はてなキーワード: 突っ込みとは
確か、私が検索結果画面でその人を見つけた時、その人はそれと別の一件を含めた二件に関して、相手の不実さを暴いて認めさせたいようだった。
もう一件の方はほぼ無関係な所を、自ら首を突っ込みまくって、当事者の枠の中に無理やり自分を捻り込ませた、といった感じだった。
やばい人がおる、とこの時点で大分うずうずしつつも、一向に結果はこうだった! と言う話に進展せず、なんとなく足は遠のいていった。
それから一年ぐらい経って、とある記事を見かけその人を思い出した私は、ふと気になって、その人のアカウントを見に行った。
なんでそんな名前にしたの!!と思うようなアカウント名だったので、直ぐに見つかった。
そもそも見つかった時点で見に行くべきではないと自制出来なかったところがもう良くなかった。
一年も経てば燃料のようなものも無くなり、すっかり呟きも無くなっているだろうな、と思っていた。全くそんな事は無く、寧ろそれなりの頻度で呟きは続いていた。嘘だろ。
しかも認めさせたい項目が3倍程に膨らんでいた。嘘だろ。
でも嘘だろなんて思いつつ、だよねと納得しながらうずうずする自分もいた。
増えていたものは全て、その人のこれまでやこれからの人生を一切傷付けるものではなかったし、法で殴れる資格を有せるものでもなかったし、そもそもその人が相手に対して延々と首を突っ込まずにいれば、本当に縁の無いままその人の目に触れる事なく終わっていたであろうものばかり。どう見ても無関係。どう考えても部外者。
なのにその人、全ての不実を認めさせるつもりらしい。膨れ上がった分も含めて全部。
なんで????
なんならわかるという気持ちのままに私が本人に突撃しに行った。わからせたがりの衝動が出た。我ながらクソ馬鹿すぎる。
私が伝えた言葉はざっくりと纏めると、増えてる分はあなたとは無関係なのだから切り分けて考えないと沼に嵌るばかりでは?と言うものだった。
ただその時点で伝えたい事が5個ぐらい混ざったまま突撃したせいで全く主旨が伝わらない。我ながら愚か増産機状態だった。
結局何を言いたいのか分からないしこちらの文章も読めて無いでしょ、と言った対応をとられる事になり、私も思考のパニックを起こしながらも我に返ったため半端に切り上げたのだが、そのやりとりの中にあったとある一文に私は心底衝撃を受けながらも大いに納得した。要約すると、
『無関係なのに関わろうとするのがおかしいと言うなら、こうして突撃してきているあなたも異常だしブーメランじゃ無いですか?』
今更?????と驚きもしたけれど、そもそも無自覚じゃないと、この人もこうはなってない。全くもって仰る通りで私もその人も異常なのだ。
異常、と一言で表すとあまりにも雑なのだが、一般的な視点から見て健常な発達の仕方をして来た人は、私たちのようにはならない。件の問題に対して思うところがあっても、思いの丈を勝手に問題にならない場所で呟くなり、信頼できる人間に愚痴るなり、カラオケに行くなりバッティングセンターに行くなり、各々の方法で消化していく。
いかなる感情が芽生えようとも、その感情を芽生えさせた相手に働きかけるような動きをする事、突撃すべきなのは当事者だけだと分かっているからだ。
けれど私達はそうもいかない。感情を消化させる方法の中に、相手に働きかける、操作しようとする、と言う選択肢が根深く混ざってしまっているのだ。情動への対策が余りにも未発達なのである。
相手がした複数の行動に対して思う事があった場合、その内の例えひとつふたつしか直接関わったものがないとしても、その全部に抱いた感情の落とし所を、自分ではなく相手に背負わせてしまうのだ。関わったひとつふたつ分だけでは無く、思うところがあるもの全部だ。
「ついやっちゃうんだ☆」という軽やかさで、やるなよ絶対にこれは一般的な行動では無いぞ、止められないなら、お金と時間をかけて然るべき機関に頼るべきだぞ、という思考を彼方に吹き飛ばしながら思ったままに飛び出してしまうのだ。
私が!私がやる!
私が納得させる!
私がわからせる!
