はてなキーワード: 中学生とは
インターネッツの片隅、ここはてな匿名ダイアリーにまで訪れるみなさんならご存知だろう。
最近ネットを騒がせている「遺伝的アルゴリズムでえっちな画像を作る」サイトを。ランダムに配置された色とりどりの「無意味な」図形から、乳房が現れ、顔が現れ、肢体が延びゆく様には目を見張るものがあった。
多くのネット民が
と驚嘆していた。
「どちらの方がえっちか」という2択は実に単純明快だ。しかし、その2択の無限の試行から導き出された解は、実に「非直感的」で我々を驚かせたのだ。
ランダムな図形と色彩という無から裸婦という有が生み出されていく様は、何か超常的なーー「神」とでもいえば良いのだろうかーーものを感じさせた。
「指数関数は人間には直感的に理解し難い概念だ」と言うが、それと同じだ。遺伝的アルゴリズムは、私たち人間には理解し難い概念なのだ。
ダーウィンが主の起源を発表したとき、多くの人が取り合わなかった。キリスト教的な神が私たち生命を作り賜うた(インテリジェント・デザイン説)という考えが広まっていたからというのもあるだろう。が、何より進化論の理解を阻んだのは進化のアルゴリズムの理解し難さだったのではなかろうか。
それは仕組みとしては難しいものではない。中学生でも聞けば成る程と頷ける概念である(とはいえ正しく理解している者は少ない)。が、そのような単純な仕組みで、ーー例えば葉っぱそっくりの蛾のような個体が出来るとは俄かに信じ難い。過去の種の起源への否定や、現代での(特にアメリカでの)進化論の否定は、進化の機構の直感との乖離に起因するのだろう。
遺伝的アルゴリズムは進化論と同じアイディアで動くアルゴリズムである。ランダムな変化と淘汰を何度も繰り返すことで、より適応度の高い解(形質、遺伝子)を割り出す。「遺伝的アルゴリズムでえっちな画像を作る」プロジェクトは、今まで接したどんな教材よりも、どんな説明よりも、本来非直感的な進化の仕組みを「直感的に」理解させてくれるものであった。それも、「えっちな画像を作りたい」人々に向けてだ。あれこそ、遊びが学びになる素晴らしい例だろう。
たった10000世代で、抽象画から裸婦が生まれるなら、波に揉まれて生まれた小さな核酸分子が、増殖し、変異し、増殖しーーーその21億年の繰り返しで人間という生き物を生み出してもなんら不思議ではない。さらに偶然生成された乳房が進化の分岐点となり、乳房遺伝子が受け継がれ続ける様などは、中々理解され難い「進化の偶然性・必然性」をあまりによく表していた。
「遺伝的アルゴリズムでえっちな画像を作る」プロジェクトは市井の人間に、進化をより身近にわかりやすく理解させたという点でも、素晴らしい意義のある取り組みであると思う。
これを書いた者です。
https://anond.hatelabo.jp/20200630021035
今晩、眠剤を飲んで公園で野宿しようと思います。凍死(低体温症)で死にたい。それか不審者や若者に蹴ったくられて死にたい。ただ、都内の寒さ程度では体調を崩す程度で終わるかなと懸念しています。行ったことない北海道に行って決行したほうが確実かしら。
先月から仕事を休みがちになりました。うつで通院していますがコロナで休んでいるわけではないので公的支援は受けられません。お金がありません。
知的障害者の弟が最近てんかんで救急車に2度運ばれました。「弟を捨てて施設に入れるのか」「姉と2人で弟を支えなさい」これが父親からの、わたしが上京する条件でした。母は「お父さんの言うことだからわたしは何も言えない」と、わたしの気持ちには寄り添う気は当時なかったようです。いまは気持ちが変わっているかしら。ちなみに、姉は結婚して数人子供を産んで育てています。良くも悪くも、「うまいこと逃げたな」と思ってしまった私は性格が悪いかもしれない。
なので、弟が普通に生活できなければ、わたしは自由を無くして実家に戻り介護で軟禁状態になる可能性があります。軟禁生活になって自分の人生がなくなるだろうということは中学生のときにふと気付きました。わたしの人生はおよそ30〜35歳までだろうと思い嘆き、おそらく鬱自体は相当昔から患っています。
しかし、わたしが家にいると弟(自閉症)の思い通りに事が運ばないことがあり、そうすると弟は大声で奇声を発して手を挙げる(だけで叩かない)か、嘔吐します。実家で一緒に生活している時もそうだったのですが、わたしがたまに帰省した時も「お姉ちゃんが○○だから△△には行けませんか?」「お姉ちゃんが○○だから△△できませんか?」と不機嫌になります。親は弟を相当可愛がっておりますが、おそらくわたしについては大人(30歳)だからもう大丈夫だと親は思っているのかもしれません。親の気持ちはあくまで想像ですが、弟の振る舞いが変わらないことは、弟が生きている限り、自閉症である限り変わりません。
人生の終わりが見えてきてしまった。あと少し、もう少し自由でいられるかなと、10代から毎日のように考えてきましたが、弟が救急車で搬送されたと聞いてから、弟の心配はもちろんですが、わたしの終わりが近いことを意識して嘆くしかできなくなってしまいました。
人生ってなんでしょうね。もちろん軟禁されるのも第二の人生です。軟禁状態でもいまはwebで繋がったり、地元の何かのコミュニティに入ったり、やれることはあるよ、という声もあるでしょう。
てもわたしは冒頭の記事で書いた通り、薬を飲まなければ本来は「息をしているのもつらい」人間です。
ここらで終わりにしたい。
駄文なので最初にまとめておくと、知識ゼロ異業種から転職して何とかエンジニアとしての人生を始めました、という話。経歴がショボすぎて誰かの道標にすらならないだろうけど書き残しておく。実名で書く勇気はないので増田にて失礼。
