はてなキーワード: プレーヤーとは
私はパズドラを2回インストールして辞めた面倒くさがりなので(2回とも途中で面倒くさくなった)、
おそらくこれだけの騒動から見るに相当ぶっ壊れなんだろう。
それよりも気になったのは、「有名」プレーヤーがぶっ壊れキャラをガチャで引く姿だ。
私がみた動画では「有名」プレーヤー二人がぶっ壊れキャラを引くべくガチャを回していた。
有名プレーヤーといわれる人の動画なので、「このぶっ壊れキャラはさすがにおかしい」等の
彼らはただひたすらに<今、このガチャで、このキャラを手に入れなければヤバい>と
感じているようだった。そこには強迫観念めいたものが見て取れた。
有名プレーヤーにとってはゲーム内の強さこそ本当の「リアル」なのだろう。
しかし勿論このゲーム内の強さの「リアル」がゲームが成立している限りのものであり、
ゲーム自体が崩壊すればその強さの「リアル」も当然あっけなく崩壊するという
それほど「リアル」なほどにパズドラは魅力的でこれまでゲームがうまく成立してきたのだと思う。
だからこそ、いまぶっ壊れキャラを手にしたプレーヤーが有名無名を問わず
このぶっ壊れキャラの強さを持つ側として持たないものに対して、
「まぁまぁ、そこまで気にするなよ」と諌めているのはなおさら滑稽に見える。
「おっしゃー!大金手にしてウハウハだぜ!!え、お前持ってないの?」
いやいやいや、それすぐに紙屑になるから、本当に下手すりゃ全部無価値になるんだぜ。
今までみたいに優越感に浸って喜んでる場合じゃないんだぞ。
経済のルールが変わるからそれに合わせないといけなくなったという事なのだ。
昔のルールは;お金を稼ぐのは日本国内で日本語を話していればいいよって言うルール。
これからのルールは:国内のお金はだんだん少なくなるからお金を稼ぐのなら英語を使って海外で稼いでねーっていうルール。
ルールが変わったからゲームのプレーヤー(この場合は国民とか産業とか小さな意味では先生とか学生)はこれに適応しなければ生存できなくなるかもっていうこと。
それを分かっていないと、小手先の議論になってしまって、入学試験制度は大学が自由に作れるはずとか、高校生の基礎学力が落ちているとか、今の大学制度に問題はないのに
なせかえるんだとか、入試制度を変えれば問題が解決する訳ではないとか (おもにここに書いてある事だが(笑)http://blogos.com/article/63882/?axis=&p=1)
今までのルールは
と言う形。日本は確かに輸出で儲けたがそれでも経済は内需型。2010年の対GDP比で輸出依存度は11.4%で先進国ではアメリカに次いで低い。
ちなみに韓国は43%、ドイツは33%、中国でも24%。2010年でもその程度なのでそれ以前はもっと低い。一桁だったときもある。
そのような経済状況で必要な教育は内需経済のために必要な教育でいい。
だから国内の大学同士を競わせ、優劣を付け、教育のレベルをあげるというのでよかった。英語教育もいらない。英語は優劣を付けるための手段であり、
では、これから20年後どうなるのか?
2)内需の縮小
3)経済のグローバル化、知識のグローバル化による日本の産業の競争力の低下
が見込まれる。っていうかもう始まってる。
日本の経済を成長させ続けるためには本格的に外需で食べる事が出来るような体力をつけないと、
そうなると日本は国策として国内の大学同士を競わせて内需向けの労働者を大学で育成しても
貴重な外貨を稼ぐ事が出来ない。
また、人口が少なくなる中、海外からの優秀な頭脳を取り入れなければ競争力を持続できないが、
インターネットをつかったコンピューターネットワークが出来てしまった事によって英語の優位性は
もう既に決まってしまった。今後300年くらいっていうか未来永劫英語は世界の言語になってしまった。
それ以外の言葉はあまりにもお金を稼ぐのに不利になってしまったんだ。
お金を稼ぐルールが変わってしまった以上、プレイヤーはルールに従ってお金を稼ぐしかない。
で、いままでのルールでは日本国内だけで競っていれば良かったものが、国外の経済と競わなければならなくなった。
内需ならばいくらでも保護貿易できたんだけど、外に行くとなると保護できない。それどころか排除される側。
しかも輸出したい国は中国韓国はじめとする新興国から、欧米の先進国まですべての分野で競争相手がいるのだ。
また競争するためには時には相手とくむ事だってある。そのときの相手も日本語話してくれない。
