はてなキーワード: ルターとは
科学技術予算にAI重機を使ってトンネルを作ったらトンネルの工事まで科学技術予算みたいな形で統計破壊が進む昨今。
昔は、王様が言うもの、あるいは教会が言うものは絶対的に正しいという考えだった。
そもそも絶対的に正しいものというものさし自体がない。それでも何らかの正しさを元に正しいことを選び判断しないとならない。
だから、権威を作り、その判断のもとに動くということで、王様や教会の言うことが絶対的に正しいという前提のもとに社会を作っていった。
その中で、出版というものが生まれ、いや、教会より聖書のほうが正しいんじゃね?と教会否定が始まった。ルターによるプロテスタントの起こり。
ついで、明確、分析、総合、枚挙をなしたものを積み重ねて正しいものを作っていこうというのが始まった。デカルトによる科学の起こり。
初めは自然科学だけだったが、統計や、各種社会科学理論、法理論の積み重ねで、社会学にも科学が入っていった。
近年、新自由主義の小さい政府化が叫ばれ、その元、国が関与するのは良くないという理屈のもとに、国が関与している様々な分野の予算削減が叫ばれている。
だが、大学基礎研究はその次の科学技術、そして産業の礎でもある。
だが、「権威が正しい、権威が今までやってきたほうが正しい」と言いたいがために、
統計で嵩上げして「国は金を出している」と取り繕う。「国はやることをやっているがうまくいかないのは、現場が非効率で能無しだからだ!」と権威が正しいという形にしたいがために。
しかし、データの改ざんなぞ、科学に対する背徳でしか無い。明確の根源が崩れる。「権威が正しい」には出来る。
強いのは文部科学省公務員、弱いのは大学研究者。強い奴は無謬で、弱い奴が誤っているから正さないとならない。改ざん故にそう主張できる。
エクスルターテ♪デオ♪
ア♪デュ♪ト♪リ♪ノオォォォーストロ♪
エクスルターテ♪デオ♪
ア♪デュ♪ト♪リ♪ノス♪トロー♪
ユービラーテ♪デエェェオ♪
ユービラーテ♪デエェェオ♪
デオォォォーヤーコブ♪
デオォォォーヤーコブ♪
ユービラーテ♪デエェェオ♪
ユービラーテ♪デエェェオ♪
ユービラーテ♪デェオ♪
ユービラーテ♪デェオ♪
ヤーコブ♪
スーミテ♪プサールムム♪
エットダーテ♪ティーンパヌン♪
スーミテ♪プサールムム♪
エットダーテ♪ティーンパヌン♪
スーミテ♪プサールムム♪
エットダーテ♪ティーンパヌン♪
エットダーテ♪ティーンパヌン♪
エットダーテ♪ティーンパヌン♪
エーーークスルタアァァァテ♪デーーーオ♪
プサールテーリウム♪ユークーゥンドゥム♪クムチーーーータラ♪
プサールテーリウム♪ユークーゥンドゥム♪クムチーーーータラ♪
クムチーーーータラ♪
テューバ♪♪♪♪
インセンニ♪ディーイーエ♪
インセンニ♪ディーイーエ♪
ソーレムニー♪タアァァァティス♪
ソーレムニー♪タアァァァティス♪
インセンニ♪ディーイーエ♪
インセンニ♪ディーイーエ♪
ソーレムニー♪タアァァァティス♪
ヴェーエーエストゥレー♪
「出家して俗世を捨てて厳しい修行をしたり、たくさんある戒律や律法を守ったりすれば天国に行ける」という思想には納得感があるけど、古代や中世の日々の生活で精一杯の厳しい世界でそうした生き方ができるのは、お金持ちや高位聖職者だけというのが現実だった。
つまり難行系の教義だと、お金持ちと高位聖職者しか天国に行けないということになりがち。ということで、「○○するだけで天国に行ける」という教義の分派活動が生まれる。
キリスト教が「○○しろ、○○してはいけない」という定めがほとんどなくて、神を信じさえすれば救われるという教義なのは、当時のユダヤ教が律法重視のファリサイ派が主流派で、それへの改革運動がイエス・キリストの活動だったから。
もっとも、カトリックがあれこれ定めを勝手に付け加えたので、ルターがまた軌道修正せざるを得なかったけど。
「ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人的謙遜)
働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちにしか役立つ可能性がない。
でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたら
おまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。
はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう」
念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)
心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。
だから俺なんか結婚だってしちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ」
「おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。
身バレ防止のため口調を変えています 某教育番組は子どもどころか大人にもファンが多いのは知っている。 息子(3)は幼い頃からどハマリで最近は録画したその番組を繰り返し見ている 番組内の人気コーナーにビー玉の兄弟の話があるが、それは特にお気に入りであり恐怖にもなっていて(黒玉軍が怖い)その時の気分で「こわい」「ぼくくろだまぐんこわくないよ!」と宣言しながら見ている 第3弾で色々声がついたこともあり、はじめ見るのも拒否していたくらいだったが今では「こわかったねー!」と楽しんで観ている さて、まさにそれがテレビで流れている時その映像を無断転載してBL妄想しているバズツイが目に入った 単純にキモすぎて吐き気がする 子が純粋に楽しんでいるものでBLといえば自分が子供の頃ハマっていた某忍者のたまご漫画があるがそれも大人になって知りドン引きした 昔から好きなキャラがかけ算されている事実に子供時代の自分が憐れに思えた(作者がどうとかは今は置いておく) なぜ彼女(彼)らはなんでもCPにするのか? 別に知りたくもない 腐女子嫌いにも種類があるんだよ 自分はCP厨嫌いなんで二次創作でなんでもかんでもくっつけるのが大嫌いだ そういう意味で腐も百合もほぼ同じ目で見ている その友情が熱いんだろうが それは親子愛・兄弟愛だ師弟愛だ そいつは同性愛者なんて言及されてない そもそも彼女いるだろ 等々公式の事実を積極的に捻じ曲げる大胆さ畏れ入る。マジ無理 なにも腐女子自体に文句を言うわけじゃない これでも他人の趣味嗜好に口を出すつもりはない タバコと同じでマナーを守って愉しんでくれるならさほど気にならない(視界に入らないし)が、歩きタバコだポイ捨てだ喫煙所から離れたところで吸うだなんだされればその目立つバカのおかげで全部嫌いになるみたいな話 でも嫌いだからお前ら全員禁煙しろ、とはならないしそれはタバコ農家と税金がな〜くらいに思っているのではよ税金上げてくれくらいで矛を収めるようにはしている 腐女子に対して思うこともそんなに変わらない こんなんだが二次創作のBLは結構ハードなものまでそれなりに見れる なぜかってそりゃ生きていくために耐性をつけざるを得なかったからだ つけたくてつけた耐性じゃねーわ 生きるために仕方なくなんだわ BL嫌いでも好きなもの追っかける権利あるだろうよ それなのに検索したら腐妄想ばっかり引っかかりやがって、地雷踏みまくらなきゃ腐ってないものにはそうたどり着けないし未開の道を切り開いたってそんなオアシスがあるとは限らない いばらを切り裂くにはそれがいばらかどうか認識しなければならない 鍵もかけなければ検索避けもしないでキャラクター実在の人物お構い無しでエグい妄想吐きくさって 好きなものを好きって騒げないなんてって文句言うならそれが苦手な他者への配慮が必要な嗜好だということを理解しろ 仲間同士で集まるから世間がどうかなんて知らないんだろうが大抵の生き物が男女でつがいになる時点で特殊嗜好だという認識をしろ(実際の同性愛者を否定するわけではない。むしろ応援しているしもっと生きやすい社会になればいいと思っている。あくまで腐趣味に対しての考え) それでいてメディアに取り上げられると「やめて!隠れてるのに!」じゃねーーーーーよ 好きな絵だなと思ってフォローしにプロフィール覗くたび腐女子でがっかりという事例は数え切れないほどあるしこのなんともいえない気持ちを経験した人間は自分だけじゃないはず フォローすることで当然BL絵やBL話を目にすることもあるはずで、それを承知してボタンを押すかどうかの葛藤は凄まじい あんたの絵は好きなんだよ!!!でも「BL嫌いだけどあなたの絵は好きです」なんて感想でも送ろうもんならあんたを困らせるに決まってるから送れないんだよ!!! かといってBL肯定してる人間じゃないから全スルーなんてできねぇよ!! 過去、腐女子が常に腐ィルターを通さなければ何かを見られないことをかわいそうに思ったこともあった でもあいつらそれで見えた世界に狂喜乱舞して絵や小説や本やコスプレや無限に生み出していくから全然かわいそうじゃなかった あまりに地雷を踏み続け、いっそのこと自分が腐女子になれれば世界はもっと楽しいのではとトチ狂った考えが浮かぶこともあったがはたして腐女子にはなれなかった 腐趣味が受け入れられない根本的なところはもちろん大声で下ネタやらかけ算の話やら無理だわ この女優のAVが好きですって道のど真ん中で叫ぶようなもんだろ あと嫌なら見るな厨はどこにでも湧くがそういうのは検索避け徹底してる奴が言え頼むから 言っとくけど問題のツイだけ検索避けして関係ないツイは検索避けしないんじゃ意味ないからな どうしてかもわからないならとりあえず避けとけ この世界で腐女子を意識せずにオタ活なんてできないからな んなことはわかってんだよある程度我慢した上でもう限界なんだよなんだよ新しいキャラ公開されただけであれは受だの攻だの人だわ もう腐女子専用SNS作って隔離されとけ 既にあるらしい話も聞いたけど詳細知らん 腐趣味のない人間にキモいものを見せつけるな この毒吐きに過敏に反応する腐女子はもれなく指差して笑わせてもらう
ヘイ!コルターナ!って叫べばいいじゃん
もちろん多義的でポジティブな意味とネガティブな意味を持つことも多く、緑だと、人外、制御されない自然というイメージで、だからオークは緑の肌をしてるけど、春、若葉の芽生えみたいなポジティブなイメージもある。あ、あとイスラームも象徴してるかな?
で総合的に見てかなり悪いのは青、蛮族の色。ただ、マリアの色、フランス王家の紋章にも採用されかなり良い感じにもなる。
次。黒、悲しみ、沈痛さ、死、醜さを象徴する。ただ、中世末期に悲しみをネガティブに見るだけではなくそれに耐える心みたいな転換があり、ほら、ルターとかオランダの絵とかで黒い服おおいでしょ?
黄色。裏切り、嘘、不正、など。ユダの服の色に採用されるは異端者やユダヤ人に紐つけられて、ナチのユダヤの星にも繋がる。
あれ?黄色って紋章とかに普通に使われね?って思う人も多いだろうが、あれは黄色ではなく実は金色なの。
いいイメージは、赤、特に鮮やかな赤は高潔、勇敢、などをあらわし、白なんかも純潔、信心などを表しけっこういいイメージ。
まあ、それはそうとして現代日本のポップカルチャー分析するとどうなんだろうね?
たとえばプロスポーツとかかなり色のイメージ出してるし、別にアニソン以外にも色が歌に出てきたりしない?
まあ私は興味ないのでそういうのあまり追わないけど別にオタクカルチャーがポップカルチャーと関係が乏しいとは思ってないけどどうなんだろうね?
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
内村鑑三の著書の一つに『一日一生』という本があって、1年365日(366日)の各日について聖書の一句を引用し、それについて内村のコメント(他の著書からの引用)を付す、ということをやっている。
そのうち12月24日と25日がやはりキリスト生誕についてのものだったので引用する。
<12月24日>
”だから、キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(コリントの信徒への手紙二 第5章17節)”
イエスが処女からお生まれになったのは、神が普通の出産法を賤しめられたからではない。人類以上の生命をこの世に持ってくるために必要であったからである。贖罪はキリスト降世の唯一の目的ではなかった。これは罪の世に現われた第二の人におのずから懸かった職分であった。処女の懐胎は新人を世に供するために必要であった。私たちは聖書の記事によるだけでなく、宇宙の進化の順序からも、また私たち人類の切なる要求からも、この大きな事実を信じるものである。
<12月25日>
”天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである(ルカによる福音書第2章10-12節)”
もしキリストがお生まれにならなかったら、この世はどうだったか。
シーザー、アレキサンダーらはなお陸続と世に顕れただろう。君主ひとりのために屍をその馬前にさらす忠臣義士は出たであろう。しかし下民のために剣を抜いたクロムウェル、ワシントンのような武人は出なかっただろう。ルター、サボナローラのような、いわゆる社会的勇士は生まれなかっただろう。
ホレス、ヴァージルのような宮廷に媚びを呈する詩人は出ただろう。けれどもダンテ、ミルトンのような平民的詩人は出なかっただろう。
キリストの生まれなかった世界は貴族帝王の世界である。人を崇めてこれを神として仰ぎ、一人の栄光を到達させるために万民が枯死する世界である。キリストによって筆も剣も脳も腕も貴族の用をせず平民の用をするようになった。
押井守が宮崎駿がいるからああいうわけのわからん映画を作ったという発言
作品性を見るとなんだか遠いようでいて皆(宮崎も押井も冨野も庵野も安彦もみんなみんな)実は微妙に互いに気にし合ってそうな関係
これだけじゃなくて他にもいっぱいある。
冨野との対談で逆シャアを賞賛する庵野(そこでチラッと出てくる押井さんの名前
「夢と狂気の王国」で庵野の初対面の印象を「宇宙人が来たかと思った」とうれしそうに話す宮崎駿
庵野の隣で模型を手で動かしてインメンマルターンを再現する宮崎駿
俺はオタクじゃない→BOOOOOOOOM!!!!(※飛行機ごっこをする宮崎駿)というシーンに俺はなぜか泣いた。
なんてチャーミングなんだ。
風立ちぬのラストシーンが「来て」から「生きて」に変わった事を受け止めようとする庵野。
そして「ジブリはもう終わり」と言った駿が終盤で楽しそうに宮崎・鈴木・高畑で話しているのを見て最早俺の顔はグジャグジャだ。
→ワックなはてなーのdisに神さんマジ激おこ「まだ死んでねえっつの!!」
→ニーチェにバトルをふっかける
ニーチェ「いやー負ける気? がしないっスね。もう終わりでしょ正直神とか。前世紀が全盛期だったでしょ。今日は調子いいですわ。全身が口になったみたいな、断崖の高みから落ちる渓流の轟みたいな感じ。はやく俺のフロウを谷へ向かって流し落としてえ気分でーす」