PCを初めて触ったのは4歳の頃。
黒くてごついボディが幼心にぐっときたのを覚えている。この記憶があったためか、初めて自分で購入したPCはThinkPadだった。
我が家にインターネット開通。深夜に親が寝てからこっそり2chとニコニコ動画を見ていた。PS2でドラクエ8をやってグラフィックに感動する。まだプログラミングという言葉は知らない。母親のヒステリーと父親の拳骨に耐える日々だった。
地元の高校に進学。友人とホムペ(死語)を作成。html/CSSで文字の色か変えられたりアニメーションをつけられることに気付く。この頃もまだプログラミングに目覚めない。プログラム?理系の人がやるお仕事なんでしょ?という雑な認識であった。
もちろん文系学部に進学。人の視線が怖かったので前を向いて歩けず会話もままならなかったが、制服が可愛いという理由だけでお洒落カフェでバイトを始める。私は阿呆だが、この阿呆さないしは無鉄砲さでエンジニアになったと言っても過言ではない。
新卒入社した会社を3ヶ月で退職。支えてくれる彼くんとかもいなかったので実家でお通夜してた。鬱も発症して薬漬けになった。対面で人と話すことが難しいため、テキストベースで仕事ができる職を探し始める。ここでやっとプログラミングに出会う。
何にせよ無職だから時間は腐るほどある。ヨドバシでカモ丸出しの顔をしてThinkPadを買い、Javaで簡単なアルゴリズムを実装することから始めた。フィボナッチ数列を生成するとかクイックソートを実装するとか。あと5日ぐらいかけてServlet/JSPとMySQLでTODOリストを作った。
2ヶ月ほどJavaをやった頃、無謀にも機械学習に手を出し始める。本を一冊買って隅々まで読み込んだ。この頃から鬱が寛解し始める。プログラミングに夢中になって、1日12時間以上はPCの前に座ってひたすらコードを書いていた。不思議と疲れはなかった。ゲーム用に買ったデスクトップPCにそこそこ良いGPUがついていることが判明したので、Tensorflowでモデルもどきを作り、AI(笑)を組み込んだポートフォリオ用webアプリを3ヶ月かけて作成した。サンプルコードを超える範囲はドキュメントを読む、適宜技術書で知識を補うなどしてなんとかオリジナルと言えるコードをひねり出すこともこの頃覚えたと思う。なお肝心のモデルはチューニングは一切していないわ当然精度も悪いわでその筋の人が見たら鼻で笑うレベルであるが、一人でアプリケーションを作り切ることができたのは大いに自信に繋がった。
ポートフォリオを持って5社ほど受け、うち1社の小さな受託系企業に内定を貰い、無事職にありつくことができた。文系未経験第二新卒を雇う勇気を出してくれた会社には感謝しかない。
会社規模が小さいからか、個人の裁量が大きく、設計から実装、テストまで何でも任せてもらえた。良き上司に恵まれ、主にUnityやスマホアプリの開発を担当し、技術の奥深さ面白さに触れさせてもらった。自身が実装を担当したアプリが世に出ていくことの喜びみたいなものも味わえた。この会社は昨年度退職し、現在は500人規模の自社開発系企業でiOSアプリエンジニアをやっている。スキルは未熟だし対人恐怖的なものも治ってはいないけど、私はプログラミングが好きで、エンジニアとして骨を埋めたいとか身の程知らずにも思っている。
ご覧の通り、私は幼い頃からプログラミングに触れたりモノづくりをしていたわけではない。むしろ目覚めは遅い方である。そういう人でも興味があるなら、ITエンジニア目指してもいいんじゃないか、そうであってくれ、という気持ちで書いた。読んでくれてありがとう。プログラミングはいいぞ。
# 麻雀歴について
月々のお小遣いが300円なのに、1日に100円負けて(点0.1でやっていた)毎回大泣きしていた記憶がある。
中学生から同級生に麻雀仲間ができて日々楽しく打っていた。放課後に、ほぼ毎日のように打っていた。部室で牌やカードを使って打つこともあったが、当時はゲームボーイアドバンスの通信ケーブルを繋いで打つことが多く、そのために中古のアドバンスSPを購入した覚えがある。一応同級生の中では打っている期間が長いこともあってそれなりに打てるつもりでいたが、ある時から、いつものセット仲間がフリー雀荘に通い始め(今はどうか知らないが、当時は高校生でもフリー雀荘で普通に打てた)気づいたら全然勝てなくなっていた。こいつだけには一生勝てそうに無いなあと思うほどの差を感じた。
大学にはいかなかった。就職してからはたまに学生時代の仲間と卓を囲んだり、職場の同僚と打ったりしていた。たまにふらっとフリー雀荘に行くこともあったが、大体勝てないし、緊張して普段通り打てなかったり、点数計算間違えたり、大体負けまくっていて全然良い思い出がない。
2年ほど前に始めた。一人で地方で住むことになり、仲間がいなくて寂しかったのかもしれない。特段勉強はしなかったが、特に壁に当たることもなく380戦程で5段になった。その後1000戦ほど費やし苦労して6段になったが酔っ払って打ったりコンディションが悪いとすぐにレーティングを溶かしたので、少し真面目に打つことを心がけた。同時に放銃率などの数字も気にして、たまに牌譜を見直して反省してみたりして、天鳳で勝つための方法を探り始めたのはこの頃だったように思う。
# 伸び悩み そして降段
少し専門的な話になる。
当時の記録を遡ると、5段昇段時の数字が
放銃率13.5%
副露率38.4%
平均順位2.36
対戦数379
1位29.6%
2位27.2%
3位率21.1%
4位率22.2%
