はてなキーワード: 市長とは
賛成の市民もいるんだから、市民全員が反対みたいな偏向報道しないでほしいなぁ。市長は英断だと思うよ。山下ふ頭の港湾業者なんて、どう考えたって利権守りたいだけでしょ。
今、みなとみらいの玄関口になっている桜木町駅は、陸側の方は数百メートル以内にJRAの場外馬券売り場や大型パチンコ店があって、遠くから電車で来てくれる馬券客やパチンコ客で集客している街なんだし、今更、カジノ反対って言ったってねぇ。そりゃ、山下町にはパチンコ屋はないかもしれんが、近隣の長者町とか伊勢佐木町とか関外に行けばパチンコもスロットもゴロゴロあるわけで。あっちの方がよほど品が悪いのでは。
カジノなんて品格のないものをうんたら、とか、歴史的経緯が云々いう人は、もともと、横浜スタジアムのある横浜公園に何があったか知ってて言ってるんでしょうね…あそこは、開港当時の外国人向けの遊郭(港崎遊郭)の跡地ですよ。ちょっと調べればわかるけど、尊王攘夷運動のあった幕末には、外国人にできる限り居留地に閉じこもってもらって街の外でトラブル起こさないように、遊郭とか競馬場とか、エンターテイメント施設を、全部日本側が作ってあげたり大きく支援したりして作ってたんですよ。
山手に洋館ありますよね?あれ、全部、関東大震災で外国人居留地が壊滅して、逃げちゃった外国人になるべく横浜にいてもらうために作ったモデルハウスみたいなものですよ。
そうやって、外国人にできるだけいてもらうために街を作ってきた経緯を考えれば、むしろ、山下町にカジノがあってしかるべきなんじゃないですかねぇ。
結局、旧外国人居留地だった山下町・山下ふ頭近辺に対する変な幻想が市民の中にあって、それを利用して港湾業者が利権を守るために騒いでいるだけにしか見えないんですよねぇ。ギャンブルは全部、横浜っぽくない近隣の地区に押し付ければいいっていうのが透けて見えて、いけ好かないんですよねぇ。
そうして紹介されたのは「ナンチューカ」
――うん 美味い
ミミセンくん:まあ 平均的な美味さだね
シロクロさん:あったかけりゃ何でも美味い!
――いわゆる本場のじゃなくて 地元の人たちが慣れ親しんだ味で食べやすい
お忍びの取材であることを忘れて ついテレビマンの癖が出てしまうディレクター
――え 初めて?
マスダくん:俺も初めて この場所に店出すと絶対に流行らないんだよ
ミミセンくん:僕たちの間では有名なんだ 前あった店も一年ともたなかったよね
タオナケちゃん:私も知ってるけど 一年ももたなかったのは その前の前にあった店だったと思うわ
――なぜここを紹介したの……
マスダくん:ここの中華屋もいつか潰れるだろうし せっかくだから一回は食べとこうかなあって
店主:一週間後に閉店です……
マスダくん:丁度いい時に来れてよかったなオッサン ここの中華は二度と食えないぞ
――そ そう……
腹もふくれたところで次の場所へ
近くに小さな博物館があるということで アルブス・オークを離れ そこへ向かってみることに
テレビドラマの撮影にも使われたことがあり この町でも割と有名な場所らしい
しかし
マスダくん:あれ 道間違えた? ここになかったっけ
ミミセンくん:ああ~ かなり前に潰れたっぽい
どうやら数年前になくなってしまった模様
タオナケちゃん:私も3回しか行ってないけど いざなくなると ちょっと残念
――もっと行っておけば 良かったね
タオナケちゃん:残念とは言ったけど3回で十分よ 別に何回も来るような場所じゃないわ
ミミセンくん:博物館の営業努力の問題さ 或いは市か区の管理問題 それにすら見限られたから潰れたんだよ
マスダくん:まあ 地元の俺たちがこの程度の認識なんだから そりゃ潰れるよな
シロクロさん:さもありなん!
気を取り直して次の場所へ
――ん あの 建物はなに?
道中 独特な見た目の建物が 遠くに
マスダくん:火力発電所だっけ?
