はてなキーワード: プレゼントとは
美人は、度が過ぎると暴力なんだと思いましたこんばんは。(挨拶
友人が、理性と共に記憶が飛んだというので、代理でレポを書きます。
まず先に申し上げますと、私は小宮さんのこと、「ラブライブ!サンシャイン!!のダイヤさんの中の人」って認識しかない程度の人間でした。
しかも大変申し訳ないことに、ラブライブ!サンシャイン!!も「そこそこ好き」程度で。
こんな私が、何故いきなり小宮さんのファンミに行くことになったか。
小宮さんのファンクラブに入っている友人が、一人で参加させるには不安なほど小宮さん大好きだからです。
友人(仮名:花子)は、北海道から、この日のためにわざわざ来たんですけどね。
小宮さんのこと好き過ぎて、心臓止まりかねないって、他者から見ても思うぐらい大好きなんです。
もし、花子の心臓が止まったら、私は遺品とその時の思い出を、北海道の花子のご両親に伝えなきゃいけない。
「お嬢さんは、とても幸せな時に天に召されたんです。どうぞ哀しまないでください」って伝えなきゃいけない。
私のせいで、本気の小宮さんファンの方一人分の席奪ってしまう申し訳なさは重々承知です。
それでも、付き添って一緒に参加してあげなきゃ!と思うほどに心配だったんです。花子の心臓が。
延々知らない曲が続くライブなら辛いけど、トークとかコーナーが中心っぽかったので、それなら大丈夫だと思っていた前夜。
花子「カレンダーのお渡し会がある。カレンダー欲しい。絶対欲しい。カレンダー欲しい。カレンダー買いたい」
まだ漢字フルネームで書けるかどうかも怪しい声優さんのイベントの物販に、朝8時から並ぶことが確定したそんな夜を過ごしました。
そうして迎えた当日の朝8時。
既に100人近く並んでたんです。正直、色々ナメてました。
あと、男子99%くらいかと思ってたら2~3割くらい女性だったのもビックリ。「小宮さんしゅごい」って思いました。
トータル4時間ぐらい、クッソ日陰の中、時折ゴジラがぎゃおーんする中並び続けて、無事お渡し会のチケット?整理券?もゲット(花子が)
ちょっと腹ごしらえして、開場の時をソワソワしながら待つ(花子が)
開場に入ってまず思ったことは「ちっか!!!!!!!!!!!!」。
花子が謎の引きを見せて、前から3列目ぐらいだったんですよね。私なんかがこんな所から見るの本当にマックス申し訳ない。
開演までの間に、花子と、「端っこがいいか。出来るだけ真ん中に近い方の席がいいか」でウロチョロ席交代。
ようやく腰を落ち着けたと思ったら、案外すぐに開演。物販の開始といい、開場時間といい、開演時間といい、基本的にタイムスケジュール通りなのしゅごい。
MC担当の芸人さんのトークが面白くて、客いじりのさじ加減も絶妙で、「あ、このイベント普通に楽しめそう」って安堵感を覚えました。
~追記1~
痛車乗ってたり、全局同時にアニメ放映したとしても全部録画出来る環境整えてたり、何故かLOVELESSの最終回を工事のおっちゃんと見たりする。
テレビじゃなくてライブで積んできた感ある人だった。トーク本当に面白かった。
~追記1終わり~
そして定番の注意事項説明が終わって、「では、小宮さんどうぞーーーーー!」って流れでね。
出てきたんですよ。
とんでもないのが。
あ、ごめんなさい。サンタ服!!!!!!!!!!!!!!!!!!
脚ほっそ!黒タイツ太ももほっそ!黒タイツサンタ可愛いかよ!!
あんな美人でサンタで黒タイツなのに、自己紹介から3分もしないうちに、サンタ服の白いモコモコ部分が痒いのか、肘のあたりを掻きながら喋る小宮さん。
何せあんまり前情報がないもので、顔立ち+「ラブライブ!の声優さん」だからもっと萌え路線狙いなのかと思ってたんです。
肘ポリポリ掻きながら喋りよった、あの人。「暑い💢」つってサンタ帽脱ぐし。
<最初のコーナー>
事前に、ファンから募った小宮さんへの質問に、小宮さんが答えてくれるコーナー。
小宮さんの解答が大変雑なのが、とても可愛かったです。
ファンが「即興劇とか見てみたいです」ってリクエスト送って来てるのに、「時間が勿体無い!」ってバッサリ終わらすの可愛い。
結論、とちおとめを買わなきゃって思いました。(イメージキャラクターしてるって宣伝もしっかり挟むところ素敵です)
<2個めのコーナー>
9割眠そうだったのと、「食レポ下手くそかwww」ってところが大変に可愛いと思いました。
あと小宮さんの「恥ずかしいって感情が欠落してる」って発言もキュンとしました。
<3個めのコーナー>
小宮さんからサイン入りグッズをプレゼントして貰えるコーナー。くじ引きで、呼ばれた座席番号の人が当たり方式。
しかも、小宮サンタが直々に客席まで持ってきてくれるという、出血大サービスが過ぎるサービス。
ラインナップは、グッズ販売されてたもの一式と、1st写真集。
そして、特賞が、「自分の携帯に、小宮さんからのメッセージを録音させてくれる」というもの。
「うわぁ、それ当たった人、逆に可哀想だな…」って思いました。
そんなんされたら人生狂うやんか、って。
花子、当たってやんのwwwwwwww特賞wwwwwww
でも、ワイより、花子こそ真ん中に近いところ行くべきだと思って、席変わったんです。
そしたら、とんだ女神の戯れが花子にメガヒット。メテオストライク。
ボイスレコーダーに録音するからって、すっごいシーーーーンとしてくれる会場の皆さん。
「メリークリスマス♥はーなさん♪」って両手を口元に添えて、めっちゃ可愛い声出す女神。
( ˘ω˘ )スンッ って顔する花子(本当にした)(ガチでした)
居た堪れなくなって「生きてる?!」ってツッコミを入れてしまったワイ
ようやくこのコーナーが終わり、小宮さんはお色直しで、一時退場。サンタ服で歌うのか?また肘痒くならないか?って思ってたので一安心。
<幕間>
ライブ慣れが凄い方だなって思いました。よくあんな時間調整しながら上手いこと笑かしてくるなと。
<ライブコーナー>
どちゃくそ可愛いワンピース着て戻って来た小宮さんのお歌のコーナー。
~MC~ゴバスが小宮さんにとって大事だってお話。昔からのファンなら感涙モノだろうなと。
4:プラチナ(カードキャプターさくら)
~MC~各作品についての思い出。意外とオタクなんだなと知った瞬間。
~MC~マクロスが好きってお話。そして、グッズの宣伝タイム。「はー暑いなー。汗がもうね~。あー、タオルで拭こう…あれ?!このタオルは?!」という茶番可愛いかよ。
聖子ちゃんと、どちゃくそ可愛いワンピースと、ライブグッズのマフラータオルのミスマッチ感凄い。
ワンピースって言っても、ふりふりふわふわじゃなくて、シックめな感じだったの。
可愛い女の子じゃなくて、美人な女性が似合う系ワンピースだったの。
キュートな曲を、シックな服着ながら、ロックめにマフラータオルかけて、女神レベルの美人が歌うから、脳みそが何を思えばいいか分からなくなった。
ちなみに、星間飛行の
手つきがね。
超ぉ~~~~~~~~~~~~~~~……………絶色っぽかった。
「あーなたが好きよっ♪」ってところでバキューーーンされた時も、2016年恐らく最後の膝抜けを味わったけど。
私参加したの昼の部だったんですが、夜の部では、星間飛行がラストの曲になってたって聞いて納得でした。
皆の認知度と、乗りやすさと、小宮さんの可愛さ発揮具合がベストマッチだったんだと思います。
もちろん他の曲も全部とても可愛かったし、楽しかったです!
