はてなキーワード: 法規制とは
商品名:女
ポジション:ロングのみ
手数料:購入時は100~1,000万、売却時は300万~無限大、スプレッド激高
決して値上がることはない。
購入したと同時に値が暴落する。
ショート不可。
保有中は超高利率で利息を支払わなければならない。
利息の支払いは売却後も継続する。
ポジションをとると必ず損をする。
保有すればするほど、ボラティリティリスク、流動性リスク、信用性リスクなどあらゆるリスクが増大する。
10代の間はアップトレンドにもなるが、法規制によって購入は禁じられている。
現物の引き渡しが可能であるため、性玩具、小作りマシーン、家事ロボットとしての利用は可能。
全部仕事だった。この3日の間に遅れているスケジュールを回復させようと毎日16時間労働だった。
IT屋、SI屋に勤めて10年近くがすぎた。慣れてしまってはいけないのだが、もうあきらめてしまった。職場から見えるビルの建築現場は日、月と休みだった。毎日日没後には誰も働いていない。私の仕事とは、会議のない日没後が本番だ。
20万人月案件のひくまでもない。この惨状が常に続いているのは、どこでも発生しているのは、法規制がまったくされていないからだ。不動産屋なら受付に免状がかけられているように、納涼も知識もない人間が大勢アサインされている。20万人月というのは、相応の能力を持った人間がよってたかってやっと達成できる作業量なのだが、単純に20万人月あつめれば完成するように思われていないだろうか。オラクル、エムセス、レッドハット、シスコ、ほかいろいろ。企業の発行している認定失格ではなくて、法が定めた資格がないのが問題なのだ。座っているから死なないと思われていないだろうか。
AmazonとかGoogleとかTwitterとかFacebookとかの大手サービスって、なんの理由もなしに突然垢BANされたりする(らしい)じゃん。しかも大抵理由も教えてもらえず復活もできず、使わせてもらってるだけの個人の立場では泣き寝入るしかできないのが現状。日常的に使ってるサービスでこれやられるとダメージ大きいから何らかの法規制をして欲しい。無料とは言えユーザーに広告を見せるなどの収益で成り立ってるわけで、持ちつ持たれつだろ。利用者が増えて大きくなったサービスにはそれなりの社会的責任があると思う。利用規約で好き勝手できるように書かれてるだろうけどそれを上書きできる法律で消費者を保護して欲しい。
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20160507000120
見てもらえばわかるが「京都新聞」という十分に部数の多い新聞社が書いた記事である
後者を明らかに蔑称としての利用、いわゆる「ネット右翼」の先、
”議論を超えてヘイトを撒き散らす集団”のことを指して「ネトウヨ」と呼称している
これは「DQN」「厨房」「ゲハ」というスラングが紙面に並んでいるようなものだ
普段から「ネトウヨ」を常用する人が京都新聞に居ることは確実である
「慰安婦」「尖閣」といった話題は少数が過剰に書き込み、見た人は「こんな大勢がバッシングしてる」という集団心理やノリで発言を加える。
「20歳なんですけど!」のやつは読んでないので,それに関しては当てはまる話なのかもしれないけど,ちょっと話を一般化しすぎかなーと思うところはあるので指摘.
話に戻るけど、エロ漫画とかエロゲってこの辺ものすごい勢いで肯定的に描くよね。エロ小説とかもか?
レイプしてるうちに悦くなっちゃうとかさあ。ジャンルとしてもロリとショタって確立してるし。
あれじゃん、昔のお笑い番組とかバラエティとかで、アレやってること実質的にイジメだよな、みたいなのあるじゃん。
笑えるとか笑えない以前にダメなんじゃん?みたいな。そういう感じ。
イエスロリータノータッチ、それでいいじゃんと思ってたけど、イエスかノーかをそもそも決める立場じゃなくね?的な。だって俺幼女じゃねえし幼女の親ですらねえし。
ネットでたまに見かけるエロ漫画画像で、視覚障害がある男と小学生女児が仲良くなってセックスするまで行って最後に通報されて逮捕で終わるみたいなのあるけど、アレだって現実にタッチされた子どもの心理をおもっくそオタ向けファンタジー寄りに捻じ曲げてるんじゃん?
