はてなキーワード: 違和感とは
おまえの言いたいことはわからんではないけど、「チン説」はちがうだろ
表現としてあえて「チン説」っていう言葉を選んだなら、お前のあたまはおかしいとしかいえんわ
「チン説」なんて表現は、スポーツ紙とか週刊誌で下世話な話題に使うのがせいぜいだろ
もういいからひっこめろよ見苦しい
おっす。オラ工業高校卒。以前に学力テストについて話をかいてみんなにいろいろ突っ込まれたおかげで知見がすげえ広がってうれしかったぞ。
最近、はてなのスター、シロクマ先生が以下のような記事を書いてたんだ。
https://blog.tinect.jp/?p=85698
こうした認識があったものだから、『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだ私は安楽死の導入に大きな不安を抱くようになった。欧米、とりわけアングロサクソンの国々で安楽死が制度化されるのはまだ理解できる。だが、日本のように自由と責任の建付けの曖昧な国で安楽死が制度化したら、その安楽死はいったい誰の自由意志によるものなのか、その安楽死はいったい誰のためのものなのか、やっぱり曖昧になるだろう。
と、「人権感覚の進んだ欧米では安楽死制度は運用可能かもしれんが、人権後進国の日本では無理」みたいな感じで書いてあったんだ。
でも、この文章のネタ元になっている『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死制度を導入した国で起きたエグい問題についての話がガッツリ書いてあって、人権先進国だろうがなんだろうが、とても人間には運用不可能な制度って印象なんだ。
でも、シロクマ先生記事だけ見ると「多少の問題はあるが、人権意識の進んだ国ならおおむね運用可能だし将来の有望な選択肢」みたいに見える。本を読んだオラからすれば、地球人を信用しすぎてないか?って気がするぞ!
シロクマ先生はこのあたりの事件はセンセーショナルすぎて、持論を書くには邪魔になると思ったのかもしんねえ。確かにこういう事件に感情的な反応をする人が多いから、本質的な議論ができなくなるってことはありそうだ!
でもオラは、シロクマ先生が書かなかったことはみんな知っとくべきだと思うんだ!ブコメでもあんま突っ込まれてなかったしな!
詳しくは『安楽死が合法の国で起こっていること』を借りるなり買うなりして読んでほしいんだけど、本で挙げられている「安楽死制度を導入した国で起きたエグい事件」について参考リンクを示しながら書いてみるぞ!
参考:https://www.bbc.com/news/world-europe-49660525
最初に書いておくが、安楽死を担当した医者は安楽死のガイドラインを逸脱はしていないとして無罪となっているぞ!
アルツハイマーを患っていた患者は、以前から「介護施設に入るようになるまで症状が悪化したら安楽死したい」「死ぬ時期については自分で決めたい」と意思表示していて、書面に残していたんだ。
で、実際に症状が悪化して施設に入ったんだけど、患者の状態が悪化していて意思疎通ができなったので、医師がほかの医師とも話し合って安楽死の日取りを決めたんだ。
当日、家族が見守られる中、鎮痛剤入りのコーヒー(これはガイドライン違反)で大人しくして安楽死をさせようとしたんだけど、安楽死用の薬剤を注射しようとしたとき、手を引っ込めちゃったんだ。
どうやら鎮痛剤が効かなかったようだ。そこで医者は家族にその患者を押さえつけさせて、抵抗する中で薬剤を注射して安楽死を行ったんだ!
これが「本人の意思を確認したか」という点で裁判になったんだ。死ぬ直前になって怖がるなんてこといくらでもあるからな!
結果、最初に書いた通り医者は無罪になったぞ!ついでに安楽死前に鎮痛剤とか使って大人しくするのも合法化されたんだ!
うっひょー!そんな死に方はちょっとしたくねえな!
参考:https://www.frontiersin.org/journals/psychiatry/articles/10.3389/fpsyt.2022.933748/full
19歳のときに境界性パーソナリティ障害と診断された患者がその障害の重さから仕事や私生活で苦労し続けていて、大学を卒業してパートナーを暮らし始めて安定したところで、薬物使用とパートナーからのDVとそれによる別れで鬱を発症、なんとかうまく行きかけてた人生で大きな挫折をしてしまうんだ。
もとからあった希死念慮がさらに強くなってたところにセカンドオピニオンで他の医師を受診するんだけど、その医師は安楽死を推進する団体をやっているような人で、患者がアスペルガー症候群であると新しい診断をしたうえで、それの治療を試みることなく、アスペルガーとパーソナリティ
障害が併発していることを理由に安楽死を申請して、認められ、患者を安楽死してしまったんだ。
この件は本だと無罪になったとされているが、現在は遺族が大陪審に上訴して現在も争ってるぞ。
たぶん、
こういう記事をふむふむって読んで知識仕入れてる層は原典どころか取り上げた本すら読まねえから、適当に書いてインプレ稼いだもん勝ちだしどうせバレない。
って思われてるんじゃねえかな?Webで物書いて飯を食うには確かにこのスタンスは強いと思うぞ!でも見習いたくねえな!
ちなみに、本だと
あたりも書かれてる(むしろ、こっちのほうが議論になりうそうな問題が多い)ので、このあたりの知識がない人間が安楽死制度の問題を考えるなら、まず一読するべき本だぞ!
というよりこれすら読んでない人は””制度としての””安楽死の是非についてはあまり語らねえほうがいいと思うぞ!自分が死にたいとか言うのは勝手だけど、他人を殺す基準を作るなら感情ドリブンで話しちゃだめだ!
Amazonのリンク置いとくから、気になったら買ってくれよな!:https://www.amazon.co.jp/dp/4480075771/
ことについて私はちょっと怒っていた
正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃんと想像していて、なんか救われたような気持ちになった
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118
私自身は私の持つマナーや常識や、自信を持って他人のマナーをどうこう言えるほどに誇れる自身の品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間は社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、
かつ自分が空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので
最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった
だからブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた
こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんだからそうならないはずはないと
しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったからだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識で迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?
中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、
えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った
実際無名時代のギャル曽根がお好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、
無名時代の大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分の常識で黙ったまま相手を断じて勝手に軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった
(まあ現在のギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)
私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、
病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプの燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたから自然とそういう想像をした
私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった
(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?
ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)
まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手に勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ちも理解できるけど、
「食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分に想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人の品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった
「知っている飲食店でご飯やキャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、
