はてなキーワード: スポルトとは
最強のラノベって何だよ?まずそう思うだろう。俺も正直深夜のテンションで筆が滑ってこう書いている。
だが、これから紹介したいラノベは唯一無二のラノベだ。少なくとも、俺の心を救ってくれた。
簡単にあらすじを紹介しよう。
主人公は2人いて、奇数巻は最強の女暗殺者ミズー、偶数巻は最強の精霊を瞳に宿す少女フリウが主人公だ。この2人がそれぞれに「心の実在を証明せよ」と語りかけてくる謎の精霊に立ち向かうという話だ。
いや、待って逃げないで。確かに俺もすごい厨二病っぽいと思う。でも違うんだ。フレーバーテキストっぽい「心の実在を証明せよ」というのをガチでやっちゃうからこのラノベは凄いんだ。
その証明は要約できない。このラノベは全部で10巻あって、それだけの文字数をちゃんとテーマを語ることに使っている。それだけの文字数を読むと要約しても伝わらないことが分かる。
それでも敢えて要約するとこんな感じになる。まず信じることは心の働きである。それならば、信じられるものがあれば心が実在すると言える。では、絶対に信じられるものとは何か?となるが、そんなものは存在しない。しかし、絶対はなくとも信じられるものはあり、それを信じることが心の実在の証明となる。だが、答えだけを求めるものにはこの証明は理解できない。
だから、このラノベがどういうところで俺の心を救ってくれたのかを説明することにする。
かつての俺は絶対に信じられるものを探していた。なぜなら心が不安定だったからだ。
もし絶対に信じられるものがあったとしたら、それに沿って生きていれば自分は悪くない。悪いのはいつも「アイツら」の方になる。
そんな気持ちで俺は絶対に信じられることを探して数学や物理の勉強に取り組んでいた。
そんな中でラノベ新刊として出てたのがエンジェル・ハウリングの第1巻だった。
最初はこの本が俺を救ってくれるなんてことは夢にも思っていなかった。ただ、当時好きだったラノベと同じ作者だったから手に取っただけだ。だが、「かつて地図には空白があり、空白には怪物が潜んでいた」という文章で始まる巻頭詩を読んで、この話はすごい話かも知れないという予感がした。
しかし本編を読み始めると何故かなかなかに読みづらく、1巻2巻くらいの間は途中で挫折しそうになったことは書いておく。
けれどもこの本は俺の疑問に答えてくれるかも知れないと思ったのが、物語の中盤でベスポルトという登場人物が語る思考実験のエピソードを読んだときだ。
真っ暗闇の世界に誰かいる。だがそこは光だけでなく音も熱も風もない。そんな世界で暗闇の向こうの誰かに自分の存在を気づかせることができるだろうか?
俺はこの思考実験の意味が理解出来たと思った。真っ暗闇の世界は人と人は分かり合えないという現実の比喩である、そう思った。もし暗闇の向こうの誰かに自分の存在を気づかせることが出来たなら、それは人間は分かり合えるということである。
そしてもし分かり合えたのならば、それを絶対に信じられることにできる。この本にはその方法が書かれているのか?そう思いながら読み進めると…
さすがにそろそろ寝ないとマズいしネタバレしすぎるのもアレなんでここら辺にしておく。
だが、この本は間違いなく信じられるものとは何かという俺の疑問に答えてくれた。
それは答えだけ読んでも理解できない類のもので、実際4巻の時点で答えだけなら書いてあるのに俺は何も気がつかなかった。
最終巻の10巻まで読んで、おぼろげにその形を掴み、より理解するために読み返しているところでこんなところにもう答えがあったとびっくりしたのだ。
最初の要約にも書いたが、絶対に信じられるものなどないとこの本は喝破する。だが、それでも俺の心が救われたのは、信じることとはどういうことなのか、言ってしまうと愛は何処にあるのかということにちゃんと答えを出してくれたからなのだ。そして信じる勇気を2人の主人公の行動をもって教えてくれた。
私はかつて、信じられるものが欲しかった。信じられるものとは何かを考えた時、絶対に正しいことなら信じてもいいと思った。だから、絶対に正しいことを探して物理やら数学やらに取り組んだ。
けれども、計算できる正しさを信じることは何か違った。もっと人間的な何かであり絶対に正しいことこそ信じられるものだと思った。
そんな折、ある小説に出会う。『エンジェル・ハウリング』という全10巻の長い小説だ。この小説はオールドタイプに巻頭詩から始まる。
かつて、地図には空白があり
空白には怪物が潜んでいた
人々は恐れ、すべての空白を知識で埋め尽くした
空白がなくなり
誰もが疑問を失う
知識に満たされ、もはや誰も問わないが
空白はどこへいったのだろう?