ミミセンくん:確か ゴミ焼却場だったはず
タオナケちゃん:私もそう思うけど この町のお偉いさんって 変なところで見栄っ張りなの
この子たちによると アノニ町が観光名所といわれている秘密は“見栄っぱり”からきているんだとか
――この町 風車があるんだ
マスダくん:エコなエネルギーブームに乗っかって作った風力発電所な
マスダくん:市長があの風車だけで夏を乗り切ろうとした時は マジで酷い目にあった
タオナケちゃん:ジョークで言ったんだろうけど そういうの嫌いだわ
――す すいません
あいちトリエンナーレで津田大介さんが監督の「表現の不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます。
憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長、官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。
「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的とし、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)
したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長や官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例の趣旨からして危なそうです。
『あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率の美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています。
憲法上の検閲でないとしても、この意味で検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所で公表を続けることも十分可能です。)。
「公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当と判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲,公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典・コトバンク)
ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上のヘイトに該当しないことは明らかです。
(法律の規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性は被害者とは規定されていない法律でした。)
「自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇の肖像は日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。
ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます。
津田大介さんは、過去、RADWIMPSのHINOMARUという楽曲を「国威発揚」であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPSは謝罪に追い込まれています。
更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています。
昭和天皇の写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます。
津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身の政治思想は反映されていないことを含ませています。
少女像や昭和天皇の写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。
しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています。
津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。
1.検閲の意味は憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイトの意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。
2.過去に保守的な楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。
3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマに合致したとしても排除した。
津田大介さんは今回の謝罪文で『自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっている』とコメントしています。
しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。
暇なので眺めていたら、面白かったので。シェアさせていただきます。
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES表現の自由ガーはやめといた方がいいんじゃねーかな。お前ら人工知能学会や自衛隊ポスターなど、何の違法性も無いイラストを難癖つけて時に撤去謝罪させただろ。表現の自由は出し入れできるもんじゃねーぞ。2019/08/05 13:40
ユミソン on Twitter: "愛知では「公金が・市民が」と言っていますが、先日のドイツでの展覧会では、日本からの助成は無く市民からの苦情もなかったのですが、日本政府が抗議に来ました。"抗議も法に則ったものであれば表現の自由の範疇だろ。お前ら都合が悪い事は「わかってない」とか言って逃げを打つよな。2019/08/05 18:47
「表現の自由」不要と言うに等しい 展示中止に危惧の声 [表現の不自由展・その後]:朝日新聞デジタル表現の自由マンが噴き上がっているが、百田尚樹が脅迫受けて講演会やサイン会中止に追い込まれても同じように擁護しなかったよね。都合により出し入れ出来る表現の自由は便利ですなぁ。2019/08/06 11:28
都合により出し入れできる表現の自由…?んん?
貞本義行@腰痛 on Twitter: "キッタネー少女像。 天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。 かの国のプロパガンダ風習 まるパク! 現代アートに求められる 面白さ!美しさ! 驚き!心地よさ!知的刺激性 が皆無で低俗なウンザリしかない ドクメンタや瀬戸… https://t.co/3wqZGCqLzd"作品を壊せとも展示するなとも言ってないのだが、表現の自由であれほど噴き上がった皆様が個人攻撃をしているのは何なのか?自分の都合で信条を出し入れする節操なしかな?2019/08/09 21:17
発言に対する批判は個人攻撃で表現の自由の侵害。「自分の都合で信条を出し入れする節操なしかな?」
貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるかアート作品に対する自由な批評を許さない人が多いねえ。貞本義行の人格や作品にまで踏み込んで批判している奴は、表現の自由の根本を理解していない。2019/08/10 12:36
今話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。
クソ長い。
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最初に断っておくと、今話題になっている「表現の不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。
と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現の不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情で説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃんと理由もある。
他の人は知らないが、個人的には「表現の不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄のデスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ。
話が変わるが我々ボランティアが研修で何をやっているかと言うと、作品の知識を蓄えるのではなく、自身の感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義は微妙に違うのだが)と呼ばれているものを実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て
「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局を予兆しているのでは?」
