はてなキーワード: 自己嫌悪とは
仕事中に眠気が来るとき、頭がジワジワジワァと、ぼんやりしびれるような感じがする。
頭のしびれるような眠気って俺はあまり聞いたことないから、うまく伝わるかわからないけど。
思考力が低下して、体の感覚が遠くなって、なんか酸欠になってるような感覚がある気がする。
日に2,3回かな?ジワジワしだすと、色々やってみるけどなかなか抗えない。つねる、飲む、話す、歩く、ストレッチ、洗顔とか。
俺は寝起きもそうだけど、力が入りづらくてうまく立てないような感じもある。
立ってるかどうか自分ではよくわからない感じになるだけで、生まれたての小鹿みたいな感じではあるけど一応立ててはいるんだけど。
なんとか休憩時間まで粘って寝ようとするけど、大抵いつの間にか落ちてて、長いと5分くらい、短いと数秒寝てるっぽい。
マイクロスリープってやつ? で、起きると割とすっきりしててそのあとは大丈夫。そして自己嫌悪。
眠くなるのは時間が割と決まってて、11時・14時・17時ぐらい。今書いて初めて気づいたけど大体3時間おきなのか。
小学生の頃から毎日最低2、3時間ぐらいは学校で寝てたから、単純に昔から24時間周期で日中通して活動するのが苦手な人間なのかもしれない。
体育の授業の順番待ちの数十秒で寝落ちとか、ブランコ漕いでて寝落ちしてずり落ちたりとか、
好きな授業寝ちゃって悔し泣きとか、粘土に頭突っ込んで寝落ちて周りに起こされたりとか、子供の頃だけでも寝ちゃって失敗したことが色々ある。
遠足に行ったり公園に遊びに行ったりしても隙あらば木の根元とかで寝てたからケーシィってあだ名つけられたりもしたし。
まあでも、今は20時まで仕事してるだけで3時ぐらいまで頭が興奮しっぱなしの感じで寝付けないから、多分単に慢性的に睡眠不足なんだろうなあ。
かといって睡眠導入剤もらって飲んだらロクに効かない上に翌日全く起きられないとか午前中使い物にならないとかで散々だったし、
貧乏でクズな親から生まれたけど金持ちの善人になりましたなんて話が持て囃されるのは結局、それがシンデレラは王子様と結婚しましたレベルの夢物語だからなんだよな。
雷に何度もあたったとか、宝くじに連続であたったとかそういうスーパーラッキーギネス記録として素晴らしいんであってそれを「この世界の摂理」って事にしてちゃおかしくなるんだ。
だけど世の中にはなんだか頭のおかしい人間が多いらしく、「そういう事」を「普通に起こせる事」だと認識して、親を言い訳にするなとか生まれが何だとか平気で言っておいて自分は生まれの呪縛から出てこないままでいる奴らがウジャウジャいる。
そうしてそういう頭のおかしい奴らの言動を利用して自己責任社会を作り上げた連中が、下層階級生まれの人間を「そうか、俺が自分の可能性を引き出せないのが全部悪いのだ」と納得させようと躍起になっている。
嫌な世の中だ。
自分の人生の限界を認識するだけで逃れられる苦しみ、自己嫌悪、そういった物に苦しんでいる人間が大勢いる。
中にはそういった気持ちから逃げ出すために自分より少し下の人間を必死にけなして気を紛らわせている奴らまでいる。大勢いる。
いよいよ近日中に就職出来るか否かのお知らせが、あるいはお祈りが届く。こんな時だけ間違いなく祈りというのは届くのだから、なんだか皮肉な話にも思える。
そして今は収入がない。来月生きていくのが精一杯。公共料金は滞納するだろうし、それでもギリギリなくらいだ。こんな懐事情になると、余裕がなくなってくる。あまり愚痴も言わないタイプで中に溜め込むタイプだし、周りの人間にも冷たく当たってしまっている。余裕のない他人にさえ、いつも分け与えられていた気遣いや優しさも与えられない。そんな自分に自己嫌悪してさらに状態は悪くなっていく。負のサイクル。お金が使えないから毎日起きては料理して人と会う予定が無ければ通信制限のスマホで暇を就寝まで不愉快に過ごすだけだ(だけど増田は重くないからいい)。
そんな日々の中でとうとう、今日は一睡も出来なかった。別に予定がある訳ではないから白昼堂々寝てやればいいのだけれど、動揺が大きい。なんとか寝る為にいずれも少なくはない酒をやりタバコをやりカモミールティーまで試して寝付けるよう試みたが、眠れない。なんなら通知が届くであろう日の占いを見て安心しようとさえした(7位だったろうか。新たな決意の日。今取り組んでいることとは別の事へのチャレンジになるでしょう、なんて書いてあった。合格するってことだし職場で活躍する自分をプランニングするぞ!と自分に言い聞かせられるほどの余裕はなかった)。今は5時30分くらいだが、逆に目が冴えている。はてな的に言えば大脳が壊れてしまったメンヘルなのだろうか。
