の大学へ進学したが、
生来の不安定な性格故順調にメンヘラ属性を手に入れ、真面目な大学生という路線は早々に離脱。
生活の為か趣味かは聞かなかったが、アルバイトとしてメイドを始めた、ということだった。
メールには多少面食らったが、Yの人と成りからすれば、想像には難くなかった。
自分の秋葉原に対するスタンスは単なるパソコンショップ詣の場所で、メイドカフェへ行くことに多少の
戸惑いはあったのだが、後輩に会いに行くと思えばいい。了承の返事を送信した。
「おかえりなさいませ、ご主人様~」
Yの働く店は正確にはカフェではなく、バーだった。
万世橋を渡り少し裏手の路地の扉を開けると、今では手垢どころか擦り切れて表皮が
やや珍しい青と白の照明で彩られた店内(まるで自作PC筐体のようだ)は、多少の安っぽさはあるものの、
常連客との適度なゾーニングもされていて、居心地は悪くなかった。カウンターの向こうで客の相手をする
隣では、この場所にはやや不釣り合いな女性が独り呑んでいた。
「君、初めて?」
声をかけられた。
「そうですよ。高校時代の後輩がいるんで、まぁ付き合いです。」
「そうなんだ。じゃあ私と一緒ね。」
女性(T)は銀座でホステスをしていた。非番の今日は、ここで働く自分の彼女の仕事が終わるまで待っているのだ、
と教えてくれた。自分も自己紹介をし、それからしばらく話をした。ホステスの会話術は流石に巧みで、
後輩に会いに来たことなどすっかり忘れ、仕事の話や高校時代のことなどを話し込んだ。
2杯目のジントニックの氷が溶けるころ、Tがはたと気付いたように自分に聞いた。
「そうですよ。Yは3つ以上下だから、直接一緒になったことはないですけどね」
「そっか。そしたら君…」
…
…
「H先生って…、知ってる?」
ドキリとした。
自分の中で風化し、消えかけていた「H先生」という単語の響きが、急速に記憶の色を取り戻させた。
しかし、こんな偶然があるのだろうか?ここは00年代も半ばの秋葉原。しかも場末のメイドバーだ。
100歩を譲って、自分達の高校が埼玉や神奈川にあったとすれば分からなくもない。
だが、自分達の高校は十分に遠方にあり、増してや、彼女がH先生であったのは6年も7年も前の話なのだ。
ボブのかわいい初々しい先生だったこと
人の消えた職員室で一緒にコーヒーを飲んだこと
大した話ではない。読んでくれている人がいたら申し訳ないが、当事者以外が聞いても何の感慨もない日常の出来事だろう。
Tは、そんな自分の話を穏やかな顔で聞いていた。ひとしきり話を聞いてから、話をしてくれた。
髪型が全然違うこと 化粧が派手だったこと
プレリュードに乗っていたということ
…そして、1年程前まで、自分の彼女だったということ
少しジメジメした夏の終わり頃だったように思う。
日付なんて全く覚えていない。
でも、それくらい、自分にとって忘れられない日の出来事である。
「言の葉の庭」は、ヒロインである雪野先生が、想いを寄せられた男子生徒への対応を誤ったことを
きっかけに物語が構成されている。劇中、男子生徒を奪われ、腹いせに雪野先生の退職を画策
(そしてそれは成功する)した女生徒に主人公が抗議をするシーンがある。
客観的に見るとやや時代錯誤と青臭さがあり、本作で唯一落ち着かない場面ではあるのだが、
このシーンを見ていると、雪野先生とH先生をどうしても重ねてしまう。
勿論、自分が孝雄になる妄想を出来る程今の自分は若くない。ただ、物語は悲恋として終わるものの、
孝雄の存在は、雪野先生の人生において彼女のレールを想定の範囲内におさめる為強力に機能した筈だ。
では彼女は、H先生はどうだ?
