はてなキーワード: 金曜日とは
子供もできて平凡ながら幸せな日々を送っているが、1数年前の独身時代がふと懐かしくなる。
今でもやりたいのが(体的にもう無理だろうけど)1日3回飲み。
【金曜日】
仕事を終え帰ってきたら早めに就寝。
【土曜日】
5時起床。散歩に行く。
7時に朝から自家製のレモンサワーを出している洒落た料理店に行く(今もあるかな)
8時前に帰宅。帰り道に買ってきたビール350と500を冷凍庫に入れてシャワーへ。
8時15分頃からビールと岩下の新生姜を食べながらアニメや音楽の動画を見る。
9時30分頃眠くなるので就寝
11時頃起床。シャワーを浴びて近所で買い物を済ませる。この時また缶ビール350×2本と298円のピザと298円のとろけるチーズを買う。
12時30頃帰宅。ピザにチーズをのせてオーブンへ。焼き上がるまでの10分弱でシャワーを浴びる。
13時前からビールを飲んでピザを食べて漫画読んだり本読んだりアニメ見たりする。
14時30分頃就寝。
15時30頃起床。シャワーを浴び、着替え等諸々準備して駅前のロッカーに入れてランニング(5km)へ。
17時前に家に戻りランニングで着ていたものを洗濯機へ。回して外へ。
17時過ぎにお気に入りの焼き鳥屋へ行き、その日午前中買った漫画を読みながら生ビールを飲んで焼鳥を食べる。
18時過ぎ別の店へ。
19時頃店を出る。この時たまたま友達に会ったり、飲みの誘いがあったり、自分から誘う時は大体0時過ぎまで飲むが、何も無い時は帰宅。その時必ずハイボール350×2本とサラミを買う。
19時30頃帰宅。シャワーを浴びる。ハイボールをダラダラ飲んで21時過ぎに就寝。
【日曜日】
この日も土曜日と同じ。
もちろんすすいでくれなかった!!w
というか、最初はまじめにご飯とおかずを詰めたザお弁当作ってたんだけど(しかも同棲初期はテンションブチ上げて和洋中のローテ組んで頑張って即破綻)
洗い物増えるだけだからどんどん簡略化していって、
そもそもお弁当に求めるものがお互い味や見た目ではなく「楽さ」だったので
最終的に
・昨日の夕飯→タッパーにラップしいてからおかずいれて、包むようにラップを畳んでからフタ
・ミニトマト→洗ったものが常に冷蔵庫にあって、そこから2つ取って入れるだけ
…ってなったので、洗い物ゼロになったという。(お箸は会社に置いてる)
いつのまにかふりかけを混ぜ込んだだけの裸のおにぎりになっておりやす。
参考になればうれしいです!
朝起きてトイレでパンツ脱いだら血が付いてて、いつの間にか異世界転生して美少女になったのかと思ったがそんなことは全く無かったのが金曜日。
本日、昼前にやや中ぐらいのを出産したが昼をちょっと過ぎた頃にまだ残ってる感じがしてふんっと残りを出産。
スッキリスッキリと思いトイレの水の中を見たら何かが沈んでいる。軟便みたいなのだから小さい塊だな、よくあるよくある。そう思いたいのに色が明らかに赤い。血の塊な気がする。
すぐさまウォシュレットをONにしてみると水はピンク色、紙には血。怖い物は見なかったことにするセンサーが即働いて流してしまった。
1時間ほど経過後、なーんかまだ残便感みたいなのがあるなとまたトイレに来た。今度は屁と一緒に液体っぽいのが出た気がする。ちょっとお腹が緩いのかなと思って紙で拭いてふと見えると鮮血だった。
水にはもちろん赤い筋が漂って浮いている。
いやいやいや。落ち着こう。
赤黒いやつは大腸からの出血と聞いたことがある。その点これは明らかに綺麗な赤だから痔だと思う。確かにこれまで便秘気味の大物出産時には多少血が付くことはあったが、整腸剤を飲むようになって固いのは殆どなくなったはず。
今、この文章は新幹線の自由席で書いている。この自由席は本来であれば1週間後に乗っていたはずのものだ。今日とは言わずもう少し後に乗っていたはずだった。
大学を卒業してから新卒として入った会社に3年ほど勤め、退職を決意。
次の職場も何とか決まり、そこに移籍する前の有休消化期間。謂わば今は少し早めの夏休みだ。
そうなるとさすがに旅に出たくなるもの。
俺自身そんなアクティブな人間ではないと思っているが、有休消化期間が長ければ長いほど旅に出ないと勿体無いよねという風潮も何となくある気がする。
そうなってくると自分にはちょうど良い当てが1つあった。それは大学時代の友人。
かつて学科が同じだったそいつとは大学に入ってすぐに打ち解け、恐らく大学生活の中で一番一緒に遊んでいた。
大学1年からの付き合いで現在社会人3〜4年目辺りなのでもう何だかんだ7〜8年の付き合いにはなる。
そいつはと言うと、当初は俺と近しい地域で社会人をやりつつ彼女と同棲していたのだが、個人的な事情等もあってその仕事を退職。現在は彼女を連れて自身の故郷に帰り、そこで別の仕事をしている。
友人が前職を退いたのが今年の頭くらい。そして故郷に帰る直前の別れのタイミング、俺は友人にとある約束をした。
正直今言うとこれは冗談半分だった。その頃の自分の立場はと言うと、現職にブーブー文句を言いながらも怒られつつ何だかんだ仕事を辞める気配は無い人間。
転職活動はしていたものの、一向に次が見つかる気配が見えない。というか活動をする余裕もないくらいに精神を仕事にすり減らされていた。
そんな状況のため、転職できてももうしばらく先の話だろうなと考えていた。
春頃に次の会社とご縁があり、思いがけずに内定を頂いてしまった。本当にありがたい話。
そして現職から身を引く作戦も始動させる必要が出てきたため、何人かの人とお話をした後に退職手続きが完了。
立つ鳥跡を濁さずって言葉があるけど正直俺はその逆。割とウンコぶち撒けてその場を去るような辞め方をしたクソ害鳥だったが、それは今回の本題ではないので割愛。
とにかくにも有休や休日出勤をしていた分の代休が合計1ヶ月は溜まっていたため、さすがに何か特別めいたことをしないと勿体無いなという状況になった。
ここまで読んでお察しの方はいるかと思うが、俺には彼女がいない。悲しい悲しい独り身。
