はてなキーワード: プレゼントとは
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もうブランドバックとかと一緒になっている。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
「お前って俺の事必要としてないよね」と同棲してる彼氏に言われた。
確かに私は単独行動が好きで誰かがいないと何もできないタイプではない。
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ただ恋人を必要としない事とは別だし、なんなら頼りたかったが期待できないので諦めたんだよ
例えば、
・私の家に仕事を辞め遠方から引っ越してきて貰ったが働かない→収入面頼れないが元々一人暮らししてたのもで問題なし
・家事を頼んでも「目が悪くて気付かなかった」「まだしなくて良くない?」「これやるの嫌」で家事の半分しかしない→元々一人暮らしして以下略
・プレゼントほしいが彼は無収入→貯金あるし自腹で買えばいいや
・協力プレイゲーム難しいけど怒られるだけで助けて(許して)くれない→じゃあゲームやらなくていいや
・甘えたいが「何すればいいの」「ゲームしたいの我慢してるんだけど」→もう甘えるの辞めよ
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もうこんな感じで「あっじゃあ自分でなんとかしますわ」ってなってるんだよな
けど頼る気がない必要としない訳ではないんだよね
今彼氏は所用で実家に帰ってるけど、上記以外もお互いの不満をぶつけ合って収束しない。
多分このまま別れて荷物の引き取りの日だけ会う事になりそう
誕プレはいらない
贈らなくていい
遠慮してるわけじゃないまじなんだ信じて
あなたはなんにも悪くない
毎年気にかけてもらえて感謝してる
だけどほんとごめん私はコミュ障
あなたにお返しをすることが重荷
そしてお返しができなかったことを悔やみ
だけどまじでいらない
贈り物が嫌いなわけじゃない
あなたのことも嫌いなわけじゃない
買い物でふとあなたの顔が浮かぶ品を見つけてふとあげたりしたい
でもそれはいつも見つかるわけじゃないし
何なら最近買い物出てないし
あなたはなんにも悪くない
定期的に連絡をくれるあなたはまめで誠実な人
あなたはなんにも悪くない
「お返しなんてほんとにいいのに!気にしないで~」って言ってくれるし
まじで返せない年があってもまじで気にせずいてくれる
というわけで誕プレいらないんです
ほんとうなんです
とどけこのきもち………
今では6桁もいるTwitterのフォロワーが4桁だった頃から推していたし、現実の人間でこんな長期間好きだった人も初めてだった。
5年の間に掛け持ちで別の人を推していたことも何度かあったが結局は降りてしまいずっと好きだったのはこの人だけだった。
イベントにも足を運び、接触も積極的に参加した。今月は厳しいから接触行かないぞ!と意気込んだはずが昂ったテンションで安くはない接触を購入したこともしばしばある。
手紙も毎回書きたいことが有り余って何通も出した。プレゼントを贈った回数も他の元推し達とは比べ物にならない。誕生日にそこそこデカくて高い家電を贈った同担にイラついたりもした。
流行りなど気にしない自分をしっかり持ったファッションへのこだわりがある所が好きだったし、実際この人の好みも自分の好みだった。
だけどこの人の好みは一般的な自分の感性を遥かに超越していた。
ずっとやりたかったことらしい。好きにしたらいいよ。本人の自由だもの。タトゥーやピアス、スプリットタンなどの人体改造くらいなら全然受け止められた。
必死に泳ぐ姿が凄いと実況が口々に語る。
哀れだ。
「(だるまのくせに)早い(じゃないか)頑張ってます(ね。健常者には決して勝てない身体で)」
