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はてなキーワード: 生き甲斐とは

2019-09-19

anond:20190919092631

同じく老健勤めてるけど、子供たちが結婚しないで親を看取るケースがあった。子供たちが配偶者いない方が、親って楽しそうなのよな。その人は孫の顔見れなかったと言ってたけどね、そんなの些細なことじゃんって思うくらい、子供たちが休みの日は外食お茶に行ってたし、何かあったらすぐ駆けつけるし。

子供配偶者って、親から見たら他人なんだよな。娘がいたら、まだ気にかけてくれて安泰なケースが多いんだけど、悲惨なのが全員結婚してる子供たちが男兄弟だけの家族。いいとこの大学出て、一流企業弁護士などの家系だけど、顔を見に来ない、嫁も面倒見ませんと宣言しているのか、洗濯物を取りに来なかったりか、外部委託している。それでも、私は男の子を生んだ!子供を四人育てた、全員国立大学に行かせたと事あるごとに言っているから、何がその人の生き甲斐になるかはわからん

2019-09-13

美大系の腐バレ

まだそんなに長く生きてないけど人生3分の1くらい悩んで付きまとってくる問題

文章書くの下手なので支離滅裂かもしれません

私は元々ツイッターアカウントは一つだった ファンアートを描いたり日々の事柄を垂れ流したりしていた

美大受験するにあたって身の回りに絵を描く友達が小中高の時以上にドワッと増えた。でも絵を描くからといって皆オタクなわけじゃないので、しばらくツイッター存在は隠して友達との会話は日々の課題についてやら人間関係についてが主だった。

近年若者友達づくりはSNS結構大きな役割になってるような気がする 。ツイッターで気になってたんだ〜みたいな話はよく聞く snsをやってた方が絶対友達は増える

それは置いといて、仲良くなると、プライベートな部分にもお互いに足を踏み入れると思う その友達オタクではなかったけれどツイッターを教えて2人だけでふぁぼをしあったりしていた。その友達経由で周りの友達からもどんどんフォローされるようになった。

私は昔の画像欄を軒並み消した とても恥ずかしかったので

でもイラストを描くのはやめれなかったので別のアカウントを作った。その垢でハマったゲームキャラオリジナルやらをちょぼちょぼ描いていた。しかしなんでかそれも段々と知り合いにフォローされるようになり(どういう経緯だったか忘れた)

イラストは描くけど、女の子が微笑んでいる感じの、親に見せてもちょっと恥ずかしいくらいのイラストを載せるアカウントになった

大学生になってしばらくして制作への鬱憤みたいなのが謎に爆発して爆爆ドエロBLがどうしても描きたくなってしまい新しくアカウントを作った

この時点で2つの人格ができている

・この世は美しい…みたいなのをコンセプトにしているイラスト描き

・劣情に歪んだ男の顔を描くのが生き甲斐同人女

人格は2人でも描いている人間は1人なのでどうしても絵柄や色の癖等でバレたりする。でも、このバレは大体同じ穴の狢であることが主なので、バレた瞬間は割とショックだけどこれについてはしょうがない

同じインターネットの星の仲間

頑張って現代社会で生き抜こうね

ナムナ(同じ穴の狢)達は配慮のある人が多く、アカウントを見つけたとしてもソッと見なかった事にしてくれたり無闇矢鱈に言いふらしたりしない多分 そう信じたいだけかも 言うとしてもまたオナムナに言うくらいだと思う(自分がされて嫌なことは人にしてはいけないって幼稚園で習ったから…)

私の経験上、腐女子忍者現実の話をしても雲のようにフワフワと掴み所のない話をする人が多いのとリア垢の更新頻度が4日か5日感覚(これは本垢更新に重きを置いているためリア垢が疎かになってしまう)で微妙インターネットで生き抜いてきた匂いの漂う語彙のツィートをする…気がする…

同人活動してて思うのは生きてる時間思考をかなり費やしてしまう。生活の大半がオタクなので日々の話のネタオタクオタクオタクになってしまい、普通の会話をしようとするとゴキブリが出たとかセブン親子丼うまいとか部屋に羽アリが湧いて最悪とか虫コナーズはすごいとかなんかそういう…そういう話しかできない…

オタク話だったら限界原稿女だから描き文字のドキ…を間違えてゴキ…って描いちゃって1人で笑っちゃったよみたいな話ができるんだけどな

最近大学友達と会うと虫の話か進路の話しかできなくて困った

もっと面白い話のネタたくさんあるのに!聞いて!同人印刷代がやばすぎてサラ金に手を出そうとしたら審査普通に落ちてワロタとか言いてえ

地球人間全員が同じ穴の狢だったらいいのかな

とまあオタクリアル距離が、美大系は近いためバレの確率が高くBLにさして興味の無いひともオタクアカウントを見つけてしま確率が高いというぼやきでした

他の人はどうしているんだろう

私の場合セキュリティガバガバなのと、自分快楽優先で描きたいものを描いてるため2つの人格の絵が全く別物の作品に切り離せないところです なるべく別物になるように意識はしてる

困った 人格を1つにしたいけど羞恥心が許してくれません

生きていることは恥ずかしいなあ

2019-08-23

anond:20190823081017

憎しみ続ける事は生き甲斐になり得るし、なりに辛いとしてもそれは憎しみの根源が言っていい事じゃない。クソバイスをするのは憎しみを煽るだけ

2019-08-08

anond:20190808171453

酒を飲むのが生き甲斐とかもう末期症状ですね

治療対象です

措置入院必要かもしれません

仕事解雇されるかも知れませんが必要なことですのでご理解ください

2019-07-19

サマーウォーズノーカット放映ばんじゃーい!!!

