はてなキーワード: バイアスとは
「パナマ文書」の暴露により、世界の偉い人・有名人の資産隠しや租税回避が明るみに出ました。
これを発端に、いままでなじみの薄かったいわゆる「タックスヘイブン」(租税回避地)の存在が明るみになり、日本でもひろく報道・議論されるようになりました。
しかしながら、このような議論のなかで、いくつかタックスヘイブンにまつわる誤解が生まれているような気がしますので、これを機会に少し整理してみたいと思います。
書き手(増田とします)は民間企業の中の人ですので、もちろん中立的な観点からお話ができるよう配慮はしますが、いくらか企業寄りの、バイアスのかかった記事になってしまう可能性があることを申し添えます。
記載内容は厳密には異なる場合、細かい部分を捨象している場合や例外が存在しており、あらゆる場面で正確性を担保できるものではありません。
参考記事1: http://editor.fem.jp/blog/?p=1969
↑要約すると~日本企業がタックスヘイブンであるケイマン諸島(法人税率0%)へ投資した額は、直近で60兆円にものぼっている。これに対して日本の法人税率23.9%を課すとすると約14兆となり、消費税収をほぼカバーできる額となる~という夢のようなお話です。
まず、タックスヘイブンとは関係ないですが、法人税は投資額に対して課されるのではなくて、投資して得たリターン(収益)に対して課されることになるので、そもそもの計算が違います。
つぎに、日本の税制では、日本の親会社がタックスヘイブンを含む軽課税国~無課税国に子会社をつくって投資をした場合、子会社で得た利益を親会社の利益に乗せて課税する仕組み(外国子会社合算税制。詳しくはググれ)があるため、基本的に租税回避できません。
また、確かにタックスヘイブンであるケイマン諸島やパナマの会社や口座は情報の秘匿性が比較的高いといえますが、日本の監査法人や税務当局もバカではありませんので、仮に企業が資産隠しをしようとしたら普通はバレます。
参考記事2: http://enter101.hatenablog.com/entry/2016/04/08/230542
↑に関連して。
確かに、日本政府はパナマ文書について「日本企業への影響を考慮して」調査しないこと(実際には「コメントを控える」こと)を発表しました。しかしながら、これが批判されるべきことかと言えば、少々事情が異なるのかと思います。
かりにパナマ文書に記載の日本企業がリストアップされたらどうなるでしょう。「租税逃れだ!」と方々から批判を受けるのではないでしょうか。実際には上記の通りほとんどの企業は親会社で相応の税負担をしているにもかかわらず、です。
さらに、この<調査しない宣言>を横展開させて「日本はタックスヘイブンを野放しにしているんだ!アベ死ね!」と考えるのは畢竟お花畑の思考です。皆さんはマイナンバー制度というのをご存じでしょうか。そう、今年から始まったアレです。これがなんのために始められた制度か知っていますか?OLが副業で水商売しているのを暴いてニヤニヤするためですか?色々な目的はありますが、その中のひとつに超富裕層の租税回避対策があります。近いうちに銀行口座とマイナンバーの紐づけがなされ、税務当局は個人の所得を把握しやすくなります。また、このマイナンバー制度と並行して、日本は世界各国と金融口座に関する情報交換協定を結んでいます。この協定の参加国にはケイマン等のタックスヘイブン国も含まれており、富裕層の課税逃れはさらに難しくなっていきます。
参考記事2でアフィリエイトリンクが貼られている志賀さんの著書ですが、これを読めばいかに日本のタックスヘイブン対策が他国に比べて進んでおり、租税逃れが難しくなっているかがわかりますので、どうしてこのような記事が書けるのか不思議でなりません。
この疑問はごもっともです。参考記事1で引用されるように、日本企業のタックスヘイブン国に対する投資はたいしたものです。これらの企業はなぜ、外国子会社合算税制の存在にもかかわらず同国で投資を行うのでしょうか。いくつか理由があります。
たとえば会社であるプロジェクトを進めるとき、その会社が直接事業をはじめるのではなく、子会社を作ったほうが色々な面で都合が良い場合があります。このとき、日本で株式会社を設立するとなると、法人税以外にも色々なコストがかかります。たとえば、会社の資本に応じて事業税が課されますし、会計監査を受けるための費用も発生します。会社があるだけでけっこうな維持費用がかかるのです。これに対して、タックスヘイブン国のほとんどは日本国にいながら設立でき、会計監査も不要で、かかるコストは登記費用だけとなります。このような利便性から、債権や不動産の流動化を目的としたSPCの多くは、いまだにタックスヘイブン国が活用されています。(SPCについては http://accountingse.net/2011/01/260/ ここの説明がわかりやすいです。)
