2016-03-12

子孫を残すことは共同体の責務なのか

育休中、ふと思う。

昔の日本で広く許された、圧力を持った価値観(行かず後家、クリスマスケーキ、男は家庭を持って一人前etc)や見合いなどの配偶者形成配偶者以外との再生産が許される風俗などは、再生産を共同体の責務とするならばかなり強力で実効性があったのでは無いか。

個々人の幸福を追求することが許され、古くから価値観を野蛮だと切り捨てたのは良いが、社会再生能力は落ちている。

個人主義的、自由主義的な社会では、政策により企業と個人へ再生産へのインセンティブ付与する必要があるのだが、

古い価値観を捨てる一方でそれを怠った結果が、超少子高齢化社会の原因では。

古い価値観が失せる時代、つまり再生産を社会の責務とするならば、政策により再生産のインセンティブ付与する方に舵をきるべき時代

社会政策決定企業経営方針を決められる立場出世するのは、自身再生産へ時間的リソースを割かずに、仕事を頑張った男性が多かった。

彼らの生存バイアスは今も多くの企業で当たり前の価値観として生き続けている。

多くの政治家企業経営者に対し、彼らは30年後にはいないから未来を見越した選択をしないという批判はズレているのでは無いか。そもそも社会への認識がずれたまま、「良い方向へ」舵を切り続けた結果が今の社会ではないか。

国会での「日本死ね対応を見ても、認識がズレたままなのだと思う。

1人の人間生産と消費は大きく、人口が減れば能力の高い人材は減る。経済的にも人口を減らすのは得策では無いのだと思う。

子どもを持ちたい、育てたい各個人においても子どもを持つことのデメリットリスクコスト障害が多すぎてまるで足枷だ。

そもそも子孫を残すことは共同体の責務なのか?

僕は子どもが欲しいから、作ったし。育休は取れるから取った。みんなはどうしたい?どうなって欲しい?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん