はてなキーワード: 自己肯定感とは
家族の迷惑を考えるとDVと同じで警察が介入できるような法改正が必要な問題に思える。本人をだまさず、公にせず、しかし強制的に一度は受診させる権力の介入が必要ではないかと思った。
増田の心の問題は、これを読んだ限りは自信のなさ、自己肯定感の低さに問題があるように思えた。本人も書いている通り。
一般の人も理由があって自信を持っているわけではない。鬱傾向や自閉症スペクトラムなどで同じように自己肯定感の低い人はいっぱいいるので、自覚して(必要あれば人を頼り)対処されるのがいいと思う。
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先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。
恋人いない歴イコール年齢を更新し続けて何年経ったかわからない。出会いがないのと他人に興味がないのと、という言い訳を繰り返していた。そんな折、友人の旦那の友人を紹介していただけるとのオファーがあった。こじらせ気味の自分は、恋人ができれば、だの結婚ができれば何か変わるんじゃないかなんて期待する。そして彼とLINEを交換した。頻度は高くなかったけどやりとりを続けてる間は楽しかった。2週間くらいして、食事に行きませんかと誘われ、私はとびつく。あまり背伸びしていない感じのレストランで閉店近くまでずっと話していた。彼の話はとてもおもしろく、仕事の話から趣味の話まで、すべてにオチがついているような感じで、ずっと私は笑っていた。とても、とても楽しかった。でもその食事の後、私に連絡をくれることはなかった。1週間くらいはもうこれを逃したら結婚できないかもしれないと焦った。ただひたすら焦った。何か、何か送らなければ。振り向いてもらわなければ、もうあとはない。もう私には彼しかいない。勇気を出して送ったLINEは既読スルーを受けている。
理由はいろいろあるかもしれない。似たような業界で働いているため、仕事上の付き合いをするかもしれなくて面倒だとか、趣味があんまりあわないだろうとか。お金の使い方もちょっと私と違うかなとか。でもデートした日の自分の中での一番の違和感は、自分のことを話せないことだった。「増田さんはどう?」みたいな感じで彼は聞いてくる。「増田さんの趣味はなんだっけ?」「本結構読んでいるんだよね?」だとか。ほとんどの時間、彼が喋ってくれたのだけど、ときたま自分に与えられる質問を、なぜかうまく答えられない。やっぱり自分のことがそんなに好きじゃないから。自分は後ろめたい存在なんだと、迷惑な存在なんだと、ずっと思って生きてきた。
私の家庭はいわゆる機能不全家庭で私の親はいわゆる毒親で私はいわゆるアダルトチルドレン。子供の頃、父親に殴られて生活していた。しつけなんだろうと言われるかもしれない。でもなんで殴られるようなことをしたのかは覚えていない。自分がしたことの何が悪いかがわからないまま、殴られた記憶しかない。殴られずに済んだこともある。それは父の機嫌をとった時だけだった。母親は母親で、頭も容姿も悪い自分をボロクソに言っていた、ボロクソに。なんの才能もないのに、容姿もよくないのに勉強すらできないとは。小学校くらいから言われていた。中学高校と部活もやらせてもらったが、部活で大学行けるわけないじゃないの、と本気で言われたこともある。当然自分のレベルなんて知っているけど。とまぁそんなわけで自己肯定感というものが私の中で育つことはなかった。
私は頭がいい方ではないので、高校も大学も彼らの望むようなレベルの学校ではなかった。就職活動も苦労したがなんとか今の会社に入社することができた。そこは両親に文句を言われるような会社名ではなかった。私の存在は会社名だけで決められている。たぶん私が会社をやめれば両親は悲しむだろう。会社を辞めたい理由なんてそんなものくらいだ。本当に辞めたい理由もなければやりたい仕事もない。
彼に振られたことで、自分のことを見つめ直したら、ここに行き着いた。今は会社の福利厚生を受けてカウンセリングを受けたり、本やインターネットで自分の問題のヒントを探している。
自分のことを気づかせてくれた彼のことはますます好きになった。けれど、連絡はない。
両親には私の今までを、私の今までを返して欲しい。
それなのに一部の人間は、必要のない世界まで覗き込もうとして、自らの境遇と比べては意味もなく自己肯定感を危機にさらしてしまう。
理屈ではわかっていても、自分よりも豊かな生活を送る人間がいると、それを妬んでしまうのが人間というものだ。
狭い世界であれば十分満たされていたのに、突然視界がひらけたと同時に危機にさらされてしまうことがある。
意味が無いことだとわかっていながら、ハリウッドセレブの生活を自分の生活と比較しては、自らの境遇に嘆いてしまうのだ。
勝ち組になれるのなんてほんの一握りなこの世界で、このことは本当にやばい。
自己肯定感に飢えた人間がどんな行動をし始めるかなんてちょっと考えればわかるはずだ。
トランプが票を得ることができたのは、正義や正しさを訴える大統領を選ぶよりも、彼を選んだほうが自己肯定感の危機から逃れられそうだと思えたからに他ならない。
世界の富より、目の前にある自分たちの富を優先したいと思ったから、彼に票を入れたのだ。
そもそもテロリストの行動原理が自己肯定感の危機である以上、このことは更に彼らのテロリズムを刺激することになる。
それだけでなく、第二第三のテロリズムが生み出されるきっかけにもなりかねない。
しかし、そのことに屈して首相を非難したり、トランプの考えを肯定するようであればまさにテロリストの思う壺である。
まずはみんなでSNSを閉じよう。
自らの自己肯定感をいたずらに満たすことを止めよう。
あなたが満たした飢えは、それ以上に多くの飢えをもたらしている。
言葉の壁なんてもう無いに等しい世の中で、人間の感性だけが原始的なままに取り残されてしまっている。
そのことが理解できないのであれば、終末時計はさらに針を進めることになるだろう。
残された時間はそう多くない。
知人が鬱になったっぽいのと、
ブックライブで「うつヌケ」なる漫画が出てきてそれをチラ見したら分析してるようで大したこと書いてなかったので
この日記を書くことにする。
もう1つ加えるとしたらこの自己肯定を外的要因に一切頼らずに形成することができれば解決する。
どういう意味か?