面接を受けた求人は変わらず募集し続けている。まだいい人材を求めていますということだから、自分は弾かれたのだろうかとまた不安になる。
動揺してる。もちろん、落ちたらとりあえずはバイトでもいい訳だし、そのままハローワークに通いまた新たな仕事を探せばいい。20代なんてまだまだ何でも出来る歳だ。取り返すのにたくさん時間はある。不幸自慢をしたい訳じゃない。こんなスッカラカンな内容だけれど、書き残さずにはいられない気持ちだった。動揺してる。泣きじゃくる訳でもなく、怒りに満ちてる訳でもない。どこにも駆り立てられない焦燥だけが自分を支配している。それを自分ではどうしようも出来ず困っている、という話だ。だけど、ここに書いて少しは気持ちが楽になった。上記のどんな寝付く方法(酒タバコカモミール)よりも落ち着いた。ありがとう増田。もしここまで読んで下さった増田諸兄がいるのであれば、まずお目を汚して申し訳なかった。心配して下さる奇特な方がいらっしゃったなら、感謝と共にそのお気持ちをありがたく頂戴したい。糞だと思った方はただただ申し訳なく思う。全く興味なかったという方は、せめてもの償いで次の言葉を送らせて欲しい。ポケモンGO
私は、文系院卒(修士)だ。事情により鬱病を発症したが、それに伴い発達障害(未診断ではあるが、ADHDとアスペルガーの合併症の恐れがあるスペクトラム)の疑いも担当医に伝えられている。
再就職をするにあたり、自分の適材適所を探すべく、GATBやウェイス3、学生時代のアルバイト経験での失敗・成功体験を思い起こすも、いかんせんこの「成功体験」が思い当たらず、なかなか職種の見立てが出来ない。
思い詰めて悩みを、公的機関のキャリアカウンセラーや心療内科の担当医に相談したところ、「もう一度、学校に通ってみては。」という事だった。違う大学、他の研究科でも良い、コツコツと興味関心のあるものを研究出来る環境が一番、あっているのでは。と言われた。
結論から言うと、それは難しかった。経済的な事もあるかもしれないが、もっと悲惨な状況になっていたからだ。それは、勉強のコツが思い出せない、集中して勉強出来ない、といった私は明らかに学習能力が低下していたのだ。
因みに今、院試に向けて勉強している分野は遺伝だ。自分の発達障害の一件がきっかけで一度じっくり研究したいと思った。文系出身の学位で学べるアプローチが、某大学院研究科の「遺伝」領域だった。特定出来てしまうかもしれないので、これ以上は言えないけれど、自分が携わる事が出来る所(居場所)欲しさに、とにかく躍起だった。
けれども、ほぼ初めてに近しい理系の勉強は困難でしかなかった。恥ずかしいけれど、今まで出来ていた文系の受験勉強や、文系分野の研究に対する学習能力に、疑問を持つ程に理系の勉強が出来ない。理系と言ってもすべての範囲を網羅する訳では無くて、あくまで研究科で出題される「遺伝分野」だけ。にもかかわらず、自分はなかなか頭に入ってこない。
自分はこんなに馬鹿だったのか。今までの自分は何だったんだろう。鬱のせいなのかな。それとも、実は興味・関心が無いのでは…?
そんな自己嫌悪で一杯になった。
じゃあ、他に何かやりたい事や現実的に私が「出来る事」はあるのか?一から戻って考えても、私がやれる事(成功体験)は思い出せない。
他の何らかの進路に切り替える事が出来る選択肢が浮かばないのだ。
そうこうしている内に、受験申込の日程が迫っている。志望理由所は書けても、本題の基礎知識が頭に入らない。英語もある。小論文もある。プレゼンもある。もう、自分の頭の悪さに劣等感で一杯だ。
そこから連想して、「イケメンが好きなんだろうな」なんて思うのは容易いと思います。
某青い鳥をしていると「派手でうるさそう」「アニメに否定的な人が多いんじゃないの?」とか、ジャニオタの中でも「このグループのファンは学生ばっかり!」「あそこのグループのファンはマナーが悪い!」なんて言う人も少なからずいると思います。
私は〝ジャニオタ〟と聞くと「きちんと学業なり仕事なりをまっとうしている人」というイメージを持っています。
1年間でCDシングル2~3枚出して、CDアルバムも1~2枚出して、DVDも出して、コンサートだってあるし。