夫を尻に敷いてる気取りの女たちが正念場ではこれが女の生き甲斐とばかりにおさんどんに励みこみ

またノースリーズ白ワンピヒロインが清楚風キャラのくせにお色気入浴シーン担当

さら最後にまるで売他の如く自ら唇を求めることで男性主人公品格を保っているこれぞ大和なでしこ

ヒロインよりも可愛いスキル持ち男の子も出てきてサマーウォーズ女に逃げ場無しwwwwww

2019-07-07

Fateじゃなくて過去の自分が嫌いになっただけ

好きだったはずのFateを嫌うのは痛々しかった頃の自分を思い出すからだろ?

多くの日本人がそっぽを向いてるような「文学」を自分たちだけが知っている

そう信じていた頃の自分が嫌いになっただけだ。

エロゲに熱中していた頃の自分エロゲに熱中しているというだけで自分他人と違うと調子に乗っていた頃の自分の痛さに気づいただけ。

その痛さの中で結局何も手に入らなかったから。

痛いことやっていたおかげで何かしらの物が手に入ってたら、その頃の自分が今の自分必要だったと感じられたんだろうけど、そうじゃないか無駄しか思えないんだろ。

世の中にはエロゲにはまりまくった結果として人気漫画家になった人もいる

でも増田はそうじゃなかった。

エロゲコミュニティを通して生涯の友を作った人間創作活動という生き甲斐を得た人間、なんか知らんがメンヘラが直った人間増田はそのどれでもなかったんだろ。

からあの頃の自分に対して恥以外の感情がもてないんだろう。

最強の自分イメージしようとしても、結局できない自分、なりたいものがない自分を突きつけられた。

そういう思い出に切り替わっているんだろう。

よくあることだ。

でもな、それを作品責任転嫁するのはよせ。

増田が恥じているのは、あの頃の自信満々に人とは違うと言い張っておきながら結局何もやってなくて、結局何者にもなれなかった自分だろう。

それを受け止めろ。

許してやれ。

弱い自分を許す機会が訪れたんだ。

その手をちゃんと掴んで抱き寄せてやれ。

振り払ったり突き落とすより、人生が豊かになる選択肢を選べ。

現実タイガー道場はないぞ。

バッドエンドも。

選択肢を間違えるたびに、ただただ辛い日常が続くだけの日々へと変わっていくだけだ。

2019-06-18

anond:20190617224636

満員電車を無くせば痴漢は別の狩場を探すだけ。痴漢生き甲斐、そう簡単に手放しはしない

男が痴漢になる理由斉藤章佳」

https://www.amazon.co.jp/dp/B075L2YFZ7

2019-06-17

anond:20190617114150

「外に出てる」ということから車の運転勝手に除外したのは君ですねー。

で?糞低い妊産婦死亡率について何か言うことは?

挙げてもない足を取るだけが生き甲斐か?

2019-06-11

anond:20190611211225

「毎月500万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るのが良いです!」

と言ったとたん・・・

ベッドに押さえつけられて、手足はすべて切り落とされて、

から栄養パイプを突っ込まれるのだった。

そして悪魔は囁く。

「望み通り、毎月500万円もらって毎日生き甲斐のない生活になりましたよ」・・・と。

毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、

30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか

これの境界線はどこなのだろうな

毎月500万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、

30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活

だったら割と前者を選ぶ人が多そうだが。

2019-06-10

きみたち30万すらもらってないの!?

「毎月50万円をもらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか

年齢にもよるだろうけど30歳超えてたら大抵はもらえてるんじゃないの?

