はてなキーワード: スイッチとは
3月に発売されて新たな期待が生まれている任天堂の新ハード、ニンテンドースイッチ
自分も買いたいと思っていても抽選方式が多く、小規模の小売店辺りでないと普通に買えないという状態になっている
さらに中古転売で定価よりも上乗せされた状態で売られるケースも珍しくなくなった
とりあえずパッケージ版は17個であとはダウンロード販売の物が多い
まずスプラトゥーン2という人気タイトルのおかげで今は右肩上がりであるのは確実
だが、実質完全新作で出しているソフトはまだ少ない
そう思うとどうして転売が起こるほどこのスイッチは毎回行列ができるのだろうか
確かに持ち運びながら家庭用のゲームができるというコンセプトは斬新ではあるが、現状の3DSやスマホ等のゲームと比べるとどうだろうか
後者の方がゲームタイトルのボリュームが多く、在庫や行列を気にしないで買える
個人的には3DSだろうとスマホであろうとゲームとして遊ぶところに関してはハードが変わっただけだと思ってる
勿論ニンテンドースイッチも触ってみたいが、何故かPS4のように試遊台が全くない
おそらくそこが多くの人達がニンテンドースイッチを欲しがっている原因である
一度触ればどういった感触なのか分かるはずなのにヨドバシやビックカメラのような大型店でも体験できる所がまずない
我慢できないので書く。
食した。
美味しかった。
なかなか行く機会がなく
うん?
おかしい?
昼時なのに
ガラガラ?
客が一人もいない?
奥に案内された。
その後
別の男性が入ってきて
たこ天セットを注文した。
「窓際は…」と言って、奥に座らせようとしたら
ここで???
ドキドキ
嫌な予感しかしない。
注文した定食が届いた。
切り身になっていた。
いいんだよ。
別にいいんだよ。
一匹乗せれなくても。
そこは我慢できるよ。
でも
レタスをちぎった上に
(スーパーの総菜売り場で売ってるやつ)ちょこっと乗ってるだけ。
えっ?
前はもっとちゃんとしてたよね?
うん
うん
作れなかったら
大将ひとりでやってるみたいだし
いいんだよ。
でも
その
ちぎったレタスが
茶色く変色してるのは
どうしてかな?
1日ぐらいで
茶色くならないよ?
おまけに
茶色どころか黒くとろけて腐っていたよ。
その場で文句言おうと思ったが
もうこの店終わったね。
この間の、急性食塩中毒で乳児死亡のニュースを受けて、厚労省が食塩中毒への注意喚起をするようにとのお達しを出したとかで、それを受けた県から各保育施設に通達が来たんだそう。今日近所の保育所併設の子育て支援センターに行ったら、その文書が丁度貼り出されるところだった。
で、それを貼り出していた職員さん達が話していたんだけれど、こんな当たり前の事がわからない馬鹿どこにいるのかと。事件を起こした保育士と認可外保育所が特別オカシイだけというような事を言っていた。
大人が飲んでもしょっぱく感じる致死量の食塩が溶かされた液体を、子供が普通に飲む訳ないから、事件を起こした保育士は悪逆非道極まりない方法でもって被害乳児に飲むのを強いたのであろうと。
でも、私は思うのだけれども、乳幼児って味にうるさいわりには塩味に鈍感なきらいがあるので、案外差し出されれば飲んでしまうのではないかと。それに暑さで喉がカラカラに渇いていたら、味とか関係無く与えられた飲み物をがぶ飲みしてしまう事は有り得る。
虐待的なやり方でなくても子供に食塩過剰飲料を飲ます事は出来るかもしれないし、ならば殺意のないどころかむしろ善意のつもりで、つまり熱中症予防のつもりで子供を殺す事は起こり得る。特別邪悪な人間で無くとも起こし得る事故だと思う。
常識的に考えろと。小さじ一杯の塩を溶かしたコップ一杯の水なんか大人でも飲めないのに、自分でも飲めないものを小さな子供にやる馬鹿がどこにいる?と。
反論しても素人の癖に知った口をきくなという空気がむんむんに漂っていたから、私は押し黙った。
じっさい、アホほど塩を溶かした水を1歳の赤ちゃんに飲ませた人なんか私は知らないし。1歳の赤ちゃんが濃い食塩水を自分から飲んでる場面も見たことはないのだし。
けれども、私は有り得ると思うのだ。
何故って、巷では熱中症対策として塩を強調した飲食物が大々的に売り出されているではないか。
それらの売り場にでかでかと書かれた「塩」の文字。それを見て頭が\パーン/ってなっちゃって、自分でもやたらめったら塩分を摂り他人にもガンガン勧める、みたいな人がきっといる。そう思うのだ。
そういう事で塩分を過剰摂取をして危険な目に遭った人の体験談は聞いたり読んだりした事はまだ無いのだが、逆に、塩分の摂らなすぎで重大な健康被害に遭った人のブログなら読んだ事がある。
そのブログの主は当時妊婦さんで、妊婦健診の際に浮腫み防止の為に減塩することを助産師から勧められて、なんと減塩どころか無塩の生活を始めてしまったのだ。しかも真夏。確か、一週間ぐらいしたら下痢が止まらなくなったと書いてあった。しかしブログ主は無塩生活をしてしまった事への反省の色はちっとも見せず、それが私には衝撃的だった。
このように、なんかやり過ぎてしまう人っていうのはいるものなのだ。
他にも、冷えは良くないと信じて真夏に酷い汗疹ができるほどタケノコ状に着込む人や、意地でもエアコンを点けない人などならよくいる。