長くなりましたが、小宮さんのイタズラっぽい顔がハンパなく好きになりました。
余談ですが、家について、花子の携帯に録音されてたボイス聞かせてもらったんです。
「メリークリスマス♥はーなさん♪」
の
「はー↑」って上がるところが可愛すぎて、「メリークリスマスが過ぎる💢💢💢💢」ってキレたくなりました。可愛すぎて。
~追記2~
どうやら夜の部の同じコーナー(プレゼントの)で、
前「さっき、友達に『生きてる?!』ってツッコまれた人おったね』」
小「ね~!あんなに喜んでくれるなら良かったです!」
~追記2おわり~
元々、ネックレスが欲しいと言っていたので『お別れの記念にプレゼントさせて欲しい』とお願いした。
よく覚えてないけど以前、付き合ってた頃にピンキーリングを贈った時にネックレスとピンキーリングどちらが欲しいか聞いて、悩んだ末にその時はピンキーリングにしたような気がする。
その約束通り、寝るときもお風呂に入るときも片時も離さずつけてくれてる。
かれこれ四年くらい前だったと思う。
ネックレスだと、お風呂に入るときに外すからとか言ってた気もする。
その時、冗談で「将来、彼氏が出来たときに俺が送ったネックレスをつけたまま彼氏とエッチすることになるかもしれないし、ネックレスはやめとこ」て話もした気がする。
お小遣いが月に2万しかない自分が、彼女に3万円のピンキーリングを送るのは結構大変だった。
クリスマスに贈りたいから、会社の財形を崩してお金を準備した覚えがある。
渡す時に「もし将来別れたとしても、その指輪は捨てずに持っててください。」てお願いした。
別れて二ヶ月程経つけど、約束したからかは知らないけど今も着けてくれてる。
ちなみにここで言う『彼女』とはガールフレンドの彼女でなく、三人称の彼女である。
ネットでピンキーリングを左右どちらにつけるのかの意味を調べてみた。
色々ある中で一番しっくりきたのは
『右は幸せを呼び込む』
彼女はいわゆる元カレからのプレゼントを気にせず使う派の人らしい。
想い出が云々ではなく、使えるから使う派。
こっちとしては、『忘れたくないからしている』と信じたいけど、そもそも忘れたいはずなのでそれはない。
『ちょっと、神経が図太すぎやしないか』と思ってみたけど、そもそも自分も15年以上前に元元カノから貰ったキーホルダーを車のキーに付けてる。
今の車はまだキーを差し込むタイプの車だからギリギリつけてるけど、キーレスの車に乗り換えた時にはこのキーホルダーもお役御免なのかも。
変なタイミングで外すと、当時の彼女に勘ぐられたら嫌だな、と思ってズルズルとつけてた。
彼女のピンキーリングも、もしかしたらそんな理由で外し時を逃してしまったのかもしれない。
左手につけてると、将来結婚指輪をはめた時に指輪がケンカしちゃうんじゃない?って言ったけど別段気にしてない様子だった。
でも、さすがに結婚式の時には右も左もなく貴金属類は外すよね。
そんなピンキーリングを贈ったのと同じようなものをお別れするにあたって俺にも送りたいと彼女に言われたけど、男の俺が四六時中身に付けるような物を持つのは難しいってことでそれは諦めた。
まして急に高価な物を買うと
だから、お互いお揃いの物を買うことにした。
でも、新しく二人でお揃いのスニーカーを買うことにした。
紐を結ぶ穴の位置が一段違うのが目印。
お揃いの時計も買った。
お揃いの時計をしてるトコをインスタにアップしたい。
インスタやってないけど。
スニーカーも時計も常に身に付けるものではないから、やっぱり肌につける貴金属を贈りたいと思った。
ネックレスを贈る贈らないって話を、この二ヶ月なにかにつけてしてた気がする。
一ヶ月前くらいに時計を見に行った時にも何軒か見て回った。
「将来彼氏からネックレスを貰うことも考えて、そこは空けておいたほうがいい?」って話もしてた。
「重ね付けするから、別にあっても困らない」てことで、最終的に買ってもいいことになった。
重ねるんかい!