などとそれぞれの感性や経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスでオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。
だがそういった観点から見ると、「表現の不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現の不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味「企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。
そんなわけで「表現の不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレの第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。
さて「表現の不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦と昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的にインパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。
「表現の不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像」なのだ。
ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置されたとき、メディアはこぞって大使館と慰安婦像が一緒に映った映像を放送したと思うが、あの報道に対して「不快だから映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合も制作サイドの意図は別にあるのだが)。
今回の展示ではそこのコンテクストがおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報で事態が拡大してしまった感がある。
また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的なコンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。
そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。
しかし、詳細については諸説あるが、そういうものが存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国の見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。
負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑やモニュメントがある、ドイツやカンボジアには国内の虐殺を記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。
場所によって反応も変わる、オバマは広島の原爆資料館に行ったが、アメリカでスミソニアンがエノラ・ゲイ展示をやろうとしたときは退役軍人たちから大バッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史の意味に影響を与え得るのか、得ないのか。
そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性と日本人女性が慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。
話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかったかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ。
勿論コンテクストには政治性だって含まれる。慰安婦像が純粋に歴史的なモニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あんな一触即発なもの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。
ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディアの報道を見ていると日韓で政治的な同意が得られれば慰安婦像は撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋なプロパガンダだったって言っているようなものだからやめろ。
像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である。
批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。
それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。
アメリカでコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺や奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。
個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場のモニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。
つまり慰安婦像を撤去したいのなら何らかの方法で歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。
トリエンナーレ運営が「表現の不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家に許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督や大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。
第一に展示施設自体の問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現の不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本は災害が多いだけあって美術館や博物館といった文化施設の安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策、防火設備、さらには盗難や破壊防止のための監視員や監視カメラが多くの施設で導入されている。
しかしテロや大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外の博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。
第二に運営側の問題。最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。
確かに税金から拠出の予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティストを100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度はルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。
よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。
これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。
最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。
運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営と作家が一体となって特定のテーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいうぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。
「表現の不自由展・その後」だって別に運営が企画した訳ではなく、かつて行われた「表現の不自由展」を招待しただけだ。
展示施設の職員に至ってはそれを公務員の業務として受け入れているだけである。
よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ、施設や関連団体のスタッフ、さらに作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNSで関係者に絡んで「トリエンナーレの見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。
そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。