大阪とかの地方だとまた話は変わると思うけど東京ならいくでしょ

特にIT界隈の人で30万もらってない人は転職すれば余裕だと思うよ

なんか帰りにTwitterみてたら30万の半分とか20万とかもらってないとか書いてて

新卒とかならしょうがないけど普通に生きてれば30万くらいもらえるだろ

30万すらもらってないのに結婚とかできるわけないし

2019-06-06

運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい

高齢者には自動車運転をしないでほしい。

私は「65歳以上」は、免許を一律返納すべきという立場を取りたい。

なぜ65歳かというと、年金を貰えるのが65歳だから定年退職する年齢を65歳と仮定しての線引きである

例えば、トラックバス運転手などの職業ドライバーも、定年で「引退」すると考える。

再雇用云々……は今は置いておいて、例えばバス会社運転手を雇うのは「65歳の定年まで」とすれば、それが運転引退する年齢にすべきだと思うのだ。

よって、この年金を貰うラインを、一応「現役」か「引退」かの無慈悲に引くラインとして採用したい。

からトラックバスなど、プロ運転手に給料を払う企業に対して、厳密にその「現役」と「引退」の年齢ラインをしっかり決めて欲しい。

安心して雇い、安心して給料を払えるのは、何歳の運転手までか。

それを免許返納の年齢規定にしてよいと私は思う。

職業運転手は、人命や大切な荷を運ぶプロだ。事故を起こされたら会社もたまったものじゃない。

から、その業態は慎重に年齢制限を設けるだろう。

私は知らないが、もしかしたらすでに制限があるかもしれない。

職業運転手以外の一般運転手も、それに倣うべきだ。

なぜなら、高齢者はどうしても、認知判断操作能力が、衰えていくからだ。

60歳から65歳になって、年齢が若返ることはもうない。時間は過ぎる。

高齢者運転操作死ぬ人は後を絶たない。

池袋暴走事故の遺族は「少しでも運転不安のある人は免許を返納してほしい」と訴えた。

私もそう思う。

「年を取る」ことは「運転不安が増える」ことと同義だ。

足が衰え、ガニ股になり、バックなどで腰をひねった際、身体の柔らかさが衰えた身体では足の位置がずれてしまい、

その甘い感覚のまま、ブレーキに添えていたはずの足はアクセルにずれ、思い切りアクセルを踏んでしまう。

身体的衰え」が理由事故だ。

反射神経も鈍っているから、すぐにブレーキを踏みなおせない。

なぜなら「ブレーキを踏んだのに進んでいる」→「アクセルと踏み間違えている」→「ブレーキを踏みなおそう」という、

認知判断力も鈍っているからだ。

しろブレーキを踏んでるのにどうして進むの?」とパニックになり、踏み間違えたアクセルを踏み続ける。

その間も、轢いた歩行者を踏み続けていることになる。無慈悲だ。これは殺人と等しい。

これが高齢者運転操作による事故典型である

日々流れるワイドショー特集では、

「年を取っても元気に運転できる人がいる」とか「田舎では移動手段がない」とか、しまいには「生き甲斐」とか言い出す始末。

要は車を取ったら不便になるからギリギリまで運転したいということ。

そして「家族が顔色を窺って、免許返納を遠回しに勧めて」ほしいとか言っている。

子ども世代だって忙しい。そんな暇はない。

なぜそこまで気遣いをしなければならないのか。

そもそも注意する子ども世代がいない高齢者は?

少子化時代にそういう高齢者だって沢山いるだろう。

であれば、「一律」に「平等」に免許返納の年齢上限を設けるべきだ。

18歳未満は運転できないのと同じだ。

福岡市逆走暴走事故は、事故のほんの十分前はまともに運転をしていたそうだ。

しかしたら当時意識を失っていた(突然体調不良になった?)のかもしれないと、事故の原因を調査中だ。

高齢者は、いつどうなるかわからいから、運転はやめるべきだという事実が露呈したと言える。

ほんの十分前まともに運転していた人が、一瞬でまともな運転ができなくなったのだ。

今日できていても、明日できなくなってもおかしくない。

それが「年を取る」……ということなのだ。

これが一番言いたいことだが。

歩行者の命」に関わることだ。

健康寿命の長い、特異な人に合わせないでほしい。

平均点以下……むしろ運動神経の悪くおぼつかなくなってきた人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。