端的に言えば、めちゃくちゃ仕掛けて上がりまくる麻雀だった。放銃率はギリギリ及第点だが、特上卓(4段以上になると打てる)に移ってからレベルが上がったので、なかなか上がらせてもらえず、和了率が下がった分放銃率が上がった。フリーやセットのような、1着の価値が高い麻雀では正しい戦略だが、圧倒的にラスを引いた時のマイナスがでかい天鳳ルールには適さない。このあたりまでは、学生時代にそれなりに打っていた蓄積だけで戦っていた(日常的に麻雀を趣味とする人で、それなりに自分が打てると自負する多くの人が、おおよそこの辺りのレベルだと思う)が、その後伸び悩み(結局7段昇段までに2000戦程度を要した)自分の打ち方を変化させることを迫られた。
6段になると、ラスを引いたときのマイナスがシャレにならなくなる。例えば特上卓東南戦だと、1位+75、2位+30、3位±0、4位-120。1位から4位まで一回ずつ引くと、15点もマイナスする(セットだとトントン)。一度は運で6段に昇段したものの、その後負けまくって一瞬でレートを溶かし、一気に4段まで降段した。放銃率も14%を超えた。一度は心が折れそうになって、天鳳から離れていた時期もあったが、時折思い出したように打ち始めた。牌譜を検討して改善点を洗い出したり、いくつか戦術本を読んで、いろいろ打ち方を変えてみたりした。
振り返ってみると、実戦と反省、試行錯誤の成果が大きかったように思うが、中でも参考になった戦術本をいくつか挙げてみたいと思う。
リーチ判断、押し引き、ベタ降り手順(対リーチの危険度比較)の参考にした。ひと昔前にネット麻雀で強いとされている戦術について、統計的な裏付けをした本という認識。最新の戦術とは少し違いはあるかもしれないが、今でも十分な教材として通用しうる。特上卓を抜けられない中級者にとって、自分の判断を改めて見直すためには良い教材だと思う。
副露率が35%を超える人にとっては有用な教材になりうる。副露率が高いと、中終盤での押し引きを単純化しやすいが、その分いつの間にか損な選択を強いられているケースが多発する。親リーに対して2者が降りている状態で1000点愚形を無限押しせざるを得ない状況は泣ける。そんな人にとって、面前で柔らかく構えて先制リーチには14枚からベタ降りする、副露手には危険牌を吸収しつつ、面前で押し返す戦略を取れるようになると、戦略の幅が広がる。そんなきっかけをくれる本。
参考にしたというほどでもないが、初中級者が読むには良い本だと思ったので推薦。ネットで無料で読める。最近実写化もされた。多少戦術が古い感も否めないが、麻雀覚えたての人にとっては、今でも十分な教材になるかと思う。
お知らせさんの鬼打ち天鳳位の麻雀メカニズムも読んだが、少し内容が難しすぎた。難読の上に、書籍に書いてあることを実戦で活かせるようになるまでに、数百から数千戦の実戦が必要になると思う。超上級者の思考が垣間見えるという点では良書。
# 確かな手応え そして7段へ
4段に降段してから、400戦ほど試行錯誤を重ね、ようやく再び6段に復帰することができた。相変わらず放銃率は14%を超えている(四人打ち7段の平均放銃率が12.5%なので、せめて13%台、可能なら13%台前半まで下げたいところ)し、褒められる成績ではないが、はじめて6段に昇段した時よりも微かに手応えを感じていた。その間に主に以下のポイントを中心に修正を心がけた。
まとめると、鳴きすぎ、副露手と対リーチ時の他家に対するケアが甘い、ケイテン取りすぎ(某氏の「ケイテンは勝負手」という独り歩きした言葉を鵜呑みにするとひどいことになる)といったこと(結果として放銃率が高い)を自分の弱点と認識していた。無論いまだに上記の弱点はあるが、多少改善していると信じたい。あと、それまでは特東赤速で打っていたが、多少東南戦の方が勝ちやすい気がしたのでボリュームを増やした。6段になってからはほとんど東南戦しか打っていない。東南戦のほうが時間はかかるが、局数が長い分強者が勝ちやすく、上振れを引いたときの上昇幅も大きくなる。それまで特東で2000戦近く打ちまくった経験が、南場での条件戦で相対的に有利に働いた感もある。
6段に昇段して100戦くらいした頃、某Microsoft製のAIとマッチングした。たまたまトップを取れたが、牌譜をみてびっくり。今までみた牌譜で圧倒的に衝撃を受けた。色々と特徴はあるが(勢いでお知らせさんのsuphx本を買ってしまった)中でも最も凄いと思ったのは押し引き。特に副露手に対する速度計算とケア。自分よりも数段階前倒しでケアしていることに驚いた。次に中盤の手組み。スリムに構え、終盤で手詰まって損な選択を迫られるケースがほとんど無い。そして手役とドラに対する意識、特にホンイツ。その他細かいところではション牌字牌の先切りと、一枚切れ自風への価値。2,3巡目でもsuphxはション牌字牌より1枚切れ字牌の価値を高く見積もる傾向(この判断が勝率に直結しているとは思わないが。suphxの最も優れた点は押し引きだと思う。)がある。
以後、副露手に対するケアと中盤の手組みを意識して改善した結果、ラス率が2%程度減少した。たったの200戦程度なので数字自体は参考にならないが、これまでに無い手応えを自覚した。結果として、おそらく多少の上振れをひいてはいる気はするものの、再度6段になってからは300戦程度で7段に昇段することができた。直近200戦のラス率は21±2%前後で推移していたはず。この位の数字をキープできれば、おそらく数百戦で7段に昇段できるはずだ。
# 7段昇段時の成績
放銃率14.1%
副露率37.3%
リーチ率18.9%
平均順位2.48
対戦数2425
1位25.9%
2位24.8%
3位率25.1%
