はてなキーワード: バイアスとは
夫婦のそれぞれの問題でとても大変なこともあるが、それらを乗り越え幸せな結婚生活を送っている。
そもそも現代の日本の社会において、小・中・高・大と結婚について詳細な教育を受けることがない。
下手すると親からも結婚とはなにかと教わることがないかもしれない。
漠然と、結婚はよいものだ。だからおつきあいしてラブラブだったら結婚しようという社会的な風潮だ。
結婚に至るモデルというのは、安いドラマとかにでてくる情緒的なカップルをモデルとする場合も多いだろう。
結婚について教育を受けてこなかった私たちは、なにをモデルにすればよいのか。
結婚してどのようなことが大変で、逆にどのようにしてより幸せになれるのだろうか。
なかなか客観的にはなりにくい。
自分の欠点を強く指摘される、逆に相手の弱さについてストレートに言及する。
そのような中において、互いが主観的になる。
ビジネス上の課題がある、この解決すべき課題については客観的に見つめることができる。
冷静に多角的に把握して分析ができるのだ。対象が自己の外に向いているからだ。
逆に、夫婦の問題の場合、己の中にある問題、そして相手の心の奥にある問題に向き合わなくてはならない。
そして、これらに互いが触れる時、主観的になる。
主観的なので視野は狭まり、自分と相手が持っているそれぞれのバイアスが強く働く。
■■まずロジャースになれ
来談者中心療法を確立した臨床心理の大家カール・ロジャーズだ。
「無条件の肯定的関心」「共感的理解」「自己一致」を基軸にしたカウンセリング法だ。
自分が夜家に疲れて帰宅したら、リビングに既に仕事を終えて帰ってきた仏頂面の伴侶がいたとする。
そして、相手が会社の愚痴・不平不満をいったとする。自分も会社のストレスを抱えていてとても疲れていてそんな話し聞きたくない。
それでも、「無条件の肯定的関心」「共感的理解」でまず話を聴いて相手を理解しようとすることだ。
私をはじめ男性はつい、解決案を提案しようとやっきになってしまう。ビジネスだったらそれでもいい。
でも、相手は感情を理解して欲しいのだ。そしてその感情を言語化したいのだ。
解決する力はその伴侶のうちにあるのだ。
しかし、自分が肯定的に伴侶の話を聴いていて、相手が一線を越えた場合どうするのか?
自分を罵倒してきた、言葉による暴力をしてきた、さらに言語道断であるが、
暴力を振るってきた場合、倫理に逸脱した行為をしてきた場合、どうするのか?
■■正の強化
応用行動分析学的に、黙っていると言うことは、黙認していること、
その行為を認めていることだ。
相手が行動を起こす→黙認する(認める)→その行動が学習され強化される
といことになる。
自分の考え・感情をきちんと相手に伝えることがとても大切になる。
ではどうすればいいのか?
結婚当初の愛を深めていくにはどうすればいいのか。
夫婦の合意のもと、二人でミッションステートメントを書くのだ。
ミッションステートメントの詳細については検索するとか『七つの習慣』を読むとかで調べて欲しい。
複数の価値観のバラバラな人間が集まる会社ですら、ミッションステートメントを書いている。
ミッションステートメントはとても重要だ。
まず、それぞれ己のミッションステートメントを1週間ほど書けて紙に書いてみよう。
次に、出来た物を夫婦で見せ合って、語り合おう。それぞれ人生において
なにを目的にしているのか、何を価値観としているのか、いろいろ気づきと共有するところがでてくるだろう。
互いに尊敬し合い、語り合いながら、それぞれのステートメントをまとめて、
1つの夫婦(家族)のミッションステートメントを書き上げてみるのだ。
なにか夫婦で問題が生じても、まずミッションステートメントを取り出してきて、
これを中心に問題について語り合うのだ。
ミッションステートメントなしで話し合うと、「いった」「いわない」の互いに非常に主観的パラダイムになるが、
紙に書かれているミッションステートメントを見ながら語り合うとより客観的に問題について語り合うことができる。
つまり夫婦それぞれが中心ではなく、その上の原則(ミッションステートメント)に従って行動していくということだ。