それらを踏まえてトリエンナーレ運営の対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。
先述の通り、施設や組織の問題でテロや脅迫に対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現の不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。
しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体・個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手の総本山とかか?結構な大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。
暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。
最初に特定されたら困るから匿名で意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体がおかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。
また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。
抗議の電話でまず事務局の回線がパンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員が罵声を浴びせられる、しかも公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂「電突」と呼ばれるものだ。
ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。
確かに組織には説明責任がある、取材と報道の自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手が不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。
誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。
表現の自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。
話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいかに物理的な暴力を伴わず決められたルールの範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明の指標なのだと思う。
抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアートを作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名やデモでも良い。そして表現の自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪、侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権、著作権…憲法に定められた公共の福祉の概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。
pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分の解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人の意見だから忘れてくれ。
じゃあこの場合どうしたらいいのか。
少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現の自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。
何故ならあくまでコンビニは民間の営利団体だからだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本を撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。
抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。
コンビニで18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性はネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界が Permalink | 記事への反応(15) | 22:16
「多くの市民の心を踏みにじっているから表現の自由とかいって保護するのはダメ。まして税金でやるのはもっとだめ」
だそうで。
俺は表現の自由戦士なので、こいつ何言ってるんだと思う。
心を踏みにじっているとしたら、心を踏みにじられた市民たちに死ぬほど批判されればいいって話で、政府が取りやめにしろとか言うべきではない。税金うんぬんは、そりゃあ補助金申請されたときにチェックするなり条件つけるなりすることであって、次回から厳格化するなりしろよ。
ただこの「心を踏みにじっているからだめ」っていう話は、ヘイトスピーチのときにされる話と同じなんだよな。ヘイトスピーチは、差別されている人たちの心を踏みにじるし公益にならないので、表現の自由に保護されることなく禁止される。そういう理屈で規制されることになっている。
俺は表現の自由戦士ではあるが、文系学科の教育をそれなりに受けているので、こういう理屈に一定の理解を示すつもりだ。たしかに世の中には人の心を踏みにじるしかない表現というのがあり、それを規制したいという気持ちはわかる。心を踏みにじったかどうかについて何某かが判断を下すのは不可能と思うだけで。
俺は不可能だと思うが、わが国ではヘイトスピーチを規制することに既に決まった。
だからさ、ヘイトスピーチ規制法ってやつを通した理屈から言えば、河村市長は正しいんだよな。
右左の極みに分かれているように見えて、言っていることが完全に同じ。
なお、場合によってはコンビニエロ本規制のような場合も、同様に「気持ち」への配慮を求める理屈を使う場合がある(こっちは使わない場合もあるが)。
俺が知りたいのは、かつてヘイトスピーチ規制や、コンビニエロ本規制に、手放しの賛成をしていた奴らが、今回も河村市長に賛成しているのかどうか。
右左の分断のせいか、そこのところが見えにくい。表現の自由戦士の中には、「クソ表現だが断固守れ派」と「左派の自業自得だから死ね派」がいるのは、まあまあ見ていればわかるんだが、いつもは左翼的立場から制限や自重や配慮を求める、反表現の自由戦士たちは、今回の件についてどう思っているのか。
③同じお気持ちを求めているのには気づいているが、あれを政府が辞めさせて良かったのか。難しい問題だと思う。
どれだ。
>ところで山田太郎、もうオタクコンテンツを表現規制から守るのにも殆ど役に立たないだろうことを、前もって記しておく。
>今回完全に腰抜けで、気持ち的なものだけ書いて逃げたことは自民党議員は見ている。今回できないことは次回もできない。
>53万の戦闘力(票)は見事、表現規制側のパワーに変わった。
https://twitter.com/micha_soso/status/1158117265558011904
すげーな。
津田大介氏の安い挑発に乗って、それこそ山田太郎氏に愛国だのと難癖をつけて、各地を炎上させつつ、例の市長と一緒にイベントを中止させて、津田大介氏やブサヨが利する、ある種の利敵行為を行ったネトウヨもネトウヨだけど、ブサヨもブサヨで狂っているのはこのツイートをみていたら良く判るわ。
どうやら津田大介氏の表現の自由の自爆テロ行為としか思えない、イベントに対して、何もしなかった事が余程気に食わなかったみたいだ。
山田太郎氏から下手な言質が取れなかった事に対しても余程悔しかったのもあるのかもしれない。
そもそも山田太郎氏が支持されたのは児童ポルノ禁止法や都条例、著作権問題やTPP等の問題で実際動いた実績が評価されての事なんだけどね。
それと主に漫画アニメ好きのオタクや同人界隈の人間からの支持であって、今回騒いでいるような人間の支持ではないんだよ。
ようは当時、票にならないと切り捨てられていたオタクの皆様って言う意味ね。
それにどうみても今回の津田大介氏の表現の自由の自爆テロとも言える行為は下手に動いたら、それこそ火の粉が規制反対界隈自体に飛んできて、余計に状況を不味くする危険に晒す事に繋がるのは目に見えていたし、津田大介氏は山田太郎氏みたいな表現の自由を守る人間は中止にさせる事をしてはならないと言うしかない事を判っていて、あのようなイベントをこのタイミングで悪意をもってやらかしたのは津田大介氏の今回の声明をみたら判る事だしな。
津田大介氏に関しては今回余りにも手口が悪質すぎるよ。
そもそもこの件、山田太郎氏はコメをしただけで直接かかわってすらいないのにな。
本当こいつらブサヨの狂いっぷりが良く判る。
不注意に安い挑発に乗って、イベントを中止させたネトウヨはそりゃ悪いけど、一番悪いのはリスクを判った上でこんなトンでもないイベントをやらかした津田大介氏及びブサヨだよ。
