「生き甲斐」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 生き甲斐とは

2019-03-10

交流してくださっていた神絵師の皆々様へ

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)


私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

ツイッターアカウントを消すにあたって

1文にまとめると勉強を頑張る為に同人活動を休止してツイッターを消すことにしました。

というだけの話です。

ただ自分にとっては同人活動ツイッターも、生半可な気持ちで断てるようなものではなかったのでここから語る事の経緯は自分感情を整理するための自己満足です。

えらく長い上読んでもこれっぽっちも楽しいものではありませんが、それでもお付き合い頂ける方は読んでみてください。


勉強を今一度頑張ってみたいと思いました。

思ってみたもの、今まで散々頑張ってこなかったことなので正直既に全然自信がないんですけど。

本当に自信がないです。散々頑張らなかった人生なので。

ただ、自信無いなりに、まず頑張る為に今まで頑張れなかった原因たる要素を外的要因から潰していこうと思ったのです。

その1つが自分学費を持った上で、勉強をする為に学校に入ることでした。

ざっくり勉強と申し上げましたが4月から資格を取得するために専門学校に通うことにしたのです。

資格を取得するにあたって大学に行っていたのですが、親の金で通っていた当時は正直な話どこか甘えていた部分があったと思います

実家から独立して社会に出て数年、時間お金も有限なんだと本当に今更痛感しました。

勉強する為にお金を出して与えてもらった時間を使って勉強をろくにしてこなかった今まで、本当に勿体ないことをしてきたなと思いました。

大学当時、資格取得の試験に落ち、翌年仕事をしながら自主学習しても身が入らず結局試験は以来受けていませんでした。

フルタイム勤務に月20~40の残業が発生した状態で実際時間もなかったのですが、結局仕事をしているから、と勉強から逃げていたと思います

今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと親に伝えたとき父親からは甘えていると言われました。

本当に、その通りだと思いました。

私が社会に出て数年働いても全く届かない数百万というお金を出してもらい4年間大学へ通い、試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私には2、3年だとしても学校へ通う為の資金などはなく。

またどこか親に頼ろうという気概自分の中にはあったように思うので。

実際、学費学校へ通う間に生計を立てていく問題を本気で考えたのはその後でした。

まず、今年から資格取得の為に受けられる給付金制度が拡充したことを知りました。

次に、検討していくうち決めた4月から行くことになった専門というのが本来2年制の学部でしたが、大学で同資格取得の為の科目を専攻していた関係前例もある特例として1年制として受け入れて頂けるということでした。

資金的にも現実的な額面になってきたこと(それでも情けない話ではありますが結局親に前借りする形になりましたし、口座の残高はパート勤務でもしないと工面できない程度にしか残せていませんが)、

特例の1年制というのは学費的にも大きかったですし何より親の金で無闇に過ごした時間が多かった大学での4年間が少しでも無意味にならないように思えたこと、

新年に引いたおみくじ末吉にしてかつて類を見ないレベルの手厳しさであった上で「学問自己の甘えを捨て全力を尽くせ」と言われていたこと、

年齢も正直先日27になりまして、あと数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありました。

ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がしました。

フルタイム勤務はもう無理なので今の仕事は今月いっぱいで辞めます

前述の通り隙間時間で入れるバイトを探して当面はやっていきます

学費を振り込んだ今残った口座の残高数十万円は試験半年から数ヶ月前にはバイトも辞めて勉強だけ集中するためのお金なので来年の今頃には本当にほとんど一文無しの予定です。

口座に余裕がなくて本当に良かったです。

これでもうイベント遠征はどうしたって行けなくなりました。

長い目で見ればリターンがあるからとか言って本でも作れば向こう数ヶ月はご飯が食べられなくなる寸法です。

資格が取れなければ本当に何も残らない状況で、これで頑張れなければ本当にただの屑だと思います

要は、自主的に意欲を持って頑張れない自分が頑張る為にまずあらゆる退路を断つ必要があったのです。

もう後が無い環境意図的にでも作って追い込まないと自分は間違いなく何かに甘えてしま人間だったので。

そんな感じで経済的・将来的な逃げ道を絶つ環境を整えることを決めたからにはしておかなければいけないと思ったもう1つ。

それがツイッターを消すことと同人活動を休むことでした。

この文面を此処まで読まれる方でしたら私が見事なまでの限界同人オタクなことはご存知のことと思います

高1頃から同人活動を少しずつ始め、彼此10年以上同人誌を作ってきましたが、作成ペースは年々悪化の一途を辿り、前年では15冊発行してましたし、もうここ何年も年間10冊超ペースで発行している有様でした。

正直、学生時代勉強に身を入れきれなかった大元の原因が同人活動にあったと思います

原稿をしている間は人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるも私からしてみれば「人間的な生活を送らない理由にするため原稿をしている」ような節がありました。

