はてなキーワード: 大学入試センターとは
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
これの続きで理系科目版
もう一度言うが子を持つ親へ。難関国公立に行ってほしいなら中学受験させろ。
国公立ギリギリ合格ライン層への配慮が復活し、教科書に毛が生えたレベルの問題も散見された。去年はこの層の選抜としてほぼ意味をなさない難易度だったので良い傾向。しかし整数問題では中学受験でおなじみの問題が出題され、今年も中学受験経験者とそうでない人で差がついた。これで2年連続出題だから、大学入試センターは明確に中学受験経験者を優遇するつもりだろう。世知辛い。
本質を理解している人には笑いが止まらないほど簡単に見えるが、公式暗記と典型問題演習で乗り切ってきた人には難しく見えたはず。しかしほとんどの高校のカリキュラムは公式丸暗記と演習を前提とした作りになってるから、泣きそうになりながら解いた子も少なくないはず。予備校関係者が言うのも何だが、学校外で課金して物理を学べるエリートを優遇するというメッセージか。これも世知辛い
時間が厳しいと感じた人が多かったのでは。帰り道で「化学終わったwww」という声がちらほら聞こえてきた。物理or生物→化学で解いた人と、逆の人で差が出てしまいそう。こういう不平等というか運ゲー要素は共通テストの理念に反しないか?と思う。
実質、情報処理能力試験になっていることへの批判は多いが、個人的には賛成派である。各科目における情報処理能力は、長期記憶に蓄積された知識や経験の量が物を言う。つまり勉強を頑張ってきた人は早いし、そうでない人は基本的に遅いからだ。
まだ共通テストという新しいテストの試行錯誤の途中で、色々実験してデータを取っている段階という印象だが、今回は国公立ギリギリ層の選抜としても機能するような問題構成が多くなったのは良かったと思う。
【独自】来年からの共通テスト、スマホは一斉オフ・イヤホン使用禁止…流出の女子学生が使用
今年1月の大学入学共通テストでの問題流出事件を受け、大学入試センターは来年の共通テストで不正防止策を大幅に見直し、スマートフォン使用禁止の厳格化や監督態勢の強化を図る。問題を流出させた女子受験生(19)が、スマホにイヤホンをつなげ、外部協力者から解答を聞き取っていたことから、受験案内にイヤホンの使用禁止も新たに明記する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d61cffc22e689d18aded0a5f571472cd6b8a51aa
コアな立憲支持者ではないが、あまりにもこれまで出した政策などを無視した批判が目立つので、一つの参考としてここ2年のうちに提出された法案一覧を記す。話題になった国民民主党も共同提出している法案と、しなかった法案も付随。リンクたくさん貼れないので法案の詳細は下記リンクから確認してください。
https://archive2017.cdp-japan.jp/tag/%E6%B3%95%E6%A1%88%E6%8F%90%E5%87%BA?page=1
https://cdp-japan.jp/visions/submission_bill_by_diet_member
タイトルの通り。筆者は高校の教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テストの方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやすく解説していきたい。
わかりやすくとはいえ、大学入試の古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典の知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。
問題や解説・予備校の分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。
https://www.toshin.com/kyotsutest/
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf
以下は教員仲間とのディスカッション用メモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。
まず、第三問の古文。
センター試験から変わると事前に予想された、複数の文章や会話形式の選択問題はなかった。
本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章の入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。
・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。
・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの。
これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ「文学的な文章の鑑賞」つまり「作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。
・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。
・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念「無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)
・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。
・また、過去の試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力を古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である)
これだけでも十分すごいが、続いて漢文。
こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通のテーマの文章ふたつの出題である。
・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題。
・とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。
・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。
・漢詩の押韻の知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題。しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。
・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。
・文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補は「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。
・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。
・しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのである。しかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。
受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり、受験生の心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。
・よって受験生は文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程を要求される(というよりも問題側から誘導されてゆく)という問題の構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である。
このように、古文・漢文ともに「受験生に思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生の思考を多角的なものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。
また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題の誘導する深い思考に対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路が設計されている。学力を測る目的の大学入試問題としても適切である。
センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報を多面的・多角的な視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術的知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育の現場から、惜しみない賛辞を送りたい。
・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう。自分にとっても、いろいろ考える機会になった。
・別記事で「古典を義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。
https://anond.hatelabo.jp/20210222160532
この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……
古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています。
古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります。
・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすくしました。
こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくまで論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。
よくある誤解だけど、国語の入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情・センス」ではなく「論理」になっています。
もしかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。
石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分の現代文指導の根本にある本です。
解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。
解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典の学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います。
これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数の問題でも非常に数学のエッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。
新共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問のエッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています。実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。
今回の共通テストはセンター試験の名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃんと多角的な思考力を問う内容になってる!
そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさらに進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすいものになっています。
それもあるし、これを見た高校の先生は「知識だけでなく、学問的な思考の方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります。
大学入試改革は、高校入試改革の嚆矢としての役割を持っているので、この方向性は国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います。
古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来の人達に私達の心情とか踏まえて歴史を理解して欲しいって思うもん。
こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います。
今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンターや共通テストが良問であるとされる所以ですね。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210118/1000059123.html
今回の共通テストでは、受験生は会場で正しくマスクを着用することが求められていて、大学入試センターは、「次の注意で無効になる」と告げたあとも応じず、「試験場で監督者などの指示に従わない」という不正行為の要件に該当したと発表していました。
関係者によりますと、この受験生は40代で、監督者の指示に従わなかった際の対応に加えて、最終的には不正を告げられると会場内のトイレに閉じこもり出て来なかったことから、かけつけた警察官によって退去させられたということです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50356620Y9A920C1CZ8000/
> 大学入試センターから民間試験の成績の提供を受けられないようにする措置
これは「ペナルティー」ではないのでは?
「使いたい」と思っているわけではないのだし.
すべての大学(国公立大学.私立大学)が2020年度の入試で民間試験を使わないと宣言したら,
とりあえず2020年度の入試についての問題はだいぶ単純化される.
あとは2024年から民間資格・検定試験に一本化というのが延長されれば良い.
「民間試験を使わなかったので,補助金停止」が後付で来るリスクを選ぶか,
「民間試験を使うことにしたので,受験生が減った」となるリスクを選ぶか.
試験を準備する側としても,何人の受験生が受けるのか分からなければ,対応が難しい.
当然の措置のように思う.
結論: すぐには無理だった
今年の1月19日と20日に行われた大学入試センター試験を受験した。このセンター試験の結果は事前に申し込むと4月以降に大学入試センターから送られてくる。
しかしながら、センター試験の成績が使われる国公立大への入学試験の出願は2月上旬頃に締切となり、そのための志望校選びにセンター試験の自己採点を行う必要がある。(国公立大志望にかかわらず多くの人が自己採点をしていると思う)
勿論、自分もセンター試験の自己採点をした。だが、よくよく考えてみると大学入試センターはセンター試験後に平均点などを早めの段階で発表している。(中間発表だが、25日の時点で544,782人が採点済みとなっているためほぼ採点済みと考えてよいと思う)だったら自分の答案も採点済みだろうし、どうにかして成績データを得ることはできないのだろうか、といろいろ調べたところこのようなページを見つけた。
これは面白そうだと思い早速準備して大学入試センター宛に送ってみた。
数日後、大学入試センターから電話が来た。受理されたかと思い、意気揚々に電話に出たところ、「申し訳ないが、成績開示はできない」と言われてしまった。何故なのかと聞くと「公平性を期すために3月下旬までは受け付けていない」と言われた。言われたものは仕方ないのでそのまま指示に従った。
結果として以下の事がわかった
センター試験も終わりが近づいている。いい加減重い腰を上げて、Web等で2月頃に成績データが見れるような環境を作って頂きたいものだ。
昨今、官への働きかけに余念のないベネッセコーポレーション。文部科学省に絶大な影響力を持つ慶應義塾元塾長・安西氏との癒着関係や、元文部科学省事務次官の天下り受入れ(役員待遇)について指摘が相次いでいる。最近では、文部科学省が招聘した外国の有識者の旅費と報酬を肩代わりしたという報道も記憶に新しい(不正無しと文部科学省が結論)。
一方、そのような文部科学省との強い関係により、ベネッセは十分な果実を得ているように見受けられる。全小中学校で全生徒を対象に行われる「全国学力・学習状況調査」を受注したり、大学入試センター試験の後継となる新試験(2021年導入)においてベネッセが実施する英語試験「GTEC」の結果利用が認められたりと。だからといって不正とは限らない。法令に反しない範囲で行っていることであろう。しかし、このような濃厚すぎる蜜月は、「国民の見えないところで取引が行われている」という疑惑をかきたてたままだ。
新宿に「株式会社 学力評価研究機構」という会社がある。なんともいかめしい研究機関のような名前であるが、通常の株式会社であるようだ。名前だけからすると、ベネッセとの関わりは見いだせない。
https://www.crlea.co.jp/company.html
2017年創業の新しい会社である。ウェブサイトには従業員数や取引先など詳しいことは何も書かれていない。あたかもペーパーカンパニーのように見えるが、そうではない。事実として、設立直後から文部科学省関係の事業を次々と落札し、受注しているのである。
https://www.crlea.co.jp/company.html
代表取締役社長とされる服部氏は、プロフィールも何も書いていないので同一人物とは断定はできないが、ベネッセ社員に同姓同名の者がいたことがわかる。
本社所在地住所は、ベネッセ東京本部新宿オフィスや、多くのベネッセグループ会社が居を構えるところとまったく同一。仮に上の者が独立・起業したにしては不自然である。
以上から、同社はベネッセの子会社、あるいは子会社相当のグループ関連会社であると強く推測できる。重要なのは、容易に推測できるにもかかわらず、それをウェブサイト上どこにも明らかにしていないことである。一見、ベネッセとは無関係の社名であるというだけ。不正の要素はどこにもなく、今後疑惑を投げかけられたとしても、「隠していない」として逃げる準備はできているということだ。
文部科学省側としては、「すでに社会の批判を受けている以上、なんでもかんでも業務をベネッセに丸投げするわけにはいかない。一方で、信頼関係・利害関係のあるベネッセに仕事をお願いしたい。中身はベネッセで、看板だけ別という会社などないだろうか」
ベネッセとしては、「文部科学省とより強い関係を築くためには、合法ならば手段を選ばない。別会社をひとつ作るくらいは造作もない」
……そんなところだろうか。
この推測が現実に当てはまるか否かは増田読者諸兄の判断にゆだねたい。しかし、頭皮はともかく考えていただきたいのは、近年の文部科学省とベネッセの激しく緊密な官民関係を良しとするか、ということである。本件のふしぎなベネッセ関連会社も、すでに、確実に、その強化へ連なっているのだ。
前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。
その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会の対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テストの記述式試験を大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法の採用を後押ししてしまっているという点にある。
いくつかのコメントに飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。
