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はてなキーワード: 自己嫌悪とは

2017-01-14

小心者の僕、クライアントに遂にキレてしま自己嫌悪会社無断欠勤

っていうのが昨日あった。もう僕ダメですね。

我慢限界だったんです。

2017-01-02

http://anond.hatelabo.jp/20170102141733

最初は面倒なのでそうしてた

でも噓をつきつづけるのは地味にしんどい

10才年下をよそおっていると確かにチヤホヤされ続けて気持ちいいんだけど

それが自分にとってデフォになってくると現実との乖離自己嫌悪になってしま

最初はいいけどのちのち仲良くなってオフ会しようよーってなったとき絶対出席できなくなる

このような理由でやめたいと思った次第です

2016-12-27

自分は細々とサイト運営している30代半ばの個人アフィリエイター

毎日田舎の片隅で孤独サイト更新している。

アフィリエイト生計を立てて既に10年以上になるのでベテランに分類されると思っている。

そこまで高収入ではないが今はまだ家族を養っていけている。

しかし正直なところ人に自慢できるようなそれほど大したサイトを作っていない。

自分サイトgoogle先生から嫌われようが、サイト自体が無くなってしまおうが誰も全く困らないだろう。

広告主をヨイショしているコンテンツばかり作っていたのでむしろ無くなった方が良いのかもしれない。

誰も喜ばない訳ではない、広告主が喜んでくれる。人によっては良い買い物したと喜んでくれているかもしれない。

そう自分に言い聞かせながら、いつ収入が無くなるかビクビクしつつ、

まり目立たない程度でこっそりサイト運営してきた。

そんな中、welqNAVERビジネス炎上している。

(もう業界的には「炎上していた。」の過去形なのかもしれない。)

外注ライター様に記事を書いて頂いている自分他人事ではない。

自分運営しているのはちっぽけなブログだが問題は規模の大小、個人法人ではない。

クラウドソーシングで見つけたライター様の中であからさまにコピペ記事を書いてくる方もちらほらいた。

しかもそのサービス記事チェックが行われたにも関わらずである

今公開中のサイトコンテンツ自分が見つけ切れていないだけで

しかしたら他人記事リライトしただけのものがあるのかもしれない。

そう思うと不安になるし、さら自分仕事は悪い事なのかもしれないという自己嫌悪に陥る。

そんな中、とあるアフィリエイト会社担当者様とささやか忘年会を開いた。

久しぶりにお会いする担当者の方とはお互いの近況を話すところから始まった。

その時に

「いやぁ、welq問題記事広告が消されて○○○○万円の売り上げが無くなって参りましたよ!www

と大変そうに言うというよりも、芸能人と会った事を得意げに話すような、そんな印象だった。

その事が悪いとは言わないがどこか他人事でなんだか釈然としなかった。

その方はその後に自分に売り上げUPのご提案をしてくれた。

それはいわゆる「サジェスト汚染」による集客だった。

(その方は「サジェスト汚染」ではなくきれいな文字を使っていたが。)

さっとノートパソコンでいくつか事例を見せてくれた。

このキーワードで○○○万の売り上げですよ!こちらのキーワードでは○○○万ですよ!

悪びれるどころかドヤ顔だった。

汚染されたサジェストを見たことある人も多いと思うが自分のような人間ですら嫌悪感を覚えた。

なんでも、サジェスト汚染をしてくれる業者がいるとのこと。

サジェスト汚染された結果に応じて課金される仕組みだそうだ。

一昔前のSEO会社のようなビジネスである

(驚いたのは紹介しようとしてくれたその業者というのは

そこそこ有名なクラウドソーシング会社だった。これで手法想像できると思う。)

サジェスト汚染はまずい。絶対にやってはいけない。

きれいごとではなく、法律に触れるからだ。

(※法律に詳しくないがそう信じている。)

これを提案してくれたその方はそこまで考えていないだろうし、

真剣に売り上げUPを考えてくれたのかもしれない。

しかし上記のようにサジェスト汚染が法に触れる行為だとしたら

犯罪幇助」になるのではないだろうか。

その場は苦笑いで済ませ、細かい話はしなかったが、もし自分がその提案

真に受けてサジェスト汚染を実行してGoogle先生が本気出して怒ったり、炎上騒ぎとかになると、

「いやぁ、サジェスト汚染問題記事広告が消されて○○○○万円の売り上げが無くなって参りましたよ!www

と誰かに得意げに話すのだろうと思うと虚しいというかひどく落ち込んだ。(自分メンタルが弱い。)

その方だけでなく、アフィリエイト会社担当者の方はみんな似たような感じだ。

個人アフィリエイター自分のことを棚にあげてこんな事いうのも気が引けるが。

誰もコンテンツにしないようなマニアックコンテンツを作ると競合がいないのですぐに上位表示される。

人が集って広告掲載するとすぐに売り上げに繋がる。しかし1年後には似たようなサイトが乱立して市場は食い合いで

売り上げはガタ落ちする。そしてまた誰もいない市場を探す。これを何度も繰り返してきた。

原因は解っている。

なぜならいろんな担当者の方がキーワードサイト情報をたくさん教えてくれるからだ。

当然、自分情報も同様に他人に流れているのだろう。

誰々がこんなサイト運営している。売り上げはこれくらい。キーワードは○○。あなたもやりなさい。

情報報酬に売り上げの一部をよこせという担当者も「よく」いた。)

それに対してはアフィリエイトとはそういうものだ。

真似できるような事で金儲けをする方が悪いと思ってきた。

しか個人情報にあたるようなところまで担当者から流出ているのはどうかと思う。

自分の事もあちこちで言われていると思うとあまりいい気はしない。

個人情報を気にするほど大した人間ではないので気にはしてない。)