これが非常に大切なのだ。
ミッションステートメントは定期的に語り合いながら見直して、夫婦の節目においてバージョンを上げていくことも重要だ。
■■最後に
夫婦互いが主観的パラダイムになりやすいが、もう一つ重要なことがある。
第3者を見つけておくことだ。第3者というのは、夫婦の状況を客観的に見て、
鏡のようにフィードバックしてくれる人だ。
だが、カウンセラーでもよいが、
お金をかけずに近所のおばちゃん、親戚のおじさん、学生時代の学校の先生、神父さん誰でもよい。
日頃からそのような人と良好な関係を作っておき、相談できる環境を整えておくことは非常に重要だ。
夫婦がバイアスによって気づかなかった新しい認識を得ることができる。
これはホント大切だ。
最後に、結婚生活ケンカも沢山して、とても大変なことも多いが、
妻への深い愛と感謝のうちに
http://anond.hatelabo.jp/20160622195716
http://anond.hatelabo.jp/20160319223736
たとえばもともと接種者において月経異常や運動異常などが有意に増加しているが、詳細不明な「年齢補正」をすると接種ありの症状が消え、今度は接種なしに大量の症状があらわれる。
https://twitter.com/uchida_kawasaki/status/677899583662395392/photo/1
これは年齢補正に問題があったか、サンプルに大きなバイアスがあった可能性を示している。
また生データを開示するといいながら、今になっても開示していない。
最近、男女によって性的な意味でのキスは同じなのかどうかを考えてる。
パートナーや配偶者にキスする場合だったら、愛情表現だとか、安心を求める行為とかってのは男女共に共通意識はあると思う。
自分は男だが、自分が性的な意味でキスをするときには「キレイなものを体内に入れたい」って欲求がある。
自分は童貞じゃないため、ある程度女性に対する根拠のない「女の子は何もしなくてもいい匂いがする」みたいな漠然とした幻想はあまりないが、それでも女性の唇、唾液にキレイというか、おいしそう(味覚的な意味ではない)というか(これがなんともうまく表現できない)イメージがある。
話は変わるが、よくある話で、学生時代に好きな子のリコーダーを舐める、というのがある。
実際にそれをした、またはしたいと思う人にしか分からないと思うが、どういう欲求からくるのだろうか。
前述したパートナーや配偶者に対するキスはスキンシップとしてだと思うから「リコーダーをなめる」という行為には当てはまらない
リコーダーをなめる人は私と同じイメージでキレイなものを体内に入れたいと思うのか、または自分のものを相手の体内に入れたいと考えるのか
女性の場合はどうか、女性も好きな異性のリコーダーをなめたいと思うのか、そもそも女性の場合、「完全に性的なキス」というのはあり得るのか
女性にも「キレイなものを体内にいれたい」「あいての体内に自分のをいれたい」にあたるイメージはあるのだろうか、また女性ならではかもしれないが「相手もので汚されたい」というイメージもあるかもしれない。
男性は女性に対してどんなに経験を積もうとも「女性、またはそれにかかわるものは美しい」という切ってもきれない永遠のバイアスがあるのではないだろうか。
男性は長いこと付き合うとその女性にあきる、性的興奮を覚えないなどという俗説もあるが、これはそういった幻想やバイアスがなくなって行くからではないか。そしてどんなヤリチンでも一定の幻想やバイアスを他の女性に抱いては消え、抱いては消えを繰り返すのではないか。(いだく、とだくのダブルミーニング)
男性が女性の匂いに対する評価として「ムラムラする、そそる」などはよくあるが、女性が男性の匂いに対する評価として「彼氏の匂いが安心する」という様に性的というよりは安心という評価が多いように思う。
女性が「パートナーの体に飽きる」といった話はあまり聞かない。