H先生に関して一つ書き忘れたことがある。彼女は県下一の、ある業種の創業家の息女である。
名士の娘が地元の高校で教壇に立つ。頃合いをみて結婚。家に入る。
時代錯誤ではあるのだろうが、そんなルートが彼女の想定の範囲だった可能性は高い。
もっとも、実はそれが嫌で飛び出したということも考えられる。
これを読んで、「だからだよバーカ」と舌を出しているかもしれない。
それならそれで、構わない。彼女が想定の範囲の人生を受け入れていたかどうかなどわかるはずもないし、
想定されたルートが幸せだったなど、他人の人生の価値判断を想像でするべきではない。
ただ、人生のターニングポイントにおいて、1人の人間の存在が他の1人の人生に与えうるインパクトの大きさというものは、
現実であっても、いや、現実こそ想像以上に大きい。花澤香菜がワンテイクで録ったというクライマックスを見る度、
そこに感情をぶつける肩のあった雪野先生と、もしかしたら無かったのかもしれないH先生とで、
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…自分語りはこれで終了だ。
最後に少しだけ、素人の新海誠評を書いてみたい。
あくまで想像だと前置きするが、新海監督は幼少から無理目な恋愛ばかりをしてきたのではないだろうか?
恋愛という通常とは比較にならないエネルギーを必要とする行為において
その力を一方的に放出し還流を受けることのできない状況は、人を極端に消耗させる。
ある者は力尽き、ある者は別の誰かから力を得た。
またある者は、運良く力の循環に出逢えることもあるだろう。
監督はどうだ?
監督は恐らく、無から力を生み出すことを選んだ。それが新海誠の作品性の源流であり、
君の名は。の2人は、時空を超えて尚力の循環を得ることが出来たように描かれている。
これをもってして彼の心象世界との乖離を突き、不安視する声がある。かく言う自分も少しばかりは、心配だ。
だが、監督は既に力の循環を知っている。言の葉の庭の2人は、実態としての結末こそハッピーではなかったかもしれないが、
『君の名は。』に色んな意味で心鷲掴みにされて、もう何度も何度も劇場に足を運んでいるのだけど、
この作品の大ヒットに関して、ブコメも含め様々な場所で個人的にちょっと気になることを目にしてる。
しかもそこそこな頻度で。
新海監督が、『君の名は。』で、「アーティストとしての作品性や作家性を捨てて、万人受けを狙った、そして売れた」って感じの意見ね。
いやいや、『ほしのこえ』当時からハマって追っかけてきたオタとしては、ちょっと待ってって思うのよ。
「作品性」や「作家性」って、新海監督は別に捨ててなくね?って。
『君の名は。』では新海監督の強いこだわりで魅力でもある画面のライティングや構図であるとか、
大きな力で引き裂かれる思春期(とそれ以後)の2人と恋愛と喪失だとかは、
何にも変わってないよね。
ボーカル曲に合わせてMVか!って感じで見せていく手法もそのままだし、
ナルシシズム漂う独り語りも、ロマン主義も、センチメンタリズムも、そういう作品の特色なんかも昔と同じ。
なんか、個人制作の『ほしのこえ』と、感動とトラウマを多くの人に植え付けた『秒速5センチメートル』っていう過去作のインパクトがあまりにも大きくて、
ああいうものこそが新海作品だ、万人受けしなくても、一部の人に響く強烈な作品やこだわりを志向するのが新海監督なんだ、
ラストで結ばれないものを観客に容赦なく突きつけるのが新海作品の本質なんだっていう考えを持ってしまった人が結構いるような気がする。
新海監督は「わかる人だけが自分の作品をわかってくれればそれでいい」という立場より、
「万人に受け入れられたい」そして「メジャーな規模で売れたい」という立場の自己顕示欲や願望のほうが、
昔からずっとずっと強かった人のように思うんだよ。
