はてなキーワード: プレゼントとは
問題は③のコレクションなんだよね。東京オリンピック記念硬貨、へその緒とか母子手帳とか小学校の母の日のプレゼントとか。使う機会まずない。好きだったぬいぐるみとか家族みたいなものだし。中学高校の制服とかもなかなか捨てられない人いる。
今の汚いし丁度いいと思ったからクリスマスプレゼントで買ってきたよ」だ
それ欲しいなんて一言も言ってないしトースター買うなら違う商品が良かったしなんならトースターまだ使えるから勝手に家電買ってくるな!!
何が欲しいか本当にほしいか確認もしないで買ってきたくせに「折角選んでやったのになぜ喜ばない?!」ってキレんのもうざい
キレたいのはこっちだよ
前も頼んでもいない好みでもないプレゼント贈ってきやがったし使わなかったらグチグチ言われるし
それなら何欲しいか聞けよ。
なにが「黙って買ってサプライズするからプレゼントの価値がある」だよ
謎理論押し付けてんじゃねーよ欲しい物的確に理解してる奴しかうまくいかねーよ
その癖こっちが喜んでくれるかと思ってやった事については「嬉しくないしなんの価値もない」とか切り捨てんだぜ?呆れる
10年来の友人が突然無理になりました。
箇条書きにします。
・会っても携帯をずっと触ってラインかツイッターかを見ている。(中学生の時はずっとイヤホンで音楽を聞いていた)
・物の受け渡しで会ってもすぐに帰る(玄関先でやりとりする)し近所に住んでるのに予定が合わない。
・相手から来ると言って、近所に住んでるのに時間通りに来ず、1時間後に「頭痛いから今日は無理」の連絡。
・観て欲しいと私が言って、相手が観たいと言ったDVDやCDを貸しても見ない。聞かない。
・数年前の2人旅行で前日に徹夜。行き帰りはずっと寝てるし旅行中はずっと不機嫌で話しかけても生返事で撒く勢いで歩き自撮りばかりしている。
・察してちゃん
・怒った時に口汚く罵る
・インスタグラムで他の人とのツーショットないしはスリーショットは投稿するけど私は無い
大きい理由はこのくらいでしょうか。
これだけ書きましたが、私にも悪いところはあったと思います。まぁ相手からは何も言われないので(察してちゃんなので)何が嫌だったかもわかりませんが…
直接言わない私も良くないと思います。でも、いつもなにかに怒った時はすごく口汚く罵るから言いにくかった。
あまりプライベートなことは話さないから聞きたくないのかと思って気持ち的なことは言いづらかったし…察してちゃんなので察してあげたら動きづらくなってしまった。
中高と一緒だったのですが、大学で進路が分かれて全然私とタイプの違うひとと遊ぶようになったりして相手も変わったのだと思います。
私といたら嫌なことがあったのかなと思うとすごく悲しい。
上記には書きませんでしたが、相手がすごく美人だったのもすこしコンプレックスでした。
同じバイト先だったので、どうしても比べられることはあったと思います。他人に比べられること自体はそれほど気にならなかったのですが、彼女から見下されてたらどうしようと思うのが嫌でした。
実習や仕事のことで愚痴を言ってしまうことが多かった時期があったので、それも嫌だったのかも。
私が嫌なことがあったらそれで頭がいっぱいになるタイプなのである程度はしょうがなかったと思うけど、毎回愚痴られるのはうんざりしていたと思います。
貸したDVDを見てくれないのも嫌だった。
私は彼女が見てほしいと言った漫画はぜんぶ読みましたぎ私のおすすめは全然みてくれない。
バイトで「普通こうするやろ」ってその時初めて言われたことを本当に常識が無いみたいに注意のがずっと引っかかってます。
私は「普通」なんて無いと思ってるので、彼女にだけは言ってほしくなかった。ていうか最初から言ってないことを「普通」という共通かも分からない認識のもと注意しないでほしかった。クソ上司みたいなこと言わないでほしかった。今おもえば、元々そういう人だったのでしょう。
再就職先に初出勤する前日に「彼氏ができた」と報告されたのも嫌でした。
うるせえと。
すごくナーバスになっていたので衝撃は5倍でした。
今は彼氏がいる彼女(ややこしいな)が気色悪いです。匂わせ投稿が……目にあまる…………
彼女が誰かとご飯を食べた、みたいなツイッター投稿をするたびに「私とは遊ばんのに…」みたいな気持ちになるのが嫌です。
まぁ遊んでも嫌な気持ちになる確率はフィフティー・フィフティーなんですけど……
上記にあったように、私と撮った写真だけインスタに上げられないのも、「私は大学の友人やには見せられへんほど見苦しいのか?オシャレインスタグラムにはふさわしくないほどダサいのか?」と思って嫌でした。わたしは第一級のオシャレをしてるつもりなんですけどね。
無言でやるのが感じ悪いですね。
所詮近くにいてもソーシャルネットワーキングサービスに繋がれた友情だったのかもしれません。
私たちには対話が足りなかった。旅行に行くたびにくれるお土産なんて欲しくなかった。誕生日プレゼントも買いたくないならくれなくても良かった。
ほんとうに、対話が足りなかった。
今からでも話せたら、何か変わるのでしょうか。
ちょっと長くなるけど、どうすればよかったのか未だにわからんから聞いて欲しい。ていうかタイトルこれにしたけど子猫を拾ったのは私ではない。
A子
正義感が強すぎる。何故か彼氏と3カ月以上続かない。ペット不可マンション在住。メンタルが弱い。
B美
お金がない。手帳持ちの非正規雇用労働者。ペット可の平屋在住。メンタルが弱い。
隣人カップル
私
メンタル普通のアラサー女。小動物が家に居るので猫は飼えない。
7月のとある台風前日の夕方、B美がSNSに「こんな台風の前日に子猫が田んぼに捨てられてる!!」と投稿した。
私はどっかに親猫が居るかも分からんし、私は猫を飼うことは絶対にできない状況なので、可哀そうかもしれないがとりあえず出来ることはないな…と思い、特にリプなどは送らずスルーしていた。
そしたら正義感の塊のA子がいつの間にかB美の元に駆け付けており、私が次にSNSを見た時には何故か保護してB美宅まで連れて帰っていた。子猫は3匹居たらしい。
その直後、B美の家でバーベキューが開催されたので、私も遊びに行った。
猫はどうなったんだろう?となんとなく思っていたら、B美は一応働いているため日中の面倒が見れない…ということで、何故か隣人の無職カップルに猫は預けられていた。
この時点で「飼えないなら拾うなよ…」と友人2人に少し思ってはいたが、まぁ口に出すことではないなと思ったので特に何もその件について話はしていなかった。
すると、バーベキュー中に事が一転、隣人カップルが猫の世話を放置していたので、3匹中の1匹がいつの間にか弱っていて死んだ。
バーベキューは急遽中止となり、残りの子猫を病院へ連れていくことになる。
病院代はその日バーベキューに参加していた人で何故か折半になった。私も猫がこれ以上死んだら気ぃ悪いなと思い、とりあえず払った。
隣人カップルはカルト宗教の信者なので、基本的に病院に連れていったり、そもそもマメに動物を世話するという概念がないらしい。(自然派?みたいなやつ?)
