カトリックにおいて、聖餐のパンとぶどう酒は、実体としてキリストの体と血へと変化するとされるが、(化体説)
これに対してルターは、パンとぶどう酒の実体は変わらず、ただキリストの体と血の実体と共にあるのだとした。(共在説)
またツヴィングリは、パンとぶどう酒はキリストの体と血の象徴にすぎないとし、(象徴説)
カルヴァンは、パンとぶどう酒の実体は変わらないが、そこにキリストが霊的に存在しているのだとした。(臨在説)
こうした論争を聖餐論争、あるいは聖体論争という。
聖杯戦争ではない(これが言いたかっただけ)。
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