身体に良いと思い込むと止まらない、むしろ全力で死に急いでしまう人達。そういう人が小さな子供の面倒を見ると危険なんだろうなぁ。
かといって育児をプロだけに担わせるのも無理ってもんだし、それではやり過ぎてしまう人々問題は解決しない。
VR機器に興味があって以前から買いたいな(エロ目的)と思っていたんだけど、機材の金額の高さに踏ん切りがつかなくて困ってました。んなわけで、VR-AVが体験できる個室ビデオ(sodのやつ)に行ってきましたので感想をメモ。
VRゴーグルははpi-maxという機器だった。聞いたことが無いメーカーだったけど有名なんだろうか? 結構ボロくて装着部の表面が外れてときどき視界に入ってくるのが辛かった。新品ならもうすこし良いのかもしれない。如何にもPCはゲーミングという感じのゴツいPCでした。ビデオ鑑賞に集中するあまり、CPU等のスペックを記録するのを忘れてた。グラボも刺さっていたので、PC一台でいくらするんだろうか。
視聴を始めての感想。前評判通り、没入感を感じる。思わず個室ビデオのソファに腰掛けてることを忘れて、画面の中のベッドにいるような感じもちょっとだけする。でもやはり、芸人がテレビで過剰なリアクションをするほど「リアル」とは感じなかった。所詮映像は「画面の向こう」という感じがする。10cm程度の至近距離に被写体がいるときにVRの臨場感が最も高いことを発見。こんな場面では「本当に女の子が近くにいる」という緊張感(興奮)を感じた。最近流行りのバイノーラル録音とセットで聴覚と視覚の二つを感じるやばい。
気になった点。
一番致命的だったのは、視聴中に首を動かして画面を追いかけていると視野中心の位置推定がズレてしまうこと。しばらく時間が経つと、首を前に向けても映像は左に30度程度ずれているという状態が発生し、だんだんズレが増加していくというトラブルに見舞われた。多分加速度センサがうまく動いていないからだろう。こうなると視聴を中止して映像を再生しなおすことになるので、集中して視聴できなくて困った。
自分はメガネなしでは生活できないヒトなので、メガネをしてVRゴーグルをつけると若干映像がずれている感じ。特に、VR内で被写体が10センチ程度の至近距離に来たときは映像に違和感を感じた。メガネ対応VRの開発を待つか、VRのためだけにコンタクトにするか検討するぞ。
VRはリアル感が売りなのに致命的で、解像度が低い。なんか他のレビューで見た気もするが、せっかくの没入感が低画質で台無しになっている感じがする。ひょっとして、fullhdくらいの画素数を(全視野角) X (両目)で配分しているのから解像度が低く感じるのだろうか。体感的には800x600ドットくらいのモニタでビデオを見ている感じだった。体感4kぐらいの画質になれば、もう言うこと無いんだけど技術的に難しいよね。
実用面では、VRゴーグルをつけると早送り等のビデオ操作ができないのでスイッチでゴーグルの視野を切り替えるorゴーグルをはずさずにできる操作が欲しかった。ゴーグルを着けたまま自慰するのは正直気持ちいいけど、「出したもの」を受け止められないのでこの対策も必要。個室ビデオではオナホが付いてたけど、家ではオナホの処理がめんどくさいのでもっと簡易な対策がほしい。ダンボールで囲いでも作って、液体を受け止めようかな。
総評としては、コンテンツ次第で購入もありかな。ただVRでAVを見るのは楽しいが金額を考えると、即買いたいというほどではないというのが本音だよ。ただ、次回個室ビデオにいったらやっぱりVRを選ぼうかなとは思う。AVだけに使うよりも、現実逃避癒やし系コンテンツが出てきたら買おうと思う。今回は、実写AVしかなかったんだけど3Dエロゲなんかやったら違った感想になるのかな? 体験できる場所を探している。
最後に建設的な提案を一つ。VRは種々の問題を抱えているけど、「そこにいる感」は本当にすごい。自分の全視野で映像を見せられると、気持ちも外界と隔絶してる気がする。一言でいうと現実逃避だよ。だから、美少女動物園的アニメの世界に入って、透明な第三者としてキャラとストーリーの進行を眺めたいと思った。つまり、VR-きんモザとかVR-けいおんを作れば癒やし度MAXだよね。日常系アニメがVRにならねえかなと強く強く待ち望んでいる。もし既にあったら、教えてください。
○昼食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)
○調子
はややー、むきゅー、ちゃらちゃらんりゅー。
今日も明日もお休みなので、今日こそ掃除した、さらに、散髪にも行ってスッキリ。
いつもいく散髪屋さんは、シャンプーのときにすごく気持ちいいブラシで頭を洗ってくれるんだけど、
「気持ちいいのでもっとしてください」と勇気を出して行ったら、普段の3倍ぐらいしてくれて、気持ちよすぎてアヘ顔になってた。あのブラシ家にも欲しいなあ。
この日記を書き始めてからだと、ディアンシーの頃からだから、ディアンシー、フーパ、ボルケニオン、きみにきめたで4回目ですね。
感想は次の○で。
○ポケモンきみにきめた