現実に性犯罪被害にあった子どもの言動は全体的にもっとヤベェっぽいもん。あんな、悲劇の純愛に殉じたみたいなんじゃなくて、それこそその後の人生狂うくらいの混乱とか罪悪感とか万物に対する不審感みたいなトラウマ残ってるらしいし。
http://anond.hatelabo.jp/20160319135117で指摘されてるけど,同じ作者の他の作品だと被害者に凄惨なトラウマが残ってるのはあるよ.インターホン鳴らして業者と偽って家に上がり込んで犯行に及んだから,被害者は友人が鳴らすインターホンに怯えてパニック起こしてとうとう引っ越しちゃうってやつ.最近の作品だと被害者は加害者がちょっと手を振り上げただけでごめんなさいごめんなさいって怯えてたり.少なくともその辺の作品(タイトルは伏せておく)では一貫して被害者はひたすら嫌がっててそれを外道な主人公たちが……って話になってると思うけど.もちろんそういう「レイプ・ファンタジー」に合致する作品も描いてるだろうから,あくまでその作家の作風に対する反例を上げただけで一般論としてそういう傾向を否定する気はない(論じられるほど読んでないし).
で.
調べてみたら、なんか有名な代表作みたいなのが「要約すると『女児をレイプして捨てながらゆく逃避行』」みたいなことが書いてあってワロタww胸糞悪すぎるわwww
もはやまったく「イエスロリータ」ですらないだろこれ。ダメじゃん。どこがイエスなんだよ。
(中略)
エロ漫画とかは大抵そんなレベルにも行ってないじゃん。何つうか、万事が性欲準拠みたいな。
いや読んでから論じようよ,というのはさておき.そこで増田が例示した作品って,「社会性のないクズ2人が出会って小さな悪から徐々に悪に染まっていって最終的に悪行の限りを尽くして自殺する」って内容なのね(ネタバレになっちゃうけどどうせ読まないからいいよね).いや胸糞だよ? 胸糞なのよ? ほんとこいつら何人の人生を狂わせてるんだよそんなの“成果”じゃねーよ,っていう.でもそれを基本的には,バイトもして単位も真面目に取る小市民である主人公の目線で描くことで,人が悪に飲まれて引き返せなくなっていく過程を描いてる作品でもあるのよね.
主人公の行為は最初は携帯でのささやかな盗撮だった(もちろんそれも立派な性犯罪なわけだけどそれは措いておく).それも誰何されて慌てて逃げ出してしまう程度の覚悟.でも主人公の行動は彼の友達に承認され,許されることで,行為がどんどんエスカレートして女児への声かけまでやっちゃう.それをエスカレートさせたものは「もっとすごいことやろうぜ!」っていうまあすごいホモソーシャルな虚栄心と,「自分たちはゴミクズなんだ」という疎外感なんだよね(もちろん彼らの小児性愛の所為もある).ふたりきりの閉じられた世界で止める人もいなくてどんどん箍が外れて最終的にはレイプ行脚にまで至る主人公たちの行為,もちろん最低最悪の外道だし現実世界に置き換えたら苦しんで死ね以外の言葉が出てこないんだけど,自分が同じ環境にいて果たして「悪に染まらずにいる」ことができるかって考えると慄然とするよ? 別に性犯罪じゃなくてもいい,たとえば万引きでも詐欺でもいいんだけどさ.あ,割と簡単に人間って「あっち側」に堕ちちゃうんだな,ていうか.でも絶対に引き返す場所はあったはずなんだよ.あったはずなんだけど主人公は友達との関係性の中で引き返すことを選ばずにズブズブと悪の道に踏み込んでいくわけだよ.そんでこの作品では性暴力を「主人公たちにとっての快楽」として描いていて(上述したが被害者が悦びを感じるようになるとかそういう描写は一切ない),実際にわれわれの性欲も満たしてくれる作品なわけだけど,性暴力を振るいながら自分が堕ちてしまったことを自嘲しこんな大それた犯罪に手を染めずに生きていった可能性を夢想したりもする.もちろん胸糞作品だし結局はエロ目的で読んでるんだろ? と言われれば否定はしないけど,そこに一片の文学性も無いみたいに言うのはちょっと違うんじゃないかな.