で、今週仕事が終わったあとに待ち合わせて目星をつけてあったお店を三軒程見て回った。
どこのお店もカップルやプレゼントを選ぶ男性客で溢れかえってた。
「クリスマスプレゼントですか?」
まさかお別れの記念だとも答えられずに、苦笑いしてお互い目を合わせた。
その日は、見るだけにして次の日あらためて二人で買いに行った。
デザインは別のお店の物が華奢な感じで好みだったけど、有名ブランドのやつはやっぱ気分が上がるよねって話をした。
俺も最後にそのブランドのネックレスを贈れることが誇らしかった。
いつかのメリークリスマスの椅子のくだりを思い出した。
石が一番小さいのがいいって言ったけど、もう一つ大きい石のでもいいようにお金を準備した。
四年前と比べて、タバコを止めた分さらにお小遣いが少なくなった自分にネックレスを買うお金はなかった。
彼女には『会社から一ヶ月の給料の範囲内で低金利でお金が借りられる制度がある』って話をした。
んなもんはない。
お目当てのネックレスのチェーンが少し長いのが気になってたので、少しカットしてもらうお願いをした。
一度切ったら元には戻せないので長さに悩んでいると店員さんが「長さを二段階に調整出来る金具を取り付けることもできますよ」
いや、それ早く言ってよ
その提案、早く頂戴よ。
「長さ調整の仕上がりは二週間後。調整費は商品お渡しの日に頂きます」って、そんときにはもう会わなくなってるかもしれないから、無理言って調整費も一緒に払いましたよ。
だから、俺はきっとこのネックレスをした彼女を見ることは出来ない。
少し彼女の好みより長めの未調整のを付けたのしか見られてない。
会計が済んで帰り際に店員さんが「本当に仲良しなんですね」だって
きっと今でも仲は悪くないよ
「嫌いじゃないならなんで別れるんだよ」って思ってたけど
仲悪くならなくても別れることってあるんやね。
人をなかなか好きになれない俺が好きになった人
熱しにくいかわりに冷めにくい俺
年率7%くらいの複利で好きになってた
それどころか
「もうお別れなの?」
って聞いたら
「そもそも付き合ってない」
って言い出す始末
だから今の彼氏と出会った頃に「彼氏いない」って言ったけど、それは嘘ではないってことらしい。
付き合ってないから。
俺が会おうって言えば会ってくれるんだろうけど、あっちからは二度と会おうって言ってくれない。
一番大事な人
幸せになってください
結婚してから誕生日プレゼントをあげて、妻が微笑んだことを見たことがない。それどころか嫌悪されてる節がある。
近年は、「欲しいものは自分で買うから、あなたからのプレゼントはいらない」と言う。
何も買わないのは、寂しいのでケーキを買って帰ると、「その味は好きではない。好みわかってる?」と言う。
花を買って帰ると、「渇れていくものを見ていて、悲しくならない?」と言う。
何を買っても満足されないのはわかっているが、何も買わないと、悶着のネタになる。
何を買えばいいのかわからない。
流行のもの、食事、場所、イベント、頑張れば頑張るほど、あざけ笑われてる。
あと何回この不毛なやり取りをすれば良いのか。
愛しているものからの贈り物はなんでも嬉しいとしたら、すでに愛はなく憎しみしか二人の間にはないのだろう。
吐き出すところがないので、ここに吐き出す。
何かにつけて頭が悪いけど、息子として許容してきた
「こんなことしてあげてる私は偉い」と悦に入っていただろう
僕が自殺未遂した時もめんどくさそうな表情をした
入院した時はさすがに心配してくれたが、原因が何かは聞かなかった
僕の発達障害にも気づいてはくれなかったので、その後の人生でしなくてよい苦労をした
でも責めなかった
僕はそれを親孝行だと思っていた
その孫のプレゼントに、やたらと乗り物をプレゼントするのだ・・・
妹の住居はアパートの一室であり、置く場所もないし、遊ぶ場所もない
それを考えられない
さすがに三つ目となる今年のクリスマスプレゼントには、苦言を呈した
母は当然嫌な顔をしてふてくされる
あの人は何を考えているんだろう
いつでも遊べるおもちゃを買おうとは思わないのだろうか
深く考えることのできない人だった
そのため傷つけられることもたくさんあった
仕方ないからと僕は諦めた
でもその結果が、甥っ子にも行くのかと思うと
やはり精神的に殴らなければ成長しない人というのがいるのだし
惚れられているうちは男はいろんなことをしてくれる。
一方でどんな男でも欠点はある。
結婚した時に家庭を円満に保つために悪い部分は一緒に改善していった方が良い。
が、こっちのお願いを聞いてくれる期間は長くはない。
ゲームで癇癪起こしたり、テレビの不細工なタレントの容姿を貶したり、悪かった自慢だったり、不衛生な行動だったり、欠点を受け入れない自己愛の強さだったり、
そういうものを修正できるのは向こうがこっちに惚れている魔法の期間だけだ。
体を重ねることで口答えをして生意気だという思いが少なからず生じてしまうのだ。
欠点を直す代わりにプレゼントを買う、ごちそうに連れて行く、おみやげを買っていく。
そうすることで「こんだけしているんだからちょっとは多めに見ろ」と遠回しにプレッシャーをかけるようになる。
だから、将来を考える人ほど無闇に体を許すべきではないのかもしれない。
直せるうちは魔法が効いているうちに直した方がいい。
嫁がサンプルでもらったクソみたいな水筒を毎日使ってて、お昼に飲むとぬるいんだよねって話を聞いた。見るからにしょぼい水筒だったから、保温がすごいという水筒をクリスマスプレゼントであげようと思い、ネットで注文して今日届いた。
本当はクリスマスイブに渡したかったけど、大して高くもないし、最近寒くなってきたから早く使って欲しいと思って、「早いけどクリスマスプレゼント」って渡したら、「じゃあ早いけど私からもクリスマスプレゼント」って包装されたプレゼントの箱を渡され、中には立派なキーホルダーが。
クリスマスプレゼントなんてお互い話題にも挙げてなかったし、値段も安いけど自分的には超絶サプライズだと思ってあげたのに、嫁がプレゼント準備してるとは思わなかったからびっくりした。
ちなみに嫁からプレゼントをもらったのは娘が産まれる10年前のことだった。娘が産まれてからはお互いプレゼントをあげるよりは娘にあげようと話していたからおよそ10年ぶりだと思う。
もうしばらく前からこの話を誰かにしたくてしょうがなかったんだけど、表で大声でこういう物言いをして五体満足でいられるかどうかにやや不安が残るから匿名でする。
例のアニメ、BLかBLじゃないかっていうか、そもそも、絶対どっちかであるとは言い切れないようになってるんじゃないの。
(※作品タイトルもキャラ名も伏せてネタバレってなんだよとは自分でも思ったけどあらすじを一から全部説明するのもダルいので省略も兼ねて伏せます。察して)
メインふたりのコミュニケーションはわりとしょっちゅうラブコメとか少女漫画とか月9とかみたいに演出されているけど、「ふたりは互いに恋愛感情を持っている」と明言されたことは一度もないし、どころか「恋人としての役割は求めていない」「わかりやすい恋や愛とは違うかもしれない」というような趣旨の発言さえある。(四話五話)
でもそれも一方からの偏った認識に過ぎないし、作中時間ではかなり前の方の話になるから、最新話では変わっている可能性もある。(最新話はこれまでの視点役(ふたりの一方)の内心が伏せられている)(更に、その一話からの視点役が「どれほど信用できない語り手か」ということも明かされた)
どっちの方が「よりありえるか」っていう話じゃない。
