はてなキーワード: マインドとは
創作メインなら自分の思想で描いた作品が受け入れられやすくなる世の中を作りそうな奴を選んで投票だ
オタクが本分なら山田赤松に脳死できるマインドのほうが一体感でオタクをエンジョイできると思うので自分のマインドをそっちに合わせるんだ
アーマード・コア6、面白いんだけど真レイヴンに全然勝てないし、
勝ったところで行き着く先はウォルターかエアちゃんを殺さないといけないらしいし、
それどころかミシガンやチャティやカーラやラスティやスネイルを殺さないといけないらしくてゲームを進める気が全く起きない。
フロム君、昔は殺すのに何のためらいも湧かないクズだけ殺してればよかったのに、
何で621を評価してかわいがってくれる人を優先して殺させるん?
そう言えば隻狼も死亡回数が重なっても、主人公にはデバフがないのに、
周りの人間に病が流行っていくと言う最悪のシステムを導入しましたね。
人の心とかぁ、お持ちじゃないんですかねぇ(ねっとり)?
時代的なものと、地域的なこともあり「なめられてはいけない」ってない
マインドがあり、口の悪い言葉と言うか怒声を中学生の時に出してました。
ゴラァ!とか、あ?コラ?、なんやねん!とかとか。
で、今でも出そうと思えば出せるわけです。
もちろん歳とって、きちんとした社会人になり、そんな言葉を使うことはほぼありません。
記憶にあるとこでは10年前くらい公園でいじめしてる中学生に「ゴラァ!」って言ったくらい。
で、10歳の息子がいるのですが、そう言うオラオラ語を一切話せない。
時代的なものもありますし、地域的にもみな穏やかで学内暴力とか全然ない。
あだ名すら呼ばず男も女も「〜さん」言うてる。
むしろ教師がちょっとオラ!と叱って、生徒が登校拒否、担任交代とか。
確かに必要ないに越したことはないのだけど将来、ちょっと柄の悪い輩に巡り合った時ひどいことにならないかなと心配。
また自分は「ゴラァ!」と言えるからこそ、心の余裕みたいなものがあり
普段すぐにキレたりせずいろんなことに対処できてるような気もします。
けど「ゴラァ!」って言う練習なんてどうしたらいいかわからないし
ガールクラッシュとかの「私は最強!どんなあなたでも世界に一人だけで尊重されるべき!逆風には負けない!私はいつも頑張るあなたの味方!」みたいなマインドは自己肯定感って個人的には思ってなくて。
失敗しても、一日中寝転がって何もできない日があっても、ご飯作る気力なくて冷蔵庫の中の鮭フレーク貪り食っても、まあそんな自分も自分だよな~って思う事が自己肯定だと思ってた。
多くを求めすぎない。他人と比べない。そこそこの大学を出てそこそこ名の通った企業に勤めてそこそこ給料貰えるなら別にこのまま特に目標とか夢なくても生きていけるだろう。そしてそんな凡庸な自分を受け入れる事こそ自己肯定感だって。
でも違った、とは今も思ってないけど、自分の思う自己肯定感ってのは諦めでもあるなと思ってしまった。
目標を決めなければ目標が達成できなかったことにはならない、みたいな。
夢を語らなければ夢が破れたことにはならない、みたいな。
けどある程度大きな事語って、何かしらもがいてみて、結果自分に何も残らなかったとしても、それでもなお自分は自分だと受け入れるみたいな過程があってもいいんじゃないか。
かのラップモンスターさんも「お前のBIGな夢は何?」ってガン飛ばしてきたわけだし。
夢だけ持ったっていいでしょ?ってかの嵐さんも言ってたな、そういえば。
失敗した時の想像ばかりして気持ちを慰めてた自分にはちょっと難しいけど、将来の夢を考えてみたいんだ!
