はてなキーワード: 金曜日とは
金曜日のたわわがいるだろ
トマーッス
本日は日本においてはタクシーの日、ハコの日、ハードコアテクノの日、ハコボーイ!の日、山ごはんの日、裏ゴーヤの日となっております。
世界ビールの日というのが8月の第1週の金曜日にあるのですが、まぁそれは昨日のことですね。
こういう、ある月のある週のある曜日に記念日が存在していることはよくありますので、注意深く観察しておきましょう。
何かしらのキッカケになるかとかは知りませんが、その日の記念日を知ってるのか知ってないのかで多少はちょーっとは会話のボキャブラリーみたいなのが増えるのか増えないのかはわかんないですけれども、多少の豊かさに繋がればいいかなぁと思っております。
昨日が世界ビールの日なら今日は世界迎え酒の日だ等とほざいても許されるかもしれません。何にもないけど酒が飲めるぞ。
ということで本日は【俯瞰的な視点よいか】でいきたいと思います。
来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜日を見ろ来週の金曜
山の日🗻
そういえば思い出した、遥か昔の頃、俺も吹奏楽部に入ってたこと。
今は”(吹部)スイブ”なんていうのか?俺の時代は“ブラバン(ブラスバンドの略)”って言ってたけど。
パーカッションをやりたかったけど、すごい人気でそれこそ「オーディション」で選考されて、
箸にも棒にも掛かからなかった俺はサファイアちゃんと同じ「コントラバス」に配属された。
ちなみにコントラバスは誰もやりたがらない堂々の不人気No.1楽器。
クソデカくて運搬が大変なのに、音低すぎてよほど吹奏楽に知見があってかつ耳の良い人でもない限り音を聴き当てることができないからね。
作中でもサファイアちゃんだけが希望者でかつなり手がそれまでいなかったっていうのはすごいリアリティだ。
だけど一人きりのコンバスだったサファイアちゃんとは違って、俺には3年生の先輩が二人、2年生の先輩が一人できた。
全員女性だった。
中学生、ド思春期、関わったことがある年上の女と言えば学級担任かばぁちゃんかかぁちゃんだけの童貞にとって、
ひとつふたつ上のお姉さんは言い得も知れないほど何かを感じずにはいられなかった。
早い話、性欲持て余しまくりだった。
一人だけだった少年後輩の俺に、先輩方は本当に優しく、時に厳しく、指導してくれた。
特に3年生の二人は引退が近いこともあって、かつ二人とも弟がおられたみたいで、「ウチの弟とは違って素直でかわいい~」ってな感じで
ズブズブに可愛がってくれた。
俺は毎晩ズブズブにオナペットにした。
作品は夏休み中のコンクールの話だったけど、同じく当時の俺もコンクールを体感していた。
ブラスバンド部というのは、とにかく金がかかる。
コンクールの会場は都市部のコンサートホールだったんだけど、その会場までは学校が手配した貸し切りバスでの移動だった。
だけど上記の通りいろいろ金がかかるため、少しでも浮かそうとしてバスは観光バスではなく、その辺を普段走ってる路線バスが行先に「貸切」って表示させたボロいやつだった。
先輩が「増田ちゃんは座ってな!」って俺を座席に座らせてくれて、本人たちは立ってくれた。
路線バスだから車内につり革があって、先輩たちはそれにつかまっていた。
ふと座った座席から先輩たちを見ると、つり革につかまってガードがゆるゆるになった、先輩たちの「脇」が露わになっていた。
ボーボーだった、わき毛が。
当時の中学三年生くらいはまだ、ムダ毛の処理なんてしなかったのだろう、
とにかくボーボーだった。
そんなボーボーの光景をみて、俺は衝撃を感じるほどの性欲が沸いて沸いて沸き立ってどうしょうもなかった。
中坊にとって女性のわき毛は、もう大人のそれでしかなかったから。
先輩にバレるかもしれない、という恐怖に駆られながらも、会場に到着するまでの30分間、2秒に1.5秒くらい俺は盗み見た。
会場楽屋での音合わせ、舞台袖の雰囲気、結果発表までの緊張感、
なんか色々あったと思うけど、俺の頭の中は貸切の路線バスの中で仕入れたとびっきりのズリネタをいち早く消費することしかなかった。
学校に戻って解散したあとは猛ダッシュで家に帰り、出るだけ出した。
結果は銀賞だったような気がする。はっきり覚えてない。
一人いた二年生の先輩には正直何も感じておらず、拠り所を失った俺はほどなくしてユーレイ部員になり、知らない間に入部さえしていなかったことになっていた(高校入試の時に途中退部とかだと内申書に響くから、らしい)。
特に何にも夢中になることがなくなった俺はテキトーにスーパーファミコンとかばっかりやって、気づいたら中学卒業してた。
その後も何かに熱中することもなく、やがて中年になり、結婚も出来ず、金曜日にたまたまユーチューブで見たアニメにほだされて、土曜日に駄文をダラダラと書くことくらいしかやることがなかった。
何かを一所懸命、やればよかった。
悔し涙流すくらい、やればよかった。
それは若い時が断然よかった。
三年生の先輩をオナペットにした思い出しかなかったあの時のことだけど、それでもやっぱり、二度とない良い思い出に違いなかったから。
ああ、
なんか余計な事思い出した。
俺にでも若い頃は、その可能性があったことを今頃知らしめられてどうする。
見るんじゃなかった。
毎週金曜日の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」は好きな番組で、いつも欠かさず見ている。
特に「遠距離通勤・通学」が好きで、降車駅や自宅を推理しながら見てる(因みに有名コーナーの開かずの金庫はあまり好きではない。何となくパターンが決まっているので…)。
通勤は大人なので本人が好きでやってるんだろうしな〜って思うけど、学生が片道3時間近くかけて通学してるのを見ると、偉いねぇ〜親孝行だねぇ〜〜と老婆心がニョキニョキ生えてくる。
しかし最近ふと思ってしまう。もしこの子達の経済状況や、親御様の金銭感覚が違ったらどうなっていたのかなと。
コーナーの流れとしては、
→道中で簡単に雑談をしながら、どんな学校かや遠距離通勤・通学の理由のヒントを小出しにする
→翌朝の通勤・通学に同行し、通っている学校や遠距離通勤・通学の理由を明かす
こんな感じだ。
このシーンで、遠距離通学の場合は理由の一つに必ず「金銭的に親に負担をかけさせたくないから」が出る。
それはとても素敵だし、学生時代そんな意識が皆無だった私は大いに見習わなくてはいけない。
しかし「定期代は奨学金から捻出」「駐車場代、駐輪場代も本人が払う」「途中駅で3時間アルバイトをして、終わってから遠距離通学再開」などを見ると、「駐輪場代の数千円くらい、出してあげられないのかな……」と思う時がある。
経済状況は家庭によりきりだし、大学生ならば成人しているので、「自分のお金くらい賄え」という方針も理解できる。
だが私は意地汚い人間なので、小型犬を3匹飼っているご家庭の子が駐輪場代をバイト代で賄っている回を見た際「いや、犬のトリミング代を回してあげて!てか犬3匹も飼える余裕あるやん!」と心の中で突っ込んでしまった。
「いやいや何を言う。この子達は関東近郊だからまだいいだろ。実家が地方で、どうしても東京の学校に行きたい。でも経済的に苦しいから諦めざるを得ないか、オンボロアパートで奨学金を掛け持ちしている子もいるだろう。」ともう一人の私が言う。
確かに。そう考えると実家が関東近郊にあるのは有利だし、実家で大好きな家族と暮らしながら好きなことを学べるのは恵まれてるのか……。
いやでも「少しでも運賃を削る為に、学校前のバス停に止まるバスには乗りません!チャリで25分かけて駅まで行きます!」を見ると「…………偉いな。頑張れ」という気分になる。
なんか話がごちゃごちゃしたが、そんなこんなで最近純粋な気持ちで見れなくなってしまった。
みんな通学中の熱中症には気をつけるんだよ………
マッチングアプリで婚活してみた。自分の性格の悪さに向き合うはめになり、誰にも言えないのでここに投下して供養する。
33歳の女
年収:750万くらい
都内在住
160cm49kg
________________
登録してから数週間でいいねが700くらい。自分からいいねも3人くらいにしてみたけど、反応がなかったのであとはしなかった。全員とやりとりするのは無理なので、あまり遊んでなさそうで話があいそうで条件の合致しそうな人に絞ってメッセージのやりとりをした。
20人くらいとマッチングしてメッセージ続いたのが15人、うち会ったのは6人くらい。
もっとメッセージ続けたり会ったりした方がいいんだろうけど、無理のない範囲でやりとりをしてたらこのくらいになった。
もともとイケメンとか好きではないし、見た目もあまり気にしない方だと思っていたが、これが甘かった。
実際に会ってみて「この人と生涯を共にできるか?セックスできるか?」と考えると、難しいなと思うことが多々あり整理も兼ねて書いてみる。
お互い韓国料理が好きだったので、夜ご飯で会いましょうという話になった。お会いしてみての第一印象は、生え際がだいぶ写真より後退しているということ。36だから多少頭皮に来ていることは想定していたが、予想を超えたおでこの広さだった。話しているときも頭が気になってしまう。話は盛り上がったが、どうしても一緒に暮らすイメージが持てず、次回デートのお誘いはお断りした。
■2人目Bさん 39歳自営業
こちらも共通の趣味があり、メッセージが楽しかったのでお会いすることに。第一印象は背が低いということ。増田はちょうど160cmで、相手のプロフィールには163cmとあったので、ヒールのない靴で会ってみたのだが、並んで歩いていると目線が増田より下であり、身長を多少盛って登録しているようだった。また、話してみると声が高く早口で捲し立てるようで会話のリズムが噛み合わない。決定的だったのは体臭。もともとやや強めな感じがしたがそれをごまかすように香水をかけており、ブレンドされた香りで少し気分が悪くなってしまった。体臭は個人のどうしようもないこともあるので心苦しいが、隣で歩くイメージが持てず、お断りすることに。
筋肉質な塩顔なプロフィール写真に惹かれお会いすることに。これまでの2名は合う前にお店を一緒に探して予約して会っていたのだが、この方は金曜日夜の品川集合で予約をしない方だった。増田からお店の候補を複数送ってみたが、「その場で会って決めましょう」と仰るので嫌な予感がしつつも駅で落ち合う。案の定どこも空いておらず30分くらいふらふらした挙げ句、駅のパン屋さん的なところのカフェスペースで話すことに。この時点で結構萎えていたので早く帰りたかった。(その意味ではパン屋さんのイートインスペースは長居もしにくいので助かった!)話の流れで元カノと別れた理由を聞くと、メンヘラになったからと回答。よくよく聞くとCさんが女性と遊んでたりして不安定にさせていたことが発覚し心のシャッターがすごい勢いで降りてフェードアウト。「感情的な女の子って嫌いなんだよね」と言う男の地雷率は高いと聞いたことがあるが、妙に納得した。
