はてなキーワード: 多重人格とは
虚無感しかないよ。
座る席によって平気で言うことを変えるやつばかりじゃ。
風俗で射精した途端に説教を始めるオッサンみたいな多重人格者ばかりだと思ったら、もう政治家の主張なんて読むだけ無駄にさえ思えてきた。
政党じゃなくて本人を見れば違うとかそんなことなくて、むしろ政治家自身が一番信用できねえ。
HPの活動報告を見ても「衆議院選に向けて頑張る私」「過去の政見放送」「俺、当選した」みたいなのばっかで、お前は結局当選した後なにをしたのか言えよって奴ばかり。
泣きそうだよ。
なんなんだよこの国は。
人生のピークが受験勉強のときに終わった名ばかり高学歴みたいな空っぽの人材ばかりじゃねーか。
状況に合わせて吹き込まれた空気を吐き出すだけの単なる空気人形、伝言ゲームを繋がるだけの糸電話程度の価値しかないゴミ共がよ。
なんなんだよ俺の地区は。
選ばせてくれよ。
選びようすらないよ。
映画『スオミの話をしよう』を観た。稀代の脚本家、三谷幸喜氏がメガホンを取ったとは思えないほど、つまらない作品だった。何故、これほどつまらないのだろうか。端的にいえば、寒川しずお以外の人物像に説得力がないからである。
もっとも説得力がない人物像は、主人公のスオミである。何故スオミは結婚を繰り返すのか。何故、多重人格のように出会う男に合わせて性格だけでなく、話す言語さえも完全に変えることができるのか。なぜ、身代金要求の狂言誘拐を起こしてまで生まれ故郷のヘルシンキに行くための資金を捻出しようとしたのか。
本来、これらの問いに対して観客を説得するようなエピソードを描くべきだった。しかし脚本は「そういう設定」といって長澤まさみ氏の演技力で観客を説得しようとし、失敗した。寒川しずお以外の他の登場人物も同様である。
なぜ、設定と演技力による人物像の説得に失敗したのか。その理由は、スオミの人物像を連想させるステレオタイプが十分に確立されていないからであろう。例えば、本作品で唯一、人物像に説得力がある寒川しずおはエキセントリックな有名詩人だが、エキセントリックな有名文学者というステレオタイプが文学史やフィクションを通して十分に確立されているので、設定と坂東彌十郎氏の演技力だけで観客を説得することができた。しかしスオミのような人物のステレオタイプは、史実にもフィクションにも見出すことができない。
この映画と比較すると、ドラマ『地面師たち』はエピソードによる説得と、ステレオタイプに乗っかって設定と演技力だけで行う説得を優れた形で組み合わせている。辻本拓海がなぜ地面師になったのか、石洋ハウスの青柳隆史は何故港区の土地を喉から手が出るほど欲しいのか、これらの経緯を説明するエピソードを描いて視聴者を説得している。他方でハリソン山中の場合、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターなどの極めて高い知性と身体能力を持つ超人的な快楽殺人者というステレオタイプに乗っかって、設定と演技力だけで視聴者を説得することにも成功している。
個人的には、フィクションには説得力が重要と考える。フィクションなのだから、エキセントリックな有名文学者や超人的なシリアルキラーだけでなく、人間のような意思を持つおもちゃや超能力者など物理的に存在しえない人物さえ設定で盛り込むことができる。しかし、これらは観客に対して説得力を持たなければならない。その方法は、既に確立されたステレオタイプに乗っかって設定と演技力で観客を説得するか、エピソードを描いて「だからこの人はこういう風になったのです」と説得するか、これらのいずれか(又は両方)をしなければならない。
(以下追記)
感情的に書き殴ってて申し訳ございません。読みにくかったでしょうに、読んでくださってありがとうございます。
一応補足しておくと、これは身バレというか本人バレを防ぐためにトーンダウンしてますが、実話です。
ざっくり、返していきます。
・「嫁」じゃなくて「妻」では?
→本来の意味を知りませんでした。すみませんでした。追記は妻と記載します。
・なんで結婚したの?
→一言で言うと、守るため。
妻の仕事は、表向きは普通の社員だけど、本当は監視役で下部会社に出向中の身である。
その際中、下手を打ったとして派遣元の(上部の外資系の)会社から責任を迫られているが、問題が露呈しないようにすることを条件にと強請られている……とのことだった。
問題が露呈したら会社での立ち位置が悪くなって辞めざるを得なくなるだろうし…ということだった。
もうそれなら養うから辞めちまえとプロポーズした。そして引っ越して一緒に住んでいる。
・パパ活してたんじゃないの?
