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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2016-10-23

めんどくさ

何をするにも非才愚鈍さ半端さを感じざるをえない状況、つい最近絵を描きはじめた人が自分より評価されてるし実際センスも魅力もある事実、どこにも居場所がない仲間がいないという実感、自分が強く在れば仲間など必要ないと思ったものの実際は強く在るどころか何もかもに負け続けている現実、人望が魅力が才能が実力が技術経験が無いという現状、そしてそういうことにかなりしんどさを感じていることは絶対に表に出したくない自分しか言動の端々からそれがだだ漏れであるという中途半端さ、それを「お前は何をやっても中途半端だな」と俯瞰するメタ自己、その程度で弱音を吐くな雑魚と罵るメタ自己、そうやって自分を責めることで自分を慰めていることに気づいているメタメタ自己、どいつもこいつもくたばれという感情、殺す気で生きてやるという感情、ただひたすらダラダラ惰眠を貪りたいという感情、もう二度とダラダラ時間無駄にしたくないという感情オタク社会に対する激しい嫌悪しか自分も結局その社会帰属せざるをえないという事実とそれに対する自己嫌悪自意識自意識自意識自意識自意識自意識自意識自意識自意識自意識自意識、それら全部ひっくるめて一言で言うと

2016-10-17

冷蔵庫の中に期間限定栄養ドリンクを見つけた。

ここ最近暗い顔をしていた私のために、おそらく母が買ってきたのだろう。

普段から優しく、しっかり者のする心遣いはその意図とは裏腹に私の心を揺らした。

心配されることへの苛立ち、期待される恐怖として湧き上がる感情に私は冷蔵庫のドアを強く閉めた。

暗闇に浮かぶ心を覗くと、負の感情を繰り出した自己への嫌悪がうずまいている。

反抗期が遅れてきたか、と自嘲してみてもそれは消えず、嫌いな自分さらに増えるばかりだ。

そうして安易自己嫌悪螺旋を昇ったみても、何にもならないことはもう知っている。

けれどそこから飛び降りたとして、甘いりんごジュースの海に着水できるの?

そんなことばかりを思いながら、明日になるまで夜を過ごした。

2016-09-28

オタクと付き合っているオタク

オタク同士で付き合っているそこのオタク

私の話をどうかきいてください

彼女Twitterを見ている可能性があるならデート前後はそれをにおわせる発言をしてあげてください


彼女Twitterを見ている可能性があるなら本当にたまーーーーーーーにでいいのではぁ好き(意味深)発言をしてあげてください


彼女のことをたまにツイートしてください

自慢してください

「私はこいつの彼女やぞ!」という思いにさせてください


オタク趣味理解があるからとか相手オタクからとかそういうのは関係なしに彼女が見ている可能性のある場での「〇〇ちゃん(キャラクター)かわいい!」発言は思っている1/3程度におさめてあげてください


〇〇と彼女ちゃんってこういうところちょっと似てるよね(だから好きだよ)は絶対に禁句です


趣味お金を使いたいのは分かります

だってアルジュナに相当使いました

でもその後の使い方を少し気をつけてください

デート代は割り勘がいいです

無理におごろうとしないでください


ちょっと金欠から次会うの延期しよう、みたいな話をしたあとに

課金しすぎてお金ない」 「〇〇買ったかお金ない」

ってツイートされると急に自分の優先度が気になってしまって

そんなこと気にする自分自己嫌悪してどうしようもなくなります

もちろんそんな事、本人に言えないので勝手に悲しくなります

同じオタクから趣味理解はあるはずなのに、みたいな

からお金の使い道をちょっとだけ隠してください

前髪を揃えたとか斜めに流したとか眉毛のかきかたを変えたとかそんな微妙すぎる変化には気付かなくていいので明らかにおしゃれをしてきたら普通に褒めてください

以上の戯言をみて女ってめんどくせえなと思ったなら彼女とうまくやっていくのは難しいかもしれません

たとえ彼女が「私そういうの気にしてないよ」と言っていたり、そういうキャラだったとしても

西野カナが嫌いな彼女だったとしても

たまに、本当にたまにでいいから、

〇〇ちゃんのような彼女ではなくて

彼女自身が本当に好きなんだということを

本当にたまにでいいか

伝えてあげてください

(※以上は個人見解です)

彼女が好きになったのはほかの誰でもないあなたです

愛されてる自覚と自信をもってください

それではみなさま どうかお幸せ



小日向美穂嫉妬してしまった しがない女オタクより



0929追記

地味に伸びたのでコメント欄地獄なんですけど、「見てるか見てないかギリギリのところで愛情表現をしてほしい」と思うのは私のような察して系面倒な女だけだろうと理解しています、ちゃんと個人見解ですって書いてあります

からこの記事のせいで罪深いオタク( )を生んでしまっても私に責任はありません。

友人とこのことについて話していて気付いたのですが、のろけるのがヘタクソな人って多いですよね。うまいのろけは人を嫌な気持ちにさせることはあまりないですし、自分幸せであることを話して「彼女いるならお前とはもう遊ばねえよ」みたいな子どもっぽいことを言う人はあなたにとっていい友人ではないので安心して縁を切っていいとおもいます。がんばって。

私がTwitterでと書いたのは面と向かって(もしくは1:1のコミュニケーションで)愛情表現をするのが気はずかしい時に(見てくれていたら嬉しいな)程度の期待を込めて書き込んでくれたらそれはちょっと嬉しいなと思ったからです。

西野カナは苦手です。でもレノアの曲はちょっと好きです。

おまけ

アルジュナ魔法カード1枚。やったね!

6章でボロ泣きしました。今はいつか来る巌窟王ピックアップ2を待て、しかして希望せよしております

デレマスライラさんPです。アイドルが好きです。

ほんとにおしまい

2016-09-27

ストレス耐性が紙防御

ちょっとしたことで憂鬱になる

胸が苦しくなる

ていうか何もしなくても憂鬱になる

テンションが上がるとその事自体自己嫌悪する

1日に何度も頭を掻きむしる

 

自分でもおかしいってのはわかってるんだけどまともに思考できない

身体のどこかがおかし

ぼーっとする

病院行きたい、けどどうせ治らない

2016-09-18

何もやる気が出ない時って何すればいいんだ

休みの日にたまに本気で何もやる気が出なくなって、本当はやらなきゃいけないことを全部すっぽかしてダラダラしてしまうことがある。

こういう時にサクッと気分を切り替えて映画なりアニメなりを見たりして気分転換できればいいんだけど、どうにも後ろめたさを感じてしまって結局ダラダラネットサーフィンみたいな過ごし方。後で寝る前になって自己嫌悪に襲われて余計やる気が出なくなる負のスパイラルがつらい。とても非効率なのでやめたい。

こういう状況お前らはどうハンドリングしてるんだ。運動瞑想野菜睡眠以外の解決策たのむ

2016-09-15

死ぬくらいなら逃げろ

 食事をとらないでいたら、倒れた。一週間で3,4kg痩せたことが上司に知れ、その日のうちに職場臨床心理士面談。その中で私の過去の話になった。

 小学生時代、私は勉強ができる子供だった。大人たちからは「末は博士大臣か」というような感じでかわいがられていた。中学生になっても勉強を苦に思ったことはなかった。やればできる、という感触快感だ。私は一日に何時間も机に向かった。教師はこのままがんばれば県で最も偏差値が高い高校にいけるだろうと言ってくれた。