自己解釈アウトプットすることが人生で何よりの生き甲斐なのは間違いないのですが、それが同時に生活を怠る免罪符にもなっていました。

イベントに参加して自身の本を取ってもらう、気の合うオタクと喋る、時として感想を貰う。

同人イベントサークル参加されたことのある方であれば分かる方もいると思うんですけどこの一連の流れって本当に癖になってしまうんですよね。

ただでさえ自己解釈アウトプット生き甲斐だった私に関してはもはや本を作ってイベントに出る行為依存症みたいなものだったと思います

原稿にかける時間人生で何よりの優先事項で、次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは気が向いたときに行う基本やれなくても仕方のないこと。

自分の中では完全にそういう考え方ができていました。

自己思考アウトプットすることそのもの生き甲斐自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います

自分の交友関係社会に出ている間に学生時代関係がほぼ残らず、今やツイッター形成されているものでほぼ占められていたのでツイッターを完全に消してしまうことは自分人間関係の大半を喪失させてしまうことのように思っていて、それが余計に自分の中でこのツールを離しがたいものにしていたようにも思います

というか消すまでしなくても程々に運用したらいいのではって話なんですが。

少なくとも自分に関しては無理だと思ったからこその判断です。

物事を切り替えていくのが本当にへたくそで、特につの思考に耽るのが楽しい性分だったことも助長してツイッターでひとたび1つの話題を見つけると数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。

共通話題で盛り上がる人が居ると余計に、自分以外の誰もその話題をしていなくても一人でもいつまでも

やらなければいけないものできればやりたくないことが後に控えている程にその傾向が強かったように思います

その手軽さが現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います

自身思考共感を得てくれる存在が数値として見えるこのツールでは欲している感情簡単に満たされてしまって、少しでも苦しさを感じる現状に対する手軽な逃げ場になっていたと思います

息抜き現実逃避というのはニュアンスとして紙一重だと思うんですが私は息抜きのつもりで一度楽しいことを始めるとそのまま本来の楽しくない作業には戻れなず逃避になっているタイプでした。

人生において欲している感情を与えてくれる要素は現実から逃げる為の要素でもあると思います

自身にとってツイッター同人活動人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てでした。

から、本当に本当にすべきことを前にツイッターを、同人活動を並行するという可能性を少しでも残せないと思ったのです。

から同人活動ツイッターもやめることにしました。

今生の別れでも何でもない、本当に一時的措置であって数年後の私が目標を達しているいないに関係なくきっと私はツイッター同人活動も再開すると思うのです。

人生の中でみれば些細な制限に対してここまで長文の記事を作るなんて自分でも正直馬鹿げているなとも思うのです。

これは少しでも隙があればきっとまた今までのように現実にある目前のすべきことから逃げだしてしま自分に対して仕方ない、仕方ないと言い聞かせる為の文章です。

ここまでしないと、ここまでしても尚駄目かもしれないどうしようもない自分をせめて戒める為にこの文章を作っています

いくら生き甲斐だったとしても生き甲斐を続けるだけの人生に将来性なんて何もありません。

自分生き甲斐あくま趣味であって、万に一つでも趣味を続けた先にそれが将来性のある何かに繋がるとは微塵にも思っていません。

自分の中で此処まで分かってるなら私は学生時代からもっと勉強をする習慣に慣れておくべきだったと今更のように思います

結局、その場で満たされる感情やもしかするとなんて夢を見ることでこのままでは良くないと分かっていた現状から逃げ続けていただけだったんだと思います

手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています

やる気の問題が大きいとは思います

逃げ道をいくら塞いだところで1日寝て過ごせば日々は過ぎてしまうわけですから自分が本当に頑張らない限り、どうにかしたいと気持ちだけ口にしたところで結果には何も繋がりません。

ここまで包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてという感じなので正直、どう転ぶにしても後々くまなく喋りすぎたことを後悔すると思ってるんですけど、こうして状況を明記すること事体が退路を断つ一環でもあるので致し方なかったのでした。

本当に長くなってしまいましたが本記事は以上となります

最後に「頑張ろうと思います」なんて口だけ言っても仕方ないので自分では言わないでおきます

(今見直したら冒頭1行で言ってましたけど)

なので此処まで読んでくださった方におかれましては「頑張ってください、応援してます」なんて軽はずみにでも本気でもどんな心づもりでも言えるその言葉自分に向けては出来れば言わないで頂けたら助かります

それでも結果を残して戻ってこれたときには軽はずみでも良いので「おめでとう、お疲れ様、おかえりなさい」などのお声を頂けたらとても嬉しいです。

最後最後に、これからの1年、このブログフォロー数0のアカウント、もしくは本垢のものが浮上しても息抜きレベルだと思えるものでしたらどうか見逃してください。

最後まで現金感情にお付き合い頂いてしまってすいません、ありがとうございました。

それでは。

2019-03-06

野球部出身者は雇わないほうがいい

野球サッカーバレーボールといった集団スポーツ部活出身者は、今の世の中では雇わないほうがいい。以下、その理由を述べる。

パワハラ体質である

この手の集団スポーツ出身者は、特定人物の行動を周りの人達の前で批判する行動特性が身に付いてしまっている。集団の中ではぐっとこらえてあとで個別に呼び出して指導という行動が取れない。

