2016-08-25

母親に掛けられた呪いの話

私の家庭は両親が上手く行っていなかった。殴る、蹴るといった直接的な暴力は少なかったとはいえ、所謂父親から母親DV行為が行われている家庭だった。

何か問題が起きた時、決まって母親から聞かされる言葉があった。「男は馬鹿だ」と。

今となってみればそこには男性のものに対する批判性は少なかったと思うし、母親自身まり異性経験の多い方では無かったそうで父親=男とするのも無理は無かったのかもしれない。

だが、幼い子供からすればそうはいかない。ただただ額面通り言葉として受け取るしか術がなかった。母親への同情と同時に「この世の男は馬鹿クズで、軽蔑すべき対象だ」という刷り込みが行われていった。

私が女性であったならばただ男性差別主義者ミサンドリーとなっていただけだろう(勿論そういった主義を良しとする訳ではないが)。

しかし私は性自認を含め男性であるのだ。女性に生まれたかったと思う事は多々あるが、性自認の話とは別問題だろう。

これは男性に限った事ではないが、自己性別軽蔑するというのは大変生きづらい。

同性同士特有のノリ――異性関係における武勇伝であるとか、男性であるなら風俗ギャンブルの話であるとか、そういうものに対して特別嫌悪感がある。

時にはその嫌悪感は「男性である自分」へまで及ぶ事もある。

女性に恋をする事だってあるし、性欲も人並みにはある。しかし、「馬鹿クズ男性である自分女性に対してアプローチを掛けて良いのか?危害を加える可能性は?そんな事を考えると、男性嫌悪から飛躍して自己嫌悪にまで陥る。

女性への嫌悪を感じる事もある。

男性批判を行う母親はこの文脈におけるところの女性だ。そんな女性に少なから嫌悪感を覚えていたのだろう。

今でも、テレビ番組などで女性タレント男性批判をしている時、嫌悪感と同時にどうしようもない居たたまれなさを覚える。

ここまで来ると男性女性嫌悪している自分は一体何者なのかが判らなくなる。

母親からすれば家庭内の拠り所が子供しか居なかったのだろう。

その事に対しては本当に同情しているし、その時々で思いつく限りはサポートしてきたつもりだ。一般的母子関係よりも仲は良いとすら思う。

それでも、やはりこの刷り込みに対しては負の感情が大きい。これが無ければもう少し人生は変わっていたのだろうかと。

もしもこれから親となる方がこれを読んでいたなら、家庭環境悪化した際にはできる事ならば拠り所は家庭の外に作ってほしい。

最後の手段として子供にそれを求める事になったとしても、性別のもの批判してはならない。

幼い子供は繊細で、あなたの言う事を素直聞いてしまう。その、呪いにも近い言葉大人になっても克服する事が難しい。

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