ほとんどの場合は普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族が飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……
実際には状況や原因がわからない現実の事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人を想像して納得するの、あんまりよくないと感じる
こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事)から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、
実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う
なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい
(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間や常識に基づいてのものではないごく個人的なものとしたいと思う感情からこの増田は書く)
黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって
(このエントリのブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/)
自分のエネルギーを多量に消費しようが返ってくるものが苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う
その後車いすと映画館の話題でも侃々諤々があり、似た無理解と構造があると感じた
自分が多数の側にいると思われるとき、その自分の想像できる範囲の常識や普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢な人間になってしまうということについてよく考える
できてないけどやっていくしかないんだよな…
”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第である。あんたはどうだろうか。”
私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので
今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像に自分の意志とは関係なく脳のリソースを使い、
なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました
ブクマを戦争や闘争やプライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた
(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリのブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)
0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……
ごく普通のOLをやっていた女性が異世界に転生して料理で無双するジャンルがあって、私はそれが好きなんだが、読んでて違和感があるところがあるので書いてみる。
一応言っておくと、別に否定してるわけでなく「…………ん?」って思う程度なんだが、モヤモヤしてるのもなんなんで吐き出してみる。
少し前提を話しておくと、異世界料理系はガチなプロなシェフが転生するパターンもあるが、私が好きなのはちょっと料理好きなOLが転生したパターンだ。平和だし。
で、(言い方は失礼かもしれないが)なんの特技もないOLが転生しただけでは料理無双ができないので、転生先の世界は料理の材料も豊富だし、料理の器具もそろっている、しかし料理そのものに興味がなく料理が不味い世界であることが多い。
料理に興味がないので、例えばレシピ通りに調味料を測ったって入れたり、火加減を調整するのが苦手(適当)で、そこを転生してきた主人公がアドバンテージを効かせて美味しい料理を作って皆を驚かせたりする。
が、この描写のところで、たまにワインがでてくる。そうするとスゴい違和感を感じる。この世界は美味しいものを食べるのに興味がない世界じゃないのかよと。
ワインなんて作るのがクソめんどくさいを作って嗜む文化はあるのに、パンはカチコチ、魚は丸焦げは一体どんな人間性なんだ…と疑問を感じてしまう。いや、ワインもただブドウを絞ったものならいいけど、付属としてワインボトルや、ワイングラスがでてくる。ワイングラスなんて、美味しくワインを飲みたいってモチベがないと作られないものなのに料理だけは下手…なぜだ…
異世界の世界は基本ナーロッパなので、そこには王様がいてお城がある。話が進んでいくとよく王宮料理人との話があるのだが、ここも話を作るのが難しい。
王宮料理人は一般的な料理人の中でも指折りな料理人がなるわけで、ここでもう明確に料理が上手い・下手という概念が発生してしまっている。
とはいえ、王宮料理人がものすごい料理を作ってしまっては主人公が無双できない。それでいて、一般料理人よりは料理が上手でなければならないので、結果、王宮料理人は下処理や、魚を捌くのが上手…しかし仕上げで丸焦げにしてしまう…というチグハグな描写になってしまう。
いや、そうはならんでしょうっていう…料理を上手く丁寧にって概念はあるのに、あと一歩!あと最後!なぜ魚を焦がす!!ってなる。ある日偶然焦げずに奇跡的に上手く焼けて、食べ比べてみたら、あれこっちのほうが美味しいぞって歴史はなかったのだろうか…
ついでに王国編は、お城の描写が多く、パーティーなんてした日には綺羅びやかな外装なのだが、なぜこの美しいものを美しいと感じる心はあるのに魚は丸焦げにするんだ…と違和感が半端ない
わかる!あーーーこれよこれ。日本人の味よー!ってやりたいんだよな…たしかに昔は味噌は各家庭で作っていたかもしれない。