つまり英語使って交渉できなければ売る事も研究も、つまるところ仕事ができないのだよ。
今回の入試改革によって入学試験は学力の面では圧倒的に緩和されるだろう。
そして大学に入るのには、勉強するに足りる基礎学力(特に理数系)、仕事に使う英語、交渉の際に必要な論理性の3つにおいて
ある程度のレベルを達していればよいとなるはずだ。
またそのためには勉強のスコアだけではなくて面接(特に英語、論理性)が試されるようになるに違いない。
入学試験は学力で学生を選抜する試験ではなく、学生の適正、能力、伸びしろをみるための試験となる。
一部の一芸に非常に優れた学生(たとえば数学オリンピックに出るような才能)はその枠で、
それ以外の学生に対しても可能性という枠で席を与えていかねばならないのだ。
勉強のできる学生が選抜されて入ってくる従来の制度では大学は入試が大事であとは学生が勝手に勉強してくれた。
これからは可能性のある学生が入ってくるのであとは「大学が育てる」という形になるはずだ。
故に大学は本当に勉強も教えなければいけなくなるだろう。また勉強だけではなくてコミュニケーションと論理性を育てる場所である必要がある。
これまで大学は国内の学生の選抜システムという形で機能していたが、これからは本当の意味での「学びの場」にならねばならぬのだ。
ルールが変わったのだから今までの国内のランキングなど関係なく東大を抜かす事だって出来るのだ。
この変革によって大学のレベルはより平準化され、専門化される。そしてその事が日本の大学のへきんレベルを底上げするだろうし、一部の学校は
近年音楽業界が潤わなくなったのはもちろん音楽そのものの質が落ちてるからだと思う。
原因の一つに音楽が評価される環境が少なくなったからというのを思いついた。
レコード、テープ、CD、MD、携帯プレーヤー。歴史的な順番はわからないけどもこれらのどこからか音楽を流し聴きすることが増えたのではないか。
当然これらがない時代は生演奏しか音楽を聞く機会はないだろう。もちろん生演奏をBGM的に聞いていた人間もいたと思う。
でも演奏を録音する機械が出て、近年では持ち運び可能であらゆる曲を簡単に手元に置いておけるようになった。
通勤通学途中でイヤホンをさしてる人は山ほどいる。でもそのうちの何割がしっかりと聞いているだろう。何割が家に帰ってからも聞いているだろう。
音楽に対して直に向き合わなくなったことで音楽の良さを正当に測れなくなっているのでは。
対して聞かないものを評価することは難しい。評価したとしても付け焼刃物である。
どんなに有能な政治も国民のレベルにまで引き下げられるというサミュエルスマイルズの言葉があるが、音楽もまた然りではないか。
演奏する側ばかりを叩くのも構わないが、自らの音楽への向き合い方も考えてみてはどうだろう。
聞く以外のことはなにもせず音楽に集中してみては。
2000円は行き過ぎだろうと思わなくもないが
最低賃金が上がれば、部品の単価が上がり、製品の単価が上がり、
企業の売上が上がる。収入が増えてるんだから製品が値上がりしても売れる。
業績を悪化させる企業は増えるだろう、特に大手に部品を供給してる中小などで。
給与上げなきゃいけないのに、部品の単価を抑えろと大手から詰め寄られるのは
容易に想像できる。
給与の下げにくさが少しづつ緩和されて労働者間の格差は縮まってくるはず。
中にはボーナス制度を無くす企業や、固定給を最低賃金額にほぼ固定して、
トッププレーヤーや経営者は高収入を維持し続けられるんだろうけど、
高給を得てるのに価値の低い仕事をしてる、主に制度的な恩恵を受けてる人は痛い目を見る。
労働者の収入が上がり、物価は上がれば、貯蓄の価値は相対的に下がる。
つまり働く世代への悪影響は調整できるが、引退世代は金を放出せざるを得なくなるということになる。
もちろん年金支給額も上がってしまうだろうが、そこは年金支給開始年齢の引き上げや
高齢者雇用の促進やらで、働く世代への年金負担額軽減措置が採られてトントンになると思う。
ま、妄想だけどな。
最低賃金を強烈に上げるなんてこと、しないと思う。
せいぜい20年かかって1000円程度がいいとこなんじゃないかな。
★「東京で600万円、700万円稼いでいた人が、東京に疲れて、隠岐の島とか徳島の山間に移住する」的話がある。
「年収は300万円になったが、通勤ラッシュもないし、食べ物は島や山の人がタダで持ってきてくれるから、かえって豊かになりました」的な話」。
・・・ミクロでは豊かになってるが、国家マクロでは、どうなのか?
