はてなキーワード: うんざりとは
性同一性障害のトイレ訴訟が最高裁で判決がでました。悪い予感しかしませんでしたが、メディアで大きく取り上げられ、さらにインフルエンサー達も取り上げてインターネット上では大騒ぎになっていて、一当事者として思うことがいっぱいあるのですが、少し気持ちの整理をしながら投稿を書こうと思います。
まず、トランス当事者の意見がなかなか世に発信できず申し訳ない気持ちがたくさんあります。一部の過剰な活動家の声が大きいことについては本当に残念なのですが、トランスの人たちは、トランスしたことを悟られず生活している人たちがほとんどです。カムアウトやトランスバレによって色眼鏡で見られてしまうことも陰口を言われることもたくさん経験した結果、 生の声を挙げづらい現状にあること、申し訳なく思いつつ、匿名での発信にご容赦ください。
先に立場だけお伝えしますが、裁判は全面的に支持、女湯はもちろん女子トイレで不審な男性を見たら即通報するべき、です。
最初にお伝えしたいのは、国内のトランスジェンダーである当事者、少なくとも私はトラブルなく目立たず社会に溶け込むことが一番の目標だと思っています。 相手に思わせるのではなく自然にトランス先の性と認知されることが、最終的なトランスのゴールです。(その手段として、見た目、ホルモン、声、整形、性適合手術、戸籍変更などのステップがある、という形です)
男性に見える状態で女子トイレに入るということはトラブルになるため、非常識で批判を受けて当然だと思います。 万が一捕まっても診断が下りていれば大丈夫だと思いますが、当人的にはこれが一番怖いですしショックが大きいので、わざわざリスクを負いたくはないです。 警察騒ぎは嫌ですし、男性として認知されるなら男子トイレに入ることが自然なことだと思います。多目的トイレもありますし、男子トイレには個室の便器もあります。
ですから、私は怪しい人を見つけたら即通報・店員に相談で何も問題ないと思います。 その人は99%トランスではないですし、もしそうだったとしても不審者に違いないんです。同じように、性適合手術をして、見た目も女性になっていない状態で、女湯や完全に脱衣するような脱衣所も脱いだら大騒ぎになりますのでこれも非常識です。 社会に溶け込もうとする気がない人、人の平穏を乱す人は、女性にとってもトランスにとっても、もちろん男性や施設管理者にとってもただの不審者だと思います。
一方で裁判を支持する理由ですが、ぜひ全文を読むとわかる通り、個別事案に対する判決だからです。全文はこちらです (ハフポストがソースというのがちょっと...ですが)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64ad02a3e4b0b641763940e3
ホルモン歴、女性としての生活歴が長くなっていくほど、元の性がバレることがなくなっていきます。 バレないというより、男子トイレに入れば慌てて静止され、男湯に入ろうとすると本気で怒られて毎回ちょっとしたトラブルになります。何も言わないと女湯のロッカーの鍵を渡されますし、面倒なのでもう何年も公衆浴場には行けていません。 それぐらい我慢しろ、と言われたらそうなのですが、トイレ行くたびに呼びかけられて、わざわざ自分のセクシャリティの事情を説明するのも案外辛いものです...。 とにかく、そこまでトランスが進むと、実際に目の前で下着を脱ぐとか戸籍上の性別をバラされない限り、本当の性はわかりません。 世論的に性器の有無、身分証明書で白黒つけろという気持ちはわかりますが、見た目でわからない以上全ての人が公共のトイレに入るたび、銭湯へ行くたびに身分証明書の確認が必要になってしまいますので机上の空論なのです。
そして、この状態で異性(元の性)トイレを強制されると、上の通りにトイレに行くたびにプチトラブルに遭ったり、噂になって色眼鏡で見られたり陰口を言われたり、それなりに辛い環境です。 トランス先の性別として認知されるなら、その性のトイレに入った方がトラブルもなく、実際に何も起きないんです。
(多目的トイレがあればできるだけ使うようにしていますがない場所も多いのです。数が少ないから、ストーマ、車椅子を使ってる方、お年寄り、長時間休息を取られている方で埋まっていることも多いです。 お手洗いは入浴と違い生理現象ですので、社会生活上100%回避は難しいです)
この裁判をされた方は、埋没して隠れていたい気持ちを抑え、辛いことも承知の上でカミングアウトして説明の責任も果たし、勇気を持って裁判をされたのだと思います。