→妻からは「友達がパパ活をしていたけどその友達は飛んだ。パパからはその友達のお母さんに連絡が来ており、その相談を受けている」と言われている。
なお、携帯を盗み見た際、(他のエピソードから察するに)実際にやったのは妻なことが確定。連絡は妻の母親に来ているっぽいことが分かった。正直参ってる。
それは置いといて、騙されてたんだよな。そこで俺の気持ちは「体弱いから家事できないのは仕方ないね」から「せめて家事くらいやれや」に変わったのは許して欲しい。
そして、この話については相談の際に「根拠」として見せられるものが乏しい。LINEのやり取りじゃなくてGメールのやり取りの画像のみ見せてくるんだけど、お粗末なんだよな。
あと、この件を話すときと、会社のことを話すときのトーンが一緒だし、スクショ等は一切見た事ないから、会社の方も丸々大嘘か、嘘が混じってるかを疑ってる。
・多重人格?
→これは本物。いわゆる憑依型。憑依中の記憶を主人格は保有していないが、憑依する人格が脳内で言葉で伝えることで共有が可能。
憑依中は全く別の人の振る舞いになるし、あのレベルでの変わり身を演技でやれるとは思えないな。
→転職です。あと運が良かっただけです。
ここまで書いて「なんで離婚しないの?」って思うだろうけど、俺に性欲が無ければ一瞬で切ってると思う。
あと、嘘ばっかついて生きてるのに同情もしてる。
劣等感に苛まされた過去や受け入れがたいトラウマを乗り越えるのには、大量の時間とお金、信頼できる家族が必要で、俺がそれになるのかなとか思ったり「なんで俺がそんな役目押し付けられるんや」となったり「でもセックスの具合が良いんだよな…」となったり様々であり、最終的に出て来た感情が追記前の「自由になりたい」なのかもしれない。
(追記終わり)
嫁の結婚前にパパ活やってたこととか、元パパから3年かけて貢いだ1500万返せと連絡来てるんだけど、まぁそれはどうでもいい。
これ以上に、専業主婦の嫁がメチャクチャ体弱くて多重人格で面倒臭い。
多重人格の方は病気だからもう仕方ない。強いストレスかからないと出てこないし、それはいいや。その人格は俺のことが嫌いで、出てくると罵詈雑言を受ける。
体が弱くて、普段の家事がままならない。朝食作り(パン温めてフルーツ切るだけ)と洗濯、整理整頓以外が何もできない。料理もアイロンがけも出来ない。
お手伝いさん雇おうとしても他人が家に入るのは嫌、とめっちゃ渋る。
独身時代は週1で鍵渡してるお手伝いさんに家事全般を丸投げしてたし、飯はテキトーに済ませて、とにかく仕事に打ち込めてたのに。
てか、昼職もやってた割に家事出来なさすぎな。体弱いとかそういう次元じゃねーぞ。
その割に会話のキャッチボールを一切しない。「夕飯何が良いかな」 「ネイルに失敗したの」 こういうレベル。「この曲良いな」 「お母さんが禁煙に失敗してさ」
お前話聞けよ。俺は聞いてるだろうが。
今は風邪をこじらせて自室に籠っている。10帖の自室が唯一のオアシス。
家自体は200平米以上あるし、シアタールームまであるのにさ、7年前の金の無かった極貧独身ワンルーム生活時代より自由が無いのは何なんだ???
金稼げるようになったのにコレだよ。
ただ、依存体質で月5で体調崩して会話のキャッチボールが絶望的に出来ない嫁だが、容姿がとんでもなく可愛い。
スタイルはモデル顔負け、顔はどんな芸能人よりも可愛い。セックスの具合も最高。
俺は自由になりたい。
自分で自分に「なぜこうしたんだ!?」「バカじゃねーのか!?」っていう自責の仕方する
で、今日は彼女とメシ食ってる途中に「かじりかけのフライドポテトそのままだよ」って云われたけど完全に身に覚えがなくて、普段の俺ならそんなことしない、それもそのはずフライドポテト以外の食べ物は齧ってもちゃんと自分の皿に置いてたのにそこだけ別人格に入れ替わったかのよう
言動とかも覚えてないことがおおい
でも多重人格みたいなことはなくて、むしろ人格がないのではないか?と思ってしまう
他の人の自責とか責められてるの見てても俺みたいな感じじゃなくてちゃんと本能とか意思に従ってやった結果だと思うのに、俺の場合は現に俺自身が客観的に見てもおかしいと思う行動をやってるから頭を殴らずに居られない
でも何故こういうことが多発するのだろうか
狂った世界を作り出した張本人。目を見るだけでキチガイだと分かる顔に全てのキャラクターを書き換えた怪物。設定もメチャクチャ情緒もメチャクチャ。ストーリーは意外とまとも。
自分の作品が滅茶苦茶にされているのを笑ってみてる異常者。作品が改変されてんのに何ヘラヘラしてんだよ!いわゆる寝取られフェチとかなのかな?