なのでこれで一時的に回復したとしても、無くなればまた鬱に戻る。
例え個室に一人でぶち込まれて他者と一切コンタクト取れなくとも、
70億人が自分を批判し否定してきても揺るがない「自己完結型肯定感」の「自己肯定」だ。
これを自力で作るのは非常に難しい。
今までの成功例や他者からの評価や自分の経験や実績の積み重ねにより形成されているため、
また脱出する手段も分からない(治療部位が分からない)ために治すことができなくなる。
自己完結型の肯定を手に入れれば変革のための自己否定にストッパーを設けることができるので、
結果として無理をしなくなり心身ともに守られることになる。
ただし、自己肯定による非変質部位によって発生する無知や非学習能力によるリスクも付いてくるので、
自己肯定を作り出す際は十分注意して取り組まなければならない。
例えば「納豆にソースかけて食うのが最高に美味いのに同意してくれる人がいない」という事実があったとして、
もう一度この事実を見つめ直す。
自分にとって最も大切なことはソースをかけて最高に納豆を美味い状態で食うことであって、
目の前に大統領がいたら食いづらい気はするだろうし、
でもそれは納豆にソースをかけて食うのが好き、という事実に対しては何ら影響がない。
つまり本来は他者からの評価や影響を考慮せずともいい事柄なのに他者からの評価や肯定を求めているという、
この単純な自己完結型の肯定の簡潔さすら知らない人間が世の中に溢れかえっているという事実から、
まだまだうつ病患者としての予備軍は水面下にタンマリといるであろう。
そもそもの話、多数決でいえばこの世に1人しかいない自分の力ではどうやっても他者に数で勝つことはできない。
なので多数決によって自分の趣味嗜好をコントロールするというのは自分を抹殺するのと同じことだ。
例え誰一人賛同者がいなくとも自分が心からそう思ったならそれに従うことが個としての尊厳であり自由だ。
もちろんその結果、社会から反発が返ってきたとしても甘んじて受け入れるもよし、斜めに弾いてもよし、だ。
自分をマジョリティと比較していたずらに評価を下げることもまた無意味だと気づくべきだ。
追記するかも
小学三年の時からの腐れ縁で、中学高校と一緒で、クラスは離れたりしたもののいつも何かの縁で自分の近くにいた。委員会が一緒だったり、名前の順が近いため集会では隣にいたり、なぜか文化祭では二人が司会に選ばれたり。
私と彼は似てるんだと思う。
彼は自己中心的で、合理主義、冷酷無比だと自分を評しているが、まあその通りだと思う。しかしその実、人一倍繊細である。自分に自信がなく自己肯定感が低いため愛されたいという願望が強い。自分に良い所なんてひとつもないと本気で思ってしまうほど自信がないのだ。でもその自信のなさを隠して不遜に振る舞ってしまうくらいにはプライドが高い。
そんな矛盾を抱えている。
私と彼は似ている。似ているからこそ、話していてとても心地よい。相手の考えていることが自分の考えていることと一緒なのが分かるから。自分に一番馴染んだ他人、という感じがする。
でも似すぎているからこそ恋愛対象にはならない。自分を鏡写しにしたような存在と一生恋人として付き合っていくのはなかなかきつい。
彼は私に対して主に優しくない。わたしが失敗すれば容赦なくからかい、
バカにする。容姿についてもいじり倒す。でも彼からいくらひどいことを言われようと、なぜか怒りは感じないのだ。怒るどころか、妙に嬉しくなる。こんな風に自分にあけすけにものを言える人なんて君だけなんだからな、という気持ちになる。
私も彼に対して同じようなテンションでものを言う。素の自分でいられる。
今更気を遣う必要もないとお互いに了承し合っているのだ。
でも困ったとき寂しい時に側にいてくれたのはいつも彼だった。失恋した時、決定的なミスをしてしまったとき、一人で眠れない夜を過ごすとき。彼と他愛もない長電話をすることによってどれほど心が救われたか。そんな風に私の心を治療できるのは彼だけだ。
こんなに仲が良いなら付き合ってしまえば楽なんだと思う。その方が物事は簡単に行く。でも恋愛対象として見るのは決して無理なのだ、そこが難しい。
こんな風にいつまでも敵であり味方であり戦友であり、親友であるような、二人にしか分からない何かで繋がっていたい。切実にそう願ってしまう。