たとえばパナマの会社の多くは船会社ですが、これはパナマが便宜置籍のメッカであるからです。増田は船会社のことはあまり詳しくありませんが、日本で置籍するよりも色々な制度上の恩恵を受けることができ、今でもパナマで船用のペーパーカンパニーを作っているところは多いです。便宜置籍のあり方そのものが問われることがありますが、ここでの本論からずれるので措きます。
先ほどの説明と矛盾しますが、子会社の利益が親会社で課税されるといっても限界があり、スキーム次第では節税可能となる場合があります。たとえば、外国子会社合算税制が適用されるのは日本の会社が50%超出資する場合で、外国の会社と共同で出資し、日本からの出資比率が50%以下となるような場合については適用されません。つまりこの場合には税率は0%のままとなります。
厄介なことに日本の法人税制はとてつもなくややこしいので説明は省きますが、他にもスキームによって0%とまではいかないまでも節税ができる場合もあります。ただしこのような例は増田の肌感覚ではそこまで多くないと思っています。
これについては判断がわかれるところです。増田はサラリーマンなのでどうしても企業よりの回答になってはしまいますが、これはケースバイケースです。たとえばはてな国で現地のはてな人を顧客にしたビジネスをしたいとき、はてな国に会社をつくることは自然な行為です。いっぽうで、日本で日本人を相手にビジネスをするのに、はてな国で会社をつくるのはかなり不自然ですね。はてな国が租税回避国であった場合、なおさら怪しいことになってしまいます。実際のビジネスはこの両端の間で行われており、適法であっても黒に近いグレーであるような取引はたくさんあるのも事実です。たとえば最近判決の出たYahoo事件というものがあります。これはタックスヘイブンとは関係ないのですが、Yahooが日本の税制の穴をついて意図的な租税回避をしたかどうかについて争ったものです。最高裁判所はYahooの取り組みを「明らかに不自然で税負担の減少を意図して税制を濫用した」ものと結論づけました。この判決については、いまだ議論が交わされている中ですし、増田も法に詳しいわけではないので確たることは言えませんが、民法1条3項では、「権利の濫用は、これを許さない」とうたわれています。実際の判決でこれが引用されることはあまりない感じはしますし、これがまさに程度問題なので線引きも難しいところですが、制度に穴があるというのは法の精神に体が追い付いていないようなものであるので、明らかに精神に反するものは排除されるべきというのは一理あると思います。
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/bangoseido/faq/faq7.html 記載の通り、任意ではあります。
https://www.oecd.org/ctp/exchange-of-tax-information/MCAA-Signatories.pdf (PDFです)今のところパナマはないです。
初増田でたくさんの反応を頂けてありがたく思います。この文章を書いた背景は、パナマ文書騒動を機にタックスヘイブンということばが一気に周知のものとなったにもかかわらず、そのことばの内実を曲解させるような記事がたくさん出回ってしまい、これにぶち切れたことが理由です。税に関することがらはなかなか理解しにくいところがあるので、交通整理的な意味合いを込めて2つの事例をもとに私なりにお伝えできることを書かせて頂きました。まず、本論で特に触れませんでしたがパナマ文書騒動そのものに関しては、そもそもパナマが国際的租税回避地であるという事実は変わりませんし、これを利用して租税回避行動をとった個人・企業が存在することも事実ですが、その一方でパナマ文書に記載された個人・企業の全てが法的ないし倫理的に悪いことをしているとは言いきれない(この点においてアシュレイ・マディソン事件とは構造が異なる)ことから、その情報の取り扱い方に非常な危惧を感じました。ここで批判の矢が日本の政治家や企業におよぶことは想像に難くないですし、もちろんそれによって汚職や資産隠しが明るみに出ること自体が悪いことではないのですが、特に悪いことをしていない企業までさらし者にされてしまうことは非常にかわいそうで残念なことだと思います。それは避けられないことかもしれないとしても、事実のゆき過ぎた誤解は到底容認できないと思い、できる限り事実をそのままに記述することを意図してこの文章を書いています。火のないところに煙がたたないというのは、それはそうなんですけど、だからといってそこにガソリンを撒くのはどうかと思うのです。まぁ、ガソリンで派手に燃え上がった段階で水をまいてもアレですが。