今まではテレビシリーズ旅の途中の一コマという作品だったんだけど、今年はテレビシリーズとは世界観を共有しない、オリジナルな世界観。
本題のストーリーは、とにかくよかった。
首藤剛志さんの名前が一部脚本みたいなクレジットで入っていたけど、1話のリメイク部分だけじゃなくて、ネットでよく話題になる最終回のボツプロットとか、幻の映画第三作目のボツプロットを意識したような展開もあったから、その辺を示唆しているのかなあ、とも思った。
とにかく、ポケモンというコンテンツの奥深さを感じさせられる作品でした。
こう、言い方が難しいんだけど、ポケモンってはっきり言ってなんでもできるんですよ。
ポケダンみたいなポケモン同士の大スペクタタルな感動ストーリーもできるし、
コマスターに至ってはポケモン関係なくAIと人の関係性のお話だし、
本編だってサンムーンのリーリエは、ポケモンと旅に出る前の親からの自立できない子供なんてテーマもやってる。
じゃあ、それら全部を包括して
「ポケモンとは?」と聞かれた時に、何が答えになるんだろう。
そんなことをエンディングのスタッフロールを見ながら考えていました。
もちろん、人それぞれ答えはあって、きみにきめたという映画がそれら全てを内包するわけじゃないんだけど、
漠然と思ったのが「終わらない旅」なのかなあ、と。
きみにきめたの作中でも、この「終わらない旅」を示唆する言葉がいくつかあって、
あるキャラがその終わらない旅に対して「同じことの繰り返しなのかも」と、ある種達観、ある種悲観、ある種憧れじみたことを言います。
それにサトシは「でも行ってみなきゃわからないだろ」と返します。
最後のスタッフロールが流れながら、色々と印象的なカットが続くのですが、
これらこそまさに、終わらない同じことの繰り返しの中にある、行ってみなきゃわからないことだったなあ、と一視聴者一プレイヤーとして思うのです。
ただこの「終わらない旅」は
「「シナリオえーだば創作術」 首藤剛志第155回 人間の言うなりにならないポケモン」
http://www.style.fm/as/05_column/shudo155.shtml
の肯定ではない、とも思うんです。
終わらない旅は、決して、心はいつまでも子供でいいじゃない、という肯定のメッセージではない。
十歳の子供が旅に出てその旅が終わらないなら、まさに心はいつまでも子供なんじゃないか?
と思われるのは、そうなんだけど、
ある時二十歳になったときか、就職した時か、結婚した時か、子供が生まれた時か、
とにかくいつかある日何処かのタイミングでスイッチが押されて、明確に子供が大人になる。
なんてことは、決してなくて。
どこか子供っぽいところが誰しもあって、100パーセントの大人なんて人はきっといないんだと思うんですよ。
だから、日中真面目に仕事をして、通勤時間や帰宅してから寝るまでのわずかな時間だけでも、子供に戻る時間があって、
それがポケモンでもいいじゃないと。
「いやでも、昔の大人は大人になったら子供の遊びはしなかった」
結局、ある程度年齢がいって、仕事もできている自分を、大人と規定したいだけで、
明確に大人検定や大人点数を図ることができない以上、こんなのただの言いたいだけなんですよ。
確かに、ある種の夢オチじみた展開をもって、虚構を否定し現実に連れ戻すことも必要かもしれないけど、
実際のところ、そうやって子供時代と大人時代を明確にスイッチできると考える方が、虚構的なんじゃないかなあ、と思ってしまう。
100%大人になって、ポケモンのことをあの楽しかった思い出の中にしまい込んでしまうのは勿体無いと思うんですよ。
確かに、仕事もせず、三十歳近くになって親の金でポケモンをする人生を全肯定することはできないです。
(もちろん、全否定もできないです)
自分の中で、程よいバランスを保って、虚構のポケモンと付き合っていける、
ポケモンという終わらない旅を続けていける、
この「バランス感覚」こそが、ある意味大人なんじゃないかなあ。
そんなことを、つらつらとあてもなく考えてしまうぐらいには、いい作品でした。
ゲーム本編は秋に新作のUSUMが出るし、金銀のVCもありますし、
ポケスペはB2W2がまだ続いてはいるものの、さすがにそろそろ終わりが見えてきたし、
ガオーレは、ダッシュになって、まあ評判は悪いものの続いているようですし、
ポケとるは、映画タイアップのピカチュウ祭りがそろそろさすがに終わって、アローラポケモンの実装が進むでしょうし、
コマスターは、水曜日の大型アップデートで一年越しにストーリーが進むと噂されてるし、
名探偵ピカチュウは、あれから一切音沙汰がないけど本編のスイッチ以降までにはなんとかなるかなあだし、
はねろコイキングは、リーグの先のアップデートがあるらしいですし、
ポケダンはアローラ追加の新作が出るかなあ、スイッチ向けかもなー、とかだし、
ポケランドはオープンベータだかオープンアルファだかでそこそこ好評だったみたいだから、僕も早くプレイしたいし、
とにかく、ポケモンという凄く広い作品群に、また一つ名作が生まれたと思います。
映画館に行こう! 本編のゲームがあればマーシャドーもらえるし、ゲームがなくても、サトシピカチュウのガオーレディスクがもらえるよ! ガオーレはオススメしないけどね!