大ヒットでインタビュー受けまくってる姿なんて、ほんと昔から目指していたことが叶って嬉しい、って気持が、なんかありありと伝わってくるし、
『秒速』は見た人を励ますつもりで作って、「鬱だ」って反応が予想外だったって新海監督自身も言ってたし。
過去作だって、『エヴァ』とか、『最終兵器彼女』とか、ジブリとか、村上春樹とか…、とにかくメジャーで大ヒットした有名作品とかにそこまで寄せなくても…って思うくらい寄せてくるし。
『ほしのこえ』『秒速』みたいな作品は、ニッチな層にだけ強烈に響くこと意図的に志向して制作していたわけでなくてさ、
たぶん、単に個人制作・小規模制作で視野が狭かったり、監督個人のスキルが低かったり、お話の引き出しがワンパで、
(そして今作でも周りの大人たちやDQN客みたいなのは、相変わらずびっくりするくらい定型的でチープで、そことのやりとりも上手く描けないから省かれてたり)
決して『秒速』みたいな作品や、あの作品への反応みたいなものこそが新海作品の本質だ、作品性だ、ってわけじゃないと思うのね。
『君の名は。』はわかりやすいエンタメを目標にしたわけだけど、
そもそもが新海監督は、わかりにくいものや非エンタメ的作品を志向してたわけじゃないんだから、
描きたいこだわりを省いた、作品性や作家性を捨てた、と言うより、
周りのスタッフとの共同作業を通じてスキルアップしたって言い方のほうが正しい気がする。
川村元気Pから「新海誠のベスト盤を作って」って言われて、描きたいものを描いて出来たのが『君の名は。』なわけだし。
ともかくも『君の名は。』で、メジャー映画監督の仲間入りした新海監督だけど、
個人的には次回作も楽観視してる(『君の名は。』を超える興収をあげるかどうかは別にして)。
優秀なスタッフと関わることで成長していく可能性もあるだろうし、
逆にそこまで成長しなくて、また底の浅い引き出しからワンパターンな思春期男女の話を作ったとしても、
その時それは「ああ、今度のも新海さんっぽいねー」って言われてると思うの。
「ジブリっぽい」って言葉と一緒でさ、オタだけじゃなくて一般に広くそう思われるようになったら、
思春期のこの手の話をああいう絵力を交えて魅力的に見せれる作家って、実写含めて今は新海監督が一番だと思うしさ、
次回作が仮にワンパターンなものになってたとしてさえも、たぶん、きっと大丈夫。
それに新海監督は興収やら評判やらがしょぼくて落ち込むことはあったけれども、
とりあえず興収で一定の結果を残せさえすれば、庵野監督のように大ヒットしたのに深く苦悩する、そういうことに陥るような人とは実は違うタイプだとも思うから。
2010年の『Happy Celebration』以降、しばらく音沙汰なかったので、
一昨年の2013年に『Celebration Ghibli Songs and More Plus』を発表、
今年2015年は『Princess Celebration』が出たかと思うと、
続いて今週には、2009年の『Winter Celebration』以来の、
ウィンターアルバム『Winter Classics』が発売されるらしい。
ひさしぶりにQ;indiviのアルバムとして『Princess Celebration』を
聴いてみたが、Rin Oikawaの透明感のある美しい歌声は健在だった。
ファンとしては、Q;indiviの精力的な活動うれしいかぎりだ。
アマゾン限定で『Premium Celebration』なる新譜が出るらしいが、
『Celebration ~special program~』というアルバムも、
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20150502164612
音楽きかず
小学校高学年
ミスチルにハマる。
父親にLed Zeppelin セカンドアルバムもらう。聴く。ハマる。
父親に雑誌ロッキングオン(日本のじゃなくて洋楽の)を教えてもらう。