アフィリエイト登録する時には細かい利用規約がある。

その規約を自ら破っている方が多いのではないかと思う。

人達は悪い事とは思っていない訳ではなくて、

Twitter不謹慎動画を公開して自慢している中学生のようなノリではないだろうか。

「儲かればなんでもあり」+「悪そうな奴はだいたい友達」の合成みたいな印象を受ける。

そして今日も全国のアフィリエイターメディア違法まがいの行為を煽っているのだろう。

長々と思うままに書いてしまったので、愚痴も多く脱線が多かったが

言いたいことはwelqのようなインターネット利便性を逆手に取った問題はきっとまた起こる。

なぜならインターネット業界にはそれを煽っているモラルの無い広告主(代理店)が存在しているからだ。

本丸NAVERではない。そのビジネスモデルに乗っかっている広告代理店だと思っている。

DeNAが落ちてもNAVERが落ちてもまた違うメディアを探すだけだ。

人達にはまだDeNANAVER対岸の火事なんだろう。

最後にこの日記偏見が多く偏った個人意見だということを断っておく。

2016-12-25

誰かと集まって飲んだり話したりした後

終わってしばらくしてから、いろいろと思い出して、比喩ではなくふらっと死にたくなるほど自己嫌悪に陥るのってなんでなんだろうなあ。

しかったはずなのに、小さなことを思い出して、あの受け答えは無神経だった、あの受け答えは空気読めてなかった、って自分がしたことにダメ出しばかりする。

しゃべりすぎた翌朝落ち込むことの方が多い、って何かの歌詞にあった気がするんだけど、まさにそんな感じ。

人とも自分とも付き合うのが苦手な自分は本当に早く死んだ方がいいなと思う。

2016-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20161224215725

お前あれだろ

自国を褒めたり、自社を褒めたり、自分属性を褒める奴が嫌いなタイプだろ

俺はそういうやつが嫌い

勝手自己投影して勝手自己嫌悪して勝手に憤った挙句に突然他人の主張に突っかかってくる奴が嫌い

2016-12-23

ふざけんな

‪己の短気さ故に人間関係上手くいかないのに、何でそれに対する謝罪もなしで自己嫌悪してる様だけ見せ付けられてこっちが悪いみたいな罪悪感感じなきゃいけないんだよ

2016-12-21

不倫がしたいを書いた女だけどの女だけど

http://anond.hatelabo.jp/20161220083550

やはり不倫は良くないと思った。周りも傷つけるし、何より夫を悲しませてしまう。

昨日一昨日と色々なブコメをもらって、本当に自分勝手申し訳ないのだけど批判的なコメントを貰えて自分が傷つけて良かったと思ってしまった。励ましのコメントもありがたかった。顔も名前も知らない私をかまってくれてありがとう

仕事をしていても自己嫌悪が続いて、朝起きてから寝るまで落ち込んで、自分などいる価値がないと思ってしまう。直接誰にも伝えられないのだけれど、本当はもう死にたい。一日中辛いしなぜか自分を責めて、他人言葉を気にして、職場笑顔を取り繕うことができているのがまだ救いなんだけど。通勤最中線路飛び降りたら、道路に飛び込んだら、誰かが私の背中を押してくれたら、通り魔が私を刺してくれたら死ねるかなって考えてしまう。

でも私が死ぬということが不倫よりなにより一番夫を傷つけてしまう。自ら死を選んだという事実が夫を一生苦しめる。そして申し訳なくて心配かけたくなくてこの気持ち相談することができない。本当にごめんなさい。こんなこと書いてごめんなさい。誰か助けて。お願いだから助けてほしい。

ごめんなさい。

逃げ恥最終回で急に萎えたのは自分だけ?

※若干ネタバレ注意

逃げ恥が絶好調で幕を下ろした。

原作未読ながら、僕は家族(主に嫁)と一緒に楽しく視聴していた。

娘二人もYouTubeで「恋ダンス」を覚えて踊ったりと微笑ましい光景が広がっていた。

  

しかしだ。逃げ恥最終回を見終わってもなんだかモヤモヤしている。

というかそれまであった、他人恋愛を眺めてほんわかする感、がなかった。

原因は一つで、みくりの可愛らしさがあまり伝わってこなかったこと。

  

これまで彼女は津崎平匡の不器用、鈍感、強情、卑屈な側面に付き合ってなおかつ彼と一緒に

物事解決する姿勢を見せてきた。

あまつさえ彼の初々しさを気に入り可愛いとまで表現する心の広さ。

童貞こじらせた独りよがり男なんていくら年収あっても

ここまで付き合ってくれる女性現実にいないだろう、と僕は感心しきっていた。

この「男の弱さ」に向き合ってくれて、かつ逃げないでいてくれる女の子は可愛く見えてくる。

  

しかし、副業に手一杯となり津崎に冷たく接する彼女の姿があった。

それに自己嫌悪するのはいい。にんげんだもの

そして彼女は、止めにするなら今ですよ、と逃げ腰になる。

みくりの態度はまさにかつての津崎の姿であり、彼がみくりを慰めるのはなるほど成長の証でもあった。

  

んだが、なんていうかもにょる

津崎はみくりと一緒になるために慣れない家事をこなそうと頑張り始める。

失敗もあるだろう。それでも自分を変えようと前進した。

でも家事に取り組む津崎を褒めるみくりの姿が見当たらない。

変わろうとする彼の姿勢評価する彼女が居ない。

どうやったら家事が上達するだろうか?と考えるのがみくりのキャラクターじゃないの?

(確かぎょうざ作らせて、案外なんでもできそうとか言うてたやない)

いくら忙しいからってそこまで視野狭窄になるかなぁ。

  

まぁぶっちゃけると、みくりが定職について頭いっぱいになり津崎を放置する未来、というのが

垣間見えてしまったのが萎えたんだと思う。

ちょっとやそっとじゃ変わらないだろうから、面倒だなぁ、と感じてしまった。

話し合いも気力と体力がいるからね。

  

あとはダブルベットを置こうと提案する津崎に対し、別々がいいと言い切った彼女姿勢も後押しをしたね。

自分ルールはきっぱり通すという彼女らしさが現れている。

だけど今からイチャラブ生活を始めようと期待している津崎にそう言い切れるみくりの強さが

やっぱり面倒だなと思えてしまった。

  

僕は今まできっと彼女母性的な側面に癒やされていたんだ、とそのとき気づいた。

実際はそうではなくて、みくりは何事も真面目に取り組む人で、家事代行を全力で行った結果に

あのような素敵な奥様像を見せてくれたわけだ。

お金という対価がなくなった今、彼女のあの母性を感じられなくなるかもしれない。

愛情という動機では動かないみくりだから余計に。

  

これから津崎とみくりは何度も話し合いを重ねて夫婦を超えていくんだろう。

その点に続編への含みとかドラマ性がある。

だけどきっと今後は面倒な人間性の折衝があるんだろうなーと想像してきつくなってしまった。

そういうのはリアルで十分に体験しているのでファンタジーが欲しいのよ。

  