しかし「もうこの猫たちは私たちのものだから!」と、世話もしないのに飼う気は満々。
ここでもA子の正義感が爆発。さすがに私は「一応B美の隣人なわけだし、ご近所トラブルになっても面倒だから穏便に事を進めた方がいいよ…」とは言ったが、A子は正義感が強すぎて人の話を聞かないので、気付いた時には隣人宅に押しかけて猫を奪還していた。
奪還した猫はB美の家を隣人から見えないように窓を目張りして、隠しながら飼うことになったらしい。正義とは一体なんなのだろうか…。
元野良ということで生き延びた2匹もまだ予断を許さない状況。再度病院へA子とB美で連れて行ったらしい。
当然私は直接関係ないので、SNSでその様子を「ふ~ん」と思いながら特に気にせず見ていたのだが、急にA子から連絡が。
「増田さん…思ったよりも病院代にお金がかかってしまって。頼らせていただけませんか?」
いや、まじでなんでとしか言いようがなくて驚く。
とりあえずどんな計算だったか忘れたが、変に揉めても嫌だしB美がまじでお金ないのも知っていたので数千円だけ支援し、
「私はこれ以上お金は払わないよ。エサとかおもちゃなんかの物を手土産でプレゼントするのと、お金を直接支援するのは同じ額だったとしても違う。今後どうしていくのかはお金のことも含めて当事者2人で話し合って。」
と伝える。
後からB美から聞いた話だと、A子は増田さんは冷たい的なことを言ってたらしいので、多分私の言いたかったことは何も伝わっていない気がする。言い方が分かりにくかったかな。
2人で話し合った結果なのか何なのか分からないが、A子がSNSのフォロワーや自分の知人関係に向けて支援を募り始めたらしい。
いや、支援じゃなくて自分たちで勝手に保護した猫なんだから自分たちのお金でなんとかしなさいよ…と思ったが、私が言うことでもないので傍観していた。
そして、そこで集まった猫用トイレ・猫用テント・餌etcがB美の家に運び込まれた。
猫って聞くと無条件に何か行動する人ってやっぱり結構居るんですね。
2人で保護した猫ではあるが、世話をするのは結果としてB美1人である。
始めての子猫がしかも2匹ということ、まだかなり小さいので目が離せない状況であるということ、隣人から強制奪還した故に隠さなければいけないストレス、そしてイタズラでまき散らされる糞尿と餌、在宅中は永遠に続く後追い…元々手帳持ちでメンタルが激弱なB美は完全に鬱になってしまっていた。
自分の睡眠食事もままならず、仕事も体調不良で早退を繰り返すことに。
さすがにこのままだと猫もB美も共倒れになるのでは?と私は思い、とりあえずSNSなどで励まし続けた。
特に糞尿をまき散らされることが本当にストレスだったらしく、B美はA子から貰った猫用トイレを恨みはじめた。SNSにもトイレを恨む八つ当たり風味な投稿が増えた。
まぁ、どう見ても大人猫用のでっかいトイレだったので、離乳したてレベルの子猫では上手に使えないだろうなという感じではあった。実際足が滑ってしまうため、結果的に最後まで子猫が用を足すことは一切なかった。
B美がSNSに現れなくなった。猫の悩みを吐露するたびにA子含む様々なフォロワーからアドバイスが色々を送られてきたりするのがしんどかったようだ。
いよいよこれはまずいな、と思い、A子に
「B美の様子を見てきます。多分トイレがストレスになっていて、そういう状態の時はトイレを見るだけでイラつく可能性が高いから申し訳ないけどトイレは処分するかもしれない。」
と連絡を入れ、A子からも「OK!まだ新品に近いしメルカリに出してもいいよ」と返事をもらい、現地に向かった。
メンタル病んでる時にメルカリで交渉したり綺麗に洗って発送したりは無理だかからこれは処分だな、と考えながらB美の家へ。
子猫でも使いやすいトイレと子猫用ちゅーるをプレゼントし、話を色々聞いてあげたらB美もちょっと元気を取り戻した。
明日がプラゴミだから明日トイレを捨てよう、リセットしたら気持ちもちょっと切り替わるよ、ということで私は帰宅した。
これでひとまずひと段落だなと思い家でゴロゴロしていたら、A子から大量のLINEが。
などなど、ご丁寧にクラファン支援者からのメッセージの写真付きでお気持ちがバーッと送られてきていた。
何だ?何がどうした?と思っていたら、A子はずっとB美がトイレに八つ当たりしているSNS投稿を見ていなかったようで、この時はじめてそれに気づいたようだった。
「こんなにみんなが親切心で支援してくれているのに、それを踏みにじる行為をされて、とても傷ついています。」
「増田さんは同じことされて許せますか?私はもうちょっと許せないです。」
「私はいつも不器用でこんな目にあってばっかりです。私だからB美もあんな言い方をしたんだと思います。」
などなど色々来ていて、「えー…めんどくさ…」と思ったので、とりあえず私は
「うん、そうだね。気持ちは分かるしB美の八つ当たりは良くなかったけど、B美もノイローゼになっちゃってるし、動物は人から貰ったものだからって気を遣って使うとかできないし、仕方ないかなって私なら思うかなー。」
と返した。
なお、A子はそれと同時にB美に対して
「そのトイレは人から支援してもらったものなんだよ?気持ち踏みにじるなら返して。」
などと送っていたらしい。
え、メルカリで売っていいって言ってたのは何だったん?