雑誌だって毎月出るし、年度末にはカレンダーも出るし、写真集だって出てくる。
CDも初回AだかBだかいっぱい種類があって、収録曲全部聴きたかったら全部買うしかないなんてこともしょっちゅう……っていうか毎回それです。
コンサートに行くにしたってまずチケット代、その手数料、交通費、グッズ代、コンサートのために新しく買う洋服代。
1グループでこれですよ、書いてて嫌になるほどお金が飛んでいく趣味なんですよね。
だからこそ、きちんと仕事をして収入を得ている人、バイトをこなす学生なんかが多いと勝手に思っています。
テストでいい点取ってお小遣いもらったから普段買わない雑誌も買っちゃおうかなとか。
なんていうか、少なからずリア充してる人の趣味なんじゃないかなぁ、と。
ここで言うリア充は恋人がいるだけではなく、現実の生活が充実しているという意味も入っています。
私もジャニオタです。
後述の事によってグループの印象を悪くしたら申し訳ないのですが、ジャニーズWESTが大好きです。
むしろ逆と言った方がいいのかもしれません。
今大学生なのですが、授業は満足に出られず、精神科と大学の学生相談室と教務課と担当教授の研究室を行き来する毎日です。
原因は私にもよくわかりません。今病院の方でテストや検査を受けている最中です。
毎日「ああ今日も授業に出られなかった」「どうして私は周りの人と同じことが出来ないのだろう」「なんで大学に入ったんだろう」「いや就職したってこんなんじゃクズすぎて即クビだな」と考えます。
色々な方に手助けしてもらい、なんとか留年退学休学は免れそうというのが救いでしょうか。
「休学した方がいいのでは?」という意見も聞くのですが、そこは私だけでなく実家の問題も関わってくるのでとりあえず4年間で大学を卒業するということが私の人生の最善となっています。
まあこんなんで大学卒業したって一般的な社会人になれるとは全く思っていないのですが。
一人暮らしということもあり自己嫌悪に陥っても慰めてくれる人はいません。
実家から通える大学に行けよという声が聞こえてきそうですが、一人暮らしもまた実家の規則なので許してください。さらに言えば同じ県内に住むことも許されていないのです。
実家の人は私の現状を知っているのですが、それでも私を家に連れ戻すなどせずに、一人で病院に行き一人で暮らし大学を卒業しろと言いました。
だって今の私ただの金食い虫じゃん。これほどまでに生産性のないクズを私は知りません。
それでも、ジャニオタなんです。
ジャニーズWESTが好きで仕方がないのです。
ジャニーズWESTを知ったときも私は不登校モドキでした。(公式用語で言う不登校の定義には入っていませんでした)
初めて見た時は衝撃でした。
彼らが映るテレビの画面だけが、鮮やかな色彩を放っていました。
まぶしいほどの笑顔をカメラに向ける彼らに、一瞬で夢中になりました。
それから私は貯めていた貯金をジャニーズWESTのために使うようになりました。
もう何が楽しくて生きてるのか分からずただ機械的に起きて食事を摂り眠る生活をしていたのですが、彼らのファンになってからは違いました。
「来月CDが出るんだ。それまで頑張ろう」とか「今日は音楽番組に出るからちゃんとやるべきこと終わらせて早く帰ろう」とか、前向きに物事を考えられるようになりました。
毎日ゴロゴロしてる私がキラキラな彼らを見るのはなんだか罪悪感を覚えるな、と思ったゆえの行動でした。
そうしたらそれまで全然できなかった友達が、急にぶわっと増えました。
「なーんだ、私普通に生きられるじゃん!」と、思っていました。
私のこの症状は一過性じゃないって、忘れてたんです。
ある日突然学校に行けなくなり、しばらくしたある日突然何事もなかったかのように学校に行けるようになる人でした。
ジャニーズWESTに出会って学校に行けるようになったのも、もしかしたらその時期と偶然一致していたからかもしれません。
それでも、それに気づいたときには私の中ではもうジャニーズWESTが神格化されていました。
「あの時、学校に行けるようになったのはジャニーズWESTに出会ったからなんだ」
「私にとってジャニーズWESTは命の恩人なんだ」
今でもその思いは拭えません。
ああ、そうですね、去年天使の衣装を着る曲がリリースされたのですが、まさにそんな感じです。
『 そんじゃみんな ノルか?ソルか?