それは女性にとって愛情表現やスキンシップが性欲と密接に結び付いているため飽きるということがあまりないのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20160529230713これに関して、
ブコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160529230713)に若干、スポーツエリートへの蔑みが瘴気のようにうずまきつつあるんで、
陸上が、その後が華やかじゃないことについて、また駅伝の残念さについては大きく同意する。
陸連が相当マズイので増田は陸上でそこそこの場所にはいたのなら、中に入れるなら中に入って改善した方が良い。陸連は本当にダメ。
それと、私が知っている「彼らのその後」については、消息を知り得る人だけなので、生存バイアス的な情報ではある。
でも、「それなりに幸せで、自分なりに競技を続けてる」人はすごく多いということも知ってほしいので。
実弟
実業団でとある競技の選手をやっていた。1部~2部を行ったり来たりするチームの、一応主力。
当然というか、高校・大学・就職どれひとつ「試験」は受けたことがない。ただ、地頭は悪くなかったと思う。スポーツでトップキャリアになるには馬鹿じゃ無理なのよ。
現役時代も9-17で会社員をやって「残業」として練習を毎日やっていた。同僚や会社からは、それなりに応援はされていたように思う。
最後は膝の古傷がどうにもならなくなって30代前半で引退。引退後は、実業団チームのコーチを務めていたが、その後チームが売りに出される(不景気のため)。
買い手から、コーチ・ゆくゆくは監督で、と誘われるも、サラリーマンの安定が捨てがたくw 固辞。
完全にリーグから足を洗ってからは、お目こぼしてもらっていた社内資格試験などを泣きながらこなしつつそれなりに仕事をしている。
今もサラリーマンをやりながら、地元のその競技団体の協会長を務めつつ、子供たちをボランティアで教えたり、
学生時代の仲間とクラブチームを作って地域のリーグに参戦したりしている。楽しそう。
子供は3人いるけど、誰も彼と同じスポーツを選んでいないぐらいが、しいて言えば闇と言えるかも。やっぱりお父さんと比べられるのはイヤらしい。
実弟の友人たち
弟の高校時代のチームメイト。一応全国制覇はしているので他のチームメイトも実弟と同じルートをたどるかと思いきや、ぜんぜんそうじゃない。
優勝チームで、大学のスカウトがかかったのは実弟と同期一人、一期下一人の3人だけ、他の人たちの進路はさまざま、ごく普通の人生を送っていると思う。
実家を継いだもの、現役で大学いってサラリーマン、大学2浪してサラリーマン、など色々。
年に1度は集まって、スポーツのミニ大会兼同窓会みたいなことをしている。みんな家族も参加したりする。私も顔を出すけれど、楽しそうだよみんな。
「結局日が当たらなかった人生」ではなくて、どちらかというと「高校時代、超モテたんだ俺」な人生という感じ。
それぞれの地元でスポーツを続けてる人が多いけど、「メンバー集まらないんだよねー」と草野球チームに入っていたり、マラソンチャレンジしてる人とかも。
ちなみに弟は高校時代、モテすぎて家の前に女子高生の張り込みなどがあって大変だったので、そういうのはやめてください。
ラグビー、アメフト、アイスホッケーの体育会に属していた友人がそれぞれいた。みんな今はサラリーマン。
どれも、あんまり強くないチームだったからというのもあるか、就職については、大学名のネームバリューが良いので
「こっち(実業団)じゃなくて、そっち(大学名)のカードを切る」という感じで、超氷河期だったのに皆さん良いところにお勤めになった。うらやましい。
三人とも普通にサラリーマンをやっている。ラグビー、アメフトの二人については、今でもクラブチームに携わっている。
もうオッサンだから競技はやってないけどクラブチームの運営(会計とか協会との折衝とかそういうもろもろ)やってたりするらしい。
プロのスカウトに声もかけられたことがあるという人や、ユニバーシアード出ましたみたいな人やら、実業団でやってましたみたいな人やら、ゴロゴロいる。競技も様々。