運転偏差値なるものがあるなら、30とか20とかの人に合わせて、年齢制限を決めて欲しい。

車は、踏んだら動く。

座ってるだけで移動できる。

力の弱くなってきた高齢者には便利なものだろう。

けれども、最低限「安全操作」ができる「身体能力」が必要だ。

それは、高齢になるとどうしても不足してくる。スポーツと同じだ。

アスリート自分引退を決める。

自分選手としての限界を認め、退く。

プロであればあるほど、自分が全盛期の動きができなくなったとすぐに気付く。

それだけ自分能力客観的に見ることができるのだ。

それができないなら、年齢制限を決めるしかない。

自動車運転にも、職業運転手の定年退職と同様に、年齢に上限を決める。

どうか、運転免許は「できない」人に合わせて年齢上限を決めてほしい。



*ちなみに我が家場合

私はペーパードライバーだ。

運転免許はほぼ身分証としてしか機能していない。

45歳までに車を買えなかったら、返納しようと思っている。

45歳以上になったら、ペーパードライバー講習を受けても無理だろうと思っているからだ。

21歳で免許取得したのに、自動車のものも維持費も高く、いまだに持つことができない。給料が低いのだ。

からどこにでも歩いていく。汽車に乗っていく。バスに乗っていく。そして歩く。

齢90の祖母、65の父もそうだ。

祖母免許を持っていない。運転できる祖父が亡くなってからは、ずっと歩いている。バスに乗ったり、バスがなければ歩いている。

祖母のような高齢者でも、車がなければないでなんとかやっている。

父は車の維持費が大変で、55歳ごろ車を手放した。

車を手放したらタクシー代が…という人は、車のほうが金食い虫と言えないだろうか。

父は、バスの通る場所引っ越したし、祖母は、生協宅配を利用して日々の買い物は賄っている。

車って、一度持ってしまうと手放せないんだなと、高齢者の誤操作による事故ニュースを見ていて、日々思っている。

そして不思議だ。

実家には車のある時期もあったが、私自身は車を持ったことがない。

そういう人間からしてみれば、なぜそこまで車に固執するのか不思議でならない。

事故ニュースだって、決して交通の便が悪くなさそうなところで起きている。本当に不思議だ。

おまけに、高齢者が若かったころ、そもそも車なんか発明されて間もなく高価で手が出せなかったのではなかろうか。

便利なものを知ると、手放せなくなる典型なのだなと思う。

便利なものはなかなか手放せない。仕方ない。踏めば走る。便利だ。

から自動車運転免許には、一律に年齢上限を決めるしかないと思う。

色々な手放したくない理由がある。それは理解できる。

からこそ無慈悲に年齢で線引きするのが、一番平等なのではないかと思い、この記事を書いた。

2019-05-18

お母さんたちが子を持つ決断をした理由が知りたい

ちょうど赤ちゃんが生まれたり、保育園に預けたり、小学校入学したりと、育児に奮闘する友人が増えてきた。

私も夫も子どもは大好きで、友人や親戚の子に会った後は、天使だったね!と盛り上がるし、人の子でこんなに可愛いのだから自分が頑張って産んだ子だったらもっと可愛いのかも、と思う。

ただ、だから私も欲しい!とはならないことに、あるとき気が付いた。

絶対にいらないとは思っていないけど、私は今のところ子どもを持つことに積極的になれない。

から子ども楽しみだね」「そろそろ…?」とか悪気なく笑顔で言われると、毎度反応に困る。親以上の世代ってこの辺のデリカシーない人多いですよね。

子ども可愛いよ」「最初はいいけど、子どもがいないと生き甲斐ないよ」とか言われるけど、子どもがいる人に、子どもがいないことへのデメリットを語られても…ねぇ、という感じ。

逆に、子どもがいない人に、子どもがいることのデメリットを語られても…ねぇ、と思うだろうけど、そういう人には今のところ出会っていない。

話が逸れたけど、世の中のお母さんたちがどのようにして「子ども欲しい!」と思ったのか、純粋に気になってしまった。

悪意とかなく、賛同したり否定をしたいわけでもなく。

結婚出産、的な感じでごく自然の流れだから愛する人との証とか遺伝子を残したいから、可愛いから、夫や親のため、本能的に、

色々書いたけど、そもそも子どもが欲しいことに理由なんて無いのか。ただ単に私が、積極的でないがゆえに考えすぎなだけかもしれない。

学生時代なんか無意識漠然と、「結婚出産」が頭にあった気がするけど、いざ、現実的に考える時期になったら、全く積極的になれなかった。

身体が弱い。

自問し始めたきっかけの一つかもしれない。健康なお母さんでも危険は沢山あるけど、普通より高いと言われる様々なリスクを冒してまで欲しいと思えない。怖い。

あと制度問題とか。

あらゆるところで意見が述べられているとおりで、ハードモードすぎる気がする。

あとお金心配。中高大で海外留学したいと言われたら?全部応えてあげられる?とか。田舎出身で、私立概念教育選択肢が無かったのに対して、都会は選択肢が多くて怯えている部分がある。

そして夫といるのが楽しい

お互い信頼しあっている夫と、夫婦でこのまま暮らすのも良いよね。お金時間も二人で、二人のために使うのも良いよねと思っている。

子ども可愛い大好き=子ども欲しいだとずっと思っていたけど、こういった理由を超えるほどの、子ども欲しい!という感情が私には無かった。

色々あるけどそれでも欲しい!と、いつか思うのかもしれない。

どんな選択をしようと、それぞれの後悔やら喜びやら色々あるのだろうし、その時にどう感じようと自分選択責任を持つしかない。

だけど、お母さんたちはどうして子を持つ決断をしたのかなぁと、異なる考えの人の意見を聞いてみたいと思った深夜なのでした。

2019-05-17

やりたい事とかないし

幸せだなぁ。って思うこともあまりないし

充実感なく毎日がただ淡々と過ぎて行く

幸せはなかなか感じないくせに、どうしようもなく暗い気持ちになることがあって

そんな人生、そんな世界がわりかしどうでもいいのに

自ら命を絶つ選択はできなくて

なんなんだろうと思う。

世間の人はどうなんだろうか?

つい5分前まで、友達ご飯に行ってゲーセンで遊んで楽しかったのに、もう気持ちが落ちてしまった。

そんな事の繰り返しで疲れるだけなのに。

今日もどうせ夜寝ないで朝日を見てから寝るんだ。

生きるって、生き甲斐ってなんだろうか。

2019-05-14

学歴コンプレックス研究概観展望津田容子)

【関心テーマ意図

日本社会は表向き実力主義成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学学者割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒肩書きのみでなく、大学知名度や質を重視する傾向が強まり受験競争さらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合学歴コンプレックスとして諸々の心理的社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体曖昧であるため、研究者独自概念言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。

【先行研究概観

学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者学歴に関連づけることで感じる、劣等感自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校主義」(野田,1996)といった学歴志向存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意から多浪仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者優遇する国公立大学至上主義下での私大学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会待遇でないと受け入れられない学歴保証希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折からくる無気力自尊心低下、不本意感に由来する不適応抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方のものに関わる問題存在示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックス継承家庭内学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。

【先行研究臨床心理学的意義と展望

先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自学歴観や学歴の持つ意味学歴認知思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。

津田容子引用文献>

安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデントアパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.

池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識大学自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.

伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.

吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.

文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得

野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.

鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.