ネトウヨも中止なんかさせずにどうせならこの後、ポリコレに消された表現の自由展とか言うカウンターでも仕掛ければよかったのにと思う。
それとこいつの垢見ていたら、ゲイとか山本太郎とかれいわとか書いているし、どうせこいつも普段ポリコレ棒振り回す様な人間なんだろうなあと思う。
どうせこんなのが、普段彼等はエロコンテンツしか動かないだのどうのこうの言っているdisキャン張っている様な人間なんだろうなと思う。
この手の奴らが早速調子乗りだしたので頭が痛くなるね。
しかしこう言うのを見ると野党から表現規制に反対する人間が離れて、山田太郎についたのも逆に判る様な気もするよ。
当時、オタクは票にならないと言われていたし、今回は票になったのもあるから、それが余程悔しいのもあるのかもしれないね。
ネトウヨもネトウヨならブサヨもブサヨだわと心の底から思わされる。
流石に今回の騒動はこんなキチガイとしか言い様がないネトウヨやブサヨから粘着された山田太郎氏には同情するよ。
山田太郎氏自体、政策は個人的には合わない点もあるけど、この一連の騒動を見ていて、こいつらにどうこう言われる筋合いはないと思うからな。
https://www.asahi.com/articles/ASM853C9KM85OIPE008.html
>間違えてはいけないのは、税金は政府や行政に批判的な人でも納税しているものであり、それを再配分するもの。
>政府や行政に従順、ないしは意向に沿ったものにしか拠出しないということでは、決してあってはならないということ。
https://twitter.com/syunsuke_takei/status/1157789351419379712
今回の津田大介氏による、ある種の表現の自由に対する自爆テロみたいな行為は個人的にも本気で胸糞悪いけども表現の自由を尊重するならば、今回のイベントに対しても中止してはいけないとか言うしかなかったのよね。
だから山田太郎氏等や表現規制に反対する団体の人とかはイベントを止めさせてはいけないと言うしかなかったのは判るし、今回の津田大介氏の目的が見えていた以上、下手な行動もできないのも見ていてわかったしな。
それとどう見ても彼等冷静に指摘はしているけど、内心は今回の津田大介氏の件に怒っているのはツイートを見ていても判る事だよ。
そういう意味では津田大介氏はある種の挑発を行ったとも言えるし、今回の行為は表現の自由を人質に取ったと言っても良い。
彼らが中止してはいけないと言うしかない事を見越して、津田大介氏がやらかしたのは声明文読んでいても判った事だしな、本当に気分が悪いよ。
何もそれを判っているのはこの件は表現の自由を尊重する人だけではなく、議員にもその点を判っている人も多いし、そう言う人達はそれこそ表現の自由から攻めるのは不味いのも判っているからこそ、冷静な判断を求めて慎重に行動する様に言っていたんだろうよ。
ようは表現の自由の問題から中止で攻めるのは不味い事態起こすのは目に見えているから、他の方面を冷静に探れって話。
また今回残念な事にネトウヨさんや一部のお偉いさんの市長等の人は見事に津田大介氏の思惑通りに動いてしまった訳。
まんま策略にハマったからな。
そして良く言われている、ポリコレによる表現の弾圧の手法を今回ネトウヨの方が同じ行動で実行してしまったわけだ。
奴等はそれこそこれで次からもっと活動しやすくなると大喜びしているのが、目に見えて本気で腹が立つが。
何にしても今回の津田大介氏の行動は声明文の記事を読んだ限り、リスクを判っててやったとか悪意しか感じなかったし、まず多数の企業や業界、団体に大迷惑をかけている点。
そして以後、何もコミケ等のオタク界隈に限らず、絵画展等の展示や場合によってはバイクや自動車の展示、コンサート等のイベントにすら悪影響を与えかねない、広範囲に被害をもたらしかねない行為なので、本当に性質の悪い事をしでかしてくれたよと言う気持ちでいっぱいだよ。
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES
まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判。
問題意識はおおむね間違ってはいないんだけど、簡単に”検閲”っていってしまうあたりが気になる。
検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁の定義はそうだ。だから、憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。
ここでもし仮に、意思決定者である大村知事が、内容についてよい悪いと意見をつけ、中止させたら事後抑制であっても憲法問題が発生すると思うけどね。
菅官房長官の発言のほうがよっぽどマズイ。どこまでがよくて、どこからがアウトか、ちゃんと基準をもって整理しとかないといけない。
そもそも、こんなふうに、すぐに公権力の弾圧だと言い出す傾向は、日本人が歴史的に経験してきた言論弾圧の記憶に根差しているんだと思うけど、条件反射的に検閲!っていってしまうのは、
これはあたかも、韓国が日本の行うことに対して、なんでもかんでも、報復だの侵略だのと認識する、生の強迫観念とさして変わらないんだよ。
k市長「うっせー夏の恒例コスプレサミット当日に名古屋市中心部で放火火災とかおきたらどうすんだ
ごもっともだと思う
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」に河村たかし名古屋市長が口を挟んだ件についてつらつらと書く。
そもそも、自分の知る限り、河村氏は、慰安婦問題にそこまで興味は無い。国会議員時代に議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」会員ではあったが、氏の興味はどちらかというと父親が軍人として進駐していた南京のようだ。そちらに関しては「南京事件はなかった」発言で騒動を起こしている(2012年)。
では、なぜ???…という話をしたい。
前提として、あいちトリエンナーレは「あいちトリエンナーレ実行委員会」の主催である。会長は大村秀章愛知県知事で、他のメンツは→らしい(昨年3月の運営会議の参加者)。 https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/190223_445551_misc.pdf
名古屋市の河村たかし市長はここに載っていないが、「会長代行」であることが報じられている。愛知県が8.5億を出資する一方で、名古屋市も2.8億だしてるので、その肩書きは自然だが、運営会議参加者として名前が載ってないことからもわかるように、あまり積極的ではないように見える。あのオッサンは、自分が目立てないことには興味が無いのだ。
河村市長と大村知事は、ある程度、共闘したりもしていたけれども、最近は、何かと対立している。
近いところでは、名古屋市が手がける名古屋城天守閣の木造復元工事について舌戦を繰り広げたりしている。つい半月前の話だ。 https://digital.asahi.com/articles/ASM7J3K6FM7JOIPE009.html
また、政策としては、「国際展示場」問題があった。「東京五輪期間中のビッグサイト代替/日本の展示場の国際競争力不足/愛知県内産業(自動車)の振興」といった目的で、愛知県と名古屋市で国際展示場を作る話があった。ところが、市と県が折り合えず、最終的に県単独で中部国際空港島に建設することに(2017年)。その展示場は「Aichi Sky Expo (愛知県国際展示場)」として今月末にオープン予定。かっきり五輪に間に合わせた。恐らく河村氏としては面白くないだろう。
この8月。あいちトリエンナーレは、基本的には県の事業だ。名古屋市は目立てない。そして、月末にはAichi Sky Expo開業。名古屋市にとっては関係がないどころか、屈辱的ですらある。ついでに、当初は河村氏だけだったコスプレサミットでのコスプレも、大村氏もやるのが定番になってしまった。
ここまでが前提としての状況。
そこに、ある連絡が入る。「日本維新の会」の松井一郎氏から、あいちトリエンナーレでの『少女像』展示が伝えられた。維新は、河村氏の地域政党「減税日本」にとっては共闘相手である。先の参議院選でも維新公認で2人の候補を出している(2人とも落選)。つまり、どちらかというと借りがある側。
維新との協力関係・愛知県(大村知事)が目立つ事への嫉妬・自分が目立ちたい・南京を介した歴史修正主義への親和性。
元増田にグダグダ書いたけど、俺が一番違和感を持つのは例えばこういう運動のこと。
「少女像」展示再開求めデモ集会に200人「表現の自由の弾圧だ」名古屋 - 毎日新聞
デモに来た埼玉県の女性会社員(25)は「作品を見たかった。主催者側へのひどい脅しなどがあったので続けられない状態になったのだろうか。悔しい」。上滝浩子弁護士(京都弁護士会)は「公権力を持つ立場にある人が干渉的なことを言えば、表現活動が萎縮する。そうさせないために憲法は表現の自由を保障している。許せない」と話していた。
繰り返しになるけど、表現活動が委縮したのは、ガソリン持ってくると脅されたからでしょう。
で、それに対して通常、対処しうる危機管理以上のことが現場で可能だったの? 例えばガソリン怖いのをみんなで耐えるの?主催者だけではなく客も巻き込むんだよ?