http://anond.hatelabo.jp/20170112234708
追記です。
出会いは想定の範囲内かもしれませんが、出会い系といえばいいんでしょうか。とあるスカイプ掲示板です。
遠距離でしたが、会ってみて若げな印象を受けて、適当に付き合って行くかなって思ってましたが、寂しがり屋で執着され、求められるのが嬉しくてプロポーズを受けました。
そして、私の地元で仕事を探し、それまでの仕事を辞めて一緒に住み始めました。
ちなみに、会ってから同棲するまで3ヶ月弱、同棲してから結婚するまで4ヶ月ほどです。
その中で、今回のような喧嘩はたくさんあり、その度に、部屋の契約者は私なので追い出したり向こうが飛び出したり、なぜか私が追い出されたり、ありました。
その間に彼はここに書けないような親にも言えないようなこともしたりの不義理等もありました。
お金がない、さみしがり屋な彼かわいそう、私ならなんとかできる!って最初に手を差し出した私もバカだし、追い出して帰ってきた彼に毎回丸め込まれて追い詰められてしこりを抱えながら日々を過ごす私も馬鹿野郎です。
ブコメにありましたが、親の反対はもちろんありました。私が国立大、相手が高卒で年上で親に挨拶も来ないと大反対大激怒。私は親の過保護なのと結婚しろ羊水がうんたらで、窮屈な毎日を過ごしてたので、ロミジュリな感じで反発してしまってました。また、彼から、「28にもなって親の言いなりか」、「結婚は二人でするものだ」、「お前の親は俺を高卒だブルーカラーだと反対して、うちの娘で宜しいんですかという姿勢はないのか」と言っていて、親に頼るのは恥ずかしいことなんだ、うちの親はおかしいんだと思っていました。
しかし、彼の本性が見えて来て、引き返したいと思って何度も頑張りましたが、「彼にお前は何も悪くないんか、俺だけが悪者か」とか、「お前の言うことは筋が通ってない」とか、「仕事辞めてきたのにどうしろっていうんじゃ!」と怒鳴られたり、「慰謝料よこせ」とか言ってきて、だんだん疲弊してきました。
私も、自分がちゃんと家事が出来ないから怒らせるんだ、怒らせなければいい人だし夫婦としてやっていけるはず、と思い、作りおきとか家事のライフハック的な記事を探したりとしていました。
でも、本来ズボラで、料理もまずくなければいいやくらいで生きてきたので、彼の舌に合う味にならず、手抜きだと愛情がこもってないとぐちぐち言われる状態でした。
私ってなんてダメなんだろうと、元々の自己肯定感の低さが災いし、また、親にありのままを言えなくて、親が心配しすぎて通報するぞと言ってきたり、職場に乗り込むと言ってきたりして余計に反発してしまって、こじれてしまいました。
そして、結局、同棲してることが親にバレて、結婚することになりました。
今日は母親に彼との生活と辛い思いを初めて会って打ち明けました。
「結婚する前に言ってくれれば…てっきり幸せに暮らしているとばかり」と悲しそうに言われました。
「このままボロボロになってもいいと思って過ごして来たけどもう無理」と親に言ったら、「時間がもったいないから別れなさい、あー早くわかってよかった。お父さんも助けを求めてくれて喜んでたよ」ということで、私が再度丸め込まれなければ離婚となる予定です。
とりあえず、離婚についての知識と、財産分与って言われた時の対策を勉強しといて1年後離婚でいくという話になりました。
書いてて思ったけど、結局親離れできない自分がほんとダメだなあ…
彼には月に10万〜15万をもらっていますが、生活費の他に、引っ越し代と滞納税と通勤に使う車代と入院費と携帯端末代(割賦契約ができない)とで300万ほど持ってかれた感があるのですが、そこは強く言えるものなのでしょうか?夫婦の必要経費なのかなとは思いますが。あと、過去にした不義理は結婚した以上、離婚の理由にならないのでしょうか。
頭はおかしくても病識がなく、それでもなんとか社会生活は送れるという、グレーゾーンの厄介な奴。
元々の性格もキツい。同居はまず無理、こっちが確実に狂うか殺すことになる。
本人に自覚のない虐待をされて育ったので、近親者としては愛情なんてなく恨みしかない。
最近になって症状が悪化して、独居中のアパートの近隣住民に迷惑をかけまくり警察沙汰になった。
最近も警察から電話があってトラブル起こしたと報告あり。謝罪に行ったり引っ越し先探したりで物凄いストレス。