そういった声援以外、存在しなかった。
泣きそうだった。
自分が子供の頃に、親や教師やクラスメートから憐れみ混じりに結果でなく努力を称賛された時の震えるような悔しさが燃え上がっていた。
心の奥、消し炭になったはずの心は、木炭のように、より強い火種として心の奥に眠っていたらしい。
テレビから聞こえる「(障害者なりに)頑張れ」「(障害者のくせに)凄い」の声、他人事とは思えなくて悔しくて悔しくて
盲目のランナーたちが語る勝利の秘訣、縦走者とのチームワーク。
世界一を目指して走るその足にピッタリと張り付いて走るもうひとりのレーサー。
目が見える縦走者は横で目の見えない選手をアシストしながら走り、目の見えない選手はそれに必死についていく。
親に手を引かれながら走って横断歩道を渡る幼児の姿がふと浮かんだ。
自分より早い人達が、サポートをしながら走ってくれて、それでようやく手にするメダル。
見えない眼を見開いて浮かべた笑顔の奥に、伽藍堂の心が見えるようだった。
悔しいだろう。
「盲の国では片目が王になる」という故事がある。
借りた片目で王になった盲の王。
目明きの世界のただの人。
私はパラリンピックが嫌いだ。
「お前たち日陰者にも活躍の場を与えてやろう」という健常者側のプレゼントのような態度が嫌いだ。
「哀れなお前たちの努力する姿から勇気をもらってやろう」という態度が気に食わない。
そもそも人がスポーツをする姿から勇気だの希望だのを得ようだの与えようだのという姿勢自体が気に食わない。
実に気味が悪かった。
こんな気持ちの悪いことをやっていたんだと1000年後の教科書には載るだろう。
1000年後の地球には「障害者共が障害者なりに頑張る姿を観てやろう」なんて薄ら寒いパラリンピックなんてなくなっているだろう。
その帰りにコンビニで食べたくもないおやつを買った。330円。
馬鹿じゃねーの。と思いながら食べた。
金が無い。貯金が底をつきかけている。
でも働く気が起きない。
今日も『プレゼントが当たるチャンス』のアンケートを片っ端から答えている。
馬鹿じゃねーの。働けば買えるのに。
就活はやってない。
『何故会社を辞めたのか、空白期間に何をしていたか答えられるようにしましょう』?無理なんだが。
あーあ。働かなきゃ。働きたい。働きたくない。
無職歴2年。もう嫌になってきた。
交易の需要と供給が時間的にも場所的にも一致することは稀であり、現在当たり前のように行われている交易や交易に基づく経済制度のほとんどが存在し得ないほどであった。さらに、新しい家族の形成、死、犯罪、戦争の勝敗など、親族集団にとっての重大な出来事と需要と供給が3回も重なることは、もっとあり得ないことであった。後述するように、一族や個人は、これらのイベントの際にタイムリーに富を移転することで大きな利益を得ていた。このような富の移動は、消耗品や他の目的のために作られた道具よりも、より耐久性のある一般的な富の貯蔵庫の移動であれば、より無駄のないものであった。したがって、これらの制度で使用するための耐久性のある一般的な富の貯蔵に対する需要は、貿易そのものよりもさらに切実なものであった。さらに、結婚、相続、紛争解決、貢ぎ物などの制度は、部族間の交易よりも先に行われていた可能性があり、ほとんどの部族では交易よりも大きな富の移動が行われていた。このように、貿易よりもこれらの制度の方が、初期の原始的な貨幣の動機付けと育成に役立ったのである。