日本企業の大部分はタックスヘイブン国への投資を行うにしても合算課税されることが常ですが、合算課税されず、いわゆる「租税回避」状態となる場合が存在することもまた事実です。これは私の知りうる客観的事実ではありますが、では合算課税される投資と租税回避される投資がそれぞれどの程度の割合でなされているかを網羅的に公開した資料があるかというと、そんなものは国税庁も明らかにしておりませんので、私の観測範囲では合算課税の方が多いという主張しかできません。この「肌感覚」について不信の視線が向くのは国語的に自然な運びとなりますので、これ以上の弁明はできません。そもそも私のポジションは「企業は何も悪くない!」とまではいかないので。制度的に不十分なところもあるし、企業がやりすぎなところもあるが、おおむねうまく回ってるんじゃない、くらいの見解です。
ちなみに、仮に適法に租税回避できたとして、その収益はふつう、その会社の次の投資の原資となり、あるいは株主への配当となり、あるいは従業員にたいする給与となります。(当たり前の話ですが、租税回避=国外に利益が流出している!と誤解されがちなので。)また、ブコメでも言及されていますが企業には実効税率という動かしがたい指標があるので、タックスヘイブンでどれだけ租税回避できているかは分からなくても、その企業が標準税率と比べてどの程度の税金を納めているかは何とな~くわかりますので、本当に気になる方は調べてみてください。
ここですべての疑問に答えることはしませんが、いくつかご不明な点にお答えします。(今後追加で反応があればできる限り更新します。)ちなみに、私は税理士でもなんでもないので簡単な説明にとどめておきます。
外国子会社合算税制により合算課税されたタックスヘイブン国の所得を配当金として日本の親会社に還流する場合、その配当金に課税すると二重課税になりますので、既に課税を受けた見合い部分は益金不算入となります。
隠しているというよりは、開示する義務がないという表現が正しいです。たとえば日本の法律事務所がクライアントを全部公開するようなことは永遠にないでしょうし、企業が子会社のそれぞれの損益計算書を開示するようなこともありません。ただし子会社のリストは有価証券報告書等で開示されており、ほとんどは名前でググればどこの法人かもわかりますので、通常は隠されているようなことはありません。ほんとに悪いことをしてる場合はよく簿外に飛んで見えなくなるので、オリンパス事件みたいにコーポレートガバナンスが効いていないとまずいです。
http://anond.hatelabo.jp/20160320072323
>一方、今回の経営者は、「そんなことはないぞ。経営は苦しいぞ」と言っているが、彼の状況を見ると、補助金をもらっている様子はない。だから、これは認可外保育園(つまり補助金ゼロ)の保育園であると推定される。
補助金もらってるし保育園じゃないって序盤で書いてるのにお前は何を言ってるんだ。推定される(キリッ)じゃなくて文章読めよ。適当読みの俺ですらわかることがわからないってバイアスかかりすぎだぞ。
nyaaaantも誤読してるよな。ブコメであなたがLITALICOの経営者だとしたらって書いてるけど、経営者が1施設運営してるだけって書いてるんだし絶対違うだろ。 そっちの指摘はなしか?
>これほどにも格差があることが問題なのだ。金の配分を均等に適正化することが必要なのだ。そこを正しく認識するべきだ。
お前これが言いたいだけだろ。
TBSの小林悠元アナが、週間文春の取材で「適応診断」と心療内科にて診断されたと明かしたという記事が出た。
今日(20160315)YAHOO!のトップに出たから見た人も多いだろう。
私は習慣で毎週のように「報道特集」を見ている。
週刊誌に報道が出てから、テレビに映る彼女を見る目にバイアスがかかっていなかったと言い切ることはできないが、
「報道特集」を見ていた中では全くもって、アナウンスしている彼女の様子に対し「この人ちょっとおかしい」などとは思わなかった。
全国放送のアナウンサーで、大勢の人にその映っている姿に違和感を抱かせるようなら、すでに大きな話題になっていただろう。そうならなかったのは彼女のすごいところだろうと思う。
週刊誌に書かれて精神的に苦しいながらも、全国放送で毅然とアナウンスできる彼女が「適応障害」で、ローカルながらも涙を流して取り乱すお天気お姉さんはなんでもない(違ったらすみません)。
すごく違和感ある。
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自分の周りの例だけど、友人が30歳でとある企業に中途入社して、入社後2ヶ月目位から月の残業が100時間を越えるような働き方を1年ちょっと続けたところで、会社に行くのがつらくなって心療内科に行ったところ同じ診断をされて会社を辞めることになった。
その人の会社への診断書(傷病手当金もらうためのやつ)の病名には一筆「適応障害」と書いてあっただけだそうだ。
だがちょうどそのころの彼と数回会ったが、全く違和感はなかった。よく話すし、きちんと笑うし。
彼曰く「医者の前でちょっと落ち込んでるように話したらこう書かれていた」という。
もうすでにそこで働き続ける選択肢は自分の中になかったから、あえて抗議もしなかったという。
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たとえば、
かなりのイケメンに話しかけられて、そうではない男性に対するよりも周章してしまう女性は多くいるだろう。
うまく目が合わせられなかったり。
同様に、かなりの美人に対して、そうではない女性に対するよりも狼狽してしまう男性も多いだろう。
こういうの文字通り「適応」に障害が発生した瞬間と言えるんじゃない。
まぁそんな短絡的な例でなくでも、極度の緊張状態が長く続いたとき、人は自分でも気づかないうちに「いつもの自分」からずれてしまっているものだろう。
そんな時に、近しい人にきつくあたる例だっていっぱいあるだろう。そしてあとでひどく後悔する。
要するに「どこで線引きするの?」というのが、専門家ではない人間が抱く率直な疑問ではないだろうか。
真相はわからないが、まさこさまにも「適応障害」という情報が流れているよね。
この言葉から受ける印象というのは、どういう症状なのか理解がない人にとって見れば、相当に歪んだ印象を与える「病名」なのではないだろうか。
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心療内科という医師と患者一対一での密室で、その人の人生を、大げさに言えば破壊するような可能性を孕む診断を、
恣意的に下せてしまう今のこの医療体制には問題がないといえるのだろうか。
別の医師だったらそうは診断しない可能性が大いにある、かなりグレーな領域じゃないのか。
「適応障害」という名称と、診断を下すプロセスの2点についてとても引っかかる思いを大いに感じる。
きっとこの曖昧さ、不透明さに腑に落ちない思いをしている人が結構な数いるんじゃないかと思う。
とにかく小林悠さんがこれは終わったことと割り切って、「そんなものもうどうでもいいわ」とこれから前を見て生きていってほしいものです。
これはもう既に一般に広く認知された問題。 人口全体に占める子供の割合が低下し高齢者の割合が高まることで、様々な社会現象を引き起こしているのは周知の通り。 今や高齢者予備軍を含めた50歳以上の人口が5割を超え、社会保障費が国の歳出で大きな割合を占めている。 人口が多い分どうしても政策は高齢者優遇にならざるをえない。 数の理論(有権者の数からも)からすれば当然である。 新生児は数の点で弱者である。 昨今話題の保育園に始まる諸問題も、数の弱者でありかつ数年我慢すれば当事者が当事者でなくなることが大きな要因となって 今まで余り多くの声が政権に届くことはなかった。(届いていても優先されてこなかった) なので個人的には昨今の保育園問題が話題になっているのは歓迎している。 数の弱者が救われるためには、世の中の倫理感による救済しか無いからだ。 (もしくは正しく世代を超えた投資を新生児にしようという気運の高まりによる救済もある) ところで、数の問題という点で少子高齢化問題を最初に上げたが、本当に本質を理解している人がどれだけいるかは気になっている。 少子高齢化問題の解決方法を問うと皆口をそろえて「出生数をあげろ」という。 新生児が増えても生産労働人口が増え社会を支えるようになるまでは15年のタイムラグが有る。 もちろん、生産労働人口が増える以上に老人が減ればよいのだが、長寿化や国の手厚い保護によりなかなかそうはならないだろう。 少子高齢化問題は言い換えると「老人より子供が"相対的に"少なくなること」であり、つまるところバランスである。 つまりシーソーゲームであり、片方に新生児が、片方に高齢者が乗っている状態である。 そのバランスを整える際に「出生数を上げろ(要するに産めと強要される)」という考え方にあまりに偏重がある。 これが単純なシーソーゲームなら、多い方を減らせばいいという考え方が発生するのは自然のはずである。 もちろん、皮肉なことに、倫理観により増えた高齢者を減らす(殺処分する)ことができないから(法律的にも)、というのがまっとうな答えだが本当にそうなのだろうか? 社会のバランスを考えた時に、増えすぎた高齢者を養い続けることが果たして倫理観として正しいのだろうか。 無理やり生かされる高齢者のことを本当に思っているのだろうか。 