仕事が近いので話がはずみ会うことに。会ってみると、肌がニキビで荒れていた。ランチタイムで会ったのだが、肌荒れ気にしているというわりには揚げ物を食べていて、あまり肌に気を使っていない印象だった。こちとら揚げ物や菓子パン食べるとすぐにニキビが出るから月に1回食べるか食べないかで調整していることもあり、行動と言葉に矛盾を感じた。
お会計が割り勘だった。別に割り勘でもいいんだけど、他の3人はこちらが払うと申し出ても割り勘拒否してきたので少しびっくりした。Dさん的にはナシだったかなと思ったが、店を出たあとで次回デートの申し出とLINEを聞かれたのでもう一度びっくりした。LINEは伝えずフェードアウトした。
■5人目Eさん 35歳経営者
プロフィール写真より太かった。夜ごはんでお会いしたが、すごい量を注文しすごい量を召し上がっていた。その一方で見た目で判断されたくないとお話されていた。当方、もともと太りやすいこともあり、体型維持のために週5のジム通いと夕飯は炭水化物抜き&野菜と鶏肉の生活を送っているので、気にしていると言う割に痩せる努力もしないで好きなだけ食べ続けることに嫌悪感を覚えた。「太っている女性は苦手なんだよね」というので「私も恰幅のよすぎる男性は苦手ですね」とお伝えしたらブロックされた。
■6人目Fさん 39歳エンジニア
プロフィール写真よりも見た目が老けていた。店の予約もしていなかったが、近くにすぐ入れるお店があったのでまあいいかと思った。話のなかで何度も専業主婦を下げるような発言をされていたので気になった。その一方で女性には家事能力を求めるので戦慄した。彼の理想は共働きで家庭にお金を入れてくれつつ、自分の浪費は認めてくれて、家事は料理選択掃除をこなしてくれる女性のようだ。私は奴隷にはなりたくないので、お断りした。
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予想以上にしんどかったので、結婚ではなく気楽に彼氏を作るか一人で生きていこうと思った。
おわり。
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みんなAさんいいやん言うけど自分もそう思う。
でも一度お断りしたらAさんからブロックされたか退会されて連絡とれなくなり諦めました。
一人で生きるのが楽そうだからいずれは地元関西にでもマンション買ってのんびり暮らそうと思って住宅ローンとか調べてるところ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53b79e8c47fd13354352db74d57e8f5359cf87de
LGBTをめぐる画期的判決にネットは大盛り上がりと思いきや、大炎上している。というのもこの職員、自身のものとみられるツイッターでかなり過激な言論活動にいそしんでいたのだ。
《上告審で逆転勝訴したら名前を「アナルファックちんぽこハメ太郎」にします》《キンタマキラキラ金曜日》
ツイッターにはお世辞にも上品とは言えない言葉が並び、性的少数者への中途半端な批判には《ボケカス野郎》などと容赦なく襲いかかった(現在はアカウントを削除)。
僕が大学4年生のとき、2歳年下の彼女ができた。もう5、6年くらい経つので記憶が定かではないが、大学生を卒業する5ヶ月くらい前から付き合ったと思う。
彼女とは同じサークルに所属しており、日常的にもよく話をする仲だった。とてもいい子で悪い意味は全くない、本当に素直でまっすぐな子だった。旅行で色々なところに一緒にいった。富山と大分と岩手は特に楽しかった。
彼女の地元は県外であり、大学進級に合わせて近県である僕の地元の県へ引っ越してきていた。
僕は地元の大学を卒業して、地元に就職したので彼女が大学を卒業するまで週末はよく会っていた。僕は実家暮らしで、一人暮らしの彼女のアパートに金曜日の夜行って日曜日の夕方帰る、そんな生活を2年ほどしていた。
僕たちの環境が大きく変わったのは彼女が大学を卒業してからのことだ。
付き合っている間、彼女の進路について別にケンカとかはしなかった。彼女がやりたいことをするには、僕の地元から離れるしかなかったし、彼女を僕の地元に引き留める理由を当時の僕は持ち合わせていなかった。
いや、本当は持ち合わせていたのかもしれない。ふたりの将来(結婚とか)を考えれば彼女が僕の地元で就職するか、僕が一緒に東京に行くしかなかった。もしくは、彼女が東京で就職して何年か経ったら僕の地元に帰ってきて結婚するとか、逆に僕が数年したら地元から離れて東京で結婚するとか。
でもそんな将来のことを僕は考えていなかった。
というか目を背けていた。
今は置いといて追々考えよう〜〜〜
そんな気持ちでいたのだと思う。
そしてそんな自分の気持ちを彼女と共有したりもしなかった。彼女はどんな思いでいたのだろうか。
僕の地元から東京までは車で片道2時間くらいの距離なので、決して会えない距離ではなかった。しかし、コロナの影響やお互いの多忙もあり、ほとんど会えなかった。LINEでやり取りはしていたが、『おはよう』と『おやすみ』くらい、たまに『今日〇〇した』くらいの1日に10件にも満たないやり取り。
