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2018-04-17

次官セクハラの件で思うこと

次官セクハラの件が、

世の中でクローズアップされていて、

音声とかも流れてきちゃってて思うこと。

私は女でモテるタイプではないけれども、

飲みは好きで、よく行くからあういう感じの飲みセクハラ的な

やつはそれなりにあったことはあるんだよね。

でも、あれって、あの誘ってくる感じとか、おっぱい触っていいとか

まあ、もし手を握るとかあったりしても、

それ自体嫌悪感気持ち悪くて、イヤっていうことはそこまでないんだよね。

それは痴漢ちょっと感覚が違う。痴漢はやられると嫌悪感と恐怖がガってくる。

まあ、痴漢セクハラじゃなくて犯罪なのはそこかもしれないけど。


で、何が起こるかっていると、ただただ、「困る」わけです。


なんでかっていうと、それさ、断ったら機嫌悪くなるでしょう。

でも、ちょっと乗って、その流れが分からん人だったらガチでその気になるでしょう。

とりあえず、私は「その人とはやりません。」っていう前提なわけですよ。

でも、嫌いなわけでもないし、怒って欲しくもないわけですよ。

ましてや本気にもさせたくない。

今回のはそれを受けないと仕事に支障が出るっていう

まさにズバリセクハラなのかもしれないな。

はいえ、分かって欲しいのは、

無いときはやんわり断ったり、冗談にしたり、

「無いですよ」って対応するんで、それにぜひ気づいていただいて、

それで怒ったり、本気になったりしないでねっていう。

それだけなんだけどな。

2018-04-05

大相撲土俵女人禁制中東戦争について考えてみた

4月4日、京都舞鶴で行われた大相撲地方巡業の際、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市長に、周囲の女性たちが救命活動のために土俵上に上がった問題について、メディアを通じて大きな問題になっている。

医療関係者報道されている女性救急救命中、行事が「女性土俵から降りてください」と繰り返しアナウンスし続けたことが大きくクローズアップされている。

歴史ある大相撲伝統として、土俵には女性は上がることはできない「女人禁制」の原理原則からすれば当然の話である

しかし、世間はそうは受け取らなかったようである。この土俵問題を報じているヤフーニュースコメント欄をザッと読んでみても、女人禁制制度自体に対する批判が多かった。

ちなみに、私自身も個人的には大相撲土俵女人禁制には批判的だし、もっと言えば皇室男子継承についても改革するべきだと考えている。

ヤフーニューステレビ報道番組の中で言われていた批判の中で印象に残ったのは「女人禁制原則を守った結果、救急救命行為が行われずに、市長が死んでしまったらどうするのか」という論理である。21世紀の現代社会なのに、女人禁制のしきたりは時代遅れではないのか、と。

しかし私から言わせてもらえば、「女人禁制」というしきたりは、しきたりという古めかしい言葉表現される以上の意味を持つ、「思想信条」に等しいのではないか

私たち一般人から見れば女人禁制なんて、頭のおかしい考え方そのものに思えるが、大相撲関係者の人たちから見ればそれは教義と同じことなのだ。

大相撲関係者の胸の内を想像してみると、死人が出たとしても女人禁制原理原則は守るべきことなのだと!

ここで思いついたことがある。中東イスラエルパレスチナ中東戦争のことだ。

ご存じの通り、中東戦争の火元であるエルサレムにはユダヤ教イスラム教キリスト教聖地となっている。

ユダヤ教徒によって神聖存在である嘆きの壁ムハンマドがここで昇天したと信じるイスラム教徒にとっての岩のドーム、そしてキリスト教徒にとっての聖墳墓記念聖堂の3つである

この3つの宗教をめぐって、あの地域の人たちは50年以上も戦争を続けている。

私たち日本人から見れば、中東砂漠の中の地面を巡って殺し合いをするなんて、あの土人どもは頭がおかしいだろうとしか思えないことであるが。

しかし彼ら(ユダヤパレスチナ周辺諸国の人たち)からすれば、「教義のためなら死をも厭わない」と本気で考えている人たちが多いということだろう。

そして21世紀の現在でも、彼らは殺し合っている。

ユダヤ人やパレスチナ人の人たちも、大相撲関係者の人たちもやっていることは同じではないか

そして、私たち何も関係ない一般市民からすれば、他人思想信条を変えさせることは絶対に出来ないことなである

2018-03-30

学童クラブって知ってますか?