★国家の税収とか、社会保障負担は、あくまで「金銭化された豊かさ」にしか課税・課金されない。
税収的には、「東京の700万円プレーヤーが、島根県海士町の300万円プレーヤーになってしまう」のは、
だから、国家単位で考えたら、Iターンの支援は、同時に「東京在職時と同額の給与の職場」を用意しとかないと、
そのまま「税収の減少」に直結することになる。
※もっとも、「産める年代の女性が地方シフトする」ことで、「国家全体では出生率が向上する」から、そちらを優先すべきとの話もある。
★別の言い方をすれば、
「住民同士が、物々交換で食べ物を分け合っている、田舎の支えあい社会」
というのは、美しいとも言えるが、キツイ言い方をすれば「脱税し合っている」とも言える。
大学生のときに買ってからもう6年近くたつけど、いまだに現役。
これよりシンプルかつ丈夫で質がよくて安いものはこれ以来見てないから、
買い換えられない状態が続いてる。
amazonでも品切れだし。
今持ってるの壊れたら死ぬ。
約53.7(W)×35.6(H)×16(L) mm
液晶なし。
停止(再生)・曲送り(早送り)・曲戻し(巻き戻し)・音量上下の5ボタン(ちょこっとipod的な感じのデザイン)と、
シャッフル再生と順次再生、フォルダ単位での曲スキップをするサイドスライダー。
必要十分すぎる。
基本的に手元見ずに感覚で操作することの方が多いから、ハードボタンは必須かつそれだけでいい。
調べたら4GBのが出ててオッと思ったけど液晶ついたり値段上がったりしてたから買わなかった。
電池のもちもいい。
1回充電すれば、通勤中に聞くだけだったら2ヶ月くらいもつ。
曲管理もいい。
フォルダ構成がそのまま曲順になってる感じで、エクスプローラをつかって直感的に曲を入れられる。
USBフラッシュメモリとしても使える。
あとカバーつき!これが地味にうれしい。
これでamazonで1980だった。
当時2GBのMP3プレーヤーが1980ってのはかなりお手頃でよかった。
今調べたらトランセンドとかので8GBで2kちょっとのがあったけど、でかくてごつすぎ。
MP3プレーヤーの曲名表示しかできないタイプのってほんと無駄だと思う。
プレーヤーにわざわざ入れるくらいなんだから曲名くらいわかってることのほうが断然多いはずで、曲名なんかまず見ないのに。
閑話休題。
事前にあっためとけばいいんだけど。
あとイヤホンジャックが抜けちゃうと絶対スピーカー再生になっちゃう仕様なのも気を使う。
両方とも大した問題じゃない。
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みなさん「みん経」って知ってますか?
「みん経」は「地域」に特化した経済ニュースを伝えるサイトで、北は北海道、南は沖縄、それどころかホーチミン、バンクーバー、ムンバイ、マニラなど海外に至るまで、数多くの地域にネットワークが広がっています。四国地域では「松山経済新聞」「徳島経済新聞」がすでに立ち上がっています。「みん経」ネットワークは、地域の情報をネットで入手できる数少ない手段だったりします(特に高知は、高知新聞がそんなにウェブに力を入れてませんし)。
移住してからというもの、「みん経」の高知版ってできないのかなー、と前から思ってたんですよ。そんな矢先、なんと「土佐風土祭り」でビール飲んでたら、たまたま運営者の方とお会いして「高知経済新聞」が先月末に立ち上がっていることを教えてもらったのです!
高知経済新聞、立ち上がったばかりですが、すでに数多くのローカルニュースが掲載されています。
高知・はりまや町「カツオの塩たたき」発祥の店「柳憲」、間もなく8周年
高知・中央公園で、「オクトーバーフェスト2014」-四国初開催、デポジットシステム採用も
高知家プロモーション部隊、渋谷でPR-観光、移住者獲得目的に
高知の飲食店「座屋」、マドリードに今秋出店-10年越しの夢実現へ
「高知の飲食店「座屋」、マドリードに今秋出店-10年越しの夢実現へ」なんてニュースは「ヘー!」と唸ってしまいますね。これは応援せねば!
スペイン出店の理由について、オーナーの岡添将人さんは「スペインは本格的な日本料理店がまだ進出していない。日本料理を店名に掲げた店は1000軒以上あるが、そのほとんどがもどき。本当の日本料理を提供し、日本料理の素晴らしさを感じてほしい」と意気込みを見せる。
高知の飲食店「座屋」、マドリードに今秋出店-10年越しの夢実現へ
高知は紙のメディア、テレビメディアは良質なんですが、ウェブメディアはまだまだ弱いンです。「高知経済新聞」はウェブメディア砂漠・高知のオアシスとなること請け合い。高知のよさを県内外に伝えるキープレーヤーとして期待が高まります!
彼らのニュースを見逃したくない方はFacebookページ、ツイッターをフォローしておくのがいいでしょう。ポチっとどうぞ。
今日は午前中に仕事を切り上げてもろもろの用事を終わらせに。妻はクロスバイク、ぼくはママチャリ(娘搭載)という布陣でのんびりと20km以上走りました。
意外とママチャリでも行けるもんですね。往復で25km以内ならママチャリでも自転車圏かも。高知はホント自転車に向いている街でして、右を見ても、
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左を見ても、
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田園風景!
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市街地は坂がほとんどなく、疲れにくい地形になっております。あぁ、絶景かな。
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こういう道を自転車で走ると、まぁ当然気持ちいいです。
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その割に、高知ってそれほど自転車人口が多くない感じがするんですよね。ママチャリが中心ですし。クロスバイク買うと生活変わりそうな人は多いので、普及啓蒙活動に取り組みたいところです。自転車は健康ですし、安上がりですしね。
今日は妻がせっせとパンを焼いていました。卵、バター、油を使っていないパンですが超うまいです。ナイス!
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夏休みも終わったことですし、今日は久しぶりに休肝日にしました。辛い!手が震える一歩手前!