増えすぎた高齢者という負債を負わされる何も知らない子どもたちのことを本当に思っているのだろうか。 未来にために子供を作ろうという貴重な夫婦のことを本当に思っているのだろうか。 甚だ疑問である。 事なかれ主義な国民性もあるので、そうなるのは仕方ない。 しかし、今本当に高齢者に生きろと言い続ける社会は倫理観からも正常なのか? これを今一度問う必要があるのではないだろうか。 日本には安楽死が認められていない。 子供や孫に、迷惑を掛けたくなくても自ら死を合法的にかつ経済的合理性を維持した状態で(誰にも迷惑をかけることのない方法を)選択することが、今の日本ではできない。 だから増え続けた高齢者は、子供や孫の世代に負債を残し続けることを強要される。 夫婦世代が子供を生むことを強要される以上に、高齢者は社会に対して負債を残し続けることを社会から強要されている。 今一度問う。 果たしてこれが、倫理的に、社会全体の幸福のためになっているのだろうか、と。 ここからは個人的な考えになるが、やはり増えすぎた高齢者を間引く事が可能な、間引かれることを自ら高齢者が選択できるような制度は必要だと思う。 具体的にはどうするか、だが、下記の2点を法で認めるだけで良いと考えている。 1. 医師による安楽死許可 (合法であることを国が確実に保証する) 2. 安楽死を選んだ老人の資産が相続される際、限度額無しの免税を実施 もちろんこれを悪用しようと考える人は少なからず出てくるだろう。 その抑止力として、医師による安楽死以外の安楽死には殺人罪を今までどおり適応すればよいだろう。 免税にした理由は、新たな生産労働人口世代に対し高齢者が多く所有する資産を移動させるためである。 新たな資本を得ることで、生産労働人口世代が子供を産みやすくするためである。 (もちろんこの免税自体に産めという強要が少なからず存在する) 一方で減らし、一方で増やす、これを推進することで社会の人口バランスを素早く調整できるのではないかという考えである。 バラマキには限界がある。個人の利益に訴求するこの方法が認められれば、より早くより短い期間で少子高齢化問題は解決し、 さらにその先も高齢者を減らしていくためのバイアスが個人レベルでかかるため、日本は再度経済復興できるだろう。 自ら死を選べない高齢者に救済を、無理やり生かされる以外の方法があっても良いのではないかと考える時期が目の前に来ている。 次の世代により多くを残せる方法を自分は選びたい。
育休中、ふと思う。
昔の日本で広く許された、圧力を持った価値観(行かず後家、クリスマスケーキ、男は家庭を持って一人前etc)や見合いなどの配偶者形成、配偶者以外との再生産が許される風俗などは、再生産を共同体の責務とするならばかなり強力で実効性があったのでは無いか。
個々人の幸福を追求することが許され、古くからの価値観を野蛮だと切り捨てたのは良いが、社会の再生産能力は落ちている。
個人主義的、自由主義的な社会では、政策により企業と個人へ再生産へのインセンティブを付与する必要があるのだが、
古い価値観を捨てる一方でそれを怠った結果が、超少子高齢化社会の原因では。
古い価値観が失せる時代、つまり再生産を社会の責務とするならば、政策により再生産のインセンティブを付与する方に舵をきるべき時代
社会の政策決定や企業の経営方針を決められる立場へ出世するのは、自身は再生産へ時間的リソースを割かずに、仕事を頑張った男性が多かった。
彼らの生存バイアスは今も多くの企業で当たり前の価値観として生き続けている。
多くの政治家や企業経営者に対し、彼らは30年後にはいないから未来を見越した選択をしないという批判はズレているのでは無いか。そもそも社会への認識がずれたまま、「良い方向へ」舵を切り続けた結果が今の社会ではないか。
国会での「日本死ね」対応を見ても、認識がズレたままなのだと思う。
1人の人間の生産と消費は大きく、人口が減れば能力の高い人材は減る。経済的にも人口を減らすのは得策では無いのだと思う。
子どもを持ちたい、育てたい各個人においても子どもを持つことのデメリットやリスク、コスト、障害が多すぎてまるで足枷だ。
そもそも子孫を残すことは共同体の責務なのか?
言論封殺は妥当な反論・批判を行ってからするならまだいいかなって気もするが、
大体そういうのは「○○を××と言ったらダメ」「○○を批判する奴は分かってない」と結果だけ言ってダメな理由はまともに書かれてなくて、何らかの批判に対して反論できない敗北宣言のかわりに行われることも多い。
そんな連中がそこまで必死になって擁護するほど好きなアニメについて、自身が評価してる理由や好きな理由をどう熱く語ってるかというと、あからさまな何でも賛美前提のバイアスがかかっているだけで、冗談のような論理破綻が多かったりする。