有休消化期間の旅に行こうぜ!なんてノリにフットワーク軽めで付き合ってくれる友人がすぐ見つかる程の陽キャでもない。
そこで先述の言葉に戻る訳だ。俺は友人にコンタクトを取り、そいつの地元に遊びに行かせていただく運びとなった。
この友人の彼女さんというのがすごい出来た性格の方で、俺なんかともニコニコ愛想良く仲良くしてくれる存在。
友人が引っ越す際に「遊びに来るなら新居の部屋は複数あるから是非泊まりに来てくれ」と言ってくれた際も彼女さんはその言葉に乗せて「楽しいんで是非来てください!」と言ってくれるほど。
もちろんそこには男女の一つ屋根の下での生活があるため、幾ら無神経クソ害鳥の自覚がある俺でも宿泊の予定を立てる前に最終確認の連絡をする。
それでも結局前向きな返事は変わらずだったのでお言葉に甘えさせて頂き、宿泊の用意をして友人の故郷に足を伸ばすことに決定。
大まかな遊びプランをLINEでグループ作成の上で話し合い、俺は1週間程度滞在させていただくことに。
滞在期間に友人カップルの休みである土日は計4日訪れるため、その4日で故郷と故郷近辺の地域を観光することになった。
休み期間の前半を家の片付けや家から足を伸ばした範囲で満たせる趣味、数少ない俺と飲んでくれる後輩等との食事、そして脳死ダラダラタイム等で消化。
そして月半ばくらいの金曜日に旅行の支度をし、家を飛び出して野暮用の買い物を済ませる。
電車→新幹線→電車というルートで友人宅を目指し、夜分遅くに何とか人生初めての地へ到着した。
早速快く出迎えてくれた友人カップルにささやかなお土産と引越し祝いを渡し、その日はチビチビとお酒を飲みながらボードゲームをして大いに盛り上がった空気感のまま就寝。
最初の土曜日は友人の故郷の有名な観光地を車で巡ろうということになっていたため、某動物園や海沿いの市場に出向いた。
動物園への道すがらの車内で音楽を流して楽しくお話しながら目的地を目指した。
動物園に到着するちょっと前には00年代のドラマの話題になってそのドラマたちの主題歌を流したり、友人の彼女さんが好きな00年代のジャニーズアイドルの曲を流してノスタルジックになったり。
彼女さんが鬼滅の刃が好きという話から現在の主題歌がそこまで評判良くないという話題にもなり、その曲を流したり。(俺は嫌いじゃないからね。マンウィズとmiletファンの方すみません。)
彼女さんは今の曲も別に嫌いじゃないけど私は遊郭編が好きで良い話だったからその時の主題歌がハードルとして高すぎた、みたいなことを言っていた。確かに。
到着した動物園では多種多様な生き物に目を輝かせ、もうしばらく人間以外の生き物は見なくてええわと言うくらい堪能した。ちなみに俺が一番好きな動物は体調不良でお休みだった。泣いた。
海沿いの市場でも買い物と簡単な食事をさせていただき、そこで実家や後輩に対してのお土産を送ったりもした。
その日の夜はみんなで酒を飲みながら楽しくゲーム。桃鉄をやって争いになりかけた。若干なっていた。友人がベロベロに酔って彼女を煽りすぎていた。
こればっかりは他人との仲を引き裂く桃鉄が全部悪いです。僕たちは何も悪くありません。
そして翌日。日曜日は友人故郷の隣の地域がその地区屈指の大都市であるため、電車で向かってそこの街をぶらぶらしての観光。
詳しい経緯は説明を省くが友人のお母様とも合流して食事をご一緒させていただいたり、有名な観光地を巡ったり。
そして繁華街の中にある有名なご当地のお店で晩御飯。某有名漫画家の方も度々訪れるというその店でご当地の味を楽しみ、「いや俺今旅人だわ〜〜〜」という心地良い感覚をビールの泡と共に胃に流し込む。
間違いなくその瞬間の俺は社会人としての苦しみ等嫌なことを全て忘れ、心地良い空気感の中に包まれていた。
友人と友人の彼女さんも翌日月曜日であるにも関わらず、俺の旅に付き合ってくれてご当地の飲食を堪能していた。良い旅のムードが確実に出来ていた。
出来ていたんですけどね。その時までは。
食事を終え、店を出る。時間的にもちょうど良い。このまま故郷に帰還し、お二人は翌日仕事等で外出。その時間帯俺は独りぼっちで外をブラつき、二人が帰ってくるまで外にいるという段取りの予定。
このまま帰っても良かったのだが、その考えは友人の悪魔の囁きによって打ち砕かれる。
「ここから徒歩で行ける距離に◯◯(日本屈指の風俗街)と××(日本屈指の趣がアレな地区)があるけど行ってみない?」
心踊った。全然金あるなら普通に1人で風俗行きたい。ただその時の俺はそうそう余裕がある訳ではなかった。だからそこの風俗街がどんな空気感なのか見るだけになるが、それでも心踊る。
後々調べたらそこって利用する気も無いヤツのひやかし歩き禁止らしい。マジで反省しています。
ただ、大きな問題がある。
友人の彼女を連れて行くのはいかがなものか。いかがなものかっていうか普通にダメだろ。
恐らく大多数の女性が見たら不快感を抱く光景であることは間違いないだろうし、同性愛者でもないその友人彼女さんに何のメリットも無いし。
ちなみにこちらも後で調べたら女性の方がひやかし目的で歩くことは禁止だったみたい。色々ダメじゃん俺たち。
後で振り返ればこういった妥当な判断を幾らでもできるのだが、その時はダメでした。酒ゲキ弱男の俺はアルコールに飲まれていました。
勇み足で◯◯と××に歩みを進める友人に向かって「Aちゃん(友人彼女)連れて行くのもアレだしさ、2人は帰って俺だけ見に行くか3人で見に行くか、Aちゃんの顔色見て判断した方がいいんじゃない??」と提案。
夜分遅くの繁華街から故郷までの電車での遠い道のりを女性1人で帰らせるのも宜しくないと思った俺と◯◯や××を見に行きたいという気持ちの俺が脳内で話し合った結果、そのような提案に。
ただ、そもそもこの見物の言い出しっぺは友人。友人がその勇み足を簡単に止めて「じゃあ、俺は彼女と先帰ってるわ。好きに見に行ってきな」と俺だけを送り出すはずもなく。普通に食い気味で「Aも連れて行きます」と判断。