妻のひとこと
とんぼと走った 夏の終わり
VHS全盛期、映像をもっと高画質で楽しみたいという人々の欲求により、新たなメディアの開発が急務であった。
ついに人類はDVDという高画質・高解像度の新型光学デバイスとそのメディアを手にした。
映画はもちろんゲームまでDVDとなり、さらにはAVまでがDVD化された。
AV業界はデジタルモザイクが主流になり、アナルの露出までが解禁されることになる。
http://anond.hatelabo.jp/20140814234529
の続き
少年(仮にAと呼ぶ)はこの人類史上最大の発明品DVDプレーヤーを買うことを決意した。
貯めてあったお年玉を使い、なんとか購入することができた。
しかし、AはAVというものを観たことがなかった。とりあえず近くのエロDVD屋に行ってみた。
Aは何も考えていなかった。その頃のAはただ男女の性交を見たかっただけであった。
そのエロDVD屋のラインナップはすごかった。たいていは普通のAVなのだが、コアな人たちのためのコーナーもあった。
スカトロ、アナル、SM…そこは触れてはいけない禁断の領域であった。
Aはそのコーナーの前で立ちすくんだ。少し頭がふらつき倒れそうになった。
AがそれらのDVDを手に取ろうとした瞬間体に電撃が走る。
若かりしAは可愛い女の子に対し、幻想を抱いていた。可愛い女の子には肛門なんてない。ましてウンコなんて…
想像もつかなかった。想像できないということは存在しないと考えていた。
「見てはいけない」
Aは本能的にそれらのコアなDVDに触れるのは危険であると察知した。
しかし、数時間の葛藤のすえ好奇心が勝ちアナルもののAVを買うことにした。
Aは初めて見た女優を好きになった。
まるで天使のように純真で無邪気で甘えるようなルックスに、Aは恋に堕ちてしまっていた。
股間が少しずつ盛り上がっていく。カウパー腺液が僅かに分泌した。もう射精寸前であった。
「イタ!」
Aはパンツに付いたカウパー腺液に苦しめられつつも、新たな快感に目覚めかけていた。
明らかに挙動不審な態度をとりながらレジへ。支払うと飛ぶように家に帰った。
家に誰もいないことを確認し、DVDをセットした。
続く
クソだと思う理由はリンクをクリックしても素直に遷移させないから。これに尽きる。
おかげで一度見た動画でもランキングでは訪問済みにならなくて、何回かクリックしちゃってうぜークソが!ってなる。
マイリストなんかも、もうこの動画つまんねーから次っていう気持ちになってるのに、自由の効かないマイリストや検索ページに飛ばされてイラッと来る。動画見せる意味ないからそのままマイリスト、検索ページに飛ばせろや!無意味に機能落としたページをDOMいじって見せるみたいな変なことしなくていいんだよ!クソが!
あと、関連動画な。マイページから飛んだらそのマイページのリストが関連動画になって、それを連続再生できたりする。だが、テメーの仕様がクソすぎてだめだ!マイリストなんかシリーズモンならナンバリング順にみたいにきまってんだろ!なんで逆順だよ!マイリスト並んでる順か!それなら逆だぼけ!
ふん、つまらないことで増田を汚しちまったな・・・すまん。しかし、俺のニコ動への愛は本物だとわかってくれたと思う。
ようは、ニコ動のGINZAあたりからプレーヤーの機能追加(改悪)がひどすぎると思っている。
運営するために金を集めるための機能追加はある程度必要なこともわかっているが、工数もかけているだろうに、良かれと思ってユーザーに不利益なことばっかしてるなーっていうの、マジクソ。
いや、良かれとも思ってないだろ、あれは開発者が新しいことやりたいからっていうんで、取り入れちゃった要素だと思う。だからこそディレクションがユーザーのためになってるかどうかの判断しろっての。
長くなるので徐々に書いていく。
この戦いは続いているので泥沼になったら自爆覚悟で実名暴露することになるだろう。
この中に出てくるプレーヤーには、はてなを見てる人たちには結構有名な会社が含まれている。
自分は個人事業主なのだけど、年商200億くらいの企業グループMと3年ほど仕事の付き合いがある。
当初はあるプロジェクトBEをめぐって、Mの小会社Vが委託し、自分が受託するコンサルティング契約でのお付き合い。
しかし1年後そのプロジェクトBEが業績不振で中止になることになって合意解約した。
その後(まだプロジェクトBと重なる時期だった)第三者Rと別のプロジェクトを立ち上げることになり、VとRと自分の業務提携契約を締結した。
プロジェクトBEで提供した営業秘密はRを含むプロジェクトREで利用は認めるが、それ以外では提供しないという合意解約を行った。
正確にはBEをめぐってVと業務提携しているBと提携解消の交渉が難航しており、Bは別事業者(X)と組んでBEを存続したい考え。
そこでVは、Xに継承するまでの間に限りプロジェクトBEの最低限の運用だけ行なうことになった。
そこでVからはコンサル契約は解約するが、BがXを選定して、VがXに継承するまでの間に限り営業秘密を使用させて欲しいと言ってきた。
相当虫のいい話だから拒絶してもよかったのだが、REが好調なスタートで、またVともまだ業務提携しているのでやむなく了承した。