Nirvana直撃。ハマる。
Radiohead直撃。ハマる。OK Computer、KidA、アムジーニアック辺りは良さが分からず放置。二年後くらいにハマる。
ロックンロールリバイバル特集で、strokes,White Stripes,リバティーンズとかやってた気がする。
メタリカ、ガンズ、レッチリ、クラプトン、レイジアゲインストマシーン、ビョーク、BECK、NIN、シガーロス、Muse今でも聴く。
グリーンでイ、リンキンパーク、ハマるがすぐ飽きた。もうあまり聴いていない。
エミネム、ボンジョビ、ジェフBECK、ディラン、Who、ボブマーリ、全然ピンとこず。今でもあまり聴いていない。
コールドプレイ、ハマる。2nd聴きまくり、今でも2ndが一番すき。
オアシス、ハマる。1st,2nd以外評判よくなかったが、実際聴いてみても微妙だった。1st,2ndは凄い。
ネットで名盤ランキングみたいのがあったら、そっからアルバム借りて聴いていくスタイルに。
ミスチル熱はまだあったので、全アルバムを買うが、気がついたら全然聴かなくなる。
なんかかっこつけたくなり、クラシック100というベスト盤を借りる。
ピアノ好きだなーと思い、ショパン集める。ついでに有名なんでモーツァルト集める。
なんかかっこつけたくなり、ジャズを聴き始める。ジャズ雑誌やらジャズ本やらで知識を集めて、ジャズの名盤を20枚くらいツタヤで借りる。ハマる。
アニメを見る奴を見下していたが、アニメにEva破でハマる。アニソン少しずつ聴き始める。アニメのサントラ、ゲームのサントラとかも。
大学で中学高校のときハイスタ流行ったよなーとか、の話題についていけず。一応そこらへん後から聴いたけど、悪くないけど、ハマらず。時代かなあ。
ホルモンとかエルレガーデン、ワンオクなんかは好きかも。でも、好き止まり。ハマらず。
あーアニメのMADでよく使われてたPerfumeとかハマった。capsuleも。カプセルのほうが好きかも。メロディーしっかりしてて。
ゆらゆら帝国とかナンバガとか国内バンドの有名なのは、今度借りてみようかなあと思ってるが。。
音楽より優先順位がアニメやらサッカーやらになったため、手つかず。
ああ、サッカーのプレイ動画って洋楽かかってるから、そっから発掘したりも。
あーあと、今の売れ線?リアーナとかアデルとかニーヨとかそういうの?は正直こない。カーペンターズみたいなもんかね。Youtubeの再生数凄いよね。
プログレはフロイド、クリムゾン、イエスと良さが分からなかったが、ジョジョのアニメで使われていて、ちゃんと聞き出したらイエスにハマる。これは割と最近か。
あとは、好きだけどそこまで聞き込まなかった。プログレじゃ一番イエスがキャッチーで聴きやすい。
好きなバンドを挙げよと言われたら、
Led Zeppelin,Nirvana,Radioheadかなあ。ベスト3。全アルバムがっちり好き。Radioheadの直近の一枚は苦手だが。
洋楽どうこうより、ハードロックが好きなのかも。Led Zeppelinに耳をかえられた。T.Rexとかブラックサバスと凄い好き。クリームとか。
そういう好きな音楽はこれ!!っていう軸があるからか、中学のときに聴いた音楽が一番で、それ以降はそれを超えるものには会えないよ、とかいうのとは無縁。
音楽に関しては。ゲームなんかは青春時代のやつが一番で、今のゲームに面白さを感じなくなった。
最近だとDeep Purpleベスト盤とライブ盤しか持ってなくて、なんてつまらない単調なロックなんだと見下していたが、普通のアルバム聴いたら凄いよかった。
あと、イギリスのロックの方が好き。アメリカのは苦手なことがわかった。ボンジョビとかスプリングスティーンとか。ああいうの。
ここ最近のバンドで好きなのは、Vintage Trouble,Alabama shakes。たしか、、はてなのどっかのブログで見てハマった。