●3DS
マーシャドー受け取りのために、カートリッジ版のサンとムーンをポケモンセンターまで進めた。
メインはDL版サンもあるので、マーシャドーが三匹ももらえていい感じ。
とはいえ、対戦はご無沙汰。
ポケモン熱は高いので、USUMで復帰しようかな。
いやこれ、ポケとるとコマスターが自分の中でケリがついてのがよくないんだよなあ。
なんかこう、うまいこと自分の中でキリのいい出来事を決めて、ばさっとプレイをやめた方がいい気がしてきた。
○ポケとる
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
○FGO
これで残るは礼装とかアイテム系、礼装は同一礼装を重ねた方がいいのかな、この辺の機敏がまだよくわからないや。
スタミナ消費アイテムは、第二部にとっておこうかなあ。
やれ銅をつこうてるだの10万円しただの蘊蓄を語る人がいるが、ガス炊きで育った俺からするとそんな無駄金使うより安いガス炊飯器で炊いた方がずっとおいしい。
ご飯のおいしさの基準は人それぞれだが、コメを美味しく炊くには火力、とにかく火力が必要なのだ。米炊の研究をされている方がそう言っていたから多分間違いない。
そうなると、わざわざ電気という火力面で不利なエネルギーで美味しさ勝負をするのは些かナンセンスに感じられる。
まぁ、世の中にはガス炊飯器を設置できない事情を抱えながらもうまいご飯が食べたいッ!という執念深い人もいるだろうから、
しかし、電気ならではのコントロールし易さがあると思うので、それを活かしてそこそこの味でなんか便利な炊飯器があったらいいなと思う。
何を持って便利か、というところはこれもまた人それぞれというところだが、一人暮らしの時間に追われる社畜からはこんな意見がある。
・とにかく炊きあがるまでの時間が短い(空腹を覚えてから支度を始めるため)
・時計合わせ不要(タイマーを使うのに時計合わせ必須の炊飯器はクソ。しかもコンセントから抜けると時計はリセットされる)
・安い(社畜にも関わらず金が無いため)
・炊ける量は少しで良い(炊くと炊いただけ食べる。食べ過ぎると気分が悪くなるという人間的欠陥を持つため)
なんか色々あったけど米炊いていなばのタイカレーぶっかけて食ったら素晴らしく美味しくて満足したので忘れてしまいました。
そんなところでぼんやり探していたところ、良さそうのがあったので紹介します。
コイズミ 小型炊飯器 ライスクッカーミニ ブラウン (0.5~1.5合) KSC-1511/T
米を洗って水入れてスイッチを入れると20分ほどで炊きあがる。
本当は炊く前にしばらく放置するそうなんだが、とにかく待ちたくないからすぐにスイッチいれてる。
それでもなんだか納得できる程度の炊きあがりはできるので嬉しい。
商品名にあるように、0.5合から炊けるというのも良くて食べたい時に食べたい量を用意できる喜びがある。
あとは蓋が完全に取り外せるので、清掃も乾燥も非常に楽できれいな炊飯器を維持できる。
炊飯器をきれいにすると人間として良い行いをした気分になれるので、この炊飯器は飯以上の喜びを俺に与えてくれるのです。
あと、タイマーも時刻ではなく、時間で指定できるから簡単だ。すぐ食べられるわけでもないのに米を研ぐのが非常にバカらしいのでめったに使わないが。
都民ファーストの会が圧勝して、ネットのコメント欄は結構もりあがっている。
マスコミが報じる主な要因は「腐敗への拒否反応」っていうやつで、確かにだいたいそうなのだろう。
一方でコメントの中には「馬鹿な都民が多いから自民が負けた」なんていうのもあって、これから政治的な求心力が弱まることの問題を指摘しているものもある。
そういったコメント欄を見るにつけ「我々はどこに向かうのか?」の論争がとても少ないな、と感じる。
求心力と表現するからには、どこに向かうのかは最も大切な事柄だ。
いや、もちろんどんな政党も「何をするのか?」「どこに向かうのか?」という話はしている。
しかし、そのアイディアたるや、現実的すぎるか、場当たり的すぎるかのどちらかに感じる。
大抵はバックグラウンドに経済の話が見え隠れしていて、それにラップがかかっている。