チー付与が改変されまくっているのを面白おかしく楽しんだくせに、他の作品では原作改変許せねえ!と叫んで回る多重人格者。チー付与のキャラかな?
狂ってる奴が多すぎる。時折正気に返るのがまた怖い。お前、狂ってた頃の自分を思い出して頭おかしくなったりせんのか?まあ既に頭はおかしいんやが。
この狂った状況を作り出した責任を一身に引き受けているはずなのに気配も見せない連中。縁の下の力持ちっていうか、人身御供として既に埋められとるんか?
「チー付与が売れていて羨ましい」「作画ガチャ当たりやん」みたいな感じで受け入れてる。凄いな。お前の作品が同じ目にあって耐えられるってことかよ。みんな頑丈だぜ。
チー付与単行本の表紙が発表されるたびに「全員悪人」みたいに言われるが、作品の外もヤベー奴らばかりやんけ。みんなおかしいよ。みんな狂ってるよ。
自分自身、解離性同一性障害(多重人格)の疑いありと医師に言われているので、本当は理解し合える仲間がほしい。
でも、Xで解離性同一性障害の人を探しても、結局「この人たちって詐病なのかな」と思ってしまう。
たとえば紅蓮とか朱雀のような、やや痛々しい名前の交代人格たちが、アニメキャラみたいな口調でポストを投稿していたり。知らない間に攻撃的な人格が他害していたというようなエピソードがゴロゴロ出てきたり。まるで小説の登場人物紹介のようなプロフィールを公開していたり。
事情も背景も知らない他人のことを、詐病だ何だと決めつけるのは良くないとは分かっている。
でも、私の中には格好いい名前の人格なんてないし、たとえ意図せず交代してしまっても、それぞれが努めて「私」として振る舞おうとする。社会で摩擦を起こさないように、なるべく埋没するように。
リアルで私の交代人格と話したことのある人も、決して少なくないだろうけど、きっと「やけに上機嫌だな」とか「今日は落ち込んでいるな」と思っているだろう。
わざわざそんなことを言って回ったりはしないから。
そもそも、自分が解離性同一性障害である可能性について、長らく気づいてすらいなかった。
思春期あたりからこの状態で、ちょっとおかしいなと感じながらも、みんな多少なりともそんな傾向はあるものだと思っていた。
私と同じように、自分の中に人格が複数存在していることに気づかないまま生活している人は多いと思う。
症状も決して、明確に派手ななものとは限らない。
もちろん、私が「詐病ではないか」と思いながら見ている人たちの中にも、実際に苦しんでいる人がいるかもしれない。
そして、仮に詐病だとしても、そうやってアイデンティティを確立しなければいけない心理状態というのは、何かしらのケアが必要なのだろう。
それにしても寂しい。
このまま「多重人格だと人にバレたらどうしよう」とびくびくしながら、一生を終えるのだろうか。
そんなことを、ふと考えてしまった。
自分自身、解離性同一性障害(多重人格)の疑いありと医師に言われているので、本当は理解し合える仲間がほしい。
でも、Xで解離性同一性障害の人を探しても、結局「この人たちって詐病なのかな」と思ってしまう。
たとえば紅蓮とか朱雀のような、やや痛々しい名前の交代人格たちが、アニメキャラみたいな口調でポストを投稿していたり。知らない間に攻撃的な人格が他害していたというようなエピソードがゴロゴロ出てきたり。まるで小説の登場人物紹介のようなプロフィールを公開していたり。
事情も背景も知らない他人のことを、詐病だ何だと決めつけるのは良くないとは分かっている。
でも、私の中には格好いい名前の人格なんてないし、たとえ意図せず交代してしまっても、それぞれが努めて「私」として振る舞おうとする。社会で摩擦を起こさないように、なるべく埋没するように。
リアルで私の交代人格と話したことのある人も、決して少なくないだろうけど、きっと「やけに上機嫌だな」とか「今日は落ち込んでいるな」と思っているだろう。
わざわざそんなことを言って回ったりはしないから。
そもそも、自分が解離性同一性障害である可能性について、長らく気づいてすらいなかった。
思春期あたりからこの状態で、ちょっとおかしいなと感じながらも、みんな多少なりともそんな傾向はあるものだと思っていた。
私と同じように、自分の中に人格が複数存在していることに気づかないまま生活している人は多いと思う。
症状も決して、明確に派手ななものとは限らない。
もちろん、私が「詐病ではないか」と思いながら見ている人たちの中にも、実際に苦しんでいる人がいるかもしれない。
そして、仮に詐病だとしても、そうやってアイデンティティを確立しなければいけない心理状態というのは、何かしらのケアが必要なのだろう。
それにしても寂しい。
このまま「多重人格だと人にバレたらどうしよう」とびくびくしながら、一生を終えるのだろうか。
そんなことを、ふと考えてしまった。
多重人格演技上手だね!