部活練習ではその行動がないと練習が成り立たないので仕方がないが、社会人としては今の世の中なら間違いなくパワハラ扱いされる行動だ。

綺麗な仕事ばかりしたがるため、仕事を任せづらい

彼等は身内から応援をもらえることを生き甲斐にして学生時代を送ってきた。だから、周りからまり喜ばれない汚れ役雑用は避ける傾向にある。社会人は時にそういう仕事をしなければならない機会があるが、彼等はそういう仕事をかなり嫌がるため、使いづらい。

限界値が低く、成長しない

試合とかで常に外部から評価され続けた影響か、自分はここまでの人だから、とガードを張る傾向にある。つまりまり成長しない。ちなみに評価がやたら高い人はそもそもそのスポーツの道でプロになっていく。

団体スポーツ出身の人にあるこのような傾向は、企業の人事も結構気づいてるのではなかろうか。

吹奏楽部演劇部出身者は雇わないほうがいい

吹奏楽ブラスバンド演劇部といった集団芸術系部活出身者は、今の世の中では雇わないほうがいい。以下、その理由を述べる。

パワハラ体質である

この手の集団芸術系出身者は、特定人物の行動を周りの人達が居る場所批判する行動特性が身に付いてしまっている。集団の中ではぐっとこらえてあとで個別に呼び出して指導という行動が取れない。

部活練習ではその行動がないと練習が成り立たないので仕方がないが、社会人としては今の世の中なら間違いなくパワハラ扱いされる行動だ。

綺麗な仕事ばかりしたがるため、仕事を任せづらい

彼等は観客から拍手をもらえることを生き甲斐にして学生時代を送ってきた。だから、周りからまり喜ばれない汚れ役雑用は避ける傾向にある。社会人は時にそういう仕事をしなければならない機会があるが、彼等はそういう仕事をかなり嫌がるため、使いづらい。

限界値が低く、成長しない

コンクールとかで常に外部から評価され続けた影響か、自分はここまでの人だから、とガードを張る傾向にある。つまりまり成長しない。ちなみに評価がやたら高い人はそもそも芸術の道でプロになっていく。

吹奏楽演劇出身の人にあるこのような傾向は、企業の人事も結構気づいてるのではなかろうか。

2019-03-01

anond:20190301121100

 まず、エリート女性を目指すことが困難なのは自分偏差値を見れば分かる。もし専門職に就けても、仕事ゆえに家庭を持たないのは淋し過ぎる、仕事と家庭を両立させるために疲れ果てるのはいやだ、経済的自立のために生き甲斐意味見出しえない仕事をするのは耐えられない。これら不快な条件を全部排除してくれるのが、第四のコースなのだ

 夫は経済のために必要だ。子どもは夫よりなお重要だ。出産育児体験価値のあるイベントであり、女性なら一度は体験してみたい。そして、保育園に預けて子どもに淋しい思いをさせたくはない。

 大衆は、フェミニストの「啓蒙」するところには行かなかった。娘は、母親の期待するところにも行かなかった。

 結婚女性保証してくれる三大特典――保証された年収・達成義務から解放豊富余暇時間――は、決して手放さず、その上に立って、社会から認められ、仲間に羨ましがられる仕事に就きたい。子どもがいても、生活臭のない、社会と繋がった仕事をしていたい。生活のための労働は、奴隷(男)にさせ、自分貴族のように意義ある仕事優雅にしていたい……。

 

 今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある

2019-02-25

おまいらの楽しみって何?

大学中退して彼女にもフラれて絶望して死にかけたけど、

今は毎週のJリーグ試合が楽しみ

自分応援するチームが頑張るところを見ると生き甲斐を感じる

おまいらの生き甲斐・楽しみって何?

2019-02-19

ソシャゲに熱中できる人が心の底から羨ましい

かに熱中することが本当にできないのだと気付いた。

自分は多趣味だし色々なことに興味があるとは思う。でも空いた時間を何に使うかと言われたときにすぐに答えられない。

これに対する情熱人一倍あります、というものがパッと言えない。彼女もいない。

美少女ソシャゲに熱中してキャラを出そうと沢山課金する人はそれだけそのキャラにぞっこんな訳である

そんな人たちはくだらないことにお金時間を費やしていると揶揄され、バカにされがちだ。

でも俺はそれが羨ましくて仕方ない。そのキャラのためにお金を稼いで、節約して、課金するのだろう。

それは立派な「生き甲斐」だと思う。

生き甲斐が、心の拠り所が何か欲しいよ。頼むからさ……

2019-02-12

ストレス耐性と口語能力理解力が低いスペック死ぬしかないのか

もう30代前半になってしまった。

どうにかしようと思って就ける範囲の職で何社か働いてみたけどストレス耐性が低すぎてすぐ辞めてしまう。

神経質だったり人の話が理解できなかったり朝が弱かったり人と一緒にいると疲れたり集中しなきゃいけないのはわかっててもボーっとしてしまったり頭が真っ白になってしまう。生きてて辛い。