長期的なホルモン治療は精巣に不可逆的なダメージを与えます。定期的に血液検査も行い数値はカルテに記録されています。 この方は、医学的にも、血液検査の結果的にも、そして長年の振る舞いの履歴を見ても問題がなくて、しかも別階では認められていたこと、説明の責任を果たしていたことで、個別に認められるに足るとされたようです。(記事中では●●●とされていましたが、男性ホルモン量を大幅に下げる睾丸摘出か、声帯の手術ではないかと思います。どちらにしても不可逆的で費用も体力的にもダメージがあります) こういった細かい個別の事情で個別に認められたのであって、ぽっと出の変態男が偽装したり悪用することは不可能です。 この判決をどう読んでも、炎上で言われている変態男達を是認するものでもないです。 当たり前ですけど、女子トイレに無制限の男性の侵入を許すものでもなく、ましてや女湯への侵入への布石になる判決でもありません。
繰り返しですが、女湯やトイレ、更衣室で怪しいと感じる人を見かけたらそれは100%不審者です。それ自体は差別ではないです。 もし未熟者のトランスだったとしてもなんとか立ち直りますし、診断書などで対応できますので、問答無用で通報してください。女子トイレに怪しい男がいたら怖いのは当たり前です。 女性自認の人かもしれないから施設から排除できない、というのは実態に則さない誤った拡大解釈です。 トランスの人は、自分にとって適切なトランスの進行度を、お金や健康、人生、世間と折り合いをつけながら、自分の責任で決めなければいけないんです。 現実的な受忍限度を超えていれば我慢も必要で、トランス先の性の片隅に住むためには必要なことです。
それを前提に、認知ができないぐらい自然な埋まり方をしたトランスが、なにもない日を過ごすためにスペースを少しお借りすることを許して欲しいです。
ここ最近のLGBTに対する性急な法整備については正直私もよくわからずついていけていません。 多くの人にとってセクシャルマイノリティー像が未だ想像の域を出ていないこと、また過激な活動家の印象が強まる中で、トップダウンで差別をやめようと言ってもヘイトが強まる一方です。うっかり目に入って、嫌な気持ちで夜を過ごす日もあります。
現行の法制度に思うことはありますが、性別変更や名前変更、一部の手術の保険適用化など色々と整備していただいてきたのも事実で、感謝もたくさんあります。 何の説明もなく自然に百合ENDする作品が話題作になる国で、上から命令による強行的な差別解消はふさわしくないです。 「そんなのもありだよね」って言ってもらえるような空気のなか、自然に溶け込んでいきたいな、と思うばかりです。
ともあれ、今回の一連のLGBT法案騒ぎにはもううんざりです。自認の権利主張の前に共生を真剣に考えて欲しいし、思春期前にホルモンしてないならスポーツ大会に出ないで欲しいです。
小さい頃からよくかわいいと言われていた。そんなの中学生くらいまではみんな親や親せきから言われるとは思うけど、俺は高校生、大学4年になった今でも時折言われる。しかも、親や親せきからではなく同級生や先輩、後輩の女子から。
それがどうしようもなく嫌になるときがある。今日は久しぶりにそんな気分になったので、これ以上年齢を重ねる前にこんな場所でもいいから今の思いを書き残してみたくなった。
一番最初は割と否定的に受け止めていたと思う。男の子らしく「かっこいい」と思われたいとか考えていたような。それに、言われるたびいつも少し小ばかにされているような気もした。
かわいいと言われる、思われることに徐々に慣れてくると段々好意的に思うようになった。陰キャがよく言われるようなキモイだとかブサイクだとかの言葉を投げつけられるよりかはよっぽどマシだし、なにより当時、いや、今でも、表面上好意的に見られるだけで中身がただの陰キャな自分にとって、たとえその言葉が相手を対等に見ていないものだったとしても異性から好意的に見られるだけで嬉しかった。
かわいいと言われることでファッションや趣味嗜好も女性寄りに変化したような気もする。でもこれは元々自分にあった性質なだけな気もするので一概には言えないかも。
話は逸れたが、かわいいと言われる、思われるからといって必ずしも恋愛対象とはならないことをここ数年の経験でわかった。女が男に対して使う「かわいい」は「かっこいい」や「憧れる」などと違って相手のことを無意識的に少し下に見て、小動物を愛でるような感覚で言っているのではないだろうか。いわゆる母性愛的な。今自分の一押しの漫画『正反対な君と僕』では、ヒロインが「かわいい」を「愛おしい」と表現していたが、同じような意味に感じる。
「かわいい」と言われたとき、あるいは思われてると感じたとき、好意的に思われて嬉しいと思うと同時に、対等に見られていないんだなと感じる。この言葉を女性は割と躊躇なく使う。相手がどう思うかなんて気にもせずに。それに対して、最近流石にうんざりしてきた。こちらがどう受け取るかを無視して「かわいい」と安易に言う行為は一種の暴力性を帯びてはいないだろうか。
