2015-12-10

宮崎駿こそ、児童性愛ではなくて自己投影の典型

日本アイドルを支えているのは、児童性愛ではなくおっさんたちによる自己投影だと何度言えばわかるのか。

宮崎作品に出てくる少女たちは、彼の憧れだ。

それは、性や恋愛対象という意味ではなく、彼がなりたいと憧れる少女の姿にほかならないのだ。

男性は、自身が薄汚い獣だという自覚を持っている。

からこそ百合が受け入れられるし、BLを毛嫌いするのだ。

しか女性と違い蓄積型である性欲は、発散しないかぎり否応なしに発散を求めてくる。

これを汚らわしいなどと簡単な問題に置き換えるべきではない。

なぜなら、進化過程としてそのメカニズムを持たなかったものが淘汰された結果なのだから

から男性葛藤するのだ。

少女お姫様に憧れるように、男性アイドルを夢見るのだ。

絶対に叶わない夢と知っているからこそ、応援という立場に甘んじているに過ぎないのだ。

しかし性欲は否応なしに蓄積されていく。

それを発散しないでいれば間違いを起こす可能性は増していくばかりだ。

そうしてうちに秘める獣に絶望するのだ。

衝動に任せて発散した自分を悔い、責めるのだ。

吸血鬼が涙ながらに愛した人間の生き血を吸い尽くしていくかのように。

しかし、その対象少女たちである可能性は限りなく低い。

そうして生まれたのが”らしきもの需要だ。

顔は少女、身体や社会的背景は大人というキャラクターが支持されるようになったのだ。

己の倫理崩壊させないがために、合法という砦を作るのだ。

一部フェミニストがこの界隈を性的虐待の原因だとしていたがそれは違う。

この界隈があるからこそ、本物が守られているということを忘れないでいただきたい。

こうした存在があるおかげで、彼らは自己投影性的興奮の対象を切り離すことに成功しているのだから

以前、某漫画家が宮﨑駿作品危険性を「素人にはわからないように巧妙にエロバイオレンスが隠されてるものが一番危ない」と指摘したことがあったのはこうした理由にある。

男性本来薄汚い獣として生きていくべきなのだ

そこに、少女自己投影対象として許すきっかけを与えてしまうことは危険性にほかならないのだ。

そうした文化地盤なくして、二次作品けが脱法児童ポルノのように海外に輸出されていくことは確かに危険である

しかし、日本かわいい文化に触れて、外国人気づき始めているはずだ。

そうした存在が、自分たち犯罪から遠ざけてくれているのだということに。

しま自己投影性的興奮との境界曖昧男子諸君は気づいて欲しい。

君たちにもアイドルに憧れることが許されているのだということを。

そしてそれは、あくま自己投影であり、性的興奮は切り離して解決すべき問題だということを。

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