ほとんどの狩猟採集民の部族では、この富は、とんでもなく裕福な現代人には些細なものとしか思えないような形でもたらされていた。たとえば、木の道具、火打ち石や骨の道具や武器、紐につけられた貝殻、おそらく小屋、寒い地域では汚れた毛皮などのコレクションである。時にはそれらをすべて身につけていたこともあった。とはいえ、これらの雑多な品々は、我々にとっての不動産や株式、債券と同様に、狩猟採集民にとっての富であった。狩猟採集民にとって、生きていくためには道具や、時には防寒着も必要であった。その中には、飢えに備えたり、仲間を買ったり、戦争や敗戦の際に虐殺や飢えの代わりになるような、価値の高い収集品も多くあった。生き残るための資本を子孫に移すことができるのも、ホモ・サピエンス・サピエンスがそれまでの動物に対して持っていた利点である。さらに、熟練した部族や一族は、余った消耗品を耐久性のある財産(特に収集品)と交換することで、時折ではあるが生涯にわたって累積的に余剰の富を蓄積することができた。一時的な体力の優位性は、子孫のためのより永続的な体力の優位性に変換することができる。
考古学者からは見えない別の富の形として、役職名があった。多くの狩猟採集民の文化では、このような社会的地位は、有形の富よりも価値があった。例えば、一族のリーダー、戦争部隊のリーダー、狩猟部隊のリーダー、(近隣の一族や部族の特定の人物との)長期的な交易パートナーシップのメンバー、助産師、宗教的なヒーラーなどが挙げられる。収集品は富の象徴であるだけでなく、一族の責任ある特権的な地位の称号を表すニーモニックの役割も果たしていた。死後、秩序を維持するためには、そのような地位の継承者を迅速かつ明確に決定する必要があった。それが遅れれば悪質な争いを生むことになる。そのため、一般的な行事として、安置の宴が行われた。この宴では、故人を歓待するとともに、慣習や一族の決定権者、あるいは故人の遺言によって決定された有形・無形の財産が子孫に分配された。
マルセル・モースをはじめとする人類学者が指摘しているように、近代以前の文化では他の種類の無料贈与は非常に稀であった。一見すると無償の贈り物は、実は受け取る側に暗黙の義務を課していたのである。契約法が制定される以前は、この「贈り物」の暗黙の義務と、暗黙の義務が果たされなかった場合に続くコミュニティの不名誉や罰が、おそらく遅延交換における最も一般的な互恵の動機であり、今でも我々がお互いに行う様々な非公式の好意に共通している。相続やその他の親族利他主義は、現代人が「適切な贈与」と呼ぶもの、つまり受取人に義務を課さない贈与の唯一の形として広く行われていた。
初期の西洋の商人や宣教師は、原住民を子供のような原始人と見なし、貢ぎ物の支払いを「ギフト」、取引を「ギフト交換」と呼ぶことがあった。これは、大人の契約や納税の義務というよりも、西洋の子供たちのクリスマスや誕生日のプレゼント交換に似ているかのようである。これは、偏見によるものもあるが、当時の西洋では、義務は原住民が持っていない文字によって形式化されるのが普通だったという事実もある。そのため西洋人は、先住民が交換制度や権利、義務を表す豊富な言葉を「ギフト」と訳していたのである。17世紀にアメリカに入植したフランス人は、より多くのインディアン部族の中に薄く散らばっていたため、これらの部族に貢ぎ物をしていたことがよくあった。それを「贈与」と呼ぶことで、そのような必要性に迫られていない他のヨーロッパ人との面目を保ち、それを臆病だと感じていたのである。
モースや現代の人類学者は、残念ながらこの用語を使い続けている。未開の人間は子供のようなものだが、今では子供のように無邪気で、我々のような卑劣で冷酷な経済取引に身を投じることのない、道徳的に優れた生き物である。しかし、西洋では、特に取引に関する法律で使われる公式用語では、「贈与」とは義務を負わない譲渡のことを指す。現代の人類学者は、我々が現代的に使っている「ギフト」という言葉の中で一般的に言及している無料または非公式のギフトを全く意味していない。現代の人類学者は、現代の我々がよく使う「贈り物」という言葉の中で、自由で非公式な贈り物を指しているのではなく、むしろ、富の移転に関わる多種多様な権利と義務のシステムを指しているのである。先史時代の文化において、現代の「贈与」に似た唯一の主要な取引は、それ自体が広く認識された義務ではなく、受取人に何の義務も課されていないという点で、親や母方の親族が子供の世話をしたり、相続をしたりすることであった。(例外として、地位を相続すると、その地位の責任と特権が相続人に課せられることがあった。)