神 a.k.a. Shit する God「人類? 最近頑張ってじゃないんですか(笑)。でも、まだちょっと、ちょっとまだねえ。譲れないでしょ。チャンピオンの座は」
M.C. Leo PP. XIII「さあ、Big. G.G ことガリレオ・ガリレイやマルティン・”シスマ”・ルター以来のビッグなマッチアップがやってきたぜ! ニーチェ vs 神! 果たして神は死んだのか!? それとも死なないのか!? さっそくはじめるぜ、DJ Shit-ダールダ! ギミアビーーーーッ!」
(チェケチェケチェケバウ♪)
どうみてもおまえ Wimp なバットマン
勝てるわけねえじゃん おれはクリプトン
負けるわけねえじゃん おれのスクプリト
かつて神をdisった俺たち
死んでくれて良かったな思うし
全力つくして行くぜ善悪の彼岸!」
神
「そう僻むなよ スーパー メーン!
見下げたやつだぜ ルサンチ メーン!
殺されるわけない オレの神学
降伏するならいまのうちだぜ
勝手に使うなヨソのザラシュトラ
ゾロアスター に頼ったところで
返却なんかしないぜ今夜かぎりで負債は
あれかこれかで悩むならよしな
身過ぎ世過ぎで死屍累々のこの世で
いつか掴むぜ獅子の声を Mein に
カインの末裔なら上等なんだ だったら
神
欠けたブルース・ウィリスだな
それに引き換えオレはダイ・ハード
ぜったい死なねえマジハートフルに
祝うんだ毎年のクリスマス of my child
俺たちいつでも Homie 三位一体だ
だけど おまえ次第だ 忘れんな
してやってんだ Say So Still God’s not Dead!」
Even after a bad harvest there must be sowing.
Seneca
凶作の後でさえも、
やはり種まきはせねばならない。
Seed ball - Wikipedia, the free encyclopedia
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Iron Is the Key -- Iron Ion Replenishment for Sustainable Oceans | Japan for Sustainability
http://anond.hatelabo.jp/20150214221130
続き
アナル増田「素晴らしい!!尻から煙が上がっているぞ。煙草とアナルの夢のコラボだ」
アナル増田「うむ、その恥じらいはなかなかよいぞ。90点をあげよう」
アナル増田「君には90点をあげただろう。アナルポイント90点だ」
可愛い女の子「よく分からないけど嬉しい!!ありがとうございます!!」
アナル増田「しかし、この尻から煙が上がっているのはマヌケでたまらんなぁ」
アナル増田「おお!!フィルター部分が黄色く色づいているではないか」
アナル増田「これをチャコールフィルターならぬ茶色ウンコールフィルターと名付けよう」
*チャコールフィルター:活性炭が入っており、ニコチン、タールを吸着、煙草の香りはそのままに味がマイルドになる
世間一般様から「読書家」とひとくりりにされ、一束十円のブックオフ価格で流通している今日このごろの読書ファッションクソ野郎どもであるけれど、その内実はピンキリで、とりあえずジャンルや内容や分量に関わらず月に三冊以上読んでいれば全国平均的に照らして「かなり読んでいる」ほうの部類に入る。
数を誇りがちなのは男だ。
数をこなしたからといって偉いわけではないと口ではうそぶきつつ、「いやあ、今年は千冊も読めなかったよ」だとか「一日頑張れば十冊は行けるね」だとか「○○の必読本リストは○冊しか読めてないな」だとかなんでもかんでも数字に還元する。
別に速読はクソだとか熟読こそ至高だとかいう議論をしたいわけじゃない。ヴォルター・ベンヤミンは生涯で1700冊しか本を読まず、一方でレヴィ=ストロースは一冊書くために7000冊を読み、イケダハヤトは年速500冊を読破し、ボルヘスは「1000冊も読める人間など存在しない」と主張した。この四人の言う「読む」はおそらくそれぞれ意味が大いに異なる。だが今はそんなことは関係ない。「本を読む、とはどういうことか」じゃない。傾向の話だ。重要なのはベンヤミンもレヴィ=ストロースもイケダハヤトもボルヘスも松岡正剛も佐藤優もそのへんのラノベ評論家もブログやってるビジネスマンもみな男だという事実だ。