というか何なら最低な話、アルコール飲まれモードの俺も普通にノリノリだったので「私は一応最低限の提案はしましたよ。その上で友人が彼女をこの俗人甚だしい歩みに付き合わせるのであればそれはお二人同士の問題です」というニュアンスを含んだ責任転嫁の丸投げ行為に等しい建前だけの薄っぺらい気遣いモドキな発言でしかなかった。
最低限の提案通り越してもうほぼ友人に3人で行くって言わせるための誘導尋問に近いよねもはや。
シラフの今思う正解は何かって?
そんなん「そんなもの見ずに3人で帰りましょう」に決まっておるじゃろ。
常連客どもの歌声がお構いなしに路上に響くスナック街を抜け、少し歩くとそれは見えてきた。
暗闇の中、幻想的にボヤァっと光る街灯。店の名前が書かれた質素な看板が通りに無数に連なっている。
風俗街って言うか遊郭って感じなのかな、表現としては。前日ちょうど鬼滅の刃の遊郭の話をしていたが、まさか翌日に本物を目にするとは。
そこの通りは各店オープンな感じで女の子が呼び込みをしている賑やかな空気感。その地域を知っている方はもうこの一文でどこに行ったのかお分かりだとは思う。
目を輝かせて首を激しく左右に振る俺。うわレベル高え〜、と高揚感が止まらない。性欲に対する行動がキショ中学生すぎる。死んだ方が良い。金無い社会人がこれやっているという状況がそもそも情けない。
ふと、横をチラッと見る。友人のテンションが意外と上がっていなかった。言い出しっぺの割におとなしいなと思った。その答えはすぐ横を見たら明白だった。
友人の彼女さんが怖い目をして俯いて歩いていた。
察した頃にはその通りも終盤に差し掛かる時。そして少しばかり歩いて完全にそこを抜けた後、彼女さんは友人に対してキレた。
「こういう場所とは思わなかった。何でこんなところ連れてくるのか。お前らだけで行けば良いだろこれ。」
そんな感じの内容でキレていた。前日に鬼滅の刃の遊郭編のことを嬉々として語っていた子が遊郭見させられてキレている。
それを聞いた時点で俺と友人は内心「風俗街ってことは今日の会話の中で何回も言ってたやん」とは思った。なんなら思ったというか友人は口に出して彼女にそう言った。
そしたらそんなこと聞いていない、私が認識していたのは××(趣がアレな地区)の方だけだとキレ返された。
そもそも悪ノリで女の子付き合わせてる時点で何言おうと俺と友人サイドが100%悪いんだけどね。100:0でこちらの過失だよ完全に。
気まずい空気のまま最寄りの駅まで歩みを進める。俺は友人に「××は行かないの?」と小声で聞いた。この空気で行くわけねえだろバカかこいつは。
道中、その地域の名物の建物があったので「そういやこの建物昔出張でこの都道府県来てた親父が嬉々として写真送って来たわ」的な話をした。
それが琴線に触れたのかその直後、友人彼女は俺に顔を向けて「増田さんも共犯ですからね!悪いのはコイツ(友人)ですけど!!」とキレてきた。初めてこの子にキレられた。怖い。
引き続き気まずい空気感の中、最寄り駅に到着。そしてそこで死の宣告に等しい一言が友人彼女の口から発せられた。
「増田さん。すみませんが今晩のところはどこかホテル泊まってくれませんか?私はコイツ(友人)に話があるので。」
俺は何も考えず二つ返事で「ハイ」と口にした。怖かった。普段怒らない人が怒ると怖いとはこのことか。
そして友人宅まで長い時間をかけて帰還し、何とかホテルを確保できた俺は一旦荷物をまとめるために一時的に寄らせてもらうことに。
ただ、俺は酔いが冷めてきていた帰り道すがらで考えていた。
多分もうこれ以上の滞在は無理だろうな、と。
きっとこの荷物まとめ作業は一時的な撤収のためのものでは無いだろう。完全なる帰り支度となるだろう。
友人は一応コッソリと「何とか説得するわ」とは言ってくれたものの、何となくここで旅はおしまいだなという空気感がその場にそこはかとなく漂っていた。
一応友人彼女も感情的になっていた先刻とは打って変わり、表面上は落ち着きを取り戻していた。そして俺に告げる。
「一応増田さんが旅を楽しんでくれるよう最大限考えて話し合いはしますけど…。すみません、正直もう帰ってもらう前提で考えといてください。」
完全に同じ認識でいたので逆にホッとした。間違いなく俺は帰ったほうがいい。
こちらが100%悪いのに終盤まで気遣いをして頂ける辺り、改めて性格良い方なんだなと実感する。ホンマ何でこの性格の人を怒らせられるねんこのバカ男2人は。
荷物をまとめ終わり、玄関のところで帰る前提の挨拶を2人に済ませる。一応念のため翌朝にでも話し合いの結果を報告ちょうだい、の一言も付け加えた。
仮に話し合いで状況が大逆転して予定通りもう少し泊まっていて良いですよとなったところで、もう俺にそこから更に1週間泊まるバイタリティは残されていなかったような気はするけど。
そしてホテルに向かい、フカフカで寝心地良いはずの布団で寝付きも悪く、翌朝5時台に目が覚めた。
寝ぼけ目で見たLINEでも状況を飲み込むことに迷いは無かった。やっぱ話し合いした結果、無理でしたの報告。
女性が性的な商品みたいになっている光景にショックを隠せなかったとのこと。
友人からは全部俺が悪い、お前はむしろ被害者だからごめんという謝罪の文章が書かれていた。お前が俺を許してくれるなら付き合いは切れないと思うので、と。
ただ、帰ることが決まった以上は電車と新幹線の時間、あと何より予算的にも遅くまでの滞在はできない。
俺もサシで飲んでその場の気持ちだけでも清算しておきたかったが、それは断念した。
その日、ホテルのチェックアウトを済ませた後に1人でその地域の歴史的なお城を少しばかり観光し、ご飯を軽く食べて立ち去った。
全ては自業自得故の裁断。そこに名残惜しいとか怒りとかそんな簡単に言語化できる気持ちは残っておらず、とりあえず家に早く帰りたいとの思いだけで電車に乗った。
そして新幹線に辿り着いてから書き始めたこの文章も終盤となった今。無事に自宅の最寄駅に到着した。
楽しさと罪悪感が入り混じった数奇な初夏の思い出がそこには残っている。