だけど、さすがに材料がそろっている世界だとしても米麹とかそういう系は作るのが難しいんじゃないかな…まぁ味噌汁は美味しいけどね
モラハラって言っても、そもそも、人間はモラルを守るべきであって、
モラルを守らないほうが悪いはずなんだよね。
モラハラを受けている時、モラハラしてる方はだらしないハラスメント(=ダラハラ)の犠牲になっているのではないか。
どっちが本当の加害者なのかは、よくよく考えた方が良い。
最近はあまり見なくなったけど、少し前は発達障碍当事者の自己語りをネット上でよく見かけた。
自分にはどういう特性があり、どういう問題を抱えてきて、何が困難で、といったような語りだ。
これはかつてネット上の色んな場所で見られ、時に煙たがられてきたようなものだが、当人にとってこれは自分を理解し次の段階に進むために必要なステップである。
このような語りをするのは、大人になってから初めて診断を受けたような人が多い。そういう人は、子供の頃から様々な理不尽に曝されて生きてきている。
人と全く合わなかったり、馴染めなかったり、いじめられたり。自分は普通にしているだけなのに、その原因が分からない。
それが発達障碍という概念を知って、自分を散々苦しめてきた原因はこれだったのか!と天啓を受けたような気分になる。
あの時の理不尽も、この時の違和感も、すべてはこれが原因だった。人生の伏線回収だ。
そして、この大発見を皆に知らせたいという気持ちになり、このことを知ればみんなが自分を見る目も変わるかもしれないと期待をも抱き、語らずにはいられなくなってしまうのだ。
俺自身もそうだった。俺はネット上ではなく精神科医に対して自己語りをしたのであるが、A4用紙に20ページぐらい、自分の半生の出来事を一心不乱に書き続け、病院に持参したものである。
そのような「大発見」は、当人にとっては生き方を左右するレベルの出来事だが、赤の他人にとってはどうでもいいようなことである。
しかし発達障碍の当事者は、発達障碍を持つがゆえに、それが他人にとってどうでもいいことであるとは気づかない。
そのため、まるで数学の新しい定理を発見したかのような気持ちで、その発見は他人にとっても価値があるものだと確信し、自己語りを公開するのである。
そのように自己語りをしても、周りからの反応はほとんどない。しかし、そうして言葉を紡ぐプロセスを経ることで、当事者は自分自身を深く理解し、次のステップに進むことができる。
また自己語りに関する反応が薄いことで、ああこれは他人にとって価値のない情報なんだと、当人もやっと理解することができる。自己語りは、当事者自身のために必要なことなのだ。
最近、こうした自己語りが少ないのは幼少期から診断を受ける人が増えてきたためだと思う。子供の頃から発達障碍の自覚があれば、大人になって急に天啓を受けることもないのだろう。
また発達障碍の概念が十分に知れ渡ったために、他人に知らせたいという動機も薄くなっているのだと思う。
しかし今でもそうした語りをまったく見ないわけではない。もしそのような自己語りを見かけたら、それは当人にとって必要なステップなのだと理解してほしい。
まず、AIイラストに関しての是非を云々する目的の話では無いことを明言しておく。
俺がAIイラスト生成に手を出してからそこそこ経つわけだが、別にそのイラストをどこかに投稿したりましてや金を稼いだりなんてことはまったくしていない。
シコるためである。
Pixivなどを漁っていて、好みのイラストを見つけて、満を持して挑んだとき。
言葉にできない微かな違和感のせいでどうしても発射に至らない。そんな経験が諸兄にもあると思う。
指定した通りの画像を出力してくれるAIイラストであれば、そのような問題は解決できる――わけではなかった。
逆だ。むしろ増える。増えるのだ。
やはり、人が手で描いたイラストと数十秒で出力されたAIイラストを、同列で見てはいないのだろうと思う。
なんか違うな、となったとき。じゃあ次のやつ出力するか、となってしまうのだ。
そうして少しずつ理想へと近づけていくうちに、本当に自分が求めていたものが見えてくる。
即ち、AIイラスト生成は修行なのだ。悟りへと向かう歩みなのだ。
最終的に出力されたものが、一番最初に望んだものとかけ離れていることなど日常茶飯事だ。
ああ、いま俺が求めていたものはこれだったのか。
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
この本しんどいな。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ最初の感想がそれだった。
土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンかカップスープの適当な昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。
鈴木美咲は1990年生まれの28歳。生まれは山梨県で、大学で上京するまでは地元で自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元の進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京の大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分が大学で上京することに特に違和感は抱かず、自然と東京の大学を目指した。根が真面目な彼女は高校時代も勉強に多くの時間を割き、国立大学は不合格となったものの、無事都内の私立大学に合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。
彼女の母親の時代は女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代に東京の4年制大学を卒業した美咲の母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物とお見合いで出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲の記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事は女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。