もう、俺の脳みそはとっくの昔にだめになってしまったんだろう。

IT慢性的人手不足?俺には無理だろう。無能はいりません。皆そう言うよ。どれだけ学習意欲を高めても働き出すといっきリソースが消費して逃げ出したくなるんだ。

発達障害じゃないのかって?精神科検査したよ。カウンセリングやウェクスラー検査を通して貴方が生き辛く感じている特性確認できました。しか言語性と動作性に差はありませんでした。貴方発達障害ではありません。

きっと俺みたいな低スペックに苦しむ人間は世の中には沢山いるんだろうけどフォーカスがあたらないのはこの世界が俺みたいな健常者の皮をかぶったゴミのための世界じゃないからなんだよな。

幼い頃から生きていてずっと眠かった。歳を重ねる度に眠気が増してきた。

俺の馬鹿脳みそでもうっすらと世界の仕組みが、得られることの無い自己肯定感自己効能感を通して分かったんだろうな。「貴方はこの世界ではただのボトルネックです。社会のためにスリープ状態に移行します。もしくは強制シャットダウンをしてください。」

時々安楽死について調べてるのはきっとそういうことなんだろう。

精一杯仕事して仕事帰りに飲みに行く気力体力能力もあってプライベートでも胸張ってられる人たちはもう俺とは同じ動物じゃないんだろう。彼らは彼らなりの苦労があるのはわかる。そして彼らと自分との悩みの次元が違うのもわかるし、彼らと一緒にいると自分が彼らのストレッサーになることもわかる。

もしも安楽死制度が出来たら直ぐに使いたい。俺は幸い健康診断の成績だけは良い。だから、俺みたいな今日にでも死にたい奴の臓器は、明日を生きたい人に使ってあげて欲しい。こんなことでしか役に立てないが、せめて最期ぐらい役に立てるなら嬉しい。

わがまま言えば、臓器提供代金が欲しい。親の生き甲斐や夢を黒く塗りつぶした獄つぶしとして出来るのは、その代金を親に全額渡すことぐらいだ。

まれてきてすみませんでした。

2019-02-10

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

2019-02-08

anond:20190208130040

元増田だけど、妻の態度はでかくはないんだ。

どちらかと言うと、疲れたような悲しいような態度で言ってくる。

妻が俺の幸福に貢献してない、という事はない。

俺はうつ病仕事を辞めるまでは、仕事しかない人生で、突然それがなくなって、再就職もできないしで何もやる気がなかったんだけど、妻の後押しのおかげで子供が持てたし、何より、妻も子供可愛いくて、彼女らが俺の生きる目的になってる。

でも、ここで言われてるのを見て、俺が変わるのが難しければ、離婚しかないと思って、今後何を生き甲斐にすれば良いかからないのが不安

2019-01-27

休日に何もできなくてつらい

私は卒業を控えている大学四年生だ。卒論就活を終え、時間を持て余している。

平日は1日通しでアルバイトをしており、そこそこ充実している。アルバイト先は土日祝が定休日なため、土日祝に働くことはない。いわば、一般的社会人と同じような週休2日制だ。

趣味ラーメンを食べること、漫画を読むこと、飲酒アルバイトの予定を入れてしまうとラーメンを食べることは出来ないし漫画も一気読みをしたいので時間をとらず、休日に後回しにしてしまう。平日の楽しみは酒だけだ。また、洗濯掃除、やらなければいけないことも基本休日にやればいいと思い放置している。しかし、実際に休日になると、何もやる気になれないのだ。

私の休日は大体11時ごろに目を覚ますことから始まる。目覚ましをかけずに自然に起きる時間が大体この時間だ。特に予定はないので二度寝する。二度寝をして起きたら大体14時をすぎる。先ほど書いたように、私は基本平日はアルバイトランチに行く機会が休日しかないため、前日まではラーメンでも昼に食べに行こうかしらなど考えていても14時過ぎに起きたら手遅れだ。

ランチ営業時間内に食べに行くことを諦め近所で通し営業をしているお店に行こうかと考える。しかし布団から出ることができない。歯を磨くことも、テレビをつけることも、趣味漫画を読むこともできない。ずっと布団の中でぼーっとしているかネットをしているかだ。そうしていくうちに食事億劫になる。もちろん部屋の電気もつけられないので、部屋はだんだん暗くなっていき、もはや昼ご飯を食べる必要がないことに気づく。