できないものを無理じいして、できなかったら検閲だなんだって騒いで無理な注文をして困らせるのが表現の自由を守るってことなの?
そういう理由で起きる表現活動の委縮って誰かのどんな努力でどうにかできるものなの?というのが俺の最大の疑問。
委縮しないようには何をすれば?という観点でいうと、例えば、テロを抑止する、という話とよく似ていて、
社会にあふれる憎悪を鎮静化させる、みたいなフワっとした話にしかならない。
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行政が危機管理対応としたという話と、行政が言論を弾圧した、という話を混ぜるなよ。ナイーブすぎるだろ。
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もう少し思想的な背景に突っ込ませてもらうとさ、
そもそも、脅迫含めて暴力的な言論というのは、表現の自由の副産物として、
そういう過激な行為が起こりうることは覚悟しておかないといけないかもしれないんだよ。
アメリカを例にとる。意見が異なる者同士が過激な形でぶつかり合う、というのは、17世紀のヨーロッパがプロテスタントの宗派争いで経験済み。
たとえ激しくいがみ合っていても、政府はどちらか一方が正しいとは言わない、と。
その経験があって、アメリカに渡った巡礼始祖が社会の約束事として決めたのが、合衆国憲法修正条項に引き継がれ、表現の自由の原型となっていく。
1970年代の連邦最高裁の言葉を借りれば、社会が不協和音に満ちていることこそ強さの証である、みたいな覚悟をもって、
ヘイトなど多少の過激な言動を認容していく、というのがアメリカ的な背景としてはある。
つまり、もし仮にアメリカ的な感受性で対処するとすれば、脅迫があったが、ま、今回は引きますが、へこたれずまたやりましょうね!ということなんだよ。
ところが日本の場合、そういう歴史もなければ、不協和音のなかで生きる覚悟もない。
むしろ日本の空気として強いのは行政による言論弾圧の記憶なんだよね。
それならそれでいい。表現の自由を基礎づける歴史的な記憶というのは、その国の歩んできた歴史文化によって異なるのは当然だからだ。
でもその背景について、客観的な整理と自覚がないと、ただ無意識にオブセッシブな態度を表明しているようにしかみえないわけよ。
だいたい横から出てきた名古屋市長なんてそもそも中止となんの関係もないじゃん。
そこはちゃんと危機管理対応と弾圧を冷静に切り分けてもらわないと。
展示が表現の不自由がテーマということで、ついでにひとつ言及しておきたいんだけど、
ムハマンド風刺画問題というのがあるよね、フランスで大きな騒ぎになったりもした。
これは、暴力行為が表現の自由の副産物だという文脈では読み解けない。
アメリカとはかなり異なる歴史的な背景があって表現の自由の価値が基礎づけられているからだ。
簡単にいうと、カトリックの絶対正義が猛威を振るっていた時代に、
こんなんじゃ、まともな社会設計ができん!という問題意識からスタートしている。
まずはカトリックを批判する権利が必要だということで「神を冒涜する権利」として始まったのがフランスの表現の自由であり、例の過激な政教分離なんだよね。
だからムハマンド風刺画事件でも、フランスのメディアは「涜伸の権利はいずこに」という形で問題提起をしたりしたわけだよ。
ただ、おれは別にそんな話を今回の展示に期待しているわけじゃ全然ないんだけどさ、でもなぁ。
そんなたいそうなタイトルを銘打っておきながら、さまざまな国の作品を展示しているのに、他人の作品をコピペみたいに持ってきてパッチワークかよ。
ネットでみつけた一般客のコピペした解説文や評価をみても、テーマである”不自由”の背景がよくわかるものではなかったね。
そのうえ雲行きが怪しくなったら中止と。芸術監督は残念がってメソメソと泣いて、みっともないってちょっと思ったりした。
行政もだよ。リスクを想定したうえで、あらかじめ退避の基準を明示しておくんだよ。この場合、判断と行動のスイッチとなりうる事象をリストアップしておくんだよ。
そのうえでリスクシナリオと判断基準について主催者と合意しておく。
そうしないと、あ、ヤバいと思ったんで引き揚げました、みたいに、行き当たりばったりな説明しか主催者にできないだろが!