ある種の家宝の相続は、何世代にもわたって途切れることなく続くかもしれないが、それだけでは収集品の移動の閉ざされたループを形成することはできない。家宝は最終的に何かに使われて初めて価値を持つ。家宝は、しばしば一族間の結婚取引に使われ、収集品の閉ループサイクルを形成していた。
収集品によって可能になった小さな閉ループ取引ネットワークの初期の重要な例は、霊長類に比べて人間が子孫を育てるために行う投資がはるかに大きいことと、それに関連する人間の結婚制度に関するものである。一族の間で取り決められた交配と子育てのための長期的な組み合わせと、富の移転を組み合わせた結婚は、人類の普遍的なものであり、おそらく最初のホモ・サピエンス・サピエンスにまでさかのぼることができる。
親の投資は長期的で、ほとんど一回限りのものであり、繰り返し交流する時間はない。怠慢な父親や浮気をした妻との離婚は、浮気をされた側にとっては、遺伝的適性の観点から、数年分の時間を無駄にすることになるのが普通である。子供への忠誠と献身は、主に義理の家族、つまり一族によって強制された。結婚は一族間の契約であり、その中には通常、このような貞節と献身の約束に加えて、富の移転も含まれていた。
男性と女性が結婚生活にもたらす貢献度が同じであることはほとんどない。結婚相手の選択が氏族によって大きく左右され、氏族のリーダーが選ぶことのできる人口が非常に少なかった時代には、なおさらそうであった。最も一般的には、女性の方が価値があると考えられ、花婿の一族は花嫁の一族に花嫁代金を支払いた。それに比べて非常に珍しいのが、花嫁の一族が新しいカップルに支払う「持参金」である。これは主に中世ヨーロッパやインドの一夫一婦制でありながら格差の大きい社会の上流階級で行われていたもので、最終的には上流階級の娘よりも上流階級の息子の方が繁殖能力がはるかに高いことが動機となっていた。文学は主に上流階級について書かれていたので、ヨーロッパの伝統的な物語では持参金がよく登場する。これは、人類の文化圏における持参金の実際の頻度を反映したものではなく、非常に稀なものであった。
一族間の結婚は、収集品の閉ざされたサイクルを形成する可能性がある。実際、2つの氏族がパートナーを交換しても、花嫁が交互に来る傾向がある限り、閉ループを維持するのに十分である。一方の氏族が他の種類の譲渡によって収集品がより豊かになった場合、その氏族はより多くの息子をより良い花嫁と結婚させるか(一夫一婦制社会の場合)、より多くの花嫁と結婚させるか(多夫一婦制社会の場合)する。結婚だけのループでは、原始的な貨幣は、生殖資源の偏った移転の間に長い期間にわたって一族間の記憶と信頼を必要とすることを置き換える役割を果たすだけである。
相続、訴訟、貢ぎ物のように、結婚にはイベント(この場合は結婚)と需要と供給の3つの一致が必要である。譲渡可能で耐久性のある価値の蓄えがなければ、新郎の一族が新婦の一族の現在の欲求を、新郎新婦間の価値のミスマッチを埋め合わせるのに十分な大きさで、しかも政治的・恋愛的な制約を満足させることができるかどうかは、かなり微妙なところであった。一つの解決策は、新郎またはその一族から新婦の一族への継続的な奉仕の義務を課すことである。これは既知の文化の約15%で行われている。それよりもはるかに多い67%の文化では、新郎または新郎の一族が新婦の一族にかなりの額の富を支払う。この花嫁代金の一部は、結婚の祝宴のために収穫された植物や屠殺された動物など、すぐに使える消費物で支払われる。