食事をとらないでいたら、倒れた。一週間で3,4kg痩せたことが上司に知れ、その日のうちに職場の臨床心理士と面談。その中で私の過去の話になった。
小学生時代、私は勉強ができる子供だった。大人たちからは「末は博士か大臣か」というような感じでかわいがられていた。中学生になっても勉強を苦に思ったことはなかった。やればできる、という感触は快感だ。私は一日に何時間も机に向かった。教師はこのままがんばれば県で最も偏差値が高い高校にいけるだろうと言ってくれた。
中学三年生の秋頃、私は精神的に病んでしまって不登校になった。
いじめというほどでもない。ただ、授業中に男子が大声で行っていた格付け。横を通りすぎるたびにひそひそと笑ってくる集団。そういうものに耐えられなくなった(彼らはしたことを覚えてもいないと思う)。そのとき家では母親が父親の悪口をこぼしており離婚するとかしないとかで揉めていて、逃げ場がなかった。心療内科にかかったら自律神経失調症と軽症うつ病の診断が下って、頭がぼーっとする薬を飲みながら、それでもなんとか受験勉強は続けていた。勉強が好きだった。不登校といえどテストだけは保健室で受けさせてもらっていたのだけれど、順位が落ちることもなく、これなら志望校のランクを下げれば大丈夫だという教師の言葉が支えだった。
受験当日、会場である高校にひしめく制服姿の人々を見たときの恐怖をいまでもはっきりと覚えている。私は受験できなかった。逃げるように帰って、公立の通信制高校に入学した。
通信制高校はつまらなかった。中学生レベルの授業とレポートを規定分提出すれば卒業できる。この時期のことを思い返すたびに灰色すぎて笑えてくるのだけれど、ほんとうになにもなかった。いや、あったのかな。同年代の男子がトラウマになった結果、バイト先の同性の先輩と一瞬だけ付き合った。普通の高校に進学し文化祭がどうのこうのと連絡してくる友達を切った。劣等感と自己嫌悪がつねにうずまいていた。
高校三年生で、さて、進路はどうするかという話になる。通信制高校が行う進路に対するサポートというのは非常に淡白だ(少なくとも私が通っていた高校はそうだった)。大学受験しようかと思ったけれどすぐに無理だなと諦めた。普通の高校に通っている友達の勉強の話に、私はすでについていくことができなかった(自分から行動しなければ模試などないので、あの頃はそれだけで自分の学力をはかっていた)。受験して、頭のよかった自分がすでにどこにもいないのだと確認することが怖かったという理由も今になって思えばあったのだろう。
母親は「×××になれば?」と言った。資格があれば食いっぱぐれないだろうと。確かに大学よりも専門学校の受験ははるかに簡単そうだった。実際、一ヶ月勉強しただけでその学校に入学することができた。
私が×××になったのはそれだけの理由だった。専門学校は楽しかったけれど、実習は大嫌いだったし自分には向いていないとそればかり感じていた。信念をもって×××を目指している同級生に罪悪感を覚えたことだって何度もある。
と、まあ、そんなような話を。泣きながら。
心理士は「過去のことを引きずっているところがあるでしょう」と言った。そんなことは当の本人である私がいちばんよくわかっている。「集団恐怖の経験があるから、今、職場にきて不必要に緊張するんじゃないかなあ」「辞めるのはいつだってできるけれど、それじゃあ根本的な解決にはならないよね」。
じゃあ、どうすればいいの?と聞きたかった。聞けなかったけれど。あーあ、あのとき、中学生のうちに死んでおけばよかったなあ。というか死ななければならなかったのだ。
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いじめによる自殺が報道されると「死ぬくらいなら逃げろ」という大人たちがいる。それをきくたびに私は無責任だなあと思う。逃げた先で助けてくれる大人がほんとうに少ないことを知っている。むしろ、逃げたらひとまず問題は片付いたかのように考えている大人が大部分ではないのか。学校から逃げたところで劣等感からはずっと逃げられないのに。
私は「死ぬくらいなら逃げろ」とだれかに言ってあげることができない。
辛いですね。 逃げようにも、逃げることが出来なかったのでしょう。 もしかすると、人を助ける側の仕事についてしまったのでしょうか。 福利厚生が整っているのであれば、社会保障...