任せときなさい! 』
『 ちょっと待った、迷った時
オレを信じろよ 』
仕事を頑張っている彼ら。
家に引きこもりな私。
こんな奴がファンなんて嬉しくないだろうな。
学校にも行けない、バイトでお金を稼ぐことも出来ない、ファンレターひとつ送る勇気もない。
それでも彼らのファンでいることはやめられない。
今までの人生で感じたことのないタイプのひどい鬱状態に陥ってしまい(ワースト3に入る)
よく考えたら、エビリファイを飲み始めてから、抗いようのない鬱に飲み込まれそうになっていたということに気付いて
(元々、軽いパニック症状のために通い始め、漢方薬を処方してもらっていたので)
(自分としてはパニック症状さえ落ち着けばよかったので、躁鬱の治療は特に希望してなかったです。鬱状態でもなかったし。激しい躁状態でもないと思っていたし)
(医者が、あんたそれ、双極性障害だよ!おくすりかえよ!って提案してきたタイプです)
(お医者さんとは、漢方薬でも鬱状態が治らなかったら大人しく、エビリファイに戻す、という話をしています)
エビリファイが抜け始めて、ようやく自分のことを肯定出来るようになってきた。
この2ヶ月ほど、自分のネガティブの元と向き合い続けて本当に苦しかった。
結局自己肯定感が低く「認知の歪み」があって、そのせいで鬱状態になるのだろう、
という辺りまではわかったけれど、その先にいこうとしてもどうも鬱の波に飲み込まれそうになって毎日あっぷあっぷだった。
けれど今日初めて「認知の歪み、という原因突き止められた自分はえらいし、この方向であってるから大丈夫」
と少し自分を認められたことで
ほっとした。らくになった。未来は明るいような気がした。
その他、エビリファイの副作用として上げられる「虚脱」状態も、服薬以来続いていてつらかった。
3分以上、立って人の話を聞くことが出来なくなっていたし、
事務作業も1時間が限界だった。寝転がるか、どこかへ走り出したくなるような状態が続いていた。
自分はもうすっかりダメ人間になってしまったんだなあと自己嫌悪がすごかったけれど
よく考えたら、エビリファイ以来だったので、その原因も疑ったのですが……。
医者には、「双極性障害の鬱状態に入っただけ。元々体調悪かったんじゃないの?」みたいな感じで一蹴されるし。
なんというか、この病気の人の自己申告は信じねぇぞ、という論調だったな。
というわけで、また双極的におかしいとか愛する人などに指摘されたら、セカンドオピニオン的に別の病院に行こうと思いますが……。
というか、エビリファイで鬱になってしまった私は、本当に双極性障害なんだろうか?とも思うんです。
でも病気の人ほど、ノーマルを主張するって云うし。考え始めるとまったくもってよくわかりません。
医者は「エビリファイは気持ちをフラットにする」と言うけれどわたしの場合はポジティブがこそげ落とされてネガティブだけが残ってしまいました。
それなら、気分安定剤を処方しよう、と言われたけれど、喜びも悲しみもなくなって体が虚脱するだけになりそうで、それが怖くて踏み出せなかったです。
自分の躁状態で、人を不快にさせるポイントが少しわかった(と思った)ので、
そこを気をつけて、謙虚に明るく、人に気遣いをすることを忘れないようにしていれば、
私が躁状態の時ってせいぜい、好きな音楽を聞いて「なんて……ッ天才ッ……なんだぁ!」って浸ったりとか
人のいないところで音楽さいこー!と思いながら、ちょっと走ってジャンプする程度のものだったりするんですけど……。
ここ3年での大きな買い物といえば、10万円弱の一番安いMacBookAirだったりするし
劇団立ち上げたい!音楽イベント主催してみたい!とか思っても、思うだけだし、
オフ会すら最近主催してないし、配信してみたい!と思ってもしてないし、
睡眠時間3時間程度で2ヶ月くらい創作し続けたこともあったけど。。そんなん、あるやろ?創作する人なら。
というわけで、長くなったのでまとめ
1)ただの愚痴でした。
3)エビリファイで鬱になることってあるの?
4)ワシ、ほんまに双極性障害やったん……?
以上!
自分を他人のように、静止画で捉えて、他の人や「理想像」と比較評価することです。
重大なことに、自己を評価するということは、見ているのはどんなに「今の」自分だと思ったところで、結果であって、過去でしかありません。
そうして自分の評価だけを追い求めると、人は今を生き未来に向かって生きる力を失うのです。
プライドを持てないときに、逆の自己評価、自分は駄目だという自己嫌悪が起きます。
それを引き起こしたのが他人だと感じると、「屈辱」感が起き、相手への怒りや憎悪が起きます。
全てが、「人間として善か悪か」という生き方、その中で自分にダメ出しをしたのが始まりです。
人に接する時に、「明るく喋っている自分の姿」を思い描く。恋人に会いたいという気持ちの中に、「その人を愛している自分の姿」がある。
それは、理性より深いところで、「自己を評価して生きる」姿勢が塊のように存在しているものです。
それを追い求めるべきもののように映し出したとしても、実はそれは自己への自信に導くものではないという自覚を持って下さい。