共通してるのは「今でもその「草競技」をやってる」ということ。あと、普通にサラリーマンとして仕事をしている。
まぁ、出世するかというとしないけど、仕事できないかというと、普通かそれ以上に仕事できる。ほとんどが営業職だけどひとり技術職で元選手、という人もいる。
知人の中で一番の知名度を誇る「元スポーツ選手」は、一般人でも聞けば名前を知っているレベルの人だが、仕事で役立つかというと「ほとんど無いな」らしい。
競技は、実業団じゃないけど、会社の部活動的なものでやっていたり、学生時代の体育会のOB的なクラブチーム(がどの競技にも割とあります)だったり、
地元の友達を集めてやってたり、ひとりでこつこつ(個人競技だとこっちよね)練習しつつたまにシニアの大会に出たりとか、そうやって続けている。
「見に来てよー」と言われて「いいですよー」と見に行ったけど、まぁオッサンの草競技だけど、
和やかでゆっくりしてて、ただやっぱり全盛期すごかったんだろうな、と思わせるようなプレーも見られて、面白かった。
競技を続けていると、その競技団体の枠の中でそれなりにスポーツに関わり続けることができる。
ほとんどのスポーツには「○○連盟」とか「○○協会」という形で競技団体があって、地域~都道府県レベルまでピラミッド型に競技リーグ組織ができていたりする。
サッカーでJ1、J2、とあるようなもの。例えば東京のサッカーなら都4部とか5部とかあって、チームを作ったり選手登録して、いくばくかの金(登録料的なもの)を払えば、誰でも大会に参加できる。
テニスとか陸上なんかの個人競技についても、定期的に大会が開かれてたり、サークルで独自にトーナメント作ってやってたりもするしね。
なので、ある程度、競技を続けられる能力があれば楽しみ続けられる。
それに、体育会って、なんだかんだ言って就職が悪くない。サラリーマンとしての出世とか仕事で成し遂げたいと思うことがない限りにおいてはw。
スポーツを続けるということは「自分より強い相手の存在を常に認め続ける」ことでもあるので、「過去の栄光」に縋る人って逆に少ない気がする。
むしろ、フィールドを変えて「今の自分なりに、そのスポーツを楽しもう」という感じの人が多い。
ただこれは、「進学先の校風」とか「就職先の社風」とか「その競技特有の個性」によっても、変わってくるようにも思う。
もちろん、その選手当人の競技能力・精神的な能力と、親とのかかわり合いが大きなファクターを占めてるのはありますが。
「親子鷹でずっと野球一筋だったが、高校で肘を痛めてそっからぐれたよ」という人も知人にいるし、
私と弟の母校については、陸上と野球はすごく宜しくない噂がたくさんあった。たくさん囲い込む癖に怪我するとすぐ潰すとか…。
なので、これは生存バイアスでもある。やっぱりリスク高いよねスポーツ競技で身を立てようというのは。
ただ、「選手としては目が出なかったが、それなりに生きているし、競技もそれなりに続けてて、それなりに楽しい」と言う人が、一番多いんじゃないかな。
そこで「あの時にああしておけば」と黒い発想をしてしまう元選手がいたとしたら、それは脳筋トレーニングしかしてこなかったから、じゃなくて
本人は追記で否定してるから無自覚なんだろうけど、たぶん<積極的に>ネガティブな情報を集めてる。
ネットってすごく扱いが難しくて、検索キーワードひとつ取っても簡単にバイアスがかかっちゃうんだよ。
例えば話題の水素水。怪しいと思いつつ、店頭でみかけた水素水に興味を持った人がいたとする。
とりあえず『水素水』でGoogle検索すると、だいたい水素水を褒めるような記事が1ページ目を占めてる。(今日時点の検索結果な)
次に第2キーワードを付けて『水素水 効果』だと、いかに水素水が体に良いかを解説してくれるページが現れる。
さて、ここまでいろんな記事を見たあと、賢明なひとは「反対意見も知らなくてはいけない」と別のキーワードで検索をかけようとする。
ここでみんな失敗するんだ。安直に『水素水 デメリット』とかで記事を探し始める。