しかし、その一方で、私は文科省も国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的か無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解やバイアスや資質の問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。
これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身の言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。
今回私が批判したいのは、8月19日付朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である。
前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。
はじめに結論をかけば、
氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法の問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。
私が特に重要視している記事の記述は次の2つの記述に集約されている。
この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省の有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。
私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述式問題において何を問うかという点に関する検討・理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである。
特に、「文章を理解し説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者が可能になったと断定している点である。
国公立大学の二次試験の国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章の記述の内容把握や根拠説明を要求するものになっている。
一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学(2016年度だと例えば滋賀県立大・静岡大・首都大学東京・島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語の試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。
では、新共通テストの記述式問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。
国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識・技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報を多角的な視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力・表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)
とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句は一見氏岡氏の記述に合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分の言葉で説明することを指していると通常は解釈するように思う。
実際、
「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の記述式問題については、現在、国立大学の二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力の評価と採点等テスト実施に当たっての課題の解決の両立を目指す。(p.56)
と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。
つまり、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性・芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。
仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、
「自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。
では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。
解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。
ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。
というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものだからだ。
全国共通試験への記述式・論述式問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、適切にその能力を評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧もあり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。
これは、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテストの場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力を評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述は国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。
また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テストの問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故の発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年(1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述や自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいかを記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである。
「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事の記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。
しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。
読売新聞が8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。
国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。
これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。
「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。
上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?