小学校の頃、校舎の脇にありませんでしたか建物

放課後クラスの子何人かは行ってたはず。

遊んで、宿題やって、おやつ食べて、親に言われた時間通りに帰る。

共働き家庭の子の居場所。それが学童クラブ

人が足りない。全然足りてない。

クローズアップされるのは保育園ばっかだけど学童だって需要めっちゃ上がってる。

わたしパートでもう2年働いているけど人がほんとに足りない。

夏休みとかほんと地獄

1ヶ月朝から夕方まで60人近い子供相手する。それをシフトで回さなきゃいけない。

小学校の規模によってまちまちだが

うちはそれでもまだましな方

ただ4月から職員体制が変わって、長く勤めてた常勤さんが異動になる。

パートも何人かやめてしまって、平日60人を3人で見ないといけない日もあるとのことだった

先生は30人を1人で見るんだから、と言われるかもしれない

けど60人のおやつを準備して、食べさせて、皿洗いしたりするおやつ係がまずひとり、掃除したりする人も必要

保護者から受けとる連絡帳の対応をする係、事務作業だっていっぱいある。

やらなきゃいけないことが膨大すぎる。

障害のある子には、介助度にもよるけどひとり職員が付きっきりでいなきゃいけない。ひとり持っていかれる。

子供喧嘩日常茶飯事なのに、こんなにもやることがあって、人手が足りなさすぎる

子供かわいい

むかつくこともあるけど些細な瞬間に救われたりもする

の子たちがちゃんと生きていけるような社会にしなきゃいけない

ちゃんと生きていけるような大人になってほしい

わたし学生からシフトをたくさん入れるなどという協力をすることはできない

学童クラブもっと良い体制運営できますように。

将来は教育関係の職に就くことを視野に入れています

2018-03-21

格闘家アスリートアンガーマネジメントって

相撲業界暴力事件クローズアップされて久しいですが、

掲題にあるように、怒りのコントロールってどうしてる/どうしたらいいんですかね。

彼/彼女らって、脳と身体が直結する訓練を受けていると思うのですが、

特に格闘系の人たちは感情も利用している?)怒りを抑える前に身体が動いちゃう印象。

実際問題、どうしている/どうしたらいいんですかね。

単に私の印象が間違っていて、結構コントロールできるならそれで良いのですが。

2018-03-19

anond:20180319143856

今の時代義務に感じなくてもいいかなと思うけど。ただ、結婚恋愛してなくてもできるよ。我慢できる相手かどうかとか、我慢をどれぐらい強いてくる相手かとかを見極めればよいよ。

実際はセックス快楽だけで恋愛なんかできないから諦めろ、としか

俺の考えだけど、セックス気持ちいい(痛いだけとかでない)なら、それが恋愛のものと捉えることもできるよ。

で、付き合うことになれば相手をそれなりに独占する権利を持ち合うし、それに見合った尊重の仕方をするのだけど、そんなもんはポーズでもいいんじゃないかと思ってる。

まぁ相手尊重する感じは人の尊い部分と捉えることもできるから、そっちがクローズアップされがちだけど、本質ではないかなーと思う。

自分含めそんな感じ全然ないリアリスト的な人でも恋愛してるし。

2018-03-15

anond:20180315111350

今は、牧歌的シンプルな男女間の対立ではなくて、「リッチ・男女」vs「貧困男」vs「貧困女」という三すくみ状態になっているような気がしている。

ほんとこれ。だから男女論と経済問題が絡みあって紛糾する。

性別差ではなく経済格差がより問題意識としてクローズアップされる、一方で簡単に覆せない規模の社会経済格差において上流(ワインスタインセクハラ事件のような)はまだ男性優位である、というマダラ色になっているからこそのカオスというか。

これも同意。人によって想定する異性のキャラが違いすぎていて、議論が全くかみ合わない。

養える人は守ってあげたいタイプ結婚しなきゃいけない、こともない。

恋愛フェミニズム適用することを完全に諦めた感がある。

大昔のフェミニズムは、「自由恋愛する・性向を表明することを社会的に禁じられた女」という社会のなかで育ったが、今はそれはかなり解消されているからというのもあるのでは。meetooの迷走やエマ・ワトソンへの非難なんかは、そもそもフェミニズムの流れ自体が次のフェーズの手前で迷走しているか結果的に怒ったことという気がする。

ちょっと話はずれるが。

今は、牧歌的シンプルな男女間の対立ではなくて、「リッチ・男女」vs「貧困男」vs「貧困女」という三すくみ状態になっているような気がしている。性別差ではなく経済格差がより問題意識としてクローズアップされる、一方で簡単に覆せない規模の社会経済格差において上流(ワインスタインセクハラ事件のような)はまだ男性優位である、というマダラ色になっているからこそのカオスというか。

おばちゃん個人的意見としては、「経済的に自立してるけど好みの男はマッチョで頼れるタイプ」、とか寝言っぽいことを言えることは、むしろ大事だと思っている。ただしこれは経済格差の緩やかな解消が社会で共有されていく未来が前提ではあるけど。

社会経済的な自立度合いと性的な好みが直結する必要はないし、むしろ、「社会的に自立している=養いたいタイプが好み」であれ!と押しつけるのも違う。典型的ジェンダーロールの押し付けから

だって稼ぎの多寡とは関係なく、守ってあげたいタイプの女だろうが自分で生きていけそうな野性味ある女だろうが、どっちがタイプとして表明したっていいし、そうあってほしいと思うし。