ところがVは営業秘密をBEやREとは別のところで自分たちの利益のために使用していた。
これは以下のすべての契約に反する。
そこでさすがに自分も堪忍袋の緒が切れて徹底的に戦うことにした。
1980年代の小学校では、ある玩具が爆発的に流行しては、教師により特定の玩具の持ち込みが禁止されるという状況にありました。
コマなど駄菓子店で売られる玩具については、ほとんどが早期に禁止を言い渡されています。
その後、玩具は子供側に「これは勉強に使うものだから」という言い訳がある、文具店で販売されるものへと移っていきました。
キャラクターがキャップ部分についたシャーペン、色鮮やかな練り消しゴムなどです。
それらも、爆発的に流行して教師が持ち込みを禁止するのは、他の玩具と同じでした。
消しゴムは玩具性が低いとみなされ、子供たちが「自分の考えで」何かを選んだと主張するのに便利な品でした。
例えば、消しカスがひとつにまとまる消しゴムは、練り消しゴムの禁止が教師から告げられたあと、自家製の練消しを密造するのに使われていました。
練り消しゴム以外の、教師にとがめられない消しゴムは、おもに以下の3タイプでした。
・上記の箱が失われ、カドも無くなって、ほぼ円盤上になったもの
・片方が白く、もう片方が灰色の砂消し(すなけし、砂消しゴム)
小学校では休み時間になると、ボールを持って校庭へ飛び出す子供たちとは別に、教室にとどまり、学習机上で上記の消しゴムを使った「ピンピン」で遊ぶ子供たちがいました。
ピンピン基本ルール
1. 複数人が1つの学習机の端に、自分の消しゴムを置きます。
3. 自分の消しゴムを弾き、他の人の消しゴムにぶつけて机から落とします。
1. 自分で弾いた消しゴムを机から落としてしまった場合、勝敗はカウントされません。落とされた消しゴムとともに、落ちた地点に再配置します。
2. 攻撃する消しゴムの持ち主は、親指で溜めて人差し指や中指で弾くほか、逆に親指で弾く、プラスチック定規をばねとして使う、ノック式ボールペン(側面のスイッチで収納するタイプのもの)の戻る勢いを利用する、などの弾きかたがあります。
3. 狙われている消しゴムの持ち主はタイムを取り、机に密着させる、角度を変える、立てて相手ごと落ちやすくするなど消しゴムを置きなおすことで防御ができます。
4. 攻撃側も消しゴムの置きなおしができます。攻撃者と隣接してピンチの守備側が消しゴムを立てる→攻撃側も消しゴムを立てて底を弾こうとする、などの攻防があります。
5. 他のプレーヤーは、攻守の2人が時間を掛けすぎていると、早くやれと急かしていました。
文字を消す能力はないが小学校に持ち込むための言い訳に消しゴムの名がついた樹脂製玩具として、「キン消し」(キン肉マン消しゴム)の発売以前、「スーパーカー消しゴム」がありました。
スーパーカー消しゴムは他の消しゴムとピンピンで争うには軽量すぎ、おもにノック式ボールペンが戻る力で弾く方法で、スーパーカー消しゴムのみで対戦されていました。
必要な道具がひとつ多い、スーパーカー消しゴムどうしでは戦いに変化がない、などの理由で、流行はしたものの早期に廃れていきました。
私のいた小学校でキン消しが流行したのは、ピンピンにおいて、キン消しが適していたためです。
机の端で守備側がキン消しを立たせると、机から相手ごと落ちないようにするために、攻撃側には繊細な力加減が求められます。
重量がある「サンシャイン」、回転させてぶつけることができる「アシュラマン」は特に子供たちから愛用されていました。
プロレス技のポーズをとった姿のキン消しは安定性に欠け、ピンピンでは負けてしまうので嫌われました。自立できるポーズのキン消しがピンピンでは好まれました。
キン消しで漫画内のシーンを再現するような遊びは、ほとんどされていないか、ごく早期に飽きられていました。
私の周囲では、キン消しはピンピンのための器具として扱われていました。
Macを買い換えようと思っている。
ほとんどの人は知っていると思うがAppleの店員はとても親切だ。
家電量販店で言うとヨドバシも比較的親身になって相談に乗ってくれるがその比じゃない。
質問があって店員がわからないと他の店員に聞いたり電話を使ったり
新しい機種を買おうと思ったら2,30分相手をしてくれることもざらだ。
値引きをしてくれないのだ。(Applestoreや客にもよるが自分のところは不可)
先週末実物を見にApplestoreに行くと案の定親切にどれがいいと薦めてくる店員。
ついつい買ってしまおうか悩む。
しかしふと冷静に考えると価格.comの最安と3万円の差があるのだ。
3万円あればApplecareに入ったりメモリ倍にしたりそもそもワンランク上のMacも買える。
Time Capsuleを買うのもいい。
Macユーザーがみな年収1000万プレーヤーというわけではない。
親切な店員には悪いが家に帰り、価格.comを開く。
仕方がないとポチろうとするがここでも悩む。
だからといって商品が届かないとかアフターケアが悪いといったことはないようなのだが
あれだけ親切な店員を無視してこういったグレーゾーンの店で買っていいのだろうか。
これが正しい選択なのだろうか。
どうすればいいんだろう、だれか決めてくれ