iTunesには全部で17000曲。評価1-5で5評価は5000曲。その5000をメインに聴く。
こんな感じですかね。
少しおっさんになりかけな年齢なので、記憶があやふやなんで時系列ぐちゃぐちゃかも。
ああ、質問ちゃんと見ないで答えてたわ。
ソウルミュージックならオーティス、マービンゲイ、アレサフランクリン。
レゲエならボブマーリ、あんま合わなかったけど。
エレクトロにか、プロディジー、プライマル、マシッブアタック、クラフトワーク、ジャスティス、ベースメントジャック、ポーティスヘッド、ディスクロージャ、アニコレ、オウテカ
アンビエントだと、ブライアンイーノ、オーブ、ピーターガブリエル
なんつーか、有名どころばっかロッキングオンで紹介されるし、アルバムランキング100とかから聴いていくから、有名どころばっかだね。いいのかわるいのか。
Amazonの購入履歴見返したら、ここ五年はベスト盤しか買ってないという。
てーかさ、今買う価値のあるオリジナルアルバムなんて無いよね。最近話題のBECKの新譜さえ、悪くはないけどなぁレベルでしたし。
そんなベスト人間の私が最近買ったのは。バンドが解散したり死んだりするとベストは出るもので。ベストが欲しい人がいると早くしなねえかなぁなんて思ったりします。ノラジョーンズさん、七尾旅人さん、スティーナノルダスタンさん、よろしくお願いします。
そういやTHE BOOMが解散したじゃないですか。私がソロで活躍してた頃、セットリスト埋める為に星のラブレターをいつもいれていまして。ままぁ、Amazonで五百円だしなということでこうしたものの。かなりイマイチだったな。なんていうか、思い出は思い出のままにしとくべきだったね。
ぶっちゃけ、THE BOOMのベスト買おうと思ったのは二回目なんですよね。1度目はYouTubeでTHE BOOM調べてたら矢野顕子さんの中央線のカバーが見つかりまして。あまりにも矢野顕子ショックが大きくて矢野顕子のベストを買ったのです。
まぁ、THE BOOMはもういいや。どうせ五百円だし。
ありがとうございます、敏腕プロデューサーさん!
とりあえず、そのベスト盤を借りてきます! すごい数あるなぁ。1軍はこれらすべて+とラブライブとWUGを押さえてるのかー。すっげぇなぁ。
http://blogos.com/article/88464/
「ポップソングが「閉塞感」ではなく「楽しさ」を共有する時代へ」という文章を読みました。
強い違和感を覚えたので備忘録代わりに書き残しておきたいと思います。BLOGOSのコメント欄だと字数が足りないので。
柴那典氏(@shiba710)の文章は間違っていると思います。
理由は以下の三点になります。
まず第一にアベノミクスが将来への希望を本当にもたらしているのかという疑問があります。
消費税増税や過去の景気状況から国民が景気に対し、継続した右肩上がりの希望的観測を持てるとは思わないからです。
加えて失業や高齢化、原発等、解決しない社会問題も山積する上、庶民の不安はむしろ拍車がかかるのではないかと思います。
つまり人々は楽しさや楽観という価値観のもとに生きていないのではないでしょうか。
第二に日本のミュージシャン(特にメインストリーム)は"カナリア"のような存在ではないということです。
これは楽曲への批判ではありませんが、翼を広げ瞳を閉じ桜舞い散る季節の中で君に出会えたキセキを歌うJ-POPには時代が反映されることはなく、それを許されてもいません。
時代を反映する曲を歌うということはつまり、楽曲がある種の政治的側面を帯びるということです。
現代の日本人にとって音楽の政治性とは最も嫌うものです。よって必然的に時代性(政治性)は排除され、似たような要素を持つ楽曲が量産されることになります。