実際、昨今の2、30代の上流男性は、同じ社会階層の(社会経済自立的な)上流女性カップルになるケースも増えているしね。そうすると社会階層も固定化やすくなるし、あんまり好ましくないなーと思ったりはするが、これも男女論ではなくて貧富論になっちゃうからフェミニズムの中だけで話す話ではなくなるというか。

anond:20180315023056

2018-02-04

anond:20180204141626

しろ仏教儒教はそういう思想の宝庫なんだが、

仏教→怪しい霊感商法が大量に生まれ宗教関係というだけで怪しまれる。伝統仏教僧侶思想を持たなくなってる。

儒教→下が上に従えだけがクローズアップして、上があるべきことをすっ飛ばしブラック企業根拠みたいに扱われ嫌われてる。

だとおもう。

から海外でZENがブームになってるとかいうが、日本ではピンとこない。まあ、日本のどろどろしたもの抜きの思想のみならと思う。

一例をあげると陰徳(徳は陰ながら積むもの)とかいうのがあるね。安田善次郎がこの考えだった。渋沢栄一論語そろばんとか言ってた。

2018-02-01

anond:20180201125341

テレビゲームの中にも存在するスポーツ性はそれだけ今までクローズアップされていなかった、が故に今そこを強く打ち出す事でメーカーユーザー共に公共性を高めようとしてるっつう事だろ?

やり取りの中でほとんど答え自明になってるじゃん。何がそんなに疑問なんだかがよくわからん

2018-01-19

anond:20180119180945

その通り

創作実話の中でもTwitter上で腐女子が街中で見かけたとする男2人組の作り話をするのが特別目に余ってさらに割と気持ち悪かったのがクローズアップされた理由かと

Twitter腐女子の真似してみたwwwなんてスレッド5chで何度も見たし、嘘松特有の語法(「え、待って」「今電車で〜」「〜隣にいたお姉さんとガッツポーズした」)の分析もあった

形成の背景は置いておいて、とにかく持ち得る要素が違うのだからサンドウィッチ男」なんて言葉を作って引き合いに出すのは間違っていると思う

2018-01-07

からない わからない わからない

浜田の黒塗りの件で、もしかして私は差別容認なのだろうかと自分を信じられなくなっている。

番組自体は見てなくてニュースサイトで今回の騒動を知った。「一個人に扮した仮装でしょ?別にいいやん」が最初に思ったことだった。ミラクルひかる宇多田ヒカルに、前田健松浦亜弥に、コロッケ美川憲一に扮するのと同じように「浜田雅和のエディ・マーフィーのものまね」としてそれを受け入れた。

なんで叩かれてるの?と思ったらどうやら世間は「浜田雅功黒人モノマネ」としてあの姿を受け入れたらしかった。

今回の騒動に関連した宝塚についてのエントリが上がっててそれを読んだときも思ったけど、タカラジェンヌの人たちは舞台の上で顔を白く塗っている。もともと舞台化粧は派手にしてなんぼなところがあるんだろうけど、「演じる役柄が白人から」というのも白塗り理由の一つだと思う。でもそれが叩かれてるのは見たことがない。なぜならタカラジェンヌの人たちはその劇の中で演じる一個人・一役柄として観客に受け入れられているからだ。「日本人白人の真似をして白塗りしている」とは捉えられない。

じゃあ「お笑い番組」で笑い者にしたからだめなのか。

ドナルドトランプでもマリリンマンソンでもウディアレンでも誰でもいいけど、もしあのとき浜田白人有名人仮装をして白塗りしていたとしたら、ここまで叩かれていたのかな。もしもの話だから実際のところは分からないけど、多分そうはならなかったと思う。今まで数多く放送されたお笑いモノマネ番組の中で、白人有名人の扮装をした人たちはたくさんいただろうけどここまで叩かれたことはなかったからだ。

もちろん「白人の真似をして付け鼻をするのは差別!」という批判の声があるのは知ってるしそういうデフォルメ糾弾されるべきと思う。「肌の色で人間カテゴライズしてデフォルメ化するな」というのは分かる。分かるんだけど、今回の件はそれとは違うと思うのだ。一個人に扮してその人の肌の色を真似ることが駄目なら、個人の特徴をクローズアップしてそれをエンタメとする「モノマネ」というもの自体全てアウトなのではないか

黒塗りにだけ反応して黒人差別を叫ぶ「あの子かわいそうな子から触れないであげて!」みたいな腫れ物扱いって、逆差別ではないのか。黒人の肌の色は悪いものでもなんでもなく個人身体的特徴だ。身体的特徴を揶揄するのは悪い。それは分かる。あれ、じゃあ今回の件もやっぱり浜田が悪いのかな。でもあれって「揶揄するために」黒塗りにしたのかな。じゃあモノマネ自体個人揶揄する行為なの?じゃあモノマネは全部よくないの?とかなんかよく分からなくなってきて自分差別的人間なのかとか感覚が偏っているのかとか色々考えて自己不信になっている。

2018-01-04

60年代日本人差別意識

これは見るたびに当時の認識のひどさに爆笑してしまうのだけれど、奈良ドリームランド開園時のPVには、ジャングルクルーズで「人食い土人」だの「土人部落」だのの言葉が乱発され、「見世物」になっている様子がよく分かる。

https://www.youtube.com/watch?v=7r7et5aQkRc&t=3m55s

https://www.youtube.com/watch?v=7r7et5aQkRc&t=4m40s

「あっ!人食い土人!」

じゃねーよwと思うのだけど、そういう時代だったのだということである

これは1961年の開園当時ということで見ると、歴史的にはまだ華青闘告発を迎える前のことであり、その華青闘告発があった1970年あたりを境目として、日本人差別意識問題は急速にクローズアップされていくのだけれども、それはまた別の話。