美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから、一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京の大学に行くことを賛成し、美咲が英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女の能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲が外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身の卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。
美咲は地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまり恵まれた容姿ではなく、自分のニキビをからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてからは男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲は勉強ができたが、それに対して男子と比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子は短大といった時代でもなかった。ただ文系のクラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやすい環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域ののんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学も経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。
自分が女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年の就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業とメーカーで、大手企業に就職が決まったことで、彼女自身も家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界はリモートワークなどの制度を生かして女性が活躍しています、と先輩社員がセミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。
美咲はソフトウェア製品の営業職として2013年4月に社会人生活をスタートさせた。自分の同じ部門と認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲はほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎の水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。
その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業。ハードウェアの営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分の製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子の特権なんだから、若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲はお酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。
入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件を複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日の飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門長である優秀な40代のマネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲はビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。
「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女の人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代の日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろ恵まれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。
上タンって部位じゃなくてメニュー名として上級、上等なやつって意味だと思ってた。うな重の特上的な。
焼肉屋のメニューにノーマルのタンと上タンが並んでれば違和感もないけど上タンしかない事もあって、そんなもん並があって初めて成立する相対的な立ち位置だろ。そもそもどんなタンが良いかどうかは各々が決める事だろうが……って思ってた。
でもなんか上ハラミとかあるし、好きな部位で「上タン」と答える人もいるし、違和感が積み重なってついにこれはもしや部位上の事を意味しているのではないかという疑問に辿り着いて、ググったら一発で解決した。
紛らわしいんだよ。もっとこう根本近くのというニュアンスを前面に押し出して欲しい。タン元だと分かりやすいし、タン元とタン先で揃えればいいのに。でもおれみたいなのが上タンを良いタンだと勝手に勘違いしてくれるのが出す側としてはありがたい、なんて事もあるんだろうか。