言葉をかえていえば、生物的に自然である「自分の利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲が、強烈に表れている。
しかしだ。
自分の目先の利益をとりたいのと同時に、人の幸せの役にたってもみたいし、大義のためになら死すら覚悟することすらある。
それが自分にとって、大きな報酬になることを知っているからである。
多くの人は、こんなことは100も承知だから、このバランスをとった政策を思いつきたいと、四苦八苦することになる。
さまざまな政策案は、ある意味「人を馬鹿にしすぎているのかな」と思うことがある。
先に触れた「自分の利益をとりたい」と「生き残りたい」という2つの欲求のスイッチを押しすぎていると感じる。
マズローの五段階欲求説が正しいとするならば、21世紀においては、もはや(経済的ではなく)生物的な生存欲求を満たせない人は限りなく少ないのであるから、政策は人間のもう少し別の社会的な欲求を満たすようなものであった方が、実は自然であると考える。
今の政策案のように、人間の生存レベルのスイッチを押しまくった結果は悲惨である。
おもしろいもので人は押されたスイッチに反応して態度をかえるからで、生存欲求のスイッチを押しまくった結果は、生き残り競争しか残らない。
もしこれに人の絶望が加わるならば、そこには戦争が見え隠れしてしまう。
こんなこと、誰も実は望んでいないと思う。
(もし望んでいるとしたらその背景には「絶望」が横たわっている)
これはとても不思議なパラドクスになるが、人間を信じれないから、信じれない政策を採り続けるというスタンスである限り、抜け出せない罠である。
もし政策を仕切る側として、欲求のバランスをとらなければいけないと感じているならば、まず人間を信じてみるしかないのである。
さて、では無邪気に人を信じてみるとして、一体どのようにアプローチすればよいのか?という課題がある。
それはマズローの五段階欲求の、より上位の欲求をつくように、政策やアピールを意図的にかえていくという試みが必要になる。
しかしその話をシンプルにしてしまうと、多くの人にとってピンとこないし、人の恐怖心や思い込みの呪縛を解かなければいけないことも多いから「希望」をもって語れるエンターテーメント性が必要となる。アップルのアプローチなどは抜群にうまい。あれを真似る手はある。
どちらにせよ政策を取り仕切る側としては、21世紀において、社会的欲求の方が生存欲求よりも強くなりつつあることを悟った方がよい。だからこそ、それを求心力に使わない手はない。
いつの時代の社会も課題を抱えているが、21世紀は、脱戦争や平和という意味で、人間にとってかなり重要な課題を抱えている。
その課題を解決するには、政策にも21世紀のイノベーションが必要で、そのイノベーションとは、人間の生存欲求をつくことをやめることだと考えている。
さて、ここでどうしても目をつむれない話がある。
希望は人を動かすものであるが、大きな希望の一つが「根本破壊」であるというやっかない人間の性質がある。根本破壊はたいてい戦争につながる。
この衝動は「なぜ人間は破壊的な感情をもつのか?」という書籍もでているくらいやっかいな性質であることは間違いない。
しかし、その書籍でも結論がないように、この破壊衝動というのは、人間に備わった自然な欲求であると理解するしかない。唯一理由を考えるとすれば「想像のためには破壊が必要である」という、人間都合ではない想像くらいしかない。
今までも人の社会は、安定してくると腐敗がはびこり、それに絶望した人たちが破壊(多くは戦い)をおこし換えてきた歴史がある。
つまり希望にみちて破壊行動を起こすのである。希望は平和を作らない。
これも自然の掟なのだとしたら、今まで考えてきた話はまったく無に帰する。つまり我々人間が能動的に起こせるアクションはほとんどない。
どんな政策を思いつこうが、がんばろうが、自然の成り行きで腐敗した社会が暴力的に定期的に置き換わるだけである。
この問題こそ、21世紀の政策を考える人たちが真摯に向き合わなければいけない課題だと感じている。
我々は抗うだけ無駄な存在なのか、それとも違う方法があるのか?
