自分の例が成功例だとは思わないが、悩んで思い詰めている人の参考にもなるかと思い、書いておく。
私は社会科学系の博士課程に進んでいたが、研究成果が全く上がらない、やる気もないダメ院生だった。査読付きの論文なんか一編もないし、当然学振もなかった(申し込んですらいなかった)。家族のこともあり、いよいよ食い詰めた10年前には29になっていた。どうにもこうにもならず、就職することにした。
と言ってもどうやって就職したらよいのかもわからないので、リクナビとかがやっている新卒や第二新卒向けのイベントに行った。出展していた会社に片っ端からエントリーした。30社くらいエントリーした。
自分の中でカッコいいと思ってたコンサルとか金融とかSIerとかは軒並み落とされたが、全く興味のない業種の3社から内定をもらった。その中で、相対的にまともに思えたのが前職の会社。5年間働いて同じ業種で転職したのが今の会社。
就職するときに心配していたのは、再スタートするには遅すぎるのではないか、ということだった。確かに就職して2年ぐらいは年取った新人なのでへんな感じだが、部署異動をしてからは誰も細かいことを気にしない。さらに言えば、転職をしてしまえば、その人が二十代に何をやっていたかなんて事は他の人にとってどうでもよいことになる。つまりは、どこかの会社に入ってしまえば、後は職歴ロンダリングで、院生として過ごした日々はどうとでもなってしまう。
自分はダメ院生だったから一社目の就職は思ったようなところに行けなかったが、理系で、プログラミングや数学なんかができる人は就職の口はそれなりにあるのではないか。ガチ文系は知らん。学習塾とかに入社して転職するのがいいのではないか。
私のような人間ですら、就職によって失ってしまったものがあると感じるのだから、研究でそれなりの成果を上げている人であれば諦めるのは辛いとは思う。とはいえ、毎月給料が振り込まれること、毎年、翌年の心配をしなくていいのは、精神的にすごく楽だ。年金も払っている。健康保険にも入っている。結婚した。子供も生まれた。どれも、あのままのダメな私であれば得られなかったものだ。
もらった給料で好きなように暮らすのは、かつて思い描いた人類全体への知的貢献から得られる生き甲斐とは全く違うが、これはこれで幸福である。思い詰めて死までも考えているのなら少し考えてみてほしい。
いいこと書くなあ