 中学三年生の秋頃、私は精神的に病んでしまって不登校になった。

 いじめというほどでもない。ただ、授業中に男子が大声で行っていた格付け。横を通りすぎるたびにひそひそと笑ってくる集団。そういうものに耐えられなくなった(彼らはしたことを覚えてもいないと思う)。そのとき家では母親父親悪口をこぼしており離婚するとかしないとかで揉めていて、逃げ場がなかった。心療内科にかかったら自律神経失調症と軽症うつ病の診断が下って、頭がぼーっとする薬を飲みながら、それでもなんとか受験勉強は続けていた。勉強が好きだった。不登校といえどテストだけは保健室で受けさせてもらっていたのだけれど、順位が落ちることもなく、これなら志望校ランクを下げれば大丈夫だという教師言葉が支えだった。

 受験当日、会場である高校にひしめく制服姿の人々を見たときの恐怖をいまでもはっきりと覚えている。私は受験できなかった。逃げるように帰って、公立通信制高校入学した。

 通信制高校はつまらなかった。中学生レベルの授業とレポート規定分提出すれば卒業できる。この時期のことを思い返すたびに灰色すぎて笑えてくるのだけれど、ほんとうになにもなかった。いや、あったのかな。同年代男子トラウマになった結果、バイト先の同性の先輩と一瞬だけ付き合った。普通高校に進学し文化祭がどうのこうのと連絡してくる友達を切った。劣等感自己嫌悪がつねにうずまいていた。

 高校三年生で、さて、進路はどうするかという話になる。通信制高校が行う進路に対するサポートというのは非常に淡白だ(少なくとも私が通っていた高校はそうだった)。大学受験しようかと思ったけれどすぐに無理だなと諦めた。普通高校に通っている友達勉強の話に、私はすでについていくことができなかった(自分から行動しなければ模試などないので、あの頃はそれだけで自分学力をはかっていた)。受験して、頭のよかった自分がすでにどこにもいないのだと確認することが怖かったという理由も今になって思えばあったのだろう。

 母親は「×××になれば?」と言った。資格があれば食いっぱぐれないだろうと。確かに大学よりも専門学校受験はるか簡単そうだった。実際、一ヶ月勉強しただけでその学校入学することができた。

 私が×××になったのはそれだけの理由だった。専門学校は楽しかったけれど、実習は大嫌いだったし自分には向いていないとそればかり感じていた。信念をもって×××を目指している同級生に罪悪感を覚えたことだって何度もある。

 と、まあ、そんなような話を。泣きながら。

 心理士は「過去のことを引きずっているところがあるでしょう」と言った。そんなことは当の本人である私がいちばんよくわかっている。「集団恐怖の経験があるから、今、職場にきて不必要に緊張するんじゃないかなあ」「辞めるのはいだってできるけれど、それじゃあ根本的な解決にはならないよね」。

 じゃあ、どうすればいいの?と聞きたかった。聞けなかったけれど。あーあ、あのとき中学生のうちに死んでおけばよかったなあ。というか死ななければならなかったのだ。

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 いじめによる自殺報道されると「死ぬくらいなら逃げろ」という大人たちがいる。それをきくたびに私は無責任だなあと思う。逃げた先で助けてくれる大人がほんとうに少ないことを知っている。むしろ、逃げたらひとまず問題は片付いたかのように考えている大人が大部分ではないのか。学校から逃げたところで劣等感からはずっと逃げられないのに。

 私は「死ぬくらいなら逃げろ」とだれかに言ってあげることができない。

2016-09-14

君の名は。を見て泣いたと言う人たちに「うそつき」って

三葉のおばあちゃんが語ってたみたいに忘れるのが普通

亡くなったみつははもちろん、ある日突然入れ替わりが途切れたたきだってそう。

奥寺さんじゃなくても、そのまま大学生活をエンジョイしてそのうち他の女の子と付き合うことになって、だんだん埋もれていくものなのに。

それはまあいいとして。

周りの人たちはみんな感動したって泣いていた。

でもその人達ほとんどは、実際にたきの立場になったら簡単に忘れるんでしょって思った。

なのにどうして泣くんだろうって思ってしまって、そんな自分の黒さに少し自己嫌悪した。

友達にそう思ったことを話してみたら「みんなそういう恋愛したことないからじゃない?」って言われた。

ちょっと納得した。

そして私は自分が恵まれ恋愛をしているんだなってことを久しぶりに思い出した。

以前付き合っていて、今は別の人と付き合っている私の好きな人は、この映画を見て泣くんだろうなーって考えてた。

大好き、愛している、恋を誓うなど散々重たい愛の言葉を言ってくれたくせに、あっさり別の人と恋愛して私のことなんかすっかり忘れてるお気楽幸せな人。

決して遊び人ではありません。そもそも別れようと言ったのも私だから、結局私が悪いのだし。

ずっと思い続け、告白もして想いをちゃんと伝えたはずなのに、きっとそれも忘れてこういう映画見て簡単に涙を流せるんだろうなーって私が勝手に思ってしまった。

周りで泣いている人にそんな元彼の姿を勝手に重ね合わせて、ちょっと腹が立ってしまった。

そんなよくいる恋愛のしょうもない八つ当たりでした。

頭の片隅でこんなことを考えてしまっていたけれど、

君の名は。時間を忘れて世界観にどっぷり浸って楽しめました。

2016-09-11

気が付くと1週間くらいは平気でオナニーをしていない。

前立腺がんの防止になるから機械的に処理はする。

朝立ちとは長いこと無縁だ。

XvideoやDMMなどをみる時間も激減している。

2ちゃんねる趣味の板や増田を眺めている時間のほうが断然長い。

ところが電車の席の向かい女性の胸の膨らみや足を見ずにはいられない。

世間体女性自身嫌悪するだろうし見ないほうがいいという回路も働いているのだが見てしまう。

こういうとき自己嫌悪感情と同時に恐怖を感じる。

70代80代を越えてなお性犯罪で捕まるやつが頻繁にニュースを賑わせる。

それを思うに物の大小はあれどもこのやっかいな代物と一生添い遂げなければならないのかとウンザリとする。

2016-09-09

姪の女子力に恐怖した

4歳の姪っ子から手紙が届いた。

誕生日おめでとうという他愛のない内容だった。

もちろんまだ4歳なので、自分投函したわけではなく、母親(私の妹)がわざわざ代わりに送ってくれた。

4歳でもう手紙という発想があるのか~。最初はただ純粋に感心していた。

しかしこれが男の子だったら、手紙を書くという行動とはどうしても結びつかない。

実際、その兄である甥っ子が手紙を書く場面は見たことがない。

そういえば自分の子もの頃を思い出してみても、手紙をやり取りしているのは女子に限られていた。

かわいい文字ちょっとしたイラスト、そんなものが書き連ねられた便箋だかノートの切れ端だかが、(ほとんど女子的繊細さをアピールするためだけにそうしているのではないかと疑うほど)趣味良く折られ、