終盤が怒涛の展開すぎてもしかしたらこれは全部夢だったのかもとさえ思っている。俺はハナっから友人と遊んでなどいなかったのかもしれない。
でもそれでも良い。そんな悲しい結末だったとしても俺は耐えられる。何故なら俺は長男だから。厳密には姉がいるから炭治郎と違って一番上じゃないけど。
そういえば。帰りの新幹線で例の鬼滅の刃の主題歌を聴いていたが、曲が二番のサビに差し掛かるとマンウィズがこんな歌詞を歌っていた。
“解き放て今 僕らが起こした火を 舞い上げ走れば明日が変わるはず”
中途採用された自分は大企業特有のローカルルールに悪戦苦闘しつつもいくつかの企画を立ち上げていった。
いくつかの企画で一緒になった彼女は自分の言うことを理解し、気づかないようなところまでサポートしてくれた。そのおかげで、彼女と一緒にした企画は成功をおさめた。
評価した会社は、自分と彼女を炎上中のプロジェクトに投入した。ちょうど二人、うつで休職したからというのも大きかったとは思うが。
二人でとにかくがんばった。打ち合わせでのクライアントの高圧的な態度には、帰社後に愚痴を言い合ったりして過ごしていた。
クライアントの飲み会にうちの会社から4人が呼ばれた。自分と彼女も入っていた。朝まで接待し、タクシーを見送ったあと、二人で電車を待っていたとき、彼女が今度ふたりで飲みに行きませんかと誘ってくれた。
二つ返事で了承した。
金曜日の晩、仕事や会社の話、個人的なことまで語り合った。ワインボトルを3本空けた頃には電車はなくなっていた。ふたりでカラオケに行き、キスをした。
レスられ8年の自分、彼氏と別れたばかりの彼女、彼女の「こうやって二人きりで会ってくれてうれしい」と喜ぶ姿に恋をした。
とにかく二人で炎上案件をこなした。ほぼ毎日終電だったが、二人きりになることが多い残業は楽しかった。
ある程度の目処がついたとき、自分だけが別の企画に移ることになった。
自分は遅くても21時に帰ることができるようになった。自分が抜けた案件は再び炎上していた。
充実していた自分には、彼女が余裕をなくし心が壊れていることに気づかず、一緒に過ごせないことを残念だと思っていただけだった。
ひさびさにホテルに行ったとき、彼女が泣きながら先のない関係が辛い、不倫であることに耐えられないと訴えた。自分は答えられなかった。
その日から彼女は自分と職場で二人きりでは話さなくなった。飲み会のあとだけ体を重ねて愛をつぶやく。
そんなことは長く続くわけがない。別れを切り出された自分は同意した。
それが1ヶ月前。ようやく気持ちに整理がついた。
楽しかったな。
先日の大雨で祖母の家が雨漏りしたっていうんで週末業者入ってもらうために諸々家具とかどけるために金曜有休取りたいって言ったら、
俺が午後休むから駄目とか言い出してクソ。
隔週で金曜午後通院で休むとか言ってるけど、お前の診察ものの5分以下で終わってるの知ってるからな。
外で飲むビールうめーってインスタに上げてるの知ってるからな。
で、じゃああなたの担当医って週に1回しか来ないんですか?別の曜日に移せないんですか?って言ったら黙るし、
ボソボソと火曜と木曜は午前中しか診察してないからって言うんで、じゃあ午前に診察受けて午後出勤すれば良いじゃないですか。
毎回金曜日の決まった時間じゃないとダメなんですか?って言ったら怒り始めちゃった。
決め手に「毎回インスタで外食の写真上げてますけど、診察時間ものの数分ですよねコレ。なんなら定時上がりで行っても間に合いますよね?」
って詰めたら
「精神科はそんな単純じゃないんだ!!」とか言い始めてるの。
しらんがな・・・というか有休は理由如何に関わらず社員の権利だろうが。それも直前じゃなくて猶予を持って申告してるぞ。
多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。
増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。
そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。
タクシーで帰ることが認められていた。
プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。
私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。
ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。
アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。
ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。
出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。
その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。
現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。
今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。
まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。
「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」
強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。
その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。
だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。
だがそのおかげで他人が死にかける事もある。