それでも人気作品だと適当にダメな所も無視して好き好き言ってると論理が破綻していても賛同者が寄ってきて名評論家扱いされるので気楽だ。
結局作品が好きなのではなく同じ方向を見てる連中と騒ぐのが好きなために無理に賛美しているだけにも思えてくるが、
そうやって否定意見は内容が間違って無くても多数決の力でとにかく悪い意見みたいな扱いに抑え込まれていく。
そういう何がなんでもある作品を批判させまいとする優しい?連中が他のアニメのことになると、ろくに見もしないでクソアニメは全てを説明する魔法の言葉という具合に平気で叩いていたりするから困る。
ブログはスランプで、なおかつ精神状態は不安定で眠れないから久々にアニメでも…と思ったら開始7分、一貫して胸くそ悪いタイプのアニメ。いや、これ大半胸くそ悪いか/「コードギアス 亡国のアキト」
胸くそ悪いヤツが性格でも特定の個人でもなく逆恨みとかたかりとか救いのない方向(で自分達だけがまとも)というタイプの構図がギアスシリーズのあんま好きじゃない所
ギアスシリーズは言い過ぎでも「亡国のアキト」に関してはほんとそれが酷い。どんなバイアス(ご都合主義)通せば、こうまで認知が歪むのか…という感じ。近未来SFみたいな装備やメカで中世やられてもなぁ…なんかちぐはぐなんだよなぁ〜
しかも、公式でエロ同人みたいなセリフと展開っすか?深夜に、1ヶ月ぶりに見たアニメがここまでナンセンスだと腹が立ってくる。
いや、期待もしてなかったし、暇つぶし程度に面白ければいいかな〜と思ったけど、睡眠薬の効きが悪くなりそうな酷いアニメだ。悪い意味で、時間潰されてる感
ダメだ。センスが合わない。面白いとかつまんないとかそういうのはものさしの上に乗らないと議論にならない。ものさしの上に乗るだけの最低限度の共感というか、クリエイターが何をしたくてこれを作ったのかみたいな意図がまるで見えない。要するに方向性がひどく間違ってるか、俺が作品の対象外の層か
自分のコンテクストを上げていくと、ある程度テンポの遅い作品が許せなくなってく。いや、遅さ自体に意図があったり、その過程自体が美しければいいんだ。
つまり、話やエッチが長いことが問題なのではなく、その男がブサイクだったり、つまんないことが女を怒らせる…そういうことだ。
コッテコテコッビコビの女性向けはほんと受け付けない。媚びてくんなよ、見出す楽しみ奪うなよ!楽しく腐るタイミング探させろよ(このアカウントの中の人は男ですが、身近な人にこじらせたBLを叩きこまれたため、腐った空気を嗅ぎ分けます)
ダメな時の出崎アニメみたいな演出まで入り始めた。糞アニメとはなんたるかをことごとくやってくれてるなぁ…これ
いい加減細身のやつがゴリラ体型のやつを軽く蹴り飛ばせるアニメを「きゃーかっこいい」とか言うのやめようよ…。なんかもう一周回ってチープだよ
すげー、媚び媚びなBL営業、絡みどころか、攻め受けまで媚び媚び。こんな、掛け算作成キットみたいなヤオイ作品になびくほど、俺の腐り方は甘くないぞ(俺は何を言ってるんだ?)
寝るか…
昔のブログでギアス褒めまくってたのだが、青二才は腐女子を意識して硬派を気取るという変な行動パターンを手に入れたせいで、腐女子に媚びてるってキーワードが出てきた瞬間に思考停止してしまうクセが付いてしまったようだ。
遺伝子ってことでいえば、淘汰っつうのは強いものが生き残るんじゃなくて適したものが生き残るだから。「現代の日本で稼げる人間」という特殊な適性にガチガチに最適化すると、環境が変わった時に簡単に全滅するぞ。生存戦略としては遺伝子プールに十分な多様性を持たせておく方がいい。
その観点で考えると、今の日本では子育てのことをちゃんと考えれば考えるほど産むことに躊躇して、何も考えない人ほど実際に産んじゃう。あんまり考えない遺伝子の方が増えるバイアスがあるってことだな。バイアス是正のためには悩んで子供を断念しているような層に産んでもらうのがやっぱりいいんじゃないか。
その某社長の言葉は文字通り取るなら、「バシッと働いて億単位稼ぐのは30代まで(40歳直前までセーフ)」、「30越えてサラリーマンはだめ」ってことで、30までに役員になったり起業したりすれば39まで非サラリーマンかつバシッと働けるんでないの?
税金の計算がちょっと違ってるけどまあ概算だからいいでしょう (40%とか45%は閾値を越えた分にかかる。この例くらいならたいして差は出ないけど)
そうだなあ、自分が100%オーナーの法人にして、役員報酬を極力押さえて会社に利益をプールしとけば税金はもうちょいセーブできるかも。もちろん引退したからって自分の口座に移したらそこでガバッと税金取られるけど、ずっと名前だけ役員にして生活に必要なだけ役員報酬でもらいつづけるとかかな。
ある程度金貯めれば運用という手もあるんで、3億に届くかどうかはともかく若いうちに稼ぎのいい仕事につけたとしても贅沢せずにコツコツ貯めとくとかね。