どっちも「同じぐらいありえるように」丁寧に情報を調整されている。
大変な祭りになった例の「キスなのかハグなのかはっきりさせてくれないと夜も眠れない」なシーン(七話)だって、「特集番組」で、「公式関係者」に(作中で描かれた情報と完全にイコールにするつもりはないけれど考慮する価値は十分にあると思う)「こちらからどっちかだと『解答』を出すつもりはないから各々で決めてね」と言われてしまった。
あのシーンだけで見ても、キスなのかハグなのかはどう頑張っても「主観で決め付ける」しかない(口元が隠れて見えない)し、どっちかだとはっきりさせたところで、果たして「どういう感情でその行為に移ったか」はめちゃくちゃ解釈がわかれるだろうし、だからこそお祭り状態にもなった。
多分、公式はこれからも全力でBLっぽい演出をやってくるだろうけど、それを「疑いようもなくBLです」と断言するつもりもなければ、「BLじゃないですよ」と言い訳をするつもりもない。(※個人の印象です)
「例のアニメはBLうんぬんかんぬん」なありとあらゆる言及は「個人の感想」にしかなり得ないし、どっちかはっきりさせなきゃ気が済まない人はめちゃくちゃ苦しむことになるし、このことについて発言すればするほど、我々(大きな主語)は自分のものの見方を自覚なく大衆に見せびらかすことになってしまうのだ。どうとでも見れるようになっているがために。
そういうちょっと恐ろしいところもある作品なんだと思う。し、これを書く私も現在進行形で恥を晒しているのかもしれない。
でも他の人の意見も見たいからどうしても大声で言いふらしたかった。
(※以下は蛇足です)
そして、例のアニメの「BLかどうかは絶対にふわふわさせとくぜ」の極め付きは最新話(十話)の「指輪プレゼント」からの、「誤解での結婚祝福」からの、「勝ったら結婚するよ宣言」
そんなやり方ある~~~~????
正直、あのアニメではっきり差別のない世界の描写をするならどっかでそういうキャラクターを出す(でももうその尺がなさそう)か、最終回でメインふたりが結婚するぐらいしかないし、まさかそれはやらないだろうと思っていた。結婚すると「BLです!!!!」と完全に言い切ることになるから。
でも結婚しなかったらしなかったで、「結局BLとしては描ききらないんだな……(しょんもり)」になるかもしれない。
それが擬似結婚からの、誤解でも全力の結婚の祝福。作中世界で同性カップルは完っ全に肯定された。もうメインふたりをきちんと正式に結婚させる必要はないし、同時にこの先無理に「BLじゃないです」と言い訳する必要も消えた。だってあの世界ではふたりの関係はなんであれ正当に祝福されることなんだから。それがこれ以上ないくらいはっきりと示された。
なめてた。本当になめてた。
しかも、結婚は勝ったらという条件つき。この先の結婚は「勝ったから」という意味も持つことになって、擬似結婚(指輪プレゼント)時点での感情と動機は永遠に伏せられた。
あそこまでやっておいてまだ、余白に夢をみることもできる。
すっごくないですか????
あざとい賢しいめちゃくちゃ上手いし怖い。
マジで最終回までこのスタンスでやり遂げるつもりだよ怖い。もう結婚をしなくてもいい(メタ的な必要性)、となるとこの先どうなるか全く分からない、それはそれで怖い。十話にもなってあんな乱暴な叙述トリックぶちこんでくる公式なんて絶対信用できない。安心したら最後不意をつかれるに決まってる。本当に怖い。
こわい。
極端に女性の少ないコミュニティで、オタサーの姫のように扱われたくないときはどうすればいいんだろうか。
求めてもいないアドバイスをされたり、理由のないプレゼントを渡されたり、容姿などを褒められたり、正直言ってただただ居心地が悪い。
やんわり断ったりはするが、場の空気や関係を完全に壊すわけにもいかない。
いっそ誰とも話さなければいいと言われればそうだが、それでは何のためにそこに所属しているのかわからない。
自分では嫌だと思っているし、そういう扱いを受けないように気をつけようとしているのに、外の人には「オタサーの姫ってやつでしょ?」と言われたこともある。
誰にも頼らなくて済むほど私に能力があればいいのかもしれないし、誰にもそういう感情を持たせないように振る舞えればいいのかもしれない。
たくさんいる男性が全員人付き合いが上手い事を期待するよりも、私がそういう扱いをされないような人間になる方が早いとは思う。
でも実際そうなれてはいないし、これからも完璧にそうできるようにはなれないと思う。
この状況をうまく利用できる人や、断固として拒否できる人は本当に強いと思う。私にはどちらもうまくできない。
しんどい。
世間一般的に女性が「子供が嫌い」だというと良い印象を持つ人はいない
「子育て世代」ヨイショの時代で「子供が嫌い」なんて表立って口に出す人もいない
なのでここで愚痴ることにする
女、独身、20代後半、IT企業勤務、年収800万、付き合って2年の彼氏がいる
慣れるか心配だった「港区」の暮らしは、今では一番しっくりきている
一番良いのが「子連れがいない」ことだ
ベビーカーなんて引いて森タワーに出てくるのは郊外の田舎者がほとんどで
近くの高級スーパーでは一度も見たことがないし
たまに外国人(それもアジア系ではない)の子供をみかける程度だ
近くのレストランや駅では見ることがない
私は子供が大嫌いだ
騒がしいし、可愛くない
子持ちの急な「上の子が熱出しちゃって~」とかいう個人的都合にふりまわされてもきた
「自分の子供なら絶対違うよ」なんていわれることもしばしばあるが
この年齢になるとfacebookには地元、会社、様々な知り合いたちが子供の写真をあげている
どこどこ公園へ行っただの、初めてのクリスマスプレゼントだの、なんだの
コメントは「可愛い」「似てるね」「大きくなったね」「うちの子も~」
べた褒めワールド
テンプレかよ
中には一重で団子鼻でいかにも日本人の子供って顔の子にも「可愛い」
いや絶対可愛くないだろ
スクールカーストではお察しだろ
とにかくそういう「子供は可愛い(絶対)」みたいな褒め称えあう空気が大嫌いだ
子供がみんな可愛かったら世の中もっと美男美女だらけなんじゃないか
事実、私の住んでいるタワーマンションでは子供を見たことがない
だから「結婚しないの?」とか「子供つくらないの?」なんて空気もないのだ
それなりに稼ぐ人たちが、それなりの価格のレストランで、それなりの毎日を過ごす
眠らない大人の街だと、住んで一ヶ月で感じた
年収400万程度で
「こんな風には絶対なりたくない」
そう、世間一般では「結婚して子供がいる家庭」それが幸せだと言われる
子供なんてちっとも欲しくない
ただただ「子供」と、それを褒めあう「気持ち悪い空気」が心底嫌いなのだ
それは構わない
どうしたいとか、勝ちとか負けではなく、
自分と似たような人が少しでも息苦しくない気持ちになれたら良い
両親へ旅行をプレゼントしたり、老後の心配のない生活をさせてあげたい、ぐらいだ
子供は欲しくないし、欲しいと思ったこともない
「子供はみんな可愛い」なんてみんなが思っていると思ったら大間違いなのだ
「子供は騒がしくて当たり前」みたいな顔して叱ろうともしないモンスターペアレンツにも腹が立つし
ろくにお金もないのに「幸せ家族」みたいなのを見せ付けてくるのも理解できない
丁寧なコンシェルジュ
世間一般的に言われる「幸せ」の形を見せびらかして「べた褒めワールド」を作り上げてる奴らへの愚痴だ
「子供が嫌いなんて」「女性なのに子供が欲しいと思わないなんて」
そんなとこだ
子供なんて作るだけなら作れるが、逆に1000万稼げと言われたら稼げるか?