怪物はどこへいったのだろう?
御遣いの言葉が
いつかそれを明かすこともあるのかもしれない
この詩がなぜかとても心に刺さった。この小説、最初はとても退屈なのだがもそれでも続けて読む気になったのはこの詩があったからだ。
そして次第にこの物語が語ろうとしていることが分かってきた。これは、信じるものについての話なのだ。だから、絶対的なものについても語られていた。
絶対に信じられるものとは何なのか?それを期待しながら読み進めるうちに違和感に気づいた。この物語は、絶対的なものを否定している。
しかし、信じるものについては私の疑問に答えてくれそうでもあった。ベスポルトという登場人物が語る真っ暗闇の世界の話が私が抱いていた疑問そのものと言ってよかったのだ。
「もしも真っ暗闇の世界で、そこに空気がなく、身動きできないとする。だがそこに、誰かがいる。君もそこにいたとして、その誰かに君のことを気づかせることができると思うかね?」
これは思考実験だ。何も見えず、何も聞こえず、動くこともできない中で誰かに自分のことを気づかせることができるかという問い。そしてこの問いを考えると、一つの疑問に行き着く。ベスポルトは続ける。
「そんな方法はない。だが、それならばそもそも私はどうやってその相手に気づいたのだろう。どうしてその相手がそこにいることを信じているのだろう。相手にわからないのなら、私にだってわからないはずなのに。私が信じているのなら、信じざるを得ないなら、相手もまたきっと自分のことを信じてくれるに違いないと。それを信じることはとても難しい」
そうなのだ。自分が相手の存在を信じているのなら、相手もまた自分の存在を信じているのではないのだろうか?それが疑問だ。でも、それを信じることはとても難しい。この疑問を理解したのなら、それを信じる難しさもまた理解できるはずだ。ベスポルトはこの話を愛についての話だと結んだ。
では、これを信じることは出来るのだろうか?それが出来るのならば、きっと私が探してきた絶対的な何かは必要ないはずなのだ。
結論から言えば、信じることは出来る。結局のところこの物語は、絶対的な何かは無くとも信じることは出来る、それを文庫本10冊をかけて丁寧に誠実に語る話だったのだ。
だから私は満足した。絶対は無い。絶対に正しいことなど無い。けれども信じることは出来る。
なのだから、地図の空白を埋め尽くさなくともよい。空白を、怪物を恐れなくともよい。私たちの世界には、例え地図の空白が埋め尽くされていても、どこかに空白がありどこかに怪物が潜んでいる。無くすことは出来ないはずのそれを無くそうとするのは、絶対を求めるが故に何も信じられない賢者の態度だ。
しかし私たちは隣人を信じることが出来る。信じるに値しないことに思えても信じることは出来る。それは愚者の態度に思えるかもしれないが、それは違う。愚者は疑うことなく信じるが故に信じるに値しないことを信じることは出来ない。
事故のニュースじゃ決まって軽の方が亡くなってる⇒軽は自身に重きを置いてない・置かれてないような人が乗る車種⇒そこそこ責任が科せられてくる20後半独男で軽は恥ずかしい(と世間から見られてしまう)
以上の考えから、よく走って気に入ってたんだけど半年後に車検が切れるスバルR2から乗り換えようと思います。
年300万の底辺貧民なので予算は80~100万を頭金として、本体150~160万位の車を狙っています。中古含めて。
デミオスポルト(G:デザインが良くそこそこ余裕の走りが出来そう。維持費も安いしね。・B:内装が地味で、そこそこにしか走らなそう。)
スイフトスポーツ(G:このクラスじゃ(GTIを除いて)最高?B:デザインが…。ボディがリッター車なんで維持費が鬱陶しく感じるかも)
もう一声で、
ロードスター(良くも悪くも今しか乗れない。面白そうだけど、これ一台じゃ。あと通勤に使うと後ろ指指されそう。)
CR-Z(意外と洒落たデザインだけど、中身がFITとの噂も聞いて)