そして付き合って3年目。その日、僕は東京で彼女と会っていた。地元からの高速バスを使って東京に行った。
日中は彼女の部屋でごろごろし、夜は彼女が予約してくれたお店でご飯を食べた。予定ではそのまま彼女の家で一泊して、次の日に帰る予定だった。
ご飯を食べ終わった帰り、最寄り駅から彼女のアパートへ向かって歩いていると別れ話になった。
その日は一日中、彼女の様子がおかしかった。会話をしても続かない、よそよそしい態度、彼女の中では僕は彼氏ではなくなったのだろう。
どんな言葉でフラれたのかは覚えていないが、『少し距離をとりたい』的なことを言われた気がする。
僕は内心、『そうだよな』と思った。将来のことの相談もしない、会えない上にLINEも続かない、そりゃ早めに別れて自分の人生のために次の人を探すよな、そう思った。
彼女の部屋に着いた時には、もう彼氏と彼女ではなくなっていた。僕は元彼女の部屋にいくつか荷物(服とか)を置いていたので、近々車でとりにくる、と話をまとめ部屋を後にした。
元彼女は『今日は泊まっていいよ』と言ってくれたが、『こういうのはキッパリとしないと』とか何とか訳の分からない言い訳を並べて僕は駅に向かった。少しでも虚勢を張りたかった。
駅で新宿行きの電車を待っていた。時間は22時過ぎだったと思う。
僕は決心した。
その後、電車に乗り新宿の3つくらい手前の駅で降りた。駅のすぐ近くにビジネスホテルがあったのでそこに泊まることにした。
デリヘルだった。
デリヘルってこんな時間までやってるんだ、と思った。日付の変わる30分くらい前だった。
受付のお兄さんに、自分は風俗が初めてなので、リードしてくれる子でお願いしますと電話で伝えた。
部屋に相手の子が来てくれたとき、『若いね〜何歳?』と聞かれた。
僕は時計を見て『ちょうど今、25歳になりました』と答えた。
彼女と一緒に僕の誕生日を祝う予定だったのに、気がついたら東京の知らないビジネスホテルでデリヘルを呼んでいた。そのデリヘルの子も25歳だと言った。本当かどうかは知らない。
次の日、来た時と同様に高速バスで地元に帰った。バスタ新宿で待っている時、竹内結子が自殺したニュースが流れた。僕は芸能人で一番好きだった人が亡くなったことを知った。
これでシコれなくても俺は知らん
自分の人生において、他人からハッキリと絶縁された経験がなかったので(単純に気付いてなかっただけかもしれないが)、自身の反省すべき経験として記録に残しておきたい。
今から3年前、2020年のちょうど今くらいの時期。なんだか遥か遠い記憶のような気さえしてくるが、「新型コロナウイルス」がニュースや新聞、ネットで毎日毎時間毎分毎秒のように取り上げられていた頃。
2019年の年末頃から、パンデミックという言葉が出始め、ロックダウンやらクラスターやらなんやら横文字が増えてきたのを覚えている。
もはや懐かしい気さえしてくるが、ニュースやTwitterで『県内〇〇例目となる新規感染者が確認されました』、『当県の今日の新規感染者数は〇〇人でした。』という文言が嫌でも目に入った。そういえば、と思って見返したらこの当時はまだ二桁台だった。
皆さんは覚えてるだろうか。
都会でコロナに感染した若い女性が、自宅療養期間に自己判断で地元に帰り、遊んだかなんだかでクラスターとなり、身元が特定されネットで叩かれ、地域で村八分となり、本人も家族も引越しせざるを得ない状況になった、というネットの記事を。
どこまで信憑性があるかは置いといて、私が住んでいる地域も似たような田舎性がある所なのだ。言い換えれば、自分自身の5W1Hがあっという間に広まる地域なのだ。
そんな地域に住む私だが、仲の良い友達6人のグループラインで、ある話があがった。
世界規模で感染症が流行している時期に、医療関係者の方々が必死に働いてくれている時に、何を考えているのであろうか。
この記録を書くにあたって、当時のラインを遡ってみた。
5月ごろコロナの新規感染者数が落ち着く→6月ごろ上記の飲み会の話があがる→県外に住む2人の友達も「職場から近県であれば行っても良いとお達しがでた」と言う→感染者数の移行を見ながら、自分たちも気をつければ大丈夫!→7月に集まって飲もうと結論
そして終わっている者たちなりにルールを設けた。
「飲み会当日まで、自宅と職場しか行き来しない」という訳のわからないルール。要は、お前らと遊ぶために、家と職場の人以外には会わないよ〜ということ。
家の人や職場の人が生活する中で感染者や濃厚接触者と関わっていたら?なんていうことは考えてもなかった。自分たちさえ気をつければそれで良いと思っていた。再三言うが、本当に終わっている。
終わりしFランバカ6人衆は、買い出しをどうする、ラフティング(川下り)もしよう、何時にどこ集合だと話を進めていった。
あの日までは。
飲み会の5日くらい前、グループのある1人(県内住み)からグループラインに連絡がきた。
『先週の金曜日に、歌舞伎町のホストクラブで働いてるやつとご飯食べたのね。そいつの話だと周りにコロナ陽性の人はいないし、近くにも出てるって聞いたことないと。
まあでも2時間くらい居酒屋で一緒に話したから怖いっちゃ怖いって感じなんだけど、コテージ飲みの前日くらいにその友達に連絡して、発症してなければ飲み会参加したいんだけど、どう思う』
ワオ。すごい。
急遽、会議が開催された。県外の友達もいるのでグループ電話で会議をした。