[方法1]
↓
↓
依賴側「じゃあそれで」
[方法2]
↓
↓
依賴側「じゃあそれで」
双方で再調整
(もちろん他にも様々な決め方があるのだろうけど)
私個人的に方法2が自然と感じるのは、私自身が請負側になることが多いからだろうか。
受ける側からすると、いつまでにやってほしいのかを明確にしてもらわないと、今すぐにでもやってほしいのか、後回しにしても構わないのか判断をつけるのが難しくなるし、無理なものは無理と断らなければ、結局依頼側が困ることになる可能性もある。
しかし依頼側からすると、方法1のように相手方に丸投げしてしまったほうが楽で簡単(いついつまでにできると納期回答したではないか…と詰めやすくもなる)だから、そうしたくなってしまうのだろう。
仮に「いついつまでに完成してほしい」が明らかに無茶な納期指定だった場合、(無理な納期を設定したという意味において)悪者になりたくないだろうしな。
YouTubeチャンネル経由で発生した、ストーカー(以下Sで統一)の時系列まとめ
Sは1000通以上の一方的な長文メールを送り、「不同意性交等罪がまだなかったけれど訴えたい」「70万円欲しい」「警察署に相談へ行くよ」と脅しを掛けてきて、無限に複数アカウントを作って、迷惑行為を配信中にしておきながら、「そっとしておいてください」と居直り、どうしようもない状態になっている。
こちらの要望としては、「今後一切関わらないでくれ」の一点だけである。
ちなみに僕自身は、YouTube26000人/TikTok10000人、無名で細々と生きる男だ。
Sが自発的に、「〇〇見たい?」「〇〇したい」「やりたい」などと書き、脱いだ写真/動画を送信してくる
この時点では、『ちょっと積極的な普通の明るい子』だと思っていた為、不快感はなし
■札幌で会う
流れで枕を交わす
翌日以降、ご飯を食べて街巡りし、電話/DMを続けてみたが、生い立ち、会話のテンポ感、文化的ベクトルなど、相性が合わなかった為、付き合うには至らず
■自然消滅(SがLINE/Twitterをブロックしてきた)
■会って半年後に突然、長文で告白DMが送られてくるが、「彼女は作らない」と断った
元カレからの求婚に悩んでいる、ホストにナンパされて添い寝した、茨城出身の彼氏ができた、男の車に乗り込んだらホテルに連れて行かれた、うつ病になった、休職するなど
「やりたい」「結婚してください」「会えなかったら自〇する」など、一方的な感情の暴走が始まる
遠距離だったが、顔と性格と生き様が可愛かった為、復縁や曖昧な状態も含めて、長い事、仲が良かった
この事を、事後的にYouTubeで語ると、「同い年の子を選んだのが悲しい!」と、Sの暴走はますます過激化
■会う約束もなしに、Sが飛行機で札幌に来たが、完全に無視をした
■昼夜問わず長文DM、求めてもいない自撮り画像/18禁動画が届く
YouTubeライブの際も、何十回もブロックしたところで、「責任をとって」「捨てられた」などと、複垢を用いて、長文の迷惑発言を連発する
※4年で3回しか会っておらず、恋人関係にもセフレ関係にも、一秒もなっていない
「付き合う事は100%ない。他者との境界線について学んで、ちゃんと自分の人生を生きて」と説得するべく会う
関わりの拒否を求めたかったが、聞き耳を持たない様子だったので、「あくまでも友達ね、100%、絶対確実に、何があっても、恋が発展する事はないよ。両想いになれる相手を探してね」と強めに伝えた
「当時は、不同意性交等罪がなかった。そのせいで、わたしの悲しさをみんなに伝えられない」「警察署に相談へ行きます」「訴えて70万円くらい欲しい」といった風に、脅しを掛けてくるようになった
そう考え、実行するのは自由だが、枕を交わすまでのDM/LINE/Skypeのやり取りはすべて、SSDに保存してある為、むなしい訴えになるだろう
あまりこんな事は言いたくないが、会う前から、ほぼ全裸の動画を送ってきたり、Sから馬乗りになって来ておいて、望み通りの関係に至らなかった瞬間、曖昧ながらも金銭的な願望を口にして、『不同意性交等罪』を連呼するのは、脅迫行為なのでは?
さらには、「わたしの考えを否定して、関わりを拒否をするのは人権侵害だと思います」などと、暴論までぶちまける始末だ
■「一度デートしてくれたら終わりにする、この関係を忘れられる」との事で、短時間ながらも、最後の最後に会う
この時、僕の失敗として、「わたしはストーカーじゃないよね?」の問いに、Sの心を落ち着かせるべく、「ストーカーではないけれど、どんなに連絡して来ようと、会うのはこれが最後だし、どうしてもタイプじゃないから、恋愛の可能性は0.1%もない。ちゃんと自分の人生を取り戻してね」と伝えてしまった事で、Sは都合良く、前段の言葉、『ストーカーではない』だけを脳裏に焼き付け、自己正当化を覚えてしまった
■そうこうして今に至るまで、「二度と関わるな」と伝え続けているが、「これは関係の前進だ」「どんなに怒られてもエンタメだ」と歪んだ解釈をする為、心底迷惑している
まず一つ言える事として、僕は社会の道外れ者、本名/顔出しの配信者として生きている為、こんなリスクは織り込み済みだ。
山もあれば谷もあり、光もあれば闇もあり、躁もあれば鬱もある。
そら持たざる者が、ありったけの力でネット世界を走っていりゃ、大問題の一つや二つ、当たり前に発生するだろう。
でもその分、心優しき視聴者さん達が、ヘリコプターに乗せてくれたり、タクシーを貸し切りにしてくれたり、焼肉や寿司をご馳走してくれたりと、数々の救いを与えてくれる。
僕は元より社会不適合者であり、ずっと不安定な人生を歩んでいる為、なんなら、明日死んでも良いと思っている。
……と言ったように、狂いを受け入れている僕だから、アホみたいなストーカーが出現しようと、「こんなもんは人間社会のちょっとしたエラー」と捉えて、心を守れる訳だが、もしもこれが、普通の生活をする労働者だったら、どうなるのだろう?
こうした、ごくごく一般的な男女関係において、自分の思い通りにならないと分かった瞬間、『不同意性交等罪』を叫び、金銭的な願望を喚き、「裏切られた」「捨てられた」と集まりの場で騒ぎ立てる。
そのような女性に引っ掛かった場合、相当に苦しいのではないだろうか?