何が言いたいかというと

男は皆マザコンさー

http://anond.hatelabo.jp/20161220083550

幸せが続くと不安になる気持ち分かるし、幸せになった分だけバランスをとるために不幸を選びたくなる気持ちも良く分かる。

「いつかこ幸せが壊れる日が来ることが怖いから、だったら自分から先に壊しておこう。」って。

自己嫌悪と罪悪感とどうすれば救われるのかわからない不安で今本当に辛いと思う。

他の人も書いているようにあなたはきっとアダルトチルドレンだ。

もし今の状況もそう考える自分のことも嫌で嫌でしょうがなくて、でも救われたいなら「毒になる親」という本をすぐに読んで欲しい。

本なんか読んでもしょうがないって思うかもしれないけど、あなた不安自己嫌悪が少しでも軽くなることを祈ってます

2016-12-20

寝てるか食べてるかオナニーしてるか

ここ数週間でのことだ。

家にいるときは、だらだら寝ているか、もぐもぐ何か食べているかしこしこオナニーしているかが行動の大部分を占めるようになった。

とても自己嫌悪

欲にすべて支配されていて本当に情けない。

寝ているモードときは、睡眠状態ではない場合でも、本当に、起き上がることができない。起きるぞ起きるぞ起きなきゃと心で念じても、体が動かない。

眠気がなくなってトイレとかでやむを得ず起き上がると、基本的にずっと、何か食べたい気分でいる。

空腹というよりは、口寂しい感じ。ぜんぜんおなかへってないのに、なにか食べたくて仕方がなくなる。

買い物した分は帰ったらすぐにぜんぶ食べてしまうため、基本的に家にはなにもない。

なので何か食べるにはコンビニスーパーへ行かなくてはならない。

「お前さっきまで起き上がるだけで何時間も苦戦してただろコンビニ行くのなんかもっともっとめんどくさいじゃん。お腹減るまで待てよ」

と試しになだめてみるも、効かない。財布もって出かけちゃう

おにぎりとかパンとかホットスナックとか買って、甘いものが好きなのでデザートと称してシュークリームみたいなものも一緒に買い、家でむしゃむしゃ食べる。糖質だらけ。たまに野菜ジュース買うけど基本的野菜食べない。すみませんxevra先生

食べ終わったあと、お腹いっぱいになったけどまだ食べたい気がする・・・となり、またコンビニへ。どうしようもない。

ごろごろしてもぐもぐして、少しぐらい運動しなきゃなと思いながらするのがオナニーである

xevra先生心拍数を上げろっていってたから(ちなみに私は腕にはfitbitを巻いている)、1日最低でも3回はするようにしている。

ただ、やはりオナネタを探す時間無駄だし、終わったあとも疲労感が強くあり、しばらくすると寝てしまう。

無限ループの完成である

なんかの病気なんだろうか。

ずっと自己嫌悪にさいなまれている。

本当はもっともっと充実した時間を過ごしたい。

ブラック勤めというわけではないのでこれよりも大変な人はたくさんいるんだろうけど、明らかに、学生時代には感じなかった、強い喪失感みたいなものがある。そして現実的生活内容が破綻している。

歩いたり走ったりする用にウェアとかシューズとか、fitbitとか買ったのにぜんぜんできていない。

瞑想する用にJINSMEME買ったのにぜんぜんできていない。

気軽に野菜食べる用に電子レンジ買おうかなと考えていたところだけど、結局できなさそう。やめとこうかな。

TOEIC受けるとか具体的な目標たててみようかな。でもできなさそう。

でも

こうやって増田文章を書けたこと自体、ここ最近人生のなかではかなり生産的なことなので、少し嬉しい。しかも内容はともかくとしても、途中で投げ出さずに書き終えられた。おれ頑張った。

不倫がしたいを書いた女だけど

http://anond.hatelabo.jp/20161219205129

思っていたより反応が返ってきたことが嬉しかったです。自己肯定感を持てると良いというコメントがあって、さすがその通りだと思いました。何をしても自分に納得がいかないのです。これだけでは社会で生きていけない、もっと頑張らなくては、そう思う一方で不倫がしたいとも考えてしまう。

旦那浮気させたら?というコメントがあったけど、どちらかという他人包丁で刺さすよりも自分を刺してしまいたいと考えているので私が不倫して辛くあったほうが良いと思います

なんで幸せが怖いと感じるのか考えてみて、ブコメACでは?と指摘があり確かにと思いました。母も父も厳しくて、私の姉はとても優秀でした。父は外面は良いけど酒を飲むとすぐ手がでるし、父が家にいる間ずっと緊張していた記憶があります。姉と比較され「お前ができないやつなのは豚小屋でひろってきたからだ」とよく言われました。

からかわからないけど、そうやって乱暴に扱われることに慣れて麻痺しているのかもしれません。でも改善するにも何から手をつけたらいいのか。不倫は薬にならないとわかっているのになぜ。

追記

夫は多分相当なことがない限り浮気しないと思います浮気するならそれは本気になるでしょう。それだけ自分のことを大切に思っているから直接相談なんて申し訳なくてできない、怖い。本当に大切にしてくれてるのがわかる、だから苦しい。私なんてそんな愛情をかけてもらう価値なんてない。少しは前向きになれるかと思って結婚を選んだけど、結局自己嫌悪自分を認められない。自分を認められないから夫の好意を素直に受け入れることができない。自分のことで精一杯で夫が私を心配してくれてるのにいつもごめんと言ってしまう。ありがとうが言えたら良いのに申し訳なくて言葉にできない。夫ならもっと良い女性出会えるはずなのにごめん。私は死にたいって毎日考えてしまう。つらい、消えたい、死にたい。本当にごめんなさい。

12月21日追記

http://anond.hatelabo.jp/20161221183915

2016-12-19

失恋コンボドン

失恋した。というか勝手に恋して告白まで至らず勝手に振られたつもりで失恋した。

20代半ばにしての初恋から、分からない部分も至らない点もある。完璧な手順や答えを求めていた訳でもない。

初恋してからは見える景色が変わり、自分存在を少しでも良くしようと努力をして、友人たちに「周りに花が舞ってる」と言われるくらいには変わったのだからマイナス要素だけではなかった。楽しいこともたくさんあった。

過去出来事はともかく、今回勝手失恋してこの数日で目まぐるしく感情の変化が起こったので、記録して残しておく。フルコンボドン

Good!

「あのヤリチン死んでしまえ」「掘られてしまえ」

感情剥き出しにしてただただ罵倒。とにかく相手を許さずディスに徹底。いつも付き合ってくれる女友達と仲良くディスり大会

Great!!

なぜ私はあんな奴に惚れしまったのだろう?頭を撫でられただけで。甘え甘えられるいい関係も、悪い意味友達まり。こじらせ喪女のせいで脱処女願望が先走ったり、彼は承認欲求を満たしてくれているだけの存在なのではとか。

とにかく分析自己嫌悪に至る。そもそもは私の顔が悪いから、女として上手く生きれてないから。男性が喜ぶような反応を取ってしまたから。

Cool!!!

これまでの過程を踏まえ自分の中で腑に落ちた瞬間、一気に感情が無になる。あれ、家族の前で上手く自然に笑えない。

無気力なのでめちゃくちゃ無愛想、態度の悪い奴に見られる。生きることに惰性。オタ活も惰性。

Excellent!!!