自分を醜いと思い込んでいる友人Aがいた。客観的事実を述べれば、現在日本の芸能界などに適用される美の基準に照らし合わせて、Aの容姿は整っている。Aは一緒に出かけると必ずセルフィーを撮るのだが、必ずアプリを使って撮影するので、出来上がった写真の私が私の顔をしていなかった。肌はぼかしがかかったようにされ、目は不自然に大きく、鼻は細く、歯が真っ白になる。私の顔はいつもストッキングをかぶせられたようになっていた。異様で気持ち悪いのでやめてほしかった。ささやかな抵抗として、自分のスマホでは必ずノーマルカメラで撮影した。私は私の容姿について満足はしていないが、色々考えて現在の容姿を受け入れている。それなのに、Aのコンプレックスに巻き込まれて顔を別人のようにされる。また別の日には、最近太ってきた、私が太っても友達でいてほしいという趣旨のことを言われた。私は外見で友人を選んでいるわけではないのに。私が太ったら友達をやめられるのだろうか?そういった人に限って他人にはルッキズムを適用していないという言い訳をするが、内心はそういうことなのだろうなと思ってしまい、Aとはだんだん疎遠になった。私は持病の薬の副作用で太りやすく、健康に差し支えないレベルをいつか超えてしまうかもしれないという恐れもあり、余計に不快に感じたのかもしれない。SNSは相互フォローのままで、Aは今も加工されたセルフィーを投稿し続けている。
友人Bは学歴コンプレックスが強い人間だった。卒業した大学は有名な私立大学で、例えば早稲田や慶應や理科大のような偏差値の高いところではないが、決して恥じるほどではない。というのは本人も自負があるのか「Dラン」という言葉を使っていた。私の出身大学は偏差値としては同じくらいだが、たまたま出身地が近く、高校の話になり、学校名を出してから対応が変わった。どうせ皆馬鹿にしてるんだろう、というようなSNS投稿ばかりしていた。Bはその後一念発起して仕事を辞め、大学を再受験し、誰もが高学歴だと思う大学に入学した。日頃のコンプレックスにまみれた言動にはうんざりしていたが、その努力を尊敬せずにはいられなかったので「本当にすごいよ!尊敬する。おめでとう。大学生活楽しんで!」とメッセージを送った。無視された。BのSNSの投稿は以前より過激さを増し、あまり頭の良くなさそうなフォロワーの投稿を茶化したりレスバをふっかけるようになった。見ていられなくなってミュートしていたら、いつのまにかアカウントごとなくなっていた。噂によればBはその後、1年足らずで大学を退学したらしい。
頼むから、いい大人が、コンプレックスに他人を巻き込むな。シンプルに不快だから。そして、こうやって離れていく人がたくさんいるから。容姿も頭脳も、遺伝や環境が恵まれた一部の人と比べても仕方ない。そんなに自分に期待するな。コンプレックスに苦しめられ、友人まで失い、孤独に過ごす人生でいいのか、もう一度考えてほしい。
まあ私にはもう関係ない話。
トゥギャったんというブクマカーがいる。
このブコメにある
https://b.hatena.ne.jp/kkkirikkk/20230711#bookmark-4739130477862684613
何が嫌かというと、都合の悪い時はダンマリという、汚い政治家がやるようなムーブを行うからだ。
togetterといえば、いろいろな話題がまとめられるサービスだが、どうでもいい雑談の中にまじって極度に政治的、ヘイトを助長するようなコンテンツがあることが少なくない。
コメントをしづらい内容では、完全に沈黙し、雑談みたいな時のみ姿を現し「うんちだね~私もしゅる~」みたいなクッソどうでもいいコメントをする。
トゲというサービスの広報としての活動なのはわかるが、サービス利用を誘導し、うまい面だけを享受して、都合のよい時だけでてくるようなスタンスがけしからん。
じゃあ自分が中の人担当だったらどうするか、というのは特に対案があるわけではないが、上記の態度は普段日本人が政治家にうんざりさせられているところであり、それをなぞるようなダンマリ決め込みムーブというのを見せつけられるのはとても嫌なので、なんらかの改善をしてほしいと思う。
※追記。
夏だといろんなところが蒸れると思うけど、尻の穴がかゆくなることがあって、
マッチングアプリ、不細工は出会えないだの低収入はマッチすらしないだの、ちょっと手を出してすぐ諦めただけな奴の寝言ばっかり。
俺たちみたいなのが女入れ食い状態になるとでも思ってたのか?話しかければまともに相手してもらえて当然だと?マッチングアプリという魔界で自分が人間扱いしてもらえるとでも???