ちなみに私の上記の返事はA子の気に障ったようで、気付いたらLINEもSNSもブロックされていた。
自分の生活もままならないくらいメンタルが追い詰められている中のトイレ返せ騒動でB美の鬱は悪化した。
悪化したが、とりあえずこれ以上揉めたくないので、力を振り絞ってトイレ以外も全てA子から貰ったものは段ボールに詰めて送り返したらしい。
そしてその全てを送り返した行為がA子は当てつけと感じたようで、SNSに
「あげたもの全て返すって、そういうことして欲しいわけじゃない。」
「私は猫は飼えないからせめて出来ることをしようって思っただけなのに、それが迷惑だったってこと?」
「なんで傷つけられた側の私が謝らなければいけないの?」
的なことを投稿していたらしい。
(私はブロックされたので見れないのだが、逆に何故かブロックされていないB美が教えてくれた。)
これは予想に過ぎないのだが、きっとそれに理解ある風のオジサマたちが「元気だして!」「A子ちゃんは悪くないよ!」とリプしてるんだなと思った。
猫拾いに関わるつもりなかったはずなのに、揉めたくないからって日和って2回目のお金払った私の自業自得だなと大反省した。
あと、今まで偏見はよくないと思って来るもの拒まずで人付き合いはしてきたけど、メンタル弱い人に深入りしてはいけないと改めて思った。
特別猫が好きなわけではないが、シュレーディンガーの猫みたいに生きているのを見ちゃったので、2匹の子猫が健やかに育って欲しいとだけ願っているよ。
年収400万ちょっとでマイホームじゃないのに複数ローン?がある状況って何?
車?奨学金?どんな生活して借金背負ってるの?月々の返済金額は?
家計管理してたなら、食費どれくらい?通信費は?家賃は?自分の小遣いと嫁の小遣いはいくら?
東京で住宅手当なしの収入400万世帯が専業主婦は厳しいと思うけど、地方なら専業主婦でも家買えるレベル。
うちは地方暮らし400万いかないくらいだったけど子供2人いて普通に家買ったし車は中古だけど一括で買ったんだよなぁ。
子供に習い事はさせられてるしなんなら一緒に習い事して、貯金も増えてる。
子供を引き取った場合は協力を求められるほど近くに実家があって、マイホームもないのに複数ローンもちってのが全然わからない。
奨学金なら就職後数年実家暮らしして返しておけよと思うし(奨学金返済中に出ていけと言われるような関係性なら子育ても協力的とは思えない)、車ならローン使わないと買えないようなもの買うなよと思う。
お祝いとしてもらった金額が50万なの?お祝い返しして50万なの?(出産祝いとしては100万もらったってこと?)
50万ってわりと多いと思うんだけど誰からもらった祝い金?
純粋に50万溶かしたなら使いすぎ感はあるけどお祝い返しして約25万になってたのなら溶かしたってほど溶かしてないと思う。
うちは出産準備や育児用品だけでけちってけちって軽く15万ほどはかかってた。
出産祝いいただいて、ブランドのベビー服買って食事会開いて祝ってくださった人をもてなすって、お祝い金の使い道としてそこまで間違ってるようには見えない。
乳幼児連れでランチ豪遊三昧がそうそうできるとも思えないんだけど、元嫁は友人との食事でいくら使ってたの?
その友人はお祝いをいただいた人ではないの?
それに出産祝いって検索したら産婦に贈る品もたくさん出てくる。
それって出産祝いには赤ちゃんに対してだけでなく、産婦も健やかに幸せに過ごせますようにって気持ちがあるからだと思う。
私が子供(男)に出産祝い渡して、嫁が産後整体に通うのに使いましたとか、お祝いに豪華な外食しました、エステに行きましたって言われても出産お疲れ様そしておめでとう!存分に癒されてね、としか思わん。
実際私も夫からの出産祝いとして医療脱毛やら温泉やら行かせてもらったわ。
使い道がギャンプルとかならドン引きだけど、産婦が自分のために使うのがそんなにおかしいとも言えないんじゃ?
そして養育費についてなんだけど、離婚すれば嫁にかかる費用は不要となりそれだけでも軽く4万はあるだろうし、一人暮らし用の家に引っ越すもしくは実家暮らしになりゃ15万は無理でも10万ほど家計に余裕ができるでしょ。
どう見ても家計管理は主もうまくないと思われるのに一方的に元嫁の金銭感覚批判とか、(書いてある内容だけでは)出産お疲れ様の気持ちが見えないところとか、養育費を決める際も支出を減らすこともせず頑なに算定表中央値から譲らないところとか、そのわりに目の前で笑顔を見ることのできる誕生日だけ物で釣って満足感を得ようとするところとか、全然理解できない。
子供に会わせないと養育費は渡さないと脅してくる人間に対してはそりゃ他人行儀になるよなぁ。
子供が笑顔で接してくれて懐いてくれりゃそれで主は幸せなのかもしれないけども、子育てってアンパンマンのプレゼントあげるだけじゃ育たない。
元嫁と連絡とれるなら、離婚の話し合いの最中でも、今困ってることはないか、必要なものはないか、服や靴を買って送ってもいいかと聞くとか、図書カード送るから絵本でも買ってあげてほしいと頼むとか、いろいろできることはあっただろうに。
元嫁憎しで子供巻き添えにしても構わないって態度が透けて見える。
本気で子供のこと考えてるようには思えない。
「配偶者との仲は悪いが子供との関係は良好」ってまずありえないから。配偶者を飛び越えて子供と仲良くはできないよ。子供と関わりたいならまずは配偶者とのコミュニケーションの仕方(離婚しないということではなく)を考えるべきなのに「子供と合わせろ」一点張りだし、やるべきことはプレゼントを山ほど用意することなの?
離婚したくないなら尚更話し合いをすべきだし、親権が欲しいなら本当に自分がひきとれるのか仕事や生活パターンなどについて一考し計画を立てるべきだし。もっと頻繁に子供に会いたいのならそれはそれで公的な方法があるはず。
「一方的にこんな目にあった」とは言ってるけど、何を目指してどう行動したか書いてないから「気の毒だけど、行動次第ではそらそうなるわな」と思う。
母子家庭で、母親からは何かのプロになりなさい、絶対に男を頼って生きてはいけない、甘えたら漬け込まれると教えられて生きてきて、今20代半ばで年収700万円。頑張ってる方だと思う。
色々買ってもらったり、彼氏の家に転がり込んで働きもしてない子を見てこうはなりたくないと思ってた。
彼氏は今まで3人いてみんな年上だったけど、借りを作りたくないと思って絶対割り勘してた。プレゼントも自分がもらった額以上のものを渡してた。それを言って可愛くないと言われても可愛いと見下されるほうが嫌だと思った。
最近マンションを買って(都心じゃないからそれは大したことない)友達とルームシェアを始めた。私は在宅勤務、友達はまあまあ通勤時間かかる場所で働いてるから、平日は私が家事をやることが多い。食費もらってるけど、いいものを食べさせてあげたいし癒してあげたいから予算オーバーしても時間かかっても美味しいごはん作ってあげたい。生活を快適にするための家電やグッズもたくさん買った。
で、気付いたことがある。こうやって誰かに尽くすのがすごく好きだったんだと。
それで色々考えてたら、どんどん本来の自分が出てきて、本当は男の人の優しさを突っぱねずに受け止めたかったなと。そういえばあの時も甘えたかったな、プレゼントもらって嬉しかったな、守りたいって言ってくれて嬉しかったな、ととうもろこしを切りながら涙が笑えるくらい出てきた。
今の時代に合ってない考えかもしれないけど、主婦になりたい。働きたくないわけじゃないから仕事はしたいけど、愛する人の帰りをご飯作ってお風呂沸かして部屋をぴかぴかにして待っていたい。
真偽の程は定かでない。
しかし実際に自分の子どもの身に起こったとしたら、あなたならどう対処するか?
息子が給食のカレーをこぼして女の子の服にかけてしまった。帰りが遅いので学校に行ったら必死で洗っていたとのこと。泣きながらママごめんと。先生と相手の親に許可を取り持ち帰って色々な方法を試みたけど取れない。
担任の先生も一緒に洗ってくれたそうですが、何らかの理由で途中から男の子1人になり、そこに自分(男の子ママ)が迎えに行ったのだと思うとのことです。
驚きの返事
「私(母)は別にいいと思うけど、やられたのは娘。娘には普段から『例え謝られても許せないことは許さなくていいよ』と教えてる。許しは強制されるものじゃない。〇〇君には娘に誠心誠意謝って許してもらえるように頑張ってと伝えてね』
そこから3ヶ月。未だに許してもらえず事あるごとにみんなの前で
「〇〇はほんとだめ。カレーとかやらかすから😆」とネタにされる。
周りの子まで真似し出しさすがに度を越しているのでやめて欲しいと相手の母に伝える。
「始まりは〇〇君だから仕方ないよね。娘は被害者。言われたくなければさっさと娘に赦して貰えば良いのよ。ここからが本番。お手並み拝見ね」
受け取り方によって言葉がこうも変わってしまうのかと本当に残念。それから相手の謝意を弄ぶな。許せなくてもいいから「わかりました」で気持は受け取ってよ
女の子も母親も私含め周りに言われたことに対して本気で「?」って顔をするんです。
「なんで被害者を責めるの?やられた方だよ?未成年が罪を犯した時に報道で被害者ばかり映すのと同じ。加害者は責められずに刑期が終われば終了。私はそれはおかしいと思う。そんなの全然反省してることにならない
私(母)を言いくるめようとしてもダメ。娘と私は別の人間だから。母子分離できてない親子と一緒にしないでほしい。
どうしたら謝罪の言葉が娘に届くか親子でよく考えたら良い。そもそもやらなきゃ良かった話。やってしまった以上仕方ない。ここからよく学んで成長していって欲しい。
「おばあちゃんにお誕生日のプレゼントに買ってもらった大切な服だからそれ以外はイヤ!」とはねつけられてしまったそうです。そしてそれは娘の意見だから尊重しなきゃね、と女の子のママ。