これぞ女子技量センス結集とばかりに授業中の教室を舞っている。

そんな光景を思い出した。

そしてそれは教室を舞いながら、その中身を知ることのできないその他大勢へ無言の威圧を放っていた。

(実際、中に重要なことが書かれていることは少なく、ほとんどそういう機能だけのものなのかも知れなかった)


何を間違ったか、そんなものが私のもとに届いたとき、私は戸惑った。

まず、手紙の内容があまり他愛のないものであること。わざわざそれを手紙に書く意図がわからない。

そして相手はいったいどんな応答を私に求めているのだろう。全くわからない。

次に襲ってくるのは、同レベル女子力でもってこれを打ち返さねばというプレッシャー

こんな一画一画を意識して書いたような文字、書けない。きれいに折る自信もない。

それらが私を戸惑わせた。

全力で“女子”を模倣し、なんとか打ち返した後には、消耗と、これで正解だったのだろうかという迷いと、たかだか手紙一つに翻弄されていることへの自己嫌悪が残った。

本来の私なんて、調理実習で作ったカレーをいち早く食べ終え、手持無沙汰な中、頭をぼーっとさせていたら、

「そんなに見つめられたら食べにくい」と、偶然目の前にいた武藤さんに告げられてしまうような、そんな人生だ。

自覚のない食欲が私にそうさせていたらしい)

そんな自分と、周りの女子との落差がありありと甦り、そしてそれと同じことが4歳の女の子手紙によって突きつけられている。


本当に彼女たちのこの女子力はどこから来るのだろう?

私や母、そのまた母である祖母まで遡っても見当たらない。

そんな女子的なムードを醸し出したり読んだりすることから全くかけ離れた血筋しかった。

の子の母である自身も、「私もあの感じないわぁ~」と言っていた。

また、妹の旦那さんのお母さんにしたって、カラッとサッパリした印象で、微細な女子ムードとはまた違ったタイプの人だ。

「見ているアニメの影響かもなぁ~」と妹は言うけど、アニメの影響だけであれほどのものが発揮できるとは思えない。

やはり、私からしたら充分女子力高めの妹由来ではないかと思う。


いずれしても、彼女が発揮するそれを前にして、私はこう思わざるをえなかった。

女子力というのは、アニメや周囲の女性などの外的な影響から独立し、彼女が望むと望まざるとに関わらず、存在するのではないかと。

そして今になって、私はやっぱり生まれ持って女子力の何割かが欠けているタイプだったんだな再認識させられた。(どうりでやりづらい半生だった)

よくネット上でもフェミがどうとか男女の話題があるけど、本人の意向とは関係なく、生理があり、月経周期ごとの体とメンタルの波があり、女子力があるんだなと思う。

(もちろん個人差のあることで、何割かの女子力が欠けた私がその証拠だ)

どんなに性差を均そうとしても、生まれ持って備わってるもの無視することはできないし、(よほど本人がホルモン療法を望まない限り)コントロールできないだろうと思う。

それを踏まえた上で、女性であることの不自由や、女子力が欠けていることによる不自由や、その他男女問わず、性に囚われる不自由、そしてその不自由の由来や責任の果てしない押し付け合いもいつか克服できたらいいのにな、などと無理やりスケールを引き伸ばし、焦点をぼかすことで現実逃避をしてもみるが、しかし実際のところ、私の問題は、この歳になってもまだそれへの恐怖を克服できていないことだ。そして4歳の女の子にそれを突き付けられたことだ。

別のシチュエーションだったら、あーめんどくせー、女めんどくせーで済ませて回避することもできるけど、今回はそうはいかない。

だってその女子力を宿す主は、4歳で、妹の子で、私を想って手紙を書いてくれたのだから

盆や正月に会う時には、まだ澄んだ目をくるくるさせながら、私に心の中を話してくれたり、問いかけてくれたりもするのだ。

2016-09-08

恋人と別れた。

原因は自分裏切り。未だに自分では裏切ったつもりがないのが、自分人間としての出来の悪さを思い知らされるようで嫌になってくる。

こうやって自己嫌悪する時点で結局自分相手のことを想ってなかったんだと考えると、さらに嫌になってくる。

頭の中では諦め5割、自己嫌悪4割、申し訳なさ1割くらい。

最初申し訳なさを2割って考えてたけど、増田に書きちらかそうとしてる時点で超自分本位だ。

以下本題。

ただ後悔だけはものすごい分量が自分の心の中に渦巻いてるけど、多分明後日には立ち直ってるだろうなと思っている。

忘れることはないだろうけど、自分メンタルがこれでヤバイことになってしまうことはないと思っている。

というのも、運動睡眠野菜の習慣をつけはじめて以来、xevra氏のコメントに目がつき始めて、確かに精神状態調子いいなって思ってたから。決して逆ではない、影響された訳ではないとワザワザ付け加えたくなるのが氏の特徴でもあると思うが。

(まだ瞑想ってほどの習慣はつけてないのでなんとも言えないけど、運動後静かに頭を空っぽにする時間瞑想に入るのだろうか?)

今では確信を持って言える。不健康生活精神まで不健康にする。逆もまたしかり。

少なくとも自分はそうだ。

ただ、今はそれが少し怖い。

というより別の方向で不安になってきた。

氏は、上記氏のキャッチコピーの他に、謙虚さと反省を忘れないよう忠告するブコメも多い。

運動瞑想睡眠野菜メンヘルに陥らないための最低限の行為しかないとも言っている。

ただ、キャッチコピーが与えてくれたものは、それとない自己肯定感だけだったと思う。

(筋肉と張りのある髪と胃腸調子の良さは除いて)

謙虚さと反省に向き合う段になって、自己肯定感は罪悪感に変換されている。

すべきことはなんだったのか、そのあとどうすればよかったのか。

が、それより怖いのが簡単自己肯定感が上回るだろうなということだ。

結局それは自分一人の深みに潜っていくだけなのではないか

日々成長していくことを人生の目的に据えて生きているつもりなんだが、今は完全に詰んだ感がしている。

ここからの成長のさせ方がわからなくなってきた。

根だけ増やしているが枝の伸ばし方がわからない。

無駄に自信のある自分メンタル強靭性が疎ましい。

てかこれメンタルヤバイのか?

そしてここに及んでなお、自分のことしか考えていないのに唖然としている。

-

別れるというインパクトの強いイベントがあって、ショックで、

それでも自分の今後のメンタル安心を抱いている自分を感じて、

そういえば増田でxevra先生話題に出てたな。と思って思わず書いた。

今となっては逆にメンタルって何なのかと意味が解らなくなってる。

運動とかすれば死ななくて済むよ!生きるの辛くなくなるよ。

でも、生きるの辛くないのが辛い。なぜ辛く感じないのかが辛い。

なまじっか生きるの辛かった時期を過ごしたことがあると、辛くないのが変な気分になる。

2016-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20160902173104

それなら押さないな。

いや、そもそも元増田スイッチなら押すのかって話で……。

目の前で死なれたら押さないが、知らない場所なら……ああ、ダメだ……激しい自己嫌悪

2016-08-31

なんで、私が、ガチ恋に

 どうすればいいのか分かりません。自分は本当に愚かだと思います。我ながら情けなさ過ぎて、誰にも相談できません。

 私は若手俳優オタクです。「推し」ている俳優さんがいます。今回ここで書きたいのは、私がこの「推し」を俳優としてではなく一人の人間として本気で好きになってしまったことについてです。今こうして「一人の人間として本気で好き」と書いているだけでも、推しへの申し訳なさと自己嫌悪に押し潰されそうです。