全部惰性でひっくるめて意識改革初恋前の自分(ふりだし)に戻る。

ふりだしという元の生活に戻っただけ、と割り切るのとあとは時間解決してくれるんだろうな

2016-12-17

あるコトに固執していて、ようやくそ呪縛から解放された(もしくは代替などで固執する必要が無くなった)のはいいんだけど解放されるのに時間掛かって「なんて自分馬鹿だったんだろう」って自己嫌悪しかならない。

2016-12-12

最後にしたセックスを覚えていない

昨日は丸一日布団から出ることができず、今日はまったく作業に手がつかなかった。感情の整理のために文章に起こす。

最後セックスをしたのは三年半前、大学二年生だった頃のことだ。その年の頭にできた二つ上の彼女とした。

サークルで知り合った彼女はお世辞にも美人とは言えないが、いわゆる可愛い系の女の子で、特に付き合ってからはこちらのほうが歳上なのではと錯覚するほどだった。とても可愛かった。付き合っていた時期は私が大学一年から二年ということもあり、性欲に身を任せて彼女とひたすらセックスをしていた。徐々に彼女下宿に入り浸ることになり、付き合って半年弱の別れる寸前にもなると週四日ほど泊まることもあった。半同棲生活だった。

彼女就活ストレスを発散するためなのか、年度が変わったあたりから彼女から身体を求められることが多くなった。その頃には彼女とのセックスにも慣れてきて、お互いが満足するまで何度もセックスをした。所詮サル大学生ということもあり、単にセックスができることが嬉しかったし、何より彼女に求められてそれに応えることができることが嬉しかった。付き合い始めはセックスをするために付き合っていたところもあったが、その頃にはきちんと彼女と一緒にいることに幸せ見出していた。セックスのあとによく結婚しようねと幼稚園児のような幼稚な約束を交わして、そこからまたセックスすることもあった。本当に幸せだった。

彼女就活もあと面接を数回残す段階になった頃、私は彼女と別れた。

はいものように彼女下宿合鍵で入り、あまり自炊をしない彼女キッチンで夕食を作りながら面接終わりの彼女を待っていた。米を炊き始めたところで彼女が帰ってきた。しばらくして夕食ができあがり、食事をしながら面接感触が良かったとか、次の面接はいついつでおそらくそれで終わりとかそういった会話をした。

その後、彼女のあとにシャワーを浴びてごろごろとしているとムラっとしたので、いつも通りセックスをしようと彼女に抱きついてセックスを迫った。いつも通り彼女は受け入れ、その日も好きなだけセックスができると思っていた。しかし、その日は違った。抱きついた腕が優しくほどかれた。

「ごめん、今日は疲れてるの。先に寝るけど、今日はナシでね。ごめんね」

疲れていてもなんだかんだでいつもするじゃないか文句を言いながら彼女が入ったベッドに潜り込み、胸を揉み、服を脱がそうとした。ここでいつもの彼女と違うことにやっと気づいた。

「本当にごめん。今日だけは休ませて、ね?」

やすように頭を撫でてくれた。このとき今までに覚えたことのない感情に襲われた。彼女セックスを拒絶されたことが引き金となったのか、彼女もっと支配したいという気持ちが強くなった。

正気に戻ったときには彼女が泣きながら怯えるように震えていた。汗と涙で彼女身体は湿っていて、彼女の膣からは精液が溢れ出ていた。彼女が何度も小さな声でごめんなさいと許しを求めていた。混乱した。目の前の光景が何を意味しているのかわからなかった。そして、私は逃げるようにゆっくりとその場を離れ、自宅に戻った。自室についても何がなんだかわからなかった。

私は彼女レイプしたのだ。そう気づいてからはもちろん彼女下宿先に行くことはなくなり、会うことはおろか連絡すら取らなかった。私も、そしておそらく彼女の方もお互い気持ちの整理ができなかったのだろう。

彼女に連絡をしたのはあの日から二週間ほど過ぎた頃だった。一度きちんと話をしたいと短いメッセージを送った。返信がなくても仕方がないと思っていたが、五分もしないうちに彼女から返信が来た。彼女の方も話したいので一度彼女下宿先に来てほしいとのことだった。

下宿先に着きインターホンを押すと彼女がそっとドアを開けた。久しぶりだね、と優しく微笑んでくれた。

机を挟んでから少しの沈黙の後に話を切り出した。つらいかもしれないが、あの日のことを話してほしいと聞いた。彼女はうっすらと笑みを浮かべ、ごめんねと前置きをしてからその時のことを話した。

端的にまとめれば、別人のように豹変し、首を絞められ、レイプされて、とても怖かったとのことだった。

あの日見た状況からすぐに考えられたことだったが、本人から言われると息ができなくなるほどつらかった。彼女はあの時もこの話をしてくれたときも恐怖にさらされていたのだろう。そう考えると、目の前にいる彼女の浮かべる笑みがどれだけ彼女を追い詰めているのかを訴えているように見えた。私は本心から彼女に謝ったが、どんなに謝っても私自身その謝罪形式的ものしか思えなかった。

それからほどなく、彼女との関係を断つ話がまとまった。彼女からはまだ頑張れると交際継続することも提案されたが、無理をし弱った声で発された提案には賛同できるはずもなかった。こちらから別れを申し出ると、少し目を潤ませながら少し安堵が混じった声で、そっか、ごめんねと彼女は言った。

合鍵を返し、玄関彼女と別れの挨拶を済ませて、彼女と別れた悲しみや彼女を恐怖にさらした自分の不甲斐なさに対する怒りもそこそこに、私の母親への憎しみが心に染み付いた。

彼女と連絡を取れなかった期間、あの日から数日もしたら DVレイプについて調べる様になっていた。どうやら DV をしやす人間は両親との中が悪かったり自身DV虐待を受けていたりすることが多いらしい。調べていると段々と自己嫌悪に満たされていくとともに、幼少期母親から受けた行為について鮮明に思い出すようになった。

私が小学二年生の秋、母方の祖母の死をきっかけに両親の仲が悪くなり、頻繁に母がヒステリックを起こし父と激しい喧嘩をするようになった。私や姉が止めに入ると母は、この子達を泣かせているのはあなたのせいだと父に激しく怒鳴り、喧嘩はより激しくなっていった。それから子どもたちはあなたに近づけさせないと母は宣言し、同じ家に住みながらもほぼ別居状態になった。

家庭内で完全に父との交流が絶たれて一年ほどが経ったとき、台所で夕食の手伝いをしていた時だった。母に、そろそろ父と仲直りをしてもいいのではないか子供らしく思ったことを率直に言った。

母は、なんでそんなことを言うのと小さな声で囁き、私を蹴り飛ばし包丁を突きつけた。目の前の光景に身動きが取れず、全身が恐怖に包まれた。

あなたのためなのがどうしてわからないの」

母の叫びとともに顎に包丁があたり、血が流れた。直後、母親正気を取り戻したのか包丁を引き、涙を流しながら謝ってきた。それからは、ここまで苦しんでいる母はえらいに違いないと思い込み、母の言うことに従い続けた。母の要求に応えられたときには喜びさえ感じた。