4位率24.2%
R2060
昇段まで残り20ptで3ラス引き、残り20pt再挑戦でsuphxに連対を阻まれ、その後2ラス引いたときは泣きそうになったが、最後はあっさり3トップで昇段することができた。長かった。本当に長かった。
技術向上のためにやったことと言えば、とにかく実戦。そして自分の打った牌譜を見直して再検討。とにかくこれの繰り返しに尽きる。戦術書はいくつか読んだが、中でも上にあげたものが役にたった(ように思う)。強者の牌譜をみて検討するなど、他にもっと良い手段があったかもしれないが、自分にとっては、今一つ自分でない人の牌譜をみて検討するという気力が起きなかったでやっていない。他にプロのリーグを観戦したり、youtubeで麻雀関連の動画を漁ってみたりはした。どれも楽しくてタメになるコンテンツだったが、果たして自分の技術向上に活かされているかという微妙なところ。辛うじて、うに丸さんの押し引きと、鳴き読みに関する動画、渋川難波プロの天鳳名人戦牌譜検討動画の切り出しコンテンツで、ケイテンの方針などは参考になったような覚えがある。
ちなみに天鳳7段は、ゲームの中では上位3000番付近、競技人口全体では上位0.3%に入るかどうかというところ。プロ雀士と言われる人の平均的な実力はこの付近だと思われる。麻雀知らない人(がここまで読んでいるとは思えないが)向けに説明するとこんな感じだと思う。もし大きく違っていたら訂正してほしい。
昇段して数日たった今になってじわじわ嬉しさを噛み締めている。たかがゲームとは言え、最後の数百戦は寝食を忘れ死に物狂いでコミットしたことが結果的に運良く実を結んだことへの実感と自信。代償に、ただでさえギリギリだった体重が6kg減ったこと。費やした概算1000時間。今となっては、本気で取り組んで心底良かったと思っている。
一方で、麻雀というゲームの果てしなさ、というかある種の不毛さを感じないでもない。例えば特上卓で平均順位2.50と2.45の人では、スポーツ競技に例えると地方トーナメントで1回か2回勝ち上がれるかどうかという選手と、シード選手ほどの明確な差がある。ところが、両者が仮に100戦戦ったとして、前者は1着から4着を25回ずつ取るものとする。後者は、前者が4着を取ったゲーム2回分を、それぞれ1着と2着で終える計算になる。着順の合計の差はたったの5。
ところがこのくらいの着順は、麻雀の運要素で軽く吹き飛んでしまう。仮に東南戦を打つとして、1戦あたり平均40分程度。100戦程度でも、4000分=66.6時間かかる。大体月一でセット麻雀打つ人が一年で費やすくらいの時間だ。仮に毎週打つにしても年間400戦程度。その程度では両者の差は運で吹き飛んでしまう。実力差がある程度数字に反映されるためには最低1000戦、できれば2000戦ほどは必要になってくると感じる。この認識は間違っているかもしれないので、統計に詳しい諸兄がいれば教えてほしい。
そんな競技、言ってみれば運ゲーの世界で数千、1万数千と打数を重ね、天鳳位まで上り詰める人は一体どれほどの鍛錬を積み重ね、神経をすり減らしているかと思うと途方もない。反省して改善を施そうと努力したところで、その微差を改善した結果が数字に現れるのは少なくとも1000戦以降。単純計算で666時間もの時間がかかる。果たしてその間ブレずに方針を貫くのは非現実的で、仮に結果が数字に現れたところで、本人は何が数字を良い方向にもたらしたのか検証する術がない。ものによっては時の運に吹き飛ばされ、永遠に結果が出ないものもあるかもしれない。こんなブラックボックスの中で、競技プロ含めガチ勢は日々細かい努力を重ねているかと思うと本当に凄いと思うし、不憫でもある。
いったん満足したし、仕事も忙しくなるのでしばらく麻雀から離れようかと思っていたが、1日休んだだけで鳳凰卓への興味がむくむくと湧いてしまい、結局課金して遊んでしまった。たった鳳南を6戦打っただけだが、ひとまず現時点では戦えている感触はあって一安心している。散々不毛だと書き散らしたが、麻雀自体は楽しいし、友人とセットもしたいし、今後も適度にゆるゆると楽しんでいきたいと思う。
たかが新人7段が偉そうにと思われる方が大半だと思うが、麻雀好きの誰かの参考になれば幸甚である。もう少し初心者にも寄り添った内容にしたかったが、申し訳ない。
最後になるが、改めて。麻雀は素晴らしい。いつか増田諸兄と同卓した際には、お手柔らかにお願いしたい。
(追記)
ぞっとした。
小さい頃からそんなのを聞いて思想が〜とかじゃなくて、あんなゴリゴリの昔のボカロ歌い手みたいな音楽を小学校から聴いてんのかと。しかも内容が痛々しいやつを。
自分も中学生の頃はアクエリオンとか流れてたけど、誰かを批判するような内容ではなかったし、オタ曲って感じはあったけど作品へのリスペクトでリクエストされてた感じだった。
高校になってからボカロ音楽にどっぷりハマったりしたけど、周りのリア友にオススメだよ!とか言うことはなかったし、あくまで一人で楽しんでた。周りはリア充が多かったのと、10年以上前だとボカロはオタク音楽って認識があったから。
この前、増田でメチャクチャ話題になってたからうっせぇわを聴いてみたら、痛々しさが凄まじくて全部聴けなかった。若さの無知みたいな。聴いててなんか恥ずかしくて再生止めちゃったよね。それを売りにしてるのか知らないけど、あんなのを小学生から聴いてたらメチャクチャ勘違いオタクになっちゃうじゃん。今は時代が違うのかな、やっぱり。
自分は昔のオタクなので、あんな曲が小学校の給食で流れてると聞いて、大人になってから思い出したら恥ずかしくなりそうだ……と思いました。
セックスしたい..