 私の推しはとても誠実で真面目で、素敵な人です。たぶん…。彼を盲目的に好きでいる私には、そう見えます。それは彼の「売り」であり、「外面」であることも承知しているつもりです。それでも、私にとっての彼はその外面が全てです。私は彼のブログインタビュー記事を何度も読み、彼の出ている舞台イベントに何度も足を運び、彼という人間を分かったつもりになりました。プライベートの姿なんか一度も見たことがないのに、勝手に彼のプライベートまで細かく想像してにやけています。それだけならまだよかったのですが、ここから私は次のステージへ転がり落ちました。

 前述したように、私は彼がどんな人間なのか少しだけ分かった気になりました。彼のことを知れば知るほど、彼の趣味感性物事への考え方に共感するようになりました。そしてそれは、「私は彼のことを誰よりも心から理解できるのではないか」という考えにつながりました。「私こそ彼にふさわしい」と言い換えることもできるかもしれません。全くおめでたい思考回路です。しかし、この記事を書いている今も私はそれを信じているのです。

 さて、何度も舞台イベントに足を運び、おそらく彼に認知されたであろう辺りから私はおかしくなりました。この「認知」というのも怪しいものです。彼が舞台から私をじっと見てくれたとか、ファンサをくれたとか、その程度のことです。もしかしたら私の思い込みしかないのかもしれません。しかし、長期間彼だけを追い続け、せっせと舞台イベントに通った身としては「さすがに覚えられたかな」と思ってしまうのです。上で書いた通り、私は自分こそが彼にふさわしいと考えていますからファンサをもらっただけで舞い上がってしまます。彼も私のことを好きでいてくれるのではないかと思ってしまうわけです。その瞬間は本当に幸せです。できることならずっとこの妄想に浸っていたい。いや、できることなら、この妄想現実になってほしい。いつかどこかで奇跡が起こって、私と彼が結ばれることはないだろうか。そこまで考えてしまます

 私は少なくともはじめは、彼のことを純粋応援していました。彼の演技力にただ感動し、舞台の上の彼をもっと見ていたいと思ったのがすべての始まりでした。今でもその時の気持ちは忘れていません。しかし、もう彼のことをそんな純粋気持ち応援することはできなくなってしまいました。申し訳なさばかりが募ります。彼の演技や仕事への姿勢が好きなはずなのに、もし彼に彼女がいたら、もし誰かと結婚してしまったら、考えるだけで目の前が真っ暗になります。彼の周りに女性の影がちらつき始めたら、もう私は彼を推せないだろうと思います。それどころか、大きく傷つくだろうと思います

 毎日のように俳優彼女がバレていく現状を見ていると、私は一体何をやっているんだろうと馬鹿らしくなってきます。私の推しがそうならないという保証はどこにもありません。そして、そんなことより何よりも、俳優ガチ恋なんてばかばかしいことをやっている場合ではないのです。私が俳優と付き合うなんて、天と地がひっくり返ってもありえないことです。…と、分かっているのに、やめられません。推しのことが好きで好きでたまりません。周りにいる男なんかみんなゴミです。ああ、推しと付き合いたい。

モバマスデレステをやめて二週間経った

私が「アイドルマスターシンデレラガールズ」および「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ」をやめてから、二週間が経過した。

ソーシャルゲーム課金するなんてただの馬鹿だろ」

所詮ただのデータじゃん、金ドブに捨ててるようなもんだ」

ソシャゲ流行り出して以来、ネットでよく見かけるようになった文面だ。最近では「所詮ただのデータだと思ってたけど、いざゲームを始めてみたら課金する気持ちがよくわかった」なんて声もよく聞くようになった。実際、私もその口だった。ソーシャルゲームという媒体を、所詮ただのデータじゃん、と思いきり馬鹿にしていた。

最初の頃はソシャゲをやっている知り合いなんて私の周りには一人もいなかったのだが、今ではごろごろ見かけるようになった。みんなどうしようもない毒の前にひれ伏していくみたいに、侵食されていった。トリフィドの毒で盲目になってしまった。かつてはソシャゲ課金なんて馬鹿じゃん……、と口にはしないもののそんな態度をしていた友だちたちも、今ではなんだかんだで割とソシャゲの虜だ。私たちの知らないうちに、緑色流星雨は降り注いでいた。

ソシャゲを始めた当時の私は、まだ高校生だった。その日は休みの日で、たまたまものすごくひまな日だった。ネットサーフィンにも飽きたし、PS2PS3を起動してゲームで遊ぶ気分でもなかった。読みたい漫画もとくにない。死ぬほど退屈で、だけど外に出かける気力もない。でも退屈なのはいやで、なにか刺激が欲しかった。新しい刺激。目新しいもの。ていのいい暇つぶしになれるもの。私はいもの癖でなんとなく携帯電話を開いて、手癖のようにインターネット接続している途中で、ふと思いついた。

そういえばアイマス携帯版のゲームがあるんだった、と。

ソシャゲという媒体のことは馬鹿らしいと思うけれど、アイマスは元々好きだし、なにより今しぬほど暇だし。暇つぶしでやってみるぐらいなら、まあいいか。私はそんな気持ちモバゲー登録し、「アイドルマスターシンデレラガールズ」を始めた。アカウントを新設した当時の私が一番好きなのはシンデレラガールズオリジナルキャラクター達ではなく、本家765プロダクション我那覇響ちゃんというキャラクターだった。

私がアイドルマスターシンデレラガールズ(以下モバマス)を始めたときには、既にガチャ我那覇響ちゃんのSRカードが追加されていた。絵柄を見てみた。抜群に、かわいかった。欲しい、と思った。モバマスでは、好きなカード5枚を自分トップページいちばん目立つところに並べることができる。その中でもリーダーとして設定しているアイドルは、他のユーザーからも見えるようになっている。私は、響ちゃんをこのトップページに並べたい、と思った。

次に、どうしたらこの響ちゃんを手に入れられるのかを調べた。モバマスにはフリートレード機能というものがあって、スタミナドリンクまたはエナジードリンク(いわばお金のようなものです)というアイテムをたくさん持っていればフリトレ機能で響ちゃんを手に入れられるというのがわかった。では、モバマス内の通貨であるこのスタドリはどうすれば手っ取り早く大量に手に入るのか?