とにかくそういった私が!!と言う衝動が相手との距離感に関係なく暴れ出す。
自力で溜飲を下げる方法がド下手迷子過ぎて、とにかく他者である相手、大元をどうにかすれば良いに直結する。無関係の分に関しては、自分で自分を制御するべきで、それが出来ないだけなのに。
相手にしてみれば、本当に無関係な部分に関してなんて、無関係な人間に対して誠実に対応する必要もいわれもない、無視しても問題がない。それが当然なのだけれど、そうすると感情が一向に消化されない。自分では自分をどうすることも出来ず相手に委ねているのだから、そりゃ一年以上の粘着なんて軽いもんだ。
多分自分でどうにかしなきゃいけない部分もあるという事に気付くまで、続くのだと思う。
https://odaibako.net/detail/request/6ba6c17e-cbec-4720-a9f3-3d03b3e04c29?card
https://odaibako.net/detail/request/a8e371dc-b327-47c2-9719-8450921ba55b?card
投票って、投票者に誤認や誤解答をさせないように、目的と前提を詳しく説明した上で実施するものだと思ってた…。
他人のトレパクに関して言及している人が、まさか他人を騙す用途のために自らトレパクをして、その画像をアンケートの素材にするとは思わないじゃないですか。
投票って、炙り出しのような試し行為に使うものとしては不適切だと思う……票を入れると言う行為だけでは、引っ掛かったか騙せたかなんて判断できないし。
私のように、ご本人様の画像とトレス元とされているイラストを重ねてトレパクではないと判断し投票した方の票数はどう区分けているのだろう。
もう消えているけど、質問の仕方も「例の人が」トレパクをしているか否か、「このイラストは」トレパクをしているか否かのどちらか掴みかねる書き方だったし。
こちらも既に消えているけれど、過去の呟きに「同じ事をしてももう騙せないしな」といったものがあったのは、きっとこれのことだったのね。
騙そうとして騙すなら騙される人もそりゃあいるでしょう……。確かに例の人を貶めるために捏造をしたものではないけど、そういう問題では無いどころか、寧ろやってる事がより悪辣でびっくりする。
投票で意図的にミスリードを誘っておいて、投票した人々は節穴!節穴がこんなにいるから、と言う方向に話を持っていくの、認知がぶっ飛びすぎてるよお。でもそのぶっ飛びも分かってしまうんだよな。
無理ゲーだな。なんで私ったら無理ゲーなのに、私ならわからせられると思ったんだろうな。この無敵感と使命感、本当意味不明で怖い。
しばゆーがあやなん手作りのバレンタインのチョコを食べて「デパ地下のねえ、たっけえたっけえチョコよりもねえ、こういうの(あやなんの手作りお菓子)がいいんですよ」って言ってるのを見て、泣いてしまった
昔のしばなんちゃんねるの動画見てると涙がなんリットルもでてきてしまう
あやなん、あやなんのことをほんとうに愛してくれた男と離婚してあゆむと結婚するのかなあ
もしあゆむとあやなんでカップルチャンネル作ったら突っ込みどころ満載で100万再生余裕だろうなあ
ぽんすとぷく丸の親権はしばゆーがもって、しばゆーとSさんとぽんすとぷく丸で新しい家庭をつくってほしいな
でも
しばゆーがSさんと結婚したら連れ子再婚になって色々と難しいだろうし
しばゆーはあやなんに子供二人引き取らせるのかな
そういう突っ込みだけは早いな
https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755425726897
はてブにしろジャンプラにしろ、読者の感想では、リアリティが無いだの漫画だろ楽しめよだの、ちょっと揉めてたりして。
最初は自分も細かい設定の粗を突っ込みたくなったけど、読み返すと、この漫画への突っ込み欲求はそれ以上に、本質的な主人公の人物像の気持ち悪さに起因しているのだと思った。
長期間不死で虚無的になった人物が有限な生を持つ人間とのふれあいで変わる、というのは割と使いまわされたプロットだ。
この漫画が変わってるのはそこからで、彼女と長年共に過ごしてそして彼女が死んでも特に主人公は変わらない。(主人公が既に3000年生きてきたならともかく、350年のうち50年は短い期間ではないだろう)
数百年ぶりに温かい言葉をかけてもらっても、自分を描いた小説を読んでほしいと言われて喧嘩しても、主人公はゲームやろうぜとしか言わない。
死んだ時も涙も流さないし、彼女が一生をかけて書いた全50巻の原稿を書斎で見ても、片づけるの面倒だ、もっとゲームしろよとしか言わない。
彼が変わるのは、娯楽を探している時に街中で小説がベストセラー化しているのを見るのがきっかけだ。
それまで数百年にわたり他人や社会を拒んでいた主人公は、"売れている"・”売れているなら面白いだろう”という極めて当時代的な価値観を突如受け入れて、それを以て急激に変貌する。
字も数も読まず他者とろくに交流しなかった主人公が、ベストセラーになってるのを見ると急にそれまでの生きざまを翻してしまう。
彼女の思いよりも、過去300年の生涯で築かれた自分の人格よりも、世間で売れていることの方が主人公にとって重要な事実だったということだ。
彼女が死んだ後にうず高く積まれた原稿を見て、そのまま書斎で読みだし自分と彼女を顧みるなら、ツッコミはあったろうがここまでは多くはなかったのではと思ってしまう。
彼女の視点を仮定すると、自分の生涯を費やした作品でありあれだけ言葉を尽くして読んでほしいと願った作品なのに読んでもらえず、世間で売れてるからって理由で初めて読んでもらって嬉しいのかとも思ってしまう。
不死の人物と有限な人間のふれあいで変わるというありふれたプロットは、最初の数ページで読み手も暗黙のうちにある程度展開が予想できるし、一定の像を期待して読み進む。