ちなみに僕自身、社内恋愛、ブログオフ会、チャットサービス、ネット掲示板、ホスト、ストリートナンパ、YouTube、TikTokなど、あらゆるところで、様々な女性と絡んで来たけれど、ここまでおかしい奴には、はじめて遭遇した。
本件のストーカーは、「わたしは一途な乙女」という自己認識があるのかもしれないが、はっきり言って、かなり醜悪なモンスターでしかない。
神学校がルーツの中学/高校に通っていたらしく、意識的には、「純潔なわたし」を保とうとしているが、育ちによる自己愛の不全や、現状に対する不満により、無意識に野蛮になってしまい、その二律背反を解消すべく、「わたしを汚した!」という幼稚なピュアさを誇るのだろう。
表現の自由がある国ゆえ、何をどこで叫ぼうと、どうぞご勝手にといったところだが、出会い頭のホストと添い寝し、街でナンパされて雑に付き合い、求めていない卑猥な写真を大量送信し――など、純潔とは程遠い行為をしておいて、自分に不都合が生じた時だけ、「純潔なわたしをもてあそんだ」「レペゼン地球みたいな奴らと同類」などと、高潔さを気取りながらヒステリーを起こす。
そして、数え切れないほど、「タイプじゃないから付き合えない」と伝えているのに、「理由が分からないから辛い」とゴリ押しして、被害妄想を膨らませ、悲劇のヒロインになってゆく。
『タイプじゃないから付き合えない』を曖昧な言葉として許さないなら、残酷非道なワード選定でもって、地獄の果てまで叩き込んでしまうが大丈夫か?
もちろん、対人関係はリスペクトありきゆえ、そんな愚かな真似はしない訳だ。
その為、仲良くなれない理由を問われるたび、「話のテンポ感が合わない」「文化的ベクトルが違う」「雰囲気がマッチしない」「好きになれるキャラじゃない」などと、小出しの答えを投げ込むのだが、「あの時のわたしは、本当のわたしじゃない。本心で接していないから、そう思うのは間違っている」といった寸法で、可能性を無限拡張してしまう。
はっきり伝えておくと、無限のパラレルワールドに、無限なるあなたが存在していたとしたら、こちらも無限のお断りをするくらい、根本からタイプじゃないので、「あの時に、ああしていれば」と考えるのは無駄でしかない。
ここらで、一度と言わず、何十、何百、何千、何万度と冷静になって考えて欲しいのだが、この約4年間で3回しか会っておらず、元彼でも元セフレでもなく、何かを貢がせた訳でもない、すこぶる浅い関係にも関わらず、一方的に配信を見て、妄想して、暴走して、「貴重な時間を奪われた!」「なぜ責任を取らないんだ!」などと、いつまでも発狂するのは、幼稚園児の駄々っ子と変わらない。
なにをとち狂っているのか知らないが、『デートして枕を交わす』=『絶対に付き合う』という異常なる図式が、大脳に刻み込まれているのだろうか?
肉体的な相性が合わなかった場合は?
そうした諸条件がうずまく中で、運命が味方する事もあれば、死神が舞い降りる事もある。
それこそが男女関係――残酷なる色恋沙汰……本能の営みって奴だ。
『愛とは差別』なる言葉もある通り、誰かを好きになる世界とは、誰かを嫌いになる世界でもある……という事を、ゆめゆめ忘れるな。
こちらとしてはこの数年、散々、DMや配信のコメント欄で、好き勝手に言われ、それでもSの本質には触れず、傷つける事なく、なんとか去ってくれるのを期待していた。
しかし、Sの蛮行はおさまりを見せない為、致し方なく、こうした文章を書いている。
また、ストーカーの狂った解釈で、「これだけ本気で書いてくれるのは、きっと愛が残っている証だ」などと、さらに厄介な存在になるかもしれない。
だからこそ伝えておくが、容姿、人格、雰囲気、脳内メカニズム、あなたの発する生物情報のすべてが嫌いだから、好きになる事は不可能だ。
動物的にも人間的にも受け付けない為、今後一切、関わらないで欲しい。
さらに言えば、僕をイメージする事で生じる、あなたの微弱な波動すら不快でしょうがない。
一刻も早く、僕に関わろうとするのを辞め、自分の道を歩んで欲しい。
※ストーカーへ、本文に関する、あらゆる感想/意見/反論は、断固として受け付けません。