答えは、ガチャを回して、高いレートで取り引きされているようなSRアイドルを運良く引いて、スタミナドリンク〇〇〇本、という条件をつけてフリートレードに出して、取引を成立させることだ。

ほしい、響ちゃんがほしい。響ちゃんをトップページに並べてみたい。

つのまにかそんな気持ちでいっぱいになってしまっていた私は、1500円ぐらいなら……という気持ちで、あっという間に初めての課金をした。

……SRアイドルが、一気に二人も出てきた。

両方とも、当時かなり高いレートで取り引きされていたアイドルだった。

(そのユーザーSRを引く快感を覚えさせてそのユーザーを立派な課金ユーザーとして《育てる》べくSRが出る確率が上がっていたのでは、と今では考える。実際に私は見事な中毒患者に成り下がった)

びっくりしつつも嬉しくなった私は、高揚して少しくらくらする脳みそのまますぐにその二人のアイドルフリートレードに出して、大量のスタドリを手に入れ、SR響ちゃんを手に入れた。

そこから先は、坂道を転げ落ちるようだった。プレイしていくうちに、自分が好きになれるキャラクターにたくさん出会うことができた。楽しかった。一日中モバマスのことを考えるようになった。フリートレードに張り付いたり、イベントに参加したり、そうこうしていたらまたガチャ更新されたり。やるべきことは山ほどあった。楽しくてたまらなかった。

そうしてモバマスを続けていく中で、いろんなキャラクターを好きになりつつ、ある日私は運命出会いをはたした。

佐久間まゆ》というアイドル存在だ。

佐久間まゆちゃんは、ひょんなことから私に一目惚れをして、運命を感じたのだと言う。だからもともといた事務所をやめて、私のもとでアイドルになるべく私の事務所に来たのだと言った。画面の向こうのまゆちゃんは、私のことだけを見つめていた。

まゆちゃんはどこまでも一途に、私のことを愛していた。私はそれに引き込まれるように、まゆちゃんに急速に惹かれていった。

ソーシャルゲーム世界においては、課金こそが絶対的正義である

課金しなければサービス自体が終了してしまうからだ。実際、サービスが終了してばたばたと倒れていくゲームたちを目の前でいくつも見てきた。課金しないと、ゲームは終わってしまう。佐久間まゆは終わってしまう。それにゲーム楽しい。だから私は課金を続けていった。

けれど、次第に楽しいばかりではいられなくなった。課金してガチャを回してもSRが出ない苛立ち。身の丈に合わない課金をしたことによりリアル自分金銭的に追い詰められていく。運良くSRを手に入れられたとき脳みそ麻痺するようなとんでもない快感、運が悪いときの部屋の壁を殴りたくなるような悔しさ、あとあとになってからこんなにお金を使ってしまった、と湧いてくる内臓が引きちぎれそうなほどの強い後悔。私はまゆちゃんからの愛とまゆちゃんへの愛との引き換えとして、精神をどんどんすり減らしていった。

ついに夢にとあるキャラクターが出てきて、そのキャラクターに「もう課金するのはやめなよ」とゆっくり諭された日の朝、ああ、もう限界だ、と思った。

モバマス課金するの、やめよう。

素直に思えた。ゲームを通じて仲良くなった友だちもいたが、私はモバマスへのアクセスを少し控えた。ガチャ更新されても、ある程度冷めた目で見られるようになった。イベントにも大して参加しなかった。あ、このままいけば私ゲームごとあっさり引退できちゃうかも、なんて考えていた。

しかし、そんな日々もそう長くは続かなかった。なんのきっかけだったかはもう覚えていないけれど、結局私はまた課金を再開してしまったのだ。SRを引いたときのあの高揚感を、脳みそが忘れていなかった。忘れられなかった。あの気持ちいい優越感が欲しい。欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい。我慢できなかったのだ。

それ以来私は、自己嫌悪してプチ引退→結局完全には断ち切れずに結局また復帰して課金、というループを何度も繰り返した。あるときは、逃げられない泥沼にどっぷり浸かっているこの状態が、心地よかった。またあるときは、気持ち悪くて嫌で嫌でたまらなかった。だけれど、それでもまゆちゃんのことが大好きだった。いつの間にかまゆちゃんにはボイスが実装されて、CDまで出していた。私のアイドル、私だけのアイドルは着実にシンデレラ階段を上っていた。

ジェットコースターみたいに上がったり下がったりを繰り返す不安定な日々の中、気づけばそこそこ長い時間が流れていた。

そんな中で、新しい知らせが私の耳に入る。モバマススマホ音ゲーアプリとして配信される、という情報。その名も「アイドルマスターシンデレラガールズ スターライトステージ通称デレステだ。

私は当然アプリインストールし、当然のように課金をする。佐久間まゆちゃんのSSRの絵柄は、とんでもなくかわいかった。満足しかなかった。今までの過金額を振り返ると、少し嫌な気分になった。実感がいまいち湧かない。いいんだ、私は佐久間まゆちゃんのためにこれだけ課金したんだ。そう思えばこんなの妥当だ。まゆちゃんはこんなにも私のことを愛してくれるんだから、それでいいじゃないか。まゆちゃん愛してる、愛してる、愛してるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。まゆちゃんは私のことだけ見てくれている。私のこと以外は決して見ない。好き好き大好きあいしてる。佐久間まゆは決して裏切らない。まゆちゃんだけは信じられる。こんなどうしようもなく嫌なことまみれな世界の中で、まゆちゃんだけは私が信じるに値した。彼女リボン女神様だった。

6月末、デレステで次のイベントの予告が発表された。佐久間まゆちゃんがランキング報酬として登場するということがわかり、私は一瞬で血眼になった。ちょうど仕事が忙しくて時間が取れないけれど、睡眠時間を削ればなんとかなりそうだった。私はすぐさまにpt効率計算し、一日どのぐらい稼げばいいかの目処をつけた。

そしてイベントが始まる。

イベント開始時刻と共にデレステを起動し、イベントページを開いて、私は愕然とした。

なんだ、この絵柄?

それは、まゆちゃんが他のキャラクター所謂壁ドンをされて、なんだか満更でもなさそうに頬を染めてときめいている絵柄だった。

「は?」画面を呆然と見つめたまま、自然と声が出た。なにしてるの?なにしてるの?なにしてるの?なんで私じゃない別の女なんか見てるの?なんで満更でもなさそうな顔なんかしてるの?なんで?なんでなんでなんでなんでなんで?一気に胃が痛くなった。訳が分からなかった。私のことだけを見つめてくれていたはずのまゆちゃんが、ほかの女を見てる?はは、なんだこの女。なんで?ねえなんで?なんでそんなことするの?なんでそんなことされてるの?私のアイドルなのにどうしてそんなことするの?

金を払って、睡眠時間まで犠牲にして手に入るのがこんな絵柄のカードだなんて、全くもって意味がわからなかった。そんなの虚しさ以外なにもない。これはなんの罰なのだろうかと絶望した。とんでもない自傷行為。つまらない。しょうもない馬鹿げてる。どうしていいかからない。怒りを通り越した憎悪。まゆちゃんのことなんか殺してやりたい、壁ドンした方も殺してやりたい。滅多刺しにして殺してやりたい。私がこれまで金をドブに捨ててこれたのはまゆちゃんのことを信じていたからなのに、一瞬でぜんぶズタズタにされた。許せなかった。

私はそれでもなんとかイベントを走ろうとしたのだが、途中で本気で体調を崩して寝込んだことで冷静になったのもあり、途中でそれらを全て放棄した。そうじゃないと本気でどうにかなりそうだと理性が判断たからだ。

イベントが終了し、まゆちゃんをリーダーから外した。

ゲームをやめる踏ん切りはなんとなくつかなかったので、私はのろのろと課金を続けつつ、他のアイドルSSRを引いて育成したりしながら遊んでいた。気がついたら息をするように課金していた。