読み手もこなれていて、このような設定にハイコンテクストな昨今では、世代を超える不死といえば世俗的な死生観・倫理観・社会観を越えたものを過去の経験から纏っているのだろうと読者は(勝手に)補完する。
しかし、多くの作品に比べるとこの作品の主人公の変貌のあり方はあまりに収まりが悪い。
そしてもう一つ、主人公の元々の人物造形は極めて幼児的だ。彼女が生涯をかけた創作には50年に渡り目もむけず、彼女が亡くなっても動じず、ゲーム・ボウリング・カラオケ…出てくる言葉は相変わらずこれらばかりだ。
不死ゆえの虚無性や刹那主義もあろうし、誰しも大人になっても怠惰に流れることはあるが、共感を普遍的に得られる人物像ではない。
後半生は変わるし、本来はそこにカタルシスがあるべきシナリオなのだが、上に書いたようにその変貌はあまり説得性が無い。
作品には細かいツッコミどころが多くあり、突っ込みやすさ故にそこを主に突っ込まれている。
しかし、この主人公の人物像の気持ち悪さや変貌の説得性の低さがツッコミを招く本質なのだろうと思った。
付)この作者の前の作品「ぼくははやくなっていく」、「お兄ちゃんと抱き枕」も読みましたが、これらは当作とは逆の”時間が止まる”モチーフですが上の様な点の無い面白い作品だという感想です。
就職先がジャパンモビリティショー(旧東京モーターショー)のチケットをタダで配っていた。強制ではないが「勉強してこい」ってことなんだろうなあと思い行ってみることに。
自動車メーカーや部品メーカー(サプライヤー)が新型車やコンセプトカーの展示や新しい技術の紹介を行う催しである。コロナ前は東京モーターショーという名前だった。場所は東京ビッグサイト。
「モビリティショー」に名前が変わった理由は、車以外の次世代モビリティも展示するよ!というコンセプトを打ち出しているから。車だけではなく、車でもバイクでもない新しい乗り物を発表する場というコンセプトが、今回開催されたジャパンモビリティショーだ。
トヨタは新発表のコンセプトカー数台と新型クラウン、ランクル、SUVセンチュリー、そしてモトコンポのような小型バイク(っぽい三輪車)を展示していた。
詳しい説明やプレゼンなどは特にないが電飾などによる装飾は豪華で、イメージ重視な展示だったように感じた。
EVだと見られるコンセプトカー、特にオレンジ色のスポーツカーに注目が集まっていたが、感想としてはかっこいいなあと思うだけ。具体的なメカニズムや開発者の熱い想いが分からないと、正直面白くない。
また、新型クラウンなどもディーラー行けばじっくり眺められる訳で、人混みに揉まれながら見るもんでも無いと思った。
しかしとても良いと感じたのが、「ネオステア」と名付けられた新型のステアリングハンドル。アクセルとブレーキもハンドルで操作できるため、車椅子の人でも車を運転できる。調べてみるとパラアスリートが開発に関わっているらしい。
ネオステアでグランツーリスモをプレイできる体験ブースがあり実際に体験してみたが、これが面白かった。ただ単に足を使わずに運転できる、という話ではなく、だれもが運転の楽しさを味わえるという点でとても良い技術だと感じた。是非市販化してほしい。
唯我独尊、「人馬一体」のわが道を突き進むマツダ。ブースには「だれもが、しあわせになる」というキャッチフレーズを掲げるパネルの前に初代ロードスターが展示されていた。
マツダブースの目玉は、世界初発表のコンセプトカーである「アイコニックSP」。とんでもない人だかりができていて全く近づけず、自分の目で見るのは諦めた。
また、マツダは福祉車両仕様の現行ロードスターを展示。アクセルとブレーキはハンドル左側に設けられたレバーで行い、シフトダウン・アップは右手だけで操作できるよう改造されている。
存在自体は知っていたものの、実際に現物を見たり運転席に座るのは初めて。車椅子のドライバーでも、スポーツカーで運転を楽しんでほしい、というマツダの想いが強く伝わってきた。トヨタのネオステアと並んでとても良い展示だった。
やはり、マツダはエモーショナルな価値観を伝えるのが巧い。「だれもが、幸せになる」初代ロードスターや福祉車両仕様のNDロードスター、そして往年のマツダ車と写る家族写真を何枚も載せたパネルからは、マツダが訴える運転の楽しさや車の素晴らしさがひしひしと伝わってくるし、こちらも感動して目が潤んでしまう。就職先が作る車ではないが、ロードスターだけは新車で絶対に手に入れようと決意した。
スバルはアウトトレック、ソルテラのようなイチオシ現行モデルに加え、新型車であるレイバックを展示。コンセプトカーはEVスポーツカーの一台のみ。
そして、何よりも一番の目玉が「空飛ぶクルマ」であるスバルエアモビリティコンセプト。特大ファンを6つ搭載するドローン型の航空機だ。驚くべきことに、実証実験では実際に飛んでいるらしい。実証実験を含め、世界で公開されたのはこれが初。
一般的にはあまり知られていないが、スバルの前身は中島飛行機という航空機メーカーで、現在も航空機用部品の開発を行っている。「航空機メーカーとしての歴史を元に、陸空で運転の愉しさを提供します」という発表には説得力があった。
また、展示してそれっきりのトヨタ、マツダと違い、女性のコンパニオンが積極的にプレゼンテーションを行い、展示車両を丁寧に紹介していた。スバルの安全と楽しさの取り組みを熱心に紹介していたのが印象的だった。
車以外のモビリティの展示は一切なし。SクラスとCクラスのAMG(セダンにスーパーカーのエンジンをぶちこんだ超高級車)やEVなど、よくも悪くも現実的で普通のモーターショーな展示だった。
注目を集めていたのが、GクラスのEVバージョンであるEQG。Gクラスのデザインをネオクラシックなデザインにまとめており、普通にカッコよかった。
現行モデルを、値段付きで数台展示するのみ。あまり人だかりはできていなかった。
もっとやる気出せ、と言いたくなるものの、出展していただけるだけでも有り難い。