ある日突然出張から帰ってきたら荷物をまとめて実家に帰ってて、以後はLineのみのやり取り。
まずは子供に会わせてくれという要望は一切無視、子供の写真を送ることすらせず、更には元嫁両親からの「実家に近付いたら警察を呼ぶ」という宣告。(元嫁が暴力を振るわれて追い出されたと言っているらしい)
当初元嫁は何か入れ知恵されたのか、肉体的なDVの証拠が無いことを指摘された後も「経済的DVが~、精神的に追い込まれて~」など色々のたまわっていたが、調停の担当者がこの時はまともで協議時の履歴や発言に一貫性が無いことであくまで『性格の不一致』という形での離婚には落ち着くことができた。
親権は協議時に決まらなかったので、子供が小さいこともあってかほぼ強制的に元嫁側が取ることになり、そこから養育費の話で泥沼になった。
通常はお互いの年収から算出される表で決まっているのだが、慰謝料が取れないと確定したからか表の金額では少なすぎると文句を言い始めた。
「こんな額じゃ習い事一つさせてあげられない、子供が可愛くないのか」「あなたはお金を渡して終わりなのに、少しでも多く払おうと思わないのか」そんな言葉を元嫁からも元嫁両親からも終始投げ掛けられ、調停担当者も「算定表は必要最低限の金額なので、今の子育てにお金が掛かる時代では少なく感じる金額ですね」と元嫁側の肩を持つ感じだった。
そんなに経済的に不安があるなら離婚しなければいい、親権も取らなければいいと思っていた、こっちが一方的に殴られているのに「お前を殴った手が痛い、責任を取れ!」と言われてる気分だった。
結局調停が平行線で続いても自分は算定表金額の中央値で絶対に譲らず、担当者の最終的に裁判したとしても金額は変わらないという言葉に元嫁も折れたようだった。
全てが終わる頃には2歳だった息子は3歳を目前にしていた。
初回の養育費は息子の3歳の誕生日に手渡しする、それ以外は認めないと言ったこちらの要望に、嫁は意外なほど素直に応じた。
誕生日プレゼントは山程用意した、当時好きだったアンパンマンや緊急車両のおもちゃ、少し大人になったから好みも変わるかと思いネットで色々調べて3歳に人気のおもちゃも沢山見繕って、買い物している時から高揚する気持ちを抑えることが出来なかった。
元嫁の実家での面会だったが、当日は義両親は出掛けているとのことで、少し気が楽になった。
呼び鈴をならし、元嫁がドアを開ける、そこにはずっと会いたかった息子の姿もあった。
前までなら帰る度に大声で「パパ!パパ!」と飛びついてきたはずの息子は、元嫁の脚にすがり付いて、こちらを静かに見つめていた。
あまりの態度の違いに茫然自失になりながら、リビングへ向かう元嫁と息子の後ろを力無く追いかけた。
「増田さんがプレゼント買ってきてくれたよ、お礼言わなきゃ」とまるで遠い親戚が来たかのような物言いの嫁に合わせて、息子は少し照れながら「ありがとう」と言った。
今までの息子のお礼と言ったら大人の真似をして全身を使ってお辞儀を繰り返してニコニコ笑うもので、それが可愛くて一緒になって同じ動きをしたりして二人で笑い合っていたのにな。
一緒に座ってプレゼントを開けながら、絞り出すように「パパだよ、覚えてる?」と息子に精一杯の笑顔を見せた。
「パパ、おぼえた」と言う息子の「パパ」は、元気一杯で全力で世界に一人だけのパパを呼ぶ今までの言い方ではなく、この人はパパという呼称の人なんだ、という呼び方で、同じように呼ばれているはずなのに全く違う言葉のように聞こえた。
そこからはもう堪えることができず、2時間の面会の予定だったけれど、15分で切り上げて養育費の入ったアンパンマンの小袋を嫁に押し付けて、飛び出す様に家を出た。
車に乗って、少し離れたコンビニの駐車場に車を停めると、大声で泣いた、子供の頃だってこんなに泣いたことは無いと思うぐらい嗚咽した、人生で初めての経験だった。
悲しかった、悔しかった、寂しかった、情けなかった、自分が意地を張らずにもっと調停を早く終わらせて会いに行ってればこんなことにならなかったのかと死ぬほど悔やんだ。
次に怒りが沸いた、また実家に戻って元嫁を殺して子供を奪い取ろうかと考えた。
でも今の息子からしたら他人が来て、大好きなママに酷いことをする人間にしかなれず、結局自分が捕まれば子供は両親を失ってしまうと思うと何も出来なかった。
その後も泣き続けた、自分の中の水分が全部出尽くしてしまうんじゃないかと思った、そのまま渇れて死んでしまえばいいと思った。
そのまま泣き続けて、気がつけば外は真っ暗になっていた。
そこからどう帰ったかは憶えてないけれど、どこを見ても息子との思い出だらけの自分の家を何も見たくなくて、倒れるようにベッドに入ってまた泣きながら寝た。
元々冴えない人生だった、生きてる意味があると思えたことがなかった。
それでも子供が出来て、この子のための人生だったと思った、自分に出来ることは全部してあげようと思った。
どれだけ疲れて帰ってきても、息子とお風呂に入るだけで癒された。
どれだけしんどいことがあっても、寝かしつけている時にうとうとし始める息子の顔を見れば何だって出来ると思えた。
面会はまた半年後に予定されているけど、1年に2回だけあえる得体の知れないパパでいることが子供にとって良い影響を与えるのだろうか。
【追記】
ここまで見られると思わなかった、考えを整理出来てないままでも吐き出さないとおかしくなりそうで書きなぐった、日本語が所々おかしいのは申し訳ないです。
自分でも「これは嘘の話で起きたら隣に息子の寝顔がある朝が戻ってくる」と馬鹿みたいなことを考えているので皆にも嘘だと思っていて欲しい。
一応、目についた疑問とか、ちょっと反論したいことにだけ答えます。
元嫁の実家は経営者で、金銭面での苦労はしたことなかったらしい。(結婚後はあんまり甘やかすのも良くないと言われて大っぴらな援助は無かった、というか男は自分で稼いで家族を喰わすもんだみたいな思想の人だった)