そりゃ、突然中止に追い込まれたと思うわな。
まとめると、
表現の自由という観点でも主催者の問題意識は感覚的なものでしかないし、
表現の自由についての問題整理とリスク管理、この二つをしっかり持っておかないと
なんだだ危なっかしいだけだ。
という感想をもった。
追記:
大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも | AbemaTIMES
まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と厳しく批判。
おおむね間違ってはいないんだけど、このあたりに、日本人が感覚的に扱う、表現の自由の手つきの危うさがある。
検閲というのは、基本的には”発表前の事前抑制”を指す。特に最高裁の定義はそうだ。憲法違反だとか裁判で負けるとまでは言い切れないのだよ。
トリエンナーレの件、いつものオタク憎しで駆動してる連中が嬉々としてオタク叩いてるのにゲンナリ。
まあ、彼ら彼女らにとっての表現の自由ってのはそういうことなんでしょう。
ほんと、フォローしてるオタクの人らのTLでは「たとえどのような表現だろうが表現の自由は守られるべき」って言ってるのに、
オタク憎しさんサイドは「エロ表現の自由しか興味のない表現の自由戦士ガー」っていつもの調子で吼えてたからな。
そりゃ、今回のトリエンナーレでの表現規制に賛同するオタクがいないとは言わんが、さんざん表現の自由の侵害だと言っているオタクも大勢いることを丸々ネグられると、
ああ、正しい事実認識とか興味ないんだな、オタクが憎くてたまらないんだな、とは思うよねー。
公共の場にふさわしくないとか、俺らさんざん言われてきたわけだが、まんま同じ理屈で殴られてて、
ちょっとは俺らの気持ちがわかった? と思ったら、アテクシたちの表現はオタクの表現とは違うのにー、と来たもんだ。
もちろん、そんな連中にいくら擁護されていようと、トリエンナーレが不当な表現規制の被害者であることに何ら変わりはない。
京アニを彷彿とさせる脅迫、謝罪を要求する政令市の市長、さらには政府も乗り出してくるなんて狂ってる。
あの金髪のおじさんが「俺らを敵に回すとかアート界隈で生きていけないよ?w」(意訳)と言ったことで有名な表現の不自由展
名古屋の市長だか知事だかが「こんな内容だとは思ってない、大多数はこういうの認めない」(意訳)と判断して中止になった表現の不自由展
その中止を受けて「表現の自由が妨げられている!許されない!オタク共!これが表現の自由とやらの真実だ!」とはしゃぎまくってる人達
会場にガソリン携行缶を持って行こうとするよくわからない生き物
あともう一つ
そこでよく表現されている本国の方はどうなっておられるのでしょうか
盗っ人猛々しい(誤訳との噂がある)と発言をされてからまだ二日ぐらいしか経っておりませんが
高々敵国に『あの国は頑張ってたけど最近キナ臭いからホワイトじゃないよ』って判断されたぐらいでピーピー言ってたのに
またそれもこれもごちゃ混ぜにしてシュプレヒコールされるのでしょうか
馬鹿らしいなぁ
馬鹿らしい
お前らの言う表現の自由ってそれだけじゃん
オタク達が求めてる表現の自由とお前達が求めてる表現の自由を一緒には出来ないじゃん
オタクは二次元の少女を汚すけど、お前達は実在する人間を貶してるじゃん
オタクの方を「こんなこと実際にされたらどうしよう…」(なお、体は三次元なので彼等の趣味趣向とは相容れない)って考えるのと
お前達の方を「こんなこと実際にされたらどうしよう…」(なお、血筋は皇族ではない為彼等の批判の標的ではない)って考えるのとどっちがリアリティがあるんだよ
あ、ガソリン携行缶持ってくって言った奴は普通に脅迫だから震えて待てな
表現の自由の手足を短くしてるのはお前らじゃん
「これは政府に規制されるので許されませんねー(キチ顔)」してるのはお前らじゃん
政府じゃなくてお前らが知事やらにこういう挑戦的なアートがしたいってアプローチできなかったからじゃん。
誠実じゃないのは誰なんだよ。安倍じゃねえよ、っていうか安倍をすぐ入れる文面やめろ。一度精神を見てもらえ。
