なわとび:602回
ボクシング:126kcal
『夜明け前』読みおわった
まあ、実は読み終わったのは結構前なんだけど、せっかく読んだからなんか書いておきたいなと思ってから実際に書くまで結構時間がかかった
最初の巻を読んだのは実は結構前で、もう15年以上昔のこと。以来続きの巻をそのうち読もうと思いつつなんだかんだで今まで来てしまった
kindleを導入したときに、手持ちの本をいくつか電子書籍と置き換えようと思って、青空文庫に入っている本をいくらか処分したのだけれど、その時ついでに続刊を持っていなかった『夜明け前』を全部揃えてあとで読むリストに放り込んでおいた
一度、どうにか読んでしまおうと思って自動読み上げ機能に読ませてみたこともあるのだけれど、漢字の読みがぐっちゃぐっちゃで、たとえば「金兵衛」を「きんひょうえ」と読んだりする
これを聞きながらちゃんと理解しようとするよりは、自分で読んだほうがまだ脳みそのリソース消費が少ないなと思って断念した
あとで読むリストに入れて毎日目にしているとなんとなく爪のささくれのように気になるもので、今年とうとう一念発起して読んでしまうことにした
実はこのあとにまだ20年積んである『破戒』というのも控えているのだけれど、まあこれは来年あたりに読んでしまおうか
こっちは一冊で終わるし
さて読み終わってみると、まず第一になぜ藤村は父親の一代記とも言うべきこの本を書こうとしたのかということを考えるわけだけれども、これはやはり父親が精神を病んだからというよりも、その過程で家の菩提寺でもあり、代々深い付き合いのあった万福寺に放火しようとしたことの原因を探ろうという意味合いがあったのではないかという気がする
物語はすべてこの放火事件へ向かって流れていき、この事件のあとはすべてエピローグであるように自分には読めた
ところで、物語は半蔵の父親の吉右衛門の時代は万事が概ね順調で、半蔵の世代に移ってからは半蔵自身の才覚のなさもあって波乱万丈なように見えるが、これはたぶん作者自身が実際に見たのが半蔵の時代だったから祖父に当たる吉右衛門の時代が理想的に見えているだけで、実際には吉右衛門の時代は吉右衛門なりの苦労があったのはもちろん、彼なりの不手際や軋轢もたくさんあったのではなかろうかと想像する
半蔵は半蔵なりに精一杯その時代を生きたし、それは彼の父親の吉右衛門も変わらなかったろうと思うから
いつの時代もどんな人であっても安気に暮らしている人はそうそういないもので、その人なり、その時代なりの苦労をそれぞれ背負って生きているものだろうと思う
これはまあ4冊も通して付き合った半蔵に対する同情でもあるけれど
個人的な興味関心との関連でいうと、一つは、最近登山をするようになって各地の山にある神社仏閣を訪れる機会が増えて、その由来などを調べるにつれ、明治の廃仏毀釈がいかに激しかったかを知り、なぜあのようなことが起きたのか興味があったので、その思想的背景の一端を知れたことは良かった
とはいえ平田国学から廃仏毀釈へと至る背景にはさらに江戸時代の寺院がかなりの権力を持っていて、その弊害が大きかったらしいこともうかがえるので、むしろ平田派の思想はきっかけに過ぎなかったのかもしれない
このへんはまた機会があったらちゃんと調べたいところ
もう一つ、この前恵那山にも登ってきて正直面白みの薄い山だなと思っていたのだけれど、木曽路から見る恵那山の描写を読むとこの山はむしろ麓から眺めることにこそ面白さがあるのかもしれないと思ったりした