逆にそれが、自己嫌悪を始めとする破壊的感情を生み出した大元だと。
そうして静止画のような「姿」を追い求める気持ちが減るにつれて、「本当に自分がしたいこと」が見えてきます。
ある自分に「なる」のではなく、今なにを「する」かです。
「幸福」について、仕事の成功とか、結婚とか、友達に囲まれた暮らしとか、「イメージ」で考えるのも同様に無益です。
「こうあれれば」という硬直した姿を捨てた時、人間の多様性は愕然とするほどのものであることを感じると思います。
生まれた環境も、持って生まれた才能も容貌も、家柄の有利不利も。
その中で、何10万人に一人という恵まれた星の下で生まれたアイドルのような人と自分を比較するのは全くの無意味というものです。
アスペとADHDを併発してる夫に、カサンドラ症候群になって別居中の妻が最近言ったり送ったりしたことをまとめなおしてみた。
あなたはいつもデフォルトの「あなた」がしっかりとあって、基本的に寝て起きるといつも同じ「あなた」からスタートする。
昨夜言い争った内容も、私の涙も、出ていない結論も、あなたに訪れた幸運さえも、きれいに「解決」「終わったこと」になっていて、
「えっ、なにそれ?」「ごめん、思い出せない」「いつの話だっけ?」と忘れ去り、毎日まっさらな気持ちで気持ちよくニコニコ笑っている。
私はこんなに悶々と悩みを抱えているのに。まだ、何も解決していないのに。
どうしてあなたはそんなに幸せそうな顔でいられるのだろうと、私は静かに憤りを感じる。
そのことに、あなたは気付かない。気付けない。
でも、私の雰囲気の変化を敏感に感じて、だけどそれが何かわからないので、
「どうしたのー?」とニコニコしながら頭を撫でてもらっても、今は私の気持ちを逆撫でするだけだというのがわからない。
私が「今はやめて」と言ってしまうと、あなたはどうすればいいかわからなくなって、泣きそうな顔でフリーズする。
そして明日になって、今日が昨日になってあなたがリセットされるまで、身体的接触自体に消極的になってしまう。
あまりに純粋すぎるあなたを前に、私はまた罪悪感から自己嫌悪に陥ってしまう。
あなたが「昨日」を引きずるのは、心身の調子がとても悪いときだけ。
常に私が話すとその場その場では真剣に考えてくれているのはわかるのだけど、何かで気が散ったりしてその場で結論に至らなかった場合、話が翌日に引き継がれることはなかなかない。
引き継がれているとき=考えすぎて身体にも異常が出てしまっている(大体急に40度近い高熱を出す)ときなので、
あなたが苦手な分野の話をするのはとても億劫になるし、熱を出させてしまうと申し訳なくなる。
毎日リセットされるので、行動も思考もほとんど変化がなく他人に影響されない。
ブレない自分を持っているあなたは、その基準の中で厳格で明快な判断を下す反面、
まるで精密機械にように、同じ結果、同じ結論に達するために同じ経過を幾度も辿るので、何度も何度も同じやり取りをして、同じ失敗をする。
あなたは気付いていないかもしれないけれど、私からは、毎日同じ段差に躓き、毎日車輪を再発明してニコニコ喜んでいるような生活を送っているように見える。
だから、最初からできることは確実にできるけど、できないことはなかなか、時には年単位で時間をかけてもできるようにならない。
実は前の失敗を踏まえてアプローチの仕方が変わっていたり、つまずくポイントが微妙に違ったりして、あなたなりに変化が全くないわけじゃないのはなんとなくわかるんだけど、
一度失敗したら、気を付けていれば普通二度と失敗しないだろう。と思うようなことで何度も失敗しているのを見ていると、面倒くさくなって頼むのをやめたり、つい手を出してしまう。
私が手を出すと、あなたはペースが乱れて混乱し、蓄積されかけていた経験値はあっという間にゼロに戻る。
あなたの歩みを見守るには、私には忍耐強さが足りないのだと思う。
一つ新しいことを覚えるのに、時間をかけて体と脳に染み込ませる必要があるし、大抵のことはリセットされて翌朝には元に戻ってしまうので、
一緒に暮らしていて相手として、相手に影響を与えている感じがしない。まるでよくできたロボットと暮らしているような気持ちになる。
カレーを焦がさず作る練習の為に毎日カレーを食べ続けるのはさすがに苦痛だし、仮に特訓の果てにカレーの玉ねぎは焦げなくなっても、野菜炒めはやっぱり焦がしてしまうのがあなた。
特に苦手な、自他の心情や情動の絡むことになると、そもそも全く一般的でない、突拍子もない考え方でこれまで生きてきていたりして、
一般的な感覚やリアクションに至る理由が全く理解できなかったり、「その発想はなかった!」ということばかりのようで、教えようとすると大変労力がかかるし、それも徒労に終わることの方が多い。
すごく頼れてしっかり者で、同年代の人よりはるかに精神的に大人な部分と、普通の人は当たり前にできることができない小学生並の部分が混在していて、そのギャップが激しすぎる。
だから、「ただもう少し気を遣ってほしい」とか、「こういうことを察して行動して欲しい」というような小さな不満が、
元の不満が小さいからこそ、『なぜこんな簡単なことが何度言ってもできないのか、それは私が大切にされていないからではないか』とどんどん膨らんでいく。
