はてなキーワード: 仮通夜とは
みなわかってるのに、一点に注目して喚く人が目立つ。いわゆる切り取りって奴だ。
新年早々はベビーカーだ。あれも状況からして仕方なしなのに差別だ!と強い言葉で誰かが騒ぐと
大騒動になる。実際に寺には抗議の電話がこの忙しい年初に殺到したと聞く。
皆普通に人にやさしくの教育受けてるから、ひどい!差別だ!ヘイトだ!と言われると、普通はウッと心に効く。
その強い言葉を振る前に、一呼吸、落ち着いて調べたり相手を慮ることできないかな。
ちょっとしたことでは昨日のすべらない話で竹山がマエケンの仮通夜の場で、
マエケンの父に息子は竹山君のこと愛してたんだよ!と言われたことをお笑いにしてた。
竹山はしゃべりの構成がうまくなく上手な笑いに昇華できなかったミスはあるが、
親友芸人のマエケンを語りたかった気持ちはよく伝わってきた。芸人ってこうなんだろうなと思うこともできた。
ただそれすら、ゲイであるマエケンに対するアウティングだといってみたい勢、好きだという気持ちを
マエケンはばらされていいの勢に放送直後から攻撃されたりしている。
すこし調べれば竹山の単独ライブや彼らのこれまでの活動から、これは不器用な友情の話だとわかること
なんだが、
人が好きだというのを笑う?男性が男性を好きだというのを馬鹿にする?みたいな
高校時代から冴えなかった私は校内で「あそこは帰宅部」と揶揄されていた文芸部に入った。
もちろん帰宅するために。
最初くらいは行っておこうと部室に向かう途中で会ったのが親友の彼女だった。
結局その年の入部者は私達2人だけだった。
帰り道、なんで文芸部に入ったかの話になって、お互いに帰宅するためだった事で盛り上がった。
その後、彼女とは漫画の貸し借りや好きな歌手が同じという事で仲良くなり、帰宅目的だったのに部活に行くのが楽しみになっていた。
帰宅部と言われるだけあって先輩たちはは初日以外は来ることはなかったので部室を2人で使い放題だった。
彼女はアパレル関係の会社に就職し、私はIT関係の会社に就職した。
働き出して一人暮らしするようになってからも土曜の夜か日曜の夜はお互いの家に行き来していた。
一緒に料理したり、漫画貸したり、ゲームしたり、アニメ見たり、ドラマ見たり、お笑いライブ見に行ったり、好きな歌手のライブ行ったり、
レンタカー借りてドライブしに行ったり、仕事の愚痴言い合ったり、彼氏できないね~って話したり。
当時、彼女は「アパレルは女しか居ない。出会いない。私、絶対結婚できないと思う。」と言っていた。
私はアパレル=キラキラした世界と思っていたから「なんだかんだ言ってモテてるけど理想高いだけじゃない?」と返していた。
そして28歳の時、私に初彼氏ができてそのまま3ヶ月で結婚した。
元々目立つのが苦手な私は彼にもその事を伝え、結婚式はしなかった。
その事を彼女が知ると、「誓いだけでもした方がいいよ。じゃあ私が牧師役やってあげるから。」と言ってくれた。
最初は断ったのだが、どうしてもやったほうがいいと強く薦められ、私が折れる形で私の家で指輪交換と誓いのキスをした。
今思うと夫婦の思い出にもなったし本当にやってよかったと思っている。
結婚後、最初に私の家に呼んだ時は彼女が遠慮してしまうのではないかと「旦那居るけど遠慮しないでね」と言った。
私の旦那も私と共通の趣味という事で私の家に彼女を呼んだ時は一緒にゲームしたりしていた。
私に娘が生まれてからも最低1ヶ月に1回のペースは崩れることはなかった。
「男できない~」なんて話は相変わらずしていたものの、私は彼女は仕事を頑張っているのだろうと思っていた。