しかしいい加減夕方にもなると空腹にはなる。そこでやっとこさ布団から出て部屋の明かりをつけ、タバコを吸い空腹を紛らわす。歯を磨き、もう一度布団の中に入る。ここまでで大体17時、遅くて19時だ。ここまでくると外出自体が面倒になり、ラーメンを食べに行こうという思考が0になる。そして家事もやらねばと思いつつやる気にならない。

タバコを何度か吸い、布団に戻るの繰り返し。いい加減酒が飲みたくなり、コンビニに行き、カップ麺やらお惣菜やらと、発泡酒23時ごろに買いに行き、ちゃっちゃと飲み食いしてシャワーに入って1日が終わる。ほぼ布団から出ていない1日の完成だ。

外出するのが嫌いなわけでもないし人と会うのが嫌いなわけでもない。もちろん、予定が入っている休日もあり、ちゃんおめかしして外出する。しかし、アルバイトにしてもそうなのだが、外に出る必要性がない限り、外出する気にならないのだ。例えば、私には近所に住む彼氏がいる。遊びにおいで、ご飯を食べようなどラインが来るが外に出る気にならないので断ってしまう。決して彼氏といて退屈なわけではないが、近場の彼氏の家に行くやる気すら起きない。

趣味すら何もやる気にならないのはどういうことなんだろうとずっと考えている。どれも好きなことなはずなのにおかしいとも思う。結局のところ、どれも生き甲斐ではないからかなと結論に至った。

好きな気持ちよりめんどくささが勝ってしまう。これが私の人生だ。

私は別に明日死んでも構わないと思っている。死にたいわけではないが、生きたいわけでもない。どうすれば充実した休日を過ごせるのだろうか。

2019-01-20

プロ意識をあえて持たない仕事術

よくお前は「プロ意識がない」とか世間では言われる。だが「お前が言うな」って話なのよ。実際は。

アホ上司から言われる「プロ意識」とやらを持って仕事をしたからといって、自分給料がドカン!と上がるわけではない。大体、日本企業場合自分の行った仕事で、どれだけ会社利益があったか?」などという情報は一切知らされない。つまり、アンタが頑張った大部分は「全部会社が吸い取る」だけなのよ。

そして昇給ボーナスアップなどという「雀の涙金」を与えて「〇〇君!今季は本当によく頑張ったな!」などと言われてしまう。

はっきり言えば日本サラリーマンぐらいバカバカしい働き方は無く、このサラリーマンが「プロ意識教」に乗せられて仕事をする事ぐらい、バカバカしい話はない。

プロ意識というのは「プロ意識が持てる環境に働く人間」が「大いなる利益」を目論んで始めるからこそ、本当のプロ意識になる。

逆に言えば「キッチリとした明確な利益」が手に入るという「前提」が無ければ、プロ意識などは持ちようがなく「持つ必要もない」のである

で、今日の本題だけど、日本リーマン諸君本業では一切「本気出す必要なんか無い」むしろ手を抜けるだけ抜いて、思考力や体力をできるだけ温存し、自分で探し出した生き甲斐趣味、得意なことを通じて、何らかの副業を持つべきだ。

その副業を磨き上げて徐々に利益を出し、その利益を積み上げ「大いなる利益」に繋げることにこそ、プロ意識を持つべきだろう。

また実際、ここまでネットが普及してるのにこれを使わない手はない。単純にワードプレスを少し齧って、ブログを始めるだけでも「何らかの広告収入」は得られるだろう。趣味や得意な事を発展させたサイトでも良い。可能性は無限にあるはずで、企業就職してそこから収入を得るという働き方自体が、もはや「時代遅れ」だと考えろ。

2018-12-16

生き甲斐とはなにか

生きてる意味がないのに

2018-12-14

ジャンルに執着しすぎる同人女

なんか前にも似たような記事何回書いたら気が済むんだろうって思う

要するに何も変わってないってことなんだよなぁ・・・

昔は依存からの脱却を目指していた時期もあったけどそれも停滞しているしね

なんで依存やめようと思ったか

ジャンルの新展開が地雷

・ショックで虚無になる生活

・如何に依存していたかにようやく気づく

って感じで・・・でも人であれ物であれ依存は何事も良くないよね・・・自分ダメにする

そんなわけで一時期は意識していたけどいつの間にかジャンルに戻っていた

作品自体やっぱり好きだなって思ったし

普通に楽しいしよかったじゃん!