俺は30代も半ばになる。結婚もしている。こんなことで悩んでいるのは馬鹿げている。だけども匿名の殻に閉じこもり、あえて主張したい。それでもセックスしたいのだ。飽きるほど。
昔からモテず、彼女が初めてできたのは20代後半だった。見た目への自信がなかった。体力も自信がなかった。
足が速ければモテる小学生時代。サッカー部やバスケ部に入ればモテる中学生時代。髪型を整え制服を着崩せばモテる高校生時代。どれも見事に縁がなかった。唯一人並みにできたことといえば勉強くらい。良い大学に入ればモテるとおもっていた。
かくして良い大学に入った。ところが何のアピールポイントにもなりはしなかった。就職して稼ぐ大人になれば今度こそモテるとおもっていた。そして同年代よりは稼ぐ大人になった。しかし結局童貞を捨てられたのは魔法使いを目前にした29のときだった。
結局全て言いわけだった。
別に見た目が悪くても、金が稼げなくても、可愛い彼女がいるやつはいるのだ。
未だに若い美男美女のカップルを見ると狂おしい。別に顔や外見が全てじゃないと強がってみるも、あのかわいい女の子と毎晩ヤリまくってるんだろうなと思うと情けなくも嫉妬する。
中学生のときの初キスだとか、高校のときにセックスしたとか、たとえフィクションでも話を聞いただけで気分が落ち込んでしまう。中高生への性教育の現場なんてのも胸糞悪い。クラスの女子とはなかなか話せず、家では黎明期のインターネットで収集していた画質の悪いエロ画像を妄想で補完しながら抜く。そんな暗くじめじめした青春時代を送っていた俺。女子どころかクラスの陽キャ男子とも疎遠だったため、リアルな恋愛事情なんて情報が入ってこない。今、当時のリアルな恋愛事情を聞くとフィクションではなく本当にあったなんて裏切られた気持ちになる。次節イジってくる陽キャどもを敵視し、恋愛にうつつを抜かしている隙に勉強し見返してやりたいと思っていた。大学・就職は非常にうまくいった。でも、やりきれない。風俗にいっても、やるせない。今さら何を経験したところでもう青春時代のトラウマを塗り替えることはできない。今からどれだけやりまくったところで、10代は巻き返せないのだ。
俺は結婚はした。美人ではないが毎日話していて楽しい妻と一緒にいると、結婚してよかったと思う。ところが典型的なアラサー夫婦で、結局セックスレスになった。結婚したらセックスフルな生活を送れると思っていた矢先だ。
「今さら何を経験したところで」なんて強がってみたところで満たされない事実からは逃れられない。
夫婦でセックスレスだろうが、やってるやつはやってる。コロナでリモートワークで昼は家に俺ひとりだ。同じ状況の男は不倫だとか浮気相手とよろしくやっているのだろう。
もう後悔したくない。性欲枯れてからもっとやりたかった人生だったなんて情けないことを考えたくない。10代は巻き返せなくても妻と精一杯楽しめばいいじゃないか。たとえ暗い青春時代を送っていても、飽食すれば多少は浮かばれることだろう。
そう思いながら、そっぽを向いている妻と冷たいベッドで寝るのであった。
中学生の時に道端で知らないおっさんや同年代の男の子に”どけよブーーース!!”と小突かれる経験を2回ほどしてから私は自分はブスだと思って生きてきた。(実際当時の写真は目も当てられないブスだ)
そこから成長して化粧をして髪と服に少し気を使ったら男女問わず、美人・かわいいという評価をしてくるようになった。
おそらく成金美人?成り上がり美人?というやつなんだと思う。ただ中高時代の写真を見た元カレには顔変わんねーなと言われたし、自分の感覚としては美人になった気はしない。ややマシになった程度だ。
ただあまりにもモテるだのモテそうだの言われるので、1年前くらいからそう発言してきた人に端から”モテるとは?”と質問していた。
どうも私はそれに当てはまるようだった。
ほとんどの人はナンパもされないし、ご飯に行こうとも誘われることもあまりないらしい。飲み会でこの人好みだから後日飲みに行きたいなと思っても撃沈する人もそこそこいるらしい。(=1回目すら引っかからない)
他にもいろいろ言われたがへぇ〜と思ったのはこの辺りだ。
モテるのかもしれないけどお付き合いの経験はほぼないし、自分が付き合いたい思っててもうまくいかないことの方が圧倒的に多い。
ほぼ喪女なのに見た目が美人ゆえに勝手に相手のハードルが上がって恋愛経験豊富みたいにみられるのがだるい。
面白さをとりたい気持ちから性格もノリがいい親しみやすいオネエバーのママっぽい感じになっているのといわゆる恋愛脳ではないので距離感に男女差はほぼない。
それで男の人に緊張することがあまりないのもそうみられる一因かもしれないが、あくまで”そうみえるだけ”にすぎない
そしてこっちが相手の想像に見合った振る舞いが出来なくてめちゃくちゃガッカリされるのが何気に傷つく。
一回テンプレみたいな付き合い方したら、うまく恋愛の距離感と使い分けられるようになるのかな。
なんかどうしたいかもわかんないけどぐちゃぐちゃした気持ちになって吐き出し。中身と外見を一致させたい。できれば中身を外見に合わせる方向で。
その辺が中学生なんだろうなぁ
いろんな幸運が重なり事業で成功。役員報酬を毎年1億円に設定しても会社は安定するぐらいにはうまくいっている。
TDBもかなりいい点だ。
持ち家も買い、高級車を買い、子供は小学受験・中学受験を潜り抜けいわゆる有名な学校に入学できた。
体も健康。
不幸ではないが幸福を感じ取れない。
子供のころから最低限の用を成すなら安ければ安いほどいいという価値観で育てられた結果、贅沢ができない体になってしまった。
日常生活は業務スーパーで安い輸入肉を買い、ちょっとした日用品も少しでも安いものを探す。
今日の昼めしはスーパーでお惣菜と助六寿司で600円。(個人的感覚としては散財した。)
これぐらい罰は当たるまいと買った高級車も満足度より居心地の悪さの方が勝ってしまう。
いつか行こうと思っている家族でハワイ旅行なども罪悪感が先に来るんだろうな。