しかし、高校二年のときにそれがある意味での洗脳であることに気づき、母に悟られないように家庭内で少しずつ母との距離を置いていった。自分で考えて自分気持ち自分で行動する、オトナになるためにはそれが必要だと思った。多少の反抗心も芽生えたが、また母をヒステリックにするのはこちらが無駄被害を受けるだけだと押し殺していった。

母による支配からは脱していたと思っていた。特に大学に進学してから自分意志で好きなだけ勉強できたのもあり、完全に自由の身だと錯覚していた。だが、現実はそこまで甘くなかったのだ。母による支配は私に後遺症のようにしてこびりついていたのだった。未だに母から支配を振りほどけていない自分に呆れ、怒り、苦しんだ。そして、よくも好きだった人を傷つけさせたなと、母に対する激しい憤りを感じた。

彼女妊娠することもなく無事就職し、きちんと生活をしていることを彼女の友人経由で聞いた。それを聞いて安心し、悔しいけれど彼女固執することなく生きていこうと心に誓った。そうは言うものの別れてから最初一年は未練が残りどうか復縁できないか方法を考えることもあったが、大学四年に進級するころにはもうすっかり諦めていた。彼女彼女らしく生きてほしい、そう思えるようになっていた。

それはさておき、ここ半年ほどでとある女性に興味を持ち始めている。大学の友人の高校の頃の友人で、Twitter 上でしか縁のない人だ。顔も名前も知らない人に恋をする、なんともまあ現代っ子である

彼女のいわゆる裏垢は私の他数人のみがフォローを許されている。そのアカウントでは彼女の家庭の事情が語られることが多い。彼女はしがらみに負けずに自分らしく強く生きようとしていた。そこに憧れて、おそらく惚れている。

地理的には遠距離となるのでなかなか踏み切ることができていないが、一度会って話してみて、できれば交際したいと考えている。しかし、その段階になるとまた改めて恐怖を感じる。また付き合って、愛している人に暴力を奮ってしまわないか、そう思うとより積極性が削がれていく。

付き合ってみなければわからない、そう思ってはいものの、以前付き合っていた彼女の事例と同様あるいはそれ以上に悲惨事態に陥る可能性があると考えるとどうしても前へ進めない。自分自分制御すればいいのだけれど、それができる保証がどこにもないという事実が行く手を阻む。結局、母による支配後遺症に悩まされ続けている、あるいは、未だに支配から脱却できずに苦しんでいるのだ。今もどこかで、人を支配するには恐怖を与えるしかない、そう思っている自分が潜んでると思うと、とても付き合える気がしない。付き合いたいけど、付き合うのが怖い。感情が入り乱れ、よく混乱する。

付き合っていた彼女と別れてからは、きちんと好きな人を愛したい、そういった気持ちを強く持つようになった。死ぬときにはせめて、最後にしたセックスはどのようなものだったかをきちんと覚えてあの世に送られたい。

2016-12-10

瞑想を始めて分かったことがある

今年の6月に瞑想を始めて半年が過ぎた。

最近ようやく分かったことがあるのでここに書き留めておくことにする。

コミュニケーションには大雑把に言って2種類ある。

1つ目はほとんどの人が思い浮かべるであろう人との会話。(以下これを「表コミュニケーション」とする)

2つ目は私が「幻聴」として否定し続けてきたもの。(以下これを「裏コミュニケーション」とする)

コミュニケーションは通常の音量(60デシベル)くらいで行われる会話で、警察の取り調べやスーパーでの買い物、世間話などありとあらゆる場面で使用され

必要な場面では記録もされる。

一方裏コミュニケーションは大抵は小さな音量で行われ、表に比べて率直な(時には罵詈雑言表現がとられることがほとんだ。前者と同様にあらゆる場面で行われるが基本的には記録されない。

日本社会はこの2つのコミュニケーションがお互いにバランスを取り合って形成されているようだ。(海外は分からない)

表は「建前」裏は「本音」と表現しても差し支えないだろう。

私は自覚はないがとても大切に育てられたのだろう。「表コミュニケーション」が全てだと思っていた。

推測だが両親は「表コミュニケーション」を家庭で徹底的に教え込み、「裏コミュニケーション」は学校や外の社会自然と教わって欲しかったのだろう。

思惑が外れたのは私がとても内気で面倒くさがりで学校でただの1人も友達を作ることができなった点だ。

年をとるにつれて道行く様々な人たちからまれる「裏コミュニケーション」にただただ混乱した。

多くの場合自分に対する中傷だったが、時には両親を侮辱されることもあってかなり傷ついたのだと思う。

瞑想を始める前までは裏を幻聴しか認識できず、オロオロしたり泣きながら寝ることで逃避するしかなかった。

ヴィパッサナー瞑想自分感覚を実況中継すること、現象感情タグ打ちし確認することにより少しずつだが落ち着いて対応することができるようになったと思う。ただ「裏コミュニケーション」では罵詈雑言が当たり前のようで、未だに相手に対して悪口を返すのが嫌だ。自分が傷つけられる痛みと傷つける痛みを比べた場合、前者の方がまだ度合いがマシなのだ

例え眼鏡小学生男の子に「お前、ゴキブリ以下なん?」と言われたとしても「ゴキブリ生命力いからどの人間より上だよ」が限界だ。

それが裏コミュニケーションが得意な人々には物足りないのだと思う。彼らはどうやって自己嫌悪の痛みに耐えているのだろう。

また何か分かったことがあったら投稿しようと思う。

2016-12-04

性格悪いだけ。真面目でも正しくもない。

文を読む限りでは正しさについても大して考えていないな。ぬるすぎ。

他人マウント取るために使って、他人からマウント取られるのが怖くて、マウント取られまいと必死に真面目に振る舞ってただけ。

そうこうしているうちに自分の中の自分との間でマウント合戦が繰り広げられて、自己嫌悪

言葉定義も使い方も全てが酷い。真面目に考えていないのがバレてる。

まあ、あなたが何かに気づいて、感動したことは素晴らしい体験だったんだろう。

ただ、“私たち”って何だよ。

この私が気づいたことだから、見下していた皆様にも使えると思います!ってか?