私は私で、なりゆきで専業主婦になってしまったので彼女がバリバリ仕事をしているのがうらやましかった。
お互いにないものねだりな感じで「仕事できていいな~」「いやいや、家庭ある方が勝ち組だよ~」なんて言い合った。
娘が大きくなってくると娘は彼女の事を「○○お姉さん」と呼んで来るのを楽しみにしていた。
彼女が私の家に来た時はもちろん、私が彼女の家に遊びに行った時も「これ、○○ちゃんに似合うと思って社販で買っておいたから持って行って!」と服をくれた。
さすがはアパレルで働くだけあって服のセンスは良く、娘は私が買った服より彼女が選んだ服を好んで着ていた。
お互いに35になる頃、彼女は自分が彼氏いない歴=年齢で処女であることを言ってきた。
「早くしないと子供産めなくなっちゃう」と泥酔して号泣しながら言った。
私は彼女の背中をさすりながら「会社に男性は居ないの?」とか「結婚相談所に行ってみたら?」とか慰めていた。
その時は冗談だと思って「もう~あんたにはあんなのじゃなくてもっといい男居るよ~」と流してしまった。
彼女もそれ以降その事を言うことは無かった。
彼女が行った珍しい街コンの話を聞いていろんな種類の街コンがあるもんだなぁと思っていた。
自衛隊街コンとか女のほうが歳上街コンとか一緒に料理を作る街コンとか
もちろん普通のも含めていろいろ行っていたようだった。
先月彼女の40歳の誕生日の週に会った時「私、まだ彼氏いない歴=年齢だよ~こんなまっさらな状態で40歳になると思わなかった~」と笑いながら言っていた。
私は、彼女が勤めている会社で部長クラスの役職についていたので「仕事がんばる女もいいと思うよ!」なんて言っていた。
いつもどおり飲んで食べて話して「次はクリスマスに○○ちゃん(私の娘)にプレゼント持っていくね」なんて次の約束もしてその日は帰った。
12月に入ってちょっとしてから彼女に送ったLINEが既読にならなくなった。
いつもなら既読になって返信か、スタンプが返ってきていたのに。
その日の夜、彼女のマンションの前まで行ってみたが彼女の部屋には明かりがついていなかった。
仕事が忙しくてLINEが見られないとかそんな所だろうと思っていた。
私は信じられなかった。
何をする気にもならず、私と彼女が好きだった歌手のCDをかけて聞いていた。
家事をしなければと頭では思っていても体が動かなかった。
でも実感は無かった。
仮通夜に行き、顔を見せてもらって実感が湧いてきて涙が出た。
「○○(彼女の名前)!○○!なに寝てんの!起きなって!」と言うのが精一杯だった。
そして、亡くなった部屋のテーブルにあったという遺書のようなメモ書きを見せてもらった。
でも、いっぱい頑張ったけどできなかった。
お父さん、お母さん、孫を見せられなくてごめんなさい。
○○(妹さんの名前)お父さんとお母さんをよろしく。
「頑張った」という部分が涙が落ちて滲んでいた。
私は立っていることができず、その場にうずくまって親族の方々が居る前で大声で泣いてしまった。
私は旦那に抱えられるようにして仮通夜を行っていた彼女の実家から帰宅した。
私は、彼女が旦那を貸してくれと言った時の事を思い出していた。
どんな気持ちで言ったのか。
彼女に子供さえ居たら自殺するような事は無かったんじゃないか。
そのために旦那を貸せばよかった。
私はあの時のことを後悔した。
見ず知らずの女性じゃない。
取ろうと思えばいつだってできたし、わざわざ私に許可を求めたって事はやっぱり子供が欲しかっただけだったんだろう。
だから浮気とかじゃなく、子供を作るためだけに旦那を貸せばよかった。
乱文、長文失礼しました。
どこかに書かないと私の心がもたないと思って書かせてもらいました。