実際の公的資金は400何万で、寄付金の方が多い!だろうと、そこでこういう表現をしますっていう場所貸してんのその市じゃん、県じゃん、国じゃん。
そんでよぉ〜、なんだよお前今気付いたけど中止になった原因
「不快になる人が多いから」とかじゃなくってさっきから散々言ってる
「ガソリン携行缶を持ってくる奴がいるかもしれないから」じゃねえかよ
お前よぉ〜、そこなんだよぉ〜、だから中止になるし、その被害も考えられないからお前ら左翼もネトウヨも平和ボケしてんだよぉ〜
本家本元のテロの思想だよ、今の日本人にそんな根性あるなんて思わないでやるなよ、もうヒントは揃ってるんだから後は持ってってはしゃぐだけで大体の地獄絵図は作れるだろうよ
本家本元の表現の自由の侵害が来ることを予想してないのもヌルい考えだわ
詐欺師相手に長ドス持ってカメラの前で始末付けた国の警戒体制とは思えない
思想を揺るがすってことはそこまで根幹を揺らがせるってことだろうに
それなのに何故本当の被害が来ないと考えられない?
やっぱアート界隈はアホばっかりだわ
人間は元から獣だってわかってるなら、怒りと思想の正義に任せて地獄を作り出すのが人間だってわかってんだろうに
何でもかんでも煽っていい訳がないだろうよ
「この作品を作ることによってある思想を持った人たちは悲しみ、怒るかもしれない。そうなった時にそれを抑える為にどういう措置を取ればいいのか」を考えてないから本当の馬鹿の暴走を受け止めきれなくなるんだろ
アイツらは死んでいい人だと判断したら死ぬまで制御が効かなくなるんだから
どっちかなんだよ
「暴力に屈して表現を取りやめる」か「暴力に屈しない為に万全の状態で表現をして、暴力をすることすら馬鹿らしいと思わせるか」なんだよ
政治思想への利用なんだよ、アートの力なんてない、暴力に屈するためのアートなんだ。即堕ち2コマって奴。しかも2コマ目に「アォン!おかしな思想を持った存在に中止に追い込まれましゅ!安倍政権!表現の自由!ガソリン!アォン!」って台詞言いながら負けてるので「お、また安倍政権かぁ〜」ってなる奴
今は慣れた人も多いから2つ目の表現の自由に引っかかってるけどね
でも最強の人が多い世の中で、先月爆破事件が起きた要因がまだ規制入ってなくて、最近ホワイト国から外される問題行動の多い国がよくやってる表現の展示を、アート界隈の力を使って無理矢理認めさせようとするなら、
『この悪党を懲らしめる為にどういうことをしてやろう』なんて考えるヒマな人も多いって
だけどそれで怒りに任せる人がいることも考慮するのがアートだろ
屈強な人でも横におけばいいじゃん
火が出るかもしれないなら消火器でも大量に置いておけばいいじゃん
気楽に政権批判したい〜!でもお前らは怒んなよ〜!これはアートなんだからな〜!
じゃなくて
今から政権批判をしますが、不愉快な方は帰っていただいても結構です。おかしな行動をしようとされる方は屈強な軍人が横におりますのでどうか穏便になさって下さい。では、行きます!
ぐらいじゃないと人の教育とかその根幹を揺るがしかねない表現はやらない方がいいよ
人間ってのはつくづく弱いんだよ
賢くないし場当たり的だし正義もその時々によって変わるんだよ、そんで、思いもよらないことで感情が昂ぶるんだよ。
お前のアートへの感想にガソリン携行缶を持って行くと決めたのがそいつのアートへの感想なら、お前はその感想に館内は持ち込み厳禁です、感想は金属探知機に反応しない手紙でお願いしますって伝えてやらなきゃお前は芸術なんて語れなくなるだろ
ここまで長々と書いたけど
金髪のやりたかった表現とやらは不快だし、それを咎めた人に権力振りかざしたのなんか最悪の心境だったし、
名古屋がやらないって決めたのを不快に思う人がいるって理由ならそれは認めた時点で悪いって言うし、こんな表現だとは聞かされてないなら金髪も悪いってなるし、
ガソリン携行缶持ってくるってFAX来たから中止になったならやっぱり開催しようとした金髪の見通しの甘さ、それ以上にそんな脅迫をする犯人が無茶苦茶悪いってなる。なった。