2017-12-30

今のキビシイ現実自分言葉説明してみた

神話崩壊」が喧伝され、あらゆる種類の「変わり者」たちが警戒の対象となり、単なる迷惑化はおろか法的な意味での予防検束を可能にするさまざまの改「善」がおこなわれる。欧米では男尊や女卑が主な警戒対象となっているが、もともと同調圧力の強い日本社会では、21世紀以降、ほとんどありとあらゆる「変わり者」たちが狩られ始めた。

「○○ハラスメント」や「○害」といった造語が急速に浸透して“犬も食わぬ”ものであったはずの体罰子供の大声や騒ぎ声に行政が容易に介入できるようになり、喫煙者飲酒者や公務員迫害され、某国工作員左翼右翼存在クローズアップされ、裏社会合法活動領域からも締め出され、成人犯罪はおろか少年犯罪にも厳罰要求され、昔であれば迷惑に過ぎなかった行為軽犯罪扱いされ、中流はすでに貧乏に等しいような貧困予備軍の扱いを受け、もちろん鉄道学校に対しては「空港基地にだけ例外的適用」されているはずだった「迷惑施設対策」だの「誘致地域への経済的優遇」だのといったバッシング炎上事態が恒例化した。「アニメ漫画青年趣味卒業しない」とか「車やバイクを成人後も敬遠する」とかのちょっとした「小さな変わり者」すら断固とした批判対象となった。監視カメラyや精神科が街じゅうに設置され、「コンプライアンス」「モラル」「マナー」が叫ばれ、小心者に何か用事があるとは思えない中小企業にも「脱ブラック企業」の標語が掲げられるようになった。

それらのすべてが字義どおり「戦乱行為」として展開されているのだが、「反戦」の文脈でそれらに異議を唱えている者はたぶん今なお日本では少数である。「戦争したくなくて震え」たりすることもあるらしいリベラル派は、全体主義エコロジー反自由主義運動親和的で、「その意味での戦乱政策」のいくつかに関しては積極的推進勢力であったりさえする。むろんリベラル派どものみならず、国民の多くが「戦乱政策」の数々に諸手を挙げて賛成していよう。

好戦的国民感情迎合し、戦意高揚煽り、それに煽られてますます好戦的になる国民感情迎合する、2001年9.11以来の新聞テレビ報道は、私の目には「戦時報道」にしか見えないのである。そういうものに私は感化されたくないし、もちろん感化されない自信もあるけれども、とにかくちょっと接するだけでも不愉快になって、心の健康に悪いので意識的に遠ざけるようになってしまった。

2017-12-20

劇団 竹の公演『人形を殺す』を見に行った記録

ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。

というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。

(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)

キッカケは、

  https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

この劇団で。

でもって、出演していたキャスト新宿ゴールデン街バイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。

いろいろと話も聞きたかったし。

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そしたら、その女優さん。

舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。

思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。

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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)

そして、ちょっと前に劇場に行ってきた。

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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。

随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。

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■全体として

いろいろと語りたいことはあるけれど。

まずは。

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      まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。

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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。

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全体のアウトラインとしては。

(もう公演も終わったことだし、ネタバレいいよね?)

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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子ミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。

子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。

回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。

すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。

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という感じ。

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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。

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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。

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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。

命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。

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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。

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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。

そこに、キリスト教ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……

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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!

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これまたベタワードだけど、他に形容のしようがない。

(どうしても想像が及ばない人は、ここで、

 “もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族自己修復ドラマ

  お得意の悪夢タッチケレン味タップリに撮ったら”

 というのを想像してみてください。

 当たらずといえども遠からずのはず)

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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。

「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」

というのがテーマ

そして俺、爆泣き。

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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。

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まず、基本はダイアローグ(1 on 1のトーク)。

モノローグでもポリローグでもなく。

回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグカウントする)

ストーリーライン全体は

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 隠し子ミツルと長女ツグミの対話

 ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、

   育まれてきたミツルの姿が明かされる

      ↓

 ツグミと長男シュウタの対話

 ーーいまではヤンママシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発

      ↓

 シュウタと連れ子ヒデフミの対話

 ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、

   ここでシュウタの最大にして最後の働きかけが大爆発

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という大枠の流れに、回想シーンとして

 ・父フトシと母ノリコの外食

  (後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)

 ・フトシとヤスコの逢瀬

 ・堕胎をうながす継母サダコと反発するツグミ

 ・夢の中でシュウタに、出奔という自分ギリギリの選択を明かす母ノリコ

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といずれも1 on 1。

対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。

(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)

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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。

最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオ後日談が語られることで代替されている。

というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。

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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