まあでもその社長の言葉は生存バイアスだと思うよ。30で役員になれるっつったら若い会社だろうけど、それが成功すりゃウハウハだが、潰れる可能性も高いわけで。
今でこそ、そういう行為から離れて久しいが、一頃は毎日、どころかいつでもLSDをしたかった。
やり始めた頃は、ただ辛い気持ちになったりして向いていないんじゃないかと思ったりしたものだけど、頻繁にやっていれば段々、強く快感を感じることができるようになる。
仲間とLSDに興じる人もいるとは聞いたが、僕は断然一人で行うのが好きだった。
ただ闇雲に行うと辛い気持ちになる事が多かったので、自分なりに十分にセッティングを整えた上で、結ったりとしたリズムに精神を同化させた。
フィーリングがいいときは、一時間がほんの数分に感じるほど精神を圧縮させた事もあった。
主に、夜に行う事が多かったので、体を闇に溶かすようにイメージするとどこまでも行ける気がした。
最中の記憶は曖昧になるが、没頭すると『帰ってきた』あとには、ずいぶんと遠くまで行った実感があり、また汗だくになっていた。
海外でもやったし、出張先でもなんでも、できるときはいつでもやった。
場所が変わるのもまた、いい方にバイアスが掛かることが多く、充実した。
結婚して、ずいぶん遠ざかっていたのだけど、先日、久しぶりにLSDをやってみた。
いやー、やっと録り貯めてたアニメ『すべてがFになる』を視聴した。
元々、原作の小説を数年前に読んでいたので、気になって居たんだけれども、キャラデザを見て絶望してたが、やっぱり気になるので見たわけ。
これは、コーヒーとタバコが格好良く表現された稀有なアニメだと言っていいと思う。最近は、タバコ描写は自粛があるのかアニメではあまり見ない。絶対に海外じゃ放送できない、そもそも海外にこのアニメを有り難がって見るファンは少なそうだけれど。タバコがこれでもかというほどに全面に出ているのに、コーヒーは原作よりプッシュ控えめという印象も受けた。
そもそも原作からしてアニメ向きの、画が動くタイプの物語ではなく、ひたすらある種の衒学的な、ある種哲学的な、冗長で、だが分かる人には堪らない会話がひたすら続くわけだから、画が止まっている時間が多い。紙芝居じゃないんだが、画面にダイナミックさが無い。初めからそんな物語だと知っているし、原作を読んだ時点で大分バイアスが掛かっているから最後まで視聴できたが、初見だったら見れなかったと思う。
総評として、「これは見る人を選ぶアニメだ」と言うのが第一印象。物語全体を通してアカデミックな雰囲気がプンプン漂ってくるところが、この作品の最大の魅力であり、見る人を選ぶ理由なのかと思う。全体的な雰囲気としては、どこか陰鬱で、大学の教官室なんかも良い雰囲気出してると思う。犀川センセの部屋は比較的荒れていて、研究所の所員の部屋はキッチリ整理されているというのは、研究者の2タイプを知っていて表現したのか、とても好感が持てた。アニメスタッフがロケハン(?)というか、モデルとなる研究室や研究所を取材したんだろうか。
最初、キャラデザが発表されたときに「これは終わった」と思ったんだが、動いている画を見ると以外に平気という印象。特に、助教は「こういう研究者居るよなあ~」っていうハマったキャラだと思う。出番が少ないけど。西の園君は、やっぱダメでしょ、ハデっていうか奇怪すぎ。主人公がカワイくないと、物語を見る楽しみは3割減だと教えてくれた稀有な存在になった。もうさ、こんなんだったら全編紫色のワンピースでいいよ。
対照的に真賀田博士は想像していたよりずっと良かったじゃん。cv木戸もハマっていたと感じた。でも、時々、毛量多いなあと思ったよ。
研究所の研究員とか、その他もろもろ、ちょっとキャラデザ的にブスすぎだろ。アニメ見ていて、「コノ世界は、真賀田博士以外、学位を取るとブスになるシステムが実装されている」と思ったよ。うーん、もしかして、製作者は「すべてがブスになる」と言いたかったんじゃないだろうか。
これは、原作を読んだ時点で思っていたことだけど、事件のネタばらし(0xFFFFになる)をしてさらに、解説(16進数で15はF)なんてやっても興ざめじゃないかと。そもそもOSというもの、UNIXの位置づけ、トロイ木馬プログラムやファイルのタイムスタンプ上書きだって、ピンとこない人は置いてきぼりだろうな。でも初めからそんな人は相手をしていないのか。まあ、逆にこんなマニアックなネタを使うなんて、なかなかヤルなあとニヤニヤしたいんだけど、真面目に解説されるとちょっとしらけるよね。
それにしても、犀川先生の思考が発火する瞬間の演出はナゾすぎ、なぜダチョウなのか良く分からん。
好きだったシーン:
そのシーンだけ異質なギャグっぽい感じが良かった
廊下を駆け抜けた先は教授会をやっている部屋じゃないのかと...