あのな。マッチングアプリで日夜行われているのは「会話」じゃねーんだ。
「性欲と承認欲求の交換」これだ。
なに「会話」しようとしてんだ。おめーらは。バカか。人間にでもなったつもりか?
相手のプロフィールから「こんな人間だと思われたい」という欲望を嗅ぎ取って、そんな理想の相手を映す「鏡」になりきるんだよ。
大体、本気でマッチしようと思ってるなら当然一度は性別を女にして登録してみたよな?
性別を「女」にしただけでロクにプロフィールなんか編集しなくても男からのいいねがバカみたいに飛び込んでくるだろ?
プロフィールは参考にするために読むんじゃない。それらの中でどう差別化するか考えるんだよ。
300人分もプロフィール読んでたらうんざりするだろ?そう!うんざりしてるんだよ。そのうんざりにどう一服の清涼剤になるようなコントラストを付けるか考えるんだよ。
マッチした相手が一言目に送ってくるチャットの文言メモしたか?
大体みんなしょうもないんだよ。内容なんてない。マッチしたまま話しかけてこない奴も多い。
だから臆せずメッセージを送りまくろう!と思ったか?だからダメなんだよ。
有象無象から送られてきたメッセージなんてお情けで何回か返事してくれるかもしれないが、よっぽど面白いやり取りじゃなければ長続きしない。
じゃあどうするかって?待つんだよ。
たまに、たまーーーーーーーーーーに女からメッセージが来る。プロフィールの文章の面白さ次第だけどな。月に一人そういう女が捕まればいい方だ。
そいつを逃すな!!!向こうから話しかけてきたくせに何の話題もないなんて当たり前だ。イライラすんなよ。
多少つまらなくても向こうから話しかけてくれた場合はかなりの確率で会話が続くはずだ。
俺はこのやり方でまだひとりも出会えてない。
助けてくれ。
実力もないくせに、海外の事例を紹介してバズって、ナニナニを知りたかったらコレコレを買いましょう!みたいな奴らのポジショントークにはうんざりだ。マッチポンプじゃねーか。さっさとくたばってしまえ!
【神回】ツイフェミを個人勢Vtuberがオーバーキルする一部始終【かなえ先生切り抜き】フェミニズム歴史講義
https://www.youtube.com/watch?v=XKK3i7F11SM
痛快!これだけでご飯が3杯進む。そして、Wikipediaとかよりも全然詳しい。
「おまえフェミニズムわかってんのか?」
と女が言えば、ひるむと思ってるみたいだけど…もしその話を俺に言ったら【ああ、左翼がドン引きされたから、擬態のために歴史ある思想に寄生してるって話かい?】とかボロクソ言うからな。
絶対に、俺には言うなよ?
「筋が通らない、迷信に基づいている、実態とかけ離れてるモノに言及し、しっかりと正していく思想」
だったはずだよ。
フェミニズムが筋の通らないモノになってしまってるのは、ツイフェミの祖先がラディフェミとマルフェミという筋の通らないフェミニズムだからだよ
フェミニズムの中でも
という人については、ぼくも大賛成。
でも、上野千鶴子以降(マルフェミが誕生してから)は、「左翼な人が、政党名や思想を隠して擬態するツール」にフェミニズムは成り果てたの。
ざっくりいうと、ツイフェミの源流は
がおるんやけど…どっちにしても今の子には「加齢臭」か「ルサンチマン」のニオイして、苦手なのよね。
思想というより、「アンチ」なだけだから、まともにやってる人から嫌われる
そうそう。
「誰かのアンチ」
アンチしている対象が変わったり消えたりしたらアンチは一気に色褪せるからな?