診断がついて、頭ではあなたの特性によるものだと理解しているつもりでも、あなたの優秀な側面も知っているからこそ、「そんな馬鹿な」「できるはずだ」「私でもできるのに」と、どうしても心が納得させられない。
あなたがもっとポンコツで、スッパリ諦めがつけばいいのに、諦めきれない。
あなたが私を愛してくれていることは、あなたの態度や行動からとてもよくわかるのだけれど、
あなたの表明してくれる愛情と、そういった未発達な部分からくる対応の齟齬で、私の心はひどく混乱し、罪悪感や自己嫌悪に蝕まれ、疲弊する。
口に出して頼みさえすれば、なんでも喜んでやってくれるのはわかっているし、その都度私があなたに言うようにすれば家庭が円滑に回るのはわかっているけれど、
全部言葉にして言わなければ伝わらなかったり、項目や手順を紙に書いて掲示しなければいけなかったり、やってくれても思わぬところで失敗したりするのがしんどくて、つい、言うよりも自分でやってしまう。
伝える労力と我慢を天秤にかけて、我慢を選んでいるのは私自身なのだけれど、それでも不満が蓄積されていく。
もっと早く診断がついていれば、言わなければわからないものなのだと知っていれば、まだ言っていく方向に頑張れたかもしれないけれど。
ずっと「普通は察して自発的に動けるハズで、それをしないのはやる気がないからだ」と思っていたし、
「なぜ私ばかりが言うという労力を払わなければならないのか(なぜ分からないのか)」
「なぜ書かないとわからないし、今から書く必要のある話をするということも察せないのか」
「なぜ記録を残さないと忘れるのか」
「なぜコミュニケーションをするために、準備に労力を払って、テンポの悪いやり取りをしなければならないのか」と、今もどうしても思ってしまう。
普通じゃないのがあなたの魅力でもあり、弱点でもあるのに、私はあなたに私の思う「普通」であることを強く望んでしまう。
カウンセラーとのやり取りの中で、あなたがあなた自身あまり意識はしないままに、幼いころから自分はなんとなく社会の中で居場所を確保できなさそうだと気付いて、
時間をかけ、工夫を重ねて、人とは方法が違っても概ね同じ結果が得られるように様々なことを訓練してきたことを知った。
その結果、表面上「ちょっと変わった普通の人」風に振る舞えるように努力し続けて、今現在社会的に自立した生活を送れていて、
それが同じような特性による不自由さを持つ人たちの中では、カウンセラーや医師が投薬を渋って今後に期待をかけたくなる程度には上々の成果とされることもわかっているつもりだし、
実際、なにが問題なのかさえ正しく認識できれば、大抵のことをゆっくり解決に向かわせられるだけの自己分析能力も問題解決能力もあって、
生活を改善する意識もかなり高い部類であることも、本などに出てくる様々なケースを読む中でわかってきた。
けれど、それでも、私が無意識に求めてしまう「普通」と、あなたの演じられる「普通」には大きな隔たりがあって、その溝はきっと今後も埋まらなくて、それがとてもつらいし、不安になる。
選り好みしないとかじゃなくすごいかわいいコとも付き合った。(アイドルのたまご。最後にふられたけどエッチできたから超満足。)
別にこちらから積極的にアピールとかしなくても自然と仲良くなって食事とか行ってる間に付き合ってた。
ここ数年で5人と付き合って思ったけど、どうもゲーマーがモテる時代が来てるらしい。
仕事帰りにゲーセンで対戦とか楽しんでる程度で、むしろ仲間内では弱い方。
最初はガチなやつら同士が派閥作ってギスギスしてたから、それを何とかしようと色々な企画を考えたんだけど、それでそのうち女子も参加するようになった感じ。
始めは勝ち負けとか美学とかうるさくてまとめるのは大変だったんだけど、途中でコツを掴んでからうまくいくようになった。
そのコツっていうのはだいたいこんな感じ。
・強いのに勝ちにこだわり切れなくて最後に熱くなったり逆に冷めちゃったりするやつは応援を得やすくて盛り上がる。
・一匹狼の実力者は、ルールさえしっかりしていれば文句を言ってくることはない。
そういう人間達をただ単に対戦させるんじゃなくて、内々でトーナメントとかチーム戦とか組みながら戦わせてみた。
最後には勝者をちゃんと絶賛すればそれ以上空気が乱れることは無くなった。
ライバル心みたいなものもあるだろうし、お互いがぎゃふんと言わせたがってるから集合をかけると嫌がることは不思議とない。
むしろ彼らから話しかけてきて、つぎはいつやる?とか提案してくるようになった。
プライドとかあるだろうし、直接自分たちで話すのはいやだったんだろう。
途中、アナログじゃめんどくさいっていうのでLINEを使うようになった。
グループ作ってお知らせとか参加を集計して、その裏では個別に連絡とりながら人間関係のバランスを取ったりした。
そんなことを続けてたら少しずつメンバーが増えていって、気付いたら女子も入ってくるようになった。
最初は自分もガチ勢になろうと思って腕を磨いたりしてたんだけど、途中でやっぱり叶わないことに気付いた。
というか、大体にして無職やフリーター相手に時間が足りるわけがない。