ハイエースなど、トヨタ車の一部の開発を請け負うトヨタ車体。ハイエースのBEVコンセプトカー(グローバルハイエースBEVコンセプト)や、新型ヴェルファイアの4席超高級仕様である、スペーシャスラウンジ コンセプトなどを展示。
ハイエースのコンセプトカーはボンネットが長く荷室もそれほど高さがなかったため、そのままのパッケージングでは日本ユーザーは満足しないだろうと感じた。あくまでもグローバル向け、ということなのだろうか。
日産は現行モデルのほか、R35GT-Rnismo、フェアレディZnismo、スカイライン400Rを展示。そして目玉は、パキッパキデザインのBEVコンセプトカー数台だ。
コンセプトカーは相当未来を先取りしていて正直何を伝えたいのか正直良く分からない。ただ、今後は曲線ではなく面とエッジを多用したデザインを推していきたいんだろうな、ということは感じた。最近のトヨタ(レクサス)やスバルもそんな感じのデザインだし、トレンドなのかもしれない。
日産ホームページを見てみるとFORTNITE とコラボしているらしく、ペルソナとなるキャラクターの説明などもあるが、やっぱり良く分からない。FORTNITEをプレイできれば楽しいのかもしれないが...。
コンセプトカーの中でもひときわめだつのがハイパーフォースコンセプトの名を称したスポーツカー。日産としては「GT-Rかもしれないね、ふふふ...」といった雰囲気を出したいのだろうが、来場者はGT-Rとしか見ていない。
車体側面にゴールド描かれた「4ORCE」の文字は6代目スカイラインRS-TURBOが由来なので全部が全部GT-Rのコンセプトカーではない。日産のハイパフォーマンスカーの歴史と、それを踏まえた未来へのイメージを表したコンセプトカーであるはずだが、ほとんどの来場客がGT-Rとしか見てなかった(であろう)状況は日産がちょっと可哀想だった。
欧州メーカーでおそらく最も気合いが入っていたのがBMW。といっても、欧州メーカーはベンツ、BMW、ルノーくらいしか出展していなかったが。
基本的に発売後、ないし発売間近のBEVモデルが発表の主体。コンセプトカーがどうこうというより、新型車の感触を確かめる来場客が多かった印象。しかしBEVのくせに豚鼻キドニーグリルを採用するのは何とかならんのかと。
BMWもその辺は考えているらしく、次世代BEVモデルと思われるコンセプトカーの「ビジョン ノイエ クラッセ」で、豚鼻から脱却したデザインを披露。ノイエクラッセはBMWが70年代に生産していた大衆セダンで、往年の名車をここで復活させてくるあたりは流石。
直線的なデザインであるものの、写真で見るよりもコロッとしたデザインだったのが印象的だった。フロントグリルは上から見ると大きく湾曲しており、豚鼻キドニーとは違い暖かみがあるデザインだ。4ドアセダンだが、ハッチバックやSUVなど、様々なタイプにも発展していきそうな可能性を感じさせられる。今後に期待したい。
中国からの黒船BYD。ネットである程度情報は仕入れていたが、実物を見るのはこれが初めてだ。
エアコンの吹き出し口やドアレバーなどの意匠は写真で見たことがあるものの、実際に触ってみるとそのアバンギャルドさに改めて驚かされた。atto3の側面のパネルにはウェーブのプレスラインが入っているなど、写真ではわからないような細かい所にも独特な意匠が施されている。リアの「BUILD YOUR DREAMS」のバッジもアバンギャルドだ。はっきり言ってダサい。
(モデルにもよるが)全体的に曲線主体のデザインで、最新を売りにするブランドにしてはデザインの古くささが否めない。私はデザインに関しては素人だが、ダイソンが20年前から続けているデザインと同じ系統ではないだろうか。
アーバンSUVやセダンに加え、レンジローバーを意識したようなラグジュアリーSUV「U8」や、ミニバン「D9」を展示。ゴリッゴリのコンセプトカーは用意せず、現行モデルなどの現実的な車両の展示が主体だった。これは「フルナインナップ戦略で日経メーカーを犯すぞ」のサインだと思った。来年就職の私としては、背筋が伸びるような展示だった。
そんなBYDの真向かいに大きな風呂敷を広げるのがスズキ。展示内容は、四輪・二輪新型モデルに加え、小型船外機や空飛ぶクルマ、小型モビリティなど、まさに様々なモビリティを展示していた。
舞台ではたくさんのダンサーが踊る演出や、MCバトルを模したような内容が含まれるなど、良くも悪くもスズキらしくポップでコッテコテな内容なので共感性羞恥がヤバかった。実用性をめちゃめちゃプッシュするのもスズキらしかった。
四輪のモーターショーと変わらないような展示をする出展企業がいる中、後述するヤマハ発動機やホンダと並び、ちゃんと「モビリティショー」らしい展示内容で非常に好感が持てた。個人的には最も良い展示だったと思う。
特に小型モビリティのブースは素晴らしく、四脚に小型のタイヤを装備し階段も上り降りできる「MOQBA」や、高校生から高齢者まで、荷物を積んで安全かつ楽しく移動できる「SUZU-RIDE」など、いかんとも形容しがたい小型モビリティを多数発表してきた。
形容しがたい、ということは、今までにない形やコンセプトの乗り物で、例えに持ち出せる前例が無いということである。新しい価値をいくつも提案するスズキのコンセプトモデルは素晴らしい仕事だと震えたし、良質な刺激を得ることができたと感じた。
スズキの地元、浜松のお隣磐田市に城を構えるヤマハ発動機も、「モビリティショー」らしい展示で面白かった。
3輪フルオープンEVのTRICERAは3輪操舵のシステムで、自動運転に向かう時代だからこそ運転する楽しさを提案。トリシティのような3輪オートバイのTMWは(おそらく)TW225の改造車で、DIYで作ったような荒削りな車体は、かなりワクワクした。
また、ヤマハ(株)の協力のもと楽器関連の展示もあり、もはやモビリティは関係無いじゃないかと突っ込みたくなってしまうが、何でもかんでも事業化してしまうヤマハ発動機らしい所でもあった。