渡辺良智(2006).学歴社会における学歴 青山学院女子短期大学紀要,60,87-106

引用元:東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース下山研究室 社会と臨床心理学―研究会活動から見えるその諸相―

2019-05-05

anond:20190505125658

早く結婚してお子を育てたら生き甲斐が出来て良いのかも。

2019-05-04

三度の春

 京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。

一度目の春。

 僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。

 そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。

 立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学学生が持ちうる矜持のようなもの自然と感じ取っていた。

 そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。

二度目の春。

 交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。

 さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。

 元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。

 朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。

 そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。

三度目の春。

 葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育財産と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。

 しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。

 親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。

 そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大学生サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。

 丸々一年大学に行っていない自分学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。

追伸。

 この2年間、僕という存在のもの批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生否定してしまった。

 ゼロから始める、ではないが、原点に戻ったつもりで頑張りたいと思う。

 最後まで読んでくれた真面目な方には、感謝申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2019-04-27

結婚できない男

学生のころ、テレビの前であん大人になるわけがないと思ってたのにな

気づいたら…結婚できない男になってた。

仕事が全てじゃないけど、仕事以外に生き甲斐がなくて、職場にいる方が楽だった。

でも、不器用から成果は人以下。

そんなこんなで三十路をすぎ、しがない自営業をやってる。

金もないし、静かで何もないシンプルさが好きな実家に住むも、貧乏暇なし。

そのくせ、稼ぎは悪い

時間ができても、金がないかパートナー探しに前向きになれず。

2019-04-18

anond:20190418233107

生殖しか生き甲斐がないとは誰も言ってない

しか生殖嫌悪し行う気の無い人間裏切り者であり、そんな物にリソースを配分するのは全くの無駄

自分嫌悪する行為の結果だぞ?まず自分自身を消し去れ。

anond:20190418232341

それはそうですね、本気で汚らしい行為を勧める気があるなら教育課程貞操観念なくすような教育すれば私のような人は減るのでは?

それはそれとして生殖のために生きてる人は何のために人間として理性をもって生まれてきたんでしょうね??

生殖しか生き甲斐がないのなら動物と同じでは?理性を伴って生まれ価値、あるんでしょうかね

2019-04-15

anond:20190414001047

この増田に女増田たちが「あんた恵まれてるんだから黙れ」「勝ち組のくせに」「アタシのが可哀想なのに」って反応をしてしまっているのが地獄すぎるな…。

他人生き方否定して比較して最底辺比べごっこして「比較的マシな方の口を塞ぐ」からこんな社会になってるのに…。

本当に女性のために意識を変えなきゃいけないのは、そういう他者批判けが生き甲斐嫉妬女たちなんじゃないの?

元増田自分生き方を決めて被害者意識から抜け出した女性なのに、被害者ぶってる!なんて噛み付きはあまり文盲すぎる、

家庭をつくることで社会に参画しているのにその数に入れてもらえないという問題は、本気で考えなければいけないことだ。

全ての人間戦場に駆り出さなければ平等じゃないというのが比率問題欠点

家庭人を社会の一員としてカウントすることで、ほんとうの比率被害者たちが見えてくるんでは?

そういう意味でも、女同士で嫉妬して叩いて足引っ張りあってるの無意味すぎるよ。

2019-04-11

anond:20190411095754

北欧福祉が過ぎて、じいさんばあさんが退屈して却って生き甲斐を失っている、とかネット記事で見たことがある。

まあ、人口知能は自立するまではまだまだだな。ロジック的に完璧になっても、所詮正しい入力教師データあっての正しい出力だし。

2019-03-14

anond:20190314234344

そうなのかな

女性は知らんけど男はみんなできそうだと思うけどなあ

朝立ちしている、すぐに二度寝できるっていう条件は厳しいけどそこさえなんとかなればいけるいける

会社辞めてしばらくニートしてたときはこれが生き甲斐だったわ

2019-03-11

anond:20190310142121

一つ言えることは、「仕事第一結婚人生二の次」というそ思考スタイルは、ぶっちゃけ昭和のお方とかブラック企業の方のメンタルと全く変わらないので、正直結婚には向いてませんね、としか言いようがない。あなたが言ってるのは、結局「仕事邪魔にならない結婚ならしたいなあ」じゃん。

どんなに仕事が忙しくても会いたいのが恋人だし、大切にしたいのが家族であり家庭でしょ。それは、それが自分という人間の拠って立つ場所であり、生きている意味からでしょ。まず「この人と結婚したい」が先。後のことは、後。じゃないと幸せにゃならんよ。

俺も「自分仕事好き人間」だから仕事にやり甲斐生き甲斐を見出すのは全然構わんと思うけど、人生における優先順位ってものがあるでしょ。そこ間違ってると社会人として何か欠けた存在だなあと思ってしまう。