男は自分についてであれ他人についてであれ、読書について言及するときに数の話をしたがる傾向にある。
数が多い方が偉くて強い。そういう世界は微笑ましい。人によっては浅薄で醜いと断じるかもしれない。けれど、浅い分理解しやすくはある。
そこに現れているのは一種体育会系的な価値観だ。どんなメガネモヤシとて鬱屈したヲタとて、オスである以上は筋肉量に憧れるのだ。私の読書冊数は十三万です。
強い。わかりやすい。
読書メーターが珍重される理由もそこに関係している。RPGみたいに、読書家のステータスを可視化してくれるのだ。今までの読書冊数がHPなら、月あたりの読書冊数がすばやさ、コメントがパワー。
既読冊数も数なら、読んだ本の内容も数だ。実のところ「読んだ本の数より、どれだけ内容を理解しているかのほうが重要だろ」と、男が言うときに使う「理解」という単語はそのまま「記憶」に置き換えうる。つまり、本の筋や要点をどれだけ他人の前でそのまま垂れ流せるか、どれだけ脳にストックしてある別の本と(それぞれの文脈を無視した上で)リンクさせられるかが男の言うところの「理解」となる。ぷよぷよとかミスタードリラーとか、そのへんの連鎖パズルゲームをやってるのとあまりかわらない。
ひるがえって、女は数の話をしない。そもそも数えない。目の前を流れてゆく本にただ好きか嫌いかのスタンプを流れ作業で押していく。
小説についての話をすると、まず自分がある登場人物をいか好きか/嫌いかを述べだす。本気で。ぼんくら男子同士が「ビッチ」だと「処女」だのとぼんくら慣れ合いのための属性を貼り付けて表面的に消費するのとわけが違う。彼女らは本気でキャラを憎み、愛している。
そして、いきなり自分語りを始める。マミさんによく似たバイト先の先輩の話を始める。そんな先輩がいらっしゃるならぜひ紹介していただきたい、というこちらの懇願を無視して、いかにその先輩とそりがあわないか、先輩がクズかをとうとうと語り、最終的にバイト先がかつてマルクスの予言し憂慮した末期資本主義的状況下にあり私はとてもつらいんです大変なんです疎外されてるんですだからマミさんは最低な女だと思います、という実に革命前夜なティロ・フィナーレに行き着く。
よくわからない。よくわからないと言えないまま、また別の本と別の現実の話題にうつる。
マミさんが嫌いな女子とは別の知り合いで、村上春樹を嫌いな女子がいる。その子は村上春樹がそりゃあもう大っ嫌いだ。春樹に関係するものすべてを憎悪していて、村上春樹本人も嫌いなら、ファンも勿論大嫌いで、村上春樹フェアをやってる書店も嫌いで、『色彩を持たない多崎つくる』が大ヒットしている現代日本社会も嫌っている。読まず嫌いというわけでなく少なくとも数冊は読んでいるはずのその子が本質的に村上の何が嫌いかはよくわからなくて、理由を訊いても「キザっぽくて嫌だ」とか「セックスだけじゃん」とか、いまいち要領をえない。だって、おまえ、バタイユとかサドとかロブ=グリエとか喜々として読んでるじゃん。
男子にも村上春樹とそのファンとその社会を嫌うやつはそれなりにいて、でもそういうやつらはなぜか「『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だけは好きだね」などと妙に言い訳地味た予防線を忘れない。続いて、聞いてもないのに春樹論について語りだす。「俺は基本的に春樹嫌いだけど、文学性や価値は理解できるし、いいところがあれば認める度量もあるよ」と言いたいわけだ。春樹以外の気に食わない作家陣に対しても似たような態度しかとれない。嫌うのに社会的にコレクトな理屈を探そうとする。それを見つけたあとでも、けなしはしても全面的な攻撃はしかけない。そんな度胸はないんだよ。俺もお前も。
女は退かない、媚びない、顧みない。嫌った相手には容赦しない。同時に自分の正当性や正義も疑わない。よって言い訳をしない。理屈を探さない。よその基準など関係ない。私の人生が伊坂はクソだと告げている。
虚構と現実の境界線をきちんと引き、作品世界をきっちり読み込み把握したうえで、手前の価値観の物差しのみを武器に全身全霊をもって襲い掛かってくる。彼女たちは数を数えない。だから、物差しで切り捨てた数もおぼえていない。