それでも頑張って食らいついて、本当にあとちょっとのところで優勝を逃した。
それがあまりにも悔しくて、終わってからさっさと一人で帰ってめちゃくちゃ落ち込んでたら、女子からLINEが送られてきた。
すごく頑張ってたのに惜しかったねみたいな内容で、どうやら慰めてくれようとしたらしい。
ちらほら参加してることは知ってたから気になってはいたけど、どうやら相手も他に話せそうな人間もいなくて気になってたらしい。
ちょっとずつ仲良くなってご飯食べに行ったけど、普段の企画を組む苦労とかゲームの楽しさとか、勝て無かった時の悔しさとか自分の話ばかりしてしまった。
それなのに、ナイチンゲームみたいにすごく親身に聞いてくれて、何となく自分でもいい感じかもしれないって思った。
話を急に端折るけど、結局そのコとはしばらく付き合ったけど、ゲームのほうが楽しくてあんまり相手にしてなかったら捨てられてしまって、ゲーセンにすら来なくなってしまった。
その頃には別の女子が参加するようになってて、そっちのほうが好みだったからちょっと冷めてたのはあった。
それで前回の成功体験を自分なりに分析して、そのこの前での立ち居振る舞いを徹底した。
・負けたら大げさに悔しがり、でも相手のせいにはしないこと
・大きくくやしがる出来事があった時は、さっさと先に帰ること
そうすると狙いの通り、帰り道にその女子がからLINEが入った。
そのまま踵を返して合流して食事。その間、書いた通りの立ち居振る舞いを徹底して演じた。
そうするとそのコもいつまでも親身に聞いてくれて、くやしがる度に優しい言葉をかけてくれた。
ただ、付き合ってみるとリスカ癖があったり病的に心配症だったり自己嫌悪が強すぎる面があったので結局は長くは続かなかった。
それからは最低限地雷を持ってないかだけは確認するようにしている。
自分なりに分析をするに、どうもこれはヒモ男の心理が作用しているのだと思っている。
・夢がでかい。
・でもなかなか成功しない。
・かといって人が悪いわけじゃない。
→応援したくなる。
もちろんそんな人間を気にかけてくれるのはそもそも奉仕の精神がある女子に限られるので、希望の相手と付き合うことができるかと言ったら別だ。
ただ、とりあえず誰でもいいから彼女が欲しいのなら、むしろそういう女子のほうが付き合う上では楽なことのほうが多い。
(分かれる時も相手のせいにし易いが、後々面倒なことにならないように配慮が必要)
しかも、大体にしてそういうのにひっかかる女子はほとんどが学生だったり社会に出たてだったりする、いわゆる経験の浅い女子だ。
ゲームそのものもジェンダーレスな雰囲気が作られてから比較的日が浅いということもあるだろう。
自分はさんざん食い散らかしたからもういいけど、こんな言い方はしたくないがまさに入れ食い状態とはこのことだろう。
女子にとって見ても、俳優とか芸人とかミュージシャンくずれのヒモ男とかに比べればゲーマーのほうが幾分か健全だ。
博士課程学生、学振持ち(年収240万)、借金持ち(奨学金400万)。同期の中では研究上手く行っているほうで、論文も書いているほうだと思う。だけど研究者の競争社会の中ではまだ業績的に下っ端だから、この待遇は仕方がないと思っている。永遠に続く競争の中で、大発見を夢見ながら、業績を溜め続け、生き残り続けるのみだ。大変だけど、楽しくて、今この生活には満足している。
だけど、ふとした時に、自分がもし就活をしたらどうなっただろう、という事を考える。自分は英語もできるし、プレゼンもかなり得意な部類に入る。エクセルも使いこなせているほうだと思うし、プログラミングも、得意ではないけれど、基礎的なレベルでは使えている。締め切りを破ったことはほとんどないし、計画を立ててマルチタスクで仕事をこなすのも得意なつもりだ。正直、新卒で就活をすれば、業績が無くてもスキルだけで結構いい会社に入れたのではないかと思う。まぁ、「性格的に会社員に向いていない」という点が致命傷なので、結局そんな世界は存在しえなかったとは思うけれど。
で、先日同窓会で久しぶりに会った正社員の友人たち(20代半ば・給料は自分の2倍)。興味深いことに「会社の働かない高給おじさん」に関する愚痴で盛り上がっていた。無業績でたまたま新卒で正社員に採用されただけで、終身雇用年功序列の既得権益の恩恵に守られている、同じ穴の狢の彼らが、そのような批判を展開していることが、自分には滑稽に見えてしょうがなかった。と同時に、それが滑稽に見えてしまった自分に自己嫌悪を感じながら、世の中には見えていない格差が存在するのだということを確認して悲しくなった。
自分が嫌いだ、私はゴミだと言うと、「じゃああなたの友達はゴミを好きになったってこと?失礼!」
みたいな流れをよく見るけど、ほんとにその通りだと思う。
ゴミを好きになっているから「なんでこの人私に話しかけたり遊びに誘ってくれるんだろう」って
いつまでたっても不思議に思う。
私のことをよく分かっていないんだろうな、誰でも平等に誘うタイプなんだろうな、と考えて、
相手に悪いので段々と断ってフェードアウトするようにしている。
自分の事を好きだと思える人は、どうして好きになれるのかまったく分からない。