生活道路における歩行者・自転車の死傷事故率は、幹線道路の約5倍。
日本 交通事故 歩行者 - Google 検索 http://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%80%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%80%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E8%80%85
http://archism.org/works/02-27-lunch-26-news.htm
埼玉県川口市の市道で9月、保育園児の列に車が突っ込み21人が死傷
した、あの痛ましい事故は記憶に新しい。事故現場の道路の幅員は約6メー
トルであった。広い幹線道路から一つ内に入った日常の散歩道での事故。
1年前の2005(平成17)年11月17日、警察庁は国土交通省と連携して作
成した「生活道路事故抑止対策マニュアル」を都道府県警察に通知した。
2004(平成16)年度中の交通事故発生件数が過去最高を記録し、なかでも
住宅地などの日常利用する生活道路での事故の増加が著しいという。
このマニュアルでは、幅員5.5メートル未満の道路における交通事故、なら
びに、市町村道における死傷事故率の増加が指摘され、早急の事故抑止
対策を呼びかけている。
川口市の事故現場の道路幅員は約6メートル。「平成18年警察白書」の
統計資料によると、道路幅員別の死亡事故件数がでており、2005(平成17)
年の件数全体の56.3%を幅員5.5~9.0メートルの道路が占めている。狭いな
がらも車の速度が出やすくなる道だ。ちなみに5.5メートル未満の道路は
14.5%を占める。警察庁の統計でも死亡事故発生率の高さが明確に示され
ている。
既存の生活道路の幅を広げ歩道をつけたり、車道部との分離を明快にす
るための整備には限界がある、当面は歩行者と車の混在を前提に、事故
という観点である。市町村道における死傷事故率の増加、いったいどう対
処したらよいのだろう。
道路統計年報(2006年版)の道路種別整備状況の表を見ると、市町村道
路の長さは、道路全体の長さの84.5パーセントを占めている。道路全体とは
一般国道・都道府県道・市町村道の合計である。われわれの周りの道路の
多くは市町村道で占められているのだ。事故対策は、行政まかせでも警察
まかせでも、もう手がまわらないのではないか。
しかし何か方法があるはずだ。子どもたちの犠牲を、多数の園児の犠牲を、
そのままで終わらせたくない。
『道はだれのもの?』
『みんなのものだよ』
Transportation Alternatives(New York City)
レポート表紙より
交通事故多発で
17日朝、タレントの風見しんご(44)さんの長女(当時10)が交通事故で亡くな
った。なぜこのように、交通事故で大切な人が命を落としてしまうのか。風見
さんの悲痛な叫びとともに、交通事故発生の異常な実態を深刻に受けとめ
てほしい。
4日、警視庁のホームページに掲載された 「平成18年中の交通事故死者
数について」 は、交通事故発生から24時間以内に亡くなった人の数を
6352人と発表した。この数字には24時間を越えて亡くなったケースは入らな
い。医療技術が発達した現在、24時間を越えて必死に命をつないでいる人
も一方で増えている。その数がここから漏れていることを忘れないでほしい。
全体の死傷者数は100万人を超えている。
また交通事故発生後30日以内に亡くなった人の状況について、警察庁の
「平成17年中の30日以内交通事故死者の状況」 は、事故時の状態を分析
死者数の構成比を国際比較している。
日本では、歩行中が30.8%、乗用車乗車中25.1%、自転車乗用中
13.9%。歩行者のほうが乗用車乗車の人を上回っている。
欧米諸国は、歩行中が8~20%台、乗用車乗車中が44~60%台、歩行者
より乗用車乗車の人のほうが圧倒的に多い。
交通事故はどうしようもない、車は便利だから仕方がない。交通事故によ
る死傷者、とくに歩行中の犠牲者に対し、社会はあまりにも無関心である。
しかし、交通事故死は、一切予告なく突然巻き込まれ、尊い家族を奪われ
た人の嘆き苦しみは行き場がない。交通事故死全体の数字よりも、歩行者
の死亡率の高い実態と、今の道路構造上の問題を具体的に取り上げ、歩
行者のリスクを下げる方向へ政策転換をしてほしい。(以下省略)
冒頭の川口市、市道での園児死傷事故を受け、あまりにも悲惨であり、被害
者への警察などの対応が理不尽であったために、現在の川口市長が速度
規制へ動き出した。
管理者が市であるからといって道路行政は埼玉県警や県の公安委員会が
担っていることもあり、簡単に動くものではない。しかし、昨年から年明けに
かけて、事態は急速に動いた。被害にあった保育園の周囲の市道が時速
30キロに規制されることが、県の公安委員会とともに決まった。
速度指定がない場所で事故にあった場合と、30キロ規制の道で事故にあっ
30キロにしても誰も規則を守らないという多くの声がある。しかし、規制があ
ると無いとでは加害者に対する、社会的処罰が異なる。だからこれは最低