不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。
その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。
顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。
開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。
というPJの端に目立たないようにして座っていた。
リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。
全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。
これも20年前の話。
某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。
逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。
次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。
ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。
銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。
私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。
プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。
翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。
とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。
プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。
人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。
自腹で奢るのが良いという話では無い。
今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。
もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。
どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
高校時代に付き合い始めた彼女と大学1年の時に別れて以来ずっと彼女がいなかった。別れるまで猿のようにセックスしていたので反動でその後がきつかった。
社会人になって25になっても彼女がおらず、毎朝晩とオナニーに耽っていたがもう我慢の限界だった。
金曜日、田舎の工場で取引先の技術者から自分が発注した製品についてのわけのわからない説明を聞き、新幹線で帰って来て退勤しようと会社に戻った。自分の部署に行くと一個下の営業事務の女の子が一人で残業していたので飲みに誘った。仕事で嫌なことがあり、大学時代からのパチンコ狂いで借金も膨らんでどうしようも無くなっているので「この子をどっかでレイプしてから自殺しよう」と思っていた。
ジンギスカンを食べてから別の個室居酒屋に行ってしこたま飲ませた。しかし彼女はとんでも無く酒が強く俺が先に潰れそうになった。襲うのは無理そうだったので身体だけ無理矢理触って我慢しようと、横に移動した。最初は手や腕を触って肩を抱き、徐々に胸を触ったり抱きしめたりした。向こうは「やめて下さいよ」とか「どうしたんですか」なんて言ってたけど、こっちは久しぶりの女体の感触に感激しておりそれどころじゃない。向こうが割と抵抗しなかったので胸を揉みながら脚や股間を弄った。向こうは静かになった。
「逃げ出したり叫ばれる前に堪能しとこう」と脚を触っていた手を服の中に入れるため上げた時、彼女がその手に自分の指を絡ませて来た。彼女の顔を見ると目を閉じて顔を近づけて来たのでキスした。
コレはヤレる、そう思いすぐに店を出てホテルに入った。部屋に入った瞬間にソファに押し倒し、シャワーも浴びないままセックスして2回出した。そのあとシャワーで1回出し、寝る前にもう一回出して寝た。
朝起きて全裸の女を見たらまたムラムラした。しかしホテルの料金加算の時間が迫っていたので彼女を起こし退出。彼女は今日家族で出かける予定だったらしいが、夜ご飯食べるまでに合流できれば大丈夫と言われたので自宅に誘い、また何回もセックスした。夕方彼女が家族と会うために帰る時間になったが、彼女から「なんでそんなに何回も勃つの?私もう感覚ない」と言われ、セリフとタメ口に興奮してもう一回押し倒してセックスした。
そのあと、急いで車に乗せて彼女を家族が待つ商業施設まで送った。別れ際彼女からキスされたせいでまたムラムラしてしまい、帰宅して今シコったところ。ちなみに今朝からほとんど何も出てこない状態。
なんかすごい満足した。借金は日ごとに増えてくし、督促の電話もメールもとまらないし、ご発注報告してないから月曜日にはとんでもない量の製品が会社に届くし、上長から頼まれてた見積書作成してないけど、生きるかってなった。
自分のブログも持っているけれど知人にあれこれ言われたくないので匿名にて失礼します。
■ 健康な人へ
心当たりが一切なくても健康診断は毎年受けるべきだし、付けられるオプションはなるべく全部付けるべき。時間とかお金とか恥ずかしさとか痛みとか、いろいろハードルはあるんだが、健康には代えられない。あ、今はとても元気です。大丈夫。
他の人の体験記を参考に入院準備を進めたので、これも後続の助けになれば幸いです。後続なんていないのが一番なんだけどね。
身バレを防ぐために若干ぼかしたり時期をズラしたりしています。