はてなーって普段リベラルポリコレぶってて一時はホッテントリが入管で亡くなった女性の話題で埋め尽くされてうんざりするほどだったのに、川口蕨のクルド人問題には「不良外国人は日本から退去しろ、川口は女子供が歩けない街」だなんだめちゃくちゃヒステリックに反応するからなんだそれ〜?って思っちゃった周辺地域住民です。
住んでないやつが言ってるっしょこれ。女子供が歩けない?歩けますわ普通に。
ただクルド人ってその他の外国人(主に中国人)と比べると確かに言葉通じないし日本人とはつるまないし、クルド人の若い男たちがコンビニ前でたむろしたり夜遅い時間に駅前で喧嘩したりしてるの見てたから外国人の中でも特にお行儀悪いなーとは前から思ってた。
でもトルコにも日本にも居場所がなくてどんなに学んでも報われない、先行きの見えない不安定な生活をしていたら若者誰だってそうなるやろという気はする。学んだり真面目に仕事したら報われるような道筋を示してあげられればいいのにね。
あと私の観測範囲だけど保育園や幼稚園であまりクルド人を見ない気がするので幼児のうちからもっと日本の文化に触れさせたら全然違うんじゃないの。そうしたら小学校以降でもより馴染みやすくなりそうだけどね。
蕨のことは知らんけど川口は行政が外国人と共生するための催しを開いてるらしいのを市の広報で以前知ったのでそういう取り組みを応援していきたい。
川口市には暴力沙汰起こす不良クルド人のことを厳しくしょっぴきつつ、クルド人の子どもや多少迷惑なりに犯罪は犯していないクルドや真面目なクルド人へのサポートをこれからも続けてほしい。
あとお前ら(はてなブックマーク民)のヒステリーの方が怖い!相手は人間なのを忘れてんじゃねえかと思う。一度見返してみろ自分のコメントを。さいたま市のやつの煽りが一番ムカつく。
(川口ってすげー広いので私の住んでる地域の話をなんとなくした。ホッテントリに上がってたのは安行の話かな。あそこは蕨や西川口からはだいぶ遠い地域。)
友人からの誘いをどう断ればいいのか悩んでいる。
友人は喜んでいたが、私は別に興味がなかったので(そうなんだー)くらいの気持ちでいた。
私は好きなアニメになら何でもかんでも金を出せるお有難いオタクではないため、この舞台への出費を渋っていた。舞台はチケット代も高いし、上演する内容も自分が好きなエピソードではないし、贔屓にしている俳優が出ている訳でもない。お金を払う価値をどこにも見いだせなかった。
そんな折友人から「観に行くよね?」とLINEが来た。私は気乗りがせず、「今お金使えないから悩んでる」とやんわり断った。
けれども「一緒に行こうよ」と返信してきたので、私は曖昧なスタンプを返して会話を終わらせた。
添付画像は、信じ難いことに、舞台の当選メールだった。友人は黙ってチケットを申し込んでいたのである。しかも2枚。
「行きませんか」という友人の言葉は、提案などではなく、私が断ることなどはなから想定していない独善的なニュアンスで私を追い詰めていた。ありがた迷惑だと思った。
抽選とはいえ、勝手に2枚応募しているその常識のなさに閉口する。私には「すごい!ありがとう!」と喜ぶ選択肢しか与えられていない。少なくとも友人は私がそう返信するつもりで私にLINEをよこしている。
(12000円……?????)
私はぎょっとした。高っけえな…マジかよ、と絶句した。2.5次元舞台のチケットが高額なのは知っていたが、何せ魅力を感じていないのでなんだかものすごく高く感じた。
私に金銭的な余裕があれば、(チケットが当たったならしょうがねえな)と即OKしていたと思う。
しかし、現在の私には趣味に回せるお金などほとんどない。そもそもの手取りも少ないが、更に家の事情が重なり自由に使えるお金が無いため大変な金欠状態なのである。
なのに、「好きな作品にならいくらでも払えるでしょ?」とでも言わんばかりの勢いで、私に12000円の請求をしてきている。
「せっかく取ってくれたのにごめんだけど、ちょっとお断りするわ」と言える勇気が私に無いことにも腹が立つ。
また、私が行かなかったら友人は24000円を支払うのだろうなと思うと胸が痛む。友人の知り合いにこの作品を好きな人がいないから、「他の人と一緒に行ってね」とも言えないのである。そんなお人好しの良心の呵責が私を縛っている。
とはいえ背に腹はかえられないので、多分私は2、3日未読無視してから「ごめん行けない」と返信すると思う。そうしたい。それでいいと思いたい。
これで壊れる友情ならそれまでだ。
もうそれでいいんだ。
私はそんなふうに自分に言い聞かせながら、せめてもの救いと思って『嫌われる勇気』を読み返している。
だれか私に断る勇気か12000円をください。
たとえばスマホのpixivはいいねを押しただけでおすすめの作品を表示するがあれはよくない。
別の作品に興味持ってもらって滞在時間を長くしようって魂胆が見え見えなわけだが、そもそもそこまで暇がないのに別の絵を無理やり視界に入れさせられて強制的に興味持たされるあの手法はうんざりしてる人もいるだろう。
だったらもう一切このサイト使わないって人出てきて余計統計値としては滞在時間が減ってしまいかねない。
グーグルも勝手に検索キーワードを深読みして画像や動画を表示するがあれでもネットサーフィン時間が予定よりも長くなって自分にうんざりするパターンもあろう。
設定で検索キーワードによらず画像はページ検索の結果には表示しないとか設定できるようにできればもっと安心して検索できるのにとは思う