二輪車は125ccの新型車三台と、かつての伝説レーサーYZR500をモチーフにしたXSR900GPを公開。125ccの三台には列が出来ており、来場者がまたがってサイズ感を試していた。
長いスカートの女性がネオクラシックモデルのXSR125に試乗していたのが印象的だった。コロナで好調だった二輪業界としては、この波に乗って若い女性ライダーを増やしていきたいはず。かわいいデザインでユーザーフレンドリーな車格のXSR125は、ヤマハ発動機がプッシュしたい製品であるだろう。
ホンダも「モビリティショー」な展示が多く楽しめた。浜松にゆかりのある企業がモビリティショーな展示を行っているのは、実に興味深い。
ホンダジェットのコクピットに座れる展示は45分待ち。流石に断念した。
目玉は何と言っても新型プレリュードのコンセプト。新型もデートにぴったりなスペシャリティカーとしてきれいにまとまっており、GR86/BRZのようにゴリゴリなスポーツカーではない。今の時代にこの価値観がウケるか微妙だが、セリカやシルビア亡き今、ライバルが居ない立場であることも事実。今後の動きに目が話せない車だ。
SUSTAINA-C Concept / Pocket Conceptはシティ/モトコンポを意識したようなコンセプトカー。テールライトはフルLEDスクリーンで、テールライトのデザインを変えたり、後続車に「Thank You!」などのメッセージを伝えられる。サンキューハザードは誤解を生むこともあるので、是非製品化してほしいアイデアだ。
ホンダらしいと感じたのは、無塗装リサイクルのアクリル外装パネル。素材の発色が良ければ塗装しなくていいじゃん!というアイデアは思いきりが良い。
BEVのコンセプトカーは良く分からん。が、ゴリゴリのバギーであるROVコンセプトと、アーバンSUVのRZをヘビーデューティーにカスタムしたRZアウトドアコンセプトには少し驚かされた。レクサスとゴリゴリのアウトドアはあまり似合わないような気もするが、泥遊びもレクサスでラグジュアリーに楽しんで欲しいというコンセプトなのだろう。
地味に人だかりを集めていたのが、ギガキャストで作られたボディとバッテリーの見本。新型車が置いてあるスペースの裏側で目立たない所だったが、十数人の来場者がまじまじと観察していた。
特にギガキャストのボディは興味深く、スポット溶接が一切無いその様子は異様。さらに、適宜リブを配置されるなど、今までの作り方では不可能な設計も見られた。「柔と剛が調和する」と銘打たれているが、剛性の最適化のためには、自動車づくりのノウハウが強く要求されそうだ。
ダイハツは着せ替え可能な自動車ミーモや、小型オープンカーのオサンポ、市販がささやかれるビジョンコペンなどを展示。展示車両は全体的にかわいらしいデザインで、女性来場者がかわいいと口にする声が頻繁に耳に入った。
近所を散歩するように楽しく移動できるというコンセプトのオサンポは、風を感じられるオープンカー。車高も高めなので、ちょっとした未舗装なら走れそう。買い物の帰りに、知らない道に突撃したくなるようなコンセプトカーだ。
車格は軽自動車サイズなので、オートバイに比べればお散歩の気楽さは無いだろうと感じてしまったが、あくまでも気楽に乗り出せる「クルマ」がコンセプトなのでそういうツッコミは野暮だろう。誰もがオートバイや小型モビリティを望んでいるわけではない。
ビジョンコペンはかなり話題だが、軽規格を飛び出し1.3L、FR、オープンカー、となるとロードスターと個性がだいぶ被ってしまう。超個人的な意見だが、ロードスターとタイマンするのはかなりしんどいんじゃないだろうか。値段次第な所もあるが私ならロードスター買う。
カワサキは二輪メインの展示。目玉はネオレトロのオートバイ、メグロ復活。最近はネオレトロが本当に流行っているが、あらゆるメーカーがプッシュする様子を見ると、ぼちぼち流行のピークなのでは?とも感じてしまう。
また、BEVとハイブリッドのニンジャを展示。カワサキはターボやったりスーパーチャージャやったり、攻めた製品がやっぱり多い。ハイブリッドのバイクは車体重量を押さえられるのだろうか。
これさぁ。
「そうはならんやろ」と言ってるけれど、そもそもそのネタは元の漫画からして
「なっとるやろがい!」の突っ込みとセットで成立するものじゃん
「トランス女性」の女性スペースへの侵入も「なっとるやろがい!」だって突っ込み待ちのギャグなのか?
https://twitter.com/lawkus/status/1717314164484653485
@lawkus
いわゆる手術要件について、廃止すると自称女性がちんこぶら下げて女湯に入ってくる!との主張と「そうはならんやろ」との反論が繰り返されてきた。先日の最高裁判決で、性器外観近似要件も差し戻さず自判して違憲判断をすべきとの三浦守反対意見も、ざっくり言えば「そうはならんやろ」と述べている。
(Noteに下書きとしてずっと残っていていつまでも公開する勇気無い記事)
10年ぐらい前の話。
給料が入って家のローン、クレカのリボ払いの最低これだけ払ってね支払い、カードローンの支払いをして、自分の小遣いに3万ぐらい入れたら、「あの支払いがまだだった」とか「妻様激おこぷんぷん丸級のミスをしてしまいごめんなさい」的な支出であっという間に銀行の残高が5000円ぐらいになり、あと平日20日間5000円でランチか、、、一日250円だなと考えていると通勤に必要なPASMO的なものに今月まだチャージしていないことに気づき、とりあえず3000円チャージして様子を見つつ、今月はランチ抜きか、ラッキーなら会社の先輩におごってもらえるかなとかそういう感じで生活をしていた。
給料日まであと10日、スーパーで買い物をする時に、銀行の残り残高が2000円だから一日200円、一日二食でいいや、一食100円、じゃあこの70円のパンなら大丈夫、あとこのセールの肉と野菜を買って、、、1300円!700円もあまっている!じゃあデビットカードで支払いピッ もうこれで大丈夫!