一方で自分は30前半で年収400万ちょっとなので、正直贅沢な生活とかはさせられんかった。
元々恋人時代に「お肉買って帰ってきて」って頼んだら黒いパックに入った国産和牛とか選んでくる人だったのと、子供が産まれた時に貰ったお祝い金50万をブランドのベビー服や友達とのお食事で一瞬で溶かしたこともあって、家計は自分が管理してました。
元嫁には子供のために使うという名目で月3~4万渡してたのと、必要であればその都度別に渡してた。
加えて元嫁は父親の会社で時折パートはしてたが、その給料も家計には加えなかった。(そもそも幾ら貰ってたのかも分からん)
当然家計は火の車で、カードを駆使しながらやりくりしてたんだが、件の出張の直前に「もっと広くて綺麗な家に引っ越したい」「マイホームが欲しい」みたいな話をされて、支払いに頭を抱えていたこともあって「頼むからもう少し現実を見て欲しい」「もっと色んなことを諦めないとダメだよ」と軽い言い争いなってしまったのが原因かと思っている。
·子供を育てられる自信あったの
もちろん一人では無理だと分かっていたので、自分の実家で両親の援助を受けれることを確約し、その上での提案でした。
·何で養育費を出し渋ったの
前述した通り生活がかなりカツカツだったのでいくつかのローンなどもあり、そもそも生きていけない⇒養育費を支払えなくなるという状態を避けたかった。
ちなみに元嫁の希望した当初の養育費は月額15万、相場の3倍でした。
月額15万を要求するような感じだったので全然話がまとまらずにとにかく長引いて、調停から裁判に移行する一歩手前だったけれど、弁護士を雇うようなお金も無かったので何とかして調停で終わらせたかった。
そして3歳の誕生日にも会えないというのも避けたくて少しでも早く解決したいと焦っていたところで、「もうじゃあ養育費は相場通りでいいから、会うのは盆正月ぐらいにして」と溢した元嫁の条件に後先考えずに飛びついてしまった結果です。
·15分で帰ったり、殺したいって言ったりヤバいでしょ
「色々あったけど誕生日の日は家族としてお祝いしたい」という相談を事前にしていたのにも関わらず、息子に自分が来ることは一切伝えていなかった。
夫婦の頃には元嫁もパパ呼びだったのに、当日は子供の前であてつけのように終始「(苗字)さん」呼びをされたため、こちらが息子に「パパだよ」と伝えているのに、その後にわざとらしく元嫁が自分のことを名字で呼ぶことで息子にまで「(苗字)さん」と呼ばせようとしたことに本当に腹が立った。
後、息子の今までと違うパパの言い方にとても平静でいられなくなり、折角の楽しい誕生日を言い争いする元両親や涙を流す父親の姿にしたくなくて、逃げ出すように家を出たことを分かって欲しい。
「殺したい」なんて書いたけど、少しよぎったくらいの話で、緻密な殺人計画を考えるようなことはしていないよ。
皆さんは余程の人格者なのでそういう感情が沸くこともないのでしょうけれど。
·これからどうするの
実は皆さんの言葉で結構救われました、「時間が解決する」系の内容には淡い期待を抱いています。
少しは落ち着いたと思っていたけれど、仕事から帰ってきて少し横になろうとしたら、息子が大切にしていたはずのアンパンマンの人形がおきざりにされているのを見てまた号泣するぐらいには情緒不安定なので、そんなんだから離婚されたというのにも否定できずにいる。
まずは自分の生活を立て直さないと子供に何かあった時に何も出来ないので、節約生活を頑張ろうと思います。
ソース:https://www.animefeminist.com/history-not-with-a-bang-but-a-letter-violet-evergarden-rewrites-traditional-world-war-i-narratives/
暁佳奈のライトノベルを原作とする京都アニメーションの名作、ヴァイオレット・エヴァーガーデンがネットフリックスで公開されたとき、初見の私が想像していたのは、Foreignerのヒット曲さながら、愛というものを知ってみたい少女の無邪気な物語だった。まさか号泣することになるとは。
ものの数分でその予想は裏切られた。
この作品は涙なしには観られない戦争ドラマであり、スチームパンクな歴史改変モノだったのだ。しかし、何よりもトラウマにまつわる物語だとわかった。
PTSDの歴史、1900年代初頭の文学作品における定形表現、そして人気ジャンルである「戦争物語」を、本作は、少女兵士を主人公とした上で見つめ直している。第一次世界大戦の歴史、とりわけ女性の歴史を振り返り、再解釈することで、かつての物語に対してフェミニスト的なテーマを根底に据えた新たな息吹をもたらしているといえる。
戦争物語という切り口からヴァイオレット・エヴァーガーデンを解説している人は珍しくない。例えば「Mother’s Basement」というYoutubeチャンネルでは、人情味を持って共感を表現し、ヴァイオレットの成長を描ききったシナリオの妙について見事な考察動画がアップされている。だが、トラウマや障害を抱えた少女が自信を持って活躍できるようになっていく様子や、いかにPTSDがリアルに描かれているかという点については、あまり取り上げられてこなかったように思う。
この点を踏まえた上で、テルシス大陸における戦争のモデルとなった、第一次世界大戦の基本事項を整理するところから始めようと思う。ざっくりと言えば、この大戦は1914年から1918年の間に起こったもので、何がきっかけとなったかは諸説ある。開戦とともに急速に戦火が拡大したけれど、1914年の冬までには終結するだろうというのが大方の見方だった。
その目算が外れたのは言うまでもない。戦争は4年も長引き、フランス、ドイツ、イギリスを中心とした各軍のインフラは、塹壕戦と呼ばれる、この時期に流行した新しい兵器や戦法に対応するための装備が圧倒的に不足していた。