日本ではSex Pistolsの「Anarchy in the U.K.」もGrandmaster Flash and The Furious Fiveの「The Message」のような楽曲は生まれないでしょうし、また生まれてもチャートの上位に入ることはないでしょう。
そこから導ける結論としては、J-POP等日本の音楽の特徴はむしろ「時代を反映しない」ことにあるのではないでしょうか。
現在の楽曲と10年前、20年前とを比較してそこに主題(テーマ)の大きな変化はあるでしょうか。
せいぜい電話やポケベルがLINEやメールに変わったくらいで、その根本は大した変化はないというのが実情ではないでしょうか。
「いいくらし」「ええじゃないか」等、氏の挙げる楽曲はどれもJ-POPのスタンダード、「励まし系」の枠を超えるものでもないと思います。
これらの楽曲に時代的必然性を見い出すことははっきり言ってできません。
当然それが悪い訳ではありません。繰り返しますが楽曲の善し悪しとはまったく別の話です。
日本のポップミュージックの作り手は、時代の空気を先端で感じている“カナリア”のような存在ではないのです。
第三に「ミスターチルドレンがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」という考察が完全に間違っています。
氏はその代表例として「マシンガンをぶっ放せ」を挙げています。
本当に「ミスチルがポップソングを通じて現代の閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その「マシンガンをぶっ放せ」は彼らの代表曲であるべきです。
しかし、一般人にミスチルの代表曲を挙げてみて欲しいと質問しても「マシンガンをぶっ放せ」と答える人が果たして何人いるでしょうか。
せいぜい「イノセントワールド」か「Tomorrow never knows」か「シーソーゲーム」くらいでしょう(最近なら「しるし」や「HANABI」かもしれません)。
「マシンガンをぶっ放せ」は、出せばミリオンを達成できた時代に唯一100万枚を割ったシングルです。
加えてその曲が収録されたアルバム『深海』は前作『Atomic Heart』から100万枚もセールスを落としています。
私はそもそもミスチルが現代社会の閉塞感を曲として昇華し、それを「売り」にするバンドだとは全く思っていません。
仮に100歩譲ってそのようなバンドだったとしても、本当にその「閉塞感」とやらって「共有」されていましたか?
ちなみに氏の言う「時代の閉塞感を内面化させていたミスチル」のセールスは、CDバブルに沸く世間とは対照的に見事なまでに右肩下がりでした。
アルバム『Q』は遂にミリオンを割ります。
しかし、仕切り直し的な意味を持つベスト盤とそのツアーを挟んでの次作、『IT'S A WONDERFUL WORLD』で彼らは文字通り“蘇生”します。
世の中のCDセールスが頭打ちになる中、セールスは前作から50万枚も回復するのです。
このアルバムからミスチルのメロディーは「ポップで王道的に」、歌詞は「前向きな内容」になり、彼らの得意分野であった「ラブソング」が完全に復活します。
ものすごく簡単に言ってしまえば「ハッピー」な作品になります。
以後、今日までの彼らの方向性はこの延長線上にあります。
嘘だと思ったらアルバムのクレジット欄を片っ端から調べてみて下さい。前作『Q』まで二転三転してきた制作環境やスタッフが、このアルバム以降基本的に統一されます。
この事実が意味するものは、この『IT'S A WONDERFUL WORLD』からバンドが目指す方向性が「確立」されたということです。
しかも氏の言う「時代の閉塞感を共有する」とは真逆の方向で。
その後の活躍は説明するまでもないでしょう。氏の方がご存知ではないでしょうか。
さて、本当に「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のでしょうか?