あなたがもし男であるならば、女と本についてトークするのはオススメしない。なぜなら、あなたは弱い。あなたはその本について、内容を記憶しているだけで実は何も独自の見解を有していない。その場でとっさにひねりだした解釈に、あなたは確信を持てない。それでは耐えられない。あなたは読書を通じてコミュニケートする、ということがどんなに恐ろしいことか、リアルにオリジナルな見解を持っている人間の狂気がどんなに鋭利か、わかっていない。年間三千百冊を読了できたとしても、それらの内容を一字一句違わず暗誦できたとしても、絶対に辿りつけない彼岸がこの世界には存在するのだ。そこでは数や引用など意味を持たない。愛情と感情がすべてだ。あなたは死ぬ。死にたくないなら他人と金輪際本の話をするな。外に出ろ。ゲーセンにいけ。三鷹駅裏のゲーセンではまだ『ぷよぷよ通』が現役で稼働している。あなたの居場所はまだそこに残されている。生きて欲しい。生き延びてほしい。
キリスト教徒なんですけどね。
なんか書くの余計かなとか思うんだけど書いちゃうんだよね。つい。
「戒律」についてできなかったことを「ゆるしの秘蹟」(告解は古い言い方)で神様の代理で「言葉ではっきり」赦してもらうんだよ。
でも信仰があるんだから、行いに顕れるべきだ!ってことで、「正しい」行動をするように奨められる。
あれはただそれだけのことなんですよ。
http://www.pauline.or.jp/yamamoto/yamamoto_56.php
「体はひとつでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」という感じに
「いい人も悪い人もすべてキリストの体(教会、の暗喩)の一部」と求道者には初心者のうちに教えるのが普通なのよん。
で、これに続けて、あなたへの答えが載ってる。ついでに書いてみよー。めんどくさかったら読まなくていいよ。
あなたの投稿を見て、「はて?」と思った人のために書いてるつもり。
「あなたがたに最高の道を教えます…(中略)…愛がなければ無に等しい」。
現実、真面目な信徒や真面目な子供は教会の外でも中でも「いい評価」を受ける。
でもそれがどうかしたの?っていうのがキリスト教徒の長所であり短所なんだよね。
悪いことやりたい放題してても、「ごめんなさい」で済ませるのが教会。
この点で不愉快な思い、たぶんする人多いんだろうなあ。
それについては本当に申し訳ない。ウチらの優先順位は神様なんだ。
もしキリスト教徒が誰かに悪いことしたのに謝りに来なかったらそれはちゃんと伝えるべき。
その時怒っても当然だと思う。
非キリスト教徒は「罪を悔い改めた罪人は、等しく神に愛された存在であって、『ずっと正しく生きてきた信徒』と同じように救われる存在だ、という感覚が本当に持てているの?
どこかで、昔からの仏教のような感覚で、「より修行をした僧は、より仏に近い」「偉い」存在だ、という感覚がありはしないか。」と疑っちゃうんだよね。
気持ちはわかるんだけど…死ぬ間際に簡単な洗礼を受けて天の父の元へ一直線しちゃうのも別に構わないよってのも、伝統的な教会は受け入れるよ。(※教派による)
しかもそうやって亡くなった人の死者のためのミサ(プロテスタントなら日曜礼拝の時に同時に祈る)もやります。
カトリックなら大概は来週~再来週辺りにやることも多い(ハロウィン・死者の月・11月参照)。
「大いに罪を犯し、その罪を大いに悔やんで赦しをいただきなさい。そして、その赦しの大きさ(愛)を感じて、他者を愛せ。」
とね。
余計な散文お目汚し失礼しましたー
ぶこめにコメントいただき、ぶこめで返せる分量でないので、増田借ります。もとのブコメは次の通りで、
id:BUNTEN氏の通りリフレ政策は期待が肝だが、サージェントの通りハイパーインフレも期待が肝。財政マネタイズを否定しない者も多いリフレ派がハイパーインフレは絶対起こらないとはダブスタの極みで嗤うしかない。
いただいたコメントは次の通り。
id:torrysGalley ハイパーインフレを心配しといてインフレ目標の導入に反対するのはまさにダブスタhttp://www31.atwiki.jp/anti_deflation/pages/1.html#Q23
お答えは次の通りです。
「ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊」シリーズの外伝的ネタ
『夢渓筆談』 沈活
宋代中国に書かれた古代中国科学史を研究する上での必読書だけど
今俺たちが読めば民明書房気分を味わえる名著だし仲間に入れてくれよ
小学校6年生の病弱な子がすごくよかった
『糞尿大全』 柳内伸作
とにかく世界中および歴史上のありとあらゆる糞尿に関する事柄をまとめた本
なるほどそんな事がと頷かせながらも
日常においてまったく役に立たない無駄な知識が!!