兵士の多くが若く経験不足だったこともあり、戦いは想像以上に過酷なものになっていった。戦争から帰還した兵士たちの間には、「新しい」病気が蔓延した。俗に「シェルショック」と呼ばれ、後に「PTSD」や「PTSS」 (心的外傷後ストレス障害、外傷後ストレス状態)として診断されることになる、「男性ヒステリー」という病だ。
「ヒステリー」とは、当時、性別役割分担に厳格だったヴィクトリア朝時代に用いられた医学用語で、今で言うところの鬱病、不安神経症、心的外傷後ストレスといった精神疾患全般を表すものだったが、適用対象はシス女性がほとんどだった。そのため、「ヒステリー」扱いされた兵士たちは周囲から男失格のレッテルを貼られ、つまはじきにされる結果となった。
兵士だけではない。第一次世界大戦に参加した国々とその植民地は、集団的なトラウマに苦しんでいた。とりわけ顕著なのはドイツで、戦争への参戦とその後の経済低迷の影響から、ナチスの台頭を許すほどだった。フランス、イギリス、ドイツのメディアでは、この大戦は未だ主要なテーマであるし、世界各国の兵士とその家族が残した手紙は今なお読むことができる。
この大戦が世界に与えた影響は計り知れず、文学や歴史、そして現代の戦争にも様々な影響を及ぼしている。だが、ここで重要になってくるのは、戦争にまつわる有名な物語や歴史で描かれるのは男性ばかりなのに対し、本作の主人公であるヴァイオレット・エヴァーガーデンは女性兵士ということだ。
男性ばかりなのは当然、当時の軍隊で中心的な役割を担うことができたのは男性だけだったからだ。例外としては、第一次世界大戦において戦闘に参加した唯一の女性イギリス兵、フローラ・サンデス(セルビア軍所属)や、マリア・ボチカリョーワという若い女性が隊長を務めた、「ロシア婦人決死隊」と呼ばれるロシア軍の小隊などが挙げられる。
だが、第一次世界大戦で軍隊に従事した女性の多くは、戦場で看護師として働くか、工場で働くなどが一般的だった。例えば、アメリカの「ヨーマネッツ」や「ハローガール」と呼ばれる女性たちは、銃こそ持たなかったが、電信技師やカモフラージュデザイナー、魚雷組立工など、幅広い仕事によって戦争を支えた。
軍に従事した女性たちにも多くの物語があったにもかかわらず、戦争物語のフィクション作品はほとんどが男性中心となっている。女性はもっぱら脇役として登場し、戦死した兵士を嘆き悲しんだり、恋人役だったり、あるいは…良からぬことをされる。言ってしまえば、男性キャラクターを成長させるための舞台装置であり、そのためだけに殺されてしまうことも少なくない。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界においても、戦闘や戦争は男の仕事であり、女性はもっぱら「受動的」な役割に追いやられている。だが、ヴァイオレットは他とは異なり、女性であるだけでなく、兄ディートフリートから弟ギルバートへ「プレゼント」として押し付けられた「道具」という扱いであることから、注目すべき例外と言える。ヴァイオレットはモノ化されているのだ。殺人こそがヴァイオレットの生かされる理由であり、ギルバートの命令に従うことが唯一の生きる意味なのだ。
こうした虐待と、戦争でギルバートを失ったトラウマ、そして戦場で目にした暴力が相まって、ヴァイオレットは明確なPTSDを抱えることになる。作品を通して、ヴァイオレットは次のようなPTSD特有の症状をいくつも示している。
これらの症状は、娘を亡くして嘆き悲しんでいる作家、オスカーのために手紙を書いた後、はっきりと立ち現れてくる。戦いの中で自分がしてきたことを理解し始めたヴァイオレットは、戦場のフラッシュバックに苛まれ始める。
最終的に、ヴァイオレットはギルバートを探すために戦地を訪れる。ギルバートを見つけられなかったことで深い絶望に陥ったヴァイオレットは、自殺を試みる。退役軍人の自殺リスクは現在も高く、自殺者数は戦死者数を上回っている。
第一次世界大戦の歴史を描いた物語の多くがそうであるように、ヴァイオレットが抱えるテーマも、いかにして心的外傷後ストレスに立ち向かうかという点に重点が置かれている。このことは、作品の構成にも反映されている。
ストーリー序盤におけるヴァイオレットは、戦地での負傷から立ち直ろうとする、感情を失った少女だった。しかし、第7話でホッジンズが警告したように、ヴァイオレットの記憶は「(自身を)燃え上がらせる火」であり、いつか「たくさん火傷している事に気付く」ことになるものだった。そして、ヴァイオレットはそれに気づいてしまう。戦場で過ごした日々を思い出すたび、ヴァイオレットだけでなく、視聴者までもがフラッシュバックを体験することになる。
しかし、「女々しさ」とか「弱さ」といったPTSDに対する従来の見方とは異なり、ヴァイオレット・エヴァーガーデンはヴァイオレットのシェルショックを丁寧に扱っている。ヴァイオレットが自動手記人形の仕事を通して他人に共感してきたのと同じように、この作品は視聴者にもヴァイオレットへの共感を求めているのだ。
ギルバートの死を否定するのをやめ、自身のトラウマを受け止めたヴァイオレットには、PTSDから立ち直るための長く険しいプロセスが待ち構えていた。トラウマ研究では、これを「心的外傷後成長」と呼び、ネガティブなもの(停滞、衝動的な行動、否定)と、ポジティブなもの(前進、対処法の獲得など)の2種類に分けられる。
ヴァイオレット自身にとっても視聴者にとっても幸運なことに、ヴァイオレットの心的外傷後成長はおおむねポジティブなものだった。自動手記人形として人と一緒に働くうちに、自分の感情を受け入れ、なぜそのような気持ちになるのかを考えて納得できるようになったことで、ヴァイオレットは回復の道を歩み始める。