(ところで何がヤバいって,そこで夢想する「ありえたかもしれない人生」ってのがロリ漫画を即売会で頒布して「平和に暮らす」世界なんだよな(そこでも女児を視姦する計画を立ててるから本当に性暴力と無縁な暮らしというわけではない,というのは指摘しておく必要があるけれど).ロリ漫画家と性犯罪者が――道を踏み外したかそうでないかの違いだけで――同じ次元にいるって自分で言っちゃってるよこれ.色んな意味で目をつけられたらまずい)
犯罪者に寄り添う形での“文学性”はけしからん,という意見もあろうけれど,じゃあこれまでミステリで「同情できる犯人」みたいなのを描いてきたのは何だったんだ,という話にもなるよね.復讐譚(往々にして被害者もクズ)以外にもそういう作品ってあるよねえ? 殺人者の最後の美学,とかさ.理不尽に殺された被害者にとってはふざけんなクズさっさと死ね以外に言いようがない,けれどどうにも憎みきれなかったり同情してしまったりかっこいいなと思ってしまったりする犯人ってけっこう提示されてきたわけじゃないですか.そもそも「舞姫」が名作として教科書に載ってる国だぜ.並み居るクズ文学のあいだの何処で線を引くんだい? あちら側では描いただけの人が逮捕され,こちら側ではクリエイターとして賞賛を受ける,そんな線を引くだけの覚悟があるのかい?
もちろん,「うらやまけしからん」みたいな形で現実の性暴力に対してエロ漫画に対するのと同じような態度を採ることに対しては強く批判されないといけないし,そういう啓発が必要だろうというのはその通り(twitterを上で挙げた作品名で検索したらちょっと眩暈がした).あと,そうやって描かれた犯罪が実際に起こり得る,というか脅威として眼前に存在しているかという蓋然性の違いや男女の非対称もある.そこは無視できない(さっきから語ってる漫画家がヤバいのは手口のリアルさだよ……).けれどやっぱり,そこは法規制以外で折り合う道があるはずだし,それを探りたいとも思うんだよな.
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
個人の快・不快ではなく社会の公共の福祉という点においてわいせつ画は規制されうるというのがわいせつ物頒布等の罪(刑法175条)の主旨だよ。お前がいくら「私が不快だから陵辱ゲームは規制しろー」と喚いたって法律はそのようには動いてくれないってことだ。
陵辱ゲームは既に18禁規制されていてこれ以上の規制を求めるとなると法規制の観点からは全面禁止しかないって言ってるんだよ。
全然駄目~
「でっていう」で終わることばかり書いてある
飽きたのでとりあえずここまでw
最後に言いたいが、元増田の記事で議論を欲すようなことを書いておいて、その論考のためにせっかくこれだけの長文を書いてくれた人に対してその返し方は失礼じゃないか?その態度は結局お前は議論がしたいのではなく自身の表現規制論を肯定するもの以外には聞く耳を持たないという表現の自由から最も遠い態度じゃないのか?
http://anond.hatelabo.jp/20160219013645
何が「コソコソ楽しめ」だよ。お前は何様なんだよ。陵辱ゲームは18禁として既に法規制されてるだろ。その上ユーザーの内心まで断罪し始めるとか、だからまなざし村ってトンデモ扱いされるんだよ。ポルポトの世界かよ。
その「コソコソ」はどうやって証明するんだ?「僕はこのゲームに負い目があるし神に誓って罪悪感を感じながらプレイしまーす」って宣言すりゃいいのか?上辺だけなら何とでも言えるわ。
そう言えば昔腐女子らが検索避けとか無意味なことやって「私たちは隠れてやってる」とか変な自信を持ってたな。端から見て全然隠れてねーよと思ってたが。あんな風に建前だけポーズでやってりゃいいってことか?
行政からしたら隠れてることは何の免罪符にもならない。意味のない倫理観を他人に押しつけるな。普遍化するな。法律で倫理を縛ろうとするな。
あとな、タイトルで「規制しろよ 」とまで書いておいて追記でゴチャゴチャ言い訳するな。禁止しろとまでは言ってない?
コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよ。内容について批判受けたら、すいませーんって一回隠して陰で楽しめよ。ってこと。何かで販売元が訴えられたら、ギリ敗訴になる世界であってほしい。
ネットストーカーの怖さを知った夜・ネットで個人情報を晒す危険性 - 天才ブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/tensaychang.hateblo.jp/entry/netstalker
one00one コワイコワイコワイコワイ…
mamashizue こわいこわい…
etenatsu 怖い。無事でよかった。
pojihiguma これは怖い。ネットストーカーのお話。ネット黎明期にこの問題が起きて法規制入るということは今考えれば当たり前のことなのだけど、当時は想像もできなかった。
iGCN 怖すぎ。
chai-desu 怖い・・。そういうの話にはよく聞くけどやっぱりあるんですね。本人は付き合ってる気持ちになっているんでしょうか。場所がわかるような写真もツイートできませんね・・・。
kitano_ow2 普通に怖い
cyancy うわぁあ、怖い。
Daisuke-Tsuchiya コワ。とりあえず大事に至らなくて?よかったですね。
dokuwohaku 怖いですね…! 個人でも物を売ったり仕事をする時には住所を載せないといけないので辛いですよね…。ショッピングストアなら、Zazzleやitaxesというオンデマンドストア(というのかな?)を利用するのもありかも…。
ookiminori うあぁ、怖い…。
ketudairakusaemon 本当に生きている人間が一番怖い(ФωФ)
ken530000 普通に怖い、怖すぎる。これは警察の出番じゃなかったのかな。
nursewaltz こわい・・(´Д⊂) 普通の知らない人からのセールス電話もやなのに。
kamkamkamyu うええ、こわいですね。。
どうやら「ラッシュ」を使っていたらしいけれど。
これは、10数年前まで、ゲイの世界を中心によく出回っていた製品で、新宿2丁目のゲイ向けのショップでは、普通にレジの脇に並べられていたし、秋葉原あたりのアダルトショップでも扱っていた。
いくつも種類があって、新宿では一瓶1,000円~1500円くらいが相場だったと記憶する。
もちろん「医薬品」ではなく、「ビデオヘッドクリーナー」や「芳香剤」の名目での販売である。
芳香剤といっても、揮発性の刺激臭がする代物だし、ビデオヘッドをどうやって掃除するのか見当もつかないわけだが。
で、どういう効果があるかというと、鼻から吸い込むと、ちょっと心臓がバクバクして、体が熱くなって、頭や体がしびれるようになって、性感が増す。
といっても効き目はせいぜい数分ぐらい。連続して吸うと、頭が痛くなったりするので、そんなに長時間使えるもんでもない。
吸った瞬間に性感帯を刺激されたり、射精したりすると、普段より強い快感があって、
ゲイのいわゆる「ウケ」の人たちは、アナルの緊張がゆるんで受け入れやすくなるなんていうことも言われてた。
あ、はい、申し遅れましたが、自分は、ゲイよりのバイセクシャル(女性ともエッチできるが、男のほうが好き)です。
ラッシュは、かつて付き合っていた彼氏とナニするときに時々使ってました。
ただ、吸ったからって言動がおかしくなるとか、そういことは全く感じられなかったし、だんだん使用量が増えるとか、依存性が増すとかいう感覚もなかった。
ただ、皮膚に直接つくと刺激が強く、特に小瓶から鼻で吸うときに、鼻についてしまうと鼻の穴の周りが赤くただれてしまったりして、
当時のゲイの間では、鼻の穴の周りを赤くしていると、「ラッシュ吸いすぎたんじゃない?」などとからかわれたりしたものだ。
そもそも、ラッシュ=亜硝酸エステル類というのは、狭心症の薬などに使われていたものらしく、吸うと血管を拡張して血流が変化し、
それで体に変化が現れて快感が得られる、というのが基本的なメカニズムらしい。
だから、脳や神経に直接作用して、肉体的な依存症を引き起こしたり、精神に影響を与えたりするわけではなく、
いわゆる「麻薬」や「覚せい剤」のような危険性はない、というのが、当時よく言われていた解説だった。
実際、wikipediaレベルでは、そういう解説が書かれているし、実際、使ってみた感じとしても、「精神」というより「肉体」への刺激を求めていた。
心臓の弱い人などは、あまり使うと危険と言われていたが、それも、体感として納得できる。