この判決は非常に重要なもので、朝日新聞とかが馬鹿みたいに批判しているけど、当然です。
これ、反差別界隈とかジェンダー平等も同じね。実力ではなくマイノリティとか女性というだけで就職できたり、学者になれたり、マスコミの記者になれる。
現に、暇空茜は報道しない。ジャニーズは犯罪者と決めつけて報道する極悪女が存在します。
最高裁判所、大学の入学決定に人種を利用する判決でアファーマティブ・アクションを拒否
6-3のアファーマティブ・アクション意見で、最高裁判所は大学入学の要素として人種を利用することは憲法修正第14条に違反するとの判決を下した。
アンダース・ハグストロム、 ブリアナ・ハーリー、 ビル・ミアーズ、 シャノン・ブリーム、 ヘイリー・チーシン| 著 フォックス・ニュース
SCOTUS積極的差別是正措置判決、判事の間で「激化」:シャノン・ブリーム
主任法務記者シャノン・ブリームが、アファーマティブ・アクションに対する最高裁判所の判決を解き明かします。
米国最高裁判所は木曜日、アファーマティブ・アクションに関する重要な判決を下し、大学入学の要素として人種を利用することは憲法修正第14条の平等保護条項に違反するとして却下した。
ジョン・ロバーツ首席判事は6対3の判決で、多数派意見の中で、「例えば、人種差別を克服した学生への利益は、その学生の勇気と決意と結び付けられなければならない」と述べた。
「あるいは、その伝統や文化がリーダーシップの役割を引き受けたり、特定の目標を達成したりする動機となった学生への利益は、その学生が大学に貢献する独自の能力と結び付けられている必要があります。言い換えれば、学生は以下の基準に基づいて扱われなければなりません」人種に基づくものではなく、個人としての経験だ」と意見書には書かれている。
「多くの大学は、あまりにも長い間、その逆のことを行ってきました。そしてそうすることで、個人のアイデンティティの試金石は、乗り越えた課題、培ったスキル、学んだ教訓ではなく、肌の色であるという誤った結論を下してしまいました。歴史はその選択を容認していない」と意見書は述べている。
ロバーツ判事にはクラレンス・トーマス判事、サミュエル・アリト判事、ニール・ゴーサッチ判事、ブレット・カバノー判事、エイミー・コニー・バレット判事も加わった。
ソニア・ソトマイヨール判事が主な反対意見を書き、エレナ・ケーガン判事と、ハーバード大学の監督委員会での以前の役割を理由にハーバード大学訴訟から身を引いたケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事も一部参加した。
バイデン大統領は木曜日午後12時30分にこの決定についてコメントを発表する予定だ。
判事らは、私立のハーバード大学と公立のノースカロライナ大学が教室の定員をどのように決定するかについて、2つの別々の法的異議を申し立てた。
これらの有名な学校は、自分たちの基準には、将来のリーダーのために堅牢で知的に多様性のあるキャンパスを推進するという、裁判所によって数十年にわたって支持されてきた、より大きな社会的目標があると主張している。
しかし、アジア系アメリカ人の学生連合は、この基準は「人種的ペナルティー」で差別されており、多くの黒人やヒスパニック系の学生よりも選択的に高い基準を課していると主張している。
学生活動団体「Students for Fair Admissions」は、ハーバード大学とノースカロライナ大学の両大学に対して訴訟を起こした。同団体は当初、2014年に公民権法第6編に違反したとしてハーバード大学を告訴したが、同法は「連邦資金やその他の連邦財政援助を受けるプログラムや活動において、人種、肌の色、国籍に基づく差別を禁止する」と定めている。
ハーバード大学に対する訴状では、ハーバード大学の慣行がアジア系アメリカ人の学生に不利益を与え、人種中立的な慣行を採用できなかったと主張している。ノースカロライナ州の訴訟では、人種に基づいていない慣行が学校の学力を低下させたり、キャンパスの多様性から得られる利益に悪影響を及ぼしたりすることを示さずに、大学が非人種に基づく慣行の使用を拒否できるかどうかという問題が提起された。
判事がハーバード大学、UNC最高裁判所でアファーマティブ・アクションをめぐる議論を審理
米国第一巡回区控訴裁判所は、地方裁判所の裁判員裁判の結果を支持し、ハーバード大学に有利な判決を下していた。地方裁判所は、ハーバード大学に対する証拠は決定的ではなく、「観察された差別」は少数のアジア系アメリカ人学生にのみ影響を与えたと述べた。SFFAはこの訴訟において資格を有さないとの判決を下した。
UNCの訴訟では、連邦地方裁判所は同校の入学慣行は厳しい監視に耐えたとして、同校に有利な判決を下した。
ロバーツ氏は多数派意見の中で、ハーバード大学とUNCの入学プログラムはいずれも「人種の利用を正当化する十分に焦点を絞った測定可能な目標が欠けており、人種を否定的な形で採用せざるを得ず、人種的な固定観念を伴い、有意義な最終目標を欠いている」と述べた。
「我々は入学プログラムがそのような形で機能することをこれまで一度も許可したことがないし、今日もそうするつもりはない」と同氏は述べた。
クラレンス・トーマス判事は多数意見に同意しながらも、自身の考えについては別の同意書を書いた。