連絡をくれた彼は、バカ正直に言わずに、歌舞伎町で飲んだことを黙って私たちとコテージで飲むこともできたと思う。でも教えてくれた。
そしてメンバーの誰も彼が東京に行って遊んだことを責めなかった。あれ?もしかしてみんな黙って遊んでたりした??とも思ったが黙っていた。
結果、『万が一のこともあるから今回俺は不参加にさせてもらう』と彼が言ったことをきっかけに、彼以外のメンバーでコテージに行くことになった。
8月にまた集まって遊ぼうぜ!とか何とか彼に声をかけた。
コテージには1人キャンセルの連絡を入れた。本来ならキャンセル料100%だが、コロナの感染の疑いがあるかもしれないと伝えると何故か75%に割引してくれた。
そしてコテージ飲み会の前日、彼からまたグループラインに連絡がきた。
『なあ、おれ具合悪くないし、おれの友達も健康そのものなんだが。
これで参加できないのよくよく考えるとめっちゃ考えすぎな気がするんだけど、どう思う』
ワオ。ワオワオ。どうしよう。
その連絡が入ったのは前日の夕方ごろで、たまたま私はコテージに行くメンバーの2人と一緒にいた。
え、どうしよう、なんてその場で話している内に県外に住んでいる友達の1人から電話がきた。電話の内容はよく覚えていないが、来てほしくないんだけど、どう伝えたら良いか、みたいな話だったと思う。正直、それは私たちも同意だった。というか、彼は自分で不参加にさせてもらうと言っておきながら、どうして話をひっくり返すのか不思議だった。
彼からの『どう思う』ラインに誰も返事をしないまま、1時間ほど話をした。
結果、自分たちから「来るな!」とは言えないからコテージ側がダメだと言っている、と伝えてみることなった。第三者を悪者にしよう作戦。
彼に『コテージに1人キャンセルの連絡した時、コロナ感染の可能性があることを伝えてしまった。その可能性がある人が来る、というのはコテージ側も困ると言っていた』とラインした。念の為言っておくが、事実である。
すると彼は、
『了解👌よくわかった』
と返事を残してグループを退会した。
全員の個人ライン、Twitter、インスタすべてブロックされた。
同じ学科、同じ音楽サークルに所属し、同じバンドをいくつも掛け持ちした。サシでラーメンを食べに行ったり遊んだりしたこともあった。
そんな彼と絶縁した。私たちは絶縁した。
今考えると、『そうだな!一緒に行こう!』とまずは言って欲しかったのかもしれない。いや、彼に電話して直接話すべきだったのかもしれない。
あらゆるSNSをブロックされた私たちは、連絡を取ることができないまま、彼以外の5人でコテージ飲み会を決行した。幸いにもクラスターの発生やコロナ陽性者は出なかった。
私は怖かった。
もし彼がコテージに来て、実は陽性でした、となった時にどれだけ周り(家族や職場)に迷惑をかけることか。若者6人が飲み会をしてクラスターになりました、とニュースになり、近所にあっという間に広まり、村八分にされるのが。
なぜ、彼から連絡があった時に『じゃあ今回はみんなでパスしよう』とならなかったのか。
彼がグループから脱退して半年ほど経った冬、彼の携帯電話の番号が電話帳に残っていたことを発見した。普段はラインかライン電話で連絡をとっていたので携帯電話の番号が入っていると思わなかった。
絶対に着信拒否されていると思ったが、予想に反して彼は電話に出てくれた。
もしもし久しぶりと言い、努めて今まで通りの感じでご飯食べに行こうと伝えた。
彼は、久しぶりと言ってくれた後に、もうお前らとは会わない、と続け電話を切った。
当たり前だが、以降、彼と会ってもないし連絡もとっていない。風の噂で大学の時から付き合っていた先輩と結婚したと聞いた。
彼の結婚式に出席はできないが(式を挙げたのかも知らないが)、結婚おめでとうとここで伝えておく。
金曜日、オフラインのイベント参加して勉強なるわぁって気持ちよくなってた裏で、自分が先月まで担当してた機能のバグ問い合わせ。
リリース担当者がめっちゃ頼りになる人だったから、担当と関係ない機能なのにサクッと突き止めてなんとかなってたけど(後でSlack見て経緯を知った)、こういうの自他共にしんどいね。月曜日には謝罪行脚やな。。。
PRレビューしたの自分だからって上長は言うけど、そうじゃねーよおおおおおおお。
昔、前にいた会社で、コミュニティイベントで著名な人がKubernetesとアプリモダナイゼーションの普及のために自分の会社にも支援で来たけど、ニーズと違ってたらしく、「意味ねー」「そうじゃねーんだわ」ってボロカスに陰口言われてたのが記憶にあって。
自分もプロジェクト兼任のCCoEメンバーとして、新技術導入だったり、開発基盤の保守だったりって活動に従事してるのだけど、日常的に「そういう布教活動は足元安定して初めてしていい仕事」だとひしひし感じてる。端的に言えば、あの人は仕事ができると見なされないと誰も聞いてくれない。
そういうこと込みで今回のはまずかった。
今までもワイもそういう部類じゃね?とか一瞬でも過ぎることが1ヶ月ぐらいに1回はあって、頭ハゲそうになってるのに。
アラフォーになっても、とりとめもない会話ができる友人がいる。
それってけっこう幸せなんじゃないだろうか。
俺も友人も未婚で恋人もおらず、独身。どっちも男、同郷。上京して東京にしがみついて、仕事を得ている。
だから金曜日の夜なんかは、安い居酒屋で飲んだ帰りにぶらぶら歩いて、お互い興味の一致することについてああだこうだ言う。