 「今楽しくて充実しているからいいじゃないですか! 何が悪いんですか」

ハイハイパチンコ競馬に金と時間人生をぶっ込んでる奴も、だいたい同じこと言うからね。あるいはアル中ジャンキーも同じこと思ってるからね。

それに対する返事も同じだね。

「もう少し大局でものを見た方がいいんじゃない? 同じ充実感を得るにしても、もう少し違った金と時間人生の使い方ってあると思うよ」

まあそゆこと。

あなたは、仕事中毒してそれが与える充実感に酔って依存してしまってはいいか

あなたが生まれとき親があなたに望んだ人生がそれなのか。

あなたが「仕事」に人生をすり潰すことで誰が儲かるのか。

あなたの今の状態は、本当に「人生を生きている」って言えるのか。

2019-03-10

anond:20190310221320

どうせこれからしばらく生き甲斐絶つなら、これまで抱えてきた感情とその感情を向けてきたあらゆる対象もろとも心中するくらいの心づもりでいようと思ったので巨大感情をぶつけてから一時撤退することにしました。

誰が見てくれなくてもいいけど見てくれた誰かが刺されてくれたら、それで好きだったその人から嫌われてももう良いやという気持ち文章します。

遺書かな。もうそれでもいいや

後を濁す気満々で申し訳ない。

私としては巡り巡ってファンレターだと思って書きます

(一部方々におかれましては重複してお伝えしている内容ではありますが良かったら今一度受け止めて下さい。)

(一度鍵垢でべらべら喋って怒られたことをまた喋ってるのでいよいよ距離を取られたら寂しいなあと思っていますが極力これきりにしたいので許して下さい、出来ればやっぱり嫌われたくないです)

私は根本的にSNSに向いてないと常々思っていました。

というのも数値や関係が一目で可視化されている文化圏の中で交流を兼ねながら創作活動をするということが自分には致命的に向いてないと思ったからです。

数値が見えるというのは時として嬉しいものなんですが時としてすごく残酷だと思います

とりわけ数値で自己他者とを比較できてしまうという点においては自身の実力を図る手段であり、時として自信になり得る要素でもありましたが、交流していくにあたっては自分にとってはデメリットしかありませんでした。

まず、自分創作物というのは贔屓目も謙遜も抜きに見ても、描けない人から見たら描けてはいもの、絵の上手い人から見たら稚拙だと思われる傾向のものだったと思っています

なまじ創作物解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたので、そのときジャンルCPによっては目に留めてくれる人が多く、その中にはとても絵の上手い方もいらっしゃった、くらいの。

その辺りの側面はひとまず抜きに、「好み」とかの話でなく、絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を私は持っていませんでした。

主観的ものなんだから一概にそんなことはない、なんて言い出せばそうなんですが創作活動を続けていく中で「絵を描く層」を限りなく客観視したとき自分が感じた自身立ち位置は少なくとも「どちらかといえば上手くない」というものでした。

(「上手くない」「どちらかといえば上手くない」「「どちらかといえば上手い」「上手い」の4段階として)

私が今から話すのはフォロワの中でも上記4段階において「上手い」に属する人=神絵師の方々に対しての感情です。

「神絵師」という判定こそその人の主観いくらでも変わる認識ですがpixivで1千ブクマを安定して得てるとかフォロワが何万居るとかそういう数値的なものでなく、此処で記す「神絵師」というのはあくまで『絵の技術的な側面において「絵を描いている人込み」で比較的誰が見ても「絵が上手い」と思われるものを生み出せる技術を持てていると私が判断している人』というものであることをまず始めにご理解下さい。

前述の通り、私は自己脳内ヒエラルキーにおける絵が上手い人種ではありませんでしたが、

前述の通り、なまじ創作物(主に漫画ことなんですが)に解釈感情を埋め込む行為に関しては長けている方だと思ってはいたのでそこを見てくださった方であったりあるいは横の繋がりであったりで神絵師の類にあたる方々との繋がりがそこそこにありました。

絵がどうとかどうでないとかありにしても無しにしても、とにかく自分と繋がって関係を築くことを良しとしてくださった方なわけですから、その時点で神絵師だとかそうじゃないだとか抜き交流していければ完結する話なんですが、自分に関してはそれができなかった為しちめんどくさいことになりました。

好きな作品についてや日常雑談について語るにあたっては「同じ路線感性」があれば絵の良し悪しとか関係なく楽しめます

でも、関係を持った人たちが「絵を描く人」である以上、日頃の会話の中にはどうしても「自分たちの作品について」の話題が時として出てきます

特に女性間で顕著なんですが作品を作る人という括りであればどっちにしろこういった話題が出てくる瞬間が私はとにかく苦手でした。

「Aさんは本当に絵が上手い」「そういうBさんの絵に私は憧れてるんだよな」

フォロワの間でそういう話になる度に私は心底しんどくてたまりませんでした。

そういう流れになるたびに身を潜めて出ていかないようにしました。

実際Aさん、Bさんは自分の中では神絵師で、私自身本当に大好きな作品を生み出す方々ではありましたがその流れで私が「わかる、AさんもBさんもどっちも最高なんだよな」とか話題に乗るなんて死んでもできませんでした。

万一にでも「そういうムツさんだって漫画上手いじゃん」とか言われたらそれがその人にとっての本心であろうと私は本当に死にたい気持ちでいっぱいになるからです。

それがその人にとっての本心であろうと。

何でしょう、流れの中とかでなくふと出てきた言葉だと真に受けられるんですけど。

万一にでも気を遣われたという可能性が拭えない流れの中で褒め言葉を貰うのは作品に限った話でなくて苦手なんですけど作品に関しては過剰になってしまいがちです。

というのも私は自分の中で完全に勝手に「神絵師」と「そうでない自分」とを区切ってしまっているからだと思います

はいくら親しい人であったとしてもその人が自分の中で神絵師という括りとして認識されているだけである一定話題に対してはその人達に対して勝手距離感を感じてしまっているように思います