貧乏ド田舎暮らしでブサイクな子供晒してクソくだらない幸せアピールは恥ずかしいからやめとけ
そんなとこだ
中学3年になるまでは、同性を好きになる感覚がわからなかった。
そして、15歳のの夏、同性に恋をしていることを自覚した。
私は中学の時に夢女子となり、そして同じ趣味を持つ女の子と仲良くなった。
それはネット上の繫がりから始まったのだが、オフ会に参加した。
つまりネット上にしか居場所がなく、ある意味閉鎖された環境であったのかもしれない。
夢小説のサイトを持ち、そこでは拍手という文化があって、今でいうTwitterのDMみたいなものかな?
あなたのファンですとか、同じような萌えを感じます、とか、そういった交流を持てたのである。
拍手という機能はコメント必須ではなく、匿名でのいいねボタンみたいなものだ。それにコメントをつけられる感じである。
もちろん私にもお気に入りの作者さんはいて、ブックマークをしては毎日のように更新を待ち、交流を持った作者さんやどこの誰かもわからないけれど、私の作る話が好きだと言ってくれる読み手の方へ、自分のサイトも更新していた。
ある時ブックマークをしていたサイトで、◯◯(キャラ名)生誕祭チャットなるものが開かれた。
先述したようにLINEもないし、ガラケーではSkypeなんか開けないものだから、専らレンタルチャットで交流を深めていた。
やれ◯◯がかっこいいとか、原作のあの展開は最強だとか、あとは日常のことだとか。
ネット上で集まったチャットであるから、色々な都道府県から参加していて、ネット上しか居場所がない私には、
私のことを誰も知らない環境でオタク話に興じることができたのは、かなり嬉しかった。
その◯◯生誕祭チャットからは、結構な頻度で特に名目もない突発的なチャットが開かれた。
何度か参加しているうちに、固定メンツができて、その子たちとはメールアドレスを交換して、チャットがないときも交流できるようになった。
固定メンツがチャットに頻繁に交流を深めるうち、関東に住む子が池袋でオフ会をしよう、ということになった。
これから好きになる女の子をA、単純に仲良くなった子をBとしよう。
私はそのチャットでは最年少だったが、AとBとは比較的歳も近く、話が合った。
オフ会にはその二人は大体参加していたし、特にAは県を跨ぐものの、池袋で会うには不自由がなかった。
最初は趣味の合う友達、という認識だったのだが、チャット内ではそのAは人気者で、文書の書き方も上手く、オフ会で皆で集まればみんながその子を特別扱いしているように見えた。(特別扱いといっても恋愛ではない)
ネット上での繫がりから始まったとはいえ、それなりに交流してきたし、愛着が湧いた私は、
その子がちやほやされるのがそれはもう気に食わなかった。
一番交流してるのは私なんじゃないの?個別でもたくさん会ってるじゃん。
むしろ学校帰りに相手が暇なら、夕方からでもその子の学校の最寄りまで行って、待ってから遊びに行った。
この頃は私は高校生になっていて、比較的時間の自由がきいたので、多少時間がかかっても、その子の行きやすい場所に赴いていた。
私、この子の一番になりたいんだ。恋愛感情、なのかも。だって手をつなぎたいし、キスもしたい。
あわよくば、もっと先のことがしたい。
それは今まで男子しか好きにならなかった私にとって、かなり衝撃的だった。
高校でも親しい友達はできないし、閉鎖された交友関係で勘違いから始まったのかもしれないけれど……
でもその感情は、確かに恋だった。
私を一番にしてほしい。
この頃は夢女子を兼ねた腐女子となっていたので、同性への恋愛感情が実はそんなにおかしなことではない、
その影響もあって、恋愛感情は確信に変わり、その子のためなら文字通りなんでもした。
その子はなかなか常識的だったので、無茶なことは全く言わなかったが、
だからこそ私が同人誌をプレゼントしたりとか、グッズを買ってあげたりとか、
ご飯をおごったり、とにかく高校生なりにできることは、多少の遠慮をされても、そして無理をしてでもなんでもした。
同性への恋愛感情が初めてだった私は、なんでもすることによってまるで都合がいいだけのやつみたいに見えたかもしない。
それでも私を一番にしてほしくて、でも同性という壁があるから踏み込めなくて、
かなりかなり困っていた。初心な初恋のように。
恋愛感情を意識してからというもの、その子と話すとドキドキして話すのも恥ずかしくて、その子とは疎遠になってしまった。
今もTwitterはのぞいているけれど、楽しそうにしている写真が載っていると、まだ心がちくちくする。
同性という壁を超えるのは難しくて、しかも相手はノーマル。詰んだも同然。
出会いは某2.5舞台だった。ずっと好きだった作品が2.5次元化され、舞台というものを初めて見に行ったのがその舞台だった。
まだデビューしたてで芝居はお世辞にも上手いとは言えなかったが全力で歌って踊りキラキラした笑顔のAを見て惹かれ、いいなと思いながら何回か通っていた公演中に客降りのハイタッチで満面の笑みでハイタッチをしてくれたAに転がるように落ちた。
初めて贈ったプレゼントが翌日に使われていたのを発見して狂喜乱舞して、その後調子に乗ってちょくちょくタオルやらTシャツやらパーカーやら贈ったけどほぼ全部使ってくれていた。その度に鍵もかけていないツイッターアカウントで大騒ぎしていた。今思うと死にたい。
その数ヶ月後初めての接触イベントで、今じゃ絶対やらないけど自分から名前を名乗ったら「あ〜〜!わかりますよ!いつもいつもありがとう!!プレゼントも色々ありがとう!!」と握った手をぶんぶん振りながら言ってくれた、本当に嬉しそうなAの笑顔に泣きそうになったのを覚えている。
その時上から下まで一瞥されたのも忘れられない。この頃はようやくhoneysを卒業してearthとarchivesとイーハイフンを着こなそうと奮闘している二次オタ上がりのおたくだった。察してほしい。
その後もAはトントン拍子に舞台に出続けていた。Aはどんどん芝居が上手くなっていっていたし、Aの芝居が本当に好きだった。Aは接触する機会がそこそこあったので、その中で完全に顔と名前を認知してくれていた。「いつもありがとう」と言われるたびに天にも昇る心地だった。