そんな生活が何年も続いている。
アラフォーの地方出身のオタクというのは、「高校まで、ネットが機能してないギリギリの世代」だ。
わずか数年でだいぶ変わるが、今年40なら高校に携帯電話はなく、37ならあるぐらい。
携帯があろうかなかろうが、高校の卒業式は今生の別れを確信して泣き、大学に入ったらmixiが出てきてmixiであっさり再会みたいな世代だ。
小学や中学時代は、話題のゲームが出ればクラス中それでしばらく持ちきり、という世代。
FFなら7か8までは必修科目であり、ドラクエも7まではなんだかんだみんなやった。
そんな俺たちの鉄板の話題に、「メラガイアー」「イオグランデ」の是非論争がある。
なんだそれはというニュービーに説明すると、それらはドラクエの呪文だ。
・単体炎魔法
・全体爆発魔法
というのが元々あった。8まではこの3段階でお馴染みだった。
近年リメイクアニメ版をやりきったドラクエ漫画『ダイの大冒険』でも、メラゾーマやイオナズンは最上級魔法としてお馴染みだ。
ダイ大は「~はイオナズン級の破壊力」という威力解説がけっこう多い。
大魔王バーンの「それはメラゾーマではない。メラだ」も非常に有名なやりとりだろう。
まあつまり、ドラクエ界の常識だった。それはイコールで我々世代男子の常識だった。
ところが、ドラクエ9で「4段階目」が追加される。
火炎:メラ → メラミ → メラゾーマ → 『メラガイアー』new!!
爆発:イオ → イオラ → イオナズン → 『イオグランデ』new!!
氷:ヒャド → ヒャダルコ →(ヒャダイン)→ マヒャド → 『マヒャデドス』new!!
風;バギ → バギマ → バギクロス → 『バギムーチョ』new!!
閃光:ギラ → ベギラマ → ベギラゴン → 『ギラグレイド』new!!
え……あ……?
マヒャデドス……?
どういうことかと言うと、ドラクエの呪文は「擬音」ベースなのだ。
全シリーズ大好きだが、魔法の名付けについてはドラクエは一歩上を言っていたと思わずにはいられない。
英語はわかりやすすぎるし、女神転生は何か深い意味があるのかもしれないが直感的ではない。
浸透戦略という意味では、ドラクエの呪文の覚えやすさとワンダーの両立は、恐ろしい次元に達している。
あの鳥山明氏がモンスターデザインするファンシーな世界を、この文字列が強烈にバックアップしたことは間違いないだろう。
魔法グラフィックはドラクエ5で初めて付くわけだが、つまり4まではただの文字列で視覚効果は無い。
それでも様々なドラクエ攻略本やドラクエ漫画や、公式4コマ漫画劇場でそれらは描かれ、5でゲーム画面に逆輸入されたそれは納得感の塊であった。
メラゾーマは大魔王ゾーマの力を借りているからメラゾーマなんだとかどうとか、真偽不明の憶測も飛び交うわけである。
後発だが『スレイヤーズ』の呪文「魔竜烈火咆(ガーヴ・フレア)」は公式的に魔竜王ガーヴの力を借りているため、そんなこんなでメラゾーマはきっと……?
いや、「イオナズン、マヒャド、ベギラゴン」みたいに感覚的な言葉だよ、ゾーマはきっと関係ないよ、バギクロスお前はややこしくなるからちょっとあっち行ってろ…
が
メラガイアー……
ガイア見参
無論、ガイアがギリシア神話の大地の神、最強クラスの神であることなど百も承知である。
我々、ネットがなかった頃からオタクしてきた者たちを侮ってはいけない。
ゲームにハマった人間は、「不思議な世界」への飽くなき探究心を満たすために、サブカル本、タロットカードの解説本ぐらいは皆買って読み込んでいたのだ。
第一、ドラクエ5や6と同年代のゲームには「ガイアのへそ」に行かされる『聖剣伝説Ⅱ』があり、ガイアのしもべとなって世界の遺跡巡りをする『ガイア幻想紀』もあった。
よく知っている。よく知っているからこそ
「なぜいきなり、ギリシア神話……?」
なのだ。
え なに じゃあ イオウラヌス? イオアポロン? やめろよ、マジでやめてくれよ…
イ オ グ ラ ン デ
ス タ ー バ ッ ク ス 見 参
無論、グランデがどこかの国の言葉で「すっげえ」ぐらいの意味だとはわかる。
しかしドラクエ9が出た頃には、もう我々のイメージで「グランデ=つっよい」を代表するのはスターバックスの特大容器だった。ご立派。ありゃ強い。
イオ イオトール イオグランデ なら1000歩譲ってわからないでもない。
どう? 昨日まで「ラテ、グランデで」…とお洒落に言ってたのに、今日から「ラテナズン1つ」とか言うの。
素晴しきドラクエの擬音呪文ワンダーに、「別世界の、意味のある文字列」が追加されたのだ。
バギクロス(外見イメージはナイトウイスプ)が登場の機会をうかがっているがまだ無視する。へらへら笑ってんじゃねー
もちろん、ドラクエにも他社ゲーに比べれば少数とはいえ、他の神話からの出典となりそうな武器・防具はあった。
ドラクエ3なんかは「ガイアのつるぎ」という、火山に投込まないといけない重要アイテムがある。
(ただドラクエ3は、勇者ロトが我々の世界を作った的なメタ遊びの作品なので、後のギリシア神話すらロト発祥なんだよぐらいの遊び心な気がする)
でもなあ……アイテムはまだ許せても、擬音魔法ワールド、しかもそれの伝統を超える新最上級に「ガイアー」は……「グランデ」は……
なんか……持ち味だったすげー完成度の世界がちょっと……萎縮したような……
こらっ!!