牧畜社会や農業社会では、花嫁の対価の多くは長期的な富である家畜で支払われる。残りの部分、つまり家畜を持たない文化では通常、最も価値のある部分は、最も希少で高価で耐久性のあるペンダントや指輪などの家宝で支払われる。花婿が花嫁に指輪を贈り、求婚者が乙女に他の種類の宝石を贈るという西洋の習慣は、かつては実質的な富の移転であり、他の多くの文化で一般的であった。約23%の文化(主に現代の文化)では、実質的な富の交換はない。約6%の文化では、新郎新婦の一族間で実質的な富の相互交換が行われている。花嫁の一族が新婚カップルに持参金を支払う文化は約2%しかない。
残念なことに、一部の富の移転は、相続財産の贈与のような利他主義や結婚の喜びとは程遠いものであった。貢ぎ物の場合は全く逆である。
佐久間まゆPです。♀。歴5年くらいかな?初まゆはアニバアイプロ。
言いたいことはタイトルの通り。
元々存在は知ってて(某ワールドワイドなお姉さんPが身内に居た)、音ゲー好きなのでデレステを機に始めたんだったと思う。時系列違ったらすまん。
で、当時デレステにまゆのテキストは多くはなく、その嘆きを上記某ワールドワイドな…ワPってしておこうか…ワPに相談したところ、モバマスをお勧めされた。
(もちろん上記ワールドワイドな…ワ姉としておこうか…ワ姉の布教もめちゃくちゃされた。)
デレステのまゆに対しては「あぁーよく見るヤンデレの子かな もう少しテキスト読めば好みかどうかわかるのにー」くらいの感情だった。
黒落ち演出とか嫌いじゃなかったけど、こう、よく見るステレオタイプなんだなって思ってしまっていたから。
それで、モバマスですよ。鈍器で頭ぶん殴られた心地。
佐久間まゆをステレオタイプのヤンデレだと思ったやつ全員ビンタしてやる俺だったーーー!!!!状態。
まゆの魅力を全部書くとあまりの超大作に読んでもらえなくなってしまうから今回は端折るんだけど…にしてもこの後いやでも書くと思う…とにかく凄かった。努力家で私のために、私のそばにいるという1点のためにトップアイドルになると言う佐久間まゆ。彼女にとってトップアイドルになるということは、愛の証明だった。
ズルズルにハマっていった。カードを集めるにはあまりに金がかかるので、ネットで読ませてもらったり、アニバアイプロ走ったり。すごかった。まゆが私のためにトップアイドルになるのならば、私はまゆをトップアイドルにしなければならない、って強く思った。
さて、モバマス / デレステを知ってる人ならわかるだろうが、我々はアイドルをあの世界線でトップアイドルにする術を持っている。総選挙だ。
現金での殴り合いだったり今までシンデレラガールになったことのある子のPをどれだけ取り込めるかとか語呂の良い合言葉を作れるかとか、とにかく奥が深い。なに一つ褒めてないよ。
これがはちゃめちゃに辛い。(※個人の感想です)
私は社会人だからある程度現金で殴ったりするけど、時間はそんなに取れないし、現金で殴るのだって生活があるから限度がある。
なにせ走ってる間のイベントは推しのイベントではないし、私はコミュニケーション能力が死んでる…これも後述するけど…から割と孤独な戦いになる。ワPに相談したりもするけど、ワPも自分の推しに投票するからね。それはそう。そうしてくれ。
色々なテキストで、まゆが努力して成長してるのが見えて、私にも特大の愛を見せてくれて、返さなきゃ、報いなきゃ、愛を伝えなきゃ、って思うのに、毎年突きつけられるのは"まだ全然足りてないよ"って言う事実だけ。
デレステはデレステで、個人的な感想だけど、テキストが解釈違い起こしててぶっ倒れそう。
壁ドン事件はまだ耐えられた…脳内ですごい噛み砕いた…んだけど。(懐かしいな)
最近ので言うと、Pが日記帳をプレゼントしたりとか、Pが見つけてくれるからまゆから声はかけなくて良いみたいな。
は?