気がつくと、八月も下旬差し掛かろうとしていた。

その日私は仕事休みで、友だちと遊ぶべく山手線に乗車していた。座席に座ったまま、ぼんやりと外を眺める。そんな中停車した駅で、見覚えのあるものが目に入った。

まゆちゃんの例の絵柄の、大きな看板

デレステ宣伝するための看板だ。見た瞬間に脳にサッと小さな雷が落ちて、気がつくと私はその看板を思いきり恨みがましく睨んでいた。

ああ、私はこれだけ時間が経ってもまだまゆちゃんのことが許せないんだな。きっとこのままずっと憎いんだろう。

私はそう悟った。つらいのと、冷めた気分と、情が入り交じってぐちゃぐちゃな気分だった。

そして私はそれから少し時間の経った八月十九日の夜、モバマスデレステアカウントを跡形もなく消した。

あの日からもうすぐ二週間だ。私は、思っていたよりは意外と普通に過ごせている。仕事したり遊んだり食べたり寝たり、割とノーマルリアル生活をこなしている。

でも三次元二次元は完全に別のものからフィクション世界で空いた穴が現実の充実で補える訳ではない。なのでふと思い出した瞬間フラッシュバックに襲われることがある。いつの間にか、フィクション世界では佐久間まゆしかきじゃなくなっていた。ほかの女の子なんてどうでもよくなっていた。好きなキャラクターはたくさんいても、私に応えてくれる、私の信仰を受容してくれる、私が信じるに値する女の子フィクション世界において佐久間まゆ以外だれもいなくなっていた。私が身の丈以上のお金をどぶに捨てるような行動に走る理由になれるのは佐久間まゆしかいなかった。画面越しに見つめてくる佐久間まゆが望んでいる気がしたから、全部そうした。まゆが何度も何度も何度も「あなただけです」って繰り返すから、私もそれに返した。いろいろな何かを。ソーシャルゲームの中にじわじわのめり込むうちに、大事な友だちも私に呆れ果てたかのように続けて二人立て続けにいなくなった。けど、それでもよかった。いろんな人に、もうやめときなよって言われた。自分でもそう思って、実際にやめようとするけど失敗してまた戻るっていう低空飛行を何度も続けた。

私は、私の身の丈なりに、すごく好きでした、佐久間まゆちゃんのことが。いつのまにか。他の女の子のことを全員嫌いになってでも。結局、身の丈に合わない無理を続けた身勝手悪夢のごとき強烈な不運(もうこの件についてはノーコメント)が重なって全部めちゃくちゃにひしゃげてしまったけど。

結局まゆちゃんは画面の中のデータしかなかったので、消えたところで私の実生活にはとくに悪影響は及ぼさなかった。ちょっとショックのあまり体調崩したぐらい。むしろお金は浮くし、まゆちゃんへの愛情と同時に湧いてくる苦しさから突然ぽーんと解放されてしまった。ソーシャルゲーム世界にのめり込んだ経験のない、まともな人なら私を見て「やめてよかったじゃん」と思うだろう。実際やめてよかったんだ。やめたら、良いことしか起こらなかった。それが悲しい。

いまの職場には、私が佐久間まゆという女の子のために課金していることを知っている人が二人ほどいたので、シフトが一緒だったときにその話をしました。私は話をしながら「もう何もかも失いました」「死にたい気分です」と口走った。実際にはいくつかある私の精神を支える柱のうちの一つをちょろっと壊してしまっただけなので決して《何もかも》は失ってはいないんだけど、確かに色んなものを失った。実際には死にやしないんだけど、確かに私は死にたくなってた。その柱は、いざ壊してみると中身はすかすかでした。私が勝手に分厚くて頑丈な柱だと思いこんでただけで、そう思いたかっただけで、実際はびっくりするほどあっけなく崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまいました。

フィクション世界でのことだからリアルでは案外普通に仕事して寝て起きてを繰り返してるんだけど、家にいて、ぼーっとしてるときにふと思い出すとつらくなる。嫌になる。何もかも失いました、というのはある意味では事実で、気がついたら一人で勝手に泣けてきてる。

最初は、暇つぶし趣味としてゲームを始めた。途中から趣味じゃなくなってしまっていたのは実はわかってた。重い義務だった。責務だった。私は佐久間まゆちゃんのことを信じるために、自ら佐久間まゆの部屋に入りました。内側から鍵をかけただけなのに、外から鍵がかかっていて部屋から出られないふりをした。

今日、二週間ぶりにゲームのことが気になって、まとめサイトを開きました。十時愛梨ちゃんのSSRが追加されていた。ああ、ゲーム続けてたら回しただろうなあ、って思いながら画面を閉じた。もうゲームを再開する気力とかは全く残っていなかった。部屋から出たまではよかったものの、どこに行けばいいのかわからないままひたすら途方に暮れている。

どこに行けばいいのかなあ、どこになら本物の女神様がいるの、信じられない。どうして裏切ったりしたの。ずっと部屋にいたかったのに。裏切らないでいてくれたら、ずっと信じていられたのに。好きだったのに。あーーーーーーーーーーーーーーーーーー死にたい死にたい死にたいぜんぶなくなったぜんぶどぶにすてたむだだったあーーーーー、ははふあ

追記

起きたら反応がたくさん来ていて驚きました。もともと、最後に一度自分感情を整理してどこかに残しておこう、と書き殴った乱文なのですが、読んでくれた方、ありがとう。読んだ人が思うだろうなあとぼんやり予想していたとおり、例の絵柄についてはあとからフォローが入ってるじゃん、とのコメントも読みました。ええ、もちろん知ってます。他のキャラクター壁ドンされてときめいているまゆちゃんに深い怒りを覚えたのは事実。あの絵柄が、私にとって大きなトリガーでした。あとからフォローが入っても、一度引かれたトリガーを戻すことはできなかったんです。それが引かれた瞬間、まゆちゃんについて、今まであえて考えないように、考えていたらどうにかなってしまいそうだから思考に蓋をしていたことが、一気に頭を過ぎりました。

以下、書くつもりのなかったことを書きます。これで終わりなのだからまあ全部ぶちまけてもいいでしょう。

上の文で明記はしなかったものの(読めばあまりの女々しさから察せられると思いますが)私は女性です。まゆちゃんは、プロデューサーさんのことが、好きでした。私はその《プロデューサー》という概念体に自己投影をしてゲームプレイするわけですが。途中で、どうしようもない壁にぶち当たってしまいました。まゆちゃんが想定しているプロデューサーさんとは、明らかに男性ことなのです。アニメに一瞬出てきたまゆのプロデューサーも、明らかにスーツを着た男性でした。これについてはもう記憶封印しましたが。台詞の隅々から、まゆちゃんのプロデューサー男性なのだという事実じわじわと追い詰めてくる。プロデューサーという概念体と、私という存在が、少しずつ乖離していく気がしました。このままではいろいろなものが駄目になってしまう。考えてはだめだ。そう思い、それについてはできるだけ考えないようにしてきました。コメントでも同じことを書いてくれた方がいましたが、まゆちゃんは、私が同僚の殿方から電話を受けても、怒りません。自分のいいように解釈して消化してしまえばいい話なのですが、どうしても「まゆちゃんが想定しているプロデューサー男性である」という呪いのごとき一文が頭から離れませんでした。私は女性です。まゆちゃんは、私のことを好きでいてくれたんじゃなかったの?このプロデューサーさんは、私じゃなくて別の誰かなの?考えないようにしていても、ふとした瞬間そう思うことが少しずつ増えました。今思うと私はもう限界だったのかもしれません。そんな中で開催されたイベントのあの絵柄を見て、私の中の何かが完全に崩れてしまいました。あとからフォローが入っても、いちど崩れたものは、戻りませんでした。戻らないと悟ったから、私はまゆちゃんという女の子を諦めました。しょうもないきっかけだと笑う人もいるでしょう。つまらない小石に躓いた私は、もう二度とここに戻ることはありません。まゆちゃんとなら「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」と思っていました。大好きでした。私は、これからはちゃんと幸せに過ごします。それではさようなら