バギクロス「俺は昔から『クロス』ついてますけど~? ウケケケケ」キャッキャ
そんな浅い粗探しで俺たちが倒せるとでも思ってんのか。
おまえはクロスって名前についてるけど、初出5やらそれ以降のグラでちっともクロスしてない
だからお前の「クロス」っていうのは英語の「交差」ではなくて、ただの擬音なんだよ!
ムーチョはスペイン語で「たくさん、とても」らしいがそんなの知らん!
ムーチョってのは「日本語で」ひょうきんなオジサンの雰囲気言葉だ!
楽屋裏に引っ込んでろ!!!!!マジでややこしくなるから!!!
センスないと思うよ!(直球)
初出の6が出たとき小学生のガキだったけど、最強格の呪文にその意図でその文字列つけちゃうのダサイと思ってたもん!
ギガスラッシュはまだいい! でもジゴスパークはちょっと恥ずかしかった!
アルテマソードもまあ、うん、でも「ジゴ」で地獄よりはいいと思うよ!
「ジゴスパークって技があるんだよ」ってクラスで最初に言い出した子、誰も信じてなかったもん! その名前的に!
そんなわけで我々二人の間では「メラガイアー」と「イオグランデ」は、
あのエーミールが出てくる、ちょうちょ握りつぶす話みたいになってしまっていた。
“そのとき初めてぼくは、一度起きたことは、二度と償いのできないものだということを悟った”……
でもあの話で「元ぼく」が窓辺に腰掛けて語ることで乗り越えようとした?ように、
俺たちは、だからこそ、何年もかけて、何度も話し合った。
「どういう名前だったら、よかったのだろう?」
と。
メラ メラミ メラゾーマ…… メラザーク? 「ゾーマ」が綺麗すぎるんだよなぁ……
イオ イオラ イオナズン…… イオジャドン? 「ナズン」が綺麗すぎるんだよなぁ……
そして、いつも答えが出せないまま終わっていた。
「他の言語にはない、なんか強そうな、納得感のある擬音」を「作らなければならない」のだ。
年に一度か二度ぐらいで話題にしておきながら、我々は何も進められずにいた。
結局、いい答えなんてないのかも……
俺たちは、何も決められないのかも……
そういう、気だるいが心地よい諦めが、受け入れざるを得ない現実として、アラフォーとなった俺たちを包むようになっていた。
しかし、それでも年中行事のようにダラダラと追い続けた成果か――
それは夜道に、ボーッと白く輝いていた。サントリーの自販機の形をして。
「おー、また商品切り替えの時期かー」
「ない。知らん。南米? グアテマラってなんか強そうなマラだな」
悲しいかな、金曜夜飲酒アラフォー独身男性の会話なんてこんなもん――
こんなもん――――?
「 「 えっ 」 」
俺たちは一瞬で通じ合った。
グアテって……
なんか(日本人にとっては)意味を感じない文字列で……擬音っぽくて……
でも強そうで……
納得感ない?
「マラ……」
「デ、デカマラ…?」
「うん! グアテマラ!」
「はああああ…………(溜め)」
ズドオオオンッ!!
「でもドマラにするなら、グアテマラよりもドグラマクラの方がよくないか?」
西欧に伝わったのが
マラ → ドマラ →ドグラマクラ
ポケモンに売り込んで
と
は片パ限定にしてもらうとか」
「それなら、南米モデルの伝ポケでグアテマラとエッチオピアなのでは?」
「グアテマラかエッチオピアか、大人のお姉さんに選べって言われたら?」
「やばい、グアテマラの隣ってメチャシコ(メキシコ)だ――!」
「グアテ」。
それだけで俺たちは何年もの停滞を超えて、燻らせていた前のめりなエネルギーを爆発させられる。
全然メラともイオともひっつかないんだけど、何かここに突破口がありそうな気がする。
可能性が見えた。
あとは、突き進むだけ――
何年かかっても、俺たちの代で答えが見つからなくても――
頑張ろう、ニッポン
自分、配偶者(ともに30代、ホワイトカラーだがテレワーク環境無し)、子ども(1)(小学校高学年) 、子ども(2)(小学校低学年)。
実家、義実家ともに車で1時間くらいの距離。自分の弟(独身)が近くに住んでいる。
前週末は金曜日も休み(沖縄県の休日)で3連休だったので、ショッピングモールに2時間ほど出かけたほか、義実家に半日ほど子どもを連れて行った。
思えば、子ども(1)はちょっと咳が多いように感じたし、自分もちょっとだけ喉に違和感があった気はする。
ただし、自分の喉の違和感は、これまでにも感じて一日でなくなったりしていたので、今回もそれと同じと考えていた。
前の週に誘われたが参加しなかった飲み会で、8人中5人陽性になったと聞いて胸をなで下ろしたりしていた。
と思いつつ急きょ午後から年休取って帰る。近くの席の人には「配偶者が陽性になりました」と最低限伝える。
配偶者は個室にこもって寝てるので飲み物と食事と体温計を差し入れる。主な症状は頭痛・喉の痛み。熱はないとのこと。
家に買い置いてあった抗原検査キット(コロナ・インフル対応)で残りの家族に検査すると、自分と子ども(2)は陰性、子ども(1)がコロナ陽性。もう一つの部屋に隔離。