給料日2日前、仕事帰りに「あれ?PASMO的なものに残高が無くて電車に乗れない…チャージをしないと…」と気付き、チャージ用機械へ。PASMO的なカードにチャージするには、最低1000円からという設定になっており、銀行の残高が700円しかないのではいアウト。財布に残っている小銭をかき集めて、、、32円。詰んだ。
もうこんなビンボー生活は嫌だ、ホームから飛び込んでやる!と思っても、PASMO的なカードの残高が無いので、改札が抜けられずホームまでたどり着けない。ビンボーは自死の方法すら選べないのか!と怒りと悲しみで途方に暮れたあたりで、妻から何してるんだ早く帰ってこいと怒りの電話がくる。もう涙も出ないので死んだ目をして歩いて帰る。30分ぐらい歩いたところで、偶然同じ方向に帰る車通勤の同僚に会って、渡りに船で近くまで送ってもらう。神様はやっぱりいるんだなあと思って帰ったら、いつまでかかっとんじゃー遅い!と妻様に「あんたのせいで私の予定が全て狂った」とお叱りを受ける。妻もバイトをいくつか掛け持ちしているのでしょうがない。罰としてあれを買ってこいと言われ、ニヤニヤしながら「マジで金がないから無理ぽ」と言うと「使えない」とか「もっと働け」とか「それがわかってるならバイトとか探せボケ」とか色々言われるが、「バイト見つかってもバイト先まで行く交通費ないぽ」とか内心思いながら頭を下げてひたすら怒りが収まるのを待つ。
「こんなんじゃいかん!」と一念発起してがんばる人のNoteをよく散見するが、そういう人は貧困状態でもきちんと認知能力をキープできているマイノリティな人達もしくは状況にいる人である。副業やバイトするにも、最初にどうしても少しのコストは発生する。それをどう工面するか、時間をどう作るか、色々考えないといけない。
たとえ交通費・準備費用などを確保しても、「あなたは私をここまで怒らせた。あなたはいつも金がない、金がないというが、結局それは私よりもお金が大事であるという事なのだ。なので、あなたがそこまでだいーじにしているお金を犠牲にして、私があなたの犠牲にされた気持ちを理解し反省しなさい」という妻の一言ですべて吹っ飛んでしまうリスクに常に怯えていなければいけない。そして、その月末近くには必ずめちゃ金欠になり、「使えない」「バイトできないとかマジ言い訳みっともない」「言い訳考える暇があったら行動を起こすのが人間として普通、それができないあなたはダメ人間」「まともな人間ではない」「くず」「サイコパス」「悪魔」と罵詈雑言を浴びる。反省をして謝罪をしなければならない。だいたい夜12時ぐらいスタートで4時ぐらいまで。何が悪いのかよくわからないため、納得してもらえる謝罪の言葉が見つからずひたすらうつむき、眠気とのどの渇きと便意を我慢しながら、妻が疲れはてて寝ると決めるのを待つ。お前は引き続き謝罪の言葉を考えろもしくは離婚しろと言われ解放され、ほっとして少し横になる。その後、分担しているが滞っている家事を遂行し、仕事へ行ってだいたい遅刻する。息をする。水を飲む。パントリーにおいてあるビスケットを食べる。味はしないが多分甘い。自分よりももっともっと大変で辛い人はたくさんいると自分に言い聞かせる。自分はがんばらずにひたすらしのいでいるだけで、それで勘弁してもらっているのでラッキーだ。そして人前では笑顔を作る。仕事をしてランチに行くお金があるか財布を見ると、現金が200円ある。ちょうど200円で買える、食堂で一番安いメニューを買って食ってめちゃくちゃラッキーやな俺とおもう。もう財布には7円ぐらいしかないけど、今は考えない。給料出るまで家からなんか食べ物持って行かないと…とか考えて、あとXX日、家にあれとあれがあったから…なんとかなるかなとか考える。お金のこと考えると生きる事は本当に面倒くさいなと思う。午後の仕事に集中しよう、と思いながらオフィスにもどってうつらうつらする。
慢性的に貧困状態の人は、いつもお金のことばかり考えその日その日をしのぐことだけに集中しようとしてしまうため、生活や仕事をする上で総合的な認知能力が低下してしまうらしい。トンネルビジョンというそうだ。トンネルに入り込んでしまって、俯瞰的な視点から物事を見ることができない。助けを求めれば手を差し伸べてくれる人がいることに気付かない、もしくは気後れして頼めない、バイトを探したりするのに必要な時間やコストがねん出できないと最初から諦めてしまい、結局また今月やっと一部だけ返したクレカローンから借り直し自転車操業火の車をしてますます貧困になってしまう。
孤独を感じ友達がいない事に悩んでいる人は、トンネルに入ってしまったように自分が孤独な事ばかりを考え、総合的な認知能力が欠如してしまう。よって変なタイミングで変なことを言ってしまうか、考えすぎて身動きが取れずコミュニケーション自体がとれなくなってしまう。人を遠ざける・近づくことが出来なくなってしまい、ますます孤独になる。
そこまでの貧困に苦しんでいない人や孤独ではない人からすれば、何が問題なのか全くわからない。やっと返したクレカローンからまた借りるなんて、そういう馬鹿だから借金まみれになるんだ自業自得で自己責任でしょっていう感覚になる。考えすぎなんだよ、別に他人はそこまで気にしないよ、あなたが思っているほどあなたは孤独ではないよ、と本人以外は思っていても、悩む本人はトンネルビジョンに入ってしまい、周りが見えない。前にある光に向かうか、遠ざかるかの2択しか見えないので完全にフリーズしてしまうか、ドツボにはまるようにトンネルの奥へ奥へと向かってしまう。