全部が悪いわけではないけれど、自分の嫌な面について自分が一番知っていて、
どうしても好きになれないし、人としてクズだと思う。
特に、自分の機嫌が悪くなったり、人とうまくコミュニケーションできなかったり、
うまくペースを合わせられなかったときに、相手への申し訳なさから自分をクズだと思う。
人の幸せをよろこべない、人の不幸をざまあみろと思う、人に対して死ねばいいと思う、
どうして子供がありながら不倫している人は、自分が死ぬほど嫌いにならないんだろうか。
私なら自己嫌悪がひどすぎて、たとえ一時の幸福や承認欲求を得られたとしても次第にうつになると思う。
自己嫌悪に陥っているだけならまだいいけど、他人に迷惑かけるとかほんとに死ねばいいと思う。
これまで二十数年間生きてきたけど、自信を持って頑張ったと言えることが何一つない。
いつもギリギリになるまで動かないし、自分のできる限界までやり切ったことがない。
要領よくこなすから周りからの評価はそれほど悪くなく生きてきて、良い大学にも滑り込んでしまったけど、何も中身が伴っていない。
口では偉そうなことばかり言って自分をよく見せようとするけれど、虚勢でしかない。
大学に入ってからも、テストはぶっちするし、プレゼンはなにも用意せず、その場しのぎで済ませる。
いつもギリギリで生きている。締め切りに追われなければ何もやらない。すぐに寝る。
とうとう人に迷惑をかけるようになった。今までも迷惑かけてないと思い込んでいただけで、親や友人には迷惑をかけていた。
部活の時だっていつも時間ギリギリに行動していた。毎朝だって時間に追われて生活している。今もレポート課題やテストに追われている。
そして、締め切りギリギリに終わらせて表面的にはやることがなくなると、だらけて何もしない。
まかり間違って良い大学になんて入ってしまったから、自分の実力と乖離した評価を得るようになって、そのギャップを埋めようと表面だけ取り繕っている。
自分はクズだと言っても周りの人間はそんなことないと言ってくれるからそれに安心して甘えてる。そして何も変えようとしない。
リア友をツイッター上でぬるヲチしている。フォローフォロワーの関係ではない。
友人は、街中や電車内で見た人・ツイッター上で出会ったマナーがなってない人に関する口汚ない愚痴がとにかく多い。時には私を含めたリア友の愚痴も見かける。
それらは自身を棚に上げたものが多く、大体がブーメランとして友人に返ってくる。
例えば、「テーブルに肘ついて食事する人は許せない!マナーのなってない人は不快!氏ね!」と言っている自分の左手は、食事中皿に添えずにダラリと下がっている……といったような、枝葉は違っても根底はあなたも彼らも五十歩百歩だよね?って感じるもの。
自分をちゃんとした大人だと思っている様子だけど、その身が大量に刺さったブーメランでサボテンのようになっていることに気付いていないらしい。
鍵も掛けずにそんな発言をするものだから、批判の対象が容易にそのツイートを見られちゃうんだよね。しばしばヘイトを集めては落ち込んでいるみたい。
我が強く、自分の考えが社会の常識と考えている節があるが、その反面、自信がなくちょっと非難されただけで気に病みやすい。
恐らく、SNSにあまり向いてないタイプ……と言えば分かりやすいかな?
友人と私は似ている。
私も過去、上記のようなツイートが多かったけれど、友人がツイッターを始めてから、友人のツイートを通して自分の痛々しさを客観的に見ることになり、自己嫌悪でもんどり打って転がる日々が続いてやっと、そんな発言は減っていった。
友人よありがとう、君が汚い言葉で文句をたれればたれる程、君が密かに見下している私の外面はどんどん綺麗になっていくよ。自己嫌悪は加速するけど。
類は友を呼ぶの法則か、私の周りにはこういうタイプが結構いる。きっとみんなのTLにもひとりふたり居るんじゃないかなと思う。
痛々しくて直視するのはしんどいし深く付き合いたくはないけれど、なんとなく動向が気になる人、みんなどうやって付き合ってるの?
ましてや人にイライラをぶつけるなんて信じられなかったんだけど、
なんか携帯会社の料金体系の不誠実さにうんざりして久しぶりにイライラしてしまった。
誰かにイライラをぶつけて、誰かを凹ませたらなんか落ち着くような気がした。自分と同じようにイライラする人が増えたら自分だけじゃない気がして落ち着くような気がした。
その行為は世界の不幸を増やすだけで、自分にも誰にもメリットもないのにそうしたら気持ちがいいのだろうな。とぼんやりと思えた。
自分の性格からしたら、その行為をしたあとに自己嫌悪で最悪の気分になるだろうが、それでもなお今は誰かにイライラをぶつけたらスッキリするような気がした。
これだけいろいろ考えてもなおイライラを誰かにぶつけたい気持ちは残るってことを考えると、
刺激に対してあまり考えない人なら、そりゃイライラを人にぶつけるだろうなと納得した。
でもそれと同時に、
こういう衝動にかられた時に、その衝動に素直にのって人にイライラをぶつけるなんて、本当に何も考えられないバカなんだなと思って、そういうことをする人に対して軽蔑する気持ちも深まった。