出てくる結果はというと、以下の様な有り様(リンクは貼らない)。デメリットを紹介するふりをして、「そんなものはない」「あるにはあるが大したデメリットはない」「安い水素水はデメリットばかりでダメだ(だから高い良い製品を買おう)」と思わせるための記事が並ぶ。本当の意味で水素水を批判する記事にはとうとう辿りつけなかった。
まあこれは単純な例だけれど、本当の意味で対立意見を見つけるのは結構経験が必要で、だからこそ安易にネット情報を受け入れるのは恐ろしい。
水素水くらい簡単な話題でもこの有り様なのだから、出産、育児なんてデリケートな話題でバイアスを考慮した情報収集なんてなかなか出来るもんじゃない。
多くの情報に触れるのは悪いことではないが、それが為になる情報なのかは注意してほしい。世の中にはゲス共が鬱憤晴らしするためのゲスなサイトもあるのだから。
自分も育児をしてるが、経験上中傷されることなんてほとんど無い。
子供が全ての人を幸せにするとは思わないが、増田が既に子供を持つことに興味を持ってるなら、いい選択の一つなんじゃないかと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20160522010905
私は舞台刀剣乱舞については見ていないのでなんともいえないけど、2.5系の作品を見ていて、自分の好きだった原作のある部分が蔑ろにされているように感じられて、自分はめちゃくちゃ憤ってるのにその舞台を見た周りの人はまったく憤ったりせず楽しめていて、なんで!?って思うことはたまにあるよなあと思った。
このなんで!?には、なんで!?原作の○○な部分大事にされてないのになんで平気なの!?とかなんで!?どこがおもしろかったの!?とかなんで!?なんで私は楽しめなかったの!?とかなんで!?なんでこんな風につくっちゃったの!?とかだいたい本当に個人的な気持ちが付きまとうんだけど、でもあるよなあ。そんでもって楽しめなかったことの残念さも相まって、怒ってる人が自分だけなんじゃないかみたいな孤独さを感じたりもする。たのしいはずの趣味の話で。
なんで私は楽しめなかったの!?って思うなら楽しめるように見ればいいじゃんと思うんだけど、実際なるべく自分でもそうしているつもりなんだけど、2.5次元に関してはこれが上手くいかなかったりする。
なんでかというと私の場合は2.5次元作品には漫画なりアニメなりゲームなりで原作が存在するからで、原作が好きであればあるほど、こういうなんで!?のジレンマに直面しやすくなる。
自分の中では理由ははっきりしていて、自分が原作でいいと思っている要素が必ずしも舞台化に反映されないから。
原作にあたる作品を丸々愛しているつもりでも、その作品のどこを一番愛しているのかはその時々によって違うわけだけど、たとえばキャラクターの顔に一番魅力を感じていたら舞台のキャストの顔に解釈違いを感じることが多いし、ストーリーが好きだったら舞台化するために2時間前後にまとめるために端折られる物語になんでそこ削った!?って気持ちになったりするし、キャラ同士の関係性に魅力を感じていたら掘り下げの有無によってそこもっと掘り下げたほうがよくなかった!?と思ったりする。
キャラクターの設定的に金持ちの豪華な衣装のキャラの衣装が安っぽいペラペラの布で作られていると予算かけてくれよと思ったり、見せ場にあたる必殺技的なものが炸裂するシーンの演出がしょぼいとそこもっと熱く演出してください…って脱力したりもする。
なんかもっとほかにもなんで!?と思う瞬間はある気がするけどキリがない。
まあそんな感じのなんで!?って思う瞬間が、自分が原作で一番良い!と思ってる部分だったりすると一気に醒めてしまったり、この舞台微妙だったなあと自分の中での評価が決まってしまったりすることがある。
だからまあだいたい、同じような感じで原作を好きな友人相手だったりすると2.5次元舞台の評価も割と重なりやすく、あそこ微妙だったよね…というような会話がしやすい。それでも絶対許せない!となるかまあ微妙なとこもあったけど楽しかったよとなるかはもう個人差みたいなもので、そこで絶対許せない!となるタイプは今の2.5次元舞台を見に行く客層の中では少数派なんだろうという自覚をするのが、自分が一番楽になる方法じゃないかと思う。