それなら、何のために我を殺して重い責任を背負って会社を率いているのか。
仕事は上の立場になればなるほどマネジメントが中心になり、手ごたえを感じられる実務はほぼノータッチ。
年々会社は大きくなり、それに伴って責任も大きくなっていく一方でカタルシスは何もない。
唯一の慰みである報酬もあまり意味をなさないなら、俺は一体どこに向かって生きていけばいいのか。
若くして成功した人が人生後半で道を踏み外す気持ちが正直すごくよくわかる。
そういえばマツコ・デラックスも芸能界引退の噂があるらしいけど引退した後どうすんだろ。
数十億円通帳に入っててやることが無かったらまともでいられんぜ。
(追記)
一杯返事もらえた。嬉しい。ありがとう。
冒頭にも書いたけど自分で不幸とも思ってないんだ。ただ幸福を感じられないことへの愚痴。
・従業員への還元は?…ハードな働きが必要だが給与は同業他社平均は十分上回ってるので悪い会社ではないかと。ある程度以上の勤続年数の人は離職率ほぼ0。
早期離職者はいるけど入社前に会社のダメなところは必要以上に説明しているのでまあ一定量のミスマッチは仕方ないかな、と。もちろん会社としての改善余地があるのはわかってる。
個人の価値観は置いといて、総体として利益が出ているなら世の中の役に立っているとは思う。(社会に必須の業種だし)
・社会奉仕…一時期ある分野に頑張ってみたけど、そもそもAという領域に肩入れしてBという領域を見て見ぬふりする事への折り合いを自分の中で付けられなかった。全てを助けるにはお金がなさすぎる。
ビルゲイツすごい。
無力感の結果、節税をほとんどせず毎年たくさん納税してる。これ以上の社会貢献があろうか。
・●●に金を使う…吝嗇化なので金を使っても罪悪感が先に来てしまう。そういう自分が嫌で高級車を買ってみたが(もともと車好きではあった)セレブな世界にはなじめなかった。
しかし高級車で業務スーパーへ行くことの愚かさも自覚している、その自意識が幸せを阻んでいるんだろう。
・旅行は?…国内は出張であちこち行った結果興味がなくなってしまった。海外は10か国ぐらい仕事で行ったが楽しさよりいろんなことが見えないわからない事への恐怖が先に来る。若いころは無鉄砲だったのに。ああ小市民。
コロナが収まれば国内出張先で出会った美味しいお店に家族を連れてってあげたい。今ある具体的な希望はこれぐらい。
・子育て…十分やってると思う。夫婦仲も良好で出張がない今料理は俺がほぼ毎日作ってる。
・趣味を始めたら?…そんな元気が出ない
ココイチの創業者さんなんかはすごいなーと思うけど、あれをやれるほど会社は大きくなく、小市民の自分にはそこまで大きな志もない。
でもやっぱりロールモデルはあの辺りなんだろうね。
ああ、でも書いてて思い出したぞ。
それならもうちょっと頑張れそうな気がしてきた。
思ったより叩かれてなくてほっとした。
・経営者なの?…証明しようがないけど経営者よ。中小企業のPERなんていかようにもいじれるのにそんな数字出してどうすんべ。売上数十億程度の地方中小オーナーならTDBかTSRっしょ。
・納税…ここはねぇ、一般の人が思う以上に経営者は好き勝手できまくるんよ。合法的に数千万円を自分の快楽に使えてその上法人税を安く抑えることは本当にできちゃう。
そういうことをせずにおとなしく納税しているのってかなりのレアキャラなんよ?
納税なんて当たり前!っていう人はそういう立場になっても本当に節税せずにいられるかな。
・人を育てたら?…やれる範囲ではやってるけど最近気が乗らなくなってきた。「水飲み場に連れてくることはできても水を飲むかどうかはそいつ次第」というのを痛感してる。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
彼女とは友達で、といっても一目惚れだったので好きになってから友達になった。たまたま共通の友人がいて、たまたま趣味もあったので仲良くしていた。
中学を卒業したあともSNS等でちょこちょこ繋がりがあって、大学進学を機に上京したこともあり、大学時代は何度か2人で遊びにもいった。誘うのはいつもわたしからだったが。
理由は、彼女と付き合うことが正解だと、幸せだと、思えなかったからだ。
彼女のセクシャリティはほぼ間違いなくヘテロ(異性愛者)だけど、そこはあんまり関係なかった。正直な話、優しい人なのでゴリゴリに押せば付き合ってキスのひとつくらいはできたと思う。
でもそうしなかったのは、彼女が人生の平穏として、異性と結婚して家庭を作ることを求めていたからだ。
セクシャリティとか性欲の話ではなく、精神的な安心として、異性と結婚している状態を求めていた。世間から浮かない、外れない、平穏に祝福されて世間に馴染む生き方を。
ハッキリとそう聞いたわけではない。
中学生ながら将来の話をしたときには、「結婚はどっちでもいいけど、子供は欲しいかな」と言うようなことを言っていた。
でもなんとなく分かる。彼女の心の平穏が、異性と一般的な結婚をしている状態にあることを。
それに、他ならぬわたしが思ってしまったのだ。あ〜この人、お母さんしてるの似合うだろうなぁと。それがいちばん、この人にとって自然な姿なんだろうなぁと。
それでも人として、友人として好きだったし……いやいや。そんな綺麗事ではなく、恋愛として好きだったので、役に立ちたかったし、感謝されたかった。せめて、「わたしの友人にこの人がいて良かった」ぐらい思って欲しいと、思っていた。だから友人を続けようとしていた。友人でいることが目的じゃなくて、せめて彼女の人生の欠かせないピースになりたくて、友人でいた。
中学の頃のわたしが想像したとおり、彼女はわたしの友人の中でもかなり早めに結婚した。
結婚するという話はSNSで聞いて、その時におめでとうと、コメントしたと思う。それなりにダメージは受けたが、まあでも「おめでとう」くらいは言えた。予想はしていたので、予定通りの返しができた。
結婚式はあげなかったらしく、出席していない。というか結婚してから一度も会っていない。