読んでると
腹が
減る
読書を始めた
あの
頃に
ホモホモしたり百合百合したり、大興奮間違いなし!
つい盛り上がってしまいパンツを脱いでしまったが大後悔!
『ダークライン』 ジョー・R・ランズデール
『ゼーガペイン 忘却の女王』 日下部 匡俊
言わずと知れたゼーガシリーズの外伝
先輩も出るよ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
ようぐそうとほうとふ!
『ニンギョウがニンギョウ』 西尾維新
あと拳銃は右手で
『ちびっこ吸血鬼はミステリーがお好き』 アンゲラ・ゾンマー・ボーデンブルグ
汚職に直接関与する事件のみならず副次的な殺人すら隠蔽せねばならぬことにうんざりした
アレクサンダー・マッケイはなんとか政治的な判断を相手に促しつつも事件の過熱化を防ぐために奔走するが
関係者よりも力を持つ上院議員とのコネを繋いだところでマッケイは殺害される
『異常の門』 柴田錬三郎
例によって「夢殿ウタタ」という名前に一癖ある主人公が、エロゲ展開とシリアス路線を並行して、物語の謎を解きあかしていく
主人公を助ける強力な右腕、ルートから外れたヒロインのひどい始末、クライマックスの盛り上がりという、シバレン小説の醍醐味が一冊で味わえるのでおすすめだ
『死ぬことと見つけたり』 隆 慶一郎
厨侍が厨性能で唯我独尊状態
娘の黒髪おっぱいは必読
1ページ目からやっぱり常人とは違うと思い知らされる
独特の人生観が貫かれてる傑作
『永遠も半ばを過ぎて』 中島らも
-永遠も半ばを過ぎた。わたしとリーは丘の上にいて、鐘がたしかにそれを告げるのを聞いた-
(書評1)異性との交際、学問への精進、肉体の鍛錬、
そんなものとは無縁な大学三回生の物語
まるで「」の活躍(?)を見るようだった
(書評2)来るべきハッピーエンドを目指したいけどそんなのは軟派だと世を拗ねてみるけどやっぱりなんとかしたい、という
まさに大学生「」というべき男が主人公
一緒に「夜は短し歩けよ乙女」も読むと幸せになる気もする
いもげの100冊がいもげの1冊になり兼ねない恐怖の書
急に読みたくなった
冴えないおっさんが若い女性に誑かされたりするよ!
(書評1)エロ面白い
(書評2)それ近くの図書館で高校の時に見つけてな…… 何度か借りて一年くらい使えた
二巻、三巻は男の子も多くて実に「」向きだよ
『神秘の島~ミステリアスアイランド~』 J・ヴェルヌ
ほぼ何もない状態での無人島サバイバル
海底二万マイルと実は繋がってる
『肖像画、馬車』ゴーゴリ/平井肇訳
神絵師になれるかもしれない才能を持った若き絵師「」が
悪魔のような肖像画に出会ったために破滅の淵へ追いやられる「肖像画」
のどかな農村で繰り広げられるホラ話と、それによって大恥をかく「」ちゃんが出てくる「馬車」の二編を収録
神絵師を志してる「」ちゃんは、「肖像画」の方だけでも読んでおくいいんよ
『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ
長年真贋が論議されてきたが今ではほぼ偽書ということで確定している
ただ全部が嘘じゃなくて半分くらいは真実じゃないかというのが現在の評価
スターリン支配下にあったソ連の芸術家がどういう立場にあったかが分かる
あとアネクドートとかそういうので面白い
『私の一世紀』 ギュンター・グラス
20世紀百年、それぞれ一年につき一編の短編が収められた連作短編集と長編の間の何か
WW1を振り返る五年間がレマルクとユンガーの架空対談に費やされているという時点で
ドイツスキッヒにはたまらないだろう
『キッチン』 よしもとばなな
名前は聞いたことあるけど、あまり「」が読まない本だと思う
だけど地味に面白い
今でも通用する小説だと思う
自分の趣味に没頭する話
400ページくらいの本編に脚注が400くらいある
『かえるくん、東京を救う』 村上春樹
かえるくんいいなあ
いいなあかえるくん
白痴の人妻と「」がキャッキャウフフするお話
孔子は詐欺師ぺてん師パラノイアであることを文献引きまくって描く
呉智英推薦
『りかさん』 梨木香歩