ラッシュが規制の俎上に上り始めていたころ、「それほど危険なドラックじゃない。もっと規制すべきものはあるのに、なぜ、そんなに必死に規制しようとするのか」と反対の論陣をはっていた医師もいたが、
まあ、そんな議論が取り上げられるはずもなく。
で、他の「脱法ドラッグ」の規制に合わせて、薬事法が改正されて、初めは販売が禁じられ、いずれ所持だけでも逮捕されるようになったのが2006年ごろだったと思う。
当初、国内の店頭で見られなくなったころは、まだまだ海外から通販で購入する(=個人輸入)が可能で、実は自分も購入したことがある。
「お前宛に国際郵便が届いているが、どうも怪しいので、1)そのまま破棄していいか? それとも、2)お前がこっちに来て立ち合いの上で一緒に開封するか? どちらかにチェックして返送せよ」
という趣旨の通知が来るようになった。
もちろん、こんなことでお上とトラブルを起こすわけには行かないので、「はいはい、ど~ぞど~ぞ破棄してください」と1)にチェックして返送した。
それからしばらくすると、「危険ドラッグを郵送で個人輸入しようとして逮捕」などというニュースがでるようになり、ああ、あのとき足を洗っておいてよかったと思ったものである。
今思えば、自分が通知を受け取っていたころは、「経過期間」だったのだろう。
思えば、「脱法ドラッグ」という呼称が「危険ドラッグ」に変わったのも、そのころだったのではなかろうか。
その後、自分自身としてはラッシュが手に入らなくてイライラしたとか、そういう経験は全くないし、依存性が弱いというのも、個人の実感としては納得できる。
テレビで弁護士が、したり顔で「やめづらいでしょうね」といってたが、タバコの方が、よほど依存性の高い危険物だ。
あと、思わせぶりに「危険ドラッグで錯乱する常用者」の映像を挟み込んで恐怖感をあおっていたけれど、あんなことはないよね、ラッシュで。
それから、記者が思わせぶりに「そこのほうに粉状の物質がたまっていますが、ドラッグの溶け残りでしょうか?」など瓶を見ながら語っていたが、あれも適当な想像。
で、新品だと白くて丸いんだけど、だんだん砕けて粉上になってたりする。
でもって、今回の逮捕劇なのだが、どうも「なんと! NHKアナウンサーが危険ドラッグを!」という側面ばかりが強調されていて、
ラッシュがどういう経路で販売されているのかとか、どういう風に危険なのかという報道はあまり出てない気がする。
危険性については「覚せい剤もラッシュもマリファナも一緒くた」にして「とにかく危ない」っていうだけで。
想像するに、覚せい剤のように「販売ルートが組織犯罪の資金源になっている」とか、そういう話があまり出てこないのではないだろうか?
「危険性」についても、話をラッシュに限定してしまって「精神への影響」や「依存性」があまりないとなると、アルコールのほうがよほど危険じゃないの?って話になっちゃう。
「ラッシュ」で精神が錯乱して犯罪を犯すとか、依存症で家庭が崩壊するとか、人格がボロボロになっていくとか、ちょっと考えにくいのだよな。
元同僚とかいう人が出てきて「マジメなアナウンサーだった」みたいなコメントしてるらしいが、そりゃそうだろう。
シャブ中じゃあるまいし、ラッシュが好きな人というのは、せいぜい、ちょっと性欲が強いか、セックスでの快感に貪欲なくらいだろうと思う。
もちろん、健康にいいものとは思えないし、「ゲイがセックス楽しむために使う薬」なんてのは、まあ、あまり風紀上望ましいものじゃないから、
ましてや、すでに国内では法規制されている以上、「皆様のNHK」のアナウンサーが所持してちゃいかんとは思う。
だから、元アナウンサーを弁護するなんてつもりは全くないんだけどね。
ラッシュも、まあ、また合法になったら、ちょっと使ってみてもいいかなと思わなくないが、まあ「規制する」ってんなら別に規制していて構わない。
ただ、厚労省も、人でも資金も限られているだろうに、もっともっと先に力入れるべきところがあるんじゃね~かな? というのが率直な感想。
なんか、もっと取り組むべきところに目を背けて「厚労省が危険ドラッグ対策頑張ってますぜ」アピールをしているような気がして、
また、マスコミもそこにのっかって騒いでいるだけのように見えてしまう。
そういう意味では「NHKアナウンサー」なんてのは、格好のターゲットだったんだろうな。
でも、彼を逮捕して騒いでも、本当の「危険なドラッグ」の撲滅には、あまり役には立たないよ、多分。
【追記】