そういう垣根抜きに自分作品を良いと思って下さってる方に対してその認識が失礼なことなんだと分かりながらも区切らずにはいられませんでした。

自分のことを目に留めてはくれない神絵師が多いのは自分が神絵師ではないから、という落とし所が必要だったからです。

…例えば、金銭的な問題を考えなくて良いものとするのであれば安くて味はそこそこのものより高くておいしいものばかり食べていたいと思うのは普通感覚だと思います

性格が同じような人であれば顔が普通の人より良い人を選びたいと思うのも普通感覚だと思います

自分の絵は誰が見ても上手いものではないから絵の上手い人が自分作品を見てくれているというのは基本的にすごいことだと思っていて、ありがたいことだと思っています

(絵を描く人描かない人関係無しに、自分作品を見て下さってる方々には感謝しかないのですが「顔の良い人達とばかり付き合いのある顔の良い人が普通自分と付き合ってくれている」ことが特にすごいという話です。)

普通、神絵師はそうでない自分作品をまず目に留めようとしないんだという当たり前の現実をそれでも私には受け入れて納得するための理由必要でした。

作品柄であったり人脈であったり、万人が見てくれる創作物なんてまずありません。

ただ、割合的な問題としてやはり「自分と繋がりのある神絵師達」と繋がりのある神絵師には私は見て貰えない傾向にあったなと思うので。

尚、ここまで誰がどうとかそういう話でなく自然の摂理の惨さを私が受け入れるのが下手くそという話です。

誰も悪くはなくて強いて言うなら勝手意識している自分ただ一人が悪いです。

作品を見てくれる人が一定数いる」という事実がまず本当にありがたいことでその点については本当に本当にありがたいと思っていて、

正直、神絵師でない括りの中で自分作品を見て何かを感じて下さった方は本当に多い方だと思えていて、自分はむしろ贅沢な類なのだと思っています

贅沢な類だと思えていたからこそ神絵師の括りには居なくても自分創作者としての現状にはとても満足していました。

それでも自分が神絵師の括りには居ないことで発生する「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」に対する現実は神絵師とそうでないもの区切りがあるという根拠を踏まえておかないと納得しきれませんでした。

から私は神絵師になりたいとかそういうわけでなく(いや朝起きて気付いたらなってたとかならなりたいですけどそもそもとして私は絵を描くのが好きなわけでなく自己解釈アウトプットする手段として絵を描いてるタイプなので絵を描く努力とかしたくないか結論として「なりたいわけではない」になるんですが)、それでも「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が自分より大きいという意味で「神絵師」という人達が羨ましいと思っています

(ある神絵師に先日とうとう「神絵師になる努力もしてないのに羨ましいって感情一方的にぶつけてくるのはずるいと思う」的なことを言われてしまいましたが神絵師になりたいわけでもない(=厳密にはなるための努力を諦めきっている)のに一方的理不尽感情をぶつけるのは確かにずるいなと思いました。本当にごめんなさい。)

そんな具合で、私は自分の中で持てているものを見て頂けてることを最大限ありがたいと思いながら、それでも自分では持てないものを持てる人達を私は心底羨んで憧れていて、大好きだと思いながらも一線を引いてしまっていてそんな一線が交流をすると、時々とてもめんどくさい感情自分の中で生み出していました。

完全に特定できる物言いでめちゃくちゃ申し訳ないんですけど、

最近だと神絵師分類のフォロワ2人と限界さぎょいぷで盛り上がっている最中「次のイベントどうする~~申し込もうぜ~~」みたいな流れでやいやいするまでは良かったんですけど

「隣接しよう~~~」ってなったとき正直私は心底死にたいと思っていました。

そこで嫌と言えば良かったのかもしれないですけどフォロワ2人的には「仲の良い人が隣に居て欲しい」以上も以下もない感情から出た提案しかなくて、そこに自分みたいな神絵師だとかそうでないだとかの汚い区切りとか全然加味されていないことが完全に分かっていたので自分の薄汚い感覚でNOとは言えなかったし言ったとしてその理由が「神絵師の隣は現実を思い知らされて嫌だから」だとか完全に「えっ…」て感じだと思うし自分自身、垣根抜きに親しい付き合いをしてくれる二人と気の合う関係を築けてることが何より嬉しかたからNOなんて言いようがなかったんですけど。

絵師サンドされた日には死ぬと思っていましたが実際サンドされて死にたいと思っていました。

ジャンルでの活動が長く、自分の本を楽しみにしてくださってる方が一定数いてくださったことは知っていたので両隣は大盛況で自分のスペースだけ閑古鳥なんて事態にはならないことは分かっていたんですがそれでも胃は少し痛かったです。

実際、両隣のフォロワと繋がっているもの自分とは繋がっていない神絵師の方が自分のスペースを避けて両隣に挨拶しているとことか見えたりしたので。

よく見てるなって感じですけど私はたまに神絵師フォロワのフォロワを覗いてわあ、こんなに神絵師からフォローされてる…とか思いながら薄暗い感情になったりとかする性悪自滅くそ野郎なので