また国公立の二次試験を見ても、単独で200~300字の記述を要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である。
もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。
といったことだ。
しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告からは乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。
実は、国立大学協会の論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。
そもそも、記述式・論述式問題に評価すべき能力をいかに構造化できるかは、根源的な課題である。評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識やノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力の構造化に向けた記述式・論述式問題設計の理論構築、体系化が喫緊の課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学の個別試験における記述式・論述式問題に関する実績を調査・分析することなど、この課題に積極的に取り組んでいきたい。
これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述式問題の形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。
子供の大学進学で、「こういう障害があるからこういう配慮を頼む」という、
大学進学を考えている障害等がある人の参考になれば、幸いである。
障害の種類別に、診断書のフォーマットと、配慮してほしい内容を書いた申請書が準備されている。
九月に申請すれば、センター出願前に、配慮申請に関しての了解を貰うことも可能。
診断書は必ずコピーを取っておく事。
センター出願と同時に配慮申請を送付した場合、配慮申請に関して受験票とは別に書類が送られてくる。
配慮申請の締め切り時期が早い(だいたい11月下旬~12月上旬)ので、願書は早めに取り寄せること。
配慮申請の用紙には、入試方式・学部学科名等を記載し、OKの返事が来てから出願する。
出願時にはたいがい、配慮申請と願書とのリンクができるようになっているが、
あと電話がかかってくる。
最初に、受験する学部と入試方式を用紙に書いて出すが、後から増減は利くことを確認済み。
入試に受験票以外に、配慮申請の返事と、別途送付される書類と、二枚の紙を持参すること。
最初に、受験する学部と入試方式を用紙に書いて出すが、後から増減は利くことを確認済み。
配慮申請を出すと、受験票のはがきをいったん配慮申請担当者が開いて、別の封書で送ってくるので、一日受験票が遅れる。
センター利用と一般入試(地方会場)。原則的には配慮申請者は会場が法政大学になって、
事前面接が必要だが、「これこれの障害でこの会場なら設備的に対応可能なので、地方
で受けさせてくれ」と主張して、それで通った。診断書のフォーマットが独自形式なので、
センター利用のみ。
障害の種類を告げると、「センターだけなら後は入学手続きの時にでいいです」
センター利用と一般入試。センター直前まで、配慮申請の返事をくれなくて焦る。
大学に入るための試験なんだから、「日本の大学生として~」となるでしょ。大学卒業生として、という意味で書いたわけじゃないよ。日本語難しいけど。
そのAOとかの話は、「AO受けるような層にとっては現在のセンター試験は難しすぎるから」という文脈だと思うが、「AO入試で求める学生には現在のセンター試験を解けないような学力しか求めない」ことの論理的理由なんて多分誰も検討してないでしょ。
下層の大学にとっては明らかに「馬鹿でも何でもいいからとにかく金(学費)払ってくれる奴の頭数を確保したい」だけだし、そういう連中には「センター試験得点率2割が合格ライン!」とか勝手にやって貰えばいいわけで、大学入試センター側がそういう金目当ての連中の都合に合わせる意味なんて何もないと思うんだよね。
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1266414530/251,320,342,344,359,369n
251 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:00:15 ID:4KTNNJ3G
ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100218-OYT1T00028.htm
320 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:35:41 ID:HJoXvsnm
»251
全部廃止ですか・・・
342 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:46:45 ID:jtAsPC8B
»320
ソースありますか?
