はてなキーワード: 掲示板とは
36歳男。10年前に既婚者であることを隠して不倫し、数ヶ月交際した後に絶縁した相手の女性のことが忘れられない。今は妻とも子とも仲良く、幸せな家庭生活を送っているけれど、あの時にまだ独身だったら彼女と最高のパートナーになれたのかな、とたまに思い返す。
出会いはネットの「オタクのメル友募集スレッド」的な掲示板。妻と一時期うまくいってなかった自分が彼女の書き込みを見つけ、返信をもらってメル友になった。好きなアニメやゲームの話題で意気投合し、実際に合ってみることになったのは夏の始まりだった。
一目見てお互い「アリ」だと思ったのか、バーでの会話は弾み、二次会のカラオケでは歌もそこそこにセックスしたい意思を確認、ラブホテルに移動して最高のセックスをした。
その後もデートを続け、2回目のお泊りデートでは体の相性だけでなく、お互いの恋愛感情も確認し合った。クズな自分は、その時も既婚者であることを隠したままだったけど。
彼女と別れた帰り道、ふとしたことで罪悪感にさいなまれ、既婚者であること、妻との離婚を考えていること(当時は子どもがいなかった)を明らかにしたうえで、関係をもう終わりにすべきだと思う、と彼女にメールで伝えた。
別れ話の形式にしたのは卑怯な気持ちのなせる業で、「不倫は絶対あり得ない」という倫理観の持ち主である彼女に対し、さすがに妻と別れるから付き合ってほしい、などとは言えなかった。
心の底では彼女と付き合えることを望んでいたのか、それとも彼女が怒って去ってくれることを望んでいたのか、今となってはよく覚えていない。
「これを伝えるのにメールを選んでくれてありがとうございました」と静かにキレた彼女の怒りはすさまじく、離婚前提で付き合うというシナリオがクズ男の都合のいい願望でしかないことにはすぐに気づけたけれど。
怒る彼女はそれでも冷静で、「貴方は最低で私は被害者だけど、貴方の奥様に対しては加害者で、発覚すれば私にも賠償責任がある」から、「やり取りしたメールは全て消し、この話は奥様に隠すように」と指示した。
全くその通りだと思い、彼女の連絡先と全てのメールを削除した。10年経った今でも覚えているのは彼女の本名と、お互いが好きだったゲームについてのメールのやり取り、デート中の会話のごく一部、それと、何度も思い返した情熱的なセックスの細部、それくらい。
彼女は今、どうしているのだろう。見た目も性格も素敵でスタイルもよく、(一部の)サブカルコンテンツをこよなく愛する彼女は、ふさわしい恋人を見つけたかもしれないし、結婚していてもいなくても、人生を謳歌しているのだろうと思う。クズ男に騙された一瞬を忘れ去って、楽しく生きていてくれればと心の底から思う。
こちらの方は、その後妻と大きなケンカを経て仲直りし、子どもにも恵まれて充実した日々を過ごしている。共働きで家事育児を4割程度、家計をほぼ全て負担し(年収約2千万の大半を家族のために使うor貯金している)、子どもとも毎日仲良く遊んでいるので、夫として、親としては及第だと自己評価している。
そんな中、ふとしたきっかけで彼女のことを思い出す。今では不倫など全く考えられず、当時妻や彼女に対してしたことは人生の最悪の暗部だけれど、彼女への恋愛感情だけは、(許されないのはわかっているけれど)ポジティブなものとして大切にし続けてしまっている。
もう会うことはないと思うし、会いたいなどと言える立場では決してないけれど、どういう生活を送っているのか、ふとした瞬間に知りたくなる。向こうはとっくに終わったこととして処理し、何の感情も残っていないだろうけど。
不倫の除斥期間は20年らしいから、あと10年経って法的リスクがなくなったら、クズ男を罵倒しに目の前に現れてくれるだろうか、と夢想する。
Twitterでも、Facebookでも自分のアカウントを持たなければならないし、そこに自分自身のペルソナが邪魔するじゃない。
でも誰と知られずになにか愚痴ったり書きたいときあるじゃない。
5chとか掲示板だとまとまったものはかけないし、結局その狭いコミュニティでの匿名の会話みたいなのが求められちゃう。
そうじゃなくてブログのように長文を匿名でかけるサービスっていうの良いんじゃない?
こりゃ社会を動かすかもしれない。
5chだと与太話になりがちだけれども、長文で真実味のあるもブログとかも出たりしてさ
これすごいと思わない?
匿名のブログでもやっぱり人に見られたいよね。フィードバックがほしいよね。
Twitterとかで見ているページをシェアするという機能があるけれど、それはあくまでTwitterで自分のTLに書いているだけじゃない。
そうじゃなくてシェアを一元管理したみたいなサービスで、引用リツイートみたいな機能をそのサービスがもっててさ、
匿名の日記と合わせてそれ使えばさ、ネット世論がそこから発信される台風の目になるよね。
そうバズる。
これ自分の造語なんだけれど、バズワードという言葉があるだろ。人口に膾炙した意味のないワードみたいなやつなんだけど、人々が誰も彼もが話題にしちゃう。バズワードみたいになる。
何か事件や事故が起きるたびに、ネットではマスコミの横暴さや酷さが鬼の首を取ったように取り上げられ拡散される。
被害者への対応や現場での振る舞いなど、確かに、もう少し控えろよと思う事はある。
しかし、マスコミに対するここ最近の総叩き、マスコミ相手には何やってもいいんだという風潮も冷静にならないとやばいと思う。
マスコミをマスゴミと呼び排除したその先にあるのはなんなんだ。
左か右か極端な方向からしか物事を捉えられないネットメディア。
それらだけが生き残った先に、まともな情報が見つけられると思う?