俺「おおっ! あなたツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」

ラムネさん「んふふ~」

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と、明確な答えは得られず。

ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。

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余談。

確かなことは。

無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。

ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。

余談終わり。

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もう1つ。

ストーリーを裏から支える暗喩のレベルが。

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 気にしなければ流すこともできる。

 気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。

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というレベルキッチリ統一してあるのが気持ちいい。

(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)

たとえば。

ミツルツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。

ヒデフミが現在ではロザリオ製造業に努めていて、毎日キリスト十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。

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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。

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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。

冒頭、中間エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。

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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。

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2回目は、うーむ、解釈に困る。

シヴァヴィシュヌガネーシャブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ

BGMはタブラ4つ打ちデトロイトっぽいミニマルテクノ

ことなく、今敏っぽい。

無理して考えれば、愛人ヤスコ隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。

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というか、ストーリーのキーアイテムがいくつかあって。

1)キリスト教

家族システム自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。

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2)多神教シャーマニズム

愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズムスピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。

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3)フトシ人形

元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。

そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。

その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。

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余談。

この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。

と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。

まじで何か乗り移ってね?

余談終わり。

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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング後日談)とスタッフロール

ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。

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と、合計3回のビデオなんだけど。

うーむ、評価に困る。

なんというか、悪くは無いんだけど。

編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。

芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。

逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。

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ラムネさん「あのビデオなんですけど~」

俺「おお! ラムネさん! ビデオがなんですか?」

ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」

俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」

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観劇

で、さてさて。

終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。

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俺「グスン、あ、あの、最後後日談ビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」

(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)

竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。

あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」

.

え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   ズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。

と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。

俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」

竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   またまたズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?

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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」

俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」

ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」

俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」

ラムネさん「まあ、あのヒト、照れ屋さんですからね~」

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うーむ。

いろいろと事情はあるようだ。

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あらためて全体として

というわけで、あらためて全体としては。

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もう、激烈に良かった!

チケット代の倍くらいのモトは取った!

劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!

という感じ。

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キャストスタッフについて

本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。

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  こんな気持ちのいい観劇、生まれて初めて!!!

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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル

舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル

フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!

サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!

後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!

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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?

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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」

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ですよね~。

照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。

何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、

シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。

ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!

彼らにはノーベル賞ピューリッツァー賞紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。

それくらい気持ちよかった。

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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。

ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー

この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?

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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」

俺「ふむふむ」

ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」

俺「なるほど」

ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」

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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。

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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。

キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!

どうなってるんだ!

これ、どうやって集めたの? スカウト? オーディション

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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」

俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

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うむ。ノーコメントなり。

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というわけで。

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■石川雄也(フトシ)

一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。

コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル

回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。

劇団竹に所属

地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。

上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。

もっといろんな所で見てみたいと思った。

いやだから見世物小屋の司会とかじゃなくて!

(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)

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■森川武(シュウタ)

長兄ってツラいよな。

いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。

そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。

それは、

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 神はどこにいるのか。

 それは天上界でもオリュンポス山でもない。

 神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する

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ってこと。

わからんけどね。あくまで俺の解釈)

ツグミの嘆きを受け止める。

そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。

ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。

そして俺、爆泣き。

劇団竹に所属

こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。

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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」

俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」

(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)

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■江花実里(ツグミ

劇団 架空畳に所属。通称ラムネさん。

あれ、おっかしーなー。

つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。

いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンシンママだよ。

彼女の後悔の号泣からストーリーが本格的に回転し始める。

しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。

最初はミツル人生を聞いたとき。

次に自分人生を振り返った時。

最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。

役者ってすっげーな!

でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。

でも、それでいいと思う。

この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。

あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。

「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。

これが彼女のミッション

いや、実に良かった。

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■辻村尚子(ノリコ)

フトシの最初の妻。

夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。

舞台が2018年の設定なので、旦那事業の立ち上げ期が80年代末。

キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの

なんかW浅野時代の浅野温子が乗り移った感じだった。

彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。

つまり天丼なんだけど、

なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。

なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。

劇団 竹に所属

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■大森華恵(サダコ)

フトシの後妻。

うつ病で自殺。

なんというか、いろいろと痛ましい。

(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。

この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。

2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。

そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。

ここでも天丼(繰り返し)が重たい。

なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。

クレジットがないからフリーの役者さんか?

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ところで、ストーリーに挿入される白装束ダンス

石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。

ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。

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佐々木光弘(ヒデフミ)

子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。

わかる。

そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後キャッチボールを決別の儀式として実行する。

と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。

キャッチャーシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。

おそらく板に座布団とか、そういうギミックボールを受けているはず。

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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」

俺「おいマジですかい?」

ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」

俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」

ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」

うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。

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空飛ぶ猫☆魂に所属

みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。

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■森川結美子(ヤスコ

沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス

なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。

ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。

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■山川恭平ミツル

フトシとヤスコの子供(つまり隠し子)。

鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。

朴訥。

観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。

それも当然で。

俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。

キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。

父フトシのハグ。

彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。

この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。

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んー、こんな感じか。

ともかく、全体としては。

この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。

次の公演にも注目して良いです。

自分もそうするし。

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2017-12-18

(ネタバレ有)最後ジェダイ酷評されててびっくり

俺、結構興奮しながら見てたんだけど。

ちなみに今三十半ばで、物心ついた頃から見続けてるファンっす。

一緒に観に行った彼女は、最近俺につられてスターウォーズ見始めた人なんだけど、その彼女も、見終わったあと興奮した面持ちで、お互い「いやー、良かったね!」て言いながら家路に着いた。