(いやでも必要なんですよ…とある絵師(私は一方的に好きなだけ)の作品についての話を神絵師フォロワ(神絵師とは相互)とするにあたって相手相互フォロワの気安さとして喋るけど私は一方的好きな人としての温度差がそこにあることを予め認識して精神を防護しておく必要があるから…)

この辺りをくまなく喋ると大体「見なくて良いとこまで見て、考えなくても良いとこまで考えすぎてるところが生き辛そう」って言われます

本当にその通りだと思います

いやそれでもそうやっていろんなところに目を向けるからこそ自分を見てくれる一人一人に対する有り難みを感じられているとも思っていて、だからこそ持てる力の範囲でも自信を持てているとも思っているので私は一長一短なんだと思っています

逆に自分なんかよりよっぽど「見て頂ける人の母数・持てる関係性の上限」が遥かに広い神絵師のはずなのに自己肯定感の低い人達見ると本当に嫌になります

大体そういう人達って軒並み「ネットの外のリアル自分人間的に問題がある」ところを引きずってるんですけど、そうでなくて、少なくともネットにおける「絵が描ける」ことそれだけで「描けない人」がどう逆立ちしても手に入らない沢山の自信の種と関係の間口がごろごろしてることに気づいて欲しいなあと常々思います

いやまずフォロワの多さといいねの多さとブクマの多さに目を向けて欲しい。

あいつら大体「カップリングの力だから」「旬のジャンルから」「女の子から」とか何とか言うんですけど、過大評価を真に受けない保険にしてるんだか知らないですけど、私からしたらその発言は軽はずみだとしても本当に好きな人も多くて付けてくれてるであろう何百何千の人達からいいね蔑ろにしてるようにも取れるから私はそうやって付けられる自信を一向に付けない人を見るのが腹立たしくて嫌いです。

(と思う感情すら自分劣等感正当化するためのエゴだと言ってしまえばその通りだとも思うので押し付けるのは良くないですよね、本当に各位には申し訳ない。でも言わなかったとしても内心そう思ってることには変わりなかったです。)

でも気の合う話ができて一緒に居て楽しいと思う人達だってその人達です。

私はその人達の人柄が好きで作品が好きで絵柄が好きで、何より一緒に居て楽しいと思えるからこそ、少しでも自信を持って欲しくてついついそういう感情吐露しがちなんですが先日いよいよ怒られました。

そういう感情ネット上では見せたくなくて、少しでも信頼してる自分からこそ打ち明けた部分だったのにSNSで鍵垢で、主語こそださなかったもの特定されかねない形で引用してしまったので。

本当に申し訳ないことをしてしまったなあと思うと同時、それでもやっぱり私は大好きなその人がいつまでも持てる自信を持てないままでいることが嫌で嫌で仕方なかったです。

という感情だけ主張しておけば何かまだ良い感じな風に見えなくもないんですけど私そこに対して「自分の持てないものを持ってる人が自信が無いと惨めな気持ちになる」ってろくでもない私情までぶつけてるから駄目なんですよね

すいません、ごめんなさい、結局私は自分感情エゴ込みで吐き出さずにはいられない性分のクソ野郎でした。

でも本当に、もうどうしたら伝わるのか私には分かりませんがそういう感情を吐き出した人達のことが、自己肯定感が低いところを除けば私は本当に大好きです。

前述したようにその神絵師当人にとっては「親しい人との関係」の中に自分の神絵師物差しみたいなくそ概念を突っ込まれ区別した上で会話をしてしまうから、私個人が抱く劣等感由来のあらゆる感情って本当に仲良くしていく上で心底不要ものなんだなと痛感しています

それでも私にとっては自信の糧になった部分もある切っても切り離せない要素です。

そこを踏まえない友達付き合いを私が徹底できれば何よりなんですけど、付き合いを続けていく中でどうしても一方的劣等感押し付けしまう場面というのは今後どうしたって出てきてしまうように思っています

冒頭で述べたように極力これきりにしたいとは思いますけど性根としてそういう感情根付いてることには変わりないです。

ああ、なんか、そういう見方をされていたんだなあと感じてしまったらどうしようもないのかもしれませんがこんなくそみたいな性根を抱えた自分とも、また喋ったり遊んだりして頂けたら嬉しいなあと思います

本当に一方的で身勝手感情だとは思いますが。

自分のことだと思ってる思ってないに関わらずとにかく私というろくでもない人間関係を築くことを良しとしてくださってるあらゆる方々、本当にいつもありがとうございます

本当にろくでもない性悪なので自分から遊びに誘うことも憚れる上、実際これからしばらくイベントを断つ身の上でお会いできる機会なんてフォロワが関西に遊びに来てくれるときくらいしかないと思いますが遊びに来た際には誘って頂けたら喜びます、と誘い受けをして締めたいと思います

あと良かったら前述の記事同様に拡散の上、思ったこと述べて貰えたら嬉しいです。

賛否や縁を切りたい等内容は問いませんのでご意見感想お待ちしております

最後最後までろくでもないな

ここまで吐き捨てきってしまって、またSNSというかツイッターフォロバする形で性懲りも無く再開するかは正直ちょっとからなくなってきましたが、ひとまず今まで本当にありがとうございました

またお会いできたら嬉しいです。

それでは。

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