とはならなかった

いや楽しくはあるけども、また新展開が地雷可能性ができてたのだ

公式から出るものならなんでも受け入れられるタイプでもないので、もし本当にダメだったら

そっと静かに去るしかない

そう決めてはいるけどじゃあその後は・・・・・・・?と考えると目の前が真っ暗になる

私はなにを楽しみに生きていけばいいんだろう・・・

コンテンツが終わって、緩やかに終えるならい卒業だなと思えるけど、逆燃料かつ唐突に終わりを迎えるのは全然違う

またあの虚無が戻ってくるのかと思うと怖くて仕方がない

じゃあ別ジャンル探せば?って話だけど中々ハマれないタイプなのでそれも難しい

ここまで書いてなんてアニメ以外生き甲斐のない中身のない悲しい女だろうって自分で思った

周囲を見てると割とあっさりした反応だし(実際の心の内は分からないけど)自分だけ異様に怯えて執着して

すごく恥ずかしい

時間近く色々情報漁って馬鹿のもの

ほかの人は他にも好きなアニメ・・・に限らず好きなものや人、生活があるのに自分は何をやっているんだろうって思う

厳密には自分にも他に好きなことがないわけじゃないけど、やっぱり比重ジャンルに寄ってしまうのは否めない

そういう状況を見ると自分って何もないんだなぁと虚無感を覚える

依存やべえって気づいてからはこの虚無を頻繁に感じるようになってきた

絵を描いてても、周りは今こうしてる間も現実に生きてるんだよなと思う、これしかやってない自分が恥ずかしい

こうやって周囲を気にしすぎるから自分ってもんがないのかもしれあい

結婚同人について語ってる人がいたけど、流石にあそこまでは出来ないもの部分的には共感した

依存とか執着力というか・・・

こうなると逆に地雷踏み抜かれて爆破されたほうが自分のためにはいいのかもしれない

脱却してもまともな人間にはなれそうもないけど

だけど人間いつか冷める生き物だから、出来れば熱が落ち着いていつの間にかやめていた

で終わりたいや

2018-11-12

anond:20181112022719

結局のところ死にたみを打ち消せる生きたみはこれまでの人生の蓄積から掘り起こすしかないと思うので

自分に向き合うために焦りを抑えて落ち着くしかないんじゃねぇかな

個人的にはそれやってみて自分には何も無かった!ってんならまぁ社会的にあれだけど自分のことは自分自由だと思う

生きていく方便としての生き甲斐突貫工事では作りようがない

2018-11-07

ポジションが無い(与えられていない)人のポジショントーク

現役バリバリプロ選手に向かって『頑張れ!』と叫ぶ無職オッサン

そうです。『お前が頑張れよ!』です。

そうです。私がルサンチマンまみれの【更新厨オジサン】です。

ポジションが無い」オッサンは、説教生き甲斐の[老害]になるか、新しい潮流を過大評価して

『俺はオッサンだけど昔より今の俺の方が若い』とイキリたがる[更新厨=リセット厨]になるかに、二分される。

ポジションが無い(与えられていない)人のポジショントークは[老害]OR[更新厨(リセット厨)]。

負け犬オヤジポジショントーク』。「オッサンであること自体が「負け犬」だという悲しい結末。

2018-10-16

知人が中学校教諭をしているんだけど、土日の部活動のせいで休みがなく、休めないせいで恋人との関係がギクシャクし、休みを入れようとすると生徒の親から「やる気がないのでは?」「他の中学校は休んでないですよ?」と言われるし、手当は雀の涙ほどだし、ほんとうにつらい、部活動なんか撤廃してほしい、こっちだってやりたくてやってるわけじゃない(なんて言おうものなら生徒の親から学校電話がかかってくるから言えない)、やりたきゃ地域クラブチームなりなんなりで勝手にやってほしいと話していた。

その一方で、恋人もおらず結婚もせず独身貴族謳歌している教諭にとっては、部活動こそ自分の生きる道みたいなところがあって、部活動撤廃してしまうと生き甲斐をなくしてしまうらしい。知人はそんなんしったこっちゃねえ、と話していた。私もそんなんしったこっちゃねえと思う。

2018-10-15

自死を許す風潮

単に追い詰められて死んだ人を赤の他人死体蹴りするのはやめよう程度の人がほとんどだろうけど

生きるということへの無条件の肯定が弱まっているのかなって感じる。

物質的に死なないでいるだけなら多少簡単になった現代からこそ

「ただ物理的には生きているだけ」という状態が生々しく露出している。

生きる意味目的理由生き甲斐、生きることが大切というのは実のところ全員が手に入れられる公共財ではないと、暗に認めてしまっているのではないだろうか。

2018-10-11

オタク≒男」、「サブカル≒女」

サブカルオタクの「自尊心供給源」(2018-09-16)