自分性格の悪さを「真面目」「正しさ」だとかに置き換えて現実逃避してるようじゃ、一緒だと思うけどね。

ムカつくから書きました。世の真面目な人間や、正しさについて考え、戦っている人間と同じにされちゃたまったもんじゃない。

http://anond.hatelabo.jp/20161203200232

2016-12-03

「正しいことを幸せだと思っている」真面目さと、生きづらさの正体。

私はとても真面目だ。制服スカートを折ったことも無いし、メイクをして学校へ行ったことも無い。課題は確実に出していたし、授業中自分から話したり、先生に横暴な態度を取ることも無かった。

私は母子家庭で育ったが、祖母と兄と母と一緒に暮らしていて、親戚同士の仲も良好だったため、たくさんの人に愛されて育ってきたと自負している。小学生の頃いじめられ、中学校に入ってから全く学校に通えなくなった時も、母が私のためを思い「どうして学校に行かないんだ」と怒られたことがあるこそすれ、無理やり学校へ行けと怒られたこともなく、なんなら「中学三年間なんてこれから人生に比べれはちっぽけな時間なのだからゆっくり休めばいい。好きなことをしなさい」と言ってくれたおかげで、私は無事に高校へ進学した。

多少の家庭問題はあれど、それでも余るくらいに私は愛されてきた。ひきこもろうがどんなに反抗しようが、それでも常に私の心配をしてくれる人が周りにいて、私は本当に幸せ者だと思う。

だが、私は自己肯定感が低い。自分に自信なんて全くないし、取柄といえば真面目なところくらいだと思う。

こんなに愛されてきたのに、どうして私は自己肯定感が全くと言っていいほどないのだろうと、ずっと考えてきた。そして出た答えが、「真面目であること、そして正しいことを幸せだと思っている刷り込み式の考えにある」だった。

私たちは皆、努力すること、我慢すること、気を遣うことが美徳と学んできた。私も小さい頃からそう思って生きてきたし、うちはマナーにも非常に厳しい家庭だったため、それが当たり前だと思っていた。

確かにそれは素晴らしい考え方だし、共存必要なことであると思う。けれど我々は、その考え方にとても苦しめられているのではないだろうかと、今となっては思うのだ。

私は言いたいことを言わないと気が済まない性格で、物事をはっきりと言っている。喧嘩をするときもそうなのだが、いくら怒っても、いくら自分気持ち吐露しても、なんだかすっきりしないことに気が付いたのだ。

言いたいことは言っているし、きちんと相手にも伝わっている。「私はこれが嫌で、こうだからあなたがどうしてそういうことをしたのかがわからない」と、自分意思を伝え、相手も「そうか、わかったよ」と言ってくれているにも拘らず、気持ちが晴れない。伝えた直後はすっきりしていても、後々「あの時自分はこう伝えたけれど、本当に自分はそう思っているのだろうか」とまた思い直し、そうしてまた、相手改善してくれたことも、「やっぱりそれは違う」となり、それを延々と繰り返し、問題が全く解決しないのである

これについて私は、本当に長い間悩んでいた。「相手はちゃんと私が言ったことを受け止めてくれて、改善もしてくれたのに、どうして私は満足できないのか」と、常に自己嫌悪状態で、本当にこれだけで死にたくなるほど悩んだ。

悩んで悩んで、どうしたらいいのかと頭を抱えて悩んでいたある日、答えはふっと降りてきた。

いくら気持ちを伝えてもすっきりしないのは、本音を伝えていないからだ」と。

そりゃそうだろう、と思われるかもしれないが、そこで出てくるのが、「正しいことを幸せだと思っている」なのである

すぱっと言ってしまうと、私たちは常に正しさを基準に生きている。そしてそれこそが一番の問題なのだ

本音というのは、自分の本当の気持ちのことだ。喧嘩をし、自分気持ちを吐き出してもすっきりしないのは、「一般的な考えを踏まえたうえでの本音」だからなのだと思う。

私たちの中には、意識的しろ無意識的にしろ正しさが基準として根付いていて、「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない」と、どこかで自然セーブをかけているのだ。そのせいで、本音を言ってもすっきりしない、だって「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない。だからこう言ったほうがいいし、そのほうが幸せなのだから、という謎現象が起きてしまうのである

そしてそれが起こる原因は、「真面目さ」にある。真面目な人は、全てのことを正しいか正しくないか判断してしまう。それは、自分気持ちですらその天秤にかけてしてまうのだ。

それはとても恐ろしいことだ。どんなに嫌なことでも、ただ「正しくないから」「正しいから」と、そのふたつで判断されてしまう。この恐ろしさを、私たちは皆持っているのではなかろうか。

真面目な人が鬱になってしまうのは、これが大いに関係していると思う。仕事を辞めたくても、どんなに体調が悪くても仕事をし、学校に行き、頑張ってしまうのは、それが「絶対的に正しいこと」と思い込んでいるからだ。かくいう私もそうだったので気持ちはとてもわかる。自分では気付かないうちに、自殺という選択肢しか残らないところまで自分を追い詰めてしまうのだよね。

だらだらと書いてしまったので結論を書くと、「正しいことが幸せなのではない。正しくないことが不幸せなのではない」ということである

以前母と話したときに、私が「ホームレスを見ると悲しくなる」と言ったら、「案外あの人たちは幸せなのよ。縛られることもなく、気楽に生きていけるから」と言われ、そうかと思った。自分が思っているよりも、他人は不幸せなんかじゃない。本当に心の底から辛い人なんてそうそういないのだ。

「正しさを基準判断し、他人を不幸と決めつける人」に言いたい。

正しいことが、必ずしも幸せではないということ。正しくない人が全員不幸なんかじゃないということ。自分の「幸せである条件、または物差し」――たとえば死に物狂いで頑張ることとか――から外れている人が不幸だなんて、そんなことは絶対にない。

私たちは正しくなくていい。正しく幸せになろうとなんかしなくていい。

私たちには、「不真面目に幸せになる権利」があるのだから

2016-12-01

人生みたいなドトールコーヒー

今日は珍しく仕事帰りにドトールコーヒーに寄り、入口に掲げてあるメニュー表を眺めて決めたツナチェダーチーズレジで注文すると「品切です」と言われてしまって。

後ろに人が並んでるから適当に素早く選んだミラノサンドC、よくよく考えると今自分の口が欲してる感じのものとは違ったんだけど、まぁ仕方ないかぁと思って商品を受け取ってから、あれ?俺ホット頼まなかった?何故にアイスコーヒー?と気づいて店員さんに「あの、アイスコーヒー頼みましたっけ?」と尋ねると「え、あ、そうだと思いますけど……レシート拝見してよろしいですか」と返ってきて、いやレシートと実物ではなくて、その一個手前の手順、僕が口に出したものレジに打たれたものが違ったのでは……と思い苦笑したけどそんなことを説明するのは面倒だしホットコーヒー証明することは出来ないので「大丈夫ですもういいです」とレシート提示せずに席について、あぁなんか人生みたいだ、人生みたいな虚しさだ、と思った。