今の法律の下では、とにかく被害者は悲惨である。ことに交通事故において
は、言葉は悪いが「死に損」と言われている。
今の法律、道路交通法や刑法は被害者を救うものではない。法整備を
進めるためにも、規制を増やし厳罰の項目をつくっていくこと、そのために
市民が声をあげ、市や県、国にお願いすることが大切ではないかと思う。
まずは身の周りの道路をよく見てほしい。情報を集め実態を知ってほしい。
子どもたちがもっと外で自由に遊べるようにと、多くの人が願っている。
そのための条件は、歩行者が守られる道である。車優先の道と、人を優先
させる道を分けて、はっきりさせたい。また、悪質な犯罪者が、車を使い
住宅地へ簡単に流入している現実も見逃せない。車による犯罪者が増えて
いるのだ。
記事より抜粋】
異例の市内全域 川口市 【共同】
昨年九月、保育園児ら二十一人が死傷する交通事故があった川口市は
二十七日までに、事故再発防止のため、市内全域の住宅地や裏通りなど
の「生活道路」で最高時速三十キロの規制を設ける方向で検討を始めた。
自治体全域での速度制限は異例で、実現するかどうかは不透明だ。
規制速度は、都道府県公安委員会が個々の道路について法定速度(一
般道はミニバイクを除き時速六十キロ)内で定める。生活道路の多くはスピ
ードを出しにくいなどの理由で規制が見送られてきた。岡村幸四郎市長は
「悪質ドライバーは狭い道でもスピードを出す。悲惨な事故を経験した自治
体として抜本的対策を打ち出したい」と訴える。
県公安委は昨年末、事故現場周辺の約八十五ヘクタールについて原則
三十キロの速度規制を実施することを決定。川口市は、市全域の規制につ
いて「県公安委と協議していきたい」としている。しかし「全域に新たな規制
標識を設けなければならず、予算面から考えても難しいのでは」(県警交通
規制課)という声も。
岡村市長は、市が主体的に速度規制を決める新たな制度を国に提案す
ることも検討。「例えば構造改革特区制度を適用できないか」と実現に意欲
を見せる。しかし構造改革特区は規制緩和が目的で、速度規制は「制度趣
事故で長女の悠月ちゃん=当時(5つ)=を亡くした福地禎明さん(37)は
「娘のような犠牲者が二度と出ないよう、交通規制行政をぜひ見直してほし
い」と話している。
川口の園児死傷事故 昨年9月25日、川口市戸塚東の市道で、近くの
公園に向かう保育園児らの列にライトバンが突っ込み、3―5歳の女児4人が
死亡、保育士を含む17人が重軽傷を負った。運転していた男は助手席の
カセットプレーヤーを操作しながら時速50―55キロで走行していたとされ、
業務上過失致死傷罪で起訴された。遺族は危険運転致死傷罪の適用を求
めたが、さいたま地検は法定速度以下だったことなどから適用を見送った。
*法定速度が高すぎることが原因のひとつ。
状況を何とか打開したかった人間の王は特別討伐隊を結成することを決める
その中心人物として選ばれるのが主人公
いわゆる勇者だった
みんなで色々アイデアを出しあって交換ノートみたいのも作ってた
とくに目的があるわけでもなく、なんとなくなノリでそうなっていったのを覚えてる
だいたい16、7年ぐらい前の話
自分とKくん(一番仲良かった子:仮名)で考えた物語は今でも覚えてる
主人公である勇者に、鬼畜&不幸な設定をドンドン付け足していき
国王への謀反を企てた罪(実は冤罪)で投獄され、一族を皆殺しにされていた死刑囚
魔王を討伐すれば罪を帳消しにするが、逃亡したり裏切ったりすれば即死すると告げられる
そんな死刑囚勇者であったが、もともと随一の切れ者だったこともあって
みるみるうちに戦果を上げて、周囲の信頼を勝ち取っていく
そして言葉巧みに王に取り入ったことで、ついに死の呪いを解かれるのだった
勇者は魔王軍に取り入り、国王をはじめとした全ての人間を虐殺しようと計画していた
魔法によって惑星はド派手に爆散し、すべての生命は消え去るのだった
そして、魔法は周囲の星々も連鎖的に巻き込み宇宙中に広がっていきました
おわり
モノづくりの楽しさみたいなものを初めて感じた時でもあった
だんだん凝った設定を考えるのが楽しくなっていき
アイデア収集のために色んな本や映画をみるようになったのも覚えてる
でもKくんは違った
ひとり抜け、ふたり抜け、という具合に仲間が減っていく間も彼はその遊びに没頭していた
完成した彼の作品をいくつも遊ばせてもらったけど、どれもすごく面白かったし
処女作をいの一番に自分にプレイしてほしいと言ってきた時は本当に嬉しかった
そして新作が出る度に練度が上がっていくことに驚かされた
彼は、自分が微妙だと言った部分をきちんと修正してきてくれたからだ
プレーヤーの痒い所に手が届くように、何度も何度も細かい改良を重ねてくれた
そんな彼の姿勢に応えなければと思い、自分も真剣にプレイするようになった
そうこうしているうちにネットの方でも彼の作るゲームは徐々に人気を博していき
Kくんはすごく沢山の人から賞賛の声を浴びるようになっていった
一番のファンである自分にとっては彼が賞賛されることがたまらなく誇らしかった
ひとかどのゲームクリエイターとなった彼を見た時は心臓が跳ね上がった
なぜ本人経由で知らされなかったかというと、彼との縁を切ってしまっていたから