さまざまな背景を想像した上での個人的見解としては「新しい希望を創出することこそ、今の為政者が取り組んだ方がよい問題である」と元に戻りたい。
なぜなら、少なくとも今までと同じスイッチを信じていただけでは、同じ歴史を繰り返すことになる。
幸いにして、今世紀は人間にとって面白いイベントが多数待ち構えている。
初めての高齢化をキープした人口減少もそうだが、AI時代においてシンギュラリティが語られ、人間の脳を含めてたいしたことがないことがわかってきている今、人間存在、人間という生物に対する深い理解とチャレンジがこの世紀では実現してほしいと思っている。
そうすれば、少なくとも人間の抵抗が無意味なのかそうではないのか?のテストにはなる。
今の各政党(もしくは個人かもしれないが)が取り組むべき真の問題は、深い人間理解のもと、無邪気に自分自身を信じて、今までの政策アプローチをそれこそ破壊することであると思う。
そのためには、信念が必要で、そのためにはテクノロジー的な人間理解が必要で、その先には死生観と自然との対話や芸術が必要である。
さもそれが実現されたならば、平和ということが人間にとって必要なことなのかどうかも含め、本当の信念ある目標として成立させることができる。
下記に当てはまる人は直して欲しい
・机の上に鞄を置く
横に人が座ってるんですけど・・・
・手で覆わずに横を向いて咳をする
・扉や引き出しを音をたてて閉める
静かだなと思うと開けっ放し
・足ぐせが悪い
イス、コピー機、観葉植物、背が低めの物なら何でも足(土足)をのせる
スイッチや扉など、人が手で触れる場所を平気で足で触る神経が信じられない
人のものを断りなく触る
渡されるのを待たずに、人が手に持っているものを掴んで取ろうとする
スマホを覗き込んでくる
口を開けて食べているのか、バリッバリッガシュッガシュッと音がすごい
最近は氷も食べてすごいうるさい
昼休憩直前、定時直前になるとバチンバチンうるさい
・足音がうるさい
地面に足を擦るような歩き方をする
こいつが動き回ってると本当にうるさい
・指差す
人でも物でもなんでも指差す
横のデスクの椅子が引き出されていたことがあり、どう考えても足をのせていたはず
貧乏ゆすりで机を蹴ったり叩いたりする
頭をボリボリ搔きむしる音もうるさい
指で耳をほじるな、きもい
基本的にどこかに出しっぱなし
どうやって勘違いしたのか疑問
20年ぐらい1人暮らししてるらしいから生活について他人との比較ができないんだろうな
地味に一番むかつくのが、「渡される前に、人が手に持っているものを掴んで取ろうとする」とか「指差す」なんだけど、なんなの?幼児なの?
親はどういう躾をしたんだよ
そのチェック項目のひとつに「照明は消したか?」というのがある
が、そのオフィスの照明のスイッチは、廊下とオフィスの中間にある空間の壁にあって、一度オフィスを出なければ照明を消すことができない
そんな状況なので、わざわざオフィスを出て照明を消して真っ暗闇の中でチェックしてチェックリストをオフィスに戻すなんて誰もするはずがなく、みんな適当にチェックをしている
冷暖房は消したか?→はい→翌朝出勤してもついてました、とか何回もある
一度、この項目は無意味なのでやめましょう、と提案したら、なんとか監査で必要なものらしいので、やめられない、とのことだった
ちなみに、照明と書いたが実際には「電気は消したか?」と書かれていたが、以前「なぜ照明のことを電気というのか」というのを見て「確かに」と思った強烈な思い出があるので、わざと「照明」と置き換えて書きました
タイトル以外の部分の疑問の答えは、
それは君の脳が「乳首を触ったことがない俺」という概念にドリームを抱いて制的興奮をおぼえる遊びをしているからだよ。
実際は0歳のときにお母さんの乳首をチュウチュウ吸いまくって成長してるし、風呂のたび自分の乳首はこすってるし、別に乳首自体にたいした意味はない。
こう考えていけば当然「同世代の女の子がほかならぬ自分にさえいやーんとかの好ましい反応を返してくれそうなスイッチが存在するかもしれないと考えると興奮する」と書くべきだったとわかるだろう。
それをいきなり「乳首が云々」と書いているのでわけがわからない文になっている。
15歳男子の脳みそが短絡的に乳首概念だけでまで興奮するパワーすげーね。
たぶん辞書の乳首だのnippleだのに丸つけたりする古き良き遊びだけで解消できるんだろうけど、
そのパワーをなんか世の中のためになることにつかってほしいからまずちゃんと文章を書く訓練をしろ。
○朝食:へこきまんじゅう3個(ふつうの、こしあん、りんご)(世の中で一番美味しい食べ物だと思う)
○昼食:なし
○夕食:松屋の鳥の甘辛煮定食ライスを豆腐に変更(鳥の甘辛煮、サラダ、おろしどうふ、味噌汁)
○間食:アーモンド(n粒)、スライスチーズ(二枚)、ポテチ、うまいぼう(コンポタ、チーズ、めんたい、たこ焼き)、フライドポテト、チューハイ
○調子
はややー。
ここ最近、週に一回ぐらい再起動しないとダメだったので、買い換えた。
インターネットは毎日使うものだから、これぐらいの出費は致し方ないかな。
ただ、買い換えて思ったのが、無線はともかく、有線の速さがぱない。
今まで、10GBのファイル落とすのに1時間ぐらいかかってたんだけど、10〜15分ぐらいでダウンロードできるようになった。
「インストールとアップデートが超面倒臭い」というのの、解決になるな。
となると、4TBとか3TBぐらいのHDDも欲しくなる感じだ。
今月はさすがに微妙なので、来月にそれを買おうかなあと、Amazonで色々ほしいものを見ていたら日が暮れていた。
HDDも欲しいし、XboxOneXも欲しいし、スイッチも欲しいし、WindowsPCも欲しいし、MBAもそろそろ買い換えたいし、iPadminiも買い換えたいし……
うーむ、電子機器周りが色々欲しいなあ、と唸ってた。
何にしろ、親への借金を返すのが先決だから、まずはほどほどで我慢、我慢。
●3DS
○ポケとる
デイリー要素をこなして、ランドロス(れいじゅう)のスキルパワーが完成。
これであとは、レベル上げをこなして、メガスピアーイベントがこれば、念願のポケロードノーアイテムクリアへの挑戦権が得られそうだ。
○はねろコイキング
コイキングは、61代目。
ログボのみ。
想定以上に人気だといっても、だいたい週に2、3万台しかしてない
これが従来の想定していたの出荷予定の範囲だと思ってた任天堂の経営陣は無能か、意図的かのどちらかだ
週25,000台として、4週で100,000台。12か月あるので1,200,000台
年末商戦やsplatoonとかの大きなタイトルの時に多めに出荷するとしても150万とかその程度だろう
これで想定以上ですっておかしいだろ。当たり前じゃん。
どれだ?