十一月末のアイスコーヒーと、欲しくもないミラノサンドC。もういいですにギリギリの嫌味を含ませたところで、結局は自己嫌悪に陥るだけだと分かっているのに。

疲れているからこんな態度をとってしまうんだと言い訳をするように、重そうなふりをした溜息が、誰に向けたわけでもない灰色の主張を半径150cmに振り撒く。

なあ、お前はなんで、今日を生きてる。

2016-11-06

はなまるうどん

バンドのリハ前に一人で食べてた

吉祥寺祝日夕方5時過ぎ

混む前で、店内ガラガラ

そこへ家族連れが入ってきた

お父さん、お母さん、推定3歳男児

お母さんのエルゴ推定生後6ヶ月の赤ちゃん

両親は推定30代前半

カジュアル服装ながら、だらしなくない

立ち振る舞いからも、なんとなく育ちの良さが表れている感じ

買い物帰りらしく、荷物で手がふさがっていた

注文前にテーブル席へ

「ここにしよっか」穏やかな口調のお父さん

椅子を引いて荷物を置いていると、推定3歳男児がポツリと

「ボク、ここイヤだ」

すかさずお母さんが「じゃあこっちにしようか」と隣りのテーブル席へ

お父さんもすぐに荷物を移動し始める

すると推定3歳男児

「ボク、ここで食べるのイヤだ」

グズる感じではなく、自分意思を冷静に伝える口調

お母さん「おうどん食べて帰ろうよ?お腹空いたでしょう?」

推定3歳男児「ボクおウチでおうどん食べたい」

お父さん、お母さん「‥‥‥」

このとき沈黙、たぶん3秒間くらいだったと思うけど、妙に長く感じた

自分だったらどうするだろう?

なんて言いくるめるだろう?

とか、

あゝちょっとした修羅場になるのかな、子ども泣くかな

とか

で、お父さん

「じゃあ、おウチ帰ろっか」

お母さん

「‥うん、おウチで食べよっか」

絶句した

いや、もちろん心の中で

休日の昼間の吉祥寺の人の量をご存知だろうか

渋谷新宿並と言っても過言ではない

推定3歳男児推定生後6ヶ月の赤子を連れて買い物してまわるのが、どれだけ骨の折れることか

我が家の1歳女児と恐妻に想いを馳せずとも、容易に想像できる

疲れているであろう

子どもが騒いでもわりと平気なはなまるうどんで、ササっと食べて帰る

自分ならこのプランの変更などあり得ない

帰って、オムツを替え、ミルクをやり、お風呂の準備、買い物の荷物の整理、その間も騒ぐ推定3歳男児相手をし、自分たちも着替えたり、なんやかんや

しながらうどんを作って‥

いや、ないない

はなまるうどんベストチョイス

それをあっさり捨て去った

理由も聞かずに

帰り際のお父さんの一言

「なんだよぉ〜、ゆっくり食べれると思ったのに〜」

この口調が大事

怒りでもなく、悲しみでもなく、嘆きでもなく、嫌味でもない

トホホ‥(苦笑い

こんな感じだった

お母さんは言葉は発しなかったけど、やっぱり苦笑い

衝撃だった

何を食べて、何を見て、どんな親の元で育ったら、こんな親に成れるのか

推定3歳男児の冷静な意思表示を思い返し、正に、この親にしてこの子ありなんだなと

次の日、娘を初めて動物園に連れていく日

行きの車内で娘が寝た

最近は、離乳食を食べない問題保育園に落ち続ける問題などで、心穏やかに過ごせる日が少なくなっていた

頼れる親もなく、初めての子育てに戸惑うことが多かった

特に離乳食問題は深刻だった

子の成長を願い、余裕のない中、時間をかけて栄養バランスを考え、愛情たっぷりに作ったものを吐き出され、

握り潰され、床に撒き散らされ、泣き喚かれる

それが連日続く

次第に追い詰められ、食事時間が怖くなる

さすがに見かねて、朝だけは自分が食べさせることにしていた

朝だけでも、相当堪えていた

出勤前、時間が迫る中、なんとかひと口でも食べてもらおうと焦る

からすでに疲労困憊で満員電車に飛び乗りる

そんな日が続いて、自分も余裕を失っていた

つい大きな声で叱ってしまったりすることが増えていた

互いを責めた

そしてお互いが自己嫌悪していた

このうどん屋の一件を、妻に話した

話し終えてバックミラーを見ると、妻が泣いていた

そこから、穏やかに過ごすにはどうすればいいかを冷静に、建設的に話し合えた

お互い至らなさを恥じ、反省した

相手への感謝を口にした

その日もケンカせずに動物園で目一杯楽しめた

子どもを連れてどこかに出かけてケンカせずに帰ってくるなんて、今までなかったかもしれない

その話、増田に書きなよ?と言われたので、書いた次第です

あの親子さん、ありがとうございました

腐男子だけど腐女子からBL読むな」って言われた

小さい頃から兆候はあったんだけれど中学に入って間もなく、もしかして俺って男が好きなのかなと思うようになって、

それからもうちょっと経ってから男だけじゃなく女にも興奮するとわかってから、俺って何なんだろうと思って、

そんなときたまたまブックオフで読んだ、スラダンスピンオフかなと思って手に取った本が二次創作ボーイズラブだった。

しか最初は「こんなものがあるなんて」と驚いたけれど、もっと続きが読みたいと思って、気がつけばこっそりBLを買うようになって、

俺ってやっぱり男が好きなのか、バレたらみんなから嫌われるかな、気持ち悪いと思われるかなと思い悩むようになった。

大学生の従姉妹の家に遊びに行ったときBLマンガを見付けて、もしかして理解者になってくれるかもと思って、

とにかく一人で思い悩むのが辛かった自分は従姉妹に、自分が男を好きかもしれないこと、BLをこっそり読んでいることを打ち明けると、

俺を否定せずに受け止めてくれて、それからBLマンガをこっそり読ませてもらうようになって、

うれしいな~と思うようになってからしばらく経った頃、従姉妹が俺をある場所に連れて行ってくれた。

いわゆる腐女子同士のオフ会で、そこにいけば俺の理解者がもっと増えるかも、という従姉妹心配りだった。

俺はとにかく緊張しっぱなしでオフ会に参加した。当日に突然の参加だったからみんな俺の存在に驚いていたし、

俺がBL好きであることを従姉妹がみんなに告げてから、しばらく口論っぽい感じになっていて、俺はだいぶ肩身が狭かった。

中でもひとり、大人の女性がすごく怒っていて、従姉妹も説き伏せるのに困っているようだった。

どうもその人にとっては、男の俺がこの場にいることが不快らしく、やっぱり男がいると変なのかなと思ってビクビクしていると、

その人が俺に向かって「もうBLを読まないでほしい」と言ってきた。なんでだろうと思っていたらその人によると、

「男はみんな、いつも女を性的に観て暴力を与えたり搾取したりしている」

BLにハマるというのは、性的搾取され続けた女が、自分意志で誰にも迷惑をかけず男を性的に消費することができる機会」

ボーイズラブにハマるのは女だけの特権。男がBLをハマるのは女から機会を奪うのと一緒。搾取行為である

「男がBLを読むのは間違っている」「男が男との恋愛に憧れるのは誤り」

といったことを、子供向けに噛み砕いた感じで言われてしまった。もちろん一字一句一緒というわけではないけれど、概要はこんな感じだったと思う。

見ての通り偏ったフェミニズムなんだけれど、なにぶん俺はそのときまだ13とか14そこらの子供だったから、

男が女を性的搾取とかフェミニズムとかこれまでの人生で考えたことなんて一切なかったし、そのときは緊張もしていたもんで、

しかも目の前で年上の女性が怒っているし、とにかく自分が悪かったんだと思って、「わかりました。ごめんなさい」とだけ謝って、従姉妹と一緒にそそくさとその場を後にした。

