「多くの市民の心を踏みにじっているから表現の自由とかいって保護するのはダメ。まして税金でやるのはもっとだめ」
だそうで。
俺は表現の自由戦士なので、こいつ何言ってるんだと思う。
心を踏みにじっているとしたら、心を踏みにじられた市民たちに死ぬほど批判されればいいって話で、政府が取りやめにしろとか言うべきではない。税金うんぬんは、そりゃあ補助金申請されたときにチェックするなり条件つけるなりすることであって、次回から厳格化するなりしろよ。
ただこの「心を踏みにじっているからだめ」っていう話は、ヘイトスピーチのときにされる話と同じなんだよな。ヘイトスピーチは、差別されている人たちの心を踏みにじるし公益にならないので、表現の自由に保護されることなく禁止される。そういう理屈で規制されることになっている。
俺は表現の自由戦士ではあるが、文系学科の教育をそれなりに受けているので、こういう理屈に一定の理解を示すつもりだ。たしかに世の中には人の心を踏みにじるしかない表現というのがあり、それを規制したいという気持ちはわかる。心を踏みにじったかどうかについて何某かが判断を下すのは不可能と思うだけで。
俺は不可能だと思うが、わが国ではヘイトスピーチを規制することに既に決まった。
だからさ、ヘイトスピーチ規制法ってやつを通した理屈から言えば、河村市長は正しいんだよな。
右左の極みに分かれているように見えて、言っていることが完全に同じ。
なお、場合によってはコンビニエロ本規制のような場合も、同様に「気持ち」への配慮を求める理屈を使う場合がある(こっちは使わない場合もあるが)。
俺が知りたいのは、かつてヘイトスピーチ規制や、コンビニエロ本規制に、手放しの賛成をしていた奴らが、今回も河村市長に賛成しているのかどうか。
右左の分断のせいか、そこのところが見えにくい。表現の自由戦士の中には、「クソ表現だが断固守れ派」と「左派の自業自得だから死ね派」がいるのは、まあまあ見ていればわかるんだが、いつもは左翼的立場から制限や自重や配慮を求める、反表現の自由戦士たちは、今回の件についてどう思っているのか。
③同じお気持ちを求めているのには気づいているが、あれを政府が辞めさせて良かったのか。難しい問題だと思う。
どれだ。