と、今日だけの決意かもしれないけど、書いてみる。声に出す。
最近の暇空のtweetは、堀口と堀口を利用する連中への攻撃一色だ。明らかに中毒のようになっている。一体何が起きているのか。
実は、暇空の気をそらせるために、巧妙な仕掛けを仕込んだ者たちに踊らされているのだ。
暇空は知的に潔癖な性格ゆえ、論理的な間違いや嘘を見過ごすことができない。
仕掛け人たちはそこに目をつけ、暇空が黙っていられないような仕組みを多数仕込むようになった。
リーガルバトルで負け始めたナニカが、強力なマインドハックで対抗してきたのだ。
暇空は、連中の仕込みに半ば気づきながらも、沈黙を保てず、朝まで5chを読み耽るようになり、攻撃性を増し、精神的にも不安定になってように見える。
(本来なら、井川のような者は放っておいて、立憲に勝つために保守党を応援すればいいのだが。保守党は維新よりも勢いを増してきているというのに)
まあワイはカンパつづけるけどね。
中学生男子みたいなマインドで「気に入らない女がデカい顔してるんじゃねえ」とか「気に入らない女がおれの好きな漫画アニメを貶した!許せねえ」みたいなのがいるんだわ
近年、原作者自殺という最悪な結末を迎えた「セクシー田中さん」や、つい先日にも「スナックバス江」がアニメ放送中にあてつけるように原作者による自主制作アニメが公開されるなど、原作者と制作サイドの関係性の問題が取り沙汰されています。
これらの問題により「原作を改変してはならない」「原作者の意にそぐわない映像化はしてはならない」という声も大きくなっています。
以下は、はるか昔にあった漫画原作によるアニメ制作時に起こった実話です。
もう何十年も前、当時のある人気漫画がOVAとして制作されました。
その漫画は今でも根強いカルト的人気を誇るSFコメディー漫画でした。
その漫画原作をアニメ化するスタジオは、長い下積みを重ねてこれが初の元請け作品になりました。
原作者はSFマインドに造詣が深く、絵も非常に達者で女の子の絵柄も可愛く、今もなお高い評価を獲得している有り体に言えば「天才」漫画家でした。
酔った勢いで気に入らない関係者に殴りかかったという話もある武闘派な人でした。
新旧のアニメーションにも造詣が深く、アニメ雑誌にもコラム連載を持っていました。
そんな原作者の作品をアニメするにあたって、やはり原作者はアニメ制作にも介入してきました。
監督は◯◯◯◯(巨匠クラス)にしろ、アニメ化のテイストはこういうふうにしろ、ああしろ、こうしろ・・・・
かなりの我儘とも言える多大な注文をスタジオに強いてきたのです。
スタジオもせっかくの初元請けなので強く出ることもできず、原作者の我儘な数多いの要望を聞き入れながら、なんとかアニメは完成させました。
上映中、原作者はまだ途中にも関わらず退席し、そのまま帰ってしまいました。
後日、アニメ誌の連載の中で自作のアニメ化を徹底的にこき下ろしました。
そんな作品が売れるはずもなく、失敗作の烙印を押されてスタジオも大打撃を受けました。
誤解の無いように言いますと、そのアニメは決して出来が悪いわけでもなく、単体として見ればとても丁寧に作られた良作でした。
しかし原作ファンからしてみれば「?」と疑問符がでるようなものであったのも確かです。
原作の魅力であったシニカルで毒のあるユーモアは鳴りを潜め、低年齢層が見るような童話的テイストに仕上がっていました。
しかしこれは原作者の要求通りに作った結果であって、アニメ制作側には原作者に恨まれる筋合いはまったくありません。
にも関わらず原作者は何が気に食わなかったのか公の場でアニメ化を糾弾したのです。
スタジオは原作レイプの汚名を着せられ、次に元請け制作のチャンスが巡ってくるまで実に20年もの時間を要しました。
ここで重要なのは「原作者の要望」はアニメ制作サイドは全て叶えてきたにも関わらず、その原作者が被害者ムーブをかました事です。
「原作者は絶対」なら、こういう横暴にも制作側は耐えなければならないのでしょうか。
「原作者は絶対」にも、限度というものがあるのではないでしょうか。
今後、原作者の権限はますます強まる風潮になってなるでしょうが、こういう無限定な我儘までをも許してよいとはとても思えません。
今一度、原作者と制作サイドの関係性を考えて、このような原作者が制作サイドを奴隷や玩具のように扱うような事が今後起こらないことを祈ります。
後日談として、
そのアニメを作ったスタジオは今ではクオリティに定評のある中堅スタジオに成長し、アニメファンからの支持も厚いスタジオになりました。
いままでのカテゴリでは一人でできた 一方いまのことはそうではない
そのモデルでやると地雷を踏む ある意味その意味でやりたいのなら
巨大リソースを動かさないといけない 巨大リソース金がかかる それにアクセスする場合は
嘘でごまかして過ごしてしまえば 頼みもしないのに同じような朝が来る
両方といってもわかる人はいない
人がどのように評価するか
僕の思っていることは難しい 理解者がいない
ロールモデルになるような近しい人がいた
仲良くしたいとかではなくて なるほどまだそのマインド生きてるんだな
親 泥沼みたいな思いからきてる
苦しいという思い 泥沼のようなある意味地を這うような経緯できてる
その人たち本当のことを知っている 解明しますよだとか修正しますよとか
我々にとっては部外者かもしれない