それで、ネットの評判も気になって見てみたら、酷評されててびっくりだよ。

酷評してる人の評価みると大体、今までのスターウォーズシリーズで培ってきた世界観ほとんど覆してしまった、というのが主な所なのかな。

まあその気持ちはわからないでもない。俺も、ルークあんな飲んだくれのおっさんみたいな感じになってるの最初違和感あったもん。

でも、皆が違和感覚える部分、俺は最終的にそれなりに納得できてしまってたんだよね。そこが評価の差のような気がする。

例えば、ルークに関していえば、よくよく考えるとすげー壮絶な人生送ってるわけよ。輝いてたのは最初デススター壊した時くらいで、あとは暗い事しかなかったわけ。

それで年取って、ああして人生に後ろ向きになるのも、まあ当たり前だよなと思うんだよね。逆にあれでエピソード4の時みたいにハツラツとしてたらそれこそ違和感

あと、レイが散々ファンに素性を予想させておいて、実は何者でもなかった、というのも、俺は自然に受け止められた。

あそこでもし、誰かの娘だったりしたら、それってもはや血統主義世界観だと思うんだよね。良い血筋でないとヒーローになれないのか、という。自由正義を求めるスターウォーズ世界観には合わないと思う。むしろどんな奴でもヒーローになれる世界であるきじゃないか

フィンとかローズとか、名もなき兵士しかなかった連中がクローズアップされたのも同じで、何でもないやつでもヒーローになれる、っていうのが今回のテーマなんだと思う。ラストシーンで突然フォースを使った少年然り。あの紫色の髪のおばさん然り(名前忘れた)ああい無名人達の頑張りで世界は救われるみたいのがテーマな気がする。

そんなのはスターウォーズではない?

いや、そんなこともないと思うんだよね。

思えば、初期のルークだって、片田舎惑星悶々としてるただの農夫の若者しかなかった。そこからヒーローになった。それに、フォース宇宙に偏在してて、石や木の間にもあるようなものだということをヨーダも言ってた気がする。それなら実は誰でもヒーローになれるんじゃないのか。

(こうやってフォースの設定とかに言及すると、設定周り詳しい人から、色々ツッコミが入るかもしれない。スターウォーズ歴長い割にこの辺りの設定の認識は俺は甘い。こういうのはどうせ後から継ぎ足されるもんだろ、くらいの気持ちで見てるからかもしれない。実際、あの作品は後からから設定が足されている。なので大目に見てほしい)

何はともあれ、俺はスターウォーズ精神性とか、旧三部作との連続性をある程度感じとっていた。だからまり違和感なく楽しめた。結構山場も多かったし。

ルーク死んじゃったり、反乱軍の流れをくむレジスタンスがほぼ全滅に近かったり、個人的にもかなりショッキングだったけどね。

批判する人の気持ちもわかる。

ただ言いたいのは、実はそこまで前作までと隔絶した作品ではないんじゃないか?ということだ。

人の感じ方はそれぞれだけど、そんな感じで見直してみるのもありかと思うんだよね。どうだろう。

スクリーンを切り裂きたくなるようなクソ映画 「最後ジェダイ

当たり前だが、ネタバレだらけだ。だが知ったことか。こんなクソ映画

人生で一番のクソ映画だった。(いままでのナンバーワンはロボコップ3

プロットホール、設定無視の山盛り。クソの山。

ローグ・ワン」も「フォース覚醒」も大した映画じゃないが頭には来なかった。

プロットホールは皆が話しているとおり。出て来る登場人物一人のこらずアホで感情移入を拒む。お約束を破りたいがためのめちゃくちゃな展開。

設定無視フォースの新能力イミフ爆撃機、一番ひどいのはハイパードライブアタック。あれがありなら今までの戦いはほとんど無意味になる。

だが、こんなものは平凡なクソ要素だ。べつにスクリーンを切り裂いて、なかったことにしたいほどのことじゃない。

番頭に来たのは「差別構造肯定だ。スター・ウォーズ世界観のなかで基本的に「人間」中心主義がある。共和国にもあったが帝国が勃興してよりそれが強固になったわけだ。だから帝国基本的エイリアンはいない。(例外映画以外のメディアでいるのは知っている)

エイリアン人間差別被差別関係作品で何度も描かれる。そしてそれよりも下の被差別階級としてドロイド。この3つの種族関係はそれぞれの立場がきちんと映画で描かれ続けてきた。ジャージャーやイウォーク存在も「スター・ウォーズ」の必須の要素だった。

それが今回はじめてまったくないがしろにされている。もっとレジスタンス側で位の高いエイリアンであるアクバー提督を雑に殺し、その代わりに人間の紫おばさんをコネ抜擢する。老齢の身でありながらレジスタンスに身を捧げた大提督人間エイリアン友愛象徴だったはずなのに。