トップアイドルになることが愛の証明のはずなのに、なに普通の女の子にしてんだよ。違うだろ。
大衆ウケ狙ってんのもわかるけど、私は置いてけぼりされてるよ。なに大衆化してんだ。180人もアイドルがいる中で、佐久間まゆから"トップアイドルになることが愛の証明""Pとは一分一秒でも長く側にいたいから、恋人ではなく担当アイドルで居る"って言う側面を奪ったら、ただのちょっと夢みがちな可愛いだけの女になっちゃうじゃん。可愛いけど。
で、さ。コミュニケーションの話になるんだけど、私は2.5とか声優さんライブとかにそんなに積極的に参加はしてない。ライブ自体は嫌いじゃないけど、音源でいいな!って気持ちと声優さん≠キャラクターって意識が強いんだと思う。これは人それぞれだと思う。
だけどある日、中の人も推さなきゃいけないみたいな同調圧力をふと感じちゃって。被害妄想だし、牧野さんのお声、まゆに合ってると思うし、めちゃくちゃ好きなんだけど。
それもあって同担Pともそんなに仲良くはできてないんだけど、困る事がある。総選挙。組織的に動かないと太刀打ちができないこのイベントに於いて、私は雑兵にもなれない。
まぁ、ワPと話してれば良いかって思ったんだけど、今回のガチャ実装の報告をしに行った時に「何回目だよ」って話になってしまった。もうダメだった。知ってます。SSRがまだ1回しか来てない子がいる中で、まゆはもう6枚目だ。
恵まれてると思わないといけない。
いや、いけないって何だよ。
それは対比したら恵まれてるってだけで、私だって満足してないよ!しかも実装あったって解釈違いで死んでんだよ!
この"対比したら"が恐ろしいんだと思ってて、そりゃあ供給のないPからしたらまゆPは"恵まれてる"んだろうし"こんなに可愛いイラスト実装されてテキスト実装されてんのに解釈違いとか""こちとら解釈違いできるほどのテキストがデレステ実装されてませんが?"とか思ってても仕方ないと思う。
でもさぁ!もっと出番が平等で、総選挙の結果はシンデレラガールカードができるだけ、ボイスも時間はかかるけど全員実装目指します!って確約があったらさぁ!みんなで声を大にして言えたと思うんだよ!多いんだよ人数が!推しに全然出番回ってこねえな!って!笑い話として!何で同じコンテンツ推してる人同士で戦争させてんだよ!
ごく最近、あんさんぶるスターズにハマったんですわ。黒髪人形のあの子。愛が重くて可愛いんだ。
すごいよ。アイドル49人、最高レアリティガチャは年1で必ず来ます!14ユニット、全ユニットが年1でシングル発売します!3DモデルのMV付き!シャッフルユニットやってるけど、きっと全員来てくれる、って言う、安心感!
ストーリーが重めで運営の手のひらで情緒を転がされたりするけど、外部コラボもそこそこ(ちょっとこの辺新規Pだから追い切れてなくて申し訳ねえ)平等に機会があって、お前の推しの方が出番があってずるい!みたいな事が殆どないの。
(先生とかアイドルではないキャラを好きになってしまった人はしんどいと思う。それはわかる)(でも今は"主なコンテンツであるアイドルでの対比"だけさせてくれ)(ちなみに人気差は普通にあるよ。薄い本の冊数とか、グッズ交換で如実に出る)
デレステ / モバマスのあの運営の仕方を"金儲けのために仕方ない"って思ってたのが、全部吹っ飛んじゃったんよ。あんスタ、馬鹿みたいに儲かってんだもん。(いや儲かっててくれ)(去年のハピエレの収支エグかった気がする)
……いよいよ、やり方を変えないといけないんじゃないの?って思う。今更総選挙無くしたら"シンデレラガールになれなかった子"のPが暴動を起こしかねない?そんな事ないよ、私たちが欲しいのは"シンデレラガール"もだけど、突き詰めれば"推しの出番""推しの仕事"だもん。いいじゃん、毎年ダーツで決めて10人ずつくらいシンデレラガールカード描き下ろしてさ。それでも18年かかんの、やばいね。人数多いよ笑