https://anond.hatelabo.jp/20180916165915

サブカル自分より下位の者を「自尊心供給源」にする

オタク自分好みのフィクションを「自尊心供給源」にする

オタク≒男」、「サブカル≒女」といえる。男らしさ、ダンディズムを追求する男は「オタク」とは

呼ばれないが、【自分好みのフィクションを「自尊心供給源」にする】という意味では、

正しく「オタクである。「男らしさ」「ダンディズム」も「(無自覚な)フィクション」の一種から

車や酒、煙草釣り、賭け事などの趣味にこだわり、生き甲斐を求める男は、「オタク」っぽくないだけで、オタク

一般的に言う「オタク」のイメージは、非モテの男、いじめられっ子の男、だろう。

『女』が「サブカル」に多い理由は、「平均的(≒模範的)な女性像」を強固に内面化して育つからだろう。

「平均より劣る(=ブサイクデブ)」、「アウトサイダー(仲間外れ、常識外れ)」にはなりたくない、なってはならない、

という恐怖心・警戒心を常に感じているからだろう。その必然的な裏返し、反動が「サブカル化した女(腐女子?)」だろう。

女は一定の年齢に達すると「化粧」をし始めるので、自身フィクション化(虚構化)する事に対して、

男と違い、ごく自然に(=無自覚的に)「自覚的」なんだろう。

2018-10-10

女性性的搾取性的消費とかいうけどさ

女性ジャニーズとかイケメンの裸をエロく撮った女性向け雑誌でキャーキャー騒いでるよね。

あれは性的搾取ではないのだろうか。それとも男性の裸は性的でないとでも言うのだろうか。

女性誌に書かれているフェラの仕方やらセックスいろはなどは最早なんなのか。

かに女性の裸の方が禁忌的な感じはするが、それは水着上半身を隠すか隠さないかという価値観根付いているからだろう。

いや、私も女だから別に女性側だけが悪いと言いたい訳ではないんだけどさ。

流石にあまりにもブーメランが過ぎるんじゃないかなあと。

女性男性アイドルに、男性女性アイドルに、それぞれそこで楽しんで生き甲斐を得ているのだからいいのではないか

キモオタ二次元どうこうだって、立ち返ってみれば男二人をホモにして見てウフフと笑っているのだって相当だ。

男性同士は崇高で女性エロ及びNLなどは汚らわしいとかいってる自称潔癖ウーマンは黙っててくれ。そういう話じゃない。

しか最近BL男性向けエロを参考にした汁濁アヘアヘ系が増えている。穴と棒の数がちょっと違うだけで実質一緒じゃん。

どっちもどっちから文句を言うなという論点でもない。

ただちょっと疑問に思ったのだ。

女性地下アイドル男性ファン接触近いファンサービスをしていて、そのファンサービスの為に多量の金を注ぎ込む。

一方で、バンギャはぱっとしないバンドボーカルギターを取り巻いて時には寝技に持ち込み、他の女性ファンマウントを取る。

形はちょっと違うけども、結局は人間の下卑た欲望を貪っているに過ぎない事だ。

結局、差別搾取だ、って騒いでいる人ってその人が一番それらを差別及び搾取してるよね。

将来人権団体で謎の活動をする才能があるぞ。

何が言いたいかよくわからないしこれが初めての投稿からどうなるかなんざ全くわからないが、慎みのある日本人像ってのはもうこの平成絶滅した気がする。

2018-10-09

ヲタクの仕方が分からない。

中学生からおっかけになって、かれこれ15年くらい何らかのヲタクをやって生きている。ジャニーズお笑い女子アイドル…いろいろなものを追い掛けて、応援しているのが生き甲斐だった。逆を返すとそれ以外生き甲斐のない人間だ。だから自分の持ちうる時間お金も全力で注ぐのは苦痛じゃない。幸い、今まで好きになった人たちは上昇志向が強く、明確な目標があって、ファン応援必要としている人ばかりだった。はてブロtwitterなどで良さを広める、チケットを買う、CDを買う、友達を連れて行く、感想手紙を送る。奢りかもしれないけど、上昇志向の強い芸能人応援する上で、自分ヲタクのやり方が間違ってはいなかったと思う。

晩夏、新しい人を好きになった。誰かを好きになるのは理屈じゃなくて一瞬だ。それは恋愛だって、追っかけの対象だって同じなのだ

新しく好きになった人は劇団俳優さんだった。いま、私はどうやってその人の応援をすれば良いかからない。

多分、現状に満足していてこの状態が続けば良いと思っている。劇団仕事以外はほぼ仕事がない。けれど上昇志向はない。大きな劇団の中堅の俳優さんなので首になることはまずないだろう。特に自分個人へのファンは求めていない感じがする。劇団へのファンは歓迎の節だが、自分ファン、というものに対しては反応が薄い。

彼の舞台を見るのは楽しい。胸が高鳴るし、同じ演目でも何度だって見たい。

なのに、やっぱり何故か満たされない。とてもショックだ。けれど、それは満たされないことに対してではない。求められたくてヲタクをしているわけではない、と思っていたのに、私はやはりどこか求めてほしかった、ということに気付いてしまたからだ。自分のしたことを喜んでもらえる、目に見えて反応がもらえるということの甘美さに私はちっとも気付いていなかった。すごく、すごく、恥ずかしい。