そもそも任天堂はスイッチを据え置きだとかたくなに言い張っている
実際WiiUはラインアップから退場させているが、3DSはまだサポートやる気満々である
こういった任天堂経営陣の都合とかその辺の無能さがよく出ている。企業の都合のようなものなのだろう。
任天堂が本当にスイッチを据え置きの延長戦で考えてて、スイッチはあのWiiU(日本で400万台)の後継機だから年間150万くらいで良いと思うとか考えてたんだろうか。
客からすれば、企業が勝手に決めたカテゴライズなんてどうでもよくて、携帯できるのだから携帯ゲーム機だくらいの受け取り方しかしていない。
そして、実質それは3DS(日本で3000万台)の後継機だってことだ。
3DSはだいたい週に6~9万の推移を描き、12月は週に30万ぐらい売れていた。
普通はこっちを想定するものだが、任天堂の経営陣はwiiU(毎週1万以下、12月も週に5万くらい)を参考にしたということなのだろうか。
任天堂が据え置きと言い張っても、客がそれを受け入れるわけがないし、どう考えても携帯ゲーム機だ、そう利用できるのだからそうなのだ。
正しい
なんかちょっと誘われてその誘い方が気に入らないということで感情のスイッチが入る
その感情に導かれたグルグルした思考が始まる、それが妄想であり疲れの元ということ
「妄想」で指しているのは「そういう誘いがあった事実」ではなく「事実に対する感情的な思考の一切」のほう
具体的にいうと
誘い
があった、これは事実
を断ると数回に一回は「えーノリ悪いんだけどー」と電話の向こうから機嫌の悪そうな声が聞こえる。
いや、当たり前じゃない?なんでこっちがお前の都合に合わせなきゃいけないの?と思うくらいには私は性格が悪い。
というよりもなんで誘われた側が悪者扱いになるのかがわからない。
朝起きて今日帰って来たらあれしてこれして、これもやっておきたいなぁと計画をたてる。
起床した時点で私の一日のスケジュールはできているしこれはなるべく崩したくない。
趣味は一人でするタイプのもので、タイミングが合えば友人と話しながらすることもある。
私にとって一人で黙々と打ち込める趣味の時間はすごく大切だし、人生の休憩ポイントだ。
趣味のために一日頑張る日だって少なくない。いやほとんどそうかもしれない。
一人で過ごす時間は有意義で楽しくて楽で大切。その時間をノリで奪うの楽しい?
友人から誘いを受けるのは嬉しいし、なるべく断りたくない。
けれどもう家にも着いて一人の時間が始まっているタイミングで急な誘いをされると困る。
「もう家に着いてるから」と言うと「いいじゃん今からおいでよ」と言う。
何が良いの?私は良いこと一つもないよ?
人と会うとものすごく体力を使う。
これはもう体質でしかないと思うけど、友人でも上司でも知り合いでも一緒。
誰かと一緒にいることが好きな人もいれば、それで疲れちゃう人もいるじゃんね。
もちろん友達といる時間は好き。でもそれはお互いに思いやる気持ちがあってこそ。
なんで自分の突発的な思いつきで人を振り回してるのがわかんないんだろ。
相手のことを思うなら明日会いたいんだけど予定どう?の一言くらい言えないのかな。
急な誘いで新しい出会いが生まれるとか人生が豊かになるとか確かにあると思う。私にもそういう経験はある。
それを断ってノリ悪いとか言われるとさすがに何言ってるの?ってなる訳ですこっちは。
「前も来てくれなかったじゃーん」って、いやいや次も行かないよ?
でも急に飲み会を開くことになった来いよ!って言われると、は?って思う。
昔働いていたところで急に誘ったものに来ないやつは使えないってよく言われていた。
実際入社したての私にも急な用事をよく頼んでくる上司はたくさんいた。
あー試してるんだろうなって率直に思ってた。でも仕事上の話だからしょうがないよねとも思ってた。
試されてるってことは期待されてるのかな?頑張ろうって思ってた時期もあったし。
でもね、特別理由もなく人を試す人なんて本当にろくな人がいないんだよ。
こいつは俺の言うことをどれだけ素直に聞くかって思ってるだけ。
部下じゃないの。奴隷なんだよねそれは。
炎上していた人の理論で言うと誘いを断った人に対してこいつ仕事できねーなって思う訳じゃん。
行きたいけどごめんねって言った人が裏ではあいつ俺たちの会に参加しなかったから仕事できねーわって言われてるとか思うとおぞましい。
あいつノリ悪いわーあんな奴仕事もできねーだろうしもう呼ぶのやめようぜってなるのが目に見えてしまう。
本当に相手のことを思うなら相手のスケジュール聞いてから誘うでしょ。
それこそ敬意を払ってたら今から少し良いですか?お時間ありますか?って聞くだろうし、断られたとしてもノリ悪いわーって言わないでしょ?