Kくんが有名になっていくにつれて、まだ子供だった自分は彼に対して嫉妬を覚えるようになっていった
初めのうちこそ友人として真摯にゲームをレビューしてたんだけど
ゲームの内容よりもKくんのことが頭をちらついてどうしようもなかった
多くの人々から絶賛されるKくん
将来有望なゲームクリエイターとして色んな集まりに呼ばれるようになったKくん
ビジュアル、音楽、プログラムといった色んな要素を一人で手がけるようになったKくん
ゲーム制作サークルに所属して、年上に混じって作品を作るようにもなったKくん
ゲームのファンだったという年上の女の子と付き合い始めたKくん
対して、これといって誇れる能力のない普通の(モテない)子供だった自分
Kくんがどうしても羨ましくて妬ましくて、彼に対して卑屈になるしかなかった
そんなこともあって、彼との関係も徐々に希薄なものになっていった
あの頃に戻りたいとは思わないし
今でもKくんと交友を続けていたかったとは思えない
でも後悔はしている
卑屈になるしかなかった当時の自分をなんとかしたいと思ってしまう
どうにかして何かしらの生きがいを見出してあげたいと思ってしまう
ダラダラと無職を続け、誇れるような生きがいを何も持てていなかった自分にとって
彼の名前をネット上で偶然見つけたことは胸を抉られる出来事だった
夢を叶え、輝かしい実績を積み上げてきた彼を直視することはできなかった
そういうのはもう気にならなくなっていたと思ってたけど
ただ単に考えないようにしていただけだったと思い知った
惑星を丸ごとぶっ壊して全部終わりにしたいというあの気持ち
まさか今になって、自分が面白がって生み出したキャラクターの気持ちを味わうことになるとは思わなかった
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0611.html
十年前はこれが投資DVDではなく英会話教材のDVDセットだった。
懸賞に当選したというハガキが送られてきてホイホイ事務所まで出向いたら英会話教材とか旅行会員カードなんてものを勧誘されてた。
俺の相手をしたのはブスとおっさんだった。(原理研みたいな勧誘についてった時も勧誘相手は男だった。隣の席のイケメンは美女が相手してたのに)
「お金がない」という断り文句を続けていると、おっさんが「お金がない時は毎月のローンは私が払うから、それならいいでしょ?」なんて言ってきたので興味本位でそれを受けた。
おっさんはローンを肩代わりするという証明として名刺裏にサインと拇印して渡してきた。
というわけでマルチ御用達のローンを組み、おっさんと電話番号交換してDVDと懸賞商品をもらった。
ローンの初月、お金がないのでおっさんに「金を振り込め」と電話した。銀行にはちゃんと振り込まれ、ローンは引き落とされていた。
障がい者、特に精神障がい者を就労させようというのは、そりぁまぁ立派なことですし、当事者のお母さんが「あたしの年金でこの子は生きているけど、もしあたしとお父さんに何かあったらこの子は大丈夫かしら」と不安になる気持ちもわかる。
この国は、時給300円とか、それ以下で文句言わず働く労働力を切実に欲している。
移民をもっとと言いながら、結局のところ、文化的背景(つまり空気読めってこと)が共有できない移民を大々的に受け入れることはとても難しいというか、多分無理です。
僕のいる国は、とてもとても安い賃金で働き、空気を読みすぎるくらい読んで(だから心に傷を追ってしまう)、声高に自分の権利なんてとても主張できない、そんな労働力を真剣に求めているように思えます。
もちろん、いくらかの人は、そんな現場で心に致命的な傷を負うでしょう。でも悲しいけど、替えはいくらでもいます。
これは、精神障がい者の法定雇用率をあげようという政策の根幹です。
さてさて。ここからが本題。
だからどうしたってんだ。
確かに良心的で、心から障がい者のこと考えているけど、お金を生み出す力は低い旧来の福祉と、障がい者=超安い労働力としてとらえ、コスト削減、なんだったら助成金ももらって飯ウマーといういわゆる「社会的起業家」。
善悪で言えば、間違いなく後者が悪だけど、そんな中でも、障がい者が自己の選択に基づいて、自立へ向かうルートは多い方がいいに決まっている。
だから、障がい者雇用(に限らず、いわゆる貧困ビジネスも含む)に参加するプレーヤーは多い方がいい。
障がい者年金で月7〜8万の基礎収入があって、障がい者雇用で働きもう5〜6万でも稼げれば、正直今真剣に働いている非正規雇用の人より、収入は上回る可能性だってあるくらいだ。
だったらそれでいいじゃん。
悪貨は良貨を駆逐するするかもしれないけど、そもそも「貨」が生み出されなければ、駆逐もなにもあったものじゃない。
そのために、下心の透けた政官業のおじさんたちの手のひらで踊ってみる。
悪貨の方を駆逐することだって、ワタミやすき家の一件で、まったく不可能ではなくなってきているんだし。
障がい者をクソ安い労働力としてしか見てない、起業家・経営者などの皆様におかれましては、それだからこそ決してその本音をおくびにも出さずに、博愛の精神の権化のような顔をしててください。
馬脚がすぐに現れるのは、マジでカッコ悪いっすよ。