いまだに彼女はわたしのなかで一つの特別だが、じゃあ今のわたしが今の彼女を恋愛感情として好きか、と聞かれると、それは違う。
大人になってから、彼女に会うたびに思う。もうそういう「好き」ではないと。
残っているのは彼女を好きだった気持ちより、諦めたときの傷と痛み。
自分ではどうあがいても手に入らないものがあると、あげられないものがあると自覚した痛み。それが残っている。
自分でもびっくりしたのだが、これがなかなかダメージをくらった。しばらく現実逃避するくらいには痛かった。ショック、だった。想像したくないとすら思った。SNSの投稿にコメントも、いいねも出来なかった。
おかしいことに、母親をやっている姿は想像していたのに、妊娠と出産は想像していなかったのだ。
結婚までは、わたしでもその気になればできたからかもしれない。だから想像ができた。
でも子供は。妊娠は、出産は。どうあがいても無理だ。だから、痛くて怖かった。
これを書いている今も、内臓がキリキリと痛む。
子供の頃、どうしても欲しかったのに、絶対に買ってもらえないと分かっていたから、買ってと言えなかったオモチャなのだ。わたしにとっての彼女は。
どこが好きで、なんでそんなに欲しかったのかなんてもう覚えていない。でも、子供ながらに冷静に「諦める」という選択をしたこと。そのときの妙に冷たいこころの痛みだけが強烈に残っている。
この先の彼女は、絶対に、なんど時間を巻き戻してやりなおしても、わたしとではできないことをしようとしている。それが恐ろしい。わたしの知らない彼女になってしまう。
いまが妊娠何ヶ月かはしらない。予定日もしらない。
近々彼女は引っ越すかもしれないらしく、もしかしたら出産するときにはもうこの辺りには住んでいないのかもしれないと。
それが分かった時に、少しだけほっとした。このご時世もあいまって、たぶん、「子供が生まれたからお見舞いに来て」と気軽には言われないだろうと。
旦那は(会ったことないが)彼女が選んで結婚するだけのひとだ、しっかりした人なんだろう。彼女に好きになられるだけでスゲエな、と思うし、相手がだれであろうと数年付き合って結婚するという偉業をなしたのだ。素直に尊敬する。
でも子供は、なにもしていない。
ただたまたまそこに、命として生まれたのが彼女の腹の中だったというだけだ。
たったそれだけの偶然で、その命はこれから数十年の間、彼女の愛情を一心に受けて育つのだ。
憎らしいとしかいいようがない。
生まれてきたその姿をみて、自然に笑える気がしない。かわいいと思える気がしない。
うっかり「抱っこしてみてよ」と言われて抱いた時に、そこが3階で窓が開いてたら、わたしはソレを外に放り投げてしまうかもしれない、と思う。
そのくらい、いまわたしの心は痛い。
わかっている、旦那ではなく子供に嫉妬している時点で、恋愛感情としても歪んでいることを。ぜったいに手が届かない、もはや空想上のものを羨んでいる。手を伸ばそうともしなかったくせに。
こんなことを思っている時点で、友人としても破綻しているのだ。
考えてみれば、共通の友人は彼女の旦那に会ったことがあるらしいのに、わたしは一度も会ったことがない。会う?と聞かれたことすらない。
そもそもわたしは彼女の友人にすらなれていなかったんだろう。友人になることが目的でないことを、うっすら彼女も気づいてたのかもしれない。
それでも、いやだからこそ。こんなにわたしのこころが痛いからこそ、中学生のころのわたしがした選択を、わたしだけは褒めたいと思っている。
あの頃のわたし。わたしが想像したとおり、彼女は結婚して、お母さんになる。とても幸せそうだ。1人で暮らしていた時より人生は充実していて、とても満足しているように見える。
わたしがあのとき、ダメ元で告白していたからといって、今の彼女と違う彼女になっていたとは正直思えない。振られていた、あるいは奇跡的に付き合えたとしても確実にどこかで別れているだろうし、彼女は異性と結婚しただろう。でも、もしもわたしが告白していたら、彼女の心には「同性の友人に告白されたから振って、相手とは微妙な関係になった」という小さなトゲが刺さっていたと思う。そのトゲを刺せば良かったとは、いまのわたしはまったく思っていない。
だから、これで良かったのだ。
これで良かったんだよ、14歳のわたし。わたしが、学校で彼女に会うのが痛くて、だから朝が来るのが怖くて夜寝たくなくて、でもご飯を食べると眠くなるからと夕食を抜いて泣きながら決めたことは、正解だった。
他の誰が知らなくても、今のわたしが知っている。
タイムマシンがあればよかったなぁ。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
小学5年の終わりに転入した小学校から、ほぼ持ち上がりで中学校に進学した(公立だったけど、地域的に小学校、中学校は他の学校と学区が被っていなかった)。
もちろん、転入段階でできあがってた仲良しグループもクラスカーストも全部持ち上がり。
けど、中学に上がる少し前に、カースト上位の女子が多くいる進学塾に入塾して、さらに(前年度まで大会の成績が良かったため半分内心目当てで)彼女たちと同じ部活に入部した私は、運よくカースト上位の子たちと仲良くなれた。
カースト最上位のA子(詳細はわからないけど、どうも地主の娘らしい)がオタク趣味だったこともあって、中学1年は非常に充実していた。
途中でクラスに入った私立からの転入生のBとも仲良くなって、あの頃のクラスはカーストが崩れかけていた。
そして、同じクラスになったカースト上位の子から無視されるようになったし、小学校から仲良くしてくれてた子からも、ハブられていた(思い込みかとも思っていたけど、卒業時に謝られたから本当にハブられていたらしい)。
家庭の事情について相談しなかったからかもしれない。けど、そもそも引っ越しの時点で予感はあったし、そのころから一人でゆっくり受け入れていて、私にとってはわざわざ相談するようなことじゃなかった。