こいつの長年の一番の被害者が、そいつの巻いた被害を謝罪して回るという地獄絵図。
ただ最近症状が悪化したしたことでグレーゾーンを超えたので、役所や医師を巻き込んでなんとかできないかという所。
ここ数年事あるたびになんとかできないかと動いているが、病識がなくて精神を患っている者に対して、病院も役所も世間も冷たすぎる。完全放置、なかった存在になる。
制度も半端なものしかなく、精神科の医師にかかっても治療しても無駄じゃないの?みたいなことを平気で言われた。病院を変えて、電話相談しても診療自体をやんわりを拒否されることもしばしば。
統合失調は100人に一人は発症するっているのに、この取り付く島のなさは何だろうと絶望することもしばしば。
それでも周囲に被害は及ぼし始める。どうしたらいいんだか。
強制的に入院させるにも、万床で長く待つ必要があったり、医療費以外の滞在費がかなりかかるので、自分の生活すら成り立たない現状ではどうにもならず。
本人の兄弟親戚にも連絡したが、本人の性格でとっくに愛想をつかされている。
そこで、責任を負わされる子供に稼ぐ力がないと確実に人生積む。
この親の影響か呪いの言葉を浴びて育ったせいなのか元来の性格か、
昔から自己肯定感が低い割には性格にムラがあり、全てにおいて人生が思う様にいかず。
最近は諦めて無能な働き者から無能な怠け者にジョブチェンジした。
ひそかに追記
親にはこどもが二人いるので今はその二人でなんとかしようとしている最中です。
今は自分の心理状態よりも周囲の人間をこれ以上不幸にできないというモチベーションだけでなんとかしてる。
22歳で焦る必要はないし婚活パーティーに行くのは気が早すぎると思う。
身を減らすような恋はベッキーが不倫しちゃったようなもので外野から見るとろくなもんじゃないことも多い。最中の本人はめちゃくちゃ楽しいんだけど。人生の中での良い経験と言えるかもしれないけど皆が皆が体験するようなものではないんではないか。
おそらくある種の男性は女性を虜にしてしまうコツを知っているし、そうできる相手を選んでいると思う。
好きになれる相手がいないなら良い結婚生活を送れそうな相手を選んで好きじゃなくてもとりあえず付き合っちゃえばいいと思う。
夢中になれないからダメってことはないよ。セックスするようになればそのうち好きになるしどうしても無理なら別れればいいんだから。
好きになられても何も返せないし申し訳ないってのは「この人自分の何を勘違いして好きになってるのか知らないけど別に大したもんじゃない」と思ってるからで、自己肯定感が低いからなんだよ。
今の時代に「結婚したい」と本気で言ってる人には二種類いると思う。
・結婚すると幸せになれるというポジティブイメージがモチベーションの人
・結婚しないうちは不幸であるというネガティブイメージがモチベーションの人
なんか子供のときから自己肯定感が低くて、自分が世間に受け入れられていないと思ってる人は後者でわりと早くに結婚してるように思う。
そんで何か問題があったりギリギリまで精神が追い詰められても、離婚をしたら結婚をしていないことになるから不幸になるというふうに自分で自分の首を締めるというか。
「結婚してる人はまとも」というまだ依然として残る価値観は、未婚の人だけでなく既婚者も追い詰める呪いの言葉になっているのではないか。
とても好きだった人がいた。
本当に穴に落ちたように好きになった。
会えた時は嬉しすぎて両手を上げて走って帰りたいくらいだった。
たまたま来ただけですを装うのに何パターンもの会話の糸口を考えたりした。
会えなかった時に吸うタバコは寂しさを増した。
仕事で腐りそうな時、時々思い出す。
また喫煙所に行ったらあの人がいて、「なんかね、」と話したら助けてくれるんじゃないかなって思ってしまう。
色々あって結ばれない恋だった。
喫煙所にも行かなくなった。
今でもたまに、助けて欲しいなと思いながらタバコを吸う時がある。
けど自分で何とかできるくらいには強くなった。
恋ではなく、信仰に近かったのかもしれない。
それでもその期間の事は私にとって大切な思い出であり支えにもなっている。
その人に少しでも近付きたくて努力した事は自己肯定感が低かった私の自信にも繋がった。
そんなこともあったと、やっと思えるようになった。
職能と自己肯定感、この二つは密接な関係を持っていないだろうか?