改めて見てみましょう。
00年代に売れたシングルは上から順に「四次元」「Sign」「youthful days」「しるし」です。
「ミスターチルドレンはポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」のならば、その楽曲は社会批判的な世を憂う内容のはずです。
「自分を信じたならほら未来が動き出す/ヒッチハイクをしてる僕を迎えに行こう」(「未来」)
「傷つけ合う為じゃなく/僕らは出会ったって言い切れるかなぁ? /今 分かる答えはひとつ/ただひとつ/I love you/and I love you/and I love you」(「and I love you」)
「繋いだ手を離さないでよ/腐敗のムードをかわして明日を奪うんだ」(「youthful days」)
「ダーリンダーリン/いろんな角度から君を見てきた/共に生きれない日が来たって/どうせ愛してしまうと思うんだ」(「しるし」)
一体このどこを聴いたら「時代の閉塞感を共有している」などという言葉が出てくるのでしょうか。
楽曲の内容は至って前向きなものか、もしくはラブソングの括りに入るものかと思います。
本文の「終末のコンフィデンスソング」に関するミスリードも目を覆いたくなるような酷さです。
本文では「たまに不吉な夢見るんだよ/走っているのに進まない/ひょっとしたら実際に起きてることを夢の中で知らせるメタファーかも」という歌詞のみ引用されていますが、この曲の結末部分はこうです。
「今僕らの目の前で起こってること/楽観も悲観もなく/ちゃんと捕まえたら/足元に落とした視線を/上にあげ/胸を張れ!」
なんと前向きで力強い、ハッピーエンドな曲なのでしょう!
しかもこの曲が収録された『SUPERMARKET FANTASY』というアルバムはリード曲「エソラ」に象徴されるような、とても「カラフル」で「楽しさ」を前面に打ち出したアルバムなのです。
今まで挙げた事例を見て頂ければ分かる通り、残念ながらミスターチルドレンは氏の望むような「ポップソングを通じて閉塞感を共有する」音楽活動は行っていないようです。
仮にそうであったとしても「ポップソングを通じて閉塞感を共有する時代の一つの象徴になった」ことは一度もないのは明らかです。
このような基本的な事実を踏まえずして「アベノミクスで失われた20年は終わった!これからは楽しさを共有する時代だ!ミスチルという閉塞感を共有する時代の一つの終わりだ!」とか炎上目的のゴシップ誌の見出しのようなことを得意げに抜かすのが、私が日頃愛読している「musica」という音楽雑誌と関係の深いのライターの方なのです。
私は情けなくて仕方ありません。これが「プロ」の書く文章なのでしょうか。
ちなみに同じ筆者が書いた「なぜBUMPは「国民的バンド」になれないのか」という記事も酷いものでした。
願わくばこのような暴論を振り回す音楽ライターが、私の敬愛するミュージシャンと音楽に関わらないでくれと祈るばかりです。
最近ではアーティストが公式にYoutubeなりでプロモーションビデオを配信している(主に洋楽の傾向か?)。
ラジオのランキング番組に耳を澄ませたりレンタルCDに新譜が並ぶのを待ったり、なんてことしなくても好きな曲の多くを聴ける。
CDを買わずに済ませることが昔よりも容易にできるようになった。
理由はそれだけではないだろうが私はここ数年、CDを買うことがまったくと言っていいほどなくなった。
音楽業界に関する報道に目を通す限りこれは私だけの事件ではないようだ。
「これでは新人が育たない!」ベスト盤しか売れなくなった音楽業界の悲鳴
http://www.cyzo.com/2009/10/post_2935.html
というニュースがはてなブックマークのトップページに載っていた。
どことなく違和感を覚えたのは多分ベスト盤に対してさほどいいイメージがないからだろう。
過去に何百枚何千枚あるいはそれ以上とCD・レコードを聴いてきて心の名盤と思えるものはすべてオリジナルアルバムだった。
スポーツに例えるならベストアルバムは個人プレイ、オリジナルアルバムはチームプレイ、後者が上であるのは特に驚くことじゃないだろう。
時期がずれると曲調やプレイスタイルも変わるため同時期の曲をまとめた方がしっくり来るのも理由だと思う。