さて、本作のいわゆる「今週のお客様」エピソードの中には、「戦争で失った恋人を恋しがる女性たち」というお約束的展開をそっくりそのまま踏襲しているものがあるが(OVAがその好例)、一応付け加えると、この展開自体が本質的に悪であると言いたいわけではない。OVAでは、第一次世界大戦中に多くの女性が体験した出来事がリアルに描かれており、膨大な量の手紙が世界各地に送られたという点も史実に忠実となっている(手紙の多くは歴史的資料として残存している)。
しかし、ヴァイオレット自身は、作品を通して、そのような歴史的・文学的な流れに逆らっている。
ヴァイオレットは家に帰ってきたが、想い人は帰ってこなかった。
兵士は、新たな傷を負って帰ってきたのだ。
そして、ヴァイオレットはその生い立ち故に、想い人を亡くしたクライアントと、亡くなった想い人の両者に共感することができる、いわば、境界的な立ち位置の人物といえる。「民間人」と「軍人」、「女性の世界」と「男性の世界」、「家庭」と「軍隊」、そういった境界の中でこそ、ヴァイオレットは真に花開くことができるのだ。
ヴァイオレットの境界的な立場は、自動手記人形の仕事においてユニークな強みとなっている。作中の時代設定と同時期に当たるヴィクトリア朝時代や第一次世界大戦期は、タイピストやゴーストライターになる女性が急増した時期であり、ヴァイオレットも当時の女性たちと同じく、この波に乗っていると言える。
こうした女性たちは、「媒体としての女性」というお約束的表現として文学に登場するようになった。彼女らは、タイプライターや電信機、さらには速記法を用いて、人々の思いを目に見える形にし、様々なメッセージを伝えるという役割を担っていた。哲学者で文学理論研究者のマーサ・ヌスバウムの言葉を借りれば、「目的のために使われる道具」としてモノ化されることも多かったが、家父長制の世界を生きる多くの女性にとって、この種の仕事は、生まれてはじめて主体性を獲得できる場でもあった。
ヴァイオレットの当初の動機は、初めて手にした主体性を社会で活かそうとしたヴィクトリアン朝の女性たちとは若干異なっている。自動手記人形を志したのは、他者を理解したい、そして何よりも、少佐の最期の言葉を理解したいという目標を叶えるためだった。そして、人々の思考や感情の「媒体」としての立場を通じて、自分の感情をよく理解し、虐待やトラウマを乗り越え、主体性を獲得することができるようになっていく。
第一次世界大戦や、そこに至るまでの過程を題材とした文学作品によく見られる、「媒体としての女性」という定形表現とは異なり、ヴァイオレットが主体性を持つことができたのは、その境界的な立場ゆえである。戦争に巻き込まれる家庭の立場、戦争を戦う軍隊の立場、その両者に対して共感、理解できるという強力な武器を生かすことで、戦争をテーマにしたアリアの歌詞を書くために戦死した兵士の手紙を研究したり、嘆き悲しむ父親のために文字通りの意味で媒体となったり、兄弟の絆を取り戻す手助けをしたりと、ヴァイオレットは単に人の気持ちを左から右に渡す中継役ではなく、自らの手で変化をもたらす主体となっている。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンと史実の違いは、これまでメディア等で描かれてきたタイピストや媒体役の職業人たちが受け身の存在と見なされてきた一方で、ヴァイオレットは周囲の人々の物語に積極的に関わっているという点にある。こうした活動を通じて人々の成長を助けていく中で、ヴァイオレット自身にも成長が見られるようになっていく。
第11話では、その成長がはっきりと見て取れる。過激派の部隊を立ち退け、銃弾に倒れ死に瀕している兵士、エイダンの最期の言葉を記録し、訃報の知らせと最期の言葉を家族の元へ届けに行くという、物悲しいエピソードだ。戦争の両側面への共感を要するこの仕事を全うしたことで、ヴァイオレットはようやく自分や他人に対して素直に悲しむことができるようになる。ギルベルト少佐の死をきちんと悼むことができるようになったのも、ここからである。
単なる道具でしかなかったヴァイオレットが、今や積極的に自らの心的外傷後成長を促進しようとしている。これは、従来の戦争物語や、シェルショックや女性タイピストにまつわる歴史に対する新鮮かつ現代的なアプローチといえるのではないだろうか。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは第一次世界大戦に大きく影響を受けており、史実によるものから、文学から引用されたものまで多岐にわたる。PTSDに対する思いやりあふれる描写然り、「媒体としての女性」という定形表現に対する批判然り、この作品は、歴史上の極めて重要な時代—最後の退役軍人が亡くなり、徐々に記憶から忘れ去られつつある時代—との対話の上に成り立っている。
だが、家庭内の物語と戦争の物語をブレンドし、両ジャンルに共通する定番の展開を巧みにひっくり返したという点で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのファンタジー世界は、オマージュ元の戦争物語と趣を異にしている。スチームパンクなファンタジー世界という舞台の上で、使い古された展開を別な角度から見つめ直すことで、進歩的な物語を紡ぎ出しているのだ。
退役軍人の描かれ方、精神疾患、女性の物語、こうした事柄を尊敬の念を込めて丁寧に扱うことで、戦争やトラウマにまつわる従来の物語をいかに語り直すか、その基準点をこの作品は確立したと言える。戦争やトラウマにまつわる物語も、より包括的で、健全で、私たちに活力を与えてくれる存在たりえるのだ。それが、従軍した兵士や亡くなられた方々に対する、せめてもの追悼でもある。
「戦争は決して変わらない」とよく言われる。だが、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが示してくれたように、その語り方を変えることができるのは確かだ。