テレビ局や新聞社が持っている組織力や資金力というのは権力云々ではなくて、時間をかけて取材をするのに必要なお金や人の多さでもある。
ちょっとした事件事故を取材するのにどれだけのお金と労力がかかるだろうか。
もちろん、個人であれば組織に縛られない自由な取材、発言が出来ることは大きいだろう。
しかし、大手が発信する情報の責任は、個人による発信の責任の比ではないから、相当の正確さが求められる。
それから、テレビや新聞で報道をやりたい、ドキュメンタリーをやりたいと、その道に足を踏み入れた現場の人達は、少なからずジャーナリズム精神をもっているわけで、それは要するにお前らと似たようにどちらかと言えばリベラルな人達が大多数なんだよ。
それを忘れてはいけないと思う。
他社との競争で取材が過熱してしまうのは、構造上、仕方がない部分もある。
そこについてはメディア同士で取材のルールを厳しく作り直した方がいいと思うし、
結局は個人の問題もあるから、本当に救いようもないクズも業界には沢山いるだろう。
だからといってテレビいらない。ネットで十分とかアピールをしてどうなる?
それは個人の自由だけど、テレビ見ない事をシンプルでスタイリッシュな生き方みたいな感覚で公言する人多いけど、なんなんだろ。
よくメディアを揶揄する画像として出てくる、シルエットの画像あるけど、
ニュースアプリのヘッドラインが韓国のことばっかりだ。いつもの朝日や日経の記事のほかに、普段はトップに登ってこないソウルの通信社の記事とかがずらずら並んでる。
まあね、そりゃそうだ。
とはいえ、軍隊がやりあうみたいな戦争に発展する可能性はないはずだ。何しろお互い全く利益がないし、片方が軍事的に圧倒的に強力ということもなく、欧米の監視や中露の脅威もある。核兵器がなくても相互確証破壊は成り立つ。いま日韓にあるものがそうだ。
しかし、軍事力に発展しないことは、かえって別のエスカレーションを生むだろう。
近代以降の戦争っていうのは普通、片方あるいは両方の当事者が疲弊し尽くすことで終わる。たくさん身内も死んだし、国内に厭戦気分が漂って、これ以上は続けられないというムードになることでしか、戦争は止められない。
翻って、経済戦争という形態の戦争では、まあ打撃があるにせよ身内が死ぬわけでもないし、なんなら戦争しているとの実感すら国内に起こらない。
この状況下において、戦争っていうのは止まるのか?
落とし所なんて作れるのか?
実際のところは、正直わからない。
ただ、上記のように考えるのは、自分に「炎上」についての知識が多少あるからだ。ちょっとカッコよく言えばフレイミング。所謂ネット上の口論のことだ。
それは、疲れないからだ。リアルタイムで顔合わせの口論なら、少なくとも数時間もすればどちらもが疲れ果てて、それ以上喧嘩を続けられなくなり、仲直りはしないまでもその場は収まる。しかし掲示板での書き込みを通じて喧嘩をしてしまうと、別に疲れたら寝て起きてまた書き込んでもいいわけで、レスポンスの殴り合いは原理的に永遠に続いてしまう。日本で観測された最初の「炎上」は雑誌の読者投稿欄における非難の応酬だったとされている。
(なお、昨今は利用者側に、さっさと立ち去った方が勝ちだ、みたいな認識が広まってるので、お互いが余程のアホでなければ日を跨ぐような炎上は起きにくくなっている)
翻って、もう一度考える。
我々は経済戦争という状況下にあって、厭戦気分に入ることができないのではないかと思われる。
なら戦争のやめ時ってのは、どこにもなくなるんじゃあないのか。
ちょうど、疲れずにレスし続けることで単なる口論が「炎上」になってしまうように、際限ないエスカレーションに陥ってしまうのでは?