素晴らしいベストアルバムが世の中にはたくさんあるしベストアルバムは新規ファンの開拓の上では最良のものなのだとしても私の心に残るのはいつもオリジナルアルバムだった。
たとえば有名どころであげると最も知られている洋楽バンドThe BeatlesのファーストアルバムPlease Please Me。
1曲目にノリ良く耳に残るI Saw Her Standing Thereで聴いている人の心をつかみ、2曲目のMiseryでノリだけではないことを見せつけ、さらにはカバー曲をThe Beatlesのカラーで見事に聴かせ……という流れ。
邦楽の有名どころでは国内で初めて300万枚のセールスを記録したアルバムThe Swinging Star、アーティストはDREAMS COME TRUE。
1曲目のイントロ曲The Swinging Starでこれから始まる時間への気持ちを高め、2曲目に派手さはないがDREAMS COME TRUEの実力を堪能できる名曲あの夏の花火 、3曲目ではあの夏の花火とガラッと違った雰囲気の聴くと胸躍るDA DIDDLY DEET DEE、ヒットシングルである決戦は金曜日を7曲目に配置することで後半への勢いをつけ、最後は晴れたらいいねでさわやかに締める。
音楽の専門家ではないので上記2アルバムの解釈が一般的じゃないならそれはごめんなさい。
私が伝えたいのはアルバムを通しての良さがあったということ。
もうここ数年心に残るアルバムがない。
音楽を聴かなくなったからではない。音楽に触れる時間はきっと昔よりも長い。
好きな曲があってもそのアーティストのアルバムを聴こうとまではしない。
そのアーティストのシングル曲をざっと聴いてまた次の別のアーティストへ。
1枚のアルバムを1カ月以上繰り返し聴いていた昔が嘘のようだ。
インターネットでいくらでも曲が聴けるようになったからだし、もしかするとアーティスト自体のレベルが下がっているのかもしれないし、年齢的に新しいものを受け入れづらくなったからというのもあると思う。
音楽の聴き方として正しいとか正しくないとかは知らないが(正しいも正しくないもないだろう)大事にしなくなったのは確かだ。
ただ、今でも人の好きな曲や好きなCDを知りたいと思う気持ちは残っているからまだもっと大事にしたいのだろう。
今夜はブギー・バック風に言うと「あなたの心のベスト10第1位」。
みんなの心の名盤はなんだろう。
いい音楽に会いたいと思ってはいるんだ。
洋楽が好きなので、全米音楽チャートやリリース情報などをよくチェックしてるけど、
アメリカじゃリリースされていないCDが日本でだけリリースされていたりする。
なんでだ? もちろん、日本で制作したのでもないし、日本独自のベスト盤とかでもないやつだよ。
それって、大体がやや落ち目気味のアーティストか、裏方長年やっててデビューした人なんだ。
もしかして、
一時期とても人気があって、でも今は落ち目。または、売れるかどうか未知数のアーティスト。
↓
でもレコード会社との契約があるからCDはリリースしなくちゃならない。
↓
↓
↓
という図式なのではないか?
ビヨンセってメジャーだけど、彼女の新譜のアメリカでのセールスは、先週までで30万枚弱くらい。
日本ではこーんな小さな島国なのに、さらっと何万枚も売れちゃうし。
以上はただの憶測だけど、以前から不思議に思っているのだ。
なぜ日本でしか出ないのがあるのだろう?
PerfumeとB'zが違うのは、下積みの有無ではなくて、
下積み時代から応援してきたファンの比率でしょ?
最近はネットというもののおかげで下積み時代から注目されやすいし、
「下積みで頑張ってるから応援してね!」を狙って演出する
こともあるわけだけれども。
PerfumeはQuickJapanとかCONTINUEとかサブカル通気取りが
読む雑誌で早くから取り上げられてたと思う。
一方B'zにしろウタダにしろなんでもいいけど、
そういうの聴いてる人は有名になってからベスト盤で入ったり、
カラオケで人が歌ってるの聴いて興味持ったりって人が多そう。
だからなんだって話だけどね。
ネット上の「何故売れた論」は、Perfumeというものを玩具にして
もっと、素直に中田ヤスタカのサウンドを楽しめないものかね。