手下の人間を安く使いたがる文化はアイツが生まれるよりもずっとずっと以前、それこそ文明が誕生する前から野生の世界に存在していただろ。
自分が利益を得るために他人が勝手に苦労してくれることを望んでいるのは今の俺達も同じだ。
フェアトレードをやってないから安い服は買いませんと言ってる金持ちたちは、そもそも自分の給料を得る段階で立場の弱い人間の財布から金を抜き取って自分たちの財布に入れる作業を終えているわけで。
そこに手段を提供した武器商人みたいなのが竹中であって、実際に引き金を引き続けたのはほぼ全ての日本国民だろ。
椅子取りゲームに血眼になって参加し、「こんなのもう辞めましょう!学生時代がもっだいだい!!!」と止めもせずに未来を殺し合ってきたのは自分たちだろ。
その時に「こんなことをして若者をボコってたら年代に空白が出てあとあと出世させるための駒がなくなって組織が崩壊しますぜ」と口にしなかった当時の中高年、今の高齢者共も同じだ。
ガキ共もガキ共で「ま、アイツらの世代が完全に死ねば俺たちの頃にはちょっとは暖かくなってるだろうぜ。暖は人間の死体で取るに限るねえ」という余所余所しい態度だった。
誰もがクズだったよ。
竹中だけがクズだったなんて叫ぶには俺たちの手だって汚れきってるだろ。
「妄想の中で勝手に諸悪の根源たる絶対の黒幕が存在する設定を煮詰めて、その挙げ句に殺意を抱くなんて許されないことだ」だって?
は?
じゃあなんで皆竹中がなにか言うたびに死ねを大合唱するんだい???
滅茶苦茶なんだよ。
その場その場のその場しのぎで怒ったり諌めたり正論打ったり暴論に酔いしれたり結局はお前のお気持ち優先のポジショントーク。
もううんざりなんだよ。
「心のなかで育ったコントロール不能な憎しみが、わずかな関係性を手がかりに明確な殺意に燃え広がるという経験は俺にもある。俺にとって竹中がそれだった。でもアイツは反省のない悪党だから、善良な市民に殺意を向けるお前と違って、綺麗な殺意なんだ」ぐらい言ってみせろや!
単なる暴論にしたって、せめて自分の中で理屈の辻褄を合わせろよ!
逃げるな!
自分の精神病がある程度良くなったと実感した日、ちょっとしたゲーマー社会人コミュニティに所属した。
色々な努力をして、丁寧な礼節、マナー、常識を覚えて、やっていけるのではないかと思っていた。
無理だ。
幼少期から虐待を受け、中学高校共にいじめに遭ってきた俺は二つ目の人格を作った。
一つは、同級生の機嫌を取る為に、面白さに長けた、マナーも倫理もない人格
もう一つは親の機嫌を取る為に、マナーと倫理を備えた面白味のない人格
新しくコミュニティに所属すると、出てくるのは後者の性格であり、この人格でいると冷や汗や脂汗が止まらない。
身体を汗が伝う。えらく疲れる。
その後、一人になると、前者の性格に切り替わる。
二つの人格の間で許容基準が大きく異なる。前者では一緒に遊んだ人が楽しんでいないと罪悪感を感じるし、後者ではマナーや常識を守れていないと罪悪感を感じる。
人格が切り替わるごとに、前やったことに対して罪悪感が募る。自分を許せなくなる。
そのたびに酒を飲む。もう何も考えたくない。
寝れば夢を見る。夢の中でだけ、俺は幸せでいられると思う。
社会復帰は当分無理そうだ。
この先も無理かもしれない。