もしそうなれば、あり得る帰結は二つだろう。
一つには、両方の政府トップが、抗戦を求める国民の声を無視した鶴の一声を発し、さっさと戦線から離脱してしまうことだ。
しかしこれはそもそも難しい気がする。両国とも今のトップにその気がなさそうだし、次のトップを選ぶ際にも敵国への譲歩を唱えて次のトップになれるような状況も考えにくい。アメリカなどが頭ごなしに両方に命令する的な状況を想定しても、なかなか厳しいのではないかと思う。
もう一つは、経済戦争のエスカレーションが行くとこまで行って、完全に交流がストップする。化学製品は韓国国内で作ればいいという奴がマジで出来てしまい、日本国内でも保護貿易が進み、その状態で経済が安定してしまう。
そうなった時にどうするか、という前提でこれからのことを考えねばならないんじゃないかと思う。
国家にあたっては、韓国自体との競争よりも中国米国との保護貿易競争に備えるとか。身近な範囲では、海外輸入品の食材で料理店をするのはリスクなので控えるとか。
「京アニは麻薬の売人」という発言は、たくさんの人の心に刺さったかもしれないが、理屈は通っているところもあるし、何よりどこかに実害がある話では全くない。同意しなくても「私はそう思わない」で済む話。
「かんぽがノルマかけまくって詐欺同然の大量契約」というのは、何十億という莫大な損害と、大量の被害者を全国で生んだ社会悪。被害者が高齢者である組織的構造的である点でも悪質で素早い対応が必要。「そんなこと今の世の中によくある」としても、それは「よくある悪」であるに過ぎず、看過できる問題ではない。組織的構造的な悪。
「事業仕分け」は、当時として必要なことであり、そもそも今も毎年「秋のレビュー」などの形で実施されている。にもかかわらず、「二位じゃだめなんですか」というセリフと共に(この発言も元の文脈を無視したキリトリ方をされているが)民主党の悪事のように扱われている。
「統計不正」は、国の政策の根幹に関わる不正であり、国家の根幹を揺るがす悪事である。官僚の一存で行ったのならば明らかに危険な行為だし、内閣の指示が入っているなら、明らかに総辞職し関係大臣が逮捕されてもおかしくない案件。内乱罪や外患誘致罪と同じく国家転覆に関わる犯罪だ。だが、メディアの追究も人々の関心もそこまででない。「今回の統計のごまかしは大したレベルのことではないから」と言う人は、物事の「質」というものを見失っているのではないか。国家の根幹を揺るがす行為は、未然防がれたとしても、その質それ自体が許されるものではない。
「ハムスターの虐待」について、5chの動物苦手板の廃止を訴えた署名活動をしている人がいるそうだ。確かに、例に挙げられているのは動物虐待動画だし、それが社会的によいものではないのは言う通りだろう。だが、問題はそこだろうか? 政治家を動かし、一民間掲示板の板を封鎖する、という事例を作るようなことをしたところで、こんな虐待をする人々の数は一人でも減るのだろうか? せいぜい、より見えにくい所に活動の場を移すだけで、こんな活動ただの自己満足に過ぎないのでは? と誰も指摘はしないのか。更に言えば、これが通れば同様の手法を用いて政治的な表現活動の弾圧などもたやすくできるような気がするのだが、そのことへの危惧はないのだろうか。
「外国人技能実習生の待遇問題」は、生きている人間に対する現在進行形の、しかも、この社会の根幹に関わる問題で誰にとっても無視できない問題であるわけだけど、ハムスターの運命に同情する多くの人々は、30万人にのぼる技能実習生の現状と運命にどのくらいの同情を寄せているのだろうか。
これが誰かの陰謀だ、とか言うつもりはない。前三つは「分かりやすい」悪であり、後三つは「少しむつかしい」悪だから、それが原因かもしれない。別に政権批判をしたいわけでもないし、現代社会論を唱えたいわけでもない。ただ「怒るポイントがおかしいんじゃないかなあ」と思うだけだ。そんなことにイライラする自分も「おかしい」部類に入るのかもしれないね。
生き物苦手板の是非はともかく、その閉鎖を目指して署名活動とか最高に頭悪い。
そもそも生き物苦手板を閉鎖するのがそんなに意義のあることか?
個人的には生き物が好きだから(猫飼ってるし)、動物虐待をする人間には怒りが湧く。
でも、掲示板を閉鎖したからって虐待している人間が消えて無くなる訳じゃなし、既に何人かが懸念しているように他の場所へ移動するだけだ。
露悪趣味的に公開アカウントでやるならまだマシで、Twitterの鍵アカで相互フォローなんてことになったら、発覚しにくくなって悪化するんじゃないかとさえ思う。
まあ閉鎖しろって騒いでる連中は、もし閉鎖されればそれだけで溜飲が下がるんだろうけどね。
それにしたって署名は無いだろうよ。
バカじゃねーの。
私がTRPGというものに触れてから、もう8年近くが経とうとしている。
元々幼少期から存在自体は知っていたものの、それはダンジョンアンドドラゴンズなどに代表されるファンタジー系のものだった。当時愛読していたライトノベル「フォーチュン・クエスト」の影響もあるのかもしれない。
だが、ニコニコ動画でクトゥルフ神話TRPG(以下CoC)のリプレイ動画が莫大な人気を博したあの瞬間、それまで見向きもしなかったであろう層が、斜陽であったTRPG界に一斉に興味を示した。
それはとても素晴らしいことだと思う。前述のとおり、私もその流れに乗って本格参入したクチだ。消費税が8%になる直前にはいろんなシステムのルールブックやサプリを買い漁った。
発展したインターネットとTRPGの相性もすこぶるいいもので、遠く離れた人ともツールを使えばリアルタイムにロールプレイしあえてダイスの結果を共有できる。冬の時代を現役で感じていない私のような若輩者が口にするのは何様だともなるが、いい時代になったなと今でも痛感する。
とりわけメインで参加しているシステムはやはりCoCだ。人智を超えた生命体への恐怖という題材が好きというのもあるが、それよりも大きな理由は「プレイ人口が多いから」だ。界隈が違えばまた変わってくるのかもしれないが、私の周りには大体みんなCoCを知っていて、それ以外のソード・ワールド2.0やピーカーブーなどに目を向けるとプレイ人口は冗談抜きで半分を下回る。なんなら「CoC以外はやりたくない」と言う層もいるので、布教すらさせてもらえない。チャイム越しに追い返されるセールスマンの気持ちがなんとなくわかるような気がした。
そんな弊CoC村だが、ここ数年でやたらと所謂うちよそタイマンが流行りだした。KP側の作成したPCと、PLが用意したPCが濃密な関係を組み、愛と勇気の力で宇宙的恐怖を退けるアレだ。
TRPGの遊び方というのは千差万別、卓の数だけ物語がある。それは重々承知しているつもりだ。
けれど、私にとってのCoCは本来特別な力を持たない(ほんの少しだけ生業への専門知識を持っているかもしれない)ただの人間の探索者が知恵を絞り不可解な謎に挑み、その先で神と呼ぶのもおぞましい存在に圧倒され自らの矮小さに慄くシステムだと自己解釈しているために、どうも首をひねらずにはいられない。
pi●iv製のシナリオを見てみると「突然意識を失い、目が覚めたら見知らぬ空間にいて、そこには囚われたor記憶を失くしたKPCがいた。脱出するにはKPCを犠牲にしなくてはならないが謎を解き明かせば二人揃って無事に生還できついでに二人の絆を証明するアーティファクトが手に入る」的なものが5件に1件くらいの確率でねじ込んである。その中でもシナリオ背景に「ニャル様が暇つぶしに二人を試しました☆」だけしか書いてないものを目にしたときは頭を抱えた。
いやもうそれクトゥルフ神話要素ほとんどないやん????バッドエンドで視界暗転する瞬間に「やれやれ、君たちにはがっかりだよ。さて、次のおもちゃを探しに行こうかな」だけ言い残すニャルラトテップ御大の化身だけでは????
いやそれだけでも出てくるのならまだいい方だ。中には「自作世界観を再現したので神格も宇宙的恐怖も一切関係ありません」なんてシナリオもゴロゴロ転がっている。それなら“クトゥルフ神話TRPG”のタグを付けないでほしいし回すKPも事前に告知してほしい。こっちはいあいあしにきてるのだから。
なんだか本題からずれてきている気がする。
うちよそ自体は否定しない。最初はそのつもりじゃなくても幾度か同卓をして交流を積み重ねた結果恋仲や相棒になったPCたちもいることだろう。
ただ、うちよそありきでキャラメイクをしシナリオを選びとなると正直もっとうちよそに適したシステムは世の中にごまんとあるわけで、ただでさえロスト率や後遺症を貰ってくる確率の高いCoCに向いた遊び方ではないと思ってしまう。
例えばネクロニカやダブルクロスなんかはPC同士でロイスや未練といった感情を伴った絆を結ぶことでクソデカ感情生成システムを生み出している。これらはファンタジー色が強すぎるが、現代日本ステージであるならばインセインはPCそれぞれに「秘密」が割り振られ、その内容がPC同士密接に絡み合っていたりする。
これら以外にも、もっとうちよそに向いたシステムがあるのに彼女らは尚もCoCに拘っている。神話成分が微塵も残っていない話でオタク好みする都合のいい展開にエモいエモいと泣いて有難がっている。億が一ロストの道を辿っても、今度は「ロスト探索者専用シナリオ」を用意してきて死の淵から蘇ってきてまでうちよそをしようとしている。もはや執念だ。
結局のところ、システムは二の次なのだと思う。感動的なロールプレイをしたためたいだけなのだ。そこまできてしまったのなら、もう“テーブルトークRPG”というジャンルよりも“なりきりチャット”の方がいいだろう。私も中学生の時にオリキャラなりきりチャット掲示板で長ったらしい割にはわかりづらいロルを回してはよその子と交流を深め恋愛関係を結ばせていただいたことが何度かある。あちらにはほぼ“判定”というものがない分、よりPLにとって都合のいい展開に持ち込めていいんじゃなかろうか。
ここまで書いて、ただの自分の好き嫌いで解釈違いというだけのクレームまがいな文章になっていることに自分で引いた。
タイムラインに流れてくる「CoCタイマンしてきた〜♥恋仲になりました♥」と心底嬉しそうな報告ツイートに、ふぁぼも祝電リプも送れない意地悪な自分に嫌気が差すし、かといって界隈から離れるには横の繋がりが多すぎて村八分状態になってしまうのが寂しいと抜かす、ただのかまってちゃんで我儘なプレイヤーだ。
あれからすっかり参ってしまって、TRPG用のアカウントにログインしない日が続いていたら10月頭あたりに学級会になってたらしくびっくりです。たいたい竹流さんまで言及する事態になってるとは…。
2ヶ月越しに意見を漁りまくってたんですが、賛同や理解を示してくれる人もいれば口出しせずに放っといてくれって人もいて賛否両論でした。そりゃそうだ。タイトルが攻撃的だったのが燃え広がった原因なのかな?
「合わないなら離れればいい」という意見をとても多く目にしたのですが、当記事に言及ぶら下げてくださってる方が仰ってる「居場所が侵蝕されたがそれだけを理由に切れるような浅い間柄ではない」ってのがまさにその通りで、だからこそ苦しかった。こんなグチグチした恨み言を書くような性格してるから必然的に友達も少ないし、その少ない友達がそんなことになってさらに孤立してしまったような気分になってしまったというのが本当のところで。
一度恨んでしまえば対象が何を言っても気に障ってしまう性分で、そんなタイムラインを見続けるのも精神衛生上良くないと思ってひっそりミュートしてたら今現在その界隈とは疎遠になり、晴れてぼっちになりました。万歳!!
いやね、元から書いてたんですけどシナリオを経た結果うちよそに発展するのは全然いいと思うんですよ。それも一つのロールプレイだと思ってますし、なんなら私にもそういうルートを辿ったPCがいます。
過激派繊細ヤクザすぎて言語化がひどく難しいんですけど、うちよそすることを大前提にキャラメイクしたり、ただダラダラと中身のない会話をするだけで生還報酬1d10貰ったり、初対面から仲良くなり喧嘩したりなんだりで段々と惹かれ合い告白し愛を深め身体を重ね合わせプロポーズして結婚式!って流れを全ッ部「クトゥルフ神話TRPGのシナリオ」にして経験してて、お前は24時間365日神話的事件に巻き込まれてんのか?っていうようなやつが本当に本当にダメで…そこまで神格に寵愛を受けてるのなら今頃ドリームランドか外宇宙へご招待されてるのでは?ってなってしまうんですよね。
言ってしまえばこれもただのいちゃもんです。私が嫌いだから見たくない!っていう近頃流行りの“お気持ち案件”です。当時元身内たちに言いたくても言えなかったフラストレーションが積もり積もってキレ散らかしながら書いた散文だし、こうやって拾い上げられて学級会の議題に据えられることなんて想定してなかったし。
けど、こうやって苦しんでたのが私だけじゃなかったことがわかったことはちょっとだけ安心しました。
書かれそうだから先に書いとこう
吉本興業のごたごたが、「パワハラ」と認識されたことで、よくわからない方向に向かってる。
「宮迫さんが、『反社会的な組織からお金をもらっていない』と嘘をついていた」から、
そのあとの吉本興業の社長の会見も、「ああ、この人ならパワハラをやりかねん」という印象が補強されたと思う。
宮迫さんと亮さんの会見以降、この問題が完全にエンタメ化したんじゃないか。
宮迫さんと亮さんのしゃべる姿は、かなり見応えがあるし、「超人気芸人が所属の大手事務所からパワハラを受ける」という、分かりやすくスリリングな内容だった。
ぶっちゃけ、「闇営業」とか、何が問題なのか、素人にはわかりにくい。
「半沢直樹」みたいなビジネステーマのドラマや映画でもよく取り上げられるし、
「パワハラやめましょうね〜」と、厚労省が啓発してて、広告が駅に貼ってあったりする。
そして、かなりの人数のビジネスパーソンが、上司から理不尽なことを言われたりして、鬱憤が溜まっている。
パワハラのムカつき、イラつき、憤りはかなりの人数の人が容易に想像できるし、共感できる。
その事象の悪質性が高いから話題になるんじゃなくて、「あー!俺もわかる!」「それ、腹たつよな!」と、共感できる話だから、話題になってるんだなと。
「闇営業の話はどこ行ったんじゃ?」と突っ込まずにはいられない。
「本当かどうか」「より重大かどうか」みたいなことはどうでもいいのだろう。
そもそも、あの会見だけだと、宮迫さんと亮さんが言ったことが本当かは、見ている一般人にはわからないじゃないか。社長の発言の録音もないわけだし。
ほぼ時を同じくして、吉本ほどではないけど、炎上したのが「レペゼン地球」の「パワハラザホルモン」
DJ社長が所属タレントのジャスミンにパワハラをしたと、グループぐるみで自作自演をした件にも、通じる部分があるなと思った。
「本当にパワハラを受けた人の気持ちを考えろ!」と、憤っている人もいるが、
本当にパワハラを受けたのなら、Twitterに書き込まずに弁護士や労働組合など、然るべき機関に相談すべきじゃないのか?
昔は、ひろゆきが「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言っていたが、
日本国民の大半がネットユーザーになったことで、「ネットに書かれた情報には嘘が含まれる可能性がある」という大前提を忘れてしまったんじゃないかと思う。
レペゼン地球が打ち出した炎上商法はとても示唆に富んでいると思う。
「嘘かどうか」よりも、「共感できるかどうか」で、善悪、真偽を判断してしまう人が増えすぎたことを茶化しているのだと勝手に推測している。
レペゼン地球が、「パワハラ」というテーマを扱ったのも、このテーマが共感性が高く、話題になると踏んだからだろう。
さらに、Twitterで告発、ネットメディアが本人にアプローチして話を聞いたことを記事化するという流れもここ数年で定番になったが、
レペゼン地球のDJ社長に対するパワハラ告発を受け、ネタバラしの前にメディアがDJ社長本人に取材していたが、そこでDJ社長はパワハラの事実を認めていた。
メディアの「裏どり」も結局は本人にコンタクトして「やったんですか?どうなんですか?」と問いただし、
本人が言ったことをそのまま文章にして流しているのだから、それはTwitterのスクショを貼るのとあまり変わらないだろう。
レペゼン地球の自作自演に胸糞が悪くなった人が大勢いたが、その理由は「自分が騙された」ことをはっきり示されたことと、「ネットで告発」を否定されたことだろう。
「ネットに嘘が書いてある」なんて、正直めんどくさくてしょうがない。
毎日流れてくる情報が多すぎるから、もっと楽して情報を摂取したいし、いちいち「これは本当か嘘か」なんて考えることはとてもしんどい。
だから、ネットの住民は、ネットに書かれていることを、いとも簡単に信じて、憤るようになったし、
「本人が声を発して喋っている」というだけで信ぴょう性が勝手に爆上がりする。
警察などの専門の機関が調べたことよりも、ネットにただ書き込まれたことの方を信頼しているようにも見える。
さらに物事の良し悪しが「共感できるかどうか」で判断されてしまうので、有名企業のパワハラを告発されたら、「悪質だ!」と一気に吹き上がるが、
無名の中小零細企業のパワハラを告発しても、宮迫さんほどの有名人でも大手企業所属でもない限り、問題にする人は少ないのではないか?
そんな民衆によるあやふやな判断基準で、本来社会的な制裁を受けるべきではない人が、炎上したことで職を失ったり、社会的な信用を失ってしまう。
「ネットで告発」の危うさを、レペゼン地球は再認識させてくれたのだと思う。
ネットでこれだけたくさんの人が書き込んでいたら、自分の保身のために「ネタバラし無し」のガチな嘘をつく人だって、大勢いるはずだ。
より重大で深刻なのは、そういう嘘の方ではないのか?
「民主主義は多数決である。よって、少数民族を皆殺しにして財産を没収する法案は多数民族が多数を占める議会で、賛成多数で可決されました」
……のようなことはあってはならない。だが、残念ながらこのような政治が行われた例は多数ある。
(暴力装置をもった政権が実際にこのようなことをした時に現実的にどこまで阻止できるか、というのは難しい問題である。
だがそれとは別に、『少なくとも理念としては、あってはならないことだ』という点は強調しておく)
そのような事態を防ぐために憲法が制定され(厳密な成文憲法を持たない英国のような国もあるが)、
『犯罪に対する刑罰を含め、法律によって国民の権利を制限する際はこのような手続きを踏まなければならない。
また、このようなことをしてはならない』ということが定められているわけである。
1つは、『多数決民主主義』と呼ばれるもので、『手続きに沿って皆が意見を出し合った上で(ここ重要)、最も良い意見を選ぶためにある』というものだ。
民主主義は多数決ではないとは書いたが、実際には多数決を行わざるを得ない状況があることは否定できない。
ただし、『何でもかんでも多数決で決める、それ“だけ”が民主主義』ではない、というのが表題の意味だ。
もう1つは、『熟議民主主義(または討議民主主義)』と呼ばれるもので、
『世の中にA,B,C,Dの意見を持つ人がいるとき、その代表者たちが議会で熟議を重ね、皆が納得するEという結論を出すために議会はある』というものだ。
この2つの考えはどちらが正しいというものではない。議題によって多数決よりになることもあれば熟議よりになることもあるが、2つともが議会の役割である。
多少の誇張を含めて言うのであれば。杉田水脈は『ホモフォビアの人の代表』である。
現在の世の中には、ホモフォビアが存在する。それは自明の事実だ。
そのような『ホモフォビアの人の意見を、メディアでは取り上げません』というのはできるかもしれないし、
『ホモフォビア的な内容を掲示板やSNSに書き込むことを禁止し、削除させます』というのも、もしかしたら将来は何とか可能になるかもしれない。
だが、『選挙の立候補者が政見放送や選挙公報でホモフォビア的な主張をすることを禁止します』というのは政治的に困難だ。
それを可能にすると、次は反安倍政権的な内容が規制されるかもしれないし、逆に反移民の主張が禁止されるかもしれない。
ましてや、『あなたはレイシストだから選挙権も剥奪します。投票できません』などということは二重の意味で絶対にするべきではない
─1つには人の内面を、言動に現れていない部分まで正確に読み取る技術は存在していないし、2つ目にはアウシュビッツ博物館の”差別心を持たない人の扉”が示すように、差別心の無い人はおそらく存在しないからだ─。
だからこそ、ホモフォビアの人の代表として『俺たちの杉田水脈』が議席を持っている。
同時に、杉田水脈が議席を持って活動しているにも関わらず『俺たちの杉田水脈の主張するホモフォビア政策は議会で通らなかった』という事実こそが、
『我が国にもホモフォビアはいますが、そのような政策は実現されません』という何よりの証明になる。
『そうではない。市民の代表がホモフォビア的な主張をすること自体が、同性愛者に対する圧力になるからそのような主張をさせるべきではないし、そのような人を議会に送るべきではない』
という考えの人もいるかもしれない。だが、そのような“政治的に正しくない”意見を遠ざけていった結果がトランプ現象を生んだという事実を我々、特に“リベラル”な人たちはきちんと受け止めなければならないのではないか。
id:quick_past だから例えば殺人を犯す自由を、意見の自由、多様性として認めるのかって話でしょ。政治の場においては公共性社会性が上位に来るはずで、そこを無視した話なんてもう中学生で卒業しておくべきこと。
まさにこの意見なんかが典型。公共性社会性に欠ける有権者も大勢いるけど、そういう人を排除したら民主主義ではない。
『公共性社会性に欠けるような意見』を『政治的に正しくない』と緩やかに退場させていった結果、逆にそういう意見を持つ人たちにとって『トランプこそ俺たちの代弁者』になったという話ですよ。
つらいよ、はてなの見出しみるのが。犯人がアニメに人生をかけていたのかはわからないけど、スマホやPC画面を見つめてSNSや掲示板に感情をぶつけて、こんな犯行に至ったのだろうか。この人を殺したい、ではなく、対象が肥大化しているのが怖いよ。彼にとっては命を削られるような痛みがあったのかもしれない。だけど、想像力があまりにも欠如してるよ。自分の痛みを主張することと、相手に与える痛みが釣り合ってなさすぎるよ。それが釣り合ってないことを教えてくれる人は周りにいなかったのかな。こんな人にどうすれば止められるのかもわからないし、巻き込まれた方々の命を考えたら、何だか気持ちが落ち着かないよ。つらくて悲しくて無気力にさせられてしまうよ。
hagexの事件も、今回の事件も(まだ確定してないけど)共通してるのは犯人が荒しだということ
昔、ある掲示板荒らしてたけど、単純に相手にされたかったんだろうなって今ならわかる。
なんというか、意図的にスルーされてるんじゃないか?とか嫌われてるんじゃないか?という気持ちが湧いてきて、
荒らしちゃったんだよねぇ。
根本にあるのは寂しさだったと思うよ。
Newsで見ました。
僕自身、中学校時代に、いじめっ子になったこともあるし、いじめられっ子になったこともあります。
いじめられっ子になるときは一瞬で、ある朝投稿すると、皆が一斉に無視してきたりするんですよね。
あれ?先週まで仲良く話してたのに...と。
僕は、僕が教室に入った瞬間、全員が出て行ってひとりぼっちという日々もありました。
今ほどSNSが発達してなかったから、掲示板に悪口書かれるくらいだったけど。
中学生時代は、中学校が自分を取り巻く社会の全てだから、すごく辛いと思います。
学校にも行きたくないだろうし、酷い言葉を投げつけられたら苦しいと思う。
気にするなって言っても気になるだろうし、頑張れと言っても頑張れないと思う。
もしそんな中、少しでも状況をどうにかしたいと思うなら、
ハブるとかのいじめは、空気のようなもので、流れというものがあります。
今は、誰々がハブられる時期、みたいな感じです。
今は苦しくて辛いだろうけど、この課題に向き合うのではなく(時期的なものなので向き合っても解決しないと思います)
できれば、勉強を頑張って、すごく良い成績を取れるようにした方が良いです。
あなたを取り巻く環境以外で、世界にはもっと素晴らしい環境がたくさんあります。
誰かをいじめのターゲットとしてハブらないと繋がれない弱い人間の集まっている環境は、あなたの居るような場所じゃないです。
今、周りと繋がっていない時間を勉強に費やして、もっと良い人達が居る環境に行けるようにした方が良いと思います。
いじめられたら悲しいというその気持ちは今後の人生でずっと心に留めておいてください。
言葉が人を傷つけるということ、ハブることは相手に酷い苦痛を与えること、
そういうことを知って、優しい人間として生きていってください。
大人になったら、中学校時代にいじめられていたことなんて、1つの経験でしかありません。
今は辛いかもしれないけれど、もっと良い環境に行くことをオススメします。
最後に、お父さんが、#みんな助けてって、Twitterで呼びかけてるのは、かっこいいですね。
そういうお父さんが居てくれることが、あなたの人生の誇りだと思います。
あまり人に見せたくない状況を、きちんと話せるご両親との関係を尊敬しています。
良いご両親ですね。
今は辛いかもしれないけれど、
その時間の使い方さえも、あなたの意思決定次第で変わるし、今後の人生にとって、
この出来事をどういうものにするかも、あなた自身の行動で変わります。
【概要】
『遊戯王』の原作者こと高橋和希(以下高橋)がinstagramに当作品の主人公やモンスターに政治的主張をさせる画像を投稿し炎上、結果謝罪した。
一言で言うと「残念」という感想だが、この出来事の争点となぜそう思ったかについて少し遅れたが述べる。
なるべく、遊戯王について全く知らない人向けに書くつもりである。
争点は3つあり、以降(A)〜(C)と略す。
(C)政治主張の中身
(A)について
日頃から増田やSNSで熱く政治を語る人には理解しづらいことであるが、娯楽の世界に政治を持ち込むことは基本的にそこの住人に嫌悪される行為である。
SNSや掲示板にある遊戯王のコミュニティでは、当然遊戯王が好きな人が集まりカードやアニメについて語る。
政治思想が対立していてる人達でも笑い合える。それが遊戯王やその他娯楽の良さで、娯楽に触れる時くらい政治とは一旦距離を置きたいはずである。
しかし、政治が絡むとそれについての話がヒートアップし、コミュニティで遊戯王の話ができなくなってしまう。政治が絡むと思想を問わず平気で汚い言葉を吐く人がやってきて、不快な思いをする人も増える。この2つが厄介。
だから政治を持ち込んでほしくなかったが、よりにもよって原作者の手によって遊戯王=政治のイメージがベッタリと付けられてしまった。高橋がただ政治主張を述べるだけなら問題なかったが、キャラに言わせたことで『遊戯王』を巻き込んでしまった。
「政治に興味を持つ遊戯王ファンが増えていいだろ」と思う人もいるだろうし、高橋の意図もそれだったのかもしれないが、前述の通り「娯楽に触れる時くらい政治とは一旦距離を置きたいものである」。
これが残念と思う理由の1つ。
(B)について
これが1番大きな問題だと思う。
『遊戯王』の世界観は「古代エジプト」「ゲームで勝った者こそ正義」で「現代日本の政治」とはおおよそかけ離れたものである。
独特な世界観で現代日本を風刺する描写も少なく、それが20年以上続いていたのである。
そのような世界観のキャラに日本政治に関する主張をさせるのは、長年積み上げてきたキャラのイメージを損なう行為としか言いようがない。
ここで、1つの言葉が課題となる。「キャラをどうしようが作者の自由」である。これを主張する方がとても多い。
まず言っておくと、この言葉自体は正論である。キャラの性格や展開をどうしようがそれは「作者の自由」かつ「表現の自由」で、禁じられた行為ではない。
ただ、自由を行使した結果キャラが崩壊したことに不満を持ったのである。不満を持っただけで止めさせる権利が無いことも分かっている。
別の物事に例えるなら、「この漫画は面白いけど最終回は微妙だった」「この映画は続編でつまらなくなった」「クールな女性キャラが別作品で主人公の父親にベタベタの愛人と化していた」という感覚に近い。
この3つの例えも当然「作り手の自由」であり、受け手がそれを止めさせる権利は無い。ただ、このような事態に遭遇した人の多くは何かしらの不満を述べるだろう。
それと同じく、キャラ崩壊に「残念」等の感想を述べる権利だってある。これも「表現の自由」である。
これに関し、『遊戯王』に愛着は無いけど高橋の主張に賛同する人達が平然と「作者の自由、嫌なら遊戯王やめろ」と言う光景を見て、非常に残酷で冷たい人達だなと思った。
「嫌ならやめろ」は正論ではあるが、1つの物事(今回は遊戯王)が好きな人にその言葉を使うのは、物事とそれを愛する人を切り離そうとし相手を大きく傷つける行為である。それを言っても相手は傷つき悲しむだけで、決して政治に興味を持ち高橋の主張に賛同するなんてことは無い。
逆に、そんな残酷な事を言う政治に熱心な人達やそれらが集まる政治の話題そのものを忌避するだけである。だから「嫌ならやめろ」なんて言ってほしくなかった。高橋の主張に賛同するなら、もっと言葉を選んでほしかった。
自分の好きな作品が似たような目に遭っても、「これも作り手の自由だから」と割り切る人がどれほどいるだろうか。そこで「嫌ならやめろ」と言われた時、素直に去ることができる人がどれほどいるだろうか。
(C)について
キャラに言わせたことは一旦置いといて、高橋の主張内容について。
まず政治主張は表現の自由や思想・信条の自由で認められていることであり、高橋も例外ではない。
1つ、日頃から熱く政治について語っていると感覚が麻痺しがちだが、高橋が使った「独裁」と「売国」は「過激な言葉」で、無垢な人がそれを聞くと大抵「引く」。
高橋の目的が「ファンに投票を呼びかけ、ついでに自分の政治主張を支持してもらう」だとしても、その2つの言葉を使うと無垢なファンが引くだけなので、もっと別の言葉を使うべきだった。
長年クリエイターをやってきた高橋なら主張の趣旨を変えることなく、経済・税金・年金その他いくらでも「過激ではない言葉」を選べたはずである。
最後に
高橋は最終的に、「キャラクターに政治的表現をさせてしまった事、ファンの皆様に深くお詫び申し上げます」という謝罪をした。
ここで謝罪しているのは「キャラに政治表現をさせたこと」、つまり(A)と(B)で、自分の政治主張の中身まで謝罪したわけではない。
高橋の政治主張は保たれたままなので、謝罪としては悪くない内容である。
もう1つ、「むりやり謝罪させられた、謝罪すべきでなかった」という意見に対して。
こちらの意見を言うと「謝罪して正解」で、謝罪には炎上を抑える効果があり(A)によって荒れたコミュニティを速やかに戻してほしいからである。
政治に熱心な人には分かりづらいことかもしれないが、政治思想抜きで楽しめるコミュニティと共に育ったジャンルにおいて、その輪を荒らすことはたとえ原作者であっても反感を買うのである。
最初に断っておくと別に自民を応援している訳ではないし別に好きではない。(消費税増税とか統計問題とかでむしろ不支持より)
自分はテクノロジー系からはてな見始めたので、政治トピは今まであまり見ていなかったのだが、
改めて見ていると明らかに民主応援のコメント多いしスターもたくさんついている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/521246134209479777
気になったんで、他の掲示板系をいくつか5chやヤフコメ見ていると
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190709-00000095-kyodonews-pol
いろいろ調べているうちにSNSやっている人のほうが与党への支持率が高いみたいなの記事も。
https://www.asahi.com/articles/ASL7H5Q0HL7HUZPS009.html
明らかにはてなだけ民主系によっている気がするのだけれどもこれはなぜ?