上田泰己さんのところですね。
344 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 01:51:00 ID:HJoXvsnm
»342
いやいや、ソースも何も、
359 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 02:00:23 ID:YS0taX5i
独立行政法人一覧
ttp://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/dokuritu_n/dokuhou_ichiran.html
でもって、
»251
>国が直接行う事業に移管する考えを示した。
>新たな形態の法人や独立行政法人として存続させることもあり得るとした。
分かります_________________
369 :日出づる処の名無し:2010/02/18(木) 02:16:08 ID:YS0taX5i
なんかワクワクしてきた_________
センター試験、20科目でダウン - ニワニュース - ニワンゴ
http://niwango.jp/pc/niwanews/search.php?id=27460
大学入試センターは2月5日、1月に行われたセンター試験の結果を発表した。受験者数は前年より3234人多い50万7621人で、科目別の平均点では全29科目中20科目が昨年を下回ったことが明らかに。
問. このニュースから「高校生の学力が落ちている」とは言えない理由を挙げよ
追記
http://anond.hatelabo.jp/20090206122830
http://anond.hatelabo.jp/20090206114122
回答ありがとうございます。
これは大切なことですね。他の回答は割とどうでもいい要因です。例えば、
問題が違うので単純に比較できない
は、いわゆる「難化傾向」の可能性をおっしゃってるのだと思います。
これは比較的ありそうに思えるかもしれませんが、29という数字が大きいので、
全ての教科の作問者が話しあって今年は難しくしようと話さない限りありえないことです。
大数の法則ですね。29枚のコインを投げて20枚も表が出るようなことは非常に稀だということです。
そして、「全ての教科の作問者が話し合った」可能性については、このニュースから分かる情報は何もありません。
さて、他に大切な点があったのですが、いまのところ出ている回答の中にはありませんね。
言いたいことは分からんでもない。
ただ、少し気になる点がいくつかあったので指摘させてもらいたい。
かつ流出させたのが文部科学省管轄の某機関なので、事の重大さは計り知れないものであった。
と書いてあるが、本当だろうか?みんな釣られたのではないか?
駿台予備校(駿台予備学校)は、学校教育法の定める専修学校なのだから、文部科学省管轄だろう。嘘は言ってないと思う。
文部科学省管轄の某機関とかかれて、一瞬大学入試センターと誤認することはあっても、だったら『大学入試センター試験』と書くかなあ。
予備校が集めた受験生の自己採点結果が漏れただけである(だけではないが…)。それをあたかも「大学入試センターから流出した」と見せかけているのだが、この件についてコメントをしている人はほとんどいない。
うーん、見せかけているというのは少し大げさではないか。それに写真を見れば、流出させたのは予備校だとすぐに分かるから、だまされるという感じはしなかった。
それと、http://anond.hatelabo.jp/20070327013830の人もいっていることにも関係するが、
「批判的読み」「批判的読み」と口に出して言っていても、結局のところ「自分でもっと調べてみる」という行動をしていない人は、意外と多い。
と、
とを比較して、ある程度の真実を追究することが割に合わないと判断したとき、人は「自分でもっと調べてみる」ことをやめるのではないか。そして、あなたが追究する真実は、おそらく多くの人にとって割に合わないほどレベルが高いものなのかもしれない。
ある文章の読解だけが求められている状態なら、その文章について深く調べるべきだろうが、ある文章を読んでいる人が、必ずしもその文章を読む必然性があってその文章を読んでいるとは限らない。
「○○が言っていたから信じる」「情報源が○○だから信じない」というステレオタイプな考え方も、「自分はこの方法で自分で真実を追究するよりより少ないコストでより大きな利益を得てきた」という経験則に基づいた判断((正しいかどうかはともかく))がなされている結果なのだろう、と思う。
もっとも、"有名人の日記・ブログにも批判的読みをしなくてはならない事例"の著者さんは、人一倍真実の追究に熱心だからこそ、「他人に真実の追究によって発生するコストを負担させておいて、自分は真実を追究することによって得られる利益ばかりを得るような人」に対して、
「何かあるなら誰かがいってくれるだろう」という態度からは何も生まれない。
と批判したくもなるのかもしれない。
しかしある程度の真実を追究しないことによって発生するコストを被るのも、原則彼らなのだから、言いがかりでもつけてこない限り放っておけば良いのではないか。