雰囲気は最悪だったので、従姉妹は俺に謝ってくれたんだけれど、俺はとにかく頭の中がこんがらがっていて、とにかく怖かったということだけ覚えていて、

それから家に帰ってひとりでいるときにあのことを思い出すと、急に胸が苦しくなって、喘息のように咳と涙が止まらなくなった。

パニクっていてよくわかっていなかったけれど、その頃は自分セクシャリティに関して思い悩んでいたこともあって、

面と向かって「男がBL読むな」「男が男を性的に観るのは間違っている」と言われたことはかなりメンタルに響いていたようで、

しかも「俺は女にも興奮できる男だから女の人に迷惑をかけていて、そのうえでさらに男を好きになるという悪を上塗りしているんだ」と思うと、

自分否定され、存在を誤りだと言われ、悪者にされた悲しみと、自分「悪」であることの自己嫌悪とがないまぜになったような感覚に落ちて、

誰に謝ればいいのか、これから自分はどうすればいいのかなんてことを考えて、とにかく胸が張り裂けそうでずっと咳き込みながら泣いていた。

その日から今まで親には内緒で買ったBLを、夜中にこっそり遠くのゴミ捨て場やどこかの側溝に捨てたりして全部処分した。

大学に入った頃には、自分がはっきりとバイだと自覚して、そもそもあの人の考え方がおかしいんじゃねえかとわかるようになり、またBLを読むようになった。

気持ちが上向けば幸せがやってくるのか、理解のある腐女子彼女もできたのでそれなりに充実するようになったのだけれど、

昔あったことを彼女に話すと、本当にわずかではあるけれど腐女子の中にいると、そんな主張をしている人を時折見かけるとのこと。

ネットで調べてみたら、あの日俺の前で怒っていたあの人と同じ主張をしている人がゴロゴロ出てきてビックリした。

てっきり、あの人はかなり特殊存在で、似たような人は二人といないだろと思っていたくらいなので。

ゲイバイ親でも殺されたのかってくらいの恨み節や、自分達のおかげでゲイ権利を獲得できたのだといった主張が並んでた。

これらの主張を読んでいるとあの日のことを思い出して、心臓がドキドキいって落ち着かなくなり気分も悪くなる。

考えてみればあの人にとって「男は女を性的搾取する存在」なので、「女を性的に見ない男」の存在自分達の主張を脅かすことになるんだろうし、

今ならあの人に反論することも可能だけれど、当時は子供だったのでしょうがない。

もちろんそんな主張をする腐女子なんかごく少数、多分フェミニストの中にだってごく少数なんだろう。

彼女が多少フェミニズムに噛んでいる関係上、フェミニスト人達意見を聞くことが多いけれど、

「私達のフェミニズム女性の権利向上や搾取撤廃は掲げているだけであり、男性から権利を奪ったりLGBT否定するなんてもってのほか

 とはい思想運動である以上、そういう主張が過激な人たちの存在否定できず、こちらとしてもとてもわかりあえず、悩みのタネ」と話していた。

女性が歩んできた歴史や現状を考えれば、俺は男性蔑視といった極端でないもので限りフェミニズム思想にはわりかし肯定的なほうなのだけれど、

それでもあの日のことを思い出すと胸がざわついて呼吸が荒くなるし、そのためフェミニズムを支持したくても複雑な気分になってしまい、心が折れてしまう。

まあフェミニズムがどうとか腐女子がどうとかに関係なく、俺はそんなに頭がよくないんで知識や考えが足りているわけじゃないけれど、結局言いたかったことは、

自分がどんな思想を持っていても、あんまり悪辣に他人セクシャリティ否定しないでほしいってことだけなんだよ。特に子供相手には。

俺は口が裂けても腐女子に対し「BLを読むな」なんて言えないし、そんな気もさらさらない。

時々、腐女子を叩くゲイも、本当にごく少数見かけるけれど、それもやめろよな。

ここまで書いて結構スッキリしたよ。吐き出すのって大事だねやっぱ。あんまりこういう長い文章書く機会ないんで、文章ヘタでごめんな。

2016-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20161026203726

何か理由があったとしても、それを不機嫌な真っ最中に吐き出してしまうと険悪な撒き散らし方になってしまうことがあるので、少し間を置いて落ち着いてから話したいか、もしくは吐き出さずに自分の中で押し殺そうとしてしまう人なのかも。

(吐き出したあとになんであんな怒鳴り散らしてしまったんだろうって自己嫌悪になるとか)

不用意につついてもイライラが増すだけで逆効果だと思うので、とりあえずその場は気にしないでおいて、そのうち少し落ち着いて機嫌がよくなったときにでもあの時は何だったの? とか聞いてみるとか、かなあ。

2016-10-24

生きててくれてありがとう

今の世界が息苦しい。

みんながこぎれいな身なりをして、それなりの生活を手に入れられて、生きてることなんて当たり前で、ああしなさい、こうしなさい、なんでそんなこともできないのって、求められることばっかり。

まわりの要求や、自分理想通りに生きられなかったら、自己嫌悪に陥ったりする。

「生きてるってすばらしい!」なんて言えるのは、バカ勝ち組か、どちらかなんだろうなって思う。

生きることは別にすばらしいことでもなんでもない。

人肌恋しくなることも、死が恐ろしいのも、生命インプットされた本能なのだから抗えない。

生きることはすばらしくもなんともないけども、生きることに必死なのが本能なんだから、仕方ないのだ。

時々、頭脳本能に勝っちゃって、自死する人間だっているけどね。

人生いか馬鹿馬鹿いか人間ならば自死を選んでしまうのも仕方のない話。

だけどやっぱり悲しいよね、残されるほうは。

やっぱり、生きててほしいって、思うよね。どんなに他人でも。

からみんな、こんな大変な世界で、生きててくれて、ありがとう

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