例えば、仕事が出来なくて自信を持てない、というのはよく聞く話である。
もし、どんな職業もそれをこなすための職能を手に入れるのが簡単であればいい。しかし、向き不向きが割としっかり現れる職業も多い。
早いうち、例えば20代とかに自分に合った職業、少なくともその仕事をこなすための職能が普通に身につく職業に就けたら、それは幸いである。
だが、それが見つからないまま30代も半ばになってしまったらどうだろう?
30代も半ばになると、ある程度職歴が積み上がる。その積み上がった職歴を見て職能を判断される。ある程度経験を積んでいる職業ならば、それなりの職能を身につけていると期待されるのである。
だから、自分が苦手な仕事に就いたまま、職能が身に付かず、職歴だけを重ねていってしまった場合、地獄が訪れるのだ。
この状況に陥ると、自己肯定感はどんどん低くなっていく。それは言うまでもなく、幸せに寄与しない。
人生の3分の1は寝ているのだから睡眠は重要だ、という言葉があるが、大雑把に言えば人生の3分の1は仕事をしている。つまり仕事もまた重要であり、そこでの職能次第で自己肯定感が左右されるのは当然のことである。
仕事で失われた自己肯定感を取り戻すには、様々な方法がある。しかし、不向きな仕事は自己肯定感を削りに来るのだ。栓をし忘れた湯船にどれだけお湯を注いでも無駄なように、仕事が自己肯定感を削り続ける限り安定した自己肯定感を得ることはできない。
では、湯船に栓をするにはどうしたらいいのか?
若い頃はまだ『逃げる』という選択肢が有効である。若さは新たな仕事への挑戦を許す切符だからだ。
だがその切符をなくしてしまったら、不向きであっても死ぬ気で職能を上げる以外の道が残されていないのだ。それがどんなに辛かろうとも。
もしくは、歳を食ってからの挑戦を許してくれる機会に巡り合うまで死ぬ気で逃げ続けるかだ。
けれども、死なないでくれ。仕事が自己肯定感に関係するのは事実だが、仕事を自己のアイデンティティの最後の砦にはしないでくれ。それだけは、仕事以外のところから見つけてくれ。
仕事が出来なくても、生きてていいんだ。
そして生きていることは、時が流れることを保証する。時間が流れることも絶望かもしれないけれど、でも時間はきっとそんな気持ちすら押し流してくれるから。
こんばんはメリークリスマス。これは残念な発達障害アラサー喪女のしんどいクリスマスの話。
私の険しいスペック
・家族と不仲
・腐った方のオタク
一人暮らしは5年前からで、家族が私に辟易して半ば追い出される形でする事になった。
投薬治療と婚活費用、自分の生活費と出費が重なり正直元々貧乏なのに更にここ1年程苦しくなって来年実家に帰る事を親に相談していた所。
最近将来が後ろ暗い事で悩み、更にうつが酷くなり部屋はぐちゃぐちゃ、部屋にいても孤独感でしんどいのもあった。
クリスマスに食事を誘われたのをきっかけに発達障害の事を親に告白しようと思ってた。
少しでもお互い理解出来たら、楽になるかなって思って。
昨日から実家に帰って過ごした。鼻風邪と生理の貧血で頭は働かずぼーっとしてたせいで発達の症状は酷く出ていた。
母とは終始折り合いが悪かった。我慢してたけど口撃が凄くて終始頭がガンガンした。
私が発達障害でずぼらなとこもあるかもしれないけど、それでも昔よりは失敗を糧にしてかなり気を使って生きてる。
それでも足りないのか母はどこか異常に神経質で細かくて。
他人や私のミスやちょっとした不器用さにもそこまで言わなくてもというとこまで執拗に口撃する。
寛容さがなくて、許容値が狭い。
身内で、私が発達で何も期待に応えなかったグズで嫌いな子供だからつい口が出るのかもしれないけど。
…やっぱり母と私は合わない。
発達の事を話すつもりだったけど、、、辞めた。
私は存在否定と肯定感を得られず更に苦しむ。
そもそも、大して心から褒められたりそのままの私を認めて肯定してくれた事が殆ど記憶にない。
「お前には何度も裏切られた」ってわざわざクリスマスに言われた。
母も人間だから、頑張った事(子育て)に対して見返り(子の人間的成長や報酬)が欲しい、その気持ちは解る。
けれど、発達の私にはそれがどれも上手く出来なかった。
私も周囲の成長に合わせられず何故「普通に」出来ないのか、わからなかった。吐くほど苦しんだ。
母や父の眼差しが曇りいつしか弟にしか目を向けないのを私は黙って見てるしか出来なかった。
弟は私を当然蔑視し、中高生当時学校も家庭も人間関係が上手くいかず苦しんでいた私を容赦なく罵倒した。
血の繋がった家族に、守られるどころか心の傷を更にえぐられたショックで私は弟と口が聞けなくなった。
今年で15年近く喋ってない。
年明けに弟とその彼女と食事をするので出席して欲しいと母に言われた。
という私も今年婚活して付き合った人が居たが別れた。改めて男女付き合いにも疲れた所だった。
弟には家庭の癌みたいな私をもう気にしなくていいよと思っている。私の事嫌いつってたし。
もう、お互いの為にも自分の幸せだけ考えてくれればいい。そこに私が介入する必要ない気がする。
ていうか、彼女に姉が発達障害ですなんて言うの?それ彼女的にはすげー悪条件なんじゃないの?