ブクマにもあったけど、これを「ああ、やっぱりゲイってちょっとおかしい」とか「新宿二丁目って危ないところ」と誤読する人がいると困るので追記。
現在、二丁目で危険ドラックが簡単に入手できるとか、そんなことは、決してありませぬ。
寧ろ、自分達のコミュニティを守るため、必要以上に警察を刺激したりすることは避ける傾向にあります。
新宿でも一番、暴力団関係者が入り込みにくいのが二丁目だともいうし。
【追記2】
その後、新展開があったのでまた書いた。
ガチャの確率操作とか、ありえない確率とか。保通協があるわけもなし、規制も無し、監督省庁も無しでは、約束された未来としか見えない。
回すほうも理解したうえで回してるんじゃないのかな。今後はタバコみたいに、毎回警告メッセージが表示されて、スクロールさせて画面外になる同意ボタンを押してからじゃないと回せなくなるんだろうか。確率とか、絵合わせとかの法規制じゃなくて、問題の根源は「回しやすい」ことなので、ここをやったら面倒くさくすれば解決するだろう(メーカーは望まないだろうけど)。
課金騒動を見るたびに、この課金に消費されている資産はこれまでどこに使われていたのだろう、と疑問がわく。パチンコから移行した、との論が多いけれどパチンコの主たる客層はスマホを使ってゲームを遊ぶ人たちではないように思う(ホールを見まわしながら。パチスロISは出玉が普通に収束してきたという噂。ほんとならマックろやんけ)。
ガチャ市場が伸びたぶん、ほかの市場が縮んでいる。それはどこなんだろう。外食、出版なんだろうか。マクドナルドはハッピーセットではなく、レアガチャチケットをつけたセットを販売するべきだし、出版は攻略本、雑誌にシリアルコードを付録に付けて久しい。大丈夫、ファミ通の付録だよ。
返金(なんで返金されるのかさっぱりわからん。パチンコも今回の釘騒動で返すのか?)されたとして、またガチャにぶっこむだけなのだろうから、夢の永久機関の誕生である。幸多かれ。
水素カーだの燃料電池車だのが最近やかましい。トヨタの車は数年先まで予約待ちだそうだ。
ガキの頃の社会見学で勉強した限りでは、どうも市販車が出るのは当分先という感じだったから、
思った以上に早かったな、というのが正直な感想だ。
しかし、都会でいくらステーションができてニュースになっても、だからどうしたと言いたくなる。
本当に車がないと暮らしにも困るような地域まで、果たして普及してくれるのだろうか?
というかそんなとこだと、今あるGSすら老朽化で法規制がどうとか言ってるうちに、
気がついたら潰れていたりする。
ランプや電気がそうだったように、このインフラは全国の山々まで届くのだろうか。
それとも、地域ごと土に返るのが先か。
著作権の議論をみていると感じるのだがいじめの議論をしているときと同じような議論の本質のなさを感じる。
「いじめはダメだ」と同じように「パクリはダメだ」というのは誰もが共通な認識であることは間違いない。
被害者側がいじめだと訴えでた時点でそれがいじめになるなら、パクリも同様なはずだ。
でも現実はそんなことはない。ベルギーのロゴはパクリとは認定されないわけだし。
パクリには厳しいみんなも同人活動やゲーム実況、コスプレなんかには寛大なわけだろ?
それこそここで法の話を持ってきたらいじめなんて暴力沙汰にならない限り認定できないわけで、ただ著作権とコピーライトを守ってれば著作権は安心っていう話ではないと思う。
いじめはダメだといっている人間が知らず知らずにいじめに加担していることがあるように、パクリがダメだといってる人間も知らず知らずに模倣なりをしていることだってあるんじゃないかな。
なんというか、この辺の定義が曖昧なまま皆で議論しようとするから、肝心な部分がはぐらかされて単なる個人攻撃にしか見えなくなってくるんだよね。
佐野氏の是非ついての言及ではないので、彼の行動についてのコメントはもう結構です。
技法、、理論、メロディ、トレースなどなど、みんな誰しも先人の影響を受けているのだから完全に自分オリジナルですって人なんていないはずだ。
断言できるのは、今回のことは「ネット民大勝利」じゃないんだよ。
どっちかというと「日本国民総自滅」っていうほうが近いと思うんだよね。
なんでって聞かれてもわからないんだけど、すごいブーメランを飛ばしてしまった気がするんだ。
例えば著作権周辺について厳しい法規制が敷かれて、ネット上や同人での自由の表現に規制がかかるとか。
佐野とロゴが気に入らないって理由だけで、オリンピックという国際的なメンツを前に今回はやりすぎだと思うんだよね。
誰かうまく説明してくれないかな。