同氏は、「今回の決定は、大学の入学政策をありのままに見るものだ。入学するクラスに特定の人種を確実に混入させるよう設計された、舵のない人種に基づく優先政策である。これらの政策は、色盲の憲法と国家の平等に反するものである」と述べた。端的に言えば、それらは明白に、そして大胆に憲法違反である。」
「私は、私の人種と差別に苦しむすべての人々に降りかかった社会的、経済的惨状を痛感しているが、この国が独立宣言と憲法で明確に宣言された原則を遵守するよう、私は絶え間ない希望を抱いている。米国:すべての人間は平等に生まれ、平等の国民であり、法の下で平等に扱われなければならない」とトーマスは書いた。
アファーマティブ・アクションの訴訟は、ジョン・ロバーツ首席判事とサミュエル・アリト判事がハーバード大学の弁護士セス・ワックスマン氏を激しく非難するなど、この期間に最高裁判所の建物内で行われた中で最も活発な法廷討論の一つを引き起こした。
アリト氏はワックスマン氏に、アジア系アメリカ人の学生が他の人種に比べて出願書類の個人スコアがいつも低いのはなぜかと尋ねた。ワックスマンは判事の質問を迂回して話したため、アリトは弁護士に不満を抱いた。
アリト氏は「アジア人に与えられる個人スコアの差についてはまだ説明を聞いていない」と語った。
その後、ワックスマンはロバーツと緊迫したやりとりを繰り広げた。判事は、ロバーツによれば人種は何らかの影響を与えるに違いないが、そうでなければ人種は考慮に入れられないのに、なぜワックスマンが入学決定の要素として人種を軽視したのかを尋ねた。
ワックスマン氏は、「ハーバード・ラドクリフ管弦楽団がオーボエ奏者を必要としている年に…オーボエ奏者であること」と同じように、「一部の優秀な応募者にとって」人種は決定的なものだったと認めた。
「私たちはオーボエ奏者を巡って内戦を戦ったわけではない」とロバーツ氏は言い返した。「私たちは人種差別をなくすために内戦を戦ったのです。」
オコナー率いる法廷多数派は、少数派のロースクール志願者に対するミシガン大学のアファーマティブ・アクション政策を支持しながら、次のように警告した:「我々は、今から25年後には、利益を促進するために人種的嗜好を利用する必要はなくなると予想している」本日承認されました。」
19 年が経ち、6 対 3 の保守派多数派が現在、大学が競争入学プロセスの一部として人種を利用することを阻止しています。
FOXニュースのタイラー・オルソン氏がこのレポートに寄稿した。
Makes sense. So, does this also mean "AA" in employment, handouts, government loans, and other areas of life are also unconstitutional? (And yes, corporate America says there are no race-based quotas for hiring in large meetings but then set up individual manager & HR meetings where hiring is analyzed for the manager's team and managers are told to focus on certain groups based on race.)
理にかなっています。 では、これは、雇用、給付金、政府融資、その他の生活分野における「AA」も憲法違反ということになるのでしょうか? (そう、アメリカ企業は、大規模な会議では採用に人種に基づくノルマはないと言っているが、個別のマネージャーと人事会議を設定し、そこでマネージャーのチームの採用が分析され、マネージャーは人種に基づいて特定のグループに焦点を当てるように指示されている。)
That's not true. There are plenty of examples on Linkedin and other public forums of corporations hiring for a specific race
それは真実ではない。 Linkedin やその他の公開フォーラムには、特定の人種向けに企業を雇用する例がたくさんあります。
これジョークね。
This is a fantastically accurate ruling. It is about time the court affirms what is basic common sense. Judging anyone (positively or negatively) based on race IS racist. The simple statement "we want to make sure we have diversity", goes in with the racist assumption that race defines the diversity of who you are. Every individual is diverse. Their life experience is unique. There are some shared experiences for individuals of certain similar upbringing, but the assumption that a certain "race" brings "diversity" IS racist.