毎回ツイッターにリプライもしていたしブログにクソ長いコメントも欠かさなかった。公演ごとに半通すらできるかできないかの金なしおたくだったけど、回数入れなくてもAのことを一番大好きなのは自分だと信じ込んでいた。Aが私の世界の全てだった。ほぼリア恋だったと思う。
我慢できず同厨のツイッター等を見に行って病んでたことも多かったけど、何百枚と溜まっていくプレ着用写メフォルダを見て自信を取り戻していたちょろいおたくだった。
舞台で前列にいれば絶対にカテコで出席確認()をしてくれたし、月1以上で贈っていたプレゼントも8.5割は使用報告写真をあげてくれていた。手紙の内容にこっそり私信もくれていた。プレゼントしたものに関するネタをブログで言ってくれたり、リプライの内容に関する返信を文章に織り交ぜてくれたり。この時は推しのIDでツイッター検索をかけたりそれ以前のブログコメントで私以外に同じこと言っているファンがいないか血眼で探したのを覚えている。必死だった。
手紙の封筒もセンスがないなりに必死で作っていた。ただでさえクソ長い手紙を毎回書いていたので、自分で言うのもなんだが毎回大事に読んでくれているのは接触の時の会話でわかっていたけどせめて少しでも愉快な気持ちになって欲しくて始めた。機会があって本人に直接渡した時すげえ!可愛い!いつもホントにありがとう!って言ってくれたから調子に乗って続けた。
そしてこの頃から某黒い背景の掲示板に頻繁に名前を出されるようになった。
出待ちとか遭遇みたいな迷惑行為は一切してなかったけど公開アカウントでリア恋丸出しお花畑なのがいけなかったんだと思う。何をしても毎回ボロクソに言われた。ツイッターも鍵垢からリツイートされることが多くなった。ありもしないことを捏造されあたかも本当のことのように吹聴された。悪意の塊の掲示板が怖くてたまらなくて、でも何が言われてるのか気になって見てしまった。完全に悪循環だった。会場でもやたら視線を感じたし私を見てヒソヒソ話して笑っているのにも気づいていた。
自分は絶対にAにファンサをもらえると信じていたし、席も最前含め前方が多くてどんな楽しい舞台になるんだろうとワクワクしながら気合を入れてうちわも作った。
公演中、最前列だった日に推しが目の前に来る瞬間があった。すごくテンションが上がって、猛烈にアピールしたのを覚えている。
推しはその時こちらをふと見て真顔で何もせずに去っていった。私はあの時の顔が未だに忘れられない。
雷に打たれたような気分だった。その後の舞台はまともに見られなかったけど推しのことだけは辛うじて見ていた。そうしたら違うおたくに笑顔で手を振っていたのが見えてしまった。地獄だった。
今思うと気分屋のA的にはそんなに深い意味はなかったんだと思う。タイミングが悪かったのかもしれない。友達にも気にしすぎだとさんざん宥められた。それでも掲示板でdisられ続けた奴の自己肯定感を完全に打ち砕くには十分な出来事だった。
その後、降りはしなかったし舞台もイベントも頻度は変わらずに行っていた。封筒も作らないかつ以前ほど頻繁には書かなくなったけど手紙も送ったしリプライやブログコメントも続けていた。でも自分の中で何かが変わってしまっていたのはわかった。この頃から積んで前方席に入るようになった。段々Aの舞台に行く目的が見る<<<見られたいになってしまっていた。
Aの態度が変わり始めたのもその頃からだった。
舞台でどんなに前列に入ってもカテコの時にもはや目すら合わなくなった。Aはカテコで上手から下手まで一人一人の客を見るタイプの人だったんだけど、左右にずらっと目線が動いてるはずなのになぜか一瞬たりとも目が合わない。最前立ち位置0ズレに座ってもだ。接触でもあからさまな塩対応になり、プレゼントも滅多に着なくなった。何万ドブに捨てたかは数えたくない。
最初からそうだったのならそういうスタンスの俳優だったんだなと思うし受け入れられたかもしれない。でも途中からこんな感じになってしまったら、あー嫌われたんだな、と思うしかなかった。私が変わったからそうなったのか、Aが変わったのかは未だにわからない。
この頃はもうファンをやってても何も楽しくなかった。
本当に惰性と意地で通っていた気がする。やっぱり推しはカテコでガン無視だったし、他のおたくには目線を合わせているのも見えてしまっていた。そもそもAはブログを更新しなくなっていたけど、私もブログへのコメントもしなくなった。
もう限界だと思った。
Aの芝居やパフォーマンスは大好きだったけれど、それだけで嫌いという意思を向けられているらしき人を応援し続けるのも、他のおたくから自意識過剰ではないレベルの敵意を向けられ続けるのも私には無理だった。
最後の接触イベントでも頑張って笑顔で話しかけたけどほとんど目すら合わなかった。最後に思ってもいないことを伝えてみたら、やっと顔を上げた。ありがとうって笑顔で言ってくれた。久しぶりに目の前で見た笑顔だった。それがAの前に姿を見せた最後の記憶である。
降りてから数年経ったけど、今Aの前に姿を現したらまだ私のこと覚えてるのかは少し気になる。記憶力はいい人だったから。
嫌なこともたくさんあったし泣いたことも多かったけど、それでもやっぱりそれ以上にAのことは大好きだったし楽しかった。
でも時間が戻るならAのことを応援していた時間と金を違うことに使いたかったと思う。
たまにツイッターとかブログは見に行っているけど、全盛期の1/5ぐらいに減ってしまったコメント数を見て彼が何を思っているのかは知らない。
多分私は若手俳優のおたくに向いていないタイプだと思う。何もかも一人に注ぎ込んで精神的に寄っ掛かりすぎてしまうし多くを求めすぎてしまう。Aに関しても勝手に暴走して自滅したのは私自身だ。
高校時代から冴えなかった私は校内で「あそこは帰宅部」と揶揄されていた文芸部に入った。
もちろん帰宅するために。
最初くらいは行っておこうと部室に向かう途中で会ったのが親友の彼女だった。
結局その年の入部者は私達2人だけだった。
