日本のアイドルを支えているのは、児童性愛ではなくおっさんたちによる自己投影だと何度言えばわかるのか。
それは、性や恋愛の対象という意味ではなく、彼がなりたいと憧れる少女の姿にほかならないのだ。
しかし女性と違い蓄積型である性欲は、発散しないかぎり否応なしに発散を求めてくる。
これを汚らわしいなどと簡単な問題に置き換えるべきではない。
なぜなら、進化の過程としてそのメカニズムを持たなかったものが淘汰された結果なのだから。
絶対に叶わない夢と知っているからこそ、応援という立場に甘んじているに過ぎないのだ。
しかし性欲は否応なしに蓄積されていく。
それを発散しないでいれば間違いを起こす可能性は増していくばかりだ。
そうしてうちに秘める獣に絶望するのだ。
吸血鬼が涙ながらに愛した人間の生き血を吸い尽くしていくかのように。
顔は少女、身体や社会的背景は大人というキャラクターが支持されるようになったのだ。
一部フェミニストがこの界隈を性的虐待の原因だとしていたがそれは違う。
この界隈があるからこそ、本物が守られているということを忘れないでいただきたい。
こうした存在があるおかげで、彼らは自己投影と性的興奮の対象を切り離すことに成功しているのだから。
以前、某漫画家が宮﨑駿作品の危険性を「素人にはわからないように巧妙にエロとバイオレンスが隠されてるものが一番危ない」と指摘したことがあったのはこうした理由にある。
そこに、少女を自己投影の対象として許すきっかけを与えてしまうことは危険性にほかならないのだ。
そうした文化の地盤なくして、二次作品だけが脱法児童ポルノのように海外に輸出されていくことは確かに危険である。
しかし、日本のかわいい文化に触れて、外国人も気づき始めているはずだ。
そうした存在が、自分たちを犯罪から遠ざけてくれているのだということに。
もしまだ自己投影と性的興奮との境界が曖昧な男子諸君は気づいて欲しい。
君たちにもアイドルに憧れることが許されているのだということを。