それでもさぁ、私の好きなまゆがあのまゆとして成長していく様を見られるなら、年1の総選挙くらい頑張りますか!って思うんだけどさぁ。
そこもブレちゃうんじゃあもう辛いよ。
私がこだわりの強いめんどくさいオタクだってのは承知の事実なんだけどさ。
もちろん公式テキストが"公式"であるから、解釈違いは"私の受け取り方の問題でアレルギー反応が出てるだけ"なんだ。わかる。
でも、だからこそ、私の受け取り方と公式が合わないなら、コンテンツを推せないという選択肢をわたしは選ぶ事ができるんだよな、って事に、今回気がついちゃった、って話。
ただ、まゆが人質に取られてて、きっとデレステの今回のガチャの売り上げが下がったらモバマスの出番も減っていくのかもしれないと思うと、引かざるを得ないんだ、って気持ちも、わかってほしい。
女性は相当ブスでも会ってやるところまでは行けるので、盛ってがっかりされつつやられてへこまされるよりは盛らない方がいい。
とはいえ、目的が恋人を作ることなら、元増田の周辺で相手を探す方がいいよ。
(俺も他の増田同様ティンダーは勧めないけど、それ以外だとしても)ネットで会うのは、どうしても顔のプライオリティが高くなるし、やり捨て目的も多くなる。
リアルの生活で関係のある相手なら、その裏返しで、そうそう理不尽なことはしてこれないし、アプローチも成功しやすい。
恋人を作りたいなら、今の知人で元増田的に合格点な独り身の男に、何か相手の得意分野の質問をして、お礼に食事に誘うか、それがハードル高ければお礼にプレゼントでもすればいいよ。
https://news.infoseek.co.jp/article/bunshun_48283/?tpgnr=poli-soci
9月末のB子の誕生日に皆で寄せ書きのメッセージカードを作った時も、花森は『誕生日おめでとう あなたのクマより』と書いていた。しかも誕生日当日の夜、友達数人でB子の家まで行ったんですが、B子の家の前についたら花森が急に地面に膝をついて赤い薔薇の花を渡したんです。皆がポカーンとしていると、歯が浮くような台詞を並べ、さらに虫かごを取り出して、ヤドカリの”つがい”をプレゼントしました。B子は断るわけにもいかず苦笑いしながら受け取ったんですが、それを花森は『受け入れられた』と勘違いしたんです
どうしようもない気持ちを聞いてくれませんか。
ライン送っても既読すらつかず、2回送ったポストカードはどちらも返信がありません。
もうダメなのかも……。このまま一生連絡とれなくなるのだろうか?
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きっかけは向こうに彼氏ができたこと。それから、少しずつ距離感がおかしくなっていった気がする。
彼女の家に誕生日にプレゼントを送ったら、全く反応がなかった。宅配便のサイトで見ると受け取り完了になってる。
1週間たった頃だろうか、思い切って送ったよ、ラインをしてみたら、お母さんが受け取ってたみたい!ありがとう!でも今家に帰れないから、って……。
お母さんも何故1週間も受け取ったことを黙ってたのだろうか?
そして家に帰れないとは?当時すぐ聞けば良かった。どういう意味なんだろう。
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誕生日のプレゼントと一緒に送ったものだった。封筒に入れ忘れていたのだ。
手紙入ってなかったよ、という連絡はなかったし、彼女は誕生日プレゼントの封筒すら開けていなかった。
そう思うと悲しくてやるせなかった。
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一緒に花火大会行ったり、旅行したり、すごく楽しかったのに、全部それもなかったことになるのだろうか?