帰り道、なんで文芸部に入ったかの話になって、お互いに帰宅するためだった事で盛り上がった。
その後、彼女とは漫画の貸し借りや好きな歌手が同じという事で仲良くなり、帰宅目的だったのに部活に行くのが楽しみになっていた。
帰宅部と言われるだけあって先輩たちはは初日以外は来ることはなかったので部室を2人で使い放題だった。
彼女はアパレル関係の会社に就職し、私はIT関係の会社に就職した。
働き出して一人暮らしするようになってからも土曜の夜か日曜の夜はお互いの家に行き来していた。
一緒に料理したり、漫画貸したり、ゲームしたり、アニメ見たり、ドラマ見たり、お笑いライブ見に行ったり、好きな歌手のライブ行ったり、
レンタカー借りてドライブしに行ったり、仕事の愚痴言い合ったり、彼氏できないね~って話したり。
当時、彼女は「アパレルは女しか居ない。出会いない。私、絶対結婚できないと思う。」と言っていた。
私はアパレル=キラキラした世界と思っていたから「なんだかんだ言ってモテてるけど理想高いだけじゃない?」と返していた。
そして28歳の時、私に初彼氏ができてそのまま3ヶ月で結婚した。
元々目立つのが苦手な私は彼にもその事を伝え、結婚式はしなかった。
その事を彼女が知ると、「誓いだけでもした方がいいよ。じゃあ私が牧師役やってあげるから。」と言ってくれた。
最初は断ったのだが、どうしてもやったほうがいいと強く薦められ、私が折れる形で私の家で指輪交換と誓いのキスをした。
今思うと夫婦の思い出にもなったし本当にやってよかったと思っている。
結婚後、最初に私の家に呼んだ時は彼女が遠慮してしまうのではないかと「旦那居るけど遠慮しないでね」と言った。
私の旦那も私と共通の趣味という事で私の家に彼女を呼んだ時は一緒にゲームしたりしていた。
私に娘が生まれてからも最低1ヶ月に1回のペースは崩れることはなかった。
「男できない~」なんて話は相変わらずしていたものの、私は彼女は仕事を頑張っているのだろうと思っていた。
私は私で、なりゆきで専業主婦になってしまったので彼女がバリバリ仕事をしているのがうらやましかった。
お互いにないものねだりな感じで「仕事できていいな~」「いやいや、家庭ある方が勝ち組だよ~」なんて言い合った。
娘が大きくなってくると娘は彼女の事を「○○お姉さん」と呼んで来るのを楽しみにしていた。
彼女が私の家に来た時はもちろん、私が彼女の家に遊びに行った時も「これ、○○ちゃんに似合うと思って社販で買っておいたから持って行って!」と服をくれた。
さすがはアパレルで働くだけあって服のセンスは良く、娘は私が買った服より彼女が選んだ服を好んで着ていた。
お互いに35になる頃、彼女は自分が彼氏いない歴=年齢で処女であることを言ってきた。
「早くしないと子供産めなくなっちゃう」と泥酔して号泣しながら言った。
私は彼女の背中をさすりながら「会社に男性は居ないの?」とか「結婚相談所に行ってみたら?」とか慰めていた。
その時は冗談だと思って「もう~あんたにはあんなのじゃなくてもっといい男居るよ~」と流してしまった。
彼女もそれ以降その事を言うことは無かった。
彼女が行った珍しい街コンの話を聞いていろんな種類の街コンがあるもんだなぁと思っていた。
自衛隊街コンとか女のほうが歳上街コンとか一緒に料理を作る街コンとか
もちろん普通のも含めていろいろ行っていたようだった。
先月彼女の40歳の誕生日の週に会った時「私、まだ彼氏いない歴=年齢だよ~こんなまっさらな状態で40歳になると思わなかった~」と笑いながら言っていた。
私は、彼女が勤めている会社で部長クラスの役職についていたので「仕事がんばる女もいいと思うよ!」なんて言っていた。
いつもどおり飲んで食べて話して「次はクリスマスに○○ちゃん(私の娘)にプレゼント持っていくね」なんて次の約束もしてその日は帰った。
12月に入ってちょっとしてから彼女に送ったLINEが既読にならなくなった。
いつもなら既読になって返信か、スタンプが返ってきていたのに。
その日の夜、彼女のマンションの前まで行ってみたが彼女の部屋には明かりがついていなかった。
仕事が忙しくてLINEが見られないとかそんな所だろうと思っていた。
私は信じられなかった。
何をする気にもならず、私と彼女が好きだった歌手のCDをかけて聞いていた。
家事をしなければと頭では思っていても体が動かなかった。
でも実感は無かった。
仮通夜に行き、顔を見せてもらって実感が湧いてきて涙が出た。
「○○(彼女の名前)!○○!なに寝てんの!起きなって!」と言うのが精一杯だった。
そして、亡くなった部屋のテーブルにあったという遺書のようなメモ書きを見せてもらった。
でも、いっぱい頑張ったけどできなかった。
お父さん、お母さん、孫を見せられなくてごめんなさい。
○○(妹さんの名前)お父さんとお母さんをよろしく。
「頑張った」という部分が涙が落ちて滲んでいた。
私は立っていることができず、その場にうずくまって親族の方々が居る前で大声で泣いてしまった。
私は旦那に抱えられるようにして仮通夜を行っていた彼女の実家から帰宅した。
私は、彼女が旦那を貸してくれと言った時の事を思い出していた。
どんな気持ちで言ったのか。
彼女に子供さえ居たら自殺するような事は無かったんじゃないか。
そのために旦那を貸せばよかった。
私はあの時のことを後悔した。
見ず知らずの女性じゃない。
取ろうと思えばいつだってできたし、わざわざ私に許可を求めたって事はやっぱり子供が欲しかっただけだったんだろう。
だから浮気とかじゃなく、子供を作るためだけに旦那を貸せばよかった。
乱文、長文失礼しました。
どこかに書かないと私の心がもたないと思って書かせてもらいました。
http://next.rikunabi.com/journal/entry/20161206_M1
あたりまえだが、生活している環境とか職種・業種・職位によってその要・不要も変わってくるだろう。
わたしも元々はメールは「簡潔」に「箇条書き」で「結論ははじめ」に書いてきた。
社内や下請け・取引の長いクライアントであればそう困ることも無いだろう。