■ 概要
・開腹して左の卵巣と卵管を摘出した
・入院期間は7日間(月曜入院→日曜退院)。手術は入院2日目(火曜日)の午前中
・パジャマとタオルはレンタルサービスを使ったので持って行かなかった
■ 大まかな流れ
・月曜日:入院。昼食と夕食は普通に食べる。シャワーも浴びる。夕食後は食事禁止。
・火曜日:朝6時以降は水も禁止。午前中に手術を受ける。気付いたら終わってたしベッドから起き上がることも禁止されていた。微熱があったため隔離されてPCR検査を受ける。正直傷口よりPCRの綿棒の方が数倍痛い。あいつは一体なんなんだ。
・水曜日:朝、上半身を起こしてみる。立ってないけど立ちくらみみたいな状態。時間と共に和らぐ。昼から食事再開(重湯)。コロナでもインフルでもないと分かったので昼過ぎには隔離が解除され、自分で歩いて病室へ戻った。その後尿カテーテルを抜いてもらい、蒸しタオルで身体を拭いてパジャマに着替える。
・木曜日:メモによると1日中ハイラルに籠もっていた(ブレワイをプレイしていた)らしい。痛み止めが背中のカテーテルから飲み薬(ロキソニン)に切り替わる。
・金曜日:この日の朝食から普通のメニューに戻る。午前中の回診で諸々の管やテープを取ってもらい、シャワーが解禁される。
・土曜日:またハイラルにいる。こいつハイラルに居座りすぎではないか? 傷口(というより上に貼られたテープ)がかゆくて看護師に訴えるが「カサブタなので我慢するしかない」と言われて絶望する。それでも諦めず主治医の先生に訴えたらかゆみ止めの塗り薬を処方してもらえた。効き目が薄くてさらに絶望した。かゆみとの戦いは退院後も1週間ほど続いた。
看護師さんからも主治医の先生からも「珍しいくらい順調に回復している」と言われたので、普通はもう少しゆっくり良くなっていくのかもしれない。
■ 持って行ってよかった
今回のMVP。Switchとスマホの命をつないでくれた。ベッドの頭の方の壁にコンセントはあったものの、スマホの充電ケーブルが短くてギリギリ枕元までしか届かない。ベッドを起こしたらもう無理。延長コードがなかったら電源の取り回しに苦労したと思う。退院したら自宅の古いものと交換するつもりで買ったので、入院生活だけを考えるなら1.5~2mで大丈夫そう。
・小さめの紙袋
ベッドサイドに置いて細々したものをまとめる用。高さ15cm×横15cm×奥行き5cmくらい。化粧品買うともらえるような、しっかりした作りのものがおすすめ。折り畳めるから入退院時にじゃまにならない。ある程度高さがあるとペンを挟んでおけるので便利。
入院した後も書類は増える。一度目を通せばいいもの(処方薬や麻酔の説明書きなど)と、繰り返し取り出す必要があるもの(食事や飲水量の記録表など)を分けるために最低でも2つほしい。
・メモ帳
気になるから後で看護師さん来た時に聞いてみよう→忘れる、のループから脱却したい時に使う。気になることは際限なく増えるから覚えておくのは無理。別にスマホでも構わないがフリーハンドで好きに書ける紙の方が便利だった。
髪が長い人向け。手術後しばらくはお風呂に入れず髪も洗えないため、次第にベタベタテカテカして気になってくる。そういう時にさっと留めてとりあえず遠ざけておくと気持ちが楽になる。ヘアゴムでもいいんだけど、バナナクリップの方が圧倒的に手軽。
石鹸やシャンプーや歯ブラシなど濡れたものを雑に突っ込んで、サイドチェストの手すりにくくりつけて干した。ベッドサイドが広く使えるしすぐ乾くし、地味に便利だった。メッシュ生地に限らず巾着は「くくりつける」という選択肢が生まれるからポーチよりおすすめできる。
説明不要。これを書いている今もまだプレイしている。ティアキンに移るタイミングを見失っている。手術直後はただ草原を走り回って採集活動に勤しめばいいし、回復してきたら弱そうな敵や簡単そうな祠に向かえばいいし、病状に合わせてプレイスタイルを変えられるのも良かった。
■ あればよかったなぁと思う
・充電ケーブルの先を保持できる仕組み
延長コードを使うと発生するデメリット。ちょくちょく充電ケーブルの先が床に落ちるし行方不明になりやすい。クリップ的なもので留めておきたかった。
入院して初めて、自分は白米が単体で食べられないらしいと知った。おかずも山程あるんだけどそれ以上に白米が多くて苦労した。残すのも忍びないから毎食フードファイト状態。ふりかけでもごま塩でも、とにかく白米に味がつけられるアイテムがほしかった。
・マスク置き場
感染症予防の観点から、ベッドにいる時もなるべくマスクをつけておくよう求められていた。そうは言っても寝る時はさすがに外したいし、食事時はもちろん外す。そういう時にちょっと置いておける場所がほしかった。
出歩く時、スマホはパジャマのポケットに入れていたが、ふとした拍子に落ちるんじゃないかと不安になった。背中の痛み止めが繋がっている時は痛み止めを入れる巾着(紐が長く斜めがけにできるもの)にスマホも押し込んでいた。看護師さんにはちょっと笑われた。でもあのスタイル超便利だったな……ロッカーの鍵も入れてたし……。痛み止め取れた後も巾着は残してほしかった。
・クリップボード
入院中は毎日「ごはんをどのくらい食べたか」「水はどのくらい飲んだか」「お手洗いに何度行ったか」を記録する必要があった。用紙はクリアファイルに入れておいたんだけど、書く度に出してしまってを繰り返すのはちょっと面倒だった。
シャワー解禁があと半日遅れていたら、なんとしてでも髪を洗おうとしたと思う。髪、想像以上にベタつくし重くなる。
■ なくても別に困らなかった
・ハンガー
備え付けのハンガーで十分事足りた。
巾着のところで書いた通り、洗ったものは巾着に入れてくくりつけて干したので「何かを引っ掛けたい」と思う場面がなかった。
・ウェットティッシュ・汗拭きシート
病室には手洗い場が備え付けられていたし、看護師さんが毎日蒸しタオルを持ってきてくれたので使う機会がほとんど訪れなかった。