今度神社に行く時、「連絡が取れるようになりますように」と「今までの事全部忘れられますように」のどっちで願おうか迷ってる。
このままずっと連絡が来ないくらいだったら、二度と話せないのなら、今までの思い出を全部消したい。なかったことにしたい。忘れたい。
『昭和元禄落語心中』の作者によるBL作品『いとしの猫っ毛』シリーズの紹介本。シーモアで0円なり。
北海道出身の男二人とまたたび荘の癖のある住民達のヒューマンドラマ的な何からしい。群ようこの『れんげ荘』みたいな? いやそんなにシリアスさはないっぽいかな。
商業BL読むんなら履修すべき漫画的にいわれる猫っ毛シリーズ初体験だった。単行本買ってまで読むかというと、微妙。私のほしいものリスト優先順位は、かなり下だなぁ。
エトランゼシリーズも商業BL読むなら是非読むべしみたいなこといって、ゴリゴリにおすすめされるやつなんだが、絵柄がなんかBLを描くよりは圧倒的に百合向きじゃね? という画風なので、私はあんまり。BLだと思わずに読めば面白いと思った。
物語のシリアスさが少女漫画のテイストのそれなので、面白いけど今読みたいのはこれじゃない感。あ、そんなこと言ったらBL漫画の大半がノットフォーミーだけど! BLは少女漫画の1ジャンル……。
かわいい絵柄でガッツリとエロあった。ノーマルなプレイしかしてないから「エロ少」評価されるんじゃないかなと思うけど、当たり前のごとくにまぐわっていらっしゃる。私は目のやり場に困った。絵柄が可愛すぎて。
そもそも私の求める萌っていうのはBLにはないよね……と思い、原点回帰するかのように馳星周小説に手を伸ばす。昔読んだっきりで内容をほぼ忘れていたけれど、すごくブロマンスだった気がしたので再読したくなった。
記憶に残っていた以上に、主人公の彰洋が上司 美千隆の犬だった。ワンコだった。すげえしっぽ振ってた。かわいそかわいい。
これこれ、このパシリ以上バディ未満ブロマンスにはかなり遠い……な感じが好きなのだ。って、ブロマンスじゃないんかい。
美千隆が彰洋にお揃いの指輪をプレゼントする場面は完全に忘却していたのでびびった。こんなに美味しい場面をきれいさっぱり記憶から消去していた自分の脳ミソに驚愕した。覚えてろって。しかも指輪、薬指にはめるやつなんだ……すごーい! と思ったらけっこういい感じのスピード感で指輪は二人ぶんまとめてトイレに流すことになるので笑った。はやいはやい!
以前読んだ時は美千隆の魅力が心に残ったのだが、再読してみれば美千隆のかっこよさはふんわりとして嘘っぽくて、それより波潟のパッパとかヤクザの松岡とか関西の地上げ屋ヨシくんとか株屋の市丸さんとかの方がずっといい男な感じがした。
あとで続編の『復活祭』読もう。
『復活祭』を読む合間の息抜きに読んでいた。『左近の桜』シリーズの第3弾。5回くらい読んでいるのに、読み終わってしばらくすると昨夜見た悪夢を昼間に思い出そうとする困難さのように、内容を思い出せなくなる1冊。いい加減あらすじをちゃんと記憶したい……。
シリーズ第1弾と第2弾が12話くらいで一年分の物語が詰まっていたのに対して、本作は4話のみでしかも2年ぶんだけ。1話と2話の間に一年が経過している。
相変わらずの地獄廻りっぷりだが、桜蔵が幽霊に性的な意味で喰われるシーンは少ないし控え目。
これは桜蔵と父の柾の物語なんだなぁ、と思った。いや前からそうなんだけど、柾が関係する人物絡みの話ばかりだなと。
あの雑誌のTarzan。単にprime0円ベストセラーだからなのか、最近私がBL雑誌の試し読みばかりDLしていたのが関係しているのか、やたらKindleトップページに居座り続けたので興味本位で読んでみた。テーマは「性学」だし。マッチョメンのための雑誌のセックス特集やいかに……。
案外普通というか、男性器と女性器の解剖学だったりオルガズムの仕組みなど、真面目な記事だった。男女ともに満足のゆくセックスライフを送るための知識、妊活はいつから? 子どもの性教育は? とか本当に内容が真摯で紳士でタフ。ただ、セクハラとは何か?というコラムで、女から男へのセクハラ発言はどれか三つの選択肢から選べ(正解は1つ)という設問の、選択肢が三つとも「あなたいい体してるね、」で始まるのはどうかとおもう。そんなこと、ビジネスシーンで言ったらやばくない? Tarzan読者には褒め言葉なのかもしれないけど。
それはともかく、読み応えがすごいので、まだ4分の1くらいしか読み終わってない。女が読んで腹が立たない男性向けセックス特集っていいな。