皇族をはじめ、各国の王族、VIP相手にレターを書くことが多くなった。
メールだけではなく直筆のことも多い。
(メールですますこともあるが、これは侍史宛の実務内容になる)
増田諸氏の中には、所謂「偉い人」相手であっても、すらすらと書ける人もいると思うが、
なかなか書ける人はいないだろう。私は今でも苦手だ。
当然、紙の選択にはじまり、インクはもちろん、封蝋まで気を使っているが、
一番気を使うのは、書き出しである。
平凡な時候の挨拶では、相手も大事にされていないと感じるだろう。
いつも悩んで時間がかかっていたが、先輩から「歳時記」が便利だと教わった。
大型書店や図書館でみかけて、ぺらぺらとめくった人も多いと思う。
これは、事項の挨拶にも使えるし、書き出しにも使える。
初冬の候、いよいよご壮健のこととお喜び申し上げます。
これではつまらない。
やまどりの声を聞くことがなくなり、本格的な冬がやってまいりました。
これだけで、送付した人が平地やマンションではなく、冬に近い山に住んでいることが分かる。
とまぁ、とかく面倒でもあるが、
(外向きの用事であれば)メールも自分で工夫してみるもオモシロイだろう。
ペン先に確度を付けており、文字に強弱が付けやすい工夫がしている。
これからはじめてレターを書く、クリスマスカードや年賀状に使いたい人がいれば、
55度(若竹)を使うといいだろう。
観測するまでその場にいるかどうか解らないのだから、つまりは量子を観測して毒ガスを出す箱の中にサンタクロースが居るかは明けてみないと解らないとしても考え方としては生と死が重なってて矛盾をするし、結局マクロな世界ではサンタクロースを観測者の存在も含めて存在に帰結するのも困難。
また、サンタクロースの移動ベクトルも全てを繋げて地球儀に落としたとしても最終的に出発点に戻るとも言い切れないのだ。
はっきり言えるのはこの世にサンタクロースが存在するとは断言できず、また、いないとする論拠もないということで、神も悪魔も前世も運命も全て都合のいいブラックスボックスに他ならない。
プレゼントをねだる君の存在は実在を疑うこともないけども、同様にクリスマスのディナーの高値もまた、現実であって、そういえば地球が暖かいのは緩やかに核崩壊を行っているからであって、結局生まれてくる子供だって生まれてみるまで誰の子供か解らないと言う点では非常にシュレディンガーだよね。
シュレディンガーベイビーと君を置いて僕が宇宙を高速で旅したとすると子供より若い父親の存在がね、双子のパラドックスっていうんだけど。
いや、認知とかそういうのはまだ不明な未来な訳で、全ての物体のベクトルを観測し、予測できる悪魔にだってほら、やっぱり解らない事はあるはずだから。
仏教的にいえば未来はまだ来ていないのだから今目の前にある現在を精一杯いきる所存というか。
たとえばブラックホールは超高重力なのだから内部は高熱なのかといえばそうなのかも知れないけど、それは絶対重力圏内の全てを吸い込む故に、周囲に大量の反物質を生み出して常にエネルギー的に霧散して消滅に近づいているんだけど、僕らの関係も想いという意味ではブラックホールに似ていて、重いと想いをかけた訳ではないけど、常に目減りを繰り返してって、いつかは何かを生み出すかな。
いや、子供ではなくてね。
誕生日プレゼントねだりならネットに限らずただの馴れ合いのようにも思うが
ネットの海を泳いでいると、しばしば乞食行為に出くわすことがある。「誕生日が近いのでほしいものリスト公開します!!」みたいな。
ブログをやってる人、いわゆるブロガーなんて人種がそういった類のことをやっている印象だが、傍から見てて「気持ち悪いなぁ」と思ってしまう。乞食している側も贈っている側も馴れ合っている感じがして非常に気持ち悪い。
そういった行為を見かけると「そんな物乞いみたいな真似してないでブログの収益を使って自分で買えばいいじゃん」と思うし、「この人たちは現実のみならずネット上でも馴れ合って一体何がしたいのだろうか」とも思う。
私個人の感覚としては、プレゼントという行為は自分でクレクレ言いに行くものではなく、贈る側が何らかのアクションを起こすことによって始まるものだと思っているのだが、世間一般の感覚はどうなのだろう。友人でも家族でもない人に物をねだるだなんて行為、私には到底できる気がしない。
似たような例として、海外のフリーソフトやオープンソースソフト界隈ではPayPalによる寄付文化があるが、ああいったものに対して特に嫌悪感はない。恐らく、自分自身が「そういった寄付がモチベーションに繋がる」ということを身に染みてわかっているからだろうし、そもそもそこに馴れ合いは存在せず、利用者→開発者という一方通行の感謝の念だけが存在している(と私は思っている)からだろう。
同様に、プロフィール欄などに欲しいものリストのURLが貼ってあるような例も見かけるが、あれらも特に嫌悪感はない。PayPalの件と同様に自らクレクレ言っているわけではなく、その人に対する何らかの報酬・対価を贈るための手段として、PayPalなり欲しいものリストへのリンクが置いてあるだけだからだろう。
要は私の中に「友人でも家族でもない人に物をねだる」「ネット上で馴れ合う」といった価値観が存在しないために、ここまでの嫌悪感に繋がっているわけだ。狭量な人間だね。
まぁそれはともかく、こんなことを言っていると、ほしいものリスト乞食をやってる人からは「嫉妬してるだけでしょ」「全員がブログで収益出てるとでも思ってるの?」「嫌なら見なければいいじゃん」といった声が飛んできそうである。
嫉妬云々は感情の話なので否定したところで証明のしようがないが、収益云々に関しては「初期費用がゼロで済む以上、金額を問わなければブログで利益を出すのは全く難しくない」と思っているので、そんなことを言ってくる人とは根本的にブログに対するイメージが違うのだろう。
「嫌なら見るな」という意見はごもっともなド正論なので、そういった乞食行為をやっているのを見かけたらTwitterなりFeedlyの購読を解除するようにしている。
悲しいなぁ。