破談の責任取れないよ?もし破談になったら弟に刺されて殺されるか私が自殺するかのどっちかかな。
ああ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、頭痛くなってきた。
もし穏やかに食事して結婚も済んだとしても、弟の彼女が私に次に会うのは私の葬式かもしれないよ
それ最悪に寝覚め悪いでしょ。会わない方がいいよ
アスペルガーって40歳の誕生日を迎えられない事が多いらしいね
そりゃね、こんなクソみたいな人生死にたくなるよ
やべークリスマスなのにほんとしにたくなるね
しぬまえになんとなく、思いつきで、リトアニアの十字架の丘を見に行きたい
しあわせになりたい
ただそれだけでうまれてきたはずなのに
弟の事を考えると発達の事は黙秘してしんだほうが皆しあわせになれるだろう
障害者は病院行っとけというが病院までが過酷。病院でも過酷なことがある。
精神障害やら発達障害になると心療内科に行く。この心療内科へ行くという行為は賭けの要素があり、そこで医者に恐怖を植え付けられると先がなくなるし、ここで医者も人間だとかお前が失礼したんじゃないのと周囲に言われればセカンドレイプのようになる。
診断を間違えると全く合わない薬ばかり候補になるのである。重い薬で動けなくなったり、副作用の出やすい発達障害はここで悪化する可能性さえあるのだ。
カウンセリングは保険外なのか何か知らないが1時間で七千円とか普通に飛ぶ。何かしらの療法も同じく、検査には数万円掛かるのだ。
おまけに発達障害はある程度幼いうちから行かなくてはならない。幼稚園からである。友人は小2から通ったがそれでも遅いのだ。つい最近まで不登校にでもならないと連れて行かれなかったのだ。違和感があっても親が連れて行ってくれないことも多い。大半が手遅れなのである。
この手遅れがなぜ手遅れかと言えば、発達障害はPTSDのようになりやすい。小学一年生の頃に先生に怒鳴られた記憶が二十歳を過ぎても忘れられないのだ。三十路だろうと記憶が残るのだ。ストレスにも過敏に反応するので治療という行為が難しいのだ。
親へ医師が認識させるのも重要なことで、ここで親が人並みに人様にご迷惑おかけしないようと的外れに厳しくしていけば、自己肯定感がなく常々死にたいと思っている発達障害者が増えるのである。そこからますます二次障害が増えていくのだ。
アダルトチルドレンはきっかけになった親から距離を置くのが早い話なのだが、発達障害で二次障害を引き起こし、働けない人間も事実いる。年金の一月数万円は2回か3回で消えるのだ。治療にあてられる人は実家ぐらしでもそれほど多くないだろう。テレビに出れるのはテレビ出れる程の気力がある人間のみなのだ。私の親はそこにも気づいていない。そもそも発達障害に遺伝の可能性があるなら気づかない可能性は高いのだ。おまけに親もアダルトチルドレンであった。
このことを言いたいが為に増田に登録した程伝えたい。子供達冬休みおめでとう!