起き上がらずに水を飲めるから便利という体験記を読んで買っていったが開封もしなかった。起き上がれない時は水も禁止されてたし、飲めるようになる頃には問題なく起き上がれた。これが一番の想定外かなぁ。
・スーツケース用の鍵
事前の説明では「鍵をかけられる小さな引き出しがある」としか言われなかったので、引き出しに入り切らないが盗まれたら困るものを管理する目的で持っていった。しかし引き出しは十分に大きかった(Switchをケースに入れた状態でしまっておけた)し、引き出しの他にも高さ1m×横20cm×奥行き50cmほどの鍵付きの棚があったため使う必要がなかった。
こんな感じです。参考になるといいなぁ。ともかくみんな健診には行こうね。
今のところ自分は産まなくても十分幸せだっただろうなーと思う。
子供はすくすく育ち、5歳になった。
共働きで、メインの稼ぎ手は私であり、夫とは仕事家事育児のすべてを分担している。
それでもとにかく、いくら分担したところで、母親業ってやつに心が馴染まない。
「面倒くさ〜」「疲れるな〜」とか、そういう感情が先立つ。親であるデメリットを毎日感じる。とくに自分が体調不良の時は本当に勘弁してくれと思う。
自分のリソースをここまで削られることに対して、育児って狂ってんなーとしみじみ思う。
常に睡眠不足だし、外に出りゃ私たちがちゃんとした親かどうかを逐一社会がチェックしてくるし、保育園から持って帰ってきた体調不良は家全体に蔓延するし、お金はバカほどかかるし、家の中は汚されるし散らかるし、ずっと騒々しいし、何かやろうと思えば体感20秒ごとにストップが入る。自分のことをする時間は本当にゼロになる。育児の裏でなにかに集中できることなんてひとつもない。デメリットを挙げだしたらキリがない。
ときどき夫が子供を連れ出してくれる時だけ、久しぶりの趣味の感覚を取り戻そうとしてみたり、家をいつもよりきれいにしたり、読書したり、仕事に関する勉強をしたり、お菓子を焼いたり、お風呂にゆっくり入ったり、はたまた好きに出かけたりできる。
この時間が永遠に続けばいいのになぁ、子供がいない人は休みごとにこんな風に動けるのか、羨ましいなぁ…と思う。実際自分は独身・子なし夫婦時代を楽しく過ごした。
自由な日の終わりに子供が帰ってくると、あーあ…と思う。次は一体いつ自由な身になれるんだろうなと凹む。
仕事終わりに保育園に向かう時も、自転車を漕ぎながら「これからまた明日の始業までしんどいな…」と毎日思う。仕事の方が自分の計画で動けるのでストレスを感じずに済む。
ゆえに金曜日は気分が沈む。
「ああやってしまった、産むんじゃなかった。」という感覚がずっとある。もう産む前には戻れないことに対しても、最初の数年は発狂しそうだったけど、ある程度心の中で折り合いはついたと思うのに。
もう巻き戻せないんだからちゃんとやらねばと思って、できる限り子供に関わって、仕事も主体的にこなすことを心掛けながら、気を遣ってくれている夫と子供が理由で関係が悪くならないように努力しつつ、自分の体調も崩さないように気を付けて来たけど、もう本当にマジで疲れたな。
楽になりたい。
子供を持つことの良いところってなんだろう。
子供がかわいらしいこと、その子供に好かれていて駆け寄ってくること、パートナーは子供がいて幸せだと思っているらしいこと、社会的に子供がいるというステータスが「まとも」と見られる時もあること(とはいえ、子がいるという事実だけでまともと捉えるようなコミュニティに身を置くべきではないと私は考えている)、子持ちにしか縁のない場所に堂々と出入り出来ること、「子供を産めば良かった」という後悔をすることはなくなったこと、このぐらいか。
(ここに「自分が完全になった気になれた」「かけがえのない存在がいる」とかを一緒に挙げる人もいそうだが、それに関しては私は夫と結婚することですでに感じられていたので除外した。
同じように「子を産む」ことに付随する神秘めいた説明のつかない部分を体験できることに関しては、私がそれについて懐疑的なので除外した)
いや、これだけで頑張るには毎日キツすぎる。
それでもやりたいと思うならぜひやってみたらいいとおもうけど、全く他人にはお勧めできない。
特に、リミットを感じて周りにも子を産めと圧をかけられ迷いが生じている人には本当にお勧めできない。産んだら元には戻れない。
子供はいいよ、産みなよ、とか簡単に言う奴は、自分の苦しみを他人にも感じさせて分かち合える人間の母数を増やしたいのかな?とすら思う。
現状を知った上で産むかどうか選べるなら産まない。誰もこんなことしない方がいいとすら思う。
本当に何も知らなさすぎた。バカだったなと思う。
「こうなる」ことをもし全部知った状態で産む前に戻れるなら、子供が欲しいという夫を説得して、共働き子なしで一生余裕のある暮らしをしようと言ったと思う。それでも子どもが欲しいなら別れよう!と言ったと思う。別れたいわけではないけど、子供が欲しい夫に後悔が残るのはかわいそうだから。
不可逆な選択を間違えたので、もう粛々とやっていくしかないと思って、時間とお金を湯水のように消費して毎日育児している。
自分の時間が吸われ続けて、やりたかったことは出来ず、このまま老いていくんだなあ。
あ〜、人生もっと楽しみたかった。これが正解なんだとしたら狂ってる。
若く楽しい時間を犠牲にして、一つの命を「人間にする」行為をしている。楽しめる人もいると思うけど、私はそうではなかった。
もちろん2人目は産まない。
子供を産んだ自分が詳細に想像がつかないまま子供を持ったのは本当にバカだったなぁと思う。
「こんなことを言う母親で子供がかわいそう」と言われる声が自分の中から聞こえてくる。
いくら子供に関わって心を砕いて、自分の持てるリソースを殆ど全て明け渡しても、母親の内心がこんなふうなら「子供がかわいそうと言われてしまいそうだ」と考えてしまうぐらい、育児の現場には内心どう思うかすら自由がない。
後悔してますと大っぴらに言うことは出来ない。子供を傷付けたいわけでもないので、胸にしまっている。これからも現実ではそうし続けると思う。