そうやって孤独や貧困のドツボにはまった人は、他人からの助けがない限り、自傷か自死をしていくか、「無敵の人」になる。「生まれてきてごめんなさい」といって死ぬか、開き直ってもう何を言われても私のせいではない、そんな事で怒るあなたの方がおかしい、私は言われたことをやっているだけ、私は悪くない…私は悪くない…と思い込まないと正気が保てなくなる。自分の命はちっぽけでつまらない事はわかっているから、死ねばいいんだ。せめて生きてる間ムカついた奴をできるだけ多く道連れに、全く関係ない他人が巻き込まれてもしゃーない、どうせこの世は理不尽なんだから。銃を持つものは無差別射撃を計画し、車を持つものはできるだけ人込みの多い交差点へ突っ込み、一縷のやさしさを捨てきれなかったものは出来るだけすぐ見つかるが確実な方法で自死を図る。
かという私も、なんとかしてその日々を乗り越え、スーパーに行っても銀行の残り残高と次の給料日までの日数をかぞえて「一日何円なので、明日はこれ、その次はアレを食べてなんとかもつぞ」っていう計算をしなくてもよくなった。今ではスイーツ売り場にならぶケーキやまんじゅうにうっとりし、半額のシールが貼ってあればお金の心配ではなく摂取カロリーの心配をする日々である。とてつもなく楽である。
ただ生きるのは格段に楽になった。でも幸せかどうかは、もう何を基準にしていいのかわからない。人から幸せかと尋ねられればもちろん幸せだと答える。でも実は幸せかどうかなどという事はどうでもよく、ただ貧乏だった日々に恨めしかったお金持ち(に見える人達)、例えば旅行に行ったり高級なレストランやホテルに行っては写真をSNSにアップロードして「すっごく楽しかったーお得だよーみんなも行ってみて!」とかポストしている奴に、こっそり「いつか死んだら、地獄へ行ってほしいな」と思ったりするぐらいである。自分が幸せになる事よりも、幸せな奴が不幸のズンドコに落ちてほしいという思いを抱えて生きてきた時間が長すぎて、積み重ねた怒りや嫉妬や恨みの残穢が拭えない。そういう事を思ってしまう自分も地獄に落ちるんだろう。でも自分が地獄へ落ちても良いので、今幸せなやつは罰として地獄に落ちるべきだとかいうゆがんだ正義感が止まらない。
自分がもっと幸せになってよいのであると言い聞かせるが、そうすると過度に炭酸ジュースやアルフォートを浴びるように摂取してしまったりしてなんだかバランスがとれない。今SNSで幸せアピールしてる人も、きっと落ち込む日や不安な日があったりするんだろうな。ひとそれぞれ悩みや苦しみはあって、それはもうその人にしかわからない痛みやから自分で出来る事は全然ないけど、それでもみんなが天国に行くにはどうしたらいいのかな、とか一応人には言えるようにはなった。トンネルビジョンから多分抜け出た。空が見えていて、星がきれいな夜もあれば、雨や雪が中々やまないこともある。ただ、目標を立ててそこへノイローゼのように猪突猛進して努力と友情を忘れない人たちが発する明るくまぶしい光に照らされると目が開けていられない。どうしていいのかわからない。そしてトンネルを抜けたら真っ暗になったり周りが全部明るくなって、どの方向に歩けば良いのか全く分からない。トンネルに入っていた総時間と同じぐらいの日々を過ごすと、どこに行こうかとか見えるのだろうか。ゆっくりと頑張るしかなさそうだ。
参考:トンネルビジョン、貧困やコンプレックスがもたらす認知能力の低下についてのポッドキャスト Vedantam, S. (Host). (2018, April 2). Tunnel Vision [audio podcast transcript]. Hidden Brain. NPR. https://www.npr.org/transcripts/598118226
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2245145
https://note.com/masu868/n/nee9ac0a564b6
コロナ前に地元に来てた歌謡曲コンサート(注1)がやったやつを知っていれば、下には下があると思って納得してくれるのではないかと思い筆を執った。
三行でまとめると
場所は、文化会館。ワイの地元。東京から観光バスで2時間ぐらいのところ。日帰りできる絶妙な場所。周りは葡萄とか産地で、そのシーズンになるとかなり観光バスがくるけど、それ以外にあんまり観光資源の乏しいところ。
特産品として、大物国会議員を出荷しており、彼が金を引っ張ってきて、身分不相応な凄まじく広大な駐車場がある1300人クラスの文化会館が建設された。(注2)
コンサートはここで開かれる。
出演者を示すであろうポスターには、昔懐かしい昭和歌謡を彩った大物の名前がずらーっと並んでいて、映画のブロッコリーポスター ( こんなの → https://girlschannel.net/topics/3487192/ )みたいな感じでわさーっと実って豪華絢爛な感じ。
一番中心に据えられている大物歌手らは、現在も若い歌手と一緒に音楽活動をやるなど、本当に真の意味で本物の歌手である。こんな豪華メンバーのコンサートが地元で見れるなんて!すばらしい、と思うだろう。こんなにたくさんの人が出演するなんて、見なきゃ!って。
ところが、ポスターにはこう書いてある。
公演によって出演者は異なります
若手歌手なども出演します。おたのしみに!