と言っても年末年始でお忙しい方々多いでしょうが、子供達にお手伝いをさせてあげてますか?あくまで上手くいった上で褒めてあげるという流れの為のお手伝いです。それで怒鳴ってしまう、子供が子供らしく大人の階段登るための遊ぶ時間を削るのはいけません。いい話を作るために子供に重い米を運ばせるわけではありません。
火を使わせると危ない!包丁も!ピーラーも!持たせられない!いう奥様方も洗濯物畳みをさせるとか、歯ブラシを持って越させるとか、とにかく出来そうなことを探すのです。とにかく褒められる機会を探しましょう。
反面教師がてらアダルトチルドレンになり自己肯定感が死んだ増田の話を書きます。
我が家は父はせっかち、母は効率厨という神経質な家庭でした。なにかをしてると父が擬音をつけたり、ガラスの容器を持ち上げるとあー!危ない!とオーバーリアクションでやる事なす事びっくりさせて怖がらせるような父なのです(小さい子供ならまだしも高校になって別居まで続きます)母の注意の言葉には被せて注意はしてくる。母の迷惑になるなが説教や励ましの最後につく言葉でした。
その母というのはとんでもなく効率厨。こだわりが多いので本人の思う形にならなくてはなりません。少し時間が狂えばイライラで物に当たりだしてました。
その為家事手伝いはとても時間に余裕のある時にやらせてもらうのです。大体は私が手伝いたいと言えば、私がやった方がはやいとか、これはこうやらなきゃいけないとか。父親も何かしようとすれば怒られる。
なので手伝っている、親を助けているというより、迷惑なのにやらせてもらっているという感覚でした。迷惑にならないようにしなきゃって小学校から思ってたんですよ。
私がいない方が物事がはやく片付く、私がいない方がみんな幸せなんだろうなみたいに思ってました。同じような子を作らないであげてくださいね。
クリスマスなんかも楽しそうにしなきゃいけない失敗しちゃいけないでキリキリしてました。二十歳過ぎてもそんな気持ちです。それではよい冬休みを。
http://anond.hatelabo.jp/20161219205129
思っていたより反応が返ってきたことが嬉しかったです。自己肯定感を持てると良いというコメントがあって、さすがその通りだと思いました。何をしても自分に納得がいかないのです。これだけでは社会で生きていけない、もっと頑張らなくては、そう思う一方で不倫がしたいとも考えてしまう。
旦那に浮気させたら?というコメントがあったけど、どちらかという他人を包丁で刺さすよりも自分を刺してしまいたいと考えているので私が不倫して辛くあったほうが良いと思います。
なんで幸せが怖いと感じるのか考えてみて、ブコメにACでは?と指摘があり確かにと思いました。母も父も厳しくて、私の姉はとても優秀でした。父は外面は良いけど酒を飲むとすぐ手がでるし、父が家にいる間ずっと緊張していた記憶があります。姉と比較され「お前ができないやつなのは豚小屋でひろってきたからだ」とよく言われました。
だからかわからないけど、そうやって乱暴に扱われることに慣れて麻痺しているのかもしれません。でも改善するにも何から手をつけたらいいのか。不倫は薬にならないとわかっているのになぜ。
追記
夫は多分相当なことがない限り浮気しないと思います。浮気するならそれは本気になるでしょう。それだけ自分のことを大切に思っているから直接相談なんて申し訳なくてできない、怖い。本当に大切にしてくれてるのがわかる、だから苦しい。私なんてそんな愛情をかけてもらう価値なんてない。少しは前向きになれるかと思って結婚を選んだけど、結局自己嫌悪、自分を認められない。自分を認められないから夫の好意を素直に受け入れることができない。自分のことで精一杯で夫が私を心配してくれてるのにいつもごめんと言ってしまう。ありがとうが言えたら良いのに申し訳なくて言葉にできない。夫ならもっと良い女性に出会えるはずなのにごめん。私は死にたいって毎日考えてしまう。つらい、消えたい、死にたい。本当にごめんなさい。
12月21日追記
自分も遅刻魔で、他人を苦しめて自分も苦しめてきたから分かる。
私の場合だけど…考え得る原因はいくつかみつけたので紹介する。
まず私の症状は、昔からギリギリだったけどとくに大学時代は遅刻欠席常習犯だった。しかし遊びなどは間に合うことが多かった。
社会人の今は、ふたたびギリギリながらセーフを保っているタイプだ。
それから、遅刻癖が顕著なのは家から出るのだけで、出先から別の場所へ移動するときはとくに問題なかった。
●慢性的な罪悪感
他のトラバにも挙がっていたが、自己肯定感が低く、無意識下で罪悪感を感じていたい欲求を抱えている。
●愛情の試し行動
それから、低い自己肯定感ゆえに、「こんな自分でもほんとに付き合ってくれるかな?」と試し行動をしてしまう。これは何度も許してくれる友達に対してやりがち。
●怒りの試し行動
幼い頃のことをよーく思い出してみた結果、数年の長期間にわたり自分の時間を意図的に奪われ続けた経験があった。
それに対して無意識の怒りをずっと抱えて生きていて、持て余した結果、自ら遅刻をすることで他者の反応を見たがってしまっている。無意識に。
この気がある人は、最短時間で計算してしまうらしい。たしかに…