書いていても何を言いたいかからないんだけど、とりあえずいま、どういう風に応援したら良いかからない。いや、ファンなんだから普通に見に行けばいいんだけど。だけど反応がないとどうしても悪い考えがよぎる。ファンレターも迷惑かもしれないし、多ステも気持ち悪いと思われてるかもしれない。逆に、じゃがいもみたいに何とも思われてないかもしれない。私は気持ちが悪いことにそのどちらも嫌なのだ。個としての認知はいらないが、ファンの塊として「いつもありがとう応援してもらえて嬉しい」とは思ってほしい。気持ちが悪いけど、どうしてもその欲を捨てられない。

友人みんなからあなたに合ってない推しだね」と言われる。私もそう思う。応援されるのが好きで、褒められるのが好きで、愛されるのが好きな人応援する方が私は幸せだと思う。でも、好きなのだ舞台の上で一瞬で分かるその声が、情けない役ほど似合う困り顔が、日替わりで繰り出す小ボケが、キメるときはキメる姿が、とにかく大好きなのだ。いつか、この気持ちも笑い話に出来るかもしれない。

でも、きっとしばらく私はヲタクの仕方が分からなくて、気持ちが欲しくて、悶々とするのだ。

2018-10-04

ゲーム実況ツイキャス見るのが生き甲斐の女とは付き合うな

○○と話すより実況見てる方が面白いからって振られるよ

恋人に求める絶対条件:ゲーム実況ツイキャス見ない子

2018-09-19

院生だがソフトランディングした

自分の例が成功例だとは思わないが、悩んで思い詰めている人の参考にもなるかと思い、書いておく。

私は社会科学系の博士課程に進んでいたが、研究成果が全く上がらない、やる気もないダメ院生だった。査読付きの論文なんか一編もないし、当然学振もなかった(申し込んですらいなかった)。家族のこともあり、いよいよ食い詰めた10年前には29になっていた。どうにもこうにもならず、就職することにした。

と言ってもどうやって就職したらよいのかもわからないので、リクナビとかがやっている新卒第二新卒向けのイベントに行った。出展していた会社に片っ端からエントリーした。30社くらいエントリーした。

自分の中でカッコいいと思ってたコンサルとか金融とかSIerとかは軒並み落とされたが、全く興味のない業種の3社から内定をもらった。その中で、相対的にまともに思えたのが前職の会社。5年間働いて同じ業種で転職したのが今の会社

就職するとき心配していたのは、再スタートするには遅すぎるのではないか、ということだった。確かに就職して2年ぐらいは年取った新人なのでへんな感じだが、部署異動をしてからは誰も細かいことを気にしない。さらに言えば、転職をしてしまえば、その人が二十代に何をやっていたかなんて事は他の人にとってどうでもよいことになる。つまりは、どこかの会社に入ってしまえば、後は職歴ロンダリングで、院生として過ごした日々はどうとでもなってしまう。

自分ダメ院生だったか一社目の就職は思ったようなところに行けなかったが、理系で、プログラミング数学なんかができる人は就職の口はそれなりにあるのではないかガチ文系は知らん。学習塾かに入社して転職するのがいいのではないか

私のような人間ですら、就職によって失ってしまったものがあると感じるのだから研究でそれなりの成果を上げている人であれば諦めるのは辛いとは思う。とはいえ、毎月給料が振り込まれること、毎年、翌年の心配をしなくていいのは、精神的にすごく楽だ。年金も払っている。健康保険にも入っている。結婚した。子供も生まれた。どれも、あのままのダメな私であれば得られなかったものだ。

もらった給料で好きなように暮らすのは、かつて思い描いた人類全体への知的貢献から得られる生き甲斐とは全く違うが、これはこれで幸福である。思い詰めて死までも考えているのなら少し考えてみてほしい。

2018-09-12

生き甲斐がない

酒を飲んでしまって鬱々としているから、生き甲斐がないなんて考えてしまっているんだろう。

ここ最近は食べることと飲むことくらいしか楽しみがない、つまらない人間になってしまった。

はいっても、最近体重も恐ろしいくらい増加しているので食べることや飲むことも抑えなきゃいけない。

そう思うと憂鬱になる。私は生きていけるのだろうか。

かに趣味がないわけじゃない。

来月はライブが控えているし、休みの日は漫画を読んだりアニメを見たり、音楽を聴いたりして充実している。

しいて言うなら、友達恋人がいないくらいで。

充実しているはずなのだ。充実しているはずなのに、楽しくない。つまらない。

そりゃ、ライブに行けば楽しい。けれど、楽しいのは一瞬だけで、翌日からはつまらない日常が待っているのだ。

そのつまらない日常を彩ってくれるものが何もない。

アニメ漫画の名作はあらかた読んでしまって真新しさがないし、映画だって古い映画の好きなジャンルほとんど観てしまった。

世界が広いことはわかっている。

から全く観たことがない新しいジャンルのものを観る気力が起きないのだ。

気力がなくてもできることは飯を食うことや酒を飲むことくらいしかなくて。

普通の人たちはどうやって楽しみや生き甲斐を得ているのだろうか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん