はてなキーワード: 性的虐待とは
私は29歳の男性、自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。
中学の時、アンデルセンの自伝を読んで、親を殺した17歳の少女が恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。
それ以来、若い女性や子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起・射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である。
・古代ローマでキリスト教信者の女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。
・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌスの10歳の娘が、「処女は処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。
・近現代のイランでも、若い女性が処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。
・戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法で処刑された話。
・清朝で、反乱を起こした20歳の女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑(公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。
・19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗や放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップが発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法。体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。
・現代のイランで、若い女性がクレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。
・18~19世紀の西欧や日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的に献体され、特に女性が男性医師に興味本位で性器や子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。
・性的なポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。
・20世紀のアメリカで、14歳の黒人少年や16歳の黒人少女が電気椅子で処刑され、少女は強制的に献体させられた話。
・アメリカの猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供を対象とした残虐な殺人事件。
・コンクリート詰め殺人事件や台湾の白燕燕ちゃん事件、ルーマニアの女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性がいかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。
・現代における女性死刑囚と、その死刑執行のニュース。最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体を全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。
・中国の若い女性が死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真。1990年代~00年代に自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。
こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起・射精する。おそらく、一人の人格(女性・子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。
宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生の最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ。
死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分を死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。
精神科医に簡単に話したことがあるが、「性癖は治療の必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢や暴行、動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。
しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。
誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰のネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。
スーパーの精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人や子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜の飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレに殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。
私は死にたいのではない。でも生きていても空虚でしかない。自分を殺したい。命乞いする自分を無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?
多重人格というのは中二病を刺激するらしく、自称多重人格というのも結構いるらしい。彼女の場合は出来るだけ隠そうとしていたし、他の人格も俺が接触するまでは話そうとしなかった。精神的にノーマルじゃない事で、嫌われたり変わり者扱いされるの事を嫌がっていた。気持ち悪いと思われるんじゃないかと言っていた。俺の方はというと、これを聞いたからといって気味が悪いなどと思うよりもむしろ好奇心が勝っていた。昔ドキュメンタリーで見た事ある、多重人格というやつ、どんなものかもっと知りたい。もしかしたら他の人格とも付き合えるかもしれないという平和な事も考えていた。結局は他の人格ともエッチしたりする仲になるのだが。
彼女は所謂メンヘラでもあって、手首には無数のリスカ跡があった。つらいことがあった時、消えてしまいたい、自分なんかいなくなればいいのにと思った時に自分の血を見ると落ち着くらしい。過去に俺の眼の前でカッターで手首を切ろうとしたかまってちゃんはいたが、リスカ跡を見たのは初めてだったので最初は衝撃的だったし、手首を切るのは辞めるように説得をした。ただ強要するのは余計ストレスになって「自分はダメな子だ、いらない子だ、手首切ろう」となってしまうようなので、なるべく落ち着くように「つらい時は話を聞くから、切るのもしょうがないけど、なるべく減らしていこうね、傷も浅いうちにやめようね」と諭すようになった。俺と付き合うようになってほぼ毎晩Skypeで会話していたし、気持ち的に落ち着くことが多くなってリスカの回数はだいぶ減ったようだった。
別の人格が元彼と話をしていると言っても、気持ち的に納得できない俺は、その人格と話をさせて欲しいと要求した。彼女はミユキと名乗った。少し話してみたが、確かにチカとは雰囲気も大分違うし、なにより俺に全く心を開いていなかった。「僕は大人の男の人は嫌いだから」彼女はボクっ娘だったのだ。という事は置いといて、事あるごとにミユキは俺を好きじゃない、信用しないと言った。そして話の中で、さらに別の人格ナツの話が出てきた。
「他にも人格がいるの?」
「ごめん聞かなかった事にして、チヒロがテンさんに知られる事を嫌がってるから」
「チヒロ?」
「チカの普段の人格の事。僕らはチヒロって呼んでる。でも他の人に呼ばれるのは嫌みたいだから、テンさんはチカって呼んで欲しい」
チカは戸籍上の名前、普通の人で言うところの実名だ。この時は何故チカが他の人格の事を知られるのを嫌がっていたのかさっぱりわからなかった。どうやらそんなに普通の人と変わらないよ、私は変人じゃないよアピールだったらしい。彼女たちは記憶を共有しておらず、考えることはバラバラだし趣味趣向も異なるようだ。精神年齢もそれぞれ違う。ナツはまだ子供だった。俺はこの時ネットで解離性同一性障害について調べて、
「この病気を治してあげたい、人格が統合できるように説得してみよう」
等と考えていた。まだまだ解離がどんな病気なのか、全く分かっていなかった。
読者の皆さんも「ジキルとハイド」の名前は聞いたことはあるだろう。俺も読んだことはないが、二重人格で別人格になった時に殺人事件を起こすという話は聞いたことがあった。ずいぶん不思議なこともあるもんだと思っていた。多重人格のドキュメンタリーでは、一人の人間の中に人格が10以上いること、それぞれ筆跡も違うし考え方も違う、統合はじっくり時間をかけて行う、患者は幼い頃性的虐待に遭っていることが多いなどの説明がされていた。このドキュメンタリーを見た時には性的虐待とどうして結びつくのかよくわからなかった。
幼い頃、まだ人格の形成が完了する前に継続的に性的虐待を受けると、虐待のストレスから逃避するため「これは私じゃない、今虐待されてるのは自分じゃないんだ」と思い込んで逃げることがあるらしい。これを何度も繰り返すと、脳が虐待体験を自分の記憶として保存することを拒否する。そして自分が今ここにいないような感覚になったり、ある期間の記憶がなくなったりする。これが解離性障害と呼ばれる症状らしい。その記憶は完全に消えて無くなったわけではなくて、その記憶を持っている部分が普段の自分とは違う人格を形成し始める。それぞれの人格は記憶が違う、つまり経験していることが違うので、いろいろなものに対する考え方も異なるし性格も違う。それだけではない。虐待から逃避するために生まれた人格は虐待に対してつらいなどの感情を持たない。そういう感情を抱かないことによって、虐待に耐えるという精神的なテクニックなのだ。小さい頃にこの能力を獲得した人は、成長してからもつらい事があると解離して人格を生み出す事がある。
生まれ持った最初の人格の事を基本人格という。この基本人格が生活の基盤になっていてつらい時に他の人格が出る人もいれば、基本人格は引っ込んだままで普段の生活は別人格が行っているという人もいる。人格同士は基本的に記憶は共有しないのだが、他の人格が表に出ている時に頭の中で起きていて、外で起きた出来事を他人事のように見てる時もあれば寝てる時もあるという。人格にはそれぞれ役割分担や能力分担があるので、人格によっては他の人格の記憶を一部のっとったり、突然身体の支配圏をとって行動したりできるものもいる。人格間の会話もできるものもいれば、存在するのはわかってるんだけど探しても見つからない子もいる。
チカは小さい頃、よく記憶が飛んで自分が何でここにいるのかわからない事があったという。それがチカにとっては当たり前なので、てっきり周りのみんなもそうだと思っていたがだんだん人と違うことに気がついたそうだ。中学校でいじめに遭い、鬱を患ってから心療内科に行くようになり、医者と相談しているうちに「記憶がないのは解離性障害、他の人格がいるのは解離性同一性障害といい、他にもこういう人はいる」という事を知るようになる。そして治療を続けてるうちにチカに協力的なミユキやナツとは会話ができるようになり、お願いして意図的に人格交代することができるようになったようだ。
家の中で性的虐待があった。妹と父親との間の性行為なんだけど。それを3年前に知った。
そういえば、中学生のときとか、父親からいっしょに寝ようと誘われることが度々あって私は断っていたけれど、妹には「一緒に寝てあげたら?」と言ったりしていた。そうすると父の機嫌がよくなるので。
母親や祖母やほかのきょうだいは妹が嘘をついていると言っている。私は嘘だと思わないし(嘘ならいいんだけど)、暴きたくもない。
そういう対応や反応をみると本当に腹が立つけれど、自分がしてきたことがあるのでしょせん同じ穴の狢だなとも思う。
妹も私ももうとうに成人しているし、事実自体は最初にも書いたように3年前から知っているけどどうしたらいいのか、感情的な結論ととるべき行動に自信をもてない。妹へのこの申し訳なさは自分のエゴなんだろうか。
JK1ですが愚痴っていいですか?
いやあ本当愚痴ですよ。
まずな、俺は処女だけどさ、
高校生がセックスしたら「おめでとう」ではなく「何だこのクソビッチ」とか「高校生の癖にふしだらだ」とか言うの止めていただけませんか。
こんな世の中で「若者さんよバンバン子供作ってね!(後は勝手にしろ)」とかよく言えるな。
まずはそこからだ。10代の出産に対しての風当たりが強すぎる。
最悪相手捕まるとかどういうこと。
あと児童ポルノ規制やめろ。高校生でも自分の意思でグラビア出たりとかしたいよ。俺がそう。
https://www.npa.go.jp/safetylife/syonen/no_cp/
>児童は、性的虐待や性的犯罪の被害を受けただけでなく、その姿が記録され、形として残されてしまいます。
>一旦流出すると、インターネットを通じて世界中に広がり、完全に消し去ることは困難となり、児童に消えることのない苦しみを与えます。
成人女性のAV女優とかでもこういう事例あるのに、児童を異常に特別扱いはおかしい。
>児童を性欲の対象としてとらえる風潮が助長され、児童一般を他の様々な犯罪に巻き込む危険性を高めます。
>児童ポルノは、幼児から中・高校生等の青少年まで幅広い年代が被害者となっていますが、特に、抵抗するすべを持たない小学生・未就学の低年齢児童の児童ポルノ、約5割が強姦・強制わいせつの手段によって製造されており、絶対に許されません。
性的虐待に限らず虐待するような親をただ糾弾するんじゃなくて受け皿作れって。
何人も18歳未満の者(以下、「児童」)に対する性行為、性的接触、性的搾取及び性的虐待並びにこれらに準する行為をしたいという志向・思想を抱いてはならない。
児童が上記の行為をされている、又はされている様な表現が含まれていると看做されるポルノは、これを全面的に禁ずる。
○写真・映像の場合、被写体・出演者の年齢・性別を問わず(例えば成人男性が女子児童としてポルノに出演した場合も)禁止の対象となる。
○CG、イラスト、絵画、彫刻、漫画、小説、アニメーション等によって、擬似的に児童への性行為等を表現したものもこれに該当する。
これらに該当する児童ポルノを製造・譲渡及び所持した場合、法律により摘発及び後述の施設入所義務の対象となる。
更に、全ての成人した国民は、定期的に国の定めた小児性愛検査を受ける事を義務付けられる。
検査により小児性愛者と判断された者や、上記の児童ポルノに関する規定に違反した者は、性癖矯正施設への入所を義務付けられる。
矯正施設へ入所した者(以下、「入所者」)は原則として施設に矯正が完了したと承認され出所するまで外出をすることはできない。
入所中は主に以下の行為が禁じられる
○児童の写真、絵やイラストが載っている書物を所持する。児童が出演している映像・番組を視聴する。
○その他、施設の許可を得ずに外出する等、施設が定めた規則に反する行為。
やむを得ず入所中に外出の必要がある場合、入所者は厳粛な条件の下で許可を得た上で指定時間の間だけ監視員の同伴で特別に外出が可能となる。
施設外での用事が完了したら、その時点で指定外出時間にまだ余裕がある場合でも速やかに施設に帰宅する。
・半径5m以内に入る。
・話しかける。声をかける。
・写真を撮る。
○児童の教育施設(幼稚園・保育園・小学校・中学校・高等学校等)の敷地内のみならず、付近1km以内に立ち入る。
○その他、指定された時間以上外出する等、施設が定めた規則に反する行為。
尚、入所者が上記の禁止事項に触れる行為を行った場合に於けるその場の処置については監視員の判断に委ねられる。
また、小児性愛者と判断された者が施設への入所を義務付けられたことにより生じた損害・不利益等はその責任・賠償を政府又は施設に問う事は一切できない。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645
まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通の女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。
さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約の批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかもまとめサイトの見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲームや漫画の販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。
まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議や国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的な批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家の代弁者が集う場ではないということだ。
また定例報告会とあるように日本だけが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドやスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。
そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用や年金での男女格差など複数の議題があったものだ。
この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。
話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。
冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。
妄想は自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。
その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。
中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別な意見という感じではなく、ごく普通の感覚と言えるだろう。
しかしこのような普通の感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。
憲法で保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件でわいせつの定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由の大前提にある。
近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。
定義そのものは変わらないが社会の変化とともにわいせつの要件に合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人にしろ悪徳の栄えにしろ現在は文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。
怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現は規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快だからという理由で規制してしまうことは表現のみならずあらゆるものを違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。
先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法な出版物として流通そのものを禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。
現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現そのものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政も出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。
コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近もコンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社や広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体が不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物そのものを禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトでしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体が存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会の見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分の不快なものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?
そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。
筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人は矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別や亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。
特にこれは性的嗜好という、教育的思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。
いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格を倫理的かつ道徳的に操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者の人格を一方的に精神疾患と判定するという独善的な思想を治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。
現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。
まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者に適用されないことが問題視されているように男性の女性からの性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性の性的被害より深刻である。さらに女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査で女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身は陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。
このことから
や
などの言葉に一切重みを感じられない。
筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲームの表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見も自身の嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」
を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である。
まず第一の
被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者の定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者だから作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職が大統領だから実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装も人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。
第二に
は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性の定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。
第三に
これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者の定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的な判断でなくてはならない。
仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるものが規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性を性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのものが性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性は純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性が現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。
そうやって限りない規制を繰り返しついに女性を性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さらに不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのである。たかが創作表現で描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。
人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。
程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近も児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準は法律に存在しないということだ。
最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。
筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たかが創作物というものに負の感情を根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?
自身が自由でありたいと思うのならば、他者の自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身の負の感情を理由とする個人的要求を、同様の理由で合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。
世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。
しかしコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。 Permalink | 記事への反応(3) | 09:02
http://anond.hatelabo.jp/20160207011039
『男女の性欲の質が違い過ぎて議論が噛み合わない罠』
つらいけど真実の一端があるのかなとも思う。
男の価値が経済力だけというのも極論を言えば正しいかもしれない。
触られたくないところを触られたような印象があった。
私も幼い頃は父が大好きで
ああでもいま思い出すとウゲッと気持ちわるくなることもあった。
ほらオチンチンだよーとか言って私に握らせようとしてた。
なんていって石けんで泡作ってペニスに乗せて遊んでた気がするけど。笑
べつにこの程度なら性的虐待ではないと思う
けど気持ちわるいことには違いない。
脱線したけどそれはともかく
両親はとなりの私の部屋に聞こえるくらい大声で口げんかしてて
私は精神年齢の成長が早かった(ようするにエロ耳年寄だった笑)ほうなので、
両親の派手な口けんかの内容をなんとなく理解できたんだけど
ようするに母は私を産んだあとに父とまったく性交渉をしていなかったらしい。
お前がやってる家事なんて家政婦やとえば済むことだぞ!とか
まあけんかがエキサイトしてるときの言葉尻をつかまえてもしょうがないけど
とにかく母が体を許さないというだけで
と心の中でちょっと苦笑してた。
でもこれって父にとっては深刻な問題だったとおもうんだよね。
それは承認欲求であって性欲ではないと指摘する人もいるとおもうけど、
承認欲求と性欲って複雑にまざりあってて簡単にはわけられないと思う。
私も交際相手が自分を求めなくなってきたらそろそろ関係も潮時かなと心配になる。
本当は65歳くらいまで一緒にいた方が法的に何か有利だったらしいけど
とにかく私が社会にでるくらいまでの間はおたがい我慢しようと
その間はおたがいに何をしようと関知しないということになっていたらしい。
自分も中高生になってからは父親とまったく会話しなくなってたし
上に書いた性虐待?とけんかの記憶もあって父=汚らわしいと思っていた
結果として父は家庭ではまったく喋らなくなっていた。
少なくとも外見は人付き合いのいい人だったから女性にモテただろう。
たぶん父はそのあとも不倫してたのかもしれないし、
あるいはセックスワークのお世話になっていたのかもしれない。
その手や口で家に入ってたのかな、と考えるとゾワゾワするけど
母は典型的な箱入りで育てられたと自分で言ってたから、そのせいか
出産のためにはしょうがないと父と関係を持っていたのかもしれないし
父にふつうに恋してたのかもしれない。
まちがいなく父は母が知っている唯一の男性だ。
どちらにしろ自分が生まれてまもなく両親の関係は冷えはじめていて
母は父に体を許さなくなっていたし、
父も子供という責任?重荷?がなければいつでも離婚したかったのだろう。
定年退職の1週間後に別れを切り出した。
おそらく父はもっと早く別れを決意しただろう。
だけの味気ないものとは信じたくないと思う
私も信じたくはない。
そこにどんな美しい信頼関係があったとしても、
おたがいの汚い部分を許しあう関係を築きたいとは思う。
でも私には明らかに性(的接触への)嫌悪があって
私の「性欲」には男性に触れられることより
精神的・経済的に支えられたいという身勝手な気持ちがまざってるから
私の手を握ることもキスすることもなく常にそばにいて
自分が落ち込んだときやイライラしたときに支えてくれる男性がいるなら
それに越したことはない。
でもいままでの少ない恋愛経験でもどんなに優しそうなパートナーでも
これからもそんな人は現れないにちがいない
ごめん、たぶんそれが女の「性欲」だと思う。
女性の身体的魅力や男性の経済優位性?が関係ないと言い切るのは
あまりにも現実を無視した理想化された男女関係じゃないかと思う。
そう思い知らされた。
30過ぎのデブババアだが小さい頃性的虐待にあった事を話そうと思う。
今でこそ私は行き遅れで電車で男の隣に座ると舌打ちされるような容姿だが
20年近く前は痩せていて一重ではあったが見た目は普通だったと思う。
私の家の近くには公園があり、当時ちょっと男の子っぽい遊びが好きだった私は
男の子たちと公園でよくポケモンをしたりサッカーをしたりしていた。
いつも一緒に遊んでいるAが突然
「おい、みんなでベンゾー退治に行こうぜ」と言い出した。
私は一瞬ベンゾーとはなんのことか分からなかったがAの
街の平和のために頑張らねばと思った私達は近くの寺に現れると言う
ベンゾーを倒しに寺に向かった。
寺につくとAは「上にいると思う。棒持って来い。」と叫び境内に
登っていった。境内につくとAは「ベンゾーだぞ!戦え!」と叫び
Aと残りの3人はベンゾーに棒で殴りかかった。
A達3人はびっくりして逃げ出したが、私は逃げるときに躓いて転んでしまい
足から血が出て思うように走れなかった。
A達はすでに一目散にどこかに逃げ出しており、境内にはベンゾーと
私だけになってしまっていた。
私はAたちに見捨てられたこととベンゾーに対する恐怖から泣き出しなてしまった。
その間にもベンゾーはこちらに近づいてきて私の近くに立った瞬間
頭を撫でられた。「ほらなくな。足の周り抑えると痛くないぞ。」と言いながら
近くの水道まで私を運んでくれて傷を洗ってくれた。
翌日Aに何故ベンゾーというのか何故ベンゾーは悪いやつなのか聞いてみた。
Aが言うにはメガネをかけているからベンゾーでAの母親がベンゾーは働いておらず
そのうち犯罪を犯すかもしれないとAに言っていたらしい。
Aはそれを真に受けてベンゾーは悪い奴だと思ってたようだ。
私がベンゾーは悪いやつじゃないと伝えると5人で謝りに行こうという事になって
一緒に謝りに寺に行った。その日もベンゾーは寺におり、空を眺めてぼーっとしていた。
最初に私がみんながあやまりたいと思っている事をベンゾーに言うと
ベンゾーは嫌な顔をしていたがなんとか許してくれた。
どうやらベンゾーは寺の近くで暮らしており、
昔の話なのでよく覚えていないが司法試験か司法書士の勉強をしているようだった。
勉強に疲れると寺に来るとの事だったが私が知る限り午後はかなりの確率で寺にいた。
またベンゾーの家は昼間はベンゾーしか居らずベンゾーの部屋ははなれになっており
ゲームと漫画が大量にあったためベンゾーの家は私達のたまり場になった。
半年もすると私はAたちとともに行動をするより、ベンゾーと2人で遊ぶ事の方が多くなった。
もちろんAたちも時々ベンゾーの家に来ていたのだが、私は毎日のように入り浸っていた。
ある日ベンゾーが居ない隙に学習書の棚を漁っていると女の人の裸の写真が乗っている本を見つけた。
その日は気付かないふりをしていたが翌日ベンゾーがトイレにいった間に何冊か勝手に借りた。
そして次の日勝手に返した。そう言うことが2.3ヶ月続いた。男子が遊びに来てる時は返せないし借りれないしで
もやもやした。今だから分かるがベンゾーはMらしくやたらとクンニものの本が多かった。
そして男が紐で結ばれている本も中にはあった。もちろん私はそれまでにそう言う本を見たことがなく
性的な知識はベンゾーの本からのみ得ていた。今ならかなり偏っているとわかるのだが
ところで気づいた方もいるかも知れないが私はベンゾーが好きだった。ベンゾーはあだ名はベンゾーだが
それなりに見た目は良く境内での事件以来ベンゾーに徐々に惹かれていった。
だからベンゾーの本から得た知識によって私のいつものネタはベンゾーを私に奉仕させることだった。
正直ベンゾーとやりたかった。ベンゾーも私とやりたかったと思う。
ベンゾーは時々「本が無くなっている気がする」と言っていたが
私は「気のせいでしょ。これだけちらかってたら無くなるよ。」と言いつつ勝手に借りる事をやめなかったし
定期的に新しい本が参考書の裏に入荷されてた。
私はだんだん気持ちが抑えられなくなっていたがベンゾーからの積極的なアプローチもなく
悶々としたひびを過ごしていた。ある日私は決意をして30日後にベンゾーの参考書裏の本を追求することに決めた。
まずベンゾーを追求し狼狽えたところで裸にしその後行為に及ぶ作戦だった。
そして20日目に事件が起こった。AがAの母親に最近は私とベンゾーが2人でよく遊んでいる事を話したらしい。
PTAで問題になり、それっきり私は両親からベンゾーの家と寺に近づく事を禁止された。
ベンゾーはその後試験に受かったものの街で悪い噂が立ったため、他の街に引っ越したらしい。
私は心身不安定になり過食とリストカットを繰り返し20年ひきこもり今は作業所に通っている。
マジに考えると、
「単純にレズビアンの数、特にオープンにしてる人が少ない」(異性愛者男性ほど堂々と表に出てこない。ゲイより更に隠れてる)
「女性は男性に比べて自分の性癖をあからさまにしないのが多数派」(ただし身内には結構ぶっちゃけてたりする。創作者の場合、作品や萌え語りがえげつないのは性別関係なくいる)
「女性は『カワイイ』を免罪符に少女愛を語る人が多い」(性別が同じで自身もかつて少女だったことから、周囲の警戒心も緩く、露骨なエロでなければ、男性より萌え語りが許される面はある)
「ガチのロリ趣味を表に出す危険性を男性より熟知している人が多い」(痴漢に対する弾劾の激しさを見ても分かるとおり、女性のコミュニティでは自分が少女時代に性被害を受けた人も多く、自然そこら辺に対する対処を異性愛者男性より考えるようになる)
水面下には、幼女への性的虐待をする女性や、ガチの小児性愛者女性もチラホラいると思う。ただし、男性より少ない可能性は高い。
性犯罪者の母数自体、女性より男性が多いし。(ただし、暗数はそれなりにあるだろう)
そもそも女性が露骨に自分の性指向や性癖を表に出すことに対して世間はまだまだ否定的なんで、フィクションの分野でも抑圧されがちなんだと思う。
あと、子供の頃から男性が性的視線で見てくるんで、(性別問わず)子供に対してそんな視線を向けることを嫌悪する人も多いんでは。
きっと初詣のついでに神様仏様に問えば「シングルマザーも救われるべきだし、あなたも救われるべき」とでも答えるんじゃないかな。
ちなみに、フェミ と ルッキズムを嫌う層 ってけっこう被ってると思うけど。
あなたの分析したとおりだし、さらにはあなたが想定してる「守る」主体である国家の理屈が少子化対策とかそっちに向いてるからね。
特に醜さによる不幸とかには関心がないんだよ。
ところで、要はシングルマザーとかどうでもよくて、あなたが救われないといけない。
> 容姿が醜い「有能な人間」はおそらく納める税や生産物が愛されるだけだろう。
> 父親は普通の人間よりも稼いで自分は豪勢な生活を送っているが、自分も家族も父親の稼いだ金しか愛していない。
自分の父親に対する態度が鏡のように自分を苦しめてるんじゃない?
初等教育時から容姿を馬鹿にされ続けたブサメン先輩として上から目線でヒントとアドバイスをやろう。
がんばってね。
今、僕は中2でホモです。さっきまで将来ホモじゃなくなることができると思ってましたが、ずっとホモのままなんだって分かりました。
3歳か4歳くらいから男の人好きって思ってました。でも家族も友達も先生もみんなホモとかオカマとかが嫌いとかキモいって思ってる感じだったので、まず自分が男好きになるって分かって受け止めるのに時間かかりました。
だけど、ホモはトラウマがあってそうなってるだけでいつか女好きになれるってネットで見て確かにって思って1回ホモを認めました。
最初、ホモになったのはお父さんが厳しくて愛情が向けられなかったからだと思ってました。
だけど、中学入ってからお父さんと仲良くなって好かれてるって分かるようになったのにホモのままでおかしいなと思ってました。
最近、議員の人がホモは異常動物って言っててそれが気になってホモになる原因調べました。
そしたら、生まれたあとにホモになるのは性的虐待を幼いうちに受けたらみたいな過酷な理由がないとならないとか遺伝子のスイッチみたいなものが母親から受け継がれるとホモになるとか書いてありました。
ネットだから嘘とか書かれてるかもって思って今日図書館とかでも調べました。
ホモは性的嗜好ではなく性的指向で生い立ちに何かあってなるものではないとか、世界保健機関がホモは病気とかじゃないから治らないっていってるとか、転換療法っていうホモから普通の人になれる治療もインチキばっかりみたいに書いてあるのみて、もうホモを辞めれる方法とかないんだってわかりました。
もうホモがやめられないって聞いて悲しいとか苦しいとか悪い気持ちが全部ごちゃまぜになってます。
神奈川県とか岐阜県の議員が異常動物って言っててるの見て、僕もそう思うって賛成してましたが自分が異常動物でした。
淫夢ネタとかホモネタをネットで見てみんなが気持ち悪がってるのと同じようにキモがってたけど、全部自分にキモいって言ってるのと同じでした。
男子校でクリスマスだからみんな彼女ほしいって言ってて、僕も言ってて、でも僕だけがすごい嘘ついてます。
僕のことを友達だと思ってくれてる奴のこと好きになってしまって、すごい嘘ついて裏切ってて辛いです。
相手はホモがキモいって言ってるから絶対バレないようにしなきゃいけないけど、中高一貫だからあと4、5年は隠さなきゃいけないと思うと狂いそうです。
好きな人にホモになってほしいとは思わないけど、せめてホモのことなんとも思わないようになって欲しいです。
クリスマス彼女と一緒じゃないのってお母さん聞いてきてまた嘘つきました。
これからもっといっぱい嘘ついていかないとだめで本当の自分をずっとずっと隠して生きていくことができるか不安です。
まともな人間になりたいです。嘘つきたくないです。
もう本当に苦しいです。生まれつき異常動物であるなら生まれてきた時に殺すとか、安楽死とか、処刑とかなんでもいいからこの世から抹消するように法律変えて欲しいです。
日本のアイドルを支えているのは、児童性愛ではなくおっさんたちによる自己投影だと何度言えばわかるのか。
それは、性や恋愛の対象という意味ではなく、彼がなりたいと憧れる少女の姿にほかならないのだ。
しかし女性と違い蓄積型である性欲は、発散しないかぎり否応なしに発散を求めてくる。
これを汚らわしいなどと簡単な問題に置き換えるべきではない。
なぜなら、進化の過程としてそのメカニズムを持たなかったものが淘汰された結果なのだから。
絶対に叶わない夢と知っているからこそ、応援という立場に甘んじているに過ぎないのだ。
しかし性欲は否応なしに蓄積されていく。
それを発散しないでいれば間違いを起こす可能性は増していくばかりだ。
そうしてうちに秘める獣に絶望するのだ。
吸血鬼が涙ながらに愛した人間の生き血を吸い尽くしていくかのように。
顔は少女、身体や社会的背景は大人というキャラクターが支持されるようになったのだ。
一部フェミニストがこの界隈を性的虐待の原因だとしていたがそれは違う。
この界隈があるからこそ、本物が守られているということを忘れないでいただきたい。
こうした存在があるおかげで、彼らは自己投影と性的興奮の対象を切り離すことに成功しているのだから。
以前、某漫画家が宮﨑駿作品の危険性を「素人にはわからないように巧妙にエロとバイオレンスが隠されてるものが一番危ない」と指摘したことがあったのはこうした理由にある。
そこに、少女を自己投影の対象として許すきっかけを与えてしまうことは危険性にほかならないのだ。
そうした文化の地盤なくして、二次作品だけが脱法児童ポルノのように海外に輸出されていくことは確かに危険である。
しかし、日本のかわいい文化に触れて、外国人も気づき始めているはずだ。
そうした存在が、自分たちを犯罪から遠ざけてくれているのだということに。
もしまだ自己投影と性的興奮との境界が曖昧な男子諸君は気づいて欲しい。
君たちにもアイドルに憧れることが許されているのだということを。