それは、レビューは商品の普遍的な価値を評価するものだからでは。
不具合対応というのはレアケースであって、それでもって出回っている全商品の価値が毀損され☆1程度になってしまうわけではない。それに、ショップの対応はショップに対してレビューするべきという考えもあるので。この場合はショップというかメーカーかもしれないが、いずれにしろメーカーサポートの評価と商品自体の評価を強く関連付けたレビューはノイズだと感じる人が多いのだろう。だから、「自分はハズレを引いたから低評価」の類は、レビューを読む人にとって誠実ではない。ネットではそういうネガティブなレアケースばかり目立ちがちで、実際の所が分かりにくいという苛立ちもある。その辺りも考慮すると、「自分はハズレ品を引いてしまったけど、おそらく貴方が入手するのは正常品なので、その場合の評価はこう」というのが閲覧者にとって役に立つ。大体怒りのレビューは短文だったり短所しか書いていなくて参考にならないのだ。もちろん、他のレビューから推察してハズレ率があまりに高いようなら、それを評価に加えた方が誠実だろうが。
結論として、商品に期待している人ほど、そういう冷静な分別がつきにくくなり、主観的な印象、感情、正義感によって強いバイアスがかかる。
今さらおそ松さん見たんだけど…おそまつさんの顔がウケる要因みたいに分析してた連中はやおい力が低いなぁ〜と思いました。ジャニーズが好きだったり、獄都事変が好きだったり、ヘタリアが好きだったりするのを見たら女の子の趣味わかるじゃんって感じのアニメです…はい。
僕個人的な経験と言うか腐女子やスイーツを観測した結果から言うと、腐女子って男への愛が割と「お母さん型(淫夢が分かる人なら「観賞植物ニキ型」の方がわかりやすい)」で、スイーツってどちらかと言うと「悲劇のヒロイン型(イケメンに騙されても、酷い目にあってものろけられる人)」だと思うわけ
で、腐女子の場合に関して言えば、男がイケメンである必要すらないし、自分が愛される必要もないんよ…。なんつったらいいの?兄弟とかチームメイトとか、仲の良い数人が悪ふざけやバカ話に興じてるところを、隣の部屋の壁の穴から覗いていたい人達というか、お茶しながら眺めてたいお母さんポジっす!
平たく言えば、俺の個人的な意見としてジャニーズの中でもグループ仲がいいヤツや、メンバーが多いグループを好むタイプの人は腐女子と性質的には近いと思うの。
逆にイケメン好きかイケメンに騙されたい(イケメンのすることなら自分でバイアスをかけまくって許しちゃう)系は少人数のグループを好む
どっちもその局地はホストに引っかかりやすいとは思います。ただ、どっちかというと腐女子は…貧乏くじを引くグループ(オタサーの姫、バンドマンの彼女)に入っちゃうタイプで、スイーツがホストぐるいしそうなイメージ
なんか、腐女子がV6のしゅうがくりょこうのパロネタ動画作る理由をおそ松くんでわかった気がしてきた。男は情報が欲しくてテレビ見るけど、女の子は男同士でバカなことしてるのを見たくてテレビ見る人(こっちが腐女子的)と、イケメンが見たくてテレビ見る人(こっちがスイーツ敵)がいるから
ちなみに、テレビと主婦に親和性があり、吉本的なテレビが一時期人気だったのは、アレは潜在的に腐女子的な好みの人(男同士のバカ騒ぎを見るのが好きな人)とテレビのマッチングだと思う。ちなみに、韓国ドラマとか福山雅治とかは腐女子的な系統ではなく、スイーツ的な系統。
よく、男の中でコンテンツオタクな人が「女が趣味に関わってくる・投票力を持つとその主観がつまらなくなる」なんて言うけど、アレは要するに見たいものが情報の精度や創作物としての完成度ではなく、「雰囲気」で判断してるからだと思うんだよなぁ…。特に腐女子寄りな人は
すごーくマーケティング的なわかりやすさで言えば、女性の中でも腐女子的な趣味とスイーツ的な趣味の人の分かれ目は「お笑い芸人達のバカトークを楽しめるかどうか」だと思うの。スイーツはイケメンじゃないとNGだからダメで、腐女子的な人は空間とか雰囲気重視だから、面白かったら不細工も下品も可
まぁ、面白いのは腐女子的な人がテレビのバカトークノリを楽しむ人種でありながら、いざ実際に付き合うとなるとそういうのに入れない孤独な人を選ぶって所。保護欲をそそるのか、集団ではなく個として認識してみてしまうかなのかは謎だけど、なんとなく腐女子の彼氏って友達多そうなイメージない
これがスイーツとの根本的な違いで、スイーツの場合は騙されようが酷いやつだろうがイケメンに恋するんだけど、腐女子って社交的でみんなとバカ騒ぎしてる奴に恋するかというと案外そうでもない。ヘタしたら社交的な人を怖がるんじゃないかな?
ただ、腐女子とスイーツという基軸で語ってきたけど「両方である女性」というのもいるからなぁ…こうなると本当に「無類の男好き」で、イケメンでもダメンズでも孤独な人でも許せちゃうと言うか、もうはたから見ててバカなんじゃないかと思うほど彼氏を甘やかす女の子になるからなぁ…壮絶ですよ
逆に腐女子でもスイーツでもない、どっちの性質を持たない「本当に男みたいに計算高くて理屈っぽい女」というカテゴリも僕はあると思ってる。ただ、そういう人って僕は嫌いだし、僕も彼女らに嫌われてるからお会いしたことも深くしゃべったこともないんだよなぁ…だから、仮説でしかない
この話書こうかな…。ただ、どうまとめたら反感を買わないか、いい感じに使えるかがわかんないんだよなぁ〜
メルマガ大先生はブサイクで下品な自分にも優しくしてくれる腐女子というイメージを着々と固めつつあるようです。逆にスイーツは自分を見下してるという被害者意識からこき下ろしまくっててめっちゃおもしろい。