若い子は半数以上が子供を持ちたくないらしい。賢い!そうした方がいい!と思う。
産む前には絶対戻れない。私は知らなかったから子供を持ったけど。
もう一度言いたい、産む前には絶対戻れないって。何もかも元に戻らない。
[ 追記1:養子はどう?というコメントに対するレス以外、増田はコメント返信していません ]
[ 追記2:
疲れ果ててろくに推敲もせず書いたものが人に読まれていろいろコメントまでついていて驚いた。
「子供の目に入ったらどうする」「子供がかわいくないのか」「こんなものを人の目の触れる場所に書くな」というコメントが散見されたけど、「日々なんとかやっていて、子供とちゃんと関わっている」と想像がつくであろう情報を添えてもこんな意見が返ってくることこそ、子を持ったからにはこうあるべきという強い思想があることを浮き彫りにしていると思う。
(おすすめしている人もいたけど『母親になって後悔してる』はすでに読んでいるので、ブックマークが伸び始めた時点で私のことを人非人扱いするだろう意見が出てくることは想像がついた。むしろ思ったより共感が多いなと思ったほど。)
そして「子供を持つことで、人生の選択ミスをしたと思っている」という意見が見えてきづらい理由もなんとなく分かった。
こんなことを書く人間はすでに心が疲れているので、余計なことを言って他人から責められるなら辛くても大丈夫なふりをしてやり過ごす方がまだマシだし、こうやって文章にすることで子供に対する罪悪感から自責の念を強めてしまって投稿しづらいんだろうな。
匿名のエントリでさえこんな反応が返ってくるなら、そりゃ誰も言わないし、書いて残したりしないだろう。
「昨今、『子育て疲れた』みたいな情報なんかいくらでも見かけるだろ」と言う人もいたが、少なくとも私は死ぬ方法をいくつかブックマークしておき、最悪こうすれば良いと思って日々をやり過ごすほど子を持ったことを後悔するとは思っていなかった。もともと子供が不得意というわけでもなく、苦手意識もなかった。自分の感じた絶望感が自分のしていた想像よりも深刻だった。(これはn1の話だから、逆のパターンも絶対にある。)
とはいえ、これは私の心にとっての事実であり、「表明する人が少なく、アクセスしづらい情報となっている」と思われるので、とりあえず消さずに置いておくことにした。
大した文章でもなんでもないんだけど、私は産む前に見ることが出来なかった情報だったので。
「自分の子供だけはやっぱり違う」とか、「人類がみんなやってきたことなんだから、あなたにも出来ないわけがない」とかだいたいそんなことを言われたし。もちろんそれは悪意があった言葉ではなく、その人にとっての事実だったんだとは思っているけど。
でも、私はあまりにも不可逆な選択で間違えてしまったと思っている。もう戻ることは絶対に出来ないので、毎日やり過ごしている。後悔している。疲れた。この投稿にそれ以上の意味はない。 ]
[ 追記3:
Twitterでいろいろとシェアされていることにたまたま気づいた。
こういう文章が引用した人間の持つ思想のお気持ち棒として振るわれるのは仕方ないことだが、引用した人の主張のバイアスがかかった状態で読まれて内容を勘違いされるのも本意ではないので、仕方なく補足として追記する。
あと、そもそもここまで読まれると想定して書いた文章ではないので、「自分の排泄物がやたらと批評されている」みたいな違和感があることも書いておく。
上記の文章は私にとっての事実であり、ただただ嘘のない気持ちを列挙したらこうなった。
とはいえ、いつまでも現状に文句たらたらでふてくされたまま人生を無為に過ごすつもりは全くない。
「母親になって後悔してる」と結びつけてシェアされたのが大きく伸びたせいか分からないが、私が今後一生ずっと子を持ったことを後悔し続け、後ろ向きに暮らす惨めで不幸な女だと決めつけてかかる人がいるが、それは違う。
(そもそも、同書に出てくる母親たちもそんな人ばかりではない。戻れるなら産まないというだけで、その人を幸福になれない人間と決めつけるのは早計だと思う。「母親になって後悔してる」の本の事例だと考えてシェアした人もそんなつもりは無いと思う。)
こんな生活になると想像しきれず、人生はめちゃくちゃになってしまった。戻れるなら私は産まない。今現在、後悔している。それは本当にそう。でも不幸とイコールでは無い。
私の子供はすでにそこに存在していて、それならば子供自身が思う自分の人生を送れるようにできる限り手助けしたいと思っている。
今現在、自分がこんな心境であるにしても、自分含め家族全員が幸せな人生を送れたら良いと思っている。
「誰もこんなしんどいことしない方がいい」とついつい思ってしまうとはいえ、私は反出生主義者ではない。どんな派閥も肯定する気はない。
他人にまったくおすすめできない行為ではあるし、後悔しているのも事実であるため、どうやら読む人によっては「この状態を不幸としない」ことに矛盾を感じるのかもしれない。
(※0か1かでしか考えられない人もいると思うので一応書いておくが、これは「だから子供を産んで後悔はしてるけど、やっぱり私は幸福です」と言っているわけでない。)
こんな人間はどうせ産まずともグダグダ言っているだろうという意見もまあ確かにそうだな、と思った。というか、それの何が悪いのか全く分からない。
子供を産まなかった別世界線の私が後悔したとして、子供を産めば良かったと後悔している、と表明することの何が悪いのか?
その時その時のその人にとっての真実を書いて、ネットの海に放流することはなんの罪もない。
いろんな人が好き勝手書いて、それをいろんな人が参照して、取捨選択に使えばいいと思う。
(人の言葉尻を捕えて揶揄することで主張をする人たちも、私からすればイラッとするが好きにするといいと思う。匿名ツールなんてそうやって使われるものだと思うし)
もはや自分で読むのも面倒臭いほど長文になってしまった。これ以上追記はしないので、あとは自由に解釈してもらえたらと思う。 ]