ん?怪しいと思うだろうが、その感覚は全く正しい。
なんと最大一日3回公演。午前の部(10時~)、午後の部(14時~)、夜の部(18時~)である。それをなんと3週間にわたって、休日を中心にたぶん10日ぐらいやってた。この時点でなんだこれってなると思うだろうが、その感覚は全く正しい
一番安い席はなんと3000円から。当時としても安い。次が5000円、S席は8000円。ホールは10年もたってない現代の設計なので、少々安普請ではあるが、席によって見えにくい場所などはない。なので3000円でも良いと思ってワイは3000円を買った。
この判断は正しかった。実際にはガラガラで、3000円でも10列目ぐらいで見れたので。また、後で調べたら、観光バスの人たちは、追加で8000円出すとS席で見られると言う仕組みだったらしい。普通8000円の席はいくらガラガラでも前に詰めたりしないと思うんだけど、思いっきり詰めてたと思われる。
騙されなくて良かったと一安心。
当然、こんなキャパシティを地元民だけで埋まることはない。じゃあどうするかというと、観光会社と提携していて、首都圏や近隣県からのバスツアーをに組み込んでツアーにしているのだ。普段はガラガラの駐車場に、ずらーっとバスが並ぶのである。ちょっと、というかかなりびっくりする光景だった。
ただ、たぶんそれでも一杯になんてなってないと思う。ムダに広すぎる。 二階席はいつも閉鎖状態だったんじゃないかなあ。分からんけど。
一応地元民と思われる人もそれなりには、いた。
自分が入った時は、平日の夜公演で恐らく最も客が少なかったとき。なので一番安いチケット買ったのに、前から10列目ぐらいで見られた。
まず、最初になんだかよく分からない歌手が出てきて歌う。後で調べたら大昔に一曲だけプチヒットを出した歌手らしいが全然知らん。歌は聴いたことがあるかな?ないかな?と言う感じ。
いきなり出てきて歌って、何事かと思っていると、司会者が出てくる。漫才師が着るようなキンキラキンのスーツの上下にカラーアフロヘアという出で立ち(注3)。
そして歌手のことを国民的超大物歌手であるがごとく扱い、褒めまくる。降られた歌手の方も俺は凄いんだぜ的な感じで応答して、なんか凄い人の話をきけちゃった感を演出する。
そして次に現れるのが、なんだかよく分からない若手(注4)の歌手たち。3組ぐらいだったような。歌うのは自分の歌ではなく、懐かしのヒット曲。
ごく一部に自分のオリジナル曲を歌うのがいたけど、まぁ分からないよね。別日では、地元の県出身の歌手が応援に駆けつけました、みたいなこともあったらしいはらしい。
気の利いた歌手は、絶妙に地元ネタを入れるんだけど、その努力は認める。だってその努力もしない歌手が多いもんね。機械的に歌って。はは。
最終的に、某女性のド演歌を歌う歌手が出てくる。おお!本物や!と思うけど、ポスターの真ん中にいるメイン歌手ではない。
ブロッコリーで言う所の右側面後ろぐらいのポジ(注5)。
そして、おもむろに美空ひばりのヒット曲愛燦燦。
いや名曲だけどさ、自分の曲じゃないか無い!と突っ込みたいところだが、流石に迫力。
お金がない花火大会で、最初は小玉ばかりだったけど、最後に大玉ができて「これだよこれ」って思う感じの。そんな感動はちょっとある。
そして次に自身最大のヒット曲をガチで歌って、MC。うーんやっぱり人気のプロはちがうねえ。と思ったらこれで終わった。えっ。
そして最後にアンコールがある。と言うか帰り始めているのを司会者が拍手を煽ってアンコールさせる。
出演者が総出で出てきて、ここで北島三郎の祭を歌って、終わり。この時、何故か司会者も歌っていた。(それが結構上手いんだよなこれが)
合計2時間ぐらいだった。
世の中色々な商売がある。基本的に人気商売というのは、丁寧に対応して、ファンになってもらって、リピーターを集める、はずなんだけど、
これとは真っ向から対立すする焼き畑みたいな商売である。どうせ一回だからとチケット売り出して終わらせると言う様な。
地元でもプチ観光公害みたいなんがおきていて評判が悪く問題化。貸出料金も全館貸し切りで一日つかって正規料金10万円みたいなそもそもが激安設定なのだが、これを更に値切られており、稼働してない間も機材置きっぱなしだったがその間の金はとってないとか、後で揉めた模様。
おそらく、似たような奴が二度とここに来ることはないだろうが、似たような地方の箱物文化施設はいくらでもある。場所を変えて似たような商売やってるんじゃねーかな。コロナ禍でも生き残ってと思うよこう言う連中。生命力強そうだし。
ワイは3000円しか払ってないから勉強になったでいいけど、これでS席とか、首都圏から1万とか2万とか払ってきてたら頭にくるんじゃないかなあ。ああでも、他に観光地を回ったりするならこれでも良いのかも。
とにかく、世の中には下にはしたがあると言う事を知ってもらって、山崎まさよし氏のことは許して挙げてほしいという、そんな次第である。
注1:こう言われると絶対「夢グループ?」って言う人がいるので言っておくと、夢グループではないです。夢グループはたぶん通販の収益でコンサートやって歌手とその弟子らを養ってなるんだと思うよ。だって夢グループって母体となる通販会社が別にあるんだし。
注2:建設された場所は、優良な農地だった。担い手不足でもう無理だから工業団地にするんだーと言って指定地にしたものの、全く工場誘致が進まないと言う、日本中で大量にあるであろう工業団地予定地。埋まらない状況で、ここにいろんな補助金を活用してブチ建てたもんだから、土地を持ってた人はしっかりと金が出て、家の建て替えラッシュとかがあったらしい。文化会館はそんな経緯で建てられたので、交通の便が良いはずもなく。最寄りの駅から車で20分ぐらい、新幹線で来ると新幹線駅から在来乗り換えして40分ぐらいかかる場所で、どうしてこうなった感すごい。ただ、どこから騙して連れてきたかは知らないが、現在はまともな専門知識を持つ運営責任者(有期雇用の非正規職員)がいるので結構頑張っている。ただ、ホールの使用よりも、だだっ広い駐車場の方が利用価値高いみたいでそっちの方が活用されてるとか、微妙な感じ。 ネーミングライツは売ろうとして売れなかった。
注3:当然かつらで、ありがとうございました!みたく勢いよく頭を下げると、ぽろっと採れてステージを滑っていき、仲から真ん中だけ髪の毛が無い、いわゆる波平スタイルの頭が現れるという仕様。これを慌ててとりにいって笑いを誘う。前の歌手が微妙に固くて会場の雰囲気がかまってくるとこれを披露して会場を暖めるという。
注4:若手、と言っても年齢行ってると思う。アラフォーぐらいは普通にいたかと。
注5:日曜日の昼公演とかに行った人もポスターのメイン歌手は出てこなかったそうなんだが、本当に出演してんのかなあアレ。でもこういう商売なら連続何日も見る奴なんていないから、それでもいいんだろうな。よく考えられてる。