個人情報も記載しておらず、なんの名誉毀損にもならないゆえ、たとえ、「わたしの本心と少し違う」などと感じても、知ったこっちゃない。
そもそも論、あなたは家族でも友達でもありませんから、あーだこーだと御託を並べたところで、一文字残らずノイズでしかなく、まったくもって興味を持てません。
割と人が多い大型公園で子ども(未就学児女の子)を遊ばせてたら、やたらと声をかけてくる男の子に遭遇した。
楽しそうに滑り台で遊んでいる様子だった。
初めは同じ遊具だけど別に遊んでたしそんなに興味が無かったから、他の友達と楽しく遊んでるのかなーくらいに思ってた。
(なぜかサンダル履きだったのが気になってたくらい)
私の子どもはその滑り台が楽しかったみたいで4回、5回と登っては滑り降りていたんだけど、6回目くらいに親の私に声をかけてきた。「ねえ、この子なんて名前?」
面倒見の良いお兄ちゃんなのか?と少し思うも違和感を感じ真面目には答えなかった。
その後も次に滑り降りてくるたびに「ねえ、この子の名前は?」「何歳?」「誕生日は?何月何日?」と聞いてきて、(あ、これヤバいやつだ、、)となりその遊具から離れた。
幸い子供に対して触ろうとしたり、手を繋ごうとしたりという行為は無かった。
少し離れたところで、持ってきていた飲み物を飲ませながら様子を見ていたが、男の子はまだ楽しそうに滑り台で遊んでいた。
だが、その子は1人だった。
他に4〜5人ほど同じ滑り台で遊んでいる子がいたが、誰とも一緒に遊んでおらず親も近くには居なさそうだった。
しばらくすると、近くにいたベビーカーを押している別のお母さんに話しかけていた。
どうやら同じこと(親への声掛け)をずっとしているようだった。
これが噂の放置子か、、
と、安堵した。
フリーレンや鬼滅やハンタとか、才能ある人間が試験で命落としてる見てるとすごいモヤモヤ。
漫画にマジレスするのもあれだし、その方が展開的に盛り上がるというのは分かるんだけど合理性に欠け過ぎててすごい違和感を覚えてしまう。
鬼滅にいたっては錆兎みたいな才能ある人材を試験ですりつぶしておいて、隊士達の質が信じられないほど落ちている、とか柱の一人が言ってて”おいおいおいおいおい”ってなったわ。
あれって追加で育成したら合格してた人材も一回基準に満たなければ切り捨ててるからそれまでの育成が無駄になる上に志願者も減らしてるわけで、
嫁は同い年
俺は34歳まで彼女がいたことないような非モテ男性だから当然若いときに女性とデートしたことなんてないわけ
男ならみんな分かるよな?
だけど現実的には本物の女子高生とデートするのは無理だし、それは嫁に対する裏切りでもあるのでやれない
だから嫁に制服を着させてデートするしか方法がないんだけど、37歳に制服着せて街中に出かけてもセーフだろうか?
違和感はないだろうか?
後輩がふたなりなのはリアリティレベルおかしくて違和感出るんじゃね?
だから、「未来から来たふたなり軍人アトラーちゃん」と指定したのに…… とぶーたれたら、
なるほど、おっしゃる通りですね。確かに現実的な設定とふたなりの組み合わせだと、どうしても違和感が拭えません。
未来から来たふたなり軍人という設定なら、ある程度非現実的な要素が許容されるので、アトラーちゃんらしいポップさも同居できそうです。
ってな感じで逆アナルASMR書いてくれたわ。
「頂き女子りりちゃん」詐欺幇助に違和感 「パパ活マニュアル」のちぐはぐな重さ 北原みのり | AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/articles/-/200640?page=1
倫理的でない女がより激しく厳しく罰せられる社会。一方、男は“倫理的でない女”を買うことで、貧しい女に金を与え、人助けをしたと自尊心を満足させることができるだろう。その行為を「頂き」と表現したりりちゃんの表現力は、きっといつか人から奪わない方法で生かせるはずだ。だから絶望しないで。なんだかそんなふうにりりちゃんに話しかけたい。