私は効率を考えてるつもりで、最短でいけば家に何時までいられるという計算で考えてるし、支度が早くできないので結局おそくなる。
既に間に合わない時間を越えるとき、それから今まさに待たせているとき、強烈な絶望感におそわれる。
こんなクズで私どうなっちゃうの?!しね!!みたいな考えを至って真面目に行ってしまう。負の感情におぼれ、自分の魂に自分で傷をつける感覚がある。
それはそれで、スリリングで、たしかに自分は生きてるんだという感覚を伴う。
たまに普通に早く行くと周囲に驚かれるのも、普段の自分の行いを攻められる気がしてしまいまたギリor遅刻に戻ってしまった。
遅刻をすれば、周囲の冷ややかな視線を浴びることになるが、そうして「やっぱり私はクズなのだ…」と再確認する作業は自分に必要なものであるきがして、もはや日課になってしまった。
とにかく、このセルフイメージを無理矢理にでもかえるしかない。
私による私のための分析に寄れば、アダルトチルドレン的な要素を持つ私は「不成功防衛」に囚われていて、遅刻癖もその一つなのだと思う。
なぜ遅刻をするのか。
遅刻をすることで、直接的間接的に何かしらのメリットが、ほんの少しでも生じているからだ。
遅刻癖は、「クズで欠陥のある私」のセルフイメージを保つのに役立つ。
たとえば親と共依存関係にあるばあい、自立しないことは大いなる貢献につながる。
そして周囲から過度な期待をかけられることもなくなり、後からがっかりさせて傷つくより先にわざと裏切っておけば、自分は傷つかないはずである。
こんな感じな考えに、実は囚われていたことにきがついた。
対処法はよくわからないが、とにかくおもいつく限りの無意識をひっぱりだして、一つ一つのエピソードに泣いたり怒ったりして向き合って、自分は世界でただ一人の生きた人間であることを自覚するということがいま一番効果があった。
何言ってるんだといわれそうだが、いままでどこか他人事で、自分はどこにもいなかったから傷つこうが傷つけようがかまわなかったのかもしれない。
無意識に遅刻を繰り返す目的は「自分はだらしない・ろくでもない人間です」と周囲に印象付けることである。
自分で自分にそういう評価を下していると、周囲の期待値や評価をすり合わせるためにそういう行動を無意識に取ってしまう。
自分の存在価値に疑問を持っていませんか?「いてもいなくても同じ」「どうせ自分なんて」と思ってませんか?
生きてることに後ろめたさを持っていませんか?自己肯定感は持てていますか?親との関係は悪くなかったですか?
遅刻癖とアルコール依存症は表現様式が違うだけで、原因は似ている。家庭環境、人格形成にも目を向けてみて。
カウンセリングサービス■心理学講座「遅刻癖の心理~罪悪感があると遅刻する?~」
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec322.html
遅刻癖がなおらない
同じ業界で、より良い仕事内容と職場環境を求めて4回転職した。同業だから年収も上がっていった。
うちの業界は残業100時間超え・男女差別・パワハラ・セクハラ・モラハラ当たり前の業界だけど、夢があったからずっと業界の中にいた。
やっと納得行く仕事に出合えたと思ったら、上司がパワハラ上司だった。
侮辱も何度もされた。
話も聞いてもらえなかった。
生まれてこのかた、こんな目に合ったことがなかった。
まだ若造だけど、仕事では褒めてもらえることが多かったから混乱した。
何で?どうして?
けど、わたし何か怒鳴られるような悪いことしたっけ?と思わずにいられない。ミスもしていないのに。
とりあえずしばらく頑張った。
笑顔で受け流した。
耐えようと思った。
でも、急にある朝体が動かなくなって、会社を休んだ。
でもやっぱり次の日も、朝体が動かなくて、休んだ。
でも体も頭も動かない。
精神科とどっちに行けばいいのか分からなかった。(いまだにどっちに行くべきなのか分からない)
重度の鬱病だと診断された。
薬が処方された。
通院が始まった。
まさか自分が向精神薬や睡眠導入薬を飲む日がやってくるなんて、思ったことなかった。
この業界の人は強い人が多いし、自分も修羅場な仕事が多かったから、かなり強い自負があった。
幸い、死にたいとは思わなかったし、今も思わないけど、自己肯定感がカラカラに干上がっている感じだ。
憂鬱で、ぐったりしていて。何とも言えない、どろどろした気持ちと毎日。
苦しい。
中途半端に首を締められているみたい。
転職しようと思った。
きっとまたどこか見つかると思った。
でも甘かった。多分もう50社くらい書類選考で落ちた。
どの会社も口を揃えて「転職回数が多すぎる」「うちもすぐ辞めてしまうのでは?」と言う。
そして最後に「貴殿の今後の発展をお祈り申し上げます」とのたまう。
何でわたしはこんなことになっているんだっけ。
人事は遠回しに「辞めろ」と何度も伝えてくる。
誰も味方がいないんだ。
上司は誰に対してもあんな感じなのでパワハラしている自覚すらなさそうだし、人事は頑としてパワハラの事実を認めない。
最近は、こうなったらサラリーマン諦めて、起業でもしようかと思っている。
アラサー女、ほとんど貯金ないけど、ネットショップとかどうかな、なんて。
何でわたしはこんなことになっているんだっけ。
わたしはどうしたらいいんだっけ。