2016-08-29

高畑裕太容疑者逮捕を受け

苦しい発達障害の現状を伝えようと思う

彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手ADHDの気があると思っているかである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。

ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしか自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。

私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思いますADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事ものライブチケットパリお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドパスポート駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。

要するに細かいことが出来ずミスを多発する。

人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからわずにいられない衝動に駆られる。何の呪い

話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。

先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。

自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。

しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業ストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系会社ADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたもの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズ拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミス無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。

私が言いたいのは発達障害からって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。

発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。

いや、絶対に昔からいた。

クラスに一人はやばい認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。

ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害

ねえ、そう思ったら多すぎませんか。

なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれから人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物遅刻はしないように気を使っている。

発達障害は往々にして鬱

高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。

これってすごいこと、私は母親教育は失敗に終わっていないと思う。

発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的性格もあってまわりから規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。

ハメられやす

私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストクリアするもの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。

なぜ障害が生まれるか

障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったか相手不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝可能性は否定できない。

また、高齢出産の影響も強い。卵子タイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性社会進出医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子劣化します。男性生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれ可能性高いです。イケメン隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。

ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカル対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活マネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。

2016-08-25

母親に掛けられた呪いの話

私の家庭は両親が上手く行っていなかった。殴る、蹴るといった直接的な暴力は少なかったとはいえ、所謂父親から母親DV行為が行われている家庭だった。

何か問題が起きた時、決まって母親から聞かされる言葉があった。「男は馬鹿だ」と。

今となってみればそこには男性のものに対する批判性は少なかったと思うし、母親自身まり異性経験の多い方では無かったそうで父親=男とするのも無理は無かったのかもしれない。

だが、幼い子供からすればそうはいかない。ただただ額面通り言葉として受け取るしか術がなかった。母親への同情と同時に「この世の男は馬鹿クズで、軽蔑すべき対象だ」という刷り込みが行われていった。

私が女性であったならばただ男性差別主義者ミサンドリーとなっていただけだろう(勿論そういった主義を良しとする訳ではないが)。

しかし私は性自認を含め男性であるのだ。女性に生まれたかったと思う事は多々あるが、性自認の話とは別問題だろう。

これは男性に限った事ではないが、自己性別軽蔑するというのは大変生きづらい。

同性同士特有のノリ――異性関係における武勇伝であるとか、男性であるなら風俗ギャンブルの話であるとか、そういうものに対して特別嫌悪感がある。

時にはその嫌悪感は「男性である自分」へまで及ぶ事もある。

女性に恋をする事だってあるし、性欲も人並みにはある。しかし、「馬鹿クズ男性である自分女性に対してアプローチを掛けて良いのか?危害を加える可能性は?そんな事を考えると、男性嫌悪から飛躍して自己嫌悪にまで陥る。

女性への嫌悪を感じる事もある。

男性批判を行う母親はこの文脈におけるところの女性だ。そんな女性に少なから嫌悪感を覚えていたのだろう。

今でも、テレビ番組などで女性タレント男性批判をしている時、嫌悪感と同時にどうしようもない居たたまれなさを覚える。

ここまで来ると男性女性嫌悪している自分は一体何者なのかが判らなくなる。

母親からすれば家庭内の拠り所が子供しか居なかったのだろう。

その事に対しては本当に同情しているし、その時々で思いつく限りはサポートしてきたつもりだ。一般的母子関係よりも仲は良いとすら思う。

それでも、やはりこの刷り込みに対しては負の感情が大きい。これが無ければもう少し人生は変わっていたのだろうかと。

もしもこれから親となる方がこれを読んでいたなら、家庭環境悪化した際にはできる事ならば拠り所は家庭の外に作ってほしい。

最後の手段として子供にそれを求める事になったとしても、性別のもの批判してはならない。

幼い子供は繊細で、あなたの言う事を素直聞いてしまう。その、呪いにも近い言葉大人になっても克服する事が難しい。

2016-08-22

別の世界自分

たぶん、他の人なら「なんだそんなことで悩んでるのか」ってことでつまづいて身動きがとれなくなってる。

自己嫌悪とか疑心暗鬼に陥って何やっても楽しくないし誰も信用しようと思わないから正直このまま生きてても何の楽しみもないんだろうなって思ってる

かといって死にたくはない

から最近は『全てが完璧にうまくいってるどこか別の世界線の自分』をこのまま生かしてやるために死なないようなしようかなって思ってる

馬鹿馬鹿しい生きがいだろうけど、せめて今の自分じゃない別の自分くらい信じて過ごしたいもんだ

2016-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20160816143245

あなたと同じですけど全然自己嫌悪に陥らないね

だって他人に使われるために生きてるんじゃないんだし

自分楽しい事と他人楽しい事は違いますから

2016-08-12

まわりの年収とか階層とかそういうのを気にしなくなりたい

兄が転職大成功した。

ブラックで悩んでいたのは聞いていたが、良いところに転職できたのだという。とても良い話なのだが、それ以来自分メンタルおかしい。

どうやら超絶ホワイト休みも多いうえに給料も高いらしく聞いてもいないのに社員旅行海外やらボーナスの額やらを母や兄から聞かされ(正直言わなくてもいいだろうと思ったが、嬉しかったのだろう、他に言えるところもないだろうし)、共働き我が家世帯年収と、専業主婦を持つ兄ひとりの年収が同等、もしかしたら兄のほうが上になったのだろうと思う。

我が家には保育園児が2人おり、私は時短勤務で正社員として働いている。

夫は元は管理職だったが激務で鬱病になり、今は一般社員になった。年収は下がったがストレスが減って、今はとても楽に仕事に行けているようなので、夫にはこれ以上がんばってほしくない。私も働いているのだから全然問題ない。というか、私がこんなことでモヤモヤしていることは悟られたくない。

兄家とは家もさほど遠くなく、こども同士の仲が良いので定期的に遊ぶ。そんなおりにちょこちょこと兄の良い話が出てきて(最近では聞かなくても勝手想像してしまったりもする)、我が家ふたりのほうが休みも少ない業種で働いていて、兄ひとりと同等の収入なのかと思ったら非常に無力感に苛まれ、落ち込んでしまう。

私は働くのは苦じゃないので、専業主婦になりたいのか? と言われると違うように思う。ただ、働いてなかったらこどもにもっといろいろしてあげられるのかな、とか、これから訪れる「小1の壁問題」とやらを聞いて不安を感じているので、羨ましいと思う気持ち否定できない。