私は一気にカースト最下位に転落して、そこは私一人しかいない場所だった。その時点で、正直人間不信は半分出来上がっていた。
そして、部活と塾にもその余波はやってくる。
小学校からカースト上位の仲良しグループにいたC子が、別の小学校から入学してきたD子と仲違いした(らしい)のだが、彼女の親友だったE子や仲良しグループのA子たちが、D子を支持するようになったのだ。
C子は部活に来なくなり、やがて教室にも塾にも、学校にも来なくなってしまった。
いつもC子と一緒にいたA子やE子は、いつの間にか、当たり前のようにD子と行動を共にするようになっていた。
しばらくして、C子は別室登校を始めた。
同じクラスの元仲良しグループのメンバーで、唯一彼女のことを心配していたFちゃんだけは受け入れて、それ以外の生徒と会うことは拒絶していたらしい。
私は、正直自分のことに精一杯だったけど、いつの間にかC子の机が物置みたいになっているのにはさすがに憤りを覚えて、毎日放課後、彼女の机の中に無造作に入れられた物を取り出して、教卓の上に置くようにしていた。
けど、ある日、「C子ってずるいよね。うちらが必死になって勉強してる間、ずっと保健室で手芸してるんだよ」と、E子がA子やBと、教室で何の悪気もなく話しているのを聞いてしまった。
つい数か月前まであんなに仲良くしていたのに、とか、誰のせいでC子がそんなことになったと思ってるんだ、とか、思うことは山ほどあったけど、とっさに言葉が出てこなかったし、声を出したら泣いてしまいそうだった。
あの時、私の代わりに「そういうこと言うのやめろよ」と止めてくれた男子のことは、今でもヒーローだと思っている。
E子みたいな人がいる反面、彼のように思う人がいる。私も、少しでも力になりたい、そう思って、私は保健室のC子に充てて、ルーズリーフいっぱいに手紙を書いた。預けたのはFちゃんだったか保険の先生だったかは覚えてないけど。
一方、私はなぜかA子たちと同じクラスに入れられていた。ついに先生にも見捨てられたかと思ったけど、差し伸べられた手をとらなかったこともあったし、まぁ仕方ないと思って受け入れた。
中3のときは、受験学年だからか、成績がトップだった私は、いつしかみんなから頼られるようになっていた。人に勉強を教える楽しさを知ったのもこの年だ。
大人になったのか、それともみんなが私に頼っているからなのか、私の目からはカーストが見えなくなった。
卒業間際に私は色んな人に謝られた。
「助けてあげられなくてごめんね」
「ひどいことしてごめんね」
中には、私が音楽の先生に推して採用されて、卒業式に歌った曲の歌詞になぞらえて、すごく遠回しな謝罪をしてくる子もいた。
けど、私が本当に謝って、理由を説明してほしかったA子やBからは何も言葉はなかった。
A子が幹部を務める成人式の後の同窓会に誘われたり、成人式でA子から声をかけられたりしたので、もしかしたら彼女の中ではあの中2の一年間は書き換えられているのかもしれない。
私は、この中学3年間で、「女の子同士の付き合い」というものを一切信用できなくなった。
育ちの良い子が多かったので、わかりやすくて派手な「イジメ」はなかったけど、その分みんな傷つきやすくて、やっていたことも陰湿だったんじゃないかと思う。
けど、目に見える行動ができなくても、気に掛けている人は絶対にいる、ということも学んだ。
傍から見ても明確な理由がないのに、なぜかハブられている人がいたら、大人だってそう簡単に行動を起こせない。カースト意識に縛られた中学生の女の子ならなおさらだ。
ごめんなさいおっしゃられたことを理解できてないかもしれませんが
中学生と小学生で、程度に関係なく暴力が振るわれている時点で、自分には友達関係とは思えない
それはほうっておくしかない?
そうですよね自分も何も思い付きませんでした
子どもの勉強を見ていて「知らない英単語を調べる方法」が定まっていないことに気づいた。
学校で一律購入したPCにはもちろん英和辞書が入っている。しかし紙のワークシートに行う英語の宿題のためにPCを手元に置いて必要時立ち上げてパスワードを入れ、アプリから調べる、というのはめんどくさいのだそうで、本人はこれまで教科書をひっくり返してなんとか探し出していたようだ。
なるほど使われる単語が限られている現在はこの方法が一番早いのだろう。
が、この方法は早晩行き詰まることが予想される。
・ググる
・Google Homeにきく
我が家の環境だとざっと考えただけでもこれだけの方法が考えられる。
調べ方を身につけることも勉強ではあるのだが、今の主目的はそこではない。その時々で簡易と思われる方法を使い分ければ良いとは思う。
ただしググるといってもスマホでちまちまアルファベットを入力しなければならないし、Google HomeやSiri、アレクサに聞くにしろ、前提として正しく読めなければ話にならない。知らない英単語を調べる方法としてはいささかハードルが高いかもしれない。
少なくとも親としてはやり方を示してそれぞれに一長一短があるよ、というような手助けは必要になるだろう。
選択肢が多ければ多いほど試して比較検討して……という作業が増える。それは英単語の調べ方に限らず、全てのことに言えるのだろう。時の経過と共に選択肢を増やしていった我々と違って、今の子どもたちには最初からたくさんの選択肢が用意されすぎている。
そのうち友だちに訊くなどしてうまいこと自分に合った方法を探し出す術を身につけていくのかもしれない。それまでもう少し、自分も学びながら水先案内人を勤めていこうと思う。
【追記】
思ったよりたくさん反応いただきました。アドバイスありがとうございます。
中1なので、スマホを学習に使うのはちょっと難しいかなと考えていました。
そしてとりあえずお下がり(でした)の辞書ではなく軽くて使いやすそうな中学生向けの辞書を買いました。3000円くらいだし、コンパクトでカラフルなものがたくさんあって、餅は餅屋だ……と思いました。使用状況を見て電子辞書も検討したいと思います。あと机を広く使えるようにします。
どうもありがとうございました!