WW2後イタリアの田舎で友達の妹とキャッキャウフフする物語
自殺した中学生の肉体に、天使が記憶喪失の魂を入れ直して第二の人生を生き直させるお話
キャッキャウフフあり、青臭い中学ドラマあり、少年の心を忘れない「」にお勧め
オチのカタルシスは語りつくせないのでぜひ一読を
『ガルガンチュワ物語』 ラブレー
世界一お下劣な文学と名高い
ケツの拭き方が24通りも載っているのでメルターの「」には必携の書
もう60近い年齢の方がメイドさんの小説を書いてると思うと時代ってのはすごいなと感じる
途中からエロ小説 とってもライトな読み味でいい
前者は20世紀における数学大事件の一つであるフェルマーの最終定理の証明を、数学の歴史に沿って、数学が苦手な人にも分かるように説明された良書
後者は楔形文字からエニグマから量子コンピュータまでの暗号と数学と人の歴史をこれまた専門外の人でも楽しめるように書かれた良書
「本当は怖いグリム童話」を怖いところを薄味にしてラノベに仕上げたような作品集
作者は流血とかが苦手らしいのでそういうのはぼやかした表現とかカットとかしてある
『楽園の知恵』 牧野修
お気に入りは「逃げゆく物語の話」
人型の物語再生機の面々が当局による弾圧から逃れようとするお話でせつない結末が待ってる
『シグナルとシグナレス』 宮澤賢治
鉄道本線の信号機シグナルと、軽便鉄道の信号機シグナレスの恋物語
鉄道の信号機の擬人化恋愛モノというまさに「」風の尖ったセンスに脱帽すること間違いなし
「ピタゴラス派の天球運行の楷音です」って台詞が大好き
『バルタザールの遍歴』 佐藤亜紀
それくらいハズレなし
男の子同士の友情を、少年サイドと中年サイドから迫った「飛ぶ教室」は人気が高いね
エーミールも好きだが、続きのないこちらを推そう
魔性の女に会ってにんとかかんともならなくなる話
人がいっぱい死ぬ
カルト専門ジャーナリストが幸福の科学の本を読んでたら突然偉人が乗り移ってきて…
大川隆法の著作をパロって
大川が偉人が乗り移っていったと書いている内容を著者に乗り移った偉人が批判する
タイムリーな本なのに絶版
『寄生虫実話』
自分の息子の首を切ったお母さんにインタビューしに行く話
『ワルの恋愛術 ワルな男は3秒で女を虜にする!』 内藤詛人
恋愛指南書という「」からもっとも離れたところにある本だが、
心理学者である著者の語るテクニックは心理学の実験や理論を基にしており
そこいらのホストの書いた本よりも興味深く、真実味にあふれる
また、作者が前もって宣言している通りわかりやすい口調で書かれており
心理学入門書としても楽しめる良著
表紙のメイドさんや挿絵がかわいらしい
「私の記憶は80分しかもたない」
事故で記憶容量に80分のリミットがついた天才数学者の爺さんと、そのヘルパーの女性、そしてその息子通称ルートが数式によって親密になってゆくお話
数学嫌いの俺でもすらすら読めた
数式が「美しい」ってのを肌で実感できたのは初めてかもしれない
『百頭女』 エルンスト
「あの猿に聞いてごらん――百頭女って誰なの?
教父さまみたいに彼は答えるだろう――百頭女をじっと見つめるだけで、わしにはあれが誰なのか分る。
ところが君が説明を求めるとそれだけで、わしにはその答えが分らなくなってしまうのじゃ。」
絵本を模して、コンピューターや二進数の原理をわかりやすく説いた本
あちらこちらにジョークをちりばめユーモラスに書かれているが、内容はいたってきっちりとしているので
全く判らない素人にもお勧め
絶版なので図書館を探すこと
『銀河旅行』 石原 藤夫
ロケットの基礎原理から化学エンジン、原子力エンジン、反物質エンジンの各特徴と、なぜ化学エンジンでは銀河旅行が出来ないかなどの、宇宙機に関する基礎的な物理がわかりやすく解説されてる。
SF要素をふんだんに盛り込んだヒロイン達に振り回される学園もの
一巻は良かったんだ一巻は…
倫理とか意識って何なんだって話をつきつめてく話。
シノフサの先輩の人で、こないだ亡くなりました
『ふわふわの泉』 野尻抱介
ゼロからの世界構築でありつつ、どこかで見た(聞いた)ような気がするので決して障害にならない
アニメで見た「」もぜひ読んでほしい