兄が努力していたのも知っているし、兄家に対して悪感情はないので、もちろん「良かったね!」と笑顔で接しているが、黒い感情が沸いてくるのが嫌で嫌で、自己嫌悪ばかりが膨れ上がっている。それ以来、誰々が有名な○○に勤めてるらしいだの、テレビで今年のボーナスの平均額(あんな額見たことない)だのを耳にすると激しく気分が沈み、それなのに気になってしょうがない、という状態が続いている。今まで顔も知らない人の年収いくら高くても気にならなかったのに、ネット上の第1階層だとか裕福層だとかいう話にさえなぜか落ち込むようになってしまった。

このような話題で落ち込むようになったのは初めてで、急に出てきた感情困惑し、うんざりしている。他人他人自分現在境遇に大きな不満があるわけでもなし、ボーナスはまぁ少ないけども会社にも良くしてもらっているので転職したいわけでもない。これでいいんだ。そう頭ではわかっているつもりなのに、どうにも消化しきれない。

兄と自分を比べてしまう。人と比べてしまうのは自己評価が低いと聞いたがそうなのか? とか、育ってきた環境が影響しているのか? とか、結局は気の持ちようなのだから、とか、色々自分を納得させようと必死だが、欝々と考えてしまってどうにも辛くてたまらない。兄に会いたくない。でもこどもたちは遊びたいと言う。いっそ、「自分お金が大好き!他人には良い顔しながら、裏ではマウンティングをとりたがるゲス人間です!」と開き直ることができれば楽になれるんだろうか。でもそれも上手にできない。

リアルでは誰にも言えないんだ。こんな気持ちもういやだ。余計な事考えないで、がんばって仕事して、可愛い我が子を力いっぱい愛でていたい。

2016-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20160811132244

コメントありがとうございます

性愛にまつわる異常なほどの劣等感、不全感、ある種の不感症ともいうべき状態です。

>(行為をしても全く精神的に満たされず、ますます自己嫌悪感が刺激されます

とりあえず、上記の点が第一義的にあります

その上、女性と一緒に歩いていても、女性と一緒にいることへの違和感があります

決して同性愛という意味ではなく、どうして自分なんかと一緒にいてくれるんだろう、

という根本的な疑念が払拭できないのです。

そのせいで、何度も気持ちを確かめるような行為相手女性に繰り返して、

ついには取り返しのつかないことをしてしまいました。

童貞メンタル卒業の仕方がマジでわからん

去年の3月中頃に童貞卒業したアラサー男です。

物理的な童貞卒業できましたし、その後に何度も行為に及びましたので

あくま物理的には脱童貞しました。

確かにその瞬間には喜びや達成感があったことはあったんですが、

時が過ぎるにつれ、問題実態はより大きなものであることに気づきました。

精神的な意味童貞卒業できないのです。

何をしても童貞卒業した感覚が得られないんです。

そのせいで大切な女性を傷つける結果にもなってしまいました。

こうして童貞について囚われているのも、

まさにその女性を傷つけてしまったことを反省してのことなのです。

こうしていまだに童貞にこだわるところも、実に童貞臭いと思いませんか。

自分でもそう思います。けど、何をどうしたら良いのかわかりません。

物理的な童貞であれば、努力対処の仕方は明確でした。

しかし、この童貞メンタルに限っては、どうしたら卒業できるのかわかりません。

性愛にまつわる異常なほどの劣等感、不全感、ある種の不感症ともいうべき状態です。

行為をしても全く精神的に満たされず、ますます自己嫌悪感が刺激されます

増田はてブ男性諸先輩方、皆さんはどんなとき

自分の考え方や振る舞いに童貞っぽさが消えたと感じましたか

また、女性の皆様にも質問なのですが、どんな男性童貞っぽさを感じますか?

外見的なモノを除いて、どうお考えになるのかお教えいただきたいのです。

2016-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20160806020554

意図せず酔いつぶれてとか書いてるけど、本当は独身最後からとかなんとか自分言い訳して

よその女を摘み食いしたかっただけなんだろ?

知り合いにもお前みたいな結婚直前に独身の思い出作りとか言って後輩の女の子に手を出したカスがいたわ。

今回のことがたまたま婚約者に知られなかったとしても、いつかお前は同じこと繰り返すって予言する。よく覚えとけよ。

過ちを繰り返す度、安い自己嫌悪に陶酔して甘ったれたことを吐かすんだろうな。

お前みたいなのは無意識の内に自己中心的に人を振り回して不幸にするだけだから婚約者に全部正直に告白して婚約解消して別れた方がいいぞ。

それが嫌なら、婚約者とその両親に土下座して二度としませんから結婚させてください許してくださいって言ってみろ。

人と話すのに疲れる

二児の母。人との会話が本当に苦手。

世間話をするのも話題を探すのにまず疲れる。相手にあった会話をパッと思いつかない。そして話が続けられないことに疲れる。

会話をしていても、自分がパッと思いつく返答はどうもズレているらしく、おかしな顔をされることもよくあるので、自分の返答がちゃんとしているか、ズレてないかが気になって気が気でない。

会話しながら食事なんていうと、会話で精一杯で、食事の味がわからない。

そして、相手と別れたあとは、自分対応を思い出してひとり反省会ダメなところばかりが思い出されて自己嫌悪ばかり。

最終的にどっと疲れる。

特に保育園ママとのお付き合いに神経がすり減ってしょうがない。

これまでは仕事に忙しくしていて朝早く夜も残業で遅いので、ママたちとは顔をあわせることが少なく、挨拶程度しか交わしてこなかった。

でも最近二人目を産んで育休に入り、いろんなママたちと園や習い事で顔をあわせるようになった。

保育園ではそんなに情報交換しなくてもいいけど、小学校になると持ち物や学校行事対応など何かと情報交換が必要と聞くし、母親同士の付き合いが子供に影響してはいけないので、子供のことを思うとママ付き合いをあまり無碍にもできない。

赤ちゃんを育てる大変さより、今はこのことがかなり自分ストレスの多くを占めている気がする…

子供の送迎と習い事時間が本当に憂鬱だ。

人付き合いがうまくなりたい。

せめてズレておかしなことを言うのをなんとかしたい。

2016-08-03

ジョージブッシュな男について

ジョージブッシュの男はモテる。彼らはムスリム一般を憎み、しか産油国アラブ王族に対しては「君はそういうムスリムとは違うけどね」という態度を取る。ジョージブッシュの男に好かれたムスリムは、心地よい優越感に呑まれるか、自己嫌悪に呑まれるか(こちらは、自分けが『そういうムスリム』に含まれないわけがないという謙虚な心や客観性がある分、優越感に呑まれるよりは良い)、そのどちらかだ。


http://anond.hatelabo.jp/20160802220951

2016-08-02

女性蔑視の男について

女性蔑視の男はモテる。彼らは女一般を憎み、しかし目の前の女に対しては「君はそういう女とは違うけどね」という態度を取る。女性蔑視の男に好かれた女は、心地よい優越感に呑まれるか、自己嫌悪に呑まれるか(こちらは、自分けが『そういう女』に含まれないわけがないという謙虚な心や客観性がある分、優越感に呑まれるよりは良い)、そのどちらかだ。

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