なんといっても舞台を見に行くお客さんはみんな少なくないチケット代を払って劇場に行ってるわけで、それなら少しでも楽しかったと思いたいという気持ちで舞台を見にいっているはずなので、その分楽しむ方にバイアスがかかっているというのはあるんじゃないかと個人的には思っている。
なにが言いたいのか迷子になりかけたけど、だからぶっちゃけありえなかった!って思う人はたぶん限りなく少ないんだけど、2.5次元舞台見に行く中でそういう気持ちになること自体は個人的にはわりとよくあるし私はわりとその孤独に歯ぎしりしたりもするので全くそういう気持ちの人がほかにいないとは言い切れないし、あんまり孤独感に苛まれて好きなものを嫌いになったりすることがないといいなあと思った。
絶賛が多い中で感想をツイートするのがはばかられるなら、もういっそ新しいTwitterアカウントでも作ってどこが微妙だったっていう具体的な感想でもツイートしてみたら、案外同じ気持ちの人からいいねくらいつくかもしれない。
とりあえず次の観劇はなんにせよ楽しいものになるといいねという気持ち。
ちなみに私は去年ぷよぷよの舞台化したやつを見にいって作品の雑さとトークショーで出てきたセガのプロデューサーの態度に最高に胸糞悪い気分で劇場をあとにしたし見に行ったこと自体を黒歴史だと思っているけど、今後これよりも体感でクソだなって思う舞台にはそうそう出会えないなと思っていたりするしこの1年間あれ以上に腹の立つ舞台には出会っていないのでハートは強くなると思うよ。
id:uxlayman ん?結局どうやって騙してるん?え?みんなわかったの??なんで騙しの時だけ9戦8勝にできるの??」
http://b.hatena.ne.jp/entry/kabumatome.doorblog.jp/archives/65861470.html
の記事について、uxlaymanのような人がいると危ないので解説。
これは「生存バイアス詐欺」としてよく知られているパターンに類似した何かもしれません。
①投資家100人に 必ず上がると言い もう100人に必ず下がるという。
②あたったほうの100人を適当に50人二組に分けて、投資家50人に 必ず上がると言い もう50人に必ず下がるという。
divergenceの場合、何度も取引をして大勝した時だけその結果を見せるというところでしょう。
額を無視して勝つかまけるかだけならほぼ2分の1なので、
9試合中8回勝てる確立は2の8乗ですか。256分の1ですね。
複数の口座を使って1ヶ月もやれば出せるでしょうね。
divergenceがやってることがインチキかどうかは断言できません。確かめたければ、
1回か2回だけでなく、1つの口座での1年間の通算の全取引の勝率と資産額推移を出してもらえばよいです。
簡易版で言えば、同じ生徒さんの成績を、本当に同じ生徒の成績だと確認できる形で、1週間だけでいいですから毎日出してもらえばよいです。
言うまでもありませんが、LINE通話の報告とかはゴミです。ちゃんと証券口座の画面から同じIDでログインして、取引履歴を出した場合以外は無効です。言うまでも有りませんよね。
これが出せるなら次の質問をすれば良いです。
この段階から情報の出し渋りをしてるなら詐欺を疑われても仕方ないですね。
成功した時だけの結果を載せてるツイートになど何の価値もありません。 そんなんでよければ俺も1ヶ月に1回くらい、株で全勝して1日で50万円儲けてる画像をアップロードしたるわ。
そもそも互助会叩きは自分の既得権益を守りたい人が出る芽を叩いてるだけである。
今までのはてなは古参のブックマーカーが圧倒的に有利な内輪コミュニティだったんだよね。
誰かが同じような変なことを言ったとしても
古参が言ったら「深い。そういう視点もあるのか考えさせられる」
新人は古参におぺっかを使って尊敬してるという文章を発することしか許されないともいえる。
それではコミュニティに溶けこむことはできないし新人同士で固まるしかない。
しかし新人組が力を持ちすぎたうえにおぺっかも使ってこないから「てめー生意気だ」と因縁をつけられるようになってしまったのだ。