エイリアンに見えるファースト・オーダー最高指導者も、彼が受けてきた恥辱や野心もまったく描かれず、雑に殺される。

その他のエイリアンは背景に押しやられ、奴隷(または逆に低能人間差別者)としてしか描かれない。ジェダイテンプルに仕えるエイリアン原住民愚者のように描き、あまつさえルークはそれをあざ笑っているかのように描く。ポーグのような意識を持たない「かわいいエイリアンしかクローズアップされない。この映画エイリアンは全くの差別されて然るべき存在しか描かれないし、登場人物全員がそんなように行動する。(指導的なエイリアンは二体でてくるが実体として描かない狡猾さまで備えている)

ロイドはそれにまして影が薄く、まったく雑な扱い。

この差別構造肯定もっとエスカレートする。有色人種白人との分断まで肯定してくる。

黒人白人絶対くっつけないために、容姿の悪い愚鈍黄色人種をわざわざ黒人主人公に割り当てる。

最後には白人主人公白人パイロット出会うと今後の結びつきを予感させる、例の言葉を口にするのだ。

そしてラストシーンにはエイリアン奴隷化された白人少年フォースに目覚めるかのように描かれる。過去ジェダイナイトとしてたくさんいたエイリアンではなく、新しいジェダイ白人少年なのだ

馬鹿にしてんのか。別にエイリアン主人公しろとか有色人種活躍させろっていってんじゃない。出すならちゃんと扱えよ。過去に敬意を払えよ。ルーカスはつたなくとも他者エイリアン、ドロイド有色人種)にたいして良い奴も悪いやつもいるし、バカも利口もいるように描いてきたぞ。

からスター」ウォーズだったんだ。主人公たちがエイリアンやドロイドに対して見せる豊かな感情共感してきたんだ。

聖書に則ったテーマがあれば絶賛するクソ評論家の町山には心底失望した。こんな酷い、悪意の塊のような映画はまったく認めれらない。

白人人間だけにクローズアップされた「スター」ウォーズなんてスカイウォーカー血筋物語の百倍クソだってわかんないのか。神話民主化したというが、個人家族)の話が人種の話にすり替わるほうが何倍も悪質なのがわかんないのか。

まったく胸糞悪くなる映画体験だった。

2017-12-16

anond:20171216100719

結婚した後に子供をどれだけ生むか?の合計特殊出生率1980年代には下がってました。

昨今の少子化クローズアップされてきたのは結婚しない人が増えてきたからですね。

まぁ皆さん自立した健康な老人になりましょう、あるいは公的安楽死機械みたいな未来かな。

anond:20171215140038

厚木市斎藤理玖ちゃん事件とか知ってるか?

あれとか単純に浮気で別れた妻への腹いせに自分親権はとったけどそのあと邪魔になってネグレクトして死なせた例だよな。

自分もそういう現場にいるけど、妻の浮気離婚調停を申し出た男が親権を申し出るケースのほとんどは、子供のためとか全然考えてなくて単に「そうすれば妻を苦しめられうだろ」って感覚でやってるからな。