窓を開け、まくらを互い違いにして子ども(2)と寝る。心なしか、子ども(2)もいつもより咳を出す気がする。
朝になると自分も軽く熱がある。咳も出てきた。職場に断って休みを取る。
配偶者から陽性の連絡を受けたときに「家族も受診するからその病院の予約取れない?」と聞いてみたが、その日の予定は埋まっていて、翌日の予約は当日しか受けないとのことだったので、朝から電話するが全くつながらず。
近くにあって、救急病院でもないのにずっと発熱外来をしてくれる病院だから、まあ仕方ない。
昔子どもがかかったことがあるクリニックに聞いてみると「11:00になら空いていますよ、大人も大丈夫です」とのことで、配偶者以外3名で予約。車で向かう。車内に陽性者と非陽性者が混在している可能性があるので、窓を半分ほど開けて走る。
指定された時間に駐車場に入り、体温を測ってからスマホから問診を送信。その旨を電話してしばらく待つ。
看護師さんがやってきて、自分と子ども(2)の鼻腔をグリグリして粘膜を採取していく。「子ども(1)は?」と聞くと、「医療用キットで陽性が出たんなら、ほぼ偽陰性の可能性はありませんから、陽性とみなして結構です」とのこと。
車内で子ども(2)にU-NEXTを見せながら待っていると、さっきの方がきて、抗原検査の結果を見せてくれる。結果:自分→陽性、子ども(2)→陰性。
さらに待っていると、お医者さんがやってきてくれる。「親御さんは抗原陽性、お子さんは陰性です。さらにPCRができる機関で検査する方法もありますが、咳が出るところを見ると、陽性と同じように扱って過ごしてもよいかと思います」
聴診もしてくれて、現在のところ肺炎は無し。アセトアミノフェン(解熱剤)とメジコン(咳止め)を、あと持病がある自分のためにラゲブリオ(コロナウイルス用抗ウイルス薬)を処方してくれることになった。
薬が出てくるまでの間に、職場にSlackで連絡。現状、急ぎ対応が必要なタスクについて、代理をお願いする。幸いにも、上司からも同僚からも快諾の返事と労ってくれるメッセージが来た。
病院の受付から「お釣りピッタリ用意しますから、いくら出しますか?」との連絡。一万円札でお願いしたら、病院から隣の薬局に連絡、薬とセットでお釣りを持ってきてくれた。車の窓越しに受け取り、相手が用意したビニール袋に一万円札を入れる。
沖縄県では子どもは医療費無料なので、自分の分だけ。よく見たらラゲブリオ(5日分)の値段が94,300円と書いてあってビビる。どうやら5類で医療費はだいたい有料になったが、コロナ専用の薬だけは国が全額払ってくれているらしい。
家に帰ったら38℃を超えているのでそのまま寝る。もはや我が家の全員が陽性(扱い)なので、隔離もマスクも必要なくなった。
配偶者から、義実家に陽性者が出た旨電話。よくよく注意するように伝える。今のところ変わった症状はないとのことで、ひとまず安心する。
夕方、弟から「何か買っていくものがある?」とLINE。ありがたくポカリスエットなどお願いする。家のドアの前に置いてもらい、あとで回収する。
相変わらず熱。最大で38度5分なのでたいしたことないのかもしれないが。
配偶者は喉の痛みと頭痛だけとのことで、色々家事をやってくれている。子ども(1)はSwitch、子ども(2)はU-NEXTで大半の時間を過ごす。
仕方ないので増田を書いてみた。
現在の法律上は、陽性だって外を出歩いても違法ではないが、もろもろのガイドラインに従うと、症状発現が月曜日なのでこれを0日目として、5日目となる土曜日が終わるまでは最低限家にいるべき。
かつ、症状がなくなって24時間が経過している必要があるので、金曜日のうちに平熱になり、咳が治まっていたら日曜日から外を歩いてもよいことになる。その場合もマスク着用、ハイリスク者との接触を避けるなどの配慮は必要になる。
食事は米が十分にあるのでそれを中心に、弟に2日に1回くらい買い物してもらえることになって大変ありがたい。終わったら何でお礼をしようか。
PCR無料が終わったので無症状者向け民間PCR検査場は激減していて、那覇近辺にしかない。費用も4000円から11000円と高額。
医療用抗原検査キットが帰る薬局一覧は、薬剤師会が作ってくれて、頻繁に更新されている。
ここに載っていても「今はやっていない」などのところもあるので、電話してコロナ疑いがあることを告げて受診の可否を確認すべし。
ただ、2年前、子ども(2)が41度の熱を出したときに受けに行ったXクリニックは、検査をしただけで「結果はあとでお知らせします」といっただけで診察無しで帰し、その日の夜中、今だ40度の熱を出す子どもを抱っこしている自分に電話をかけてきて「検査の結果は陰性でしたよ、よかったですね」と言うだけだったので許していない。
こういうところに当たらないようによく注意して。