そういう感情になるってことは相手のこと見下してるんだろうなって性格悪い私は思っちゃいます。
ちょっと前に仕事の電話してくる人は時間泥棒みたいな議論があったけどこれは違うのかな?
この話にも賛成派と反対派(反対派って言うかはわかんないけど)がいて色んな人がいるなとつくづく思った。
ノリで生きてる人の方が目立ちやすいから余計に発言が拡散されてるところもあるんだろうな。
ここまで書いててもう人種が違うんだなってことで私の頭の中は落ち着いてる。
ただ私はノリと勢いで家を飛び出すタイプの人とは上手くやっていけないだろうな。
世の中は目立つ人の意見に引っ張られやすい。説得力を感じる人の意見は正義にされやすい。
出会ったことのない人たちの中に私みたいな考えの人がいれば良いな。
そしてこういう考えの人もいるんだよって知ってくれたら良いな。
これ全部が妄想
ハッキリ言うけど病的
これが妄想
うん
でも無理して言ってると思う
突然ネットでダメだしっぽいこと言われて「ありがとううれしい」なんてシンプルな感想を持つわけない
表面を取り繕うのに内心でグルグルする癖しみついてる
モヤっとしたから書いただけなんだけど、ネガティヴな奴の頭ん中はこんな感じになってんだなーって参考にしてくれると多少有意義?かもしんない。
内容的に全然有り触れてる
だからみんな疲れる
でも特に人と合うとどっと疲れるとかいうタイプは妄想癖が濃いし
全くなんの役にも立たない思考であると自分でクールに読み返してみてほしい
それをやめたら全然疲れなくなる
これ俺だ。
人が好きなんじゃなくて
愛想笑いじゃなくて
本気で相手が笑った時
高揚感で満たされてなんというか無敵になった気さえする
クソな性格に蓋して
偽りの最高傑作を作り上げる事に磨きをかける
昔
父はテストが80点以下だと不機嫌なるので勉強して機嫌をとった
相手が求める空想上の人物をになれた瞬間は何ともいえない安心感がある
でもクソの方が俺だ
それに気づく奴はいない
みんなが知ってる俺は過去をいまだに克服出来ずに生まれた副産物
色々な本を読んで悩みの原因は分かった
というか長い間クソの方を出してないのでしようとしても良くわからない
出しても相手が傷ついたと気づいた瞬間に自動でご機嫌スイッチが入っている
周りも幸せに出来るし無害だしこのままでもいいかと思う時もあったけど
時々揺らぐ
クソの方を好きになって欲しい
良い人を極めるのもいいと思うが
このモードは相手の感情に合わせるので自分の人生じゃないように感じてしまう
人に興味がないのに興味を持とうとして
でもクソみたいな自分こそ好かれたいという気持ちは捨てられなくて
親が死んだらその時は親を許したい。
あくまでタイプカバーのバリエーションの一つとしての希望である。オプションで構わない。
理由は以下に集約される。
だいたいからして最近のノートPCは薄すぎる。特段モデル名をあげなくても理解してもらえると思うが、「打鍵感が向上した」「入力に問題はない」と評されるそれらのモデルは「我慢できる」という意味であって、決して「入力していて気持ちが良い」ということではないんだよ分かってくれ。メーカーは消費者のニーズが「薄さ」ただその一点にあると確信してるように見える。開発競争に血道を上げるうちに、ついに打鍵感まで犠牲にするようになってしまった。ユーザーは酷い我慢を強いられていて、モデルチェンジごとに浅くなっていくキーストローク、底づきの硬さ、指先の苦痛を我慢するため修行僧よろしく新打鍵スタイルを模索するようにまでなってしまった。厚ぼったくても良い、重くても良いから、頼むからキーボードは犠牲にしないでくれ。そう思っている同志達がいると私は強く確信している。
さて、ここで考えうる『こだわりキーボードカバー』を紹介しよう。現行タイプカバーは約300g、これらのモデルは200g増えて約500gとなる。本体と合わせれば約1.2kgで厚くなるが、至高の入力環境を提供する。
http://japanese.engadget.com/2014/02/11/grannote-3mm-3/
横幅もちょうどあうサイズであり、Type-Sではキーストロークの調整が入っているためノウハウを転用すればタイプカバーへの搭載も夢ではない。
http://www.4gamer.net/games/118/G011863/20141101006/
あなたに確信して欲しいのは、これらは物理的に可能であって夢ではないということである。ロット数はあまり出ないだろうから単色、最悪の場合英字配列のみになる可能性もあるが、天下のSurfaceであれば1オプションとして絶対に提供可能であるということである。打鍵感の良いノートPCへ回帰して、タイパーを至福の環境へと誘う。実現のため、我々は薄いキーボードにNO!と言わなければならない時期に来ている。