メディアとか見てると子供を守らない女性ばっかりがクローズアップされてるけど、正直男性の方が「子供しらねーよ」くらいのキチガイが多い。

2017-12-01

anond:20171201140323

>ところで、「恋愛市場における男女比の偏り」は、生まれる数云々よりも、男性の方が恋愛市場に長く残るということの方がインパクトが大きいと思います

いや、そうは言い切れないと思うよ。近年になって、男性不妊問題クローズアップされてくるようになった。

年をとるにつれて、女だけではなく、男も子供を作るのが難しくなってきているよね。

だって、年齢を重ねるにつれて、恋愛市場における価値は落ちてきているよ。女だって本音では若い男の方がいいんだろうし。

2017-11-20

煽る系新書が嫌い

煽る系新書が嫌いだ。

いわゆる「○○が日本を滅ぼす!」系の新書見るとオエーとなる。

新興レーベルで、分かりやすく書かれてて、「○○の真実!」とか「○○は××である!」みたいなやつ。

帯がでかくて、肩書きがすごい人がドヤ顔で腕組んでるやつ。

騙されてる!だの、理不尽だ!だの、○○が真実だ!だの煽る。

かにそう思えるかもしれないけど、そんな単純な話じゃないのにと思う。

色んな経緯や事情が複雑に絡み合って、そういう事態になってるのに、一部だけクローズアップして単純化してるのが嫌だ。

新書健康本化が嫌だ。

売れないからそうせざるをえないんだろうけど。

知識をつけたいシニア世代や、急に社会問題に目覚めた若年層にウケるんだろうけど。

それでいかにも自分事情通だ、分かっている、この問題を憂えているみたいなのが引く。

そんな単純じゃねぇよ、単純化かつ扇動的な説しか知らないやんと思う。

情報を見極める能力が低いからだろうけど。

肩書きがすごいからってアレな学説の人はいるし。

出版マスコミ業界も読んでもらって売れなきゃ意味ないし大変なんだろうけど。

でも売れればいいのかと思ってしまう。

倫理的にどうよ、なんだけどそれどころじゃないし難しいんだろうな。

2017-11-04

anond:20171104164714

だいたいの人間にはそういう都合のいい心理的傾向はないようだな。

一部の知能の高いサイコパス度の高い人か意志の強い人にはできるかもしれないけど。

道徳的の内容によるけど、利己主義博愛主義での、

博愛主義に近い意味道徳を使ってるよなたぶん。

利己主義クローズアップされてるし。

博愛的は言い過ぎで返報的とか協力的くらいか

2017-10-14

anond:20171014121900

まあ産業革命によって社会保障概念クローズアップされエクストリームには共産主義が生まれってわけだから

生産性革命が起こったならそういうメンテナンス必要となるのは自明

って場面でむしろ社会保障削って削って削りまくりたい人たちに投票してんのに何いってんだかってなるだけだけどw

2017-10-10

anond:20170910233215

日本は「山椒大夫の国」だと思うのだよね。

恥ずかしいことだわ。

何が恥ずかしいって、山椒大夫みたいな屑があまりに多いから、

それを咎めることが大人の振る舞いじゃない、と言われること。

奴隷使いが先進国忌避されるのって、そいつら結局、国家パフォーマンス下げてるからだよ。

なのに戦後アメリカが置いて行った制度を何か変えるたびに山椒大夫を増やしていってる。

森友・加計問題だって明治期に当たり前だった官有地の(安価)払い下げを平成の世に再現したわけで、

国家パフォーマンス下げる政商を切れなかったという事がなかなかクローズアップされないけど過去70年の失策でしょ。

2017-10-03

[]

白砂を読んだ。ものすごく物悲しいエピローグだった。ラスベガスでたくさんの人が亡くなったけれど、シリアでも日本でもどこでもそうなんだけど、唐突に死を迎えなければならない人生やら無念やらがあるわけで、そういった人々の営みに思いをはせると猛烈にやるせない気持ちになる。

今回読んだ白砂って小説は、かなり読みやすい部類の物語になっていたと思う。軽妙な会話文もさることながら、長ったらしい情景描写もないし、最初こそ雰囲気に軽さが感じらて微妙だなあって思ってたんだけど、最終部の展開に至るころにはどっぷりと人間関係の難しさに呑みこまれていた。

途中で反省したんだけれど、どうも漫然と読み進めてしまうきらいがあるせいで、中盤辺りまで過去現在物語に登場する人物勘違いしてしまっていた。女性が話者になっている部分を、被害者母親の話だと勘違いしていたんですね。

ボルという人物名が出たあたりでありゃあこれは違うぞと、でもってああ、きっとこいつが犯人なんだろうなって予想したんだけど、最後の展開で予想のさらに上を行ってくれたのでとても満足した。騙されたというか、作者の術中に徹頭徹尾まんまと嵌められたわけなんだけれど、その弄ばれた感が心地よい読書感を与えてくれた。

そこに加えて最終部のエピローグですよ。事件被害者である小夜にクローズアップした一場面が短く描かれるんだけれど、これが本当に胸を打つ。小夜の内面エピローグプロローグの二つでしか主観で描かれていないんだけど、それがまた効果的に感情を揺さぶってくるんだ。

なぜこんなにいい子が死んでしまうんだって。どんな理由であれ、人の命を奪うことに対する憤りを喚起させる構成になっているように思えた。

結末が本当にぐっとくる作品から、ちゃんと最初から読み進めてほしい一冊でした。

2017-09-29

昭和増田憧れる禮雅Core出す真庭うょし(回文

昭和郷愁ただようノスタルジーな感じに憧れちゃうわ、

三丁目の夕日的な。

とみせかけて、

実際どうだったのかしらね

昭和時代って。

あの色褪せた感、

古き良き懐かしいところばかりがクローズアップされて

美化されてるんだと思うわ。

だって

携帯電話だってなかったんでしょ?

インターネットだってなかったんでしょ?

マイコンもなかったんでしょ?

それなりに不便だったこともあるはずよ。

いまでこそ、

いろいろなことが機械化されてるけど、

伝票印刷だって手書きって考えると恐ろしいわ。

あと、

昔はバーコードもなくてレジってどうやってたのよ?って感じ。

でも昔からスーパーマーケッツはあるわけだし。

駅の自動改札じゃなかった頃はどうしてたのよ?

駅員さんちゃんとあれ切符見てるのいちいち?

ワザってるわよね。

とかとか

そういうところが謎過ぎるわ。

昭和謎だらけ物語よ。


今日朝ご飯

タマサンドよ。

違うお店のと食べ比べ、

いつも買うところがコクがあるのにキレがあるわ。

子どもの頃、

味でコクとかキレとかよく分からなかったけどね。

今分かってるって訳じゃないけど。

それ言っとけばいい的な意味での最大公約数ワードよ。

デトックスウォーター

最近帰りが遅いから仕込む時間がないわ

それにお茶っ葉だって買いに行けやしない。

でも、

水出しもそろそろ終わりなき説かしら。

ホッツ白湯ウォーラー梅干し落とし。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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