これは驚くほど正確な判決だ。 そろそろ法廷が基本的な常識を肯定する時期が来ている。 人種に基づいて誰かを(肯定的または否定的に)判断することは人種差別主義者です。 「私たちは多様性を確保したいと考えています」という単純な発言は、人種によって人間の多様性が決まるという人種差別的な思い込みと結びついています。 すべての個人は多様です。 彼らの人生経験はユニークです。 特定の似たような生い立ちを持った個人の間で共有される経験はいくつかありますが、特定の「人種」が「多様性」をもたらすという仮定は人種差別的です。
BIG4といわれる4大監査法人の一つに勤めている。非監査部門。
監査法人でうんざりすることを書く。他の監査法人はわからないが、当監査法人ならたいてい皆同じようなことを感じているのではないかと思う。
うんざりすることの大元には、リスク管理(最優先)>>>>>>>>>>>>職員の業務遂行の効率性(ほとんど考慮されない)の体質がある。
① 守れない所内ルールの乱発
所内ルールが多く、乱発される。
多くのルールの中には、「ルール通りにすると業務に支障がでる可能性がある」、「ルール通りの実施は理論的にはできないわけではないが、膨大な手間がかかることになり現実的には不可」というものが出てくる。
もちろん「これは絶対守らないといけない」というものは守らないといけないし、守らなければ問題になるが。
細々としたところは自己責任でルール無視してやらざるを得ないというのは、今まで、基本的にルールを守って真面目に生きてきた身としてはストレスに感じた。私自身は転職で監査法人以外の職場4社経験しているがこんなことはここだけだ。でも皆そうしている。
法人としては、法人を守るためにルールを張り巡らせておいて、何か問題が起こった際に「法人はこのようなルールにしているのに、該当職員がルールを守っていなかった」と職員のせいにできるようにしているのだろう。
② 遅い、使いづらいシステム
遅い。使いづらい。同じリスク管理、同じ対策でも、もっとスマートに使いやすい方法、速くすることもできるだろう。職員の使い勝手、業務効率性は二の次、三の次と思われているのだろう。
③所内手続きが異常に多い
とまでは言わないけれど、身分証明書といえば運転免許証という風潮にはうんざりする。
運転免許証というのは、あくまでも車が運転できることを警察に認めてもらった証にすぎない。
俺みたいに、公共交通機関が発達している所に住んでいるから車移動の必要性を感じず、
金がないから車を買う余裕もなく、どんくさいから車の運転に必要なとっさの判断もできない。
そんなやつでも、身分を証明できるものがないと、まるで人権を否定されたような気分になる。
車が運転できるかできないかで、人権のあるなしが決まるような世の中はゴメンだ。
そんな俺たちに現れた救世主がマイナンバーカード。(別に俺は河野何某の回し者ではない。)
運転免許を取るには20万位かかるけど、マイナンバーカードの取得にお金はいらない。
自動車メーカーのプロパーAが異動になり、今の現場を離れることになったという。
聞いた話では、今回10名が退場した件で、自動車メーカーと元請け間で話し合いが持たれ
「Aを現場から外さないならば、うちは全員撤退する」と元請けが啖呵を切ったらしい。
怠慢な元請けがここまで動くということは、自動車メーカーか下請けと訴訟沙汰になりかけていたのではないかと予想している、
部下が全滅した後に撤退命令を出し、指揮能力を誇っている間抜けにしか見えなかった。
今まで一緒に仕事を回してきた同僚も、睡眠障害で起きれなくなり退場。
Aから戦力外通告を受けていたメンバーも、ようやく次の職場が決まった。
残ったのは私一人と、Aが残した数百件の改善指摘だけだった。
Aが私に丸投げしていた、他部署からの問い合わせ対応も無くなった。
「そちらがリリースしたコードをいじってビルドしたら動かなくなったんだけど、デバッグしてくれない?」
「君らのリリースしたソフト、容量が大きすぎてローカルにダウンロードできないんだけどどうにかならないの?」
のような、これが世界規模の自動車メーカーの開発現場か?というレベルの質問に数時間付きっきりで対応する必要があったからだ。
いずれ元請けがねじ込んでくるであろう、補充要員の世話をまた0から始めるのもウンザリだった。
上司は難色を示していたが、ここ最近の残業の件で労基に相談に行くと言ったら
「数百件の改善指摘を全部片づけるなら」という条件でOKが出た。
退場したメンバーの残した指摘は、知識が浅い状態でレビューを受け、指摘の意味も分からぬまま記載されたものが多かった。
不快なことに、それらを解読できるのはAからの理不尽な指摘を長年さばいてきた自分だけだった。
その手の資料は、作業ミスの発生時に再発防止策として追加されたものであったし
教育環境のない職場なので、レビュー用資料を作ることで内容を学んでいく側面もあった。
プロセスの削減や自動化の結果、また「手順書通りにやっただけで中身は知りません」な人材が増えるのも容易に想像できた。
すべてが不毛で不快な職場だったが、後を濁さず退場できたことは、唯一達成感を感じることができた。
余談に続く