平和に住み分けようとしてもこうなるのだから戦争がなくならないことも納得できてしまう。
古参の閉鎖的で排他的な性質さえなんとかなれば問題は解決するのだが
「読書」は無趣味な人が履歴書の趣味欄に書くものの代表その1のように扱われる。読書が趣味はそんなにダメか。
就活をする上で、趣味欄に読書と書くなと何度も就職課の人間に言われた。
改めて自分の生活を振り返ってみるが、完全に読書が生活の主軸になっているように思う。
本屋でアルバイトをしているし、そのバイト代のほとんどを本屋に還元している。大学の図書館の蔵書もかなりの数を読んだ。
古い本より最近の本のほうが肌にあうので古本屋にはほとんど行かないが、絶版本が読みたくて足を運んだことも少なからずある。
蒐集癖はないので読んだそばから売っている。もういちど読みたくなったら、新しく買いなおすか図書館で借りるかする。
どのくらい読んだかを競うゲームではないので自分がどのくらいの本を読んだのか正確にはわからないが、同年代ではトップクラスじゃないかと思う。
金銭の多寡だけが偉さを決める数値ではないと思うが、趣味にこれだけのお金をつぎ込む人もそう多くはないだろう。
ところが面接に行くとまず鼻で笑われる。本を読むしかすることがないのかとバカにされる。たくさん読むことがエラいわけじゃないんだよと諭される。
ここで冷静に、「いえ、そうではないんです、私は本当に本を読むことが好きで、、、」と、上述のようなことを説明したとしても、
「趣味は読書」にマイナスのバイアスがかかっているせいか、きちんと聞いてくれる人事の人間はあまり多くない。
(ちゃんと聞いてくれたわずかばかりの面接官の方、ありがとうございます)
国の知性を維持するのは国の義務だ。
1,具体的な内容がない
なんでそう思ったか、どういう事件がバックボーンにあるのか、しなかったときのリスクはなにか、馬鹿らしくない仕事はないのか、などなど深堀してからしゃべれ。
ブクマカ「わかってない」「ちゃんと読めてない」
典型的な思わせぶりっこ文。主張と根拠はワンセット、抽象度が高い文は内容ゼロのレッテル貼り。
「仕事するのはバカバカしいよね~」「バカバカしいだと!舐めてんのか!?そんなんで生きていけると思ってんのか!?」
「日曜診療7000円ってたけぇなぁ」「アメリカと比較してみろ!そしたら安いってわかるぞ!」
表現との兼ね合いもあるが、文脈がなにか、メタメッセ-ジがなにか理解する努力ができない読み手は論外。
5,都合のいい解釈
4と反するようだが、好印象持ってる人の発言を勝手に良く受けとるパターン。
「死ぬなら黙って死ねよ。自殺をエンタメ化するな」「死ねとか煽るなよ」
「この人は煽ってない!!この人の本心はエンタメ化されて悲しんでるだけ!!」
おれはこう解釈したがほんとうに正しいのだろうか?と自問自答してから書こう。
「第三者の冷静な意見としてちゃんと俺の考えも聞けよ」「ブクマカはレフェリー」
第三者だから冷静に読めていると考える読み手ほどタチが悪いものはない。
バイアス、防衛機制。第三者の読みにしろ自己投影にすぎない場合が多い。
自分の考えを精査する前に発言する読み手は書き手とおなじく無責任。
これをしないほとんどのブクマカは自分の思い通りにしてやろうと脊髄反射で口を開いているだけ。
「気に入らないから叩きたい」「正しい俺様の理想通りに変えたい」「自分を知的に見せたい」「アフィで稼ぎたい」「みんなからチヤホヤされたい」など自覚的であるべき。
もちろん他人にこれを言うのは2に当てはまる。
きちんとした動機なら表現にも気を遣うようになるし、議論のゴールをはっきりさせられる。
そこそこ言語化ができる人間なら、いくらでも適当な理屈をつけられる。
ただの知的ゲームにすぎない。それっぽいことを言い合ってるだけ。
・発言する際は自分の発言する動機・メタメッセージを明確にし、読み手の際は相手のメタメッセージと文脈を探す
・相手の発言にイラッとしたら自分の偏見がないか確認する、イラッとした理由を言